MLB

2017/05/14

野球選手・秋信守に対する評価は韓国の民度や韓国に対する個人的な好悪とは関係ない(※5/15に追記あり)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170510-00010032-fullcount-base

【MLB】韓国紙は“松井超え”に注目? 秋信守、メジャー通算150本塁打で“射程圏内”か

Full-Count 5/10(水) 22:21配信    

 

メジャー13年目で通算150号、「上回っているのはヒデキ・マツイだけ」

 8日(日本時間9日)の敵地パドレス戦でメジャー通算150号のソロ本塁打を放ったレンジャーズの秋信守外野手について、韓国メディアが「アジアのMLB選手で(秋を)上回っているのはヒデキ・マツイだけ」と伝えている。ヤンキースなどメジャー4球団で活躍した松井秀喜氏はMLB通算175本塁打で、秋が射程圏内に捉えたと見ているようだ。

日本人最高は…衝撃の総額年俸、これまでのMLB大型契約ランキング

 秋は8日の試合で4点を追う7回に今季4号ソロをマーク。韓国紙「中央日報」電子版は「秋信守が150号本塁打を放つ」とのタイトルで特集記事を掲載し、「秋は11年でMLB通算150号を達成した。2006年6月29日、彼はクリーブランド・インディアンス在籍時にMLB初本塁打を放っている」と伝えている。

 記事では、秋が2013年に100本塁打&100盗塁を記録したこと、メジャー12シーズンで4度の20本塁打(09年21本、10年22本、13年21本、15年22本)をマークしていることもレポート。一方で、「彼は2016年に4度DL入りしている」と怪我が多い点も指摘。「今シーズン、ここまで彼は33試合中29試合に出場している。しかし打率(.243)を見てみると、秋が調子を取り戻すためには少し時間がかかりそうだ」との見解を示している。

 
今季は打順が定まらず、「一貫性がないのはチームの成績不振が原因」

 さらに、最近は7、8番という下位打線での出場が増えていることも紹介。「秋の打順に一貫性が無いのは、おそらくチームの成績不振が原因だろう」として、チーム打率(.217)が30球団中29位であることに言及した上で「レンジャーズのジェフ・バニスター監督は問題を特定するために、絶えず打線を変える。しかし、彼は未だ解決策を見つけられていない」と分析している。

 そんな中で、秋は節目の150号に到達。同紙は「アジアのMLB選手の中で、秋よりも多くの本塁打を記録しているのは、元タンパベイ・レイズのヒデキ・マツイだけだ。彼は175号を記録している。マイアミ・マーリンズのイチロー・スズキは115本塁打で3位となっている」と、アジア選手でトップの座に迫っているとした。

 秋は2014年から7年1億3000万ドル(約150億円)の大型契約をレンジャーズと結んでおり、2020年までメジャーでプレーすることは確実な状況だ。

http://www.fangraphs.com/statss.aspx?playerid=3174&position=OF

http://www.fangraphs.com/statss.aspx?playerid=1659&position=DH/OF



イチロー選手とチームメイトだった事もあって、インディアンス移籍後頭角を現し始めた頃には一部アンチイチローからも注目(勿論イチロー否定の為の材料として)されていたけど、まだMLBでプレーしているんですね。彼って。

案の定韓国大嫌いなヤフコメ民からのコメントは大半が否定的なものですが、ワールドシリーズMVPはともかく、母国のプロリーグで実績がない分、MLBでの競争を勝ち抜くのはイチロー選手や松井氏より不利だったろうし、人間性云々も飲酒運転して醜態さらした事もあったらしいけど、それ言ったら極端な話、タイ・カッブ氏とかバリー・ボンズ氏とかアウトな殿堂入り(またはそれに相応しい)選手何人かいるでしょ。

嫌いなくせに一々日本と比較したがる韓国も大概だけど、ヤフコメ民も、ホントに嫌いなら話題にすらしないのでは思うのだが・・・・・・・・・・実際秋選手はホントに松井選手と比べて全く大した事ないのか?上記HPはMLB在籍経験選手のセイバーメトリクス指標色々の成績まで載せているサイトですが、確かに松井氏も秋選手にはないワールドシリーズでの華々しい活躍があった。それも強いチームで投げたが故に、度の過ぎた判官びいき的な補正過小評価(これについても過去エントリーで言及した)をしている人も珍しくない堀内恒夫氏が弱いチーム(実際は3年連続Aクラスも経験した等チームの歴史上では相対的に強い時期でもあったのだが。60・70年代の大洋って)で200勝以上した平松政次氏にはない日本シリーズでの活躍した事同様決して無視してはいけないとも思う。

しかし、wikiで載っている成績だけ見ても出塁率は松井氏や打率の割に伸びず、(悪く言えば扇風機だったアダム・ダン氏よりも低い)イチロー選手より高いし、UBRやwSB等走塁関連の指標では秋選手は選手晩年はDHでの出場も目立った松井氏を上回っています。

その他BABIPやWARでも松井氏を大きく上回っているし、wRCやwRAAも実働年数の違いを考慮に入れても秋選手が松井氏に明らかに劣っているとは思えない。イチロー選手の安打記録とかマスコミの異常な礼賛報道も相まって、日本の一部野球ファン(広尾晃氏みたいに、イチローファンでも日米通算を基本的に認めていない人もいるが)が都合の良い様に持ち出している日米通算も、違う国のリーグ同士を通算した、公式ではない記録を公式みたいに宣伝して、酷い場合にはあたかも一方のレベルのが高い国のリーグで成し遂げたかの様に扱うのなら、一部アンチイチローが引き合いに出している李承燁選手の他、呉昇桓選手や林昌勇選手の韓日通算記録だってちゃんと認めなければいけない(今まで積み上げてきた証左にはなるし、勿論全くの無価値なのかと言うと、日米通算も韓日通算も決してそんな事は無いが)ですが、秋選手も・・・・・・・・・・・

確かに、例えば慰安婦問題は強制性とか彼らの言い分も部分的には否定はしませんが、朝日新聞等獅子身中の虫な嘘つき達が広めた、日本または日本人を貶める愚行であり、国連の拷問禁止委員会による介入も、「そんな日本を叩きたい(竹宮惠子先生の「風と木の詩」にまでイチャモンつけていたのにも呆れた。OVA版も見た事ありますが)のなら、もう分担金出すのも止めてしまえ。福祉や教育等日本国民の為に使った方がよっぽど良い。」だけど、よほどの反日行為とかしたのなら(私が知らないだけかもしれないが。MLBプレーヤーとしても先輩な朴賛浩氏は日本海の名称変更を呼び掛けた事もあったけど、親日認定されると社会的に抹殺される様な国だし、それぐらいの事は許します)ともかく、人間だから全く無視するのも感情的に難しいかもしれないけど、秋選手のこれまでのMLBプレーヤーとの評価は韓国の民度や韓国(または韓国人)に対する個人的な好悪とは関係ないです。嫌いな国の出身選手だからと言って、表面の成績しか見ないで罵倒等して良い事にはならない。私がヤフコメでこんな事言っても、青ポチばかりつくだろうし、どういうコメントが出るのかも分かり切ってはいたけど、彼らの嫌韓にも正直ウンザリです。そういう度の過ぎた嫌韓も、スゲー見っともない「私、日本人でよかった」のポスター(独り善がりな現実逃避に過ぎない「日本スゲー」なTV番組共々それだけ日本もダメになってきているという事でもあり、存在自体全く健全でない)もそうだけど、却って自分達で日本や日本人を貶める行為でしょだけど・・・・・・・・・・


実際またこのブログでも韓国関連の話題なんて、ジョジョとかロックマンとか野球とか旧道走行等その他個人的趣味とかみたいに一々高い頻度で取り上げてないでしょ?要するにそういう事なんだよでもあるけど、一方で秋選手は守備は下手で、怪我とも決して無縁でもなく、今シーズンもイマイチパッとしないけど、FA移籍したレンジャーズでも給料相応の仕事が全然できていないのもまた事実でしょう。昨年チームは地区優勝はしても、古巣インディアンスと対決する事ないまま地区シリーズで敗退してしまったのも皮肉でしたが、100億の契約を残して引退したフィルダージュニア共々不良債権と酷評されても文句は言えまいです。下手したら2020年まで現役自体続けられないだろとも言うか、結局2年連続3割20本20盗塁を記録した2009・2010年シーズンがベストシーズンとなってしまうのでしょうか?マリナーズも獲得した選手がスランプに陥って、放出した選手が活躍するパターンをしばしば繰り返してきたけど、いくらダルビッシュ選手も頑張っても、この様な不良債権を抱え、整理等しない限りはしばらくワールドシリーズにも出れないかもしれません。秋選手自身も分かってはいるのだろうけど、大切なのは「松井越え」ではなく、貢献し、チームが勝利する事であり、松井越えもその結果付いていくものなのですから。秋には果たしてどうなっているか?です。

【以下5月15日追記】

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170515-00000405-chosun-base

(朝鮮日報日本語版) 野球:金泰均、イチローと並ぶ69試合連続出塁記録

朝鮮日報日本語版 5/15(月) 7:28配信

  •  

 14日、ソウル・蚕室球場でのハンファ・イーグルス対LGツインズ戦。両チームが0-0だった2回表、ハンファの金泰均(キム・テギュン、34)が打席に入った。金泰均はLG先発イム・チャンギュの球をたたき、センター前ヒットにした。69試合連続出塁記録を立てた瞬間だった。1塁に達した金泰均は帽子を脱いでファンたちに感謝の意を表した。

 昨年8月7日のNC戦以降、毎試合出塁を記録、最近は「キム・チュルル(出塁)」と呼ばれる金泰均。この日のヒットで1994年にイチロー(43)=現マイアミ・マーリンズ=が日本で立て、23年間破られていない「アジア記録」に並んだ。そして、金泰均が16日のネクセン戦で1回出塁すれば70試合連続出塁となり、同部門のアジア新記録を更新することになる。世界記録は米大リーグのテッド・ウィリアムズ(1918-2002年)が1949年に立てた84試合連続出塁だ。

 金泰均は大記録を打ち立てたが、ハンファはほかの打線が振るわず、LGに1-4で負けた。 LGは2-1でリードしていた6回裏、チェ・ウンソンの今季2回目のランニングホームランが飛びだし、勝利を決定的にした。

実際はヤフコメでも指摘していた人の言う通り、シーズンを跨いだ場合は台湾、中信兄弟の林智勝選手の109試合連続出塁がアジア記録らしいけど、これもそうだよね。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなのだろうとも言うか、嫌韓が先行していて、嫌韓に囚われていて、金選手に対して客観的な評価が出来ないコメントが多い。その一方で、「そんな事言って叩いていたら日本人だってピート・ローズと同じだろ。」という様な正論コメントしている人も何人も見られるあたり、まだヤフコメ民も救い様があるのかなあと。

私も韓国好きか嫌いかと言えば、正直嫌いだけど、李承燁選手が王氏の55本を破る、シーズン本塁打アジア記録を打ち立てた時だって、「まあレベルの違いもあるけど、凄いねえ。」で彼を叩こうとかとは全く思わなかったけどね。イチロー選手も、ローズ氏を超えたかどうかはともかく、過剰な礼賛報道には強い違和感はあるけど、MLBに新たな歴史の1ページを開いた私の認識には変わりはない。

李選手について言えばまた、日本プロ野球ではKBO程の成績は残せないだろうとも思っていて、案の定結局帰国して、またKBOの三星ライオンズでプレイしていて、既に生涯本塁打・打点数はKBO歴代1位らしいですが。もうそういう人種なんだとも分かっているし、韓国や韓国人嫌いなのは勝手だけど、度の過ぎた嫌韓も絶対日本人をダメにする。そういう好悪と切り離して見る事が全く出来ないのならもうスポーツ自体見るなよですよ。正直な話。

| | トラックバック (0)

2017/01/01

一昔前のMLB日程消化の一例その2

http://www.baseball-reference.com/teams/MIL/1979-schedule-scores.shtml

新年あけましておめでとうございます。一昨日・昨日と松潤の二股報道について触れたエントリーのアクセス数凄いんですけど、今年も自分のペースで色々興味持った事について語っていければ・・・・・・です。

さて、早速今年最初のエントリーですが、上記ページはbaseball reference内の1979年のMLBアメリカンリーグ東地区(当時。現在はナショナルリーグ中地区)に所属していたミルウォーキーブリュワーズの戦績についてのページです。何故1979年なのかと言うと・・・・・・・1960年まで長く16球団体制だったMLBは61年にアリーグが、62年にはナリーグが2球団新規加盟して20球団体制となり、NPBでも2004年には1リーグ10球団という愚かな選択をしてしまう所なりそうでしたが、当時まだプレーオフも無かったので当然消化試合がさらに増加しました。

まあ実際はアリーグは1964・67年、ナリーグはドジャースとジャイアンツが激しい優勝争いした1962・65・66年、カーディナルスとフィリーズがそうだった64年と混戦だった年もいくつかあったのですが、特にまた1968年が歴史的な投高打低な年だったのも追い風となったのでしょう。翌1969年には一気に両リーグ2球団新規加盟の2地区制となって、シアトルパイロッツがその一角でした。しかし、短期で移転し、ミルウォーキーブリュワーズとして再スタートを切り、これに怒ったシアトル市がMLBを訴えて、勝てそうになかったから1977年にアリーグだけさらに2球団新規加盟させました。シアトルマリナーズとトロントブルージェイズの事だったのですが、今の所、実は1961年以降両リーグ球団数が同じだった時期の方がまだ短いのです。

それまで同地区とは18回、他地区とは12回総当たりだったのがアリーグはそれぞれ15回、10回または11回となったのですが、1979年からは同地区とは13回、他地区とは12回と対戦数があまり変わらなくなり、しばらくこの方式が定着しました。東西各地区7球団となったのだから、2013年以降のア・ナ両リーグみたいに必ず1カードは組み合わせも代わり代わりの違う地区同士の対戦でが見られたかのかと言うと、それは違っていたのです。

注目すべきは9月の労働祭も過ぎたか過ぎないかのペナントレース最後の4週間8カードです。79・80・88年はブ軍(前述通り同地区15回、他地区10or11回総当たりだった1977・78年も)、81‐83、91年はブル軍(ブルージェイズ)、84‐87年はイ軍(インディアンス)だけが他地区チームとの試合ばかり消化していたのです。これがシカゴとかミネアポリスとかカンザスシティとか中西部だったらまだ良かったのでしょうが、オークランド・アナハイム・シアトルまでしばしば遠征した様だから移動距離の長さとかで不利だった想像は難くなかったでしょう。

1989年はヤ軍(ヤンキース)とイ軍、90・92年はヤ軍・ブ軍・タ軍(タイガース)、93年はヤ軍・イ軍・ブル軍・レ軍(レッドソックス)と、アリーグ2地区14球団時代の末期においては東地区チームは特定の一球団だけが終盤ずっと他地区チームとだけ対戦する例は少なくなりましたが、やはり移動の疲れとか影響したのでしょうか?元々ア東は創設当初から基本的にレベルが高い地区ですが、この様な日程を消化したチームでワールドシリーズに進出したチームはとうとう無かったまま1994年から3地区制に移行したのです。

逆にこの年(1979年)のブ軍はまた、4月5日にヤンキースタジアムで連続世界一となったヤ軍相手に開幕を迎えてから、5月13日のデトロイトでのタイガース戦まで1か月強11カードずっと同地区との対戦ばかりでした。ミルウォーキーとシカゴではシカゴの方が東に位置していて、もしブ軍が西地区所属だったら1987年も地区優勝して、82年同様ワールドシリーズもカーディナルスとの顔合わせになっていたかもしれませんが・・・・・・・「最後の8カード」、15年間ずっと同地区との対戦ばかりオ軍(オリオールズ)も1983年までは強豪(しかし、以降ワールドシリーズからは遠ざかり、近年も漸く地区優勝争いは出来るようになったが、バック・ショーウォルター監督はつくづく短期決戦には弱い様で今年も出場はならなかった。90年代後半~00年代前半のヤ軍黄金期も彼とジーン・マイケルGMコンビの「遺産」だとも言っていた人もいたけど、それでもプレーオフ2ラウンド制となって最多であろう世界一4度の栄光に輝いたのもまた事実であるジョー・トーリ氏の殿堂入りは「当然」でも、ショーウォルター氏も殿堂入りするには少なくともあと2球団でリーグ優勝するか、1球団でリーグ優勝かつ地区優勝も4回ぐらいしないと難しいと思う)で、1992年に1カード消化しただけだったレ軍もバンビーノの呪いこそ破れず、78年には去年のNPB・ソフトバンク以上の逆転V逸を喫してしまったけど、リーグ優勝した86年の他にも88・90年にも地区優勝しているのに対し、ブ軍やブル軍もそんな不利な日程にめげずに(?)強くなってはいった。特にブル軍は1991年もこういう日程じゃなければリーグ優勝していたかもで、ついに92・93年に連続世界一、特にまた93年にはジョー・カーター選手のサヨナラホームランで2地区制時代の最後を締めくくったけど、イ軍は地区優勝すら出来なかった。まあイ軍もそれから2001年までリーグ優勝2回・地区優勝6回の黄金期を築いた等、1994・95年のストも乗り越えてブル軍と入れ替わりに強豪に返り咲いて、去年も久々にワールドシリーズ出場を果たしたけど。

http://www.baseball-reference.com/teams/PHI/1983-schedule-scores.shtml

一方この時代(つまり2地区26または28球団時代)ナリーグの方はこれは1983年にリーグ優勝したフ軍(フィラデルフィアフィリーズ)の例だけど、開幕直後はサンフランシスコ・アトランタ・ヒューストンに遠征(ナリーグも位置的にはシンシナティ・アトランタよりシカゴ・セントルイスの方が西なのだが、同じく黄金カードなジ軍・ド軍と別所属にするためにカブ軍とカ軍を東地区所属としたのだろう)した等他地区チームと対戦した例も珍しくなかった様ですが、終盤は基本同地区5チーム(ホーム&ロード10カード)とだけ対戦する様に日程が組まれていた様です。そしてその時は少なくとも週一度は月火の2連戦・水木の2連戦・金土日の3連戦3カード消化してもいた様です。他地区との対戦においてもやはりその様な週3カード消化の例は珍しくなかったという。

http://www.baseball-reference.com/teams/OAK/1974-schedule-scores.shtml

前述通り「大人の事情」でアリーグは1977年から14球団となるも、69~76年まではナリーグと同じ12球団でした。これはヤ軍以外のチームでは依然最後な、3年連続世界一を達成した1974年ア軍(オークランドアスレチックス)の例ですが、やはり開幕直後は同地区よりも他地区チームと先に対戦する事もありながらも、最後の10カードは同地区だけと対戦する様に組まれていました。

http://www.baseball-reference.com/teams/NYM/1969-schedule-scores.shtml

この1969年の所謂「ミラクル」で初の世界一になったメ軍(ニューヨークメッツ)みたいに開幕してから10カード全部同地区と対戦する様組まれていた例もありますが、まあ終盤地区優勝争いに興味を持たせるのは当たり前という事ですか。

http://www.baseball-reference.com/boxes/HOU/HOU199309060.shtml

http://www.baseball-reference.com/boxes/NYN/NYN199309100.shtml

そして1993年にはナリーグもマ軍(フロリダマーリンズ、現マイアミマーリンズ)とロ軍(コロラドロッキーズ)が加盟して17年ぶりにアリーグと球団数が同じになりましたが、9月第1週は違う地区同士の対戦が4カードもあった等余った1カードだけとは限らなくなった模様。ブ軍(アトランタブレーブス)・ジ軍・カブ軍・エ軍(モントリオールエクスポズ、現ワシントンナショナルズ)が「最後の8カード」中3カード他地区との対戦が組まれていたけど、この中で一番きつかったのはいずれも西海岸に遠征したカブ軍だったでしょう。しかし、順位は同じ4位ながらも前年より勝ち星を6つ増やして勝ち越してはいました。

繰り返し言う様にこの年を最後に24年続いた2地区制から3地区制に移行して、2013年にア軍(ヒューストンアストロズ)がアリーグに移籍して16年ぶりに両リーグの球団数が同じになるも、それは奇数同士になったので、常に交流戦が見られる様になりました。しかし、移動距離など不公平さへの不満も少なからずある様で、2020年からまた偶数ずつ各16球団の32球団制となる見込みな様なので、こうした「暫定」もその時まででしょうが・・・・・・・NPBと違って平日のデーゲームが珍しくないのもアメリカ(とカナダ)は国土が広く、時差も存在して移動に時間がかかるからな様ですが、トランプ政権成立で微妙(新球団本拠地はメキシコシティとモントリオールが有力視されている)とも思われた32球団制がホントに実現して、日程編成も果たしてどうなるかですね。1960年以前の154試合制に戻そうかな声もある様ですが・・・・・・・

| | トラックバック (0)

2016/11/26

MLB、ついに2020年に32球団体制となる!!

http://bb.doorblog.jp/archives/50079721.html

http://boards.sportslogos.net/topic/99972-the-pointless-realignment-outpost/?page=84


天気予報にも「ホントかよ?」でしたが、まさか11月にこれほどの雪が降るとは思わなかったですね。県内某所では午前7時半頃からみぞれから雪に変わり、午後3時頃までほぼ降り続けていました。今日も日中はまだそこそこ日差しあったけど、朝夕は普通に寒かったですね。それはそうと、前々からそういう話は聞いていて、トランプ氏の次期大統領確定(某サイトでは、公約の一つであるTPP離脱について、当初は反対していた自民の翻意と比してブレない態度を相対的に絶賛する意見も見られましたが、安倍ちゃんも会談するのは結構だけど、大事なのは、教条主義等にも陥らない様今後の政権運営に反映していく事である。もっとも、野党、特に民進が・・・・・・・ですが)で実現が遠のくのではないかと指摘する声も一部ありましたが、ついに・・・・・・・・ですね。

アストロズがナショナルリーグ(以降ナと略称)に復帰して、ダイヤモンドバックスがアメリカンリーグ(以降アと略称)に移籍するとかとも言われてましたが、特に印象的な点は①ア北にカナダの、ナ南にメキシコの新球団が加盟(ここが一番重要)②タイガース、インディアンス、ブリュワーズが3地区制時に別地区に移ったのも尻目に、地区制創設以来2016年現在まで47年間ヤンキース、レッドソックス両強豪と同じア東地区(1977年には3チームそろって勝率6割台だった事もあった)だったオリオールズが別地区に③ア西ではツインズ、ナ東ではパイレーツが27年ぶりに他3チームと同地区に④アストロズとレンジャーズは引き続き同じア南地区所属に⑤カブスとカーディナルスも別同士の地区所属に・・・・・・こんな所ですか。

カナダはやはりナショナルズがエクスポズと名乗っていた時の本拠地だったモントリオールがそうなるのですかね。バンクーバーじゃ移動長いと言うか、ツインズをア北、新球団をア西にした方が合理的ですしね。デビュー直後の人気は野茂英雄氏以上だったらしいフェルナンド・バレンズエラ氏とかも大喜びであろうメキシコはやはり首都という事でメキシコシティが本拠地となるのだろうけど、治安が心配ですね。コロンビアでも一橋大出身の兄ちゃんが残念ながら・・・・・・で、オースティンも候補に挙げられていたけど、テキサス州に3球団も必要ないでしょ。かって、1960年頃にア・ナに続く第3のリーグとしてのコンチネンタルリーグ創設が検討されていた時は、デンバー、ヒューストン、ミネアポリス、ニューヨーク、トロントに加え、アトランタ、ダラス、バッファローがその新球団の候補地に挙げられていました。結局コンチネンタルリーグは創設されず、これらの都市は殆どア・ナいずれのリーグでの新球団または移転球団の本拠地となったけど、バッファローは今回は候補にすら上がらなかった様で、カナダがやはりダメならシャーロットやナッシュビルあたりがそうなるのか。

下のサイトでは、2014年5月時点での話だけど、リーグだけでなく、東西のカンファレンスも設立して、同カンファレンス同リーグ同地区と22×3チーム=66試合、同カンファレンス他地区(対戦する地区は3年周期で変化するのであろう)と12×4チーム=48試合、他カンファレンス同リーグとは6×8チーム=48試合の計162試合になるんじゃないのと言われてましたが、私は同リーグ同地区20×3チーム=60試合(もしくは12×3チーム=36試合)、同リーグ他地区7×12チーム=84試合(もしくは9×12チーム=108試合)、他リーグ(交流戦)3×6カード=18試合の計162試合になるのではと推測します。交流戦は基本的には東西南北と4年周期で対戦相手は変化するけど、例えばヤンキース対メッツ、レッドソックス対ブレーブス、インディアンス対レッズ、ホワイトソックス対カブス、カーディナルス対ロイヤルズ、ジャイアンツ対アスレチックス、ドジャース対エンゼルスの様な、本拠地が近いカードは毎年ホーム・ロード2カードとも組まれるようになるでしょう。改めて。プレーオフはワイルドカードは廃止になるらしいけど、今まで通り、ワイルドカードがレベルの低い地区の優勝チームより勝率が高くなる例だって今後もあり得ます。勝率がワイルドカード>リーグ最低勝率地区優勝チームの場合のみ、開催地は地区優勝チーム本拠地の、1発勝負の準プレーオフ(現行制度ではワイルドカードゲーム)はやっても良いのではとも思います。これを追い風に、日本でも取りあえず、2020年代にセ・パ共に1球団増やして14球団として、余ったチーム同士2013年以降のMLBみたいに常時交流戦するようにして、リーグ戦20×6チーム=120試合、交流戦3×7カード=21試合の計141試合、2030年代にセ・パそれぞれ8球団ずつの16球団として、同地区18×3チーム=54試合、他地区17×4チーム=68試合、交流戦ホーム・ロード隔年交代の3×8チーム=24試合の計146試合制となれば一番理想なんですけどね。まあこれだと1977~98年のアや1993~96年のナ、ドリームリーグ・マジックリーグの2リーグ制時代(同地区20回・他地区18回対戦)の韓国KBO同様同地区と他地区チームの対戦数あまり違わないのですけどね。巨人・阪神以外のセ4球団は特に難色示すでしょうが・・・・・・・・

| | トラックバック (0)

2016/11/17

ケニー・ロフトンのジーター&イチローディスりの背景にあるMLB韋駄天達への評価

http://full-count.jp/2016/10/18/post48657/

通算2428安打&945四球のロフトン氏、有資格1年目で得票率が足りずに対象外に

 今季史上30人目のメジャー通算3000本安打を達成したマーリンズのイチロー外野手は、将来的なメジャー殿堂入りが確実視されている。そんな中、メジャー殿堂入りの権利を喪失した往年の名手が、殿堂入り候補のイチローや元ヤンキースのデレク・ジーター内野手らに“八つ当たり”している。地元紙「シカゴ・トリビューン」電子版が報じている。

侍ジャパン強化試合は13日が最終戦 打線を固める材料は得られるか(侍ジャパン応援特設サイトへ)

メジャー通算3000安打を達成し、観客に応えるマーリンズ・イチロー【写真:Getty Images】

“恨み節”を漏らしているのは、現在プレーオフで熱戦を繰り広げているインディアンスOBでもあるケニー・ロフトン元外野手。1991年にアストロズでデビューして以来送った17年の現役生活では、通算打率.299、出塁率.372、2428安打、622盗塁、945四球という輝かしい成績を残した。さらに、1992年から96年まで5年連続で盗塁王に輝き、1993年から1996年までゴールドグラブ賞を4回獲得、1994年から1999年は6年連続でオールスターに選出されている。

 輝かしいキャリアを送ったロフトン氏だが、全米野球記者協会の会員が行う殿堂選手を決める投票では、有資格1年目だった2013年に3.2パーセントしか得票できず、選考対象から外されてしまった。翌年も選考対象となるためには、最低でも5パーセントの得票が必要となるからだ。

“殿堂選手”という栄誉を手にできなかったロフトン氏は、その原因は3000安打に到達できなかったことにあると見ているようだ。「もしも殿堂入りに3000本安打が必要だと知っていれば、四球で出塁する努力をしなかっただろう」と、自分のプレースタイルを後悔しているという。

「もしも、こうなる(殿堂選手の選考から漏れる)ことが分かっていれば、自分は試合で非常に自己中心的なプレーをすべきだった。もっと盗塁をしていたし、四球で出塁しようと悩む必要はなかった。毎回スイングしにいっただろうね」

“恨み節”全開、「ジーターは四球を選ばなかった。イチローは速いけれど、盗塁をしようとしていない」

 そう“恨み節”全開だったというロフトン氏は、「ジーターは四球を選ばなかった。イチローは速いけれど、盗塁をしようとしていない。私は何としてでも出塁しようとした」と、3000本安打の偉業を達成した2人のレジェンドに矛先を向けている。

 

 実際の成績を見てみると、ジーターは20年間のキャリアで3465安打に加え、ロフトン氏を上回る1082四球を記録。一方、イチローはメジャー16年間で3030安打、626四球、508盗塁に達している。

 1990年代後半に訪れたインディアンス黄金期には、マニー・ラミレス、ジム・トーミ、カルロス・バイエガ、アルバート・ベルら主軸の前に出塁し、彼らの長打で生還していた。中でも、ベルは1995年から2季連続で打点王に輝いたが、「私が出塁しなければ、打点は挙げられなかった。ソロホームランだけでは135打点を挙げられない」と主張。自身がいかにチームプレーヤーだったかについて訴えている。

 ロフトン氏が「自己中心的なプレー」をしていれば3000安打に達していたのか? 今となっては、その答えは分からないままだ。殿堂入り投票の選考対象から外れてしまったことが不運だが、素晴らしい功績を残したことは事実。栄誉を手にできなくても、その勇姿はファンの記憶に刻まれているはずだ。

1か月前の記事ですが、最近目にして興味を持ったので今更ながら・・・・・・・・

実際は引用記事でも一部指摘されていた通り、ジーターは確かに四死球率8.6%は彼の10.2%よりは低いけど、出塁率と打率の差は0.067と、0.073のロフトンと大きな差はないし、イチローは日米通算の盗塁数で柴田勲らと比較して上回っているとどや顔で書いていたある記事には、「柴田は盗塁は殆どサインで、自分の意志でなんか走れなかった事も知らんのか?ご本人も最近のインタビューでそう話していたぞ?」だったけど、MLB限定でも500以上盗塁している。ディスるにしても逆でしょですが、彼ら2人はジム・トーミ、アルバート・プホルス、マリアーノ・リベラ、ミゲル・カブレラと共に殿堂入りできるか否かは議論の余地はない。反社会的言動とか取らない限りはもう確実。ジーターは守備は見た目の華やかさほどは上手くなく、イチローは10年連続200本安打はセイバーの主な指標ではずば抜けて高いほどではなく、表面上の数字ほどの価値があるかと言うと、正直ちょっと「?」(しかし、皆勤賞レベルに過ぎないな一部アンチの意見も過小評価過ぎるというものですが)MLB時代は「打撃面では」過大評価である事を差し引いてもです。(オルティーズはどうかな・・・・・・DH専門にしても引退した年でキャリアハイに近い数字は薬物使用とかちょっと疑ってしまうけど)


BABIP  .326、.350、.340

wOBA .352、.360、.330

wRC(キャリア平均) 76.6、93.9、81.3

wRAA(キャリア平均) 9.6、17.3、3.6

wRC+ 109、119、105

fWAR 3.67、3.59、3.88


これはその主なセイバーメトリクスの、左からそれぞれロフトン、ジーター、イチローの数値です。彼はまだ現役だけど、wRCやfWAR等イチローもそれほどは高くはないと言ったけど、ロフトンを上回っている項目もあります。守備でもロフトンは守備範囲の広さ故に捕殺数が多く、ゴールドグラブ賞4回の受賞歴を誇るけど、イチローだって10年連続受賞はこれも記録的な数字で、同じ10年連続でもシーズン200本安打よりも外野・右翼手としてのゴールドグラブ賞受賞の方が誇るべき記録ではないかとも思います。

何故ロフトン氏は殿堂資格を得て1年目で早くもそれを失ってしまったのか?そういうセイバーも含んだ主な打撃・走塁面での成績ピークは1992~99年までと長くはなく、しかも1995年、1997年、1999年と25試合以上欠場した年が3回もあったのが一つ。もう一つはジーター&イチロー両氏をディスった事からも、人間性にやや問題があったのかなあですが、2000年以降はまた、そういうのが日常茶飯事にしても移籍を繰り返したのがマイナス要因となってしまったのかなあです。最後の2007年だって、決して引退すべきな成績ではなかったのですね。しかし、40歳という高齢だったのもネックだったのでしょうが、そういう移籍を繰り返していた事も敬遠されて、どこも契約したがる球団が現れなかったからなのか。

しかし、それにしても得票率低すぎただろで、別に今さら特にインディアンス時代における出塁等の貢献度の高さをどや顔で強調しなくても、ロフトン氏もまたMLB史上理想的なリードオフマンの一人だった事も私には分かります。ジーター&イチロー両氏から見たら迷惑な話ですが、今回のこの件で私が改めて認識したのは、MLBで野球殿堂入りするにはただ成績を積み重ねるだけでは微妙で、通算成績は多少物足りなくても、野球にあまり詳しくない人にもパッと見て強い印象を残す様な活躍も一定期間以上見せなければ十分でないという事ですね。

その最たる例がサンディ・コーファックスで、「間違いなくその時代を代表したエースではあるし、一流だけど、『史上最強の左腕』とまで評価するのは・・・・・・・せめて最後の5年間レベルの成績をあと3年(から5年)は続けていたら、まあ頷けなくもないけどね。」というのがコーファックス氏に対する基本的な認識で、成績が落ちた状態であの後も数年現役続けていたら、果たして・・・・・・・ですが、ラルフ・カイナーもそうでしょうね。7年連続本塁打王も左翼フェンスまでの距離を9メートルも縮めてまでして達成できた記録でしたからね。それにしても、投手もコーファックス氏とかは別にして殿堂入り選定に厳しいと指摘する声もあるようですが、ロフトン氏とか何人かの韋駄天プレーヤー達も過小評価されているなあでもあります。

ルイス・アパリシオは打率も出塁率だけでなく、上記各セイバー項目もキャリア後期の投高打低時代であった事を考慮してもロフトン氏らと比べてもっと低く、それでも走塁と守備だけでも殿堂入りに値するレジェンドではあったのですが、1年目からの9年連続盗塁王と当時遊撃手最多だった9回のゴールドグラブ賞が決め手になったのでしょう。それでも、殿堂入りは引退11年後の1984年で、何度かは落選した様ですが、その他の面々を見ても・・・・・・・・

ビリー・ハミルトンは実働僅か14年で900回以上盗塁して、おそらく後にルー・ブロックに破られるまで、少なくとも80年以上、通算914盗塁はMLB記録だった筈ですが、殿堂入りはアメリカ野球殿堂自体出来たからも25年も経った1961年の事で、既にこの世の人ではありませんでした。ティム・レインズはロフトン氏同様長いキャリアの中でも特に好成績をおさめた年は80年代のキャリア前半期にほぼ集中しているけど、盗塁成功率も84.6%は歴代13位の高さで、ストで打ち切りになったとは言え、1994年の100%等90年代以降も成功率ベスト10に入った年が数回以上あり、出塁率もロフトン氏らよりも高かった。2008年に初めて資格を得た時の得票率は24.3%でしたが、今年は69.8%まで上がった。確か最近までは有資格15年以内で得票率75%以上にならなければ対象外となっていたのが、10年以内に変更された様ですが、来年がラストチャンスですね。まあ、資格を一旦失ってもベテランズ委員会で選出される可能性もありますが、来年こそは米加両国での野球殿堂入りをですね。レインズ氏には。

アーリー・ラッサムも、セントルイスカーディナルスがまだブラウンズ(現在のオリオールズも1954年の移転前はセントルイスブラウンズと名乗っていて、1944年にはカーディナルスとの全試合セントルイスでのワールドシリーズが実現されたが、紛らわしい)と名乗っていた、アメリカンアソシエーション時代~ナショナルリーグ時代の19世紀にプレイしていて、1885年~88年のリーグ4連覇(カーディナルスも大昔から強豪だったんですね。1950年代・70年代・90年代等ややパッとしなかった時期もあったけど)にも大きく貢献、盗塁と得点以外の通算成績はやや物足りないながらも、1885年前の3年間はその盗塁数は記録されておらず、現在でも歴代7位な742盗塁よりももっと走っていた可能性は大いにある。後のブロックやビンス・コールマン、ウィリー・マギーらカーディナルスのチームカラーも確立した、MLBの元祖韋駄天だったのに未だ殿堂入りを果たせていません。トム・ブラウンも成績はラッサムとやや似ています。

ダミー・ホイもラッサムらとほぼ現役時期が被ってもいたけど、聴覚障害を乗り越えての2000本安打、600弱盗塁、出塁率.387は立派な数字です。518盗塁のパッツィー・ドノヴァンは生涯打率3割&1300打点も光るけど、外野・右翼手としての守備も一流で、守備機会・捕殺・併殺は現在もいずれも歴代トップ10以内に入る。監督としては684勝879敗と大きく負け越して、「名選手は名監督にあらず」の一例にもなってしまったけど・・・・・・・・・ハリー・スト―ベイも、盗塁数が記録されなかったシーズンが6年もあったから記録上では509盗塁だけど、実際は700盗塁ぐらいしていたのではないだろうか?

おそらくアパリシオ氏の登場以前の、MLB記録だった5年連続盗塁王に輝いたジョージ・ケーシーは脊髄に疾患を抱えていて、実働はボブ・ベスチャー共々わずか11年だったからしょうがなかったかなあですが、4年連続ナショナルリーグで盗塁王となったそのベスチャー氏の次に出てきた韋駄天が主にパイレーツでプレイしたマックス・キャリーで、1913年に初めて盗塁王となった後、1915~18年、1920年に返り咲いた後、1922~25年の2度の4年連続(他にはブロック氏が1966~69年、71~74年に達成している)を含む計10回もタイトルを取った。1921年も12個差だったとは言え、フランキー・フリッシュに次ぐリーグ2位の37盗塁だったからちょっと惜しかったですね。おそらくMLB記録としては後にリッキー・ヘンダーソンに更新されたけど、現在もこの盗塁王10回はナショナルリーグ記録な筈です。しかし、彼も殿堂入りしたのはハミルトン氏共々1961年の事でした。アスレチックス70年代ワールドシリーズ3連覇の中心選手の一人だったバート・キャンパネリスも盗塁王のタイトルを6回取っていて、日本でも西武ライオンズの守備・走塁コーチをやった事あったけど、打率・出塁率が低いのと、1972年のリーグ優勝決定戦でのトラブルがマイナス点となってしまっているのか。


こうして見ると、ロフトン氏やレインズ氏以外の「過小評価されていると思われている韋駄天達」は殆ど1920年代以前にプレーしていた面々ばっかですね。野球殿堂が出来た当時、既にMLBではベーブ・ルース&ルー・ゲーリッグのヤンキース3・4番コンビやルースの714号を抜く最有力候補かに思われたジミー・フォックス等ホームランを連発する豪快な野球が好まれ、機動力や小技中心のスモール野球が軽視されてしまって、その後も半ばそのまま忘れ去られてしまったのが根幹の要因だったのでしょう。その中でキャリー氏が1961年にベテランズ委員会の選出により殿堂入りできたのは、前年のヤンキースとのワールドシリーズでパイレーツがビル・マゼロスキーの、ワールドシリーズ史上初のサヨナラ本塁打による世界一を成し遂げた事等で、パイレーツ戦前の名選手の一人として省みられる様になったからでしょうか。(マゼロスキー氏も2001年に野球殿堂入りしている)

故・西本幸雄氏も、「日本プロ野球5本の指に入る名将だけど、名将は名将でも『悲劇の名将』な一面ばかり強調され過ぎてないかい?」な悪い疑問をしばしば呈して、しばしば聞かれる「●●の遺産」も、●●に入った初めての人が西本氏らしいけど、それなら彼も決してそういう前監督の遺産と無縁じゃなかったよね。それはあなた達、特定の監督の信者だか何だか知らないけど、日米通算(特にイチロー氏について。今まで積み重ねてきた事の証左としては決して否定しません)同様好きな人を都合よく過剰に持ち上げる(そして、気に食わない人を貶す)為に言ってるだけだよねでもありますが、別に西本氏に限った事では全然なく、人は舞台が大舞台だったら大舞台なほど良くも悪くもそこでの活躍ぶりとか強く印象に残るって事でもあるでしょうね。月並みながらですが。そういう意味では、ビル・バックナー氏も、あの1986年ワールドシリーズのエラーとかキャンパネリス氏の前述のトラブルよりも数段致命的だったのかなあと言うか、やっぱこの先薬物疑惑を抱えているバリー・ボンズ氏やロジャー・クレメンス氏(得票率は伸びても得票数はあまり変わっていないようだし)共々殿堂入りへの道は遠いのかなあでもありますね。薬物時代の名選手達の殿堂入り是非も難しい話ですけどね。まあラミレス氏やA-RODは明らかにアウトでしょうが。長々と話したけど、もっともっとこういう殿堂入り出来ていないまたはなかなか殿堂入り出来なかった名選手達の事も忘れないでですね。

| | トラックバック (0)

2016/11/06

ステンゲル政権期を中心としたホワイティー・フォードの登板記録についての一考

http://www.baseball-reference.com/players/f/fordwh01.shtml

カブスがついにビリー・ゴートの呪いを解いた今年はアメリカンリーグ東地区4位と奮わなかった(ただし、勝ち越してはいる)ながらも田中マー君はあわや最優秀防御率のタイトルを・・・・・・・と明るい話題も皆無ではなかったヤンキース、前にも言った通り黄金期はルース・ゲーリッグらの第1期(1920~30年代前半)、ディマジオ・ディッキーらの第2期(1930年代後半~40年代前半)、第3期(1940年代末~60年代前半)、マンソン・ジャクソン・ギドリーらの第4期(1970年代後半~80年代初頭)、ウィリアムス・ジーター・ペティットらの第5期(1990年代後半~2000年代)ですが、単純にリーグ優勝・世界一の回数を見れば、その中でも最盛期は第3期でしょう。

なんせ、主にセネタース(現ミネソタツインズ)で指揮を執っていたバッキー・ハリス監督期の1947年にも世界一になったけど、1949~64年にかけて14回のリーグ優勝、1949~53年の5年連続を含む9回の世界一となった。1947年も含めればそれぞれ15回、10回となって、1948年にも3位ながらも勝率6割台で、終盤までリーグ優勝の可能性を残していたのにすぐクビになってしまったなんてついてなかったかなあとも改めて思ったけど、チャンピオンリング保有数最多でそれはポストシーズンが多段階化されている今後も半永久的に更新されないであろうヨギ・ベラや史上最高のスイッチヒッターであろうミッキー・マントル、そして今回のテーマの主人公であるホワイティー・フォードがそのヤンキース第3期黄金期の主な中心選手でした。

フォード氏についてはメジャーリーグスーパースター年鑑という本では、「(ハリスの後任監督の)ケーシー・ステンゲルが監督だった時は弱いチーム相手には温存されて、強いチーム相手中心のローテーションを組まれていたから、勝ち星は思ったほどは伸びず、ステンゲルの後のラルフ・ホークが監督になって、いっそう登板機会が増えた」、ベースボールマガジン社のメジャーリーグワールドシリーズ伝説では「年俸の高騰化を防ぐ為にわざと20勝させなかった説(実際ステンゲル政権時までは1956年の19勝が最高)もあるが、強豪ヤンキースに所属しても星が伸びなかったという逆説的な見方もある」と書かれてありましたが、上記baseball referenceというサイトでホントにそうだったのかちょっと検証してみました。1950年はまだフル活動したわけではなく、1951・52年は朝鮮戦争で従軍していたので、1953年からステンゲル監督が解任された1960年まで勝敗の責任がついた登板試合を中心にですが、第3期黄金期のヤ軍のライバルは一番手はホワイトソックス(殆どのシーズンでAクラス)で、二番手はインディアンス(1959年頃まで)である事を留意していただきたい。

1953年

6月12日まで無傷の7連勝。18勝6敗32先発登板の内、ホ軍とイ軍相手に11試合登板して9勝2敗、ワールドシリーズでも現在まで破られていない(しかし、後の1998~2000年の3連覇は同等の価値があるとも言われている)空前絶後の5連覇を達成しました。

1954年

5月までは負けが先行していましたが、16勝8敗28先発登板の内、ホ軍&イ軍、それにこの時は優勝戦線にいた5月14日のタイガース戦も含めれば8勝3敗で、100勝以上しながら、イ軍が今年の日本ハム以上の強さを誇った為にリーグ6連覇はなりませんでしたが、イ軍にも3勝2敗と勝ち越してはいました。

1955年

18勝7敗33先発登板の内、ホ軍&イ軍、それにレッドソックス戦での登板も含めれば5勝5敗で、8月中旬~9月上旬にかけて5連勝し、チームもNPBの巨人もそうだった様に去年の雪辱を晴らしました。

1956年

ステンゲル政権期では前述通り勝ち星最高のシーズンで、19勝6敗30先発登板の内、ホ軍&イ軍、それに春までは優勝戦線にいた対レド軍、2試合(4月20日、5月28日)も含んで9勝3敗でした。春に6連勝、終盤に5連勝しています。

1957年

4月に2勝、しかし、怪我してしまったのかその後は7月1日のオリオールズ戦まで2か月強も勝ち星に恵まれず、何とか2ケタ勝利はしましたが、規定投球回数には達しませんでした。しかし、この年からアル・ロペスがホ軍監督に転じて、イ軍が弱体化(そして1995年まで40年近くも優勝に縁がない状態が続く)し始めた事もありましたが、フォード以外の4人の先発ローテ投手が合わせて50勝21敗と42の最終的な貯金の7割も稼ぎ、フォードの不振をカバーしました。この年のライバルは強いて言えばそのホ軍しかおらず、11勝5敗17先発登板の内、ホ軍相手には2勝2敗でした。ハンク・アーロンやエディ・マシューズらがいたブレーブスとのワールドシリーズでは1戦で勝利投手となりましたが、5戦では0-1の惜敗となり、連続世界一はなりませんでした。

1958年

5月から6月にかけて7連勝、しかし、8月8日のレド軍戦では14勝目をマークしましたが、この年はこれが最後の白星でした。この年はまた、終盤はそのレド軍も一時2位に立っていましたが、6月までは万年Bクラス球団だったセ軍やアスレチックスも優勝争いに絡み、これらのチームとホ軍相手の成績は14勝7敗29先発登板の内、7勝3敗でした。前年同様ブ軍との対戦となったワールドシリーズでは4戦でウォーレン・スパーンに投げ負けて、白星はつかなかったですが、チームは勝ち、雪辱を晴らしています。マシューズはその後移籍したタ軍でもワールドシリーズに出場していますが、アーロン等はこれが最後の出場となりました。

1959年

この第3期黄金期の中では「突然変異」と評すべきほど投打ともに振るわなかったシーズン。特に投手陣は前年もボブ・ターリーの21勝、フォードの14勝に続く3番手が9勝6敗のドン・ラーセン(しかし、ワールドシリーズでの完全試合は今も燦然と輝く)ではやや頼りなかったですが、この年もフォード、13勝したアート・ディトマーの後が・・・・・・・デューク・マースは14勝はともかく、防御率4.43はあまり褒められた内容ではありません。前年セーブ王のライン・デュレンは逆に防御率は1.88でセーブ数はやや減らしながらも14でしたが、負けも6つもあった。結局以降は成績を落とし、1961年シーズン途中に放出され、その後も5球団を渡り歩くジャニーマンとなったのですが、ベラやマントル等主軸打者も目立って成績を落とし、得点は759点から687点と70点以上も減らし、リーグ4位でした。前半戦はオ軍やセ軍も優勝争いしていた一方で下位低迷していた事もあり、最終的に79勝75敗の3位でしたが、フォード自身は16勝10敗29先発登板の内、ホ軍と一時的に復活したイ軍、それに前半戦でのオ軍・セ軍戦での登板記録は6勝5敗でした。初めての2桁敗戦したシーズンでもありました。

1960年

川上政権時の巨人も、5番打者探しに躍起になっていたけど、高倉照幸が1967年に1年だけまあまあ働いた程度、結局森(昌彦)、柴田、高田、黒江、末次の脇役生え抜き陣の中で調子が良かった人を起用して、末期にやっと末次が定着(しかし、1974年には打率.316、76年にも阪神戦でのサヨナラホームラン等活躍したと思ったら・・・・・・・)したのですが、ベラに衰えが見えてきた(エルストン・ハワードに正捕手の座を取られる。と言うか、正捕手レベルの選手も2人もいたのもヤ軍が強かった大きな理由の一つであろう。実際、後輩のサーマン・マンソンももし事故死していなければ・・・・・・・・・)ヤ軍も1958年には28本塁打打った事があったロジャー・マリスを獲得、マリスは39本塁打112打点とMVPとなり、マントルや1955年から1塁のレギュラーを獲得していたビル・スコウロンも数字を伸ばし、得点数も1958年の数字に近いものとなりました。フォードは勝ち星は伸びず、防御率も前年とほぼ同じでしたが、12勝9敗29先発登板の内、ホ軍とイ軍、それにオ軍相手に8勝5敗でした。6月中旬までは2勝5敗と苦戦していて、同月上旬にはオ軍との直接対決で3タテ食らって、貯金がなくなってしまい、6ゲーム差つけられてしまいましたが、その後は抜きつ抜かれつで最後で15連勝のラストスパートをかけて、リーグVを奪還しました。しかし、パイレーツとのワールドシリーズでは打線も投手力もパ軍を圧倒していたにもかかわらず、采配ミスも目立ち、ビル・マゼロスキーに史上初のサヨナラ本塁打を喫して、2年ぶりの世界一はなりませんでした。歳を取ると判断力が衰えるのか、監督も高齢化すると成績を落とす傾向が見られる様です。一方で最近では73歳で世界一監督となったジャック・マキ―オン、オリックスでも指揮を執った事があるけど、66歳で初めてリーグ優勝監督となったテリー・コリンズの様な例もある。またNPBでも北京五輪で過去の人となったかに思われた星野仙一が66歳で、ドラフトでフラれた巨人を倒して三原・西本に続く3人目の3球団で優勝した監督に(マー君が神懸かり的な大活躍をした2013年以外はBクラスだったが)なった例もありますが、この時のステンゲル監督は70歳。キャリアの初期と末期で彼の下でプレーしたスパーン氏には「私は天才になる前と天才でなくなった後のステンゲルを知っている。」とも言われてしまった様ですが、将来はベラを監督にしたい思惑もあってか、解任され、「ナショナルリーグでも移転したドジャースやジャイアンツに代わるニューヨークの球団が欲しい。」という事で設立されたメッツでも残念ながら手腕を発揮する事は出来ませんでした。1969年の世界一と、結局ヤ軍監督は1年限り(後に返り咲くも・・・・・)で、再び自分の下でプレーする事になったベラ氏が1973年に監督としてリーグ優勝に導いたのを見れたのは救いと言った所ですか。


実はまた、フォードはデビュー戦は1950年6月1日のレド軍戦でしたが、これも繰り返し言う様に第3期黄金期ヤ軍最大のライバルだったホ軍はそれから半月後の6月17日のメジャー初勝利の相手でもありました。1953~60年にかけては124勝58敗で、1950年の9勝も含めれば32歳で133勝していた事になる。ちなみに同じ年齢時での現代の主な日本人投手の勝ち星は日米通算した人も含みますが、工藤公康が125勝、山本昌が106勝、黒田博樹が103勝、松坂大輔が158勝、岩隈久志が130勝、石川雅規が115勝で、石川氏はおそらくNPBだけでプレーしている2000年代以降の投手では最多勝投手ですが、工藤氏や岩隈氏とほぼ同じ勝利数ですね。内この期間の対ホ軍勝敗は23勝17敗と1割以上も勝率が違っていた。勝ち星のついた試合の内大体4割はそういう優勝争いしていたチーム相手に登板していた事も分かりましたが、、もっと特筆すべきは、フォードはキャリア前期はホ軍に普通に強く、中期で殆ど勝てなくなった事もありながらも、その後は力の衰えた末期においても再び勝てるようになった点です。

1958年8月から60年にかけて1勝9敗、ホ軍は打線はそれほど強力だったわけではなく、イ軍でもロペスの下で活躍したアーリー・ウィン等の投手力やネリー・フォックスとデビューから9年連続盗塁王となったルイス・アパリシオの二遊間コンビを中心とした守備力・機動力で勝つ野球をしていたのですが、レド軍の様な強打のチームよりもそういうチームの方がある意味手ごわいのかもしれない。しかし、フォックス氏もアパリシオ氏もフォード、そしてヤ軍の凋落とほぼ同時期に他球団に移籍してしまって、それでもフォード現役時まではAクラスは維持していたのですが、その後はまた14勝4敗とカモにしていて、全キャリアでは39勝21敗だったのです。イ軍に対しても相性は悪くはなく、1953~60年にかけて18勝9敗で全キャリアでは28勝14敗でしたが、勝敗のついた試合数はホ軍よりも少なく、ホ軍のその割合は通算236勝106敗でしたから、約17.5%で別にライバルチーム相手への登板が多いのはフォード氏に限った事では全然ないでしょうすが、やはり比較的多かった事が改めて分かります。

と言うかまた、ざっと主な項目を見ただけでも・・・・・・・フォード氏って、レジェンド級の野手チームメートにも恵まれた点は堀内恒夫氏(勿論、ON等打線の援護に恵まれたからあれだけ勝てたんだと過小評価するのは早計である)に似ているけど、斎藤雅氏をもっと優秀にした感じの成績ですよね。生涯防御率2.75は歴代では88位ですが、不正投球やライフボール使用がなされていた1940年代初頭以前に出てきた投手を除けば、ドジャースのクレイトン・カーショウの2.37に次ぐ数字らしい。カーショウ氏も凄いよね。ロッキーズとか打者に超有利な球場を本拠地にしている他球団に移籍しない限り、戦後最強投手の一人にホントになれるかなあですが、確かにベラ氏も天国に旅立たれた今、その第3期黄金期選手の数少ない存命者の一人でもあるフォード氏がニューヨークタイムズでも「今生きているもっとも偉大なヤンキー」と評されたのもうなづけます。不正投球やっていた事を差し引いても。さあ、ジーター氏も引退して、過渡期にあるヤ軍ですが、第6期黄金期を築くべく生え抜きの新たなるスターは現れるのか?過去の成功も事例として今こそ・・・・・・ですね。

| | トラックバック (0)

2016/09/18

イチローのマ軍残留も色々な意味で(?)当然の話だけど

https://news.nifty.com/article/sports/baseball/12177-09181s/

イチロー、来季もマーリンズ残留が濃厚?!

 

 

イチローは来季もマーリンズ残留が濃厚のようだ。写真・山口裕朗

 史上30人目のメジャー通算3000本安打を記録、その後も、確実に安打数を積み重ねているマーリンズイチロー(42)の来季の去就について、米国の地元紙である「マイアミヘラルド紙」が17日付でマーリンズ残留が濃厚であることを報じた。

 2014年オフにマーリンズと1年契約を結んだイチローは、2015年オフにも再びマーリンズと年俸約2億円強で、1年契約を交わして、今季マーリンズで偉大なる記録を達成した。

 その際、2年目(2017年)に関してはマーリンズ側に契約更新の選択権があるという契約が盛り込まれており、 同紙は、イチローの2017年の契約については、マーリンズ球団が選択権を持っていることに触れ、球団がその選択権を行使する判断をするのは「考える必要もないことだろう」と表現した。
 マーリンズが、選択権を行使して来季もイチローと契約することに疑いの余地がないというわけである。

 その理由として同紙は、イチローが本気で50歳までプレーしたいと考えていることを挙げ、その野球に取り組む姿勢が、チームの若手に多大な影響を与えていることも示したかったのか、アラン・ターナー通訳のコメントを証言として取り上げた。

イチローの通訳を務めているターナー通訳は、同紙の取材に「彼(イチローは)オフシーズンには世界の誰よりもやるべきことをやっている」と話し、さらに「私たちは休みの日にも、ここへ来て、1日に数時間の練習をしている。そういう選手は他にいない」と続けた。

イチローの同僚であるクリス・ジョンソン内野手も、「これまで(移動の)バスの中までバットを持ち込む選手を見たことがなかった。彼はいつでもスイングをしている。本当にすばらしい」と移動中のイチローの様子を語った。

マーリンズの外野は、スタントン、イエリッチ、オズナの全米でも指折りの強力布陣。だが、年齢が若く、コンディションを維持できないケースや、怪我で故障者リスト入りしてしまうケースが絶えなかった。そういうチームにおいてイチローの第4の外野手としての存在意義は大きく、連戦の間やナイター→デイゲームなどの厳しいスケジュールで、主力に交代で休養を取らすためにイチローがスタメン抜擢されていた。

 実際、今季は、ここまで130試合に出場、打率・301、1本塁打、21打点、47得点、10盗塁の数字をマーク。特に出塁率が・367と突出しており、第4の外野手として合格点の数字を残している。

 しかも、故障の不安はまったくなく、試合前には、チームを盛り上げる儀式の中心になるなど、チームリーダー、精神支柱的な立場となっていて、3000本安打を達成したときは、多くの若手選手が祝福のため三塁ベースにかけよってきた。

 加えて観客動員が下がる中、球団のグッズの売り上げが40%にアップするなど、営業面でも多大なプラスを球団にもたらしている。マーリンズが、2014年にイチローを獲得した際に、その交渉途中で、「イチローがいたいだけチームにいてもらっていい」と、“終身雇用”にちかい待遇をマーリンズのフロントが持ち出したという話まであって、マーリンズが、来季は43歳となるものの、衰えをまったく感じさせないイチローとの契約を延長することは間違いなさそうだ。

 一方、イチロー側にも、FAを選ぶ権利もあるようだが、先日、数々のスクープを飛ばしている敏腕記者のジョン・ヘイマン氏が「イチローもマーリンズでのプレーを希望している」というニュースを伝えた。

 来季もマーリンズでメジャー17年目のシーズンを迎えるイチローを見ることになりそうだ。

シーズン262安打も聖域扱いしようとしている等マスコミの過剰な礼賛報道(彼がシスラー氏の安打記録に並んだのは何試合目だ?ロジャー・マリス氏の例もあるから、これ以上は強調しないけど)には強い違和感がありますが、出塁率が突出しているねえ・・・・・・・まあ確かに2015年までの通算.356よりはやや高いですが・・・・・・・・・ヤンキース時代はジラルディ監督もイチロー選手の良い点だけでなく、欠点も良く理解したうえで彼を起用していた様ですが、少なくとも今年43歳のベテランにしては、レギュラー3人の内誰か1人でも完全に差し置いて・・・・・なほどではないにせよ、普通に合格点な成績は残していますね。アンチの人達は長打が少ないとか色々文句言っているようですが。と言うか、今年のマーリンズは長打力不足や先発投手のコマ不足もあって、特に半分近く対戦する同地区との対戦成績が悪く、現在はメッツにも抜かれて勝率5割行くか行かないかのナショナルリーグ東地区3位な様ですが、やや極端な話、イチロー選手が適度に休み休みながらでも試合に出場してくれれば、別にチームが勝てなくても良いとか思っているのでしょう。マーリンズのフロント陣は。


だって、アスレチックスなんか、かのコニー・マック監督下のフィラデルフィア時代からほぼずっと強くなってワールドシリーズにも出場しました。でも、選手の給料が高くなっちゃいましたからやむなく手放して弱くなっちゃいました。テヘをもう何度も繰り返していて、特にキャットフィッシュ・ハンター氏はMLBにおける事実上のFA選手第1号だった様ですが、移籍が日常茶飯事のMLB、折角補強して強くなってもファイアーセールで放出するぐらいなら、せいぜい第4の外野手でもジャパンマネーも見込める選手をずっと手元に置いた方が楽だもの。いや、プロ野球球団経営だってボランティアじゃないし、そういうの続ける以上給料とか払う為にも利益も追求しなければいけないし、非難するつもりは全くないですよ。それが良いか悪いかはまた別問題ですから。まああと3年はプレーすれば、NPBでの2軍での数字も足した安打数が、ピート・ローズ氏のマイナー+メジャーでの安打数も抜いて、ホントに安打数の世界記録を達成できるでしょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/3000%E6%9C%AC%E5%AE%89%E6%89%93%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96#4000.E6.9C.AC.E5.AE.89.E6.89.93.E9.81.94.E6.88.90.E8.80.85

なお、これはwikiでの3000本安打クラブの記事ですが、イチロー選手だけでなく、タイ・カッブ氏やハンク・アーロン氏のマイナーでのそれも足した安打数や日本でもプレーしたフリオ・フランコ氏の他国リーグでのそれも足した安打数についても言及されているのには好印象が持てます。しかし、フランコ氏もメジャーでは地区優勝は何度か経験しても、ワールドシリーズ出場経験はないんですね。インディアンズにいた1997年も途中でトレード(チームはリーグ優勝)されてしまいましたけど、ストで打ち切られた1994年やリーグ優勝決定戦で敗退した2006年も惜しかったですよね。実は3歳サバ読んでいるのではな説もある様で、どちらかと言えば過小評価だよねでもありますが、50歳まで現役を続けるつもりらしいイチロー選手にとってもお手本になるかもしれないですね。

| | トラックバック (0)

2016/08/28

もしヤンキース第三次黄金期のアメリカンリーグが2シーズン制だったなら

http://www.baseball-reference.com/leagues/AL/

田中マー君が今年も2ケタ勝利確定したニューヨークヤンキース、黄金期は細かく分ければルース&ゲーリッグらの第一次が1920~30年代前半、ディマジオ・ディッキーらの第二次が1930年代後半~40年代前半、マントル・ベラ・フォードらの第三次が1940年代末~60年代前半、マンソン・ジャクソン・ネトルズらの第四次が1970年代後半~80年代初頭、ジーター・ウィリアムズ・ペティットらの第五次が1990年代後半~2000年代の時期にあたります。

良く単年なら1927年が最強だと言われているけど、長期的な強さという観点ではまあ第三次>第五次≧第一次>第二次>第四次でしょうね。異論は大いにあるでしょうが、1947~64年の18年間で15回リーグ優勝、10回世界一になっています。日本プロ野球でこれ以上のダントツな強さを誇ったのは1950~70年代前半のV9を含む巨人と、1980~90年代前半の西武ぐらいなものでしょう。

この時代、まだプレーオフはなかったので、特に第四次・五次とは単純に比べられない面もありますが、もしこの時期2シーズン制だったらどうなっていたか?地区制・プレーオフ制を採用してなかった時代(1968年以前)のMLBは開幕は例年4月中旬と遅かったのですが、おそらく、オールスターは例年7月第2・3火曜に開催されるのですが、丁度半分試合を消化できる様に合わせたのでしょう。実際は雨天中止試合だってあるし、半分弱にとどまった例が殆どだった様ですが、上記のbaseball referenceという、MLBの色々な各種記録を網羅しているサイトを基に、オールスターを境に前期・後期に分けると仮定してざっと調べてみました。

1947 ヤンキース完全制覇

 

1948 前期インディアンズ、後期レッドソックス。ヤンキースは勝率6割台ながらも3位。

 

1949 前期ヤンキース、後期レッドソックス (史実ではヤンキースが優勝)

 

1950 前期タイガース、後期レッドソックス、ヤンキースはどちらも優勝できずも通年では1位

 

1951 前期ホワイトソックス、後期ヤンキース

 

1952 前期ヤンキース、後期インディアンズ

 

1953 ヤンキースが完全制覇(後期はインディアンズと0差)

 

1954 インディアンズが完全制覇(前期ではヤンキースを0.5差で振り切る)

 

1955 前期ヤンキース、後期インディアンズ

 

1956 ヤンキース完全制覇

 

1957 ヤンキース完全制覇

 

1958 前期ヤンキース、後期ホワイトソックス

 

1959 前期インディアンズ、後期ホワイトソックス、ヤンキースは僅か貯金4の3位

 

1960 ヤンキース完全制覇

 

1961 前期タイガース、後期ヤンキース

 

1962 ヤンキース完全制覇

 

1963 ヤンキース完全制覇

 

1964 前期オリオールズ、後期ヤンキース。ホワイトソックスは通年2位


こんな感じで、1973~82年の同じ2シーズン制が採用されていたNPBのパリーグも1976・78年は阪急が完全制覇して、プレーオフは行われませんでしたが、この時期のヤンキースも18年で7回も前後期完全制覇した事になる。まさに「くたばれヤンキース」ですが、意外なのはこの第三次の中でも最強だったのは今後もなかなか更新されないであろう5年連続世界一を記録した前半期の1949~53年だったでしょうが、完全制覇した回数は後半期の方が多かった事、そしてその中では映画「61*」も見た事あるけど、ロジャー・マリスがルースのシーズン本塁打記録を更新した1961年は思ったほど独走優勝じゃなかった事です。

ライバルは前半期が主にインディアンズ、後半期が主にホワイトソックスで、たまにレッドソックス、タイガース、オリオールズが絡んできた程度だった様である。過去エントリーでもこの時期イ・ホ両軍を指揮(イ軍監督期は選手としても時代を代表する長距離砲だったハンク・グリーンバーグGMとのコンビを組んでいたし、ホ軍でもグリーンバーグは共同オーナーとしてやはりコンビを組んでいた)したアル・ロペスはNPB監督ならば仰木彬をもっと優秀にした感じだねと言ったけど、もし彼がこの時期ナショナルリーグのチーム、例えばドジャースやブレーブスあたり指揮していればリーグ優勝は2回では終わらなかったでしょうね。レッドソックスは1946年に久々にリーグ優勝して、第三次序盤では数回優勝争いに絡みましたが、テッド・ウィリアムズが朝鮮戦争勃発による従軍により取られてしまい、解除後も2度首位打者にはなったけど、全盛期は過ぎてしまった事とかが痛かったですね。もし兵役に就く事がなければ、本塁打数とかルースともかなり良い勝負になっていただろうし、三冠王も3度では終わらなかったでしょうね。

ワールドシリーズ出場も1度限りで、しかも思った様に活躍できなかった事についてウィリアムズ氏は後年まで後悔されていたらしいですが、1948年ももしかしたら出場できていたかも?1949年も、独立記念日時点では借金1で12ゲーム差もつけられていたのが、オールスターも挟んでヤ軍を猛追して、ついに一時逆転したけど、最終節の天王山で残念ながら連敗して出場できなかった。しかし、2シーズン制でプレーオフが開催されていたらどうなっていたか。

そして1950年にはとうとう「前後期いずれも優勝できなかったながらも通年では1位」な事態が発生してしまって、レ軍かタ軍がワールドシリーズに出場して、フィリーズあたりと対戦していたかもしれない。NPBではこういう現象はついに起こらなかったけど、見直されて、1951年からはこの場合はまず前期・後期優勝チームがプレーオフを戦って、その勝者が通年1位チームとプレーオフを戦うルールとなっていたでしょう。

ウィリアムズとは逆にフォードは朝鮮戦争で従軍してもまだまだこれからで、従軍中の負傷にも負けず、この時期のヤ軍にはなくてはならない大エースとなっていったのですが、イ軍は1954年以外にもその前後の年もかなり健闘しており、あと1回ぐらいはワールドシリーズに出場できたかも?

1959年は僅か勝ち越し4つとこの時期にしては「かなり不振」だったヤ軍でしたが、野手陣は主軸のマントル・ベラが数字を落とし、前年に比べ1試合当たりの得点が0.5点も下がり、投手陣もフォードとこの年がベストシーズンだったアート・ディトマーに続く3番手以降の先発ローテが安定感を欠いた等1962年の巨人に似てましたね。(巨人も、長嶋茂雄が初めて打率3割を割る等それまでの4年間と比べればやや不振で、投手陣は城之内邦雄だよりだった)1960年はワールドシリーズで最終戦サヨナラ負けを喫して、ついにステンゲル監督は解任されてしまったのですが、1964年はセントルイスに本拠地を置いていた時は1944年しか優勝した事がなかったオリオールズが前期優勝。その後ルイス・アパリシオ、フランク・ロビンソン等の効果的な補強も功を奏し、アメリカンリーグはベラ監督体制も長続きせず、ヤンキースは弱体化し、「くたばれヤンキース」の主人公がファンだったセネタースがミネソタ州に本拠地を移したツインズ、レッドソックス、タイガースが代わり替わり優勝したのも束の間、1969年には2地区制・プレーオフ制が採用されますが、アメリカンリーグは東ではそのオリオールズ、西ではディマジオがコーチを務めた事もあったアスレチックスの黄金期がしばらく続く事になったのです。ヤ軍はこの低迷期にはペピトーンやホワイト等日本でもプレーした事のある面々も主力となっていましたが・・・・・・・・

ヤンキースタジアムの老朽化による改修もこの時期なされましたが、そうした低迷を経て、FA制度も利用してレジー・ジャクソンやキャットフィッシュ・ハンター等大物選手を続けて補強する事になって、第四次黄金期が来たのですが、1981年にはストにより、中断前後に分ける変則ながらもホントに2シーズン制が実現してしまいました。しかし、大昔、1892年にもナショナルリーグでは1年だけ採用された事があったらしいですが、NPBでも問題となった2シーズン制の欠点がいきなり露呈してしまったのは皮肉でした。アメリカンリーグは東のヤンキースは通年では3位だったし、西はロイヤルズが後期優勝するも、通年では負け越しでした。流石に地区優勝決定戦ではヤ軍監督を解任されたばかりのビリー・マーチン率いるア軍に敗退したのですが、ナショナルリーグも東・西、カーディナルスもレッズも通年地区1位ながらもプレーオフ出場すら出来なかったのです。もしこういう問題が発生してなかったら、しばらく2シーズン制続いたのでしょうか。まあそんな内にさらに球団拡張は進んで3地区制となり、プレーオフもワイルドカードゲームも含めれば3ラウンド制となってしまったのですが・・・・・・・・

その後ブ軍、イ軍、フ軍、タ軍とヤ軍の他にも地区優勝なら4連覇以上したチームも何例か見られるようになりましたが、第五次ヤ軍黄金期における3年連続世界一、4年連続リーグ優勝はもう今後もなかなか達成できないと思われます。そして近い将来、MLBは32球団に拡張され、4地区制となり、新球団の本拠地はかってエクスポズ(現・ワシントンナショナルズ)の本拠地だったカナダ・モントリオールとテキサス州オースチンが有力候補として挙げられている様ですが、テキサス州の球団3つも必要ですかね。そしてダイヤモンドバックスはアメリカンリーグに移籍するらしいですが、ジラルディ監督も凡庸な指揮官ではないヤンキース、果たして第六次黄金期はやってくるかです。

| | トラックバック (0)

2016/08/08

イチローついにMLB3000本安打達成、そしてA-RODは・・・・・・・

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6210310

イチローが涙 祝福してくれたチームメイトに感謝「あんなに喜んでくれて…」

デイリースポーツ 8月8日(月)10時6分配信    

 「ロッキーズ7-10マーリンズ」(7日、デンバー)

 マーリンズのイチロー外野手(42)がロッキーズ戦でメジャー史上30人目の通算3000安打を達成した。大台まで1本としていたイチローは「6番・中堅」で8試合ぶりに先発で出場し、七回の第4打席で右越え三塁打。メジャー16年目、通算2452試合目でアジア出身選手では初となる偉業を成し遂げた。

【写真】イチロー122年ぶり偉業も「42歳とかほっとけや、やかましいわ!」

 敵地ファンはイチローをスタンディグオベーションで祝福。さらに、マーリンズの三塁側ベンチからは仲間たちが走り寄り、祝福のハグ。イチローは感激の表情を見せた後、ヘルメットを取って球場全体を見渡しながら感謝の意を表した。イチローも感極まったのか、サングラスの奥には涙が光っていた。

 会見したイチローは「達成した瞬間、あんなにチームメイトが喜んでくれて…」と仲間に感謝。「僕が何かすることによって、僕以外の人が喜んでくれることが、今の僕にとって何より大切なことだと再確認した」と語った。

http://www.fangraphs.com/statss.aspx?playerid=1101&position=OF


ついにですね。まずはあえてネガティブな話からしますが、イチローは「NPB時代は間違いなく『天才』、MLB時代は『過大評価だけど、その点を差し引いてもレジェンド』」なのが自分の基本的な認識です。

何故過大評価なのかと言うと、主に以下の点が根拠です。

10年連続シーズン200本安打は、四死球での出塁も犠牲にした極端な打数の多さによる所も大きい。極端な話、2002年と2009年以外は打率2割台でも達成できた。戦後の主なヒットメーカーであるロッド・カルー、ウェイド・ボッグス、トニー・グウィンらと比べて全盛期は1年あたり80~120打数も多い。

②2004年にシーズン安打記録を破られたジョージ・シスターもそうだったけど、NPB時代と比べると打率に比して出塁率が伸びず、2015年シーズン終了時点で0.042しか差がなく、生涯打率.237だったアダム・ダンとかよりも低い。

③しかし、その打率も5000打数以上到達以降、ピークの2009年の.3328と比べ、2015年シーズン終了時で.3135だから0.0193も通算打率が落ちており、これはおそらく山内一弘みたいに異なるリーグに移籍して低打率に苦しむようになったアルバート・プホルスの次に激しい落ち込み。(しかし、これについてはNPBでも長嶋茂雄みたいに早くから超一流レベルの活躍をしてきた人はどうしても高い通算打率を維持しづらいし、イチローは既に40歳を超えている事も考慮しなければいけない)

④上記HPに色々載っているけど、主なセイバーメトリクスではBABIPやBsR等一部を除いて、能力的に平均か平均よりやや上な程度の指標が多い。特にwOBAは3000本安打クラブの中ではワーストクラス。


主にこの点で、他にも長打や打点の少なさ、そして内野安打の多さも特にアンチの人達から指摘されていて、打点の少なさがオジー・スミス(彼はルイス・アパリシオ等共々守備だけでも殿堂入りできる実力がありましたが)だったのは正直「そんな少ないの?」で、今シーズンも多いとは言えませんが、それはちょっと批判には当たらないと思います。内野安打については、タイ・カッブの某名言も知らないのかなあでもあり、確かにランナーが2塁にいる時なんかホームに帰れない可能性があるから、そういう意味ではやりづらいだろうし、デレク・ジーターとか他の主な名選手達と比べてもMLBでも内野安打の割合は多いですが、出塁できれば取りあえずは良いじゃんでしょう。

そしてイチローが評価されなければいけない根本的な本質は、彼の挑戦直後から他の有識者達からも指摘されていたけど、それまで薬物を使用してまでも本塁打等大打ちにこだわっていた「ベースボール」のMLBに、走塁も含めた小技も積極的に駆使したスモールベースボールである「野球」を改めて売り出し、そういうのも大事なんだよと大きく周知させ、MLBの歴史に大きな1ページを開いた事です。単に日本人選手は一流投手だけでなく、一流野手もMLBでも通用するんだという事を証明したとかの次元の話ではないのです。悪く言えば、安打数と打率(と盗塁数もか)が良くも悪くも目立ってしまう様なスタイルへの転換を余儀なくされてしまったのかもしれませんが、やはり本塁打へのこだわり等葛藤もありながらもチームプレーの為に中距離打者へと転換していった松井秀喜ぐらいでしょう。挑戦した日本人野手で彼と成績が比較出来る人って。

そういうシーズン連続200本安打とか彼がMLBで打ち立てた記録は表面上ほどの価値があるのかマスコミ報道とかに惑わされず、客観的に注視しなけれないけないとも思われますが・・・・・・・日米通算も、あくまでそれは参考記録であって、NPBかMLBまたはKBO、メキシカンリーグ等一方の国のリーグで達成したような扱いにも賛同はしかねますが、今まで第一線で活躍し続けてきた証左にはなる。たとえイチローの日米通算安打がマイナーでの数字も足したピート・ローズの通算安打記録にはまだ及ばない、世界記録ではないにしても。これは黒田博樹の日米通算200勝(正直彼もここまでやるとは思っていませんでした。110~120勝、防御率は3.80~4.00程度のキャリアで終わるだろうと思っていました。もし私がドラえもんにタイムマシンで15年前、2001年の日本に連れてってもらって、15年前の私に「松坂大輔は結局けがに苦しんで、ダイエーからソフトバンクに変わったホークスでも全く活躍できてないけど、黒田は日米通算ながらも200勝したんだよ。」と言っても、前者はともかく、後者は絶対すぐには信じてもらえなかっただろうであります)も同じですが、たとえ上記①から④がホントに事実だとしても、27歳でMLB挑戦して、MLBだけで3000本安打を達成した事も事実なのだからやはり彼はレジェンドです。長々と述べましたが、おめでとうございます!!

一方で、この様なアナウンスも・・・・・・・・

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010625871000.html

ヤンキース アレックス・ロドリゲスが現役引退を発表

8月8日 1時53分

大リーグ史上4位の696本のホームランを打っているヤンキースの強打者、アレックス・ロドリゲス選手が、今月12日の試合を最後に現役を引退することを発表しました。

これは7日、ロドリゲス選手が本拠地ニューヨークのヤンキースタジアムでの記者会見で明らかにしました。
この中で、ロドリゲス選手は、今月3日に球団のスタインブレナー・オーナーから12日に本拠地で行われるレイズ戦を最後に選手契約を解除したうえで来年末まで若手の指導に当たる球団の特別アドバイザーへの就任を要請され、これを受け入れたことを明らかにしました。
ロドリゲス選手は「大好きな野球とヤンキースに別れを告げなければいけないつらい日だ。まだチームの勝利に貢献できると思うが、球団の決定に納得している。大リーグで22年間もプレーできるとは思わなかったし、家族やチームメート、ファンに感謝している」と時折、目頭を押さえながら話しました。
41歳のロドリゲス選手は1994年にマリナーズでデビューし、レンジャーズを経て2004年にヤンキースに移籍しました。パワーと技術を兼ね備えた強打者で、これまでに史上4位の通算696本のホームランと現役選手の中では最多の通算3114本のヒットを記録していますが、2013年に禁止薬物を使用したとして大リーグ機構から2014年シーズンの全162試合とプレーオフの出場停止処分を科され、昨シーズン復帰していました。

そのイチローやジーター、プホルス、それにジム・トーミ等は将来の野球殿堂入りはまず確実でしょう。このA-RODも数字だけ見れば・・・・・・なのですが・・・・・・バリー・ボンズやロジャー・クレメンス等がかなり黒に近いグレなのに対して、彼の場合はマニー・ラミレス共々明らかに黒なので殿堂入いの可能性は低いかもしれません。2004年にヤンキースに入団して、ワールドシリーズ(世界一)進出がたったの1回だったのもちょっと計算合わなかったよねですが、殿堂入りの是非はまず置いといて、A-RODにもこれからはフロントまたはコーチとしてマリナーズやヤンキース、引いてはMLBに恩返しして(しかし、セーフコではブーイングを受けていたという)いただきたいものです。お疲れ様でしたですね。

| | トラックバック (0)

2016/08/07

2地区制時の(1969-93年)ナショナルリーグについて少し

http://www.baseball-reference.com/leagues/NL/

MLBは1968年までは2003年以前のNPB(ただし、パシフィックリーグは1952年や1970‐80年代前半みたいにプレーオフが開催された年もあったし、セントラルリーグがCS制度導入されたのは2007年から)同様ペナントレースを勝ち抜いたチームが即優勝となっていたのが、1960年代初頭にアメリカン・ナショナル両リーグ10球団となって、消化試合が増えたのも問題視されていたのか、1969年にアメリカンリーグはロイヤルズとパイロッツ(現在のブリュワーズ)、ナショナルリーグはパドレスとエクスポズ(現在のナショナルズ)が加盟して、各リーグ12球団2地区制となり、その後さらに球団拡張はありながらも1993年までは2地区制だったのは変わりなかったですが・・・・・・(※以降MLB両リーグはアリーグ、ナリーグと表記)

前々から疑問を抱いているのは、何故それぞれシカゴ・セントルイス(カブス、カーディナルス)よりも東に位置するアトランタ・シンシナティに本拠地があるブレーブスとレッズがナリーグ西地区に所属していたのかです。2地区制最終年の1993年を除いて、ナリーグペナントレースは、同地区と6カード18回、他地区とは4カード12回総当たりだったのですが、この2球団の選手は一番移動もきつかったでしょう。サンフランシスコやロサンゼルスとかよりもニューヨークやフィラデルフィアとかの方が全然近いですしね。

現在は閉鎖されてしまっている様だけど、実は私は2002年頃にMLB総合情報サイト、サークルチェンジで前述のような質問をした事があったのです。しかし、回答は「レッズは分からないけど、ブレーブスはかってミルウォーキーに本拠地を置いていた事(この時期、ハンク・アーロンとエディ・マシューズの主軸コンビの全盛期だったが、長い歴史の中でも最強だったヤンキースともワールドシリーズで2年連続対戦している)とかが関係していたんじゃないの?」と今一つ満足のいくようなものではありませんでした。

さて、上記baseball referenceのページを基に、もしカブス・カーディナルスとブレーブス・レッズの所属地区が逆で、総当たり回数が変わってしまう組み合わせの対戦成績はなるべく史実と近い勝率とした場合、この時期のナリーグ両地区の優勝チームはどうなっていたかをちょっと検証してみました。(赤文字表記は史実と異なるチーム)

     東     西

1969 メッツ   カブス

 

1970 レッズ  ドジャース

 

1971 パイレーツ カーディナルスまたはジャイアンツ、ドジャース(3チームとも90勝または89勝)

 

1972 パイレーツまたはレッズ カブスまたはドジャース

 

1973 レッズ  ドジャース

 

1974 レッズ  ドジャース

 

1975 レッズ  ドジャース

 

1976 レッズまたはフィリーズ ドジャース

 

1977 フィリーズ ドジャース

 

1978 レッズ  ドジャース

 

1979 パイレーツ アストロズ

 

1980 フィリーズ アストロズまたはドジャース

 

1981前 フィリーズまたはレッズ ドジャース

 

1981後 レッズ  アストロズ

 

1981通年 レッズ カーディナルス

 

1982 フィリーズ カーディナルス

 

1983 フィリーズ ドジャース

 

1984 メッツ   カブス

 

1985 メッツ   カーディナルス

 

1986 メッツ   アストロズ

 

1987 メッツ   カーディナルス

 

1988 メッツ   ドジャース

 

1989 メッツ   カブスまたはジャイアンツ

 

1990 パイレーツ ドジャース

 

1991 パイレーツ ドジャース

 

1992 ブレーブス カーディナルス

 

1993 ブレーブス ジャイアンツ


こんな感じで、どちらかは史実と変わっていた年が大半でしたが、所属地区が西ではなく、東になっても1970‐80年代初頭のレッズの強さは変わらないですね。流石ビッグレッドマシンと言った所ですか。パイレーツ共々そのレッズの陰に隠れていたけど、ドジャーズも西地区9連覇していた可能性があるし、80年代のメッツも東地区6連覇していた可能性があります。ロサンゼルス移転後のドジャーズはサンディ・コーファックス(凄い漢だったのは否定はしないながらも、史上最強の左腕と評するにはやはり165勝では足りないです。せめて最後の5年間並みの活躍をあと3年は続けていたら・・・・・・・引退の判断も決して間違っていたわけでなく、寧ろ賢明だったとも思いますが、誘惑に負けて転落への道をたどってしまったデニー・マクレーンとかみたいに明らかに衰えた状態で引退していたら、一発での殿堂入りも微妙だったんじゃないの?ですね。)やドン・ドライスデールがいた60年代が強かった印象もあり、実際またベロビーチキャンプ川上哲治が監督になったばかりの巨人もドジャース戦法から大きな影響を受けた。メッツも1990年も2位でしたが、4年連続地区優勝達成したチームは以下の通りです。

11・・・ブレーブス(1995-2005)※ストでプレーオフが開催されなかった1994年をノンカウントとすれば1991年から14連覇。

9・・・ヤンキース(1998-06)※「トーレ&キャッシュマンコンビは前のショーウォルター&マイケルの遺産で勝っただけ」な声も一部聞いて、確かに後者コンビが大物外様ばかりに頼らない生え抜き育成等礎を築いたのも事実だけど、どちらも名監督または名GMで良いじゃないかですけどね。

5・・・アスレチックス(1971-75)、インディアンズ(1995-99)、フィリーズ(2007-11)

4・・・タイガース(2011-14)

(参考)1968年以前のリーグ4連覇以上したチーム

5・・・ヤンキース(1949-53、60-64)※ジョー・ディマジオがこの最中に引退するも、特に前者は5年連続世界一でこれも不滅の記録かと思われる。

4・・・・ヤンキース(1936-39、55-58)、ジャイアンツ(1921-24)

47年間で僅か6例しかなく、プレーオフは基本的になかった(勝率で並んだ時のみ実施)1968年以前のリーグ4連覇以上したを含めても11例しかなかったのだからいずれも長期的な強豪チームだった事が改めて分かります。今年こそは・・・・・な気もする1980年代のカブスアストロズバリー・ボンズがいた90年代前半のパイレーツ(とジャイアンツ)ももしかしたら1回はワールドシリーズに出場できていたかもしれません。逆に1989年のジャイアンツや、90年代前半のレッズ、フィリーズは出場できず、史実よりももっとリーグ優勝が遠ざかっていたかも(ジャイアンツは地区優勝すら1997年が初めてとなっていたかも)しれません。1981年はストで一時期中断されて、その前後をシーズン分けて、前後期それぞれの地区優勝チームがまずリーグ優勝決定戦出場権を争う、変則3ラウンド制のプレーオフが開催されたのですが、ナリーグは両地区とも通年勝率1位のチームがプレーオフに出場する事すらできず、アリーグも1973年の南海や1975年の阪急ほどは酷くなかったけど、東地区のヤンキースは後期(再開後)は25勝26敗ながらも6位で、通年ではブリュワーズと僅か2ゲーム差ながらも3位で、西地区もロイヤルズは前期(スト前)は20勝30敗の5位だったのが、後期優勝したけど、通年では借金を完済しきれず負け越しでした。

流石にロイヤルズは地区優勝決定戦で西地区通年1位のアスレチックスに敗退しましたが、普通にペナントレースが開催されていればカーディナルスVSアスレチックス、またはレッズVSブリュワーズのワールドシリーズとなっていた可能性も十分あります。パリーグも早くもそうなっていた2シーズン制の欠点が露呈された事もあってか、結局1982年以降は通常の1シーズン制に戻っています。MLBも近い将来4地区32球団となる可能性もあって、いよいよ週明けにお気持ちを述べられる天皇陛下の退位とどちらが先かでもありますが、さあ今年のプレーオフは一体どのようなドラマが展開されて、ワールドシリーズの顔合わせはどうなるか、球団を増やしすぎな気もしないでもないけど、やはり目が離せないですね。

※※以下2016年11月19日追記。

何故レッズとブレーブスが西地区だったか、考えられる理由が分かりました。それはそれぞれライバル関係にあるジャイアンツ&ドジャースとカブス&カーディナルスを別々の組み合わせにしたかったからでしょう。伝統の一戦が特定の地区に偏ったら、少々盛り上がりに欠けますものね。ヤンキース&レッドソックスもそうだけど、球団が消滅しない限りは、それぞれのライバル同士異なる地区に所属するのは今後も変わらないでしょう。

| | トラックバック (0)

2016/07/18

今更ながらスラッガーのMLB2016年選手名鑑を買ってみたが・・・・・・

今日昼過ぎに県内某市のイオンに行ってきました。約10年ぶりの事だったけど、すき家にラーメン屋、中華料理店、うどん屋、ケンタッキー等外食チェーンも結構入っていたのが印象的で、昼飯取るには中途半端な時間だったけど、うどん屋では小さい女の子が注文したメニューを受け取っていたのが印象的でした。

本屋はかって2階の中央部に位置していて、そこで「長島茂雄大年鑑、燃える男長島茂雄の熱球譜23年!」復刻版を買った事があります。その内容はミスター(長嶋茂雄氏)の第一次監督時代(1975~80年)の戦績と現役時代(1958~74年)の活躍をそれぞれ主力選手の成績、巨人の試合日程&結果をデータとして載せながら振り返ったもので、その他にも監督を解任された時の、友人だった故・石原裕次郎氏(そう言えば昨日が命日でしたね)等関わりが深かった人達のコメントや、「もし監督長島の下に、V9が始まった1965年、29歳の時の選手長島がやってきてプレイするとすれば?」な特別企画みたいなのも載っていました。

この特別企画では、「ジョンソンみたいなダメ外人は当然雇わないけど、1965年の長島は17本、80打点だった(長嶋氏にしては比較的低調な成績に見えるが、打点数は王貞治氏に次ぐリーグ2位だから38打点のジョンソンを使った時よりも巨人の得点数は42点増えて、515点となり現実世界で優勝した広島の510点を上回ったから、後楽園球場で逆に古葉監督(1963年には熾烈な首位打者争いもしていた)の目の前で優勝を決め、胴上げされて、1984年まで川上V9を上回るV10を決めていただろう。」なんて書かれていましたが・・・・・・・

でも、ちょっとマジレスすると、デーヴ・ジョンソン氏は三塁守ったの86試合とフルではなかったのですね。13打点だった故・富田勝氏も66試合守っていました。王氏はもっと勝負してもらえただろう(しかし、それでも四死球数は2年連続三冠王取った前年より減少していた)から14年連続本塁打王は微妙でも打点はもっと伸ばせたでしょう。しかし、この年の巨人は投手陣も不振で510失点だったし、選手長島がいてもAクラスすら維持できたかちょっと微妙だったかもですね。そうなるとまた、高田繁氏の三塁へのコンバートも当然ないし、張本勲氏の巨人入団もないですよね。(故・高橋一三氏はもっと早く引退していたであろう)1978年や82年は優勝できていたかもしれないですね。特に1978年は、かなり打高投低なシーズンで、この年の選手長島は1968年バージョンだったという事になるけど、39本塁打125打点ではとどまらず、もっと伸ばしていて、三冠王になっていたかもしれません。中畑清氏もなかなかレギュラーになれず、原辰徳氏も別のポジションにコンバートされていたでしょうが、1976~78年、1981~83年の2回リーグ3連覇するに留まっていたでしょうね。つまりは現実では2007~14年の第二次原政権に似た戦績を残していたという事ですが、1984年に選手長島も史実通り力が衰えて引退、監督長島もAクラスは維持したまま王助監督にバトンタッチして勇退、長島氏は監督としても名声が高まっていたから、当然故・水原茂氏や故・川上哲治氏ら先輩OBから采配等現実ほど批判は受けず、1989年から再登板、しかし、斉藤雅樹氏とかを開花させられたか?は微妙で、結局その後は現実通りたとえ監督が無能でも勝てるようにFAや逆指名が導入されて、それでも思ったほどは勝てなかったのかもしれません。

まあそういう「たられば」論はここまでにして、今回訪れた時は本屋はその外食チェーン通りよりも奥に移転されていました。そこで、もう開幕してから3か月強経っているのに、MLB情報誌スラッガーの2016年選手名鑑を買ったのですが、各チームごとの試合日程を見ると、ヤンキースやジャイアンツ、アスレチックスがデーゲーム減って、逆にブルージェイズが増えた印象を受けましたね。MLBは真夏の野外球場でも日曜・祝日は原則デーゲームで、土曜はチーム等にもよるのですが、5月8日のヤンキースVSレッドソックス戦や5月22日のジャイアンツVSカブス戦みたいにナイトゲームのカードもあった様です。またそのカブスも週前半3連戦全試合ナイトゲームが増えた印象です。ところが、その週前半・平日でも3連戦または2連戦最後にはデーゲームが組まれる事も全然珍しくないのですが、これは移動の関係なのですかね。

ブルージェイズについて言えばまた、一昔前までは土曜は16時過ぎ試合開始だったのが多い印象を受けたのが、今年は殆ど13時過ぎ開始となっている様ですが、本拠地がカナダだから当然アメリカでは祝日な5月最終月曜日の戦没将兵追悼記念日(30日、ヤンキース戦)や7月4日の独立記念日(ロイヤルズ戦)はナイトゲームですが、逆にカナダでの祝日な7月1日のカナダの日(インディアンズ戦で金土日オールデーゲーム)はデーゲームが予定で組まれていた様です。また9月第1月曜の労働者の日もアメリカ同様祝日ですが、今年は敵地でのヤンキース戦が予定されている様です。また、レッドソックスも、ボストンマラソンも開催される4月第3月曜日の愛国記念日はマサチューセッツ州の祝日で、この日は大抵本拠地でのデーゲームが組まれている様ですね。

2013年以降は両リーグ球団数を同じにするためかヒューストンアストロズがアメリカンリーグに移籍して、ナショナルリーグ共々球団数が奇数となってしまって、これで毎週交流戦が組まれる様になった。それについても改めて見ると、3連戦が4カード、2連戦が2カード、ホームロード2戦ずつの4連戦が1カードどのチームにも組まれていて、20試合全部で組まれている様ですね。4連戦は、例えばヤンキースならメッツ、レッドソックスならかっては同じボストンに本拠地を置いていたブレーブス、ジャイアンツならアスレチックス、ドジャースならエンゼルス、カブスならホワイトソックスと歴史的に近い関係にあるチーム同士のカードが組まれている様です。しかし、日本みたいになかなか球団を増やさない(しかし、現実には都市圏人口が多い地域がアメリカと比べ限定されているので難しい面もあるのだけど)のもアレなのでしょうが、30球団はちょっと多い気もしないでもないですね。しかしまた、将来は4地区32球団にする構想もある様で、自民党も提言しているらしいNPB16球団構想よりも実現の可能性は高そうですが、それならもっと世界中なら逸材を集めて、野球の本場らしくレベルを上げていかなければいけないですね。それはともかく、どうでも良い事を長々と述べたけど、MLBでも後半戦がスタートしたし、イチロー選手の3000本安打もいずれ達成され、殿堂入りもそう遠い未来の事ではないでしょうが、どの様なドラマがこの先待っているかです。

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧