国内・世界政治一般

2018/03/31

韓国の国務総理(首相)達とその閣僚経験

http://www.recordchina.co.jp/b586637-s0-c10.html

憲法改正で大統領の任期変更へ、韓国・文大統領の狙いは―米華字メディア

配信日時:2018年3月28日(水) 6時20分

 

         
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26日、米華字メディア・多維新聞網は、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、大統領の再任を認めない現行憲法の改正に挑むと伝えた。写真は文大統領。
2018年3月26日、米華字メディア・多維新聞網は、韓国文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、大統領の再任を認めない現行憲法の改正に挑むと伝えた。

記事は「文大統領が26日に憲法改定案に署名し、『一任期制』の打破へのチャレンジを始めた。現行の韓国憲法では大統領の任期は5年で再任できない。これを任期4年にして1度の再任を認めようとしているのだ。韓国の民間調査機関が22日に発表した世論調査では、59.6%が改憲案に賛成だ」と紹介した。

その上で「過去にも、朴槿恵(パク・クネ)前大統領が任期変更を提起し、やはり高い支持率を得た。再任が禁止された1987年以降、全ての大統領が汚職の罪を負うという結果になっており、『一任期制』はもはや現在の韓国の政治舞台には適さないようだ」としている。

そして、再任を認めるメリットについて「韓国の民主政治がある程度安定する。現状では、現職の大統領の任期切れが近くなると各政党や派閥は次期大統領争いに走る。政敵への攻撃が強まり、大統領が最大のターゲットになる。再任の可能性がなく、場合によっては味方にまで切り捨てられる大統領は徐々に政権運営の主導権を失ってしまう。再任を認めればこの状況を変えることができる」と説明した。

また「国の戦略的な計画を立てる上でもプラスになる」とも指摘。「政策や計画の多くは長い時間をかけて立て、実施する必要があるが、頻繁に大統領が代わっては進めようがない。北朝鮮問題がその好例で、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権では懐柔政策をとったが、その後の李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵政権では過剰な強硬姿勢を取ったため関係が急激に悪化した」と論じている。

記事は「一部の市民は憲法改正には反対している。文大統領の政治的な勇気と決断によって『一任期制』を過去のものにするには、さらに国会での審議、決定を経る必要がある」と伝えた。(翻訳・編集/川尻
文大統領を擁する与党、共に民主党は第一党だとは言え、全議席の4割程度しか取れてない少数与党だから、発議は難しそうですが、今回のこの改憲案は6月に予定されている地方統一選挙に向けた戦略だとも指摘されているらしいです。

この改正案によれば、大統領は国家元首でなくなり、単独での恩赦は出来ない様にする等強大な権限を縮小、首相に相当する国務総理は第一党から選出されるとかいくつもある様ですが、大統領じゃなければ誰が国家元首?まさか韓国国民がそうだと言うのではあるまいな?ですが、韓国の国務総理って歴代の面々見ると、代理就任者も多いけど、軍政期の4人も含めて独立後の70年間で述べ49人が就任している。これは代理就任者は除いた人数だけど、第三・第四共和政のフランス(89年間で述べ113人と平均で約10ヶ月と1年ももたなかった)ほどはひどくないけど、平均で1年そこそこと短命ですね。

日本の内閣総理大臣は、田中角栄は就任の条件として「党務では幹事長も含んで党三役を2回、閣僚では外務・大蔵・通産の内2つを含んで3回経験する」事だと言っていたらしく、大福三角は全員この条件を満たしているし、彼ら以降では櫻内義雄、安倍晋太郎、橋本龍太郎、三塚博とかが該当者らしいですが、韓国の国務総理の場合は就任前どれほどの閣僚経験があったのか調べてみました。(回数は入閣回数で代理者就任の時や同一総理の時でもポストが変わった時はカウントしなおしています)

【第一共和国】

李範ソク・・・・(国防長官を途中まで兼務)
張勉Ⅰ・・・・(駐米大使)
張沢相・・・・外交部長官1回、4ヶ月
白斗鎮Ⅰ・・・・企画財政部長官3回、2年10ヶ月
ビョン栄泰・・・・外交部長官5回、3年

まあ独立直後だったから最初は閣僚経験ゼロな人がいたのもしょうがなかったでしょう。朝鮮戦争末期に就任したからそれなり以上に経験がある人が就いたと思いきや、途中で一旦廃止されます。

【第二共和国】

許政・・・・交通部長官1年7ヶ月、社会部長官1年2ヶ月、無任所長官3ヶ月、計4回、3年
張勉Ⅱ・・・・(副統領)

が初めて複数の閣僚を経験した国務総理で、6年ぶりに復活した後の初の国務総理でもありましたが、李承晩失脚に伴う混乱を収拾した後は短期で身を引いたようです。その後が張勉でしたが、アメリカとのパイプはあっても、クーデターで失脚してしまったのは党の内紛も大きな要因だったけど、経験不足も祟ったからか。副統領としても李の暴走のストッパー役になっていたわけでもなかった様だし・・・・・・第二共和国は韓国の歴史上ではおそらく唯一の議院内閣制(大統領は象徴的存在だったけど、この第二共和国時はまた、大統領は議員との兼職OKだった様でもある)が採用されてましたが、結局能力を発揮する事は出来ませんでした。

【軍政期】

張都瑛・・・・(国家再建最高会議議長と国防部長官を兼任)
宋堯讃・・・・(一時期国防部長官を兼任)
朴正煕・・・・(無し)
金顕哲・・・・企画財政部長官10ヶ月と1年9ヶ月、復興部長官1年、経済企画部長官1ヶ月、計4回、3年8ヶ月

軍政だったから最初の3人は当然軍人出身で、閣僚はせいぜい就任後に国防部長官を兼務していた程度でしたが、張が短期で失脚してしまったのは、彼はエジプトのナギブに似ていたけど、ナギブほどクーデターに積極的に関わろうとせず、当初は日和見的な態度を取っていたのが響いたからか。軍政期最後の金のみが文官で、民政移管へのアピールとして軍部から起用されたのだろうけど、確かに閣僚経験も豊富で、退任後も80年代後半の民主化までは色々要職を歴任していたらしいから、まあ要領よく立ち回った方でしょう。

【第三・第四共和国】

チェ斗善・・・・(無し)
丁一権・・・・外交部長官2回、1年1ヶ月
白斗鎮Ⅱ・・・・総理経験者
金ジョンピルⅠ・・・・(副総理格のKCIA長官)
チェ圭夏・・・・外交部長官、1回、3年11ヶ月
申ヒョナク・・・・復興部長官1年1ヶ月、保健社会部長官3年、経済企画部長官1年、計4回、5年1ヶ月
南デ祐・・・・経済企画部長官4年3ヶ月、財政部長官4年11ヶ月、計5回、9年2ヶ月

最初の斗善は独立活動家歴があって、大統領となった朴正煕よりも年長でしたが、朴は日本との関わりが深く、実際死後に親日派認定されてしまったけど、政敵からの批判反らしの意味もあったのでしょう。実際閣僚経験は無く、半年足らずで退任となり、その後は朴同様軍人出身者もいたけど、特に外交と経済畑での経験が豊富な人を起用する実務重視の姿勢が伺えます。この時期は日本との国交樹立による経済援助やベトナム戦争参戦等で漢江の奇跡を成し遂げ、世界最貧国(1960年代前半時点で一人当たり国民所得はフィリピンと比べても3割そこそこしかなかった)から脱し、著しい経済成長を遂げた等国際的地位を高めていった(一方で強引な維新クーデターやベトナム戦争での蛮行等批判点も皆無ではなかったが・・・・・・)のですが、特には総理在任期間は断トツのトップで、退任後も朴が暗殺されるまで長く国会議長を務めた等軍人出身者では朴に次いでキャリアを極めたと言って良いし、南も朴暗殺直後の経済混乱の中での火消し役は十分務めたのでしょう。しかし、総理としてはおそらく丁の次に在任期間が長かった圭夏は残念ながら大統領としては短期ですぐ辞めさせられてしまって、総理までの経験は生かせませんでしたが、汚職とは無縁で、自身も長寿を全うしたし、この国ではそれが却って良かったのか?

【第五共和国】

劉彰順・・・・商工部長官7ヶ月、経済企画部長官2ヶ月、計2回、7ヶ月
金相ヒョプ・・・・教育部長官9ヶ月、1回
陳ウィジョン・・・・保険社会部長官、2回、9ヶ月
廬信永・・・・外交部長官1年9ヶ月、国家安全企画部長官2年8ヶ月、計8回、4年5ヶ月
金貞烈・・・・国防部長官2年10ヶ月、1回

第三・第四共和国時と比べるとやや物足りないけど、実務重視の姿勢には大きな変化は無いです。この期間、再び経済成長を続け、ソウル五輪も実現しています。

【第六共和国、盧泰愚・金泳三政権期】

李賢宰・・・・(無し、大学教員として活動)
姜英勲・・・・(無しだが、駐英・駐愛大使等外交経験はある。軍人出身。)
廬在鳳・・・・(無し、大学教員として活動)
チョン元植・・・・教育部長官2回、2年
玄勝ジョン・・・・(無し、軍人出身だが、大学学長等を経て就任)
黄寅性・・・・交通部長官1年、農林水産部長官2年3ヶ月、計3回、3年3ヶ月
李会昌・・・・(副総理格の監査院長)
李英徳・・・・副総理兼統一院長官4ヶ月、1回
李洪九・・・・統一部長官2年1ヶ月、8ヶ月、計5回、2年9ヶ月
李寿成・・・・(ソウル大学学長)
高建Ⅰ・・・・交通部長官6ヶ月、農林水産部長官1年2ヶ月、内務部長菅2ヶ月、計6回
1年10ヶ月

ところが、民主化されると閣僚経験ゼロの国務総理がまた目立つ様になってしまいました。盧泰愚政権期はまた、自身と同じ軍人出身の総理も見られる様になり、また大学教員経験者の起用も目立つ様になりましたが、その一方で李姓の総理が続いた金泳三政権期はそこそこ以上の閣僚経験者も起用される様にもなりました。最後のはwikiでは「経験豊富な達人」と書かれているけど、在任年数だけを見ればそこまで豊富には見えないです。また玄は、総理在任が重なってもいた宮澤喜一と同じ1919年生まれでもありました。

【第六共和国、金大中・廬武鉉政権期】

金ジョンピルⅡ・・・・総理経験者
朴泰俊・・・・(無し、韓国のカーネギー)
李漢東・・・・内務部長官7ヶ月、1回
金ソクス・・・・(無し)
高建Ⅱ・・・・総理経験者
李海ギョン・・・・教育部長官1年2ヶ月、2回
韓明淑・・・・女性部長官2年1ヶ月、環境部長官1年、計6回、3年1ヶ月
韓ドクス・・・・財政部長官1年4ヶ月、3回

韓国で初めて革新勢力が大統領を擁立していた時期でしたが、盧泰愚・金泳三の保守政権期と比べると再び実務が重視される様になり、総理経験者が2人再登板しています。特にジョンピルは最近も親戚として朴槿恵について批判的な証言をしたのも記憶に新しいですが四半世紀近くのブランクを経ての再登板で、おそらく最後の軍人出身の総理でもあるでしょう。また革新政権らしく明淑という初の女性総理も誕生しています。彼女は久々の3年以上閣僚を経験した総理でもあり、相当期待されていた事が伺えましたが、廬共々汚職がバレて、ソウル市長選挙でも落選し、ついに2015年に懲役2年の実刑判決が下ってしまいました。世界中で女性政治家のダメぶりも目立っている近年、韓国では朴槿恵がその代表例みたいになってしまって、彼女は去年夏に出所しましたが、革新勢力が政権奪還した中で再浮上はあるのか。

【第六共和国、李明博政権期以降】

韓昇ス・・・・外交通商部長官10ヶ月、財政企画部長官7ヶ月、1年4ヶ月、計4回、2年9ヶ月
チョン雲チャン・・・・(ソウル大学学長)
金ファン植・・・・(副総理格の監査院長)
チョンホン源・・・・(弁護士、検事出身)
李完九・・・・(道知事)
黄教安・・・・法務部長官2年3ヶ月、3回、検事出身
李洛淵・・・・(マスコミ出身、道知事)

どうも長期的傾向として韓国の国務総理は民主化以降は閣僚経験がそれなりに豊富な人と、特定の非政治分野では一定以上の名声はあるけど、政治での実務経験に乏しい人が半々出ている印象がある様で、韓姓の総理がまたでもありますが、李明博政権初期の昇スは前者の部類でした。民主化以降総理交代も比較的少なくなって、李政権期は3人しか出なかったけど、総理の政治実務経験の乏しさも拍車がかかっている歴代大統領の反日政策等の迷走とも無関係ではない様にも見えます。実際ファン植は李に迎合して度々反日的発言もしていた様だし、チョンは朴の代読総理と揶揄されていた上にセウォル号沈没事件の責任を取る形で一旦辞職を表明するも、後任候補の一人だった文昌克は親日発言(「南北分断は神の意思だ。」はやや言い過ぎで日本にも招いた責任もあると思うけど、それ以外はその通りだとも思う)が問題視されて、完九が就任したけど、こいつも反日発言していた上に土地投機等の疑惑が浮上、裁判では無罪を勝ち取ったものの、石橋湛山や羽田孜とかとも大差ない2ヶ月しか持たなかった。

確かに某所でも指摘されていた通り、同じ反日政策でも保守の方がエグい(しかし、李は韓日関係の重要性は客観的に理解していて、朴もお父さんはハッキリ日本統治を評価する発言していただけにそういう反日に走らざるを得ないのももはや一種の「宿命」なのか・・・・・・)と言うか、反日にも血道をあげていた内に朴槿恵がとうとう周知の通りな有様になってしまったけど、民主化以降初めて大統領が弾劾された異常事態の中でその権限を代行する事となった黄が検事としてでなく、政治実務でも久々の、それなりの経験がある総理だったのは韓国や韓国国民にとっていくらかの救いにもなったでしょう。一方であくまで代行に過ぎないのに正式な大統領としての待遇を要求していたとも報道されていましたが・・・・・・・・・・・

政治・社会的にますます迷走を深めていってしまったので、黄代行の後は再び革新勢力が政権奪還を果たしましたが、現任者の洛淵はマスコミ畑から政治家に転身して、道知事の経験はあっても閣僚経験は無いながらも知日派らしい。そもそも李承晩が初代大統領になってしまったのが日韓両国民の大きな不幸であり、特に所謂日帝36年までの歴史を客観的に受け容れるのは辛いだろうし、日本もいつまでも恨まれるのは正直困るながらも朝鮮併合を100パー正当化するつもりはない(第二次世界大戦という大失敗の原因の一つにも間違いなくなったのだし)ですが、その恨とかのエネルギーをこれから学歴や職歴に関係なく国民が皆幸福になり、生まれ変わってもまた韓国人になりたいと思える様な国にしていくエネルギーに変えてほしいと思うのです。憲法改正が実現しても適用されるのは2022年以降だからその時には既に退任しているであろう洛淵総理にそこまでの革命を成し遂げるのを期待するのは難しいでしょうが、権限が強化される可能性も出てきた国務総理の今後の政治的な役割も注目されるべきでしょう。

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2018/02/28

政党座標テストも受けてみたが

先日また、ポリティカルコンパスで診断したら政治-1、経済-4.44だった(10~-10が範囲で、正ならば右寄り、負ならば左寄り)けど、やっぱ私は政治的思想は中道左派なのでしょうね。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12139792617

yahoo知恵袋でもこの様な質問した人がいて、彼は中退とかしていなければ現在も大学に在学中で、今年就職するのだろうけど、彼の主張と私のそれは大体同じですね。違う点を挙げるならば・・・・・・・

君が代斉唱 基本的には個人の自由だが、斉唱が義務付けられている学校で教師とかがそれに応じないのはおかしい。そんなに嫌ならさっさと歌わなくていい職場に転職すべき。
首相の靖国参拝 参拝する人による。過去の歴史に対して真摯な反省と建設的な未来志向を忘れない人ならば首相だろうが芸能人だろうがニートだろうが別に何とも思わないが、戦前・戦中を美化し、愛国心も押し付ける政治家や文化人等の参拝には反対。
天皇制 基本的には維持すべきだが、また小室圭氏の様な男が寄生してくるようならばさっさと廃止して、皇族の方々には自分で責任とれる範囲で気ままに暮らしてもらう方が良い。決して無条件の崇拝とかはしない。
日米安保 どちらかと言えば賛成だが、地位協定は絶対見直して、少しでももっと対米自立できるようにすべし。
どちらかと言えば親米 ただし、特に外交や軍事での対米追従には否定的、北朝鮮の核開発問題も必要最小限な連携だけ取れば良い、エルサレムの首都承認とかももっての外。
集団的自衛権 特定秘密保護法 前者は制限された条件下でなら賛成だが、安倍政権は間違っても行使なんかしない方が良い(でも、2015年の安保体制で事実上行使できる様になったよね?確か)、後者は賛成。
日本の核武装 基本的には反対、そんな事言い出す前に何が本当の脅威なのかもう一度よーく考えた方が良い。

これぐらいでしょうね。まあ天皇制容認、外国人参政権には反対、核武装も必要悪として容認しているあたり、左翼とまではいかないでしょう。私よりももっと左だけど、左翼よりの中道左派と言った所ですか。この質問者は。

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

本場ポリティカルコンパスをもう少し簡素化した様な政党座標テストのHPも最近見つけたけど、これも私も診断してみました。0が同意しない、1があまり同意しない、2がどちらとも言えない、3がやや同意する、4が同意するとすれば・・・・・

マリファナは合法であるべきである・・・・1
市場は一般的に、政府が行う資源配分よりも優れている。・・・・1
もしシートベルトなしで運転をしたいのであれば、それはその人の決断であるべきである。・・・・3
無駄な政策が多すぎる。・・・・4、安倍政権なんかまさにそうでしょう。
税金は、芸術やスポーツに使われるべきではない。・・・・2
死刑は事例により選択肢にすべきである。・・・・4、だって、先日爆報THEフライデーでも取り上げられていたけど、椿隆之氏の顔をボコったごじゃっぺが執行猶予かつわずかな罰金で済んだなんてやるせないでしょうよ。これで死刑が廃止になったら・・・・・・・
売春は合法であるべきである。・・・・1、女性専用車両でも騒いでいる様な日本でも絶対合法なんかにはしない方が良い。
西洋文明は、古代ギリシャの思想よりもキリスト教からより恩恵を受けている。・・・・1
株式取引に関する投機は、他の経済活動よりも好ましくない活動である。・・・・3
一部の国と文明は天敵である。・・・・0、そういう固定観念に囚われ、異民族ヘイトとかに走る事がいかに国辱ものの愚行であるか?ネトウヨを中心としたわが国日本の国民が立派な反面教師になっているじゃない。
総体的に、最低賃金は利益を与える以上に害をもたらす。・・・・0
君主制と貴族称号は廃止されるべきである。・・・・2、前述した通り。
海外製品に対し輸入税率を定めることは、私の国の雇用を保護する好ましい方法である。・・・・3
私の国は発展途上国に対し、より多くの対外援助と 開発援助を行うべきである。・・・・1、安部バラマキ外交を見ていれば2以上はあり得ないですね。私からは。
気候に対する恐れから産業に対し増税を行う必要がある。・・・・2
同性愛カップルは養子を引き取る権利を含め、異性愛カップルとすべて同じ権利を持つべきである。・・・・3、今すぐできる様にしろとまでは言わないけど、価値観の多様化は否定すべきじゃないし、反対はしません。
監視とテロ対策プログラムは、度を越している。・・・・1、アメリカとかはそうかもしれないけど、前にも言ったけど、テロは彼らを駆り立てさせるものを根絶しない限りは無くならないし、1が妥当と言った所。
政府は、裕福層から貧困層に財産を再分配すべきである。・・・・4、日本がこの先の衰退を免れるためには絶対避けて通れない道です。
総体的に、労働組合は効用を与えるよりも害を多くもたらす。・・・・0
私の国への移住は最低限度に抑え、厳しく管理されるべきである。・・・・3、もちろんはすみとしこのあの愚行は論外だけど、欧州は今どうなっている?
自由貿易は、発展途上国にとって開発援助よりも助けになる。・・・・2
一部の人々や宗教は、一般的に他の人々や宗教よりも問題を抱えている。・・・・4
政府が事業に携わると、大抵進捗具合が思わしくない。・・・・2
医学的に支援された自殺行為は合法であるべきである。・・・・3
犯罪者を社会復帰させることは、処罰を与えることよりも重要である。・・・・0
他の宗教に対し自分達の宗教の特権を主張することは、国民にとって正当である。・・・・1
実際は、事業の関心と社会の関心の間に対立が存在する。・・・・3
平等は経済成長よりも重要である。・・・・3
仕事を拒否する人は政府から支給される失業手当の受給資格を与えるべきではない。・・・・2
政府は、銀行家と代表取締役の最高賃金に対し、上限を設定すべきである。・・・・4、NHKの経営陣にも必要でしょう。
雇用創出を目的とする財政支出は、一般的に良い着想である。・・・・3
国は、国際社会の支援無しで決して戦争に行くべきではない。・・・・4、支援があったとしても、正しい戦争なんかある筈ないのだけど・・・・・・・
総体的に、エドワード・スノーデンやウィキリークスが犯した機密漏洩は、益をもたらす以上に害を及ぼす。・・・・1
政府は、国民に医療を無料で提供するべきである。・・・・3、まあそれも一番の理想でしょう。
もし移住者が、彼等の国旗を私の国に掲げたいならば、私はそれでいいと思う。・・・・3、まあそれぐらいなら別に良いんじゃないですか。たとえ中国や韓国の旗だとしても。
強い軍隊は、強い外交よりも優れた外交政策道具である。・・・・0、強い外交もまた戦争防止の為になされなければいけないでしょう。ましてや原発が50基以上もある日本は戦争なんか出来ないのだから。


その結果がこれでした。

Photo
ちょっと見づらいけど、「22.2%左派、8.3%自由主義者」との事で、やっぱ前にも言った通りビル・クリントン氏に近いですね。アメリカ国民ならば、間違いなく民主党支持者なのでしょう。もう一度本場ポリティカルコンパスも診断してみたいとも思うけど、このページでは他にも色々なテストあるみたいなので、また機会あらば稿を改めて・・・・・・かも?

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2018/02/24

アメリカの連邦議員達の在職年数について(上院議員編)

本来ならばこっちの方が先に興味を持った事でしたが、上院議員編です。

下院は比較的早く在職30年の議員が出てきました。しかし、上院は任期こそ6年と下院に比べて長いですが、人口比に関わらず州の代表2人ずつ選出という事で定員は100人と4分の1弱しかない事もあってか、5期30年以上在職した人が出てくるのにはそれなりに時間がかかりました。歴代在職年月数最多議員の移り変わりは以下の通りです。(年月は記録保持期間)

ジョン・ラングレン&ジェームズ・ガン・・・・12年(~1802年6月)→セオドア・フォースター・・・・12年9ヶ月(1802年6月~1811年12月)→ジョセフ・アンダーソン・・・・16年(1811年12月~20年12月)→ジョン・ガイヤール・・・・21年2ヶ月(1820年12月~41年2月)→ウィリアム・キング28年10か月(1841年2月~50年6月)→トマス・ベントン(初の5期議員)・・・・29年7ヶ月(1850年6月~96年10月)→ジャスティン・モリル・・・・31年9ヶ月(1896年10月~1904年12月)→ウィリアム・アリソン(初の6期議員)・・・・35年5か月(1904年12月~52年8月)→ケネス・マッケラー・・・・35年10ヶ月(1952年8月~63年1月)→カール・ヘイデン(初の7期議員)・・・・41年10ヶ月(1963年1月~97年5月)→ストロム・サーモンド・・・・47年6ヶ月(1997年5月~2005年3月)→ロバート・バード(初の8期議員)・・・・51年5か月(2005年3月~)

初めて3期を超えて務めたのがガイヤールで、彼までがアメリカ独立戦争を経験した世代です。キングは駐仏公使就任の為一旦上院議員を4期務めた所で辞めて、1848年から5期目に入りましたが、途中で副大統領になったのでまた途中で辞任した。ところが、残念ながら既に結核を患っていて、間もなく鬼籍に入ってしまった。そんな内にベントンが初めて5期を務めた議員となったけど、彼以降期数を更新するたび長期間在職期間記録が保持される事ととなりました。ベントンは46年強、アリソンは48年弱、ヘイデンは34年強保持した。

ヘイデンの記録を更新したのはサーモンド氏で、この時点で既に95歳、日本の尾崎行雄原健三郎をも凌ぐ(中曽根康弘氏も小泉純一郎氏に引退に追い込まれなければ、尾崎の議員在職年数も更新できていただろう)高齢でしたが、2002年12月にはついに現職議員のまま100歳の誕生日を迎えた。まもなく退任、引退したけど、それから半年経たない2003年6月に天寿を全うしたのは、死因は心不全だったらしいけど、生きる張り合いを無くしてしまったのもあったのか。その数年後に、上院議員在職年数こそバード氏に更新されてしまったけど、100歳まで議員やった人、他に知らないと言うか、この最高齢記録は今後も更新される事はないでしょう。おそらく・・・・・・・・・・・・・

上院議員在職年月数トップ10は以下の面々です。

1位 ロバート・バード 51年5ヶ月(1959年1月~2010年6月)
2位 ダニエル・イノウエ 49年11ヶ月(1963年1月~2012年12月)
3位 ストロム・サーモンド 47年6ヶ月(1954年12月~56年4月、56年11月~2003年1月)
4位 
エドワード・ケネディ 46年7ヶ月(1962年11月~2009年8月)
5位 パトリック・リーヒ 43年1ヶ月(1975年1月~現職)
6位 カール・ヘイデン 41年10ヶ月(1927年3月~69年1月)
7位 ジョン・ステニス 41年2ヶ月(1947年11月~89年1月)
8位 オリン・ハッチ 41年1ヶ月(1977年1月~現職)
9位 テッド・スティーブンス 40年1ヶ月(1968年12月~2009年1月)
10位 サッド・コクラン 39年2ヶ月(1978年12月~現職)


イノウエ氏は最晩年には名誉職だとは言え、大統領継承第3位の上院仮議長にまで登りつめた等日系人のみならずアジア系では一番出世したと言えて、50年にあと少しという所で鬼籍に入ってしまったのが惜しかったけど、ケネディ氏は某スキャンダルが無ければ兄弟での大統領が誕生していた可能性もあっただけに、存命時点ではバード氏に次いで在職年月数3位でしたが、あまり名誉には感じていなかったかもしれない。もう一人の兄のロバートも暗殺されてしまったけど、ケネディ家の悲劇とは彼も決して無縁ではなかったと言うか、晩年にはまた、甥のジョンジュニア氏(父の葬儀の時に敬礼していたあの子供の事ね)が飛行機事故で死去、後を追う様に娘のカラ氏も早世、甥のロバートジュニア氏の奥さんも自殺とどうしてこうも不幸が立て続けに起こるのか・・・・・・・・・切断障害があるらしい息子のエドワードジュニア氏もコネチカット州知事選に出馬を表明して、姪(ジョンの娘、キャロライン氏)の息子のジャック・シュロスバーグ氏も現在はハーバード・ロースクールに在学中ながらも政界進出も噂されているらしいですが、果たして・・・・・・・・

ケネディ家に少々深入りしすぎたけど、彼ら10人の内5人は2000年代まで議員を務めて、3人は現職と上院は下院と比べて時代が下るにつれて在職年数が明確に伸びているのも特徴的と言えるかもしれません。そして、おそらくですが、上院・下院ひっくるめた連邦議会議員歴トップ10はこの面々でしょう。(赤表示は下院のみ、青表示は上院のみ、緑表示は両院議員経験者)

1位 ジョン・ディンゲル 59年10ヶ月
2位 ロバート・バード  57年6ヶ月(上院51年6ヶ月+下院6年)
3位 カール・ヘイデン  56年11ヶ月(上院41年10ヶ月+下院15年1ヶ月)
4位 ダニエル・イノウエ 53年4ヶ月(上院49年11ヶ月+下院3年5ヶ月)

5位 ジェイミー・ホワイテン 53年2ヶ月
6位 ジョン・コニャーズジュニア 52年11ヶ月
7位 エマニュエル・セラー 49年10ヶ月
8位 サム・レイバーン  48年8ヶ月

9位 ストロム・サーモンド 47年6ヶ月
10位 ライト・パットマン  47年


日本も在職50年の議員は戦前の閑院宮載仁親王と西園寺公望を含んでも7人(他にも鞍替え、または途中落選して数年ブランクがあった二階堂進や宮澤喜一とか惜しかった人も何人かはいる。来年2019年12月末に小沢一郎氏も8人目として到達する見込みだが、天皇を政治利用して勝手に習近平国家主席に会わせた事もあったし、表彰するのは別に良いけど、胸像とかは勘弁してほしい)しか存在せず、しかも殆ど下院に相当する衆議院での在籍(参議院議員のみで在職最長は山東昭子氏か)ですが、こうして見ると、連邦議員全体としては、下院議員編で触れたジョン・ランドルフ以降は・・・・・・・・・・

ランドルフ(上院2年も含めて26年2ヶ月在職)→(トーマス・)ニュートンジュニア→(ジョン・)ケットカム→(ジョセフ・)キャンノン→ヘイデン→バード→ディンゲル

の順に最長在職議員が移り変わっていった事になります。キャンノンは1908年~58年の半世紀に渡って記録を保持し、ヘイデンは、彼も90過ぎまで現役だったけど、2010年1月にバード氏に更新されるまでやはり半世紀強記録を保持、バード氏は間もなく現職のまま鬼籍に入ったけど、今度はディンゲル氏が2013年7月に更新して現在に至っているわけですね。サーモンド氏も上院のみ経験者では唯一のトップ10入りしていると言うか、それ以前はサウスカロライナ州知事を1期やっていて、上院議員初当選時は既に50過ぎていたから、30代で国政進出していれば間違いなく彼がヘイデンの記録を更新して現在も最長記録を保持していたでしょうが、1975年に初当選して、2023年初めまでの任期が保証されているリーヒ氏とかが新たにトップ10入りする可能性もあります。まあ尾崎行雄の62年8ヶ月にはやや及ばなかったながらも、ディンゲル氏の議員在職年数もまた、今後そうそう破られる事はないでしょうね。当選回数では尾崎をも凌いでいるけど、まさに空前絶後でしょう。

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アメリカの連邦議員達の在職年数について(下院議員編)

昨年末、アメリカ合衆国アラバマ州で上院議員補選が実施されて、ハンク・アーロン氏等が出身者ですが、結果は野党の民主党が勝利したのも記憶に新しい所かもしれませんが、三権分立が徹底しているアメリカでは大統領は議会解散権がなく、他に解散権を持つ人もいないけど、任期は上院が6年で2年ごとに3分の1が改選、下院が2年で、大統領選挙がない年にやる選挙は中間選挙として実施されるらしい。最初は上院議員達で長く在職した人達について調べたけど、定員が4倍以上いる下院議員達の在職年数等についてから分かった事を述べます。

30年以上在職した下院議員の人数(州別)

デラウェア・・・・0
ペンシルバニア・・・・4
ニュージャージー・・・・2
ジョージア・・・・1
コネチカット・・・・0
マサチューセッツ・・・・4
メリーランド・・・・1
サウスカロライナ・・・・1
ニューハンプシャー・・・・0
バージニア・・・・3
ニューヨーク・・・・13
ノースカロライナ・・・・2
ロードアイランド・・・・0
バーモント・・・・0
テネシー・・・・3
オハイオ・・・・2
ルイジアナ・・・・0
インディアナ・・・・3
ミシシッピ・・・・5
イリノイ・・・・6
アラバマ・・・・0
メイン・・・・0
ミズーリ―・・・・3
アーカンソー・・・・1
ミシガン・・・・4
フロリダ・・・・0
テキサス・・・・11
アイオワ・・・・0
ウィスコンシン・・・・3
カリフォルニア・・・・2
ミネソタ・・・・1
オレゴン・・・・1
カンザス・・・・0
ウェストバージニア・・・・1
ネバダ・・・・0
ネブラスカ・・・・0
コロラド・・・・1
ノースダコタ・・・・0
サウスダコタ・・・0
モンタナ・・・・0
ワシントン・・・・0
アイダホ・・・・0
ワイオミング・・・・0
ユタ・・・・0
オクラホマ・・・・1
ニューメキシコ・・・・0
アリゾナ・・・・2
アラスカ・・・・1
ハワイ・・・・0

下院は人口比に応じて定員が定期的に見直されているらしいけど、アメリカと言うよりも世界の政治・経済の中心地であるニューヨークのお膝元なニューヨーク州が一番多いですね。その次がテキサス州で、それぞれシカゴがお膝元のイリノイ州も5人いて、成立が遅い州を中心に未だゼロな州も少なくないけど、全米では77人います。ワシントンDCやグアム、プエルトリコ等州ではない特定地域でも30年以上在職した人はまだいません。

合衆国初期において長く下院議員を務めたのはジョン・ランドルフかと思われます。数度ブランクがあって、晩年は短期間ながら上院にも転じていましたが、1813年にバージニア州15区で落選して、2年後の1815年に今度は16区から出馬して当選しましたが、同じバージニア州の21区だったトーマス・ニュートンジュニアに並ばれてしまい、1817年にまたランドルフが落選した時点でおそらくニュートンが議員として最長在職者となりました。

ニュートンも1区に転じていた1830年に議員でなくなってしまいながらも、翌1831年にカムバックして、1期務めて64歳だった1833年に引退、その直後にランドルフも現職のまま結核で亡くなってしまいましたが、通算31年務め、下院議員初の在職30年議員及び議員の最長在職記録の保持者になったかと思われます。

次に更新したのがニューヨーク州のジョン・ケットカム(在職1865年3月~73年3月、77年3月~93年3月、97年3月~1906年11月)で、1904年にニュートンの記録を更新、2人目の在職30年の下院議員となりました。しかし、翌1905年には早くもイリノイ州のジョセフ・キャンノン(在職1873年3月~91年3月、93年3月~1913年3月、1915年3月~23年3月)も3人目の在職30年下院議員となり、1908年末にケットカムの記録を更新、1913年にはまた議員でなくなるも、1915年に返り咲き、1917年におそらく初の在職40年議員となりました。アメリカの議会が設立されたのは1788年で日本のそれより約100年早いですが、これは尾崎行雄が在職40年議員になった13年前の事でした。

1923年に87歳で引退したキャンノンのこの記録は半世紀強の長きにわたって保持されてきましたが、アイゼンハワー政権期の1959年にテキサス州のサム・レイバーンが久々に更新、彼はこの時下院議長も務めていましたが、上院も院内総務だったリンドン・ジョンソンらを自分の手足の様に使って、影響力を保持していました。フランクリン・ルーズベルト政権期においても第1・2期の副大統領だったジョン・ガーナ―を擁立してルーズベルトの3選を阻止しようと(結局予備選で敗北して引退を余儀なくされた)しましたが、第二次世界大戦後、大統領の連続3選禁止が明確化されて、ポストアイクに焦点が充てられた時もそのジョンソンを擁立して、ジョン・F・ケネディに敵対したのです。

結局は、ケネディが民主党候補となって、疑惑もありながらもニクソンとの大統領選に勝利を収めたのは周知の通りですが、そこで燃え尽きてしまったのか議員在職のまままもなくガンで亡くなった。ところが、これも周知の通りケネディ自身もそのレイバーンやジョンソンの地元、テキサス州で暗殺されて、副大統領だったジョンソンが結局昇格したけど、天国から見ていたらどう思った事やら。

ニクソンもそのジョンソンの後に大統領になったけど、そのニクソン政権期の1971年末にはニューヨーク州のエマニュエル・セラーがレイバーンの記録を更新、このセラーは第二次世界大戦後、対イギリス援助についてイギリスのパレスチナ撤退とセットでなされるべきと主張したエピソードがありますが、最終的にはユダヤ人だったエリザベス・ホルツマン(当時の彼女の地元、ニューヨーク州16区はユダヤ人が住民の過半数を占め、特にユダヤ人の支持を得ないと当選は不可能だった)にあともう少しで議員在職50年の所で引退に追い込まれたのも皮肉な話です。

下院議員在職50年を達成したのはミシシッピ州のジェイミー・ホワイテンで、その時はブッシュパパ政権期だったけど、それからさらに四半世紀経ったオバマ政権期の2015年には在職50年の下院議員が入れ替わった。ジョン・ディンゲルとジョン・コニャーズジュニアの同じミシガン州で、同じ「ジョンさん」だけど、ディンゲル氏は白人、コニャーズ氏は黒人の「オセロ」コンビです。(そう言えば、本家オセロも中島氏は今どうしているのやら。お笑いコンビって片方は露出しなくなってしまうの多いけど)

特に日米貿易摩擦時には対日強硬派として鳴らしたディンゲル氏はまもなく引退したけど、引退当時は(現在もか)議員在職記録の保持者でもありました。下院議員を40年以上務めた面々は以下の通りですが、わずか13人と30年以上の6分の1に過ぎません。

1位 ジョン・ディンゲル 59年1ヶ月(1955年12月~2015年1月)
2位 ジェイミー・ホワイテン 53年2ヶ月(1941年11月~95年1月)
3位 ジョン・コニャーズジュニア 52年11ヶ月(1965年1月~2017年12月)
4位 エマニュエル・セラー 49年10ヶ月(1923年3月~73年1月)
5位 サム・レイバーン 48年8ヶ月(1913年3月~61年11月)
6位 ライト・パットマン 47年(1929年3月~76年3月)
7位 ジョセフ・キャンノンとチャールズ・ランゲル 46年 (キャンノンは1873年3月~91年3月、93年3月~1913年3月、1915年3月~23年3月で、ランゲルは1971年1月~2017年1月)
9位 アドルフ・サバス 45年8ヶ月(1907年3月~52年11月)
10位 ドナルド・ヤング 44年11ヶ月(1973年3月~現職)
11位 ジョージ・マホン 44年(1935年1月~79年1月)
12位 メルビン・プライス 43年3ヶ月(1945年1月~88年4月)
13位 ロバート・ダウグレン 41年10ヶ月(1911年3月~53年1月)


殆どが20世紀以降に国政デビューした面々で、ヤング氏のみが現職議員ですが、長くなってしまったので上院議員編はまた別稿という事で。

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2018/02/03

歴代衆議院当選回数最多議員の顔ぶれ

国会議員白書というHPがあるのを最近知ったのですが、そのHPを基に、戦後の衆議院議員当選回数最多議員の顔ぶれはどの様に移り変わっていったか調べてみました。(数字は期数、()は議員在職期間)

23~25 尾崎行雄(1890~1953)当選23~25回

別名咢堂の、憲政の神様ですね。ご存知の通り。途中東京市長も務めて、アメリカに桜を送った事もあったけど、戦前は市長と国会議員の兼職OKだったんですか。戦後はやめなきゃダメだよね。相馬家の現当主もこの人の孫(母は三女の雪香で、この人もかなり長生きだったが、祖父が亡くなった時、孫である事を話すも「お前の様な奴があんな立派な人の孫なわけがない。」と中学校の先生から怒られたと言う。また、祖母がイギリス人とのハーフだったので1/8はこの人もイギリス人の血を引いているという事か)ですが、最後の19世紀からの国会議員、江戸時代生まれの国会議員でもありましたね。おそらくですが、当選回数及び議員在籍期間は今後も不滅の記録としてあり続けるでしょう。

27・28途 鳩山一郎(1915~46、52~59)、星島二郎(1920~66)当選14・15回

鳩山一郎は最近爆報THEフライデーでも孫嫁(由紀夫氏の妻、幸氏)が取り上げられていたけど、尾崎行雄の引退直後に総理、そして保守合同で成立した自由民主党(自民党)の初代総裁になった。最後の1910年代からの国会議員でもありました。おそらく。

28途~30 星島二郎(1920~66)当選15~17回


デビューはやや遅れたも、鳩山は途中公職追放されていたので、尾崎行雄引退後は当選回数最多タイとなってましたが、彼のの急死で彼が単独トップになった。「ほし しまじろう」ではなく「ほししま にろう」と言うらしい。誤読しやすい名前の人ですね。鳩山同様旧日本民主党出身ですが、政策は戦前から一貫して比較的リベラルな立場で比較的右派色が強かった日本民主党ではやや異色の存在だったでしょう。wikiでのページでは45歳の時の写真が載せられているけど、なかなかのイケメンです。おそらく最後の大正時代からの衆議院議員でもありました。

31・32 西尾末広(1928~32、37・38、42~45、46~48、52~72)当選14・15回

途中ブランクは何度かありましたが、尾崎行雄以来13年ぶりの非自民系国会議員であり、初めての左派政党出身者だったでしょう。もっとも、星島の引退でその様に当選回数最多議員になった時は既に民社党所属となっていました。民社党は中道とされていたけど、西村眞悟氏曰く「自民党より右だった。」との事。

33・34途 船田中(1930~45、52~79)、三木武夫(1937~88)当選14・15回

大体当選回数15回前後が最多議員の目安みたいになってますね。船田中はキン肉マンでも名前の由来にされていた(読みは「あたる」ではなく「なか」ですが)けど、作新学院の理事長もやっていて、江川事件にも巻き込まれたのも有名な話ですね。しかし、江川氏は一定期間の出場停止処分を受け、中本人は1979年シーズン開幕直後に死去したので残念ながら彼のプロでの登板姿を見る事は出来ませんでした。息子の譲は参議院議員から栃木県知事に転じていたので、孫の元氏が直後の衆議院総選挙に立候補・当選し、同じ田中派で同じ北関東出身の中村喜四郎氏に代わって最年少衆議院議員となったのです。宮澤政権ではその喜四郎氏共々入閣して、かってのボスだった田中角栄の入閣最年少記録をも塗り替えましたが・・・・・・・・・・・(この当時、角栄はまだ存命で、角栄が初入閣した時は尾崎の記録を約60年ぶりに更新したのだが、2018年1月現在も男では最年少記録を保持している)

34途~38途 三木武夫(1937~88)当選15~19回

鳩山と違って、当選回数最多となった時点で既に総理大臣を経験していた三木ですが、当選回数最多保持期間は90年代末までは戦後最長でした。角栄時代の金権政治という負のイメージ払しょくの為に、クリーンなイメージを買われて総理になるも、中小派閥だったが故に思ったほどの成果を残す事は出来ませんでしたが、ただのクリーンでもなく、再古参議員として福田赳夫と共に主流派の大平派(宏池会)と激しい政争を繰り広げる事になりました。しかし、大平の急死によりハプニング解散後の1980年衆議院総選挙は自民が大勝し、分裂は回避、総裁・総理は政敵、角栄と仲が良かった鈴木善幸が就任、内政はまずまずながらも外交での失策が(しかし、「暗愚の帝王」とか酷評されるほどは酷く無かったと思う。まあ倉山満大先生にとっては、三木もそうなのだろうと言うか55年体制下での自民主流派も左翼なのだろうし、この人の主張は話半分に聞く程度の価値しかないですが)目立って、それでも総裁再選は確実だったのですが、結局2年そこそこで中曽根康弘氏に譲りました。その後1984年に起きた、彼の再選を阻止しようとした二階堂擁立事件は失敗に終わり、福田の影響力は低下、角栄も自派から総裁が出せない事に不満を抱いていた竹下登らの不満を抑えようとするも脳梗塞に倒れ、三木もまもなく病気がちになり、名誉議員の表彰は受けるも第38期は角栄同様満足に政治活動が出来なかった中で死去、福田もその後引退と昭和の終り、平成の始まりとほぼ同時に大福三角の時代は終わりました。(これに中曽根氏を加えて大福三角中と呼ぶ事もあるが、彼はリクルート事件で一時離党しながらもまだまだ現役議員であり続ける)

38途 坂田道太(1946~90)、原健三郎(1946~2000)当選17回

坂田は1988年11月の三木の死去で1年3ヶ月の短い期間に過ぎなかったながらも彼が当選回数最多となりました。37期末に一時衆議院議長も務めていて、その為にリクルート事件で総理に推されても固辞したのですが、それよりも当時の森喜朗総理にNHKの日曜討論で勝手に殺されてしまったエピソード(秘書と混同してしまったらしい)の方が全然有名でしょう。ただ、閣僚経験は豊富ながらも党三役の経験が無かったのはネックだったか。おそらく議員生活の大半を無派閥で通したのが響いたのでしょうが・・・・・・・・・・・73歳だった時の平成初の解散と同時に引退して、2000年代初頭までは80代の議員も何人かはいただけにこの当時では比較的早い引退に感じられますが、他にも福田や角栄、茨城出身でもあった赤城宗徳(おそらく尾崎以来の7つの年代に跨って国会議員であり、最後の戦前からの現役国会議員でもあっただろう)稲葉修久野忠治等大物議員の引退が相次ぎました。

39~41 原健三郎(1946~2000)当選18~20回


最後の明治生まれでかつ帝国議会時代からの国会議員でした。坂田の引退で当選回数は単独最多となったけど、1999年9月にそれまで三木が保持していた戦後における単独での最多当選回数保持期間を更新しました。(タイ含みでは星島の13年が最長)坂田の引退後もしばらくは同期の二階堂進も現役議員であり続けていたのですが、二階堂は途中落選(1953年総選挙)していたので惜しくも名誉議員にはなれないまま途中1996年に引退しています。ただこの人も、坂田の後釜で衆議院議長までにはなりましたが、所属していた中曽根派も比較的弱小な派閥だったからか党三役の経験は坂田同様ありません。

42 中曽根康弘(1947~2003)当選20回

ここで改めてその業績とか語るまでもないほどの大物ですが、おそらく最後の改進党・日本民主党在籍経験がある国会議員でもあったでしょう。重複比例立候補が73歳定年となってしまい、当時の小泉総理からも引退に追い込まれて56年、当選20回に渡った議員生活に別れを告げたわけですが、小泉政権以降の自民党、そして日本政治の変容を象徴させられた様な引退劇でした。しかし、昨秋の衆議院総選挙で初当選した孫の康隆氏がコロンビア大学院で次男の進次郎氏と同窓だったのは何かの因縁か。

43途 山中貞則(1953~90、1993~2004)当選17回

中曽根氏が最後の改進党・日本民主党在籍経験のある現役国会議員ならば、彼は最後の自由党在籍経験のある現役国会議員だったでしょう。(つまり、彼の死で保守合同以前に当選した現役国会議員は一人もいなくなった)中曽根氏に代わって最多回数衆議院議員となったけど、仲が悪く、1990年総選挙ではリクルートで一時離党した中曽根氏が当選したのに対し、閣僚経験も党務経験もやはり豊富だった彼が落選してしまったのは皮肉な明暗です。二階堂パターンと言うか、この時の落選のせいで、彼も名誉議員になる事は出来ませんでした。もし次の総選挙後の2006年まで存命だったら、当時の小泉総理との関係も良かったみたいだし、当選して名誉議員にもなれたでしょうが・・・・・・・・

43途~44 海部俊樹(1960~2009)当選15・16回

総理大臣としても初の昭和生まれでしたが、当選回数最多議員としてもまた然りでした。総理としては師匠の三木同様不完全燃焼のまま退任を余儀なくされてしまいましたが、自民が野党転落して55年体制が終わった後の非自民・非共産連立政権が8ヶ月で崩壊した後も総理になるチャンスがありました。首班指名選挙で村山富市氏にそれなりに肉薄し、自民からも何人かは造反して海部氏に投票した人(同じ派閥だった野田聖子氏等)もいたのですが、「福田赳夫以来の、退任後再就任しようとして結局実現できなかった総理経験者」(1979年の首班指名選挙で同じ政党ながらも大平正芳に肉薄する)となって、ルパン三世でもその関係を揶揄されていた小沢一郎氏とも新進党・自由党で同僚になる等政界渡り鳥の一人になってしまいました。その後現在の二階幹事長共々小沢氏とは袂を分かって、保守党・保守新党所属となり、吸収合併に伴って自民に復党したのですが、惜しくも彼も名誉議員にはなれませんでした。若い世代で海部氏を知っていてもそのルパン三世とかネガティブなイメージがどちらかと言えば強かったのも総理経験者ながらも落選してしまった原因になってしまったのでしょう。

45 小沢一郎(1969~)、羽田孜、森喜朗、渡部恒三(1969~2012)

4人中3人が経世会出身で西尾以来37年ぶりの非自民当選最多回数衆議院議員であり、森氏もその経世会(厳密にはこの当時既に平成研究会に改称)に擁立されて総理になった等結局全員その絡みでしたが、4人もタイで並びました。羽田・森両氏までで総理経験者の当選最多回数保持者はこれで6人になり、自分の派閥から自身を含めて4代総理を続けて出したが、15年ぶりに野党議員となり、結局そのまま引退した森氏に対し、他の3人は与党となった民主党内の長老またはキングメーカーとして一定の影響力を保持するかに思われました。

実際特に小沢氏は幹事長となり、しかし、これについても信望者を中心に陰謀説を主張する声も少なくはないですが、睦山会事件でまもなく辞任、その後の代表選では菅直人氏と争って、この時がかって神輿として担いだ海部氏の辞職以来の総理になるチャンスだったのですが、結局ここでも喧嘩してしまい、東日本大震災でも適切な対応を取れず、代表・総理どころか民主党員ですらなくなってしまいました。

46~ 小沢一郎(1969~)


民主党を追い出された小沢氏は国民の生活が第一党を立ち上げ、陸山会事件も何とか無罪を勝ち取り、しかし元々あったダーティーなイメージは拭えないという事で日本未来の党に合流し、滋賀県知事で、左寄りで、特に憲法改正では小沢氏と主張が違う筈の嘉田由紀子氏を表向きのトップに祭り上げました。合流時の議席数は61と決して無視できる勢力ではなかったのですが、今までも師匠の角栄や竹下登、金丸信に倣って宇野、海部、細川、羽田、鳩山各氏を裏から操り、権力に固執してきた小沢氏の手法はもはや有権者にはバレバレでした。兄妹みたいに歳が近かった真紀子氏も父の命日に落選してしまったのは皮肉でしたが、この2012年12月16日に実施された総選挙では日本未来の党は9議席しか取れなかった等希望の党なんか全然マシ(57→50で、後に前原誠司氏等が入党するが、次の総選挙では分裂しなくてもこの半分しか当選できないかもな)に見えるほどの惨敗を喫してしまいました。

それでも小沢氏自身は当選して、他の羽田氏ら3人は出馬しないで引退したので現在に至るまで単独の当選回数最多議員となったのだけど、ここでも嘉田氏と仲が悪くなって今度は生活の党に改称した上で森裕子氏を担ぎ上げるも、森氏は翌2013年の参議院総選挙で落選、2014年衆議院総選挙でも落選して、2016年の参議院総選挙で漸く国政復帰するも2014年の時点で政党要件を失った。すると今度は山本太郎氏と組む事になったけど、「生活の党と山本太郎と仲間たち」ってなんだかライトノベルの題名みたいな党名でしたね。(苦笑)

まもなく、自由党に改称して、一時無所属となっていた森氏も戻ってきた。山本氏も園遊会での手紙渡し事件や牛歩戦術等「?」な言動も目立つ一方、年末の炊き出しやその他富の再配分等を訴える政策には共感できる所もいくつもあるし、最近も参議院予算委員会では森友事件について追及していて、今日予定の名護市長選挙直前の応援演説も是非現職が勝利する様貢献してくださいですが、所詮は弱小政党、今後絶滅危惧種となりつつある社民党(かっての最大野党だったのに・・・・・・・)共々いかに国民の支持を広げていけるかですが、小沢氏は単独当選回数最多議員の名誉と引き換えに過去の人になってしまった。もはや。

さっきたまたまテレビで選挙区制の是非とかについてある専門家のおじさんが語っているのを目にしたけど、功よりも全然目立つ罪の内でも特にダメだったのは権力に固執して経世会を分裂させて、小選挙区比例代表並立制を導入してしまった事です。表向きは保守ながらも右派から中道左派までいろんな考えの人達を受け入れてきて、特に55年体制時は大半の期間で、世界基準なら中道(または中道左派。角栄や善幸とかはこれに該当すると思う)が主流になってきた国民政党であり続けてきたのが自民の一番良い点だった筈で、勿論バブル経済の崩壊やポスト冷戦下における国際勢力の複雑化等他にもいくつも要因はあるけど、民意が十分に反映されず、その素質そのものを疑わざるを得ない政治家を国会に送り込んで、特に小泉政権以降は右傾化(今の自民を中道左派なんて言っている連中もいるけど、バカも休み休み言えである。少なくともイギリスの保守党やドイツのキリスト教民主同盟、フランスの共和党よりも右だろうが。もしホントにそうならば私なんかバリバリ左翼だよ?)してしまって、本屋に嫌韓本とか嫌中本とかとかが所狭しと立ち並んでいるのも異常(だって、私だってこのブログでも随分前に韓国について捏造ばかりと非難した事もあって、正直K-POPゴリ押しとかも良く思ってないけど、殆ど中国・韓国の悪口なんて言ってないでしょ?言ったってしょうがないもの。異民族同士の憎しみを煽り、その異民族以下に自分を貶めるだけなのだから)だけど、近隣諸国との確執にも囚われて、一部の事実も全ての事実であるかのように歪曲するか、酷い時には嘘も平気で拡散する等他人を不快にさせる事しか能がないネトウヨ達が多数出現する等自分達の姿を鏡で見る事も出来ないほど政治家も国民も劣化してしまっているのです。

まあ小沢氏以前にも鳩山や角栄も小選挙区導入を目指していた事も無視できないし、小沢氏は直接的には親父の佐重喜の影響を受けたらしいけど、同じ権力闘争に固執していても、亡くなったばかりの人の事をあれこれ言いたくはないけど、野中広務氏については確かに他の自民ハト派政治家達共々中国や北朝鮮には甘かったし、ネトウヨ達なんか存在自体認めたくないだろうけど、少なくとも沖縄にも真摯に目を向けていた平和への願い、差別を憎み、社会的弱者への温かい眼差しを忘れなかった姿勢、そしてそれも持って日本の右傾化に一定の歯止めをかけてきた事は個人的にも評価してきたつもりです。

実際また、森氏同様裁判で揉めた事があった筈の噂の真相でさえ、引退時にはそれを惜しむ旨の特集記事を掲載していたのだけど、小沢氏は・・・・・・・・・・・まあまたクドクド言ってしまっているんでこれぐらいにしときますが、あと2年弱で小沢氏も名誉議員か・・・・・・・・・・・胸像とか正直勘弁してほしいですね。中国が反日国か否かとか中国や中国人に対する個人的な好悪なんか全く置いといても、天皇陛下を勝手に習近平国家主席に合わせた等の政治利用もしたしね。まあそれはともかくとして、この面々の中には総理にはなれなくとも、衆議院議長にはなれた人も何人かいるけど、今度機会がある時には歴代の衆議院議長についても語ってみたいと思いますね。

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2018/01/29

いっそこのままブラジルに永住する方がまだマシかもしれない(※2/6追記あり)

http://lite-ra.com/2018/01/post-3762.html
秋篠宮眞子内親王の婚約者である小室圭さんに対するバッシング報道が相次いでいる。25日発売の『週刊文春』(文藝春秋)と『週刊新潮』(新潮社)がそろって、小室さんの母親の金銭トラブルについて報じたのだ。

 小室さんの母親が当時婚約者だった男性(60代後半外資系商社マン)に小室さんの国際基督教大学(ICU)の学費やアメリカへの留学費用、アナウンススクール費用などお金を工面してもらっていたが、その後婚約解消。男性側は約430万円のお金を貸していたものだとして返済を求めたが、小室さんの母親は「贈与」だとして返済に応じていないという内容である。

 昨年末「週刊女性」(主婦と生活社)が12月26日号で報じたのが最初だが、それを一斉に「週刊文春」「週刊新潮」が後追いしたのだ。

 文春も新潮も、ほぼ同じ話が並んでいるのをみると、男性本人かもしくはごく近い関係者が証言していると思われるが、しかし、これ、本当にこんなに大々的に報道するような話なのか。

 まず、これはあくまで小室さんの母親のトラブルであって、小室さん本人とは何の関係もない。

 しかも、そのトラブルも報道の価値があるようなものとは思えない。男性サイドは「貸した」と言っているが、借用書が存在しておらず、ほんとうに借金かどうか疑わしい。実際は、婚約中、婚約相手の子どもに支援しただけという可能性のほうが高いのではないか。

 また、小室さんの母親とこの男性の婚約が解消されたのは、男性側が破棄したためで、むしろ男性側が慰謝料を払ってもおかしくない事案だ。それを後になって「あれは貸した金、返せ」というのは、何か裏があるとしか思えない。

 しかも、両誌の記事を読むと、小室さんが高熱を出した際に、病院まで連れて行ったことまで“足代わりにされた”などと、恨み言を述べている。言いがかりとしか言いようがない。

父親の自殺、母親の男性関係…小室氏バッシングの裏側とは?

「どうも婚約解消後、経済状態が悪くなった男性側が金の返却を求めたところ断られた。そこに、小室さんと眞子さまの結婚話が浮上したので、週刊誌に売り込んだというところじゃないでしょうか」(週刊誌記者)

 だが、週刊誌はこぞってこんなネタに飛びついてしまった。いや、今回の金銭トラブルだけではない。これ以外にも、家族へのバッシングは飛び交っていた。小室さんの亡くなった父親がじつは自殺していた(「週刊新潮」)、父親の自殺を苦にした父方の祖父も自殺した(「週刊現代」講談社)、母親が霊能者のような人と付き合いがある(「女性自身」光文社)、さらに今週発売の「週刊女性」は、小室さんの母親がこの商社マン男性以外にも彫金師男性と交際、同居していたなどと書き立てている。

 前述のように、今回の「週刊新潮」「週刊文春」の記事については相手の男性サイドがネタ元とみられるが、その他のバッシング情報のなかには、宮内庁や宮家、さらには政権周辺から出ているものもあるようだ。「女性セブン」(小学館)は宮内庁関係者のこんなコメントを掲載していた。

「幼少から眞子さまの成長を見てきた宮中関係者の中には、端から小室さんを結婚相手とは認めないという強硬な姿勢をもっている人も少なくありませんでした」
「小室さんについてのネガティブな情報が流されるのは、抵抗勢力が水面下で動いているからかはわかりませんが、何かしらの思惑が蠢いているのを感じます」

 実際、一連の母親の報道を利用するかたちで、官邸や旧宮家関係者が一斉に宮内庁に対して、「結婚を止めさせろ」「婚約を解消させろ」と圧力をかけ始めているという。

「新潮、文春が“これまで本人たち同士の気持ちを尊重してきた秋篠宮さまも今回はさすがに懸念を示している”という内容のことを書いていましたが、秋篠宮家にもさまざまなルートを通じて“結婚を止めさせるべき”という働きかけがあるようです」(全国紙宮内庁担当記者)

 こうした小室さんバッシング、結婚ツブシの動きはなぜ起きているのか。そこには、どうやらこの国の極右勢力の政治的思惑があるようだ。
眞子内親王と小室さんの交発覚直後から、ネットでは、「#眞子様婚約反対」なるハッシュタグまで作られ、「あんな素性のわからない人間が女性皇族と結婚しようなんておこがましい」「内親王の降嫁先としては胡散臭すぎる」などといった時代錯誤丸出しのバッシングが展開された。ちなみにこのハッシュタグには「#がんばれ安倍ちゃん」「#安倍総理支持」というハッシュタグが一緒に並んでいたり、アイコンに日の丸が使われていることも多く、安倍応援団やネトウヨがこうしたバッシングを煽動していたのは明らかだった。

 自民党政治家や保守系メディア、評論家なども「パラリーガルなんて一人前の男がやる仕事じゃない」「実際は皇室の金目当てなんじゃないか」などといういわれのない批判を浴びせていた。

 これらの攻撃が、安倍政権やそれを支持する極右勢力の差別意識に基づいているのはもちろんだが、もうひとつ、彼らを小室さんバッシングに走らせたものがある。それは、皇族の減少と皇統維持という問題だ。

 現在、天皇の孫世代の男性皇族は眞子内親王の弟である悠仁親王だけで、女性皇族がすべて結婚して皇籍を離れたら、最終的に悠仁親王だけになってしまい、その後の存続も危ぶまれる。

 そのため対策が断続的に議論されているが、代表的なのが、「女性宮家の創設」という案と、「旧宮家男系男子を皇籍復帰させる」という案だ。男女平等の観点からも「女性宮家の創設」には国民の支持も高いが、ミソジニーな日本会議や安倍首相をはじめとする極右勢力は男系の伝統にこだわりこれに強く反対し、「旧宮家男系男子の皇籍復帰」を主張している。安倍首相のブレーン・八木秀次氏などは、その変形バージョンとして「旧宮家男系男子と女性皇族を結婚させる」などという、個人の意志を完全に無視したトンデモ案を提案しているが、安倍首相も「旧宮家の男系男子孫と結婚する女性皇族がいたら女性宮家を創設してもいい」と同種の考えをもらした。

 こうした皇室存続をめぐる様々な議論のなかで、いずれの立場からも、ひとつのメルクマールとなると期待されていたのが、眞子内親王の結婚だった。しかし、眞子内親王はそのいずれの制度改革をも待たず、結婚して皇籍を離れることを決断した。しかも、その相手の小室氏は、ICUの同級生で、皇室と縁もゆかりもない存在だった。

 つまり、安倍政権や右派のなかには、この眞子内親王の決断に対する強い不満があり、それが小室さんバッシングに転化したということだ。

「そして、今回の母親の問題で、この右派の結婚ツブシの動きは一気に拍車がかかったということのようです。このまま、結婚話が本当に潰れてしまう可能性もある」(前出・宮内庁担当記者)

 眞子内親王には、こうしたグロテスクな政治的思惑など気にすることなく、個人の幸せを追い求めてもらいたいのだが……。

眞子さまが20年に結婚延期

 

秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さん=東京都港区の赤坂東邸で2017年9月3日、代表撮影

 宮内庁は6日、婚約が内定していた秋篠宮家の長女眞子さま(26)と法律事務所社員の小室圭さん(26)が、結婚を延期されると発表した。天皇陛下の退位や皇太子さまの即位などの皇位継承の行事が終了した後の2020年に結納にあたる「納采(のうさい)の儀」や結婚式を行う見込み。眞子さまは発表に合わせ公表した文書で延期の理由について「諸行事や結婚後の生活について、充分な準備を行う時間的余裕がない」と説明しており、宮内庁は「お二人の結婚の意思に変わりはない」としている。

 眞子さまと小室さんは国際基督教大学の同級生で、2012年に大学で開かれた交換留学の説明会で、近くの席に座ったことが交際のきっかけとなったという。昨年9月に天皇陛下がお二人の結婚を了承する「裁可」をされ、山本信一郎長官が婚約内定を発表。その後、お二人そろって記者会見に臨んだ。

 宮内庁が同年11月に発表していた結婚に関する儀式のスケジュールでは、今年3月4日に一般の結納に当たる「納采の儀」が秋篠宮邸であり、10月7日に小室さん側が結婚の日取りを伝える「告期の儀」、同月31日に眞子さまが天皇、皇后両陛下に結婚前のあいさつをする「朝見の儀」が行われ、11月4日に東京都千代田区の帝国ホテルで結婚式を挙げる予定だった。

 公表した文書は、小室さんの気持ちも踏まえて眞子さまがつづったという。「色々なことを急ぎ過ぎていたのだと思います。ここで一度、この速度が自分たちに本当に合っているのかを慎重に考えるべきでした」と記し、「予定を大幅に変更することは、私たちの結婚に快く協力してくださっている方々に多大なご迷惑とさらなるご負担をおかけすることとなり、大変申し訳なく思っております」と謝罪した。【高島博之、山田奈緒】


まあ本当なら破談になってほしいし、眞子さまの結婚したいお気持ちそのものを否定するわけではないですが、ひとまず朗報ですね。メーガン・マークルとやらも「それなりに社会的地位はある小室圭」に過ぎず、自身の離婚歴や兄貴の逮捕歴なんか小室氏にもないマイナス要素で、やはり肌の色なんか関係なく一般家庭でもお断りなレベルだろ、エリザベス女王は何考えているのかだけど、見様によっては小室氏チャンスですよ。これを機に、スウェーデンのダニエル公みたいに将来の天皇の義兄としても恥ずかしくない様な知性やマナー等を身につけて、大多数の国民に容認される様必死に勉強すべきです。ホントに愛があるのならそれぐらい苦でも何でもない筈。まあそんな事できるぐらいなら、そもそも学生の分際で眞子さまにプロポーズなどしないし、目立ちたがり屋でもある様だから猶更その様な根気等無いでしょうが・・・・・・・・2020年は東京五輪も予定されていて、まあこの年を境に日本はもっともっとダメになっていく可能性が高いでしょうが、そうならない為にも今後の皇室のあり方等皇族方々も改めて真剣に向き合い、これからも日本人の精神的支柱であり続けられる為の猶予期間であると認識すべきでしょう。

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2018/01/15

もし民進・希望政権ならば慰安婦問題に果たしてどう対応していたか

https://news.nifty.com/article/magazine/12210-20180115-11664/1
秘密外交〟の無残な結末、また韓国にだまされるのか 

(cielro/iStock)

 「盆と正月が一緒に来る」という言葉がある。新年を迎えた韓国が、まさにそれだった。1月9日に板門店で南北閣僚級会談が行われ、翌10日には、文在寅大統領が慰安婦問題での日韓合意に関して、あらためて日本に謝罪を求めた。「盆と正月」がいい形でやってくるならおめでたいが、残念ながら、そうはならなかった。とくに慰安婦合意についての大統領の方針には、常識ある国々、人々があっけにとられただけでなく、日韓関係がいよいよもって「マネージ不能」(河野太郎外相)に陥るという深刻な状況をもたらした。韓国は、しかし、そういう国なのだろう。誤解を恐れずにいえば、過去に同じ目にあっているにもかかわらず、また騙された日本政府の外交的失敗でもあった。韓国の非を鳴らすだけでなく、自ら反省することも必要だろう。

■理解できない「非公開」

 1月10日の記者会見での文大統領の発言、慰安婦合意検証に関する韓国政府の方針はすでに日本のメディアで報じられているので、その詳細を繰り返す必要はあるまい。

 それにしても驚くのは、先進国クラブ、OECD(経済協力開発機構)に古くから加盟し、世界で11位(2016年)の経済大国である韓国の指導者がいまだに前世紀の発想から抜け出せずにいることだ。絶望的なことだが、そのことを議論しても詮ないことなので、やめておく。

 むしろ釈然としないのは、こういう結末になることはわかりきっていたのに、〝秘密交渉〟を進め、10億円の拠出を余儀なくされた日本政府の甘い外交姿勢だ。
しかも、日本国民の税金から支払われたその拠出金は、すでに多くの元慰安婦や遺族に給付された後であるにもかかわらず、韓国側が〝凍結〟するという。日本側の意思が踏みにじられた形になってしまった。

 〝秘密交渉〟については、韓国政府が昨年暮れに公表した「慰安婦問題日韓合意検証報告書」で暴露された。

 報告書によると、局長協議が難航したため、谷内正太郎国家安全保障局長と李丙●(王ヘンに其)国家情報院長(当時)が別ルートでの非公開の交渉を展開した。最終的な合意内容についても、日本側がソウルの日本大使館前の少女像の撤去や第3国での像、碑の設置への善処、「性奴隷」という言葉を使用しないことを求め、韓国側は「適切に解決されるよう努力する」「韓国政府は支援しない」「公式名称は〝日本軍慰安婦被害者問題〟だけ」などと約束したという。

 慰安婦の象徴とされる少女像がソウルの日本大使館前に設置されていることは、外交官や外交使節団の身分を規定したウィーン条約に違反し、米国内などでの像設置は、日本に対する誤解を助長する結果になっている。日本としては極めて重大な問題であるはずで、それを非公開にしたという判断は理解できない。韓国は非公開の約束について何ら手段をとらずに放置しており、この部分が両国民にはっきりと公開されていたら、その後の展開は違ったものになったかもしれない。

 河野外相は、非公開部分が公表されたことについて、「両国首脳間の合意であり、正当な交渉を経てなされた。
合意に至る過程に問題があったとは考えられない」と説明しているが、いささか歯切れが悪い。
 
 日本側としてみれば、10億円で「最終的、不可逆的な解決」が実現するなら安いと考えたのだろう。しかし、そうだとしたら、甘かったという他はない。いや、日本政府は、いずれ韓国政府が問題を蒸し返してくることはわかっていたのではないか。しかし、慰安婦問題に固執していた当時の朴槿恵政権を宥めなければならなかったことに加え、北朝鮮情勢を抱えて日韓関係が不安定になることを嫌った米国から、さまざまな形での要請があったであろうことも想像がつく。やむをえず合意をはかった苦しい決断だったのかもしれないが。

■予想された結末

 2015年暮れの合意当時から、それを危ぶむ声は少なからず存在した。最初は歓迎しておいて、蒸し返されてから「それ、みたことか」と批判に転じる結果論とは違う。合意発表の翌日、15年12月29日付産経新聞の「主張」は早くも「本当にこれで最終決着か」という見出しで、「韓国側は過去、日本側の謝罪を受け、何度か決着を表明しながら蒸返した経緯がある」と強い懸念を表明した。今回まさに、それが的中したというべきだろう。

 こうした危惧を抱いたのは、ひとり産経新聞だけではあるまい。やはり日本が資金を拠出したアジア女性基金の教訓から、同じ轍を踏むのではないかとの懸念はあちこちから指摘された。

 アジア女性基金は村山内閣当時、戦後50年にあたる1995年に発足が決まった。
民間からの募金と政府の支出で50億円を超える基金を創設。韓国やオランダなど元慰安婦の女性たちに見舞金・償い金を支給する事業だったが、韓国では、慰安婦支援団体などが「日本の責任回避のためのまやかし」などと反発、元慰安婦に受取り拒否を説得した。一部支給を受けた人たちもいたものの、韓国内で反発が高まっただけで、何ら問題の解決につながらなかった。

 今回、日本が拠出した10億円について、2018年1月9日の朝日新聞夕刊は、17年末の時点で、健在の元慰安婦47人のうち34人に各1億ウォン(約1000万円)、亡くなった199人のうち58人の遺族に各2000万ウォンを支給する手続きがとられたと報じている。

 それを中断して、資金を凍結するというのだから、元慰安婦や当事者以外の意思によって事業が挫折するという意味では、アジア女性基金とまったく同様だ。

そうね、まあ途中で終わってるけど、この記事の書いてある事は概ねは同意ですね。「誰かの妄想」ブログ主のscopedog氏はウィーン条約に従うのなら、裏合意自体無効だろとか言ってましたが・・・・・・・・・・・後からなら何とでも言えるけど、これで解決するとかは全く思っていませんでした。文在寅大統領のあの「演説」も、言ってた事自体は間違いではないし、日韓両国の一番の不幸は韓国初代大統領が李承晩だった事で、確かに他の某ツイッターが言った通り未だ支持率60%強もあるのだから人気取りとかとは関係ないのだろうけど、正直「反日教育続けている国なのに何そんな白々しい事言ってるの?」でした。

http://scopedog.hatenablog.com/entry/20140412/1397236574

しかし、特に日露戦争後、政治家も軍部もマスコミも国民も皆皆自国の国力を過大評価する様になり、いつまでも恨まれる筋合いもなくとも実際そうした植民地インフラ整備したのは何も日本に限った事では無かったのですが、朝鮮統治も結局大赤字だったのに身の丈不相応な大日本主義に走り、それで現政権も美化したがっている明治維新の成功が全くチャラになったわけでもなかったけど、結果戦争となり、数多くの不幸を生み出してしまったのです。そうした戦前日本の失敗とその反省は今後も決して忘れてはいけないのです。それは中国や韓国が特にネトウヨ達に死ぬほど嫌われる様な国(私も中国の覇権主義や、TWICE等のK-POPゴリ押しとかは正直嫌ですよ。韓国人歌手もそれなりに好きな人はいますが・・・・・・)であるか否かや南京大虐殺や慰安婦の強制性とかの有無とかとも全く関係ないです。

最近も何度も紹介して、この「誰かの妄想」上記エントリーでも紹介されていた木村幹氏曰く、「朝鮮人対象では証拠は無かったが、認める事ありきだったので、それ以外に対象を広げ、結果河野談話は連合国の戦後処理に関わる問題にまで発展してしまった。」との事で、確かにそう考えると納得はいくのですが、太平洋戦争もどんなに目的を「アジア解放の為の聖戦」とか都合の良い様に正当化しても、それが結局大きな失敗の原因の一つとなった筈だったのに、そういう「事なかれ主義」で相手を怒らせない様穏便に済ませようとしたのはやはり拙かったです。

「朝鮮人」慰安婦(他の地域での強制性は私も決して否定しないです)強制性は否定した上でも、過去の不幸を認識し、忘れないで今は違う姿を示した別の河野談話を示せたはずですが、結果河野談話は当時の宮澤喜一総理が官房長官時代にも打ち出した近隣諸国条項共々、その後の情勢も良くなかったけど、反動で新しい歴史教科書を作る会や中国・韓国へのヘイトスピーチ、もっと極端な例では森友や日本航空学園等の天皇制ファシズムの亡霊等何とか日本国内では騙せてネトウヨ達を生みだせても世界では通用しない歴史修正主義を蔓延させてしまったのです。結果的に。

安倍政権が今年2018年にプロパガンダとしている「明治150年」も勿論その歴史修正主義の一環であり、側近の萩生田副長官の「70年以上前の事をいつまでもあーだこーだ言われるのはおかしい。」という様な弁も、「あんたや稲田朋美みたいな『日本常に正義で美しい!!』な妄想ファンタジーしている政治家やその政治家を選挙で選ぶ国民がいて、一部他国国民の不信を抱かせるからだ。あんた達さえいなくなれば問題は解決する。」だけど、安倍総理も・・・・・・・・・・

「ここで金さえ払ってやれば、今度こそいい加減黙るだろう、つーか黙れ。」な意識も間違いなくあったのであろう事なかれ主義もそうで、憲法改正(9条改正も個人的には必要だと思うが、もっと右から真ん中に戻らない限りは国民投票実施しても絶対に賛成票は投じない。これも前から言ってきたことだが、安倍政権にやらせるぐらいなら私は9条を護るつもりである)や北方領土もそうだけど、身の程知らずに自分の「遺産」、「実績」作りしようとして却って墓穴を掘っている様に見えます。その「実績」の一つの筈だった北朝鮮問題も、北朝鮮にとっては全くのアウトオブ眼中な筈のバルト三国まで行って「圧力」云々って、これじゃあ朴槿恵氏の告げ口外交も笑えないね、ロシアとは仲悪いのにこれで北方領土も解決なんてますます無理だなだけど、杉原千畝氏を称えたのも他のツイッターとかでも散々突っ込まれていた通りスゲー違和感ありましたね。安倍総理が当時の日本政府の立場なら絶対杉原氏を迫害する立場になっていただろうに。ちなみに杉原氏を死後名誉回復させたのは、ネトウヨも含む右翼・保守の人達が存在自体認めたくないであろうその河野洋平氏(当時は森内閣下で外務大臣を務める)である事も強調させていただきます。

平昌五輪開会式に出席しないのも、勿論慰安婦問題がそこまで大きくなってしまったのは安倍総理の責任ではないけど、その是非はともかくとして木村氏が指摘した通りとなっていて、世界でも特にフランスのル・モンド紙にもその歴史修正主義ぶりとか批判されているのに歴史問題を持ち出すのは絶対日本にはプラスにならないです。そんな東欧に行っている暇があるのなら、平昌だけじゃなくてICANにも会いなさいよだけど、前にも言った通り、日韓両国はお互い何を望んでいるのか?たとえそれが完全に同じじゃなくてもどこまでなら妥協できるのか?そしてこれからどうすれば良いのか?もう一回だけで良いから必要あらば首脳会談やって、もう言いたい事話し合いなさいよ、多分韓国政府はOK出しても慰安婦団体とかは容認せず、蒸し返してくるだろうけど、金だけじゃない他にやるべき事やって、真摯に過去の失敗や不幸を反省して、今までとは違う姿を示す事が出来れば、もう韓国が何言ってきても動じる事ないじゃん。世界にも態度で語れるじゃん、そうした反省なしにまた謝罪や金払ったってまたゴールポストが動くだけだよですが、これがもし民進・希望政権ならばどう対応できたのですかね?

中国には私から見ても態度が甘いと感じられる岡田克也氏すら、この慰安婦問題における韓国政府の対応には「残念」な旨の発言していて、ヤフコメ等同様ネトウヨ達の巣靴と化しているBLOGOSの住民達(だから、もう何言うか分かり切っているし、一々真面目に見ないけど、運営会社は韓国系のIT企業なのもご存じなのだろうか?まあネトウヨってホントは中国・韓国が大好きなのだろうけど)からも意外がられていたほどだったけど、安倍政権が身の丈不相応に実績残そうとして却ってどれも墓穴掘っているのが目立ってきていてもこの民進・希望が特に憲法改正や安保問題では意見の隔たりもあるのに数合わせしているのだから楽だよね~

希望なんか一時自公を過半数割れに追い込みそうな勢いだったけど、これで来年の参議院総選挙や次の衆議院総選挙では選挙区・比例共に消去法ながらも共産党またはその擁立候補に票入れられますね。(昨秋衆議院総選挙では小選挙区では共産候補、比例代表では仕方ないから自民に票を入れたけど、自民またはその擁立候補に票を入れたのなど片指で数えられるほどの回数しかないです)

おっと、その前に今年12月に茨城県議会選挙が予定されていて、現在民進党は4議席得ていますが、いい加減希望を乗っ取ろうとなんかしないで解党して立憲か希望か維新か行きたい方に行けば良いじゃない。まあ希望はさらに小池百合子氏に思想が違い人とそうでない人で別れた方が良いよ、でもそれ以前に他主要国でも失敗している水道民営化は下手すれば小池氏の都政生命を絶つ事になってしまうだろうねえだけど、岡田氏や野田佳彦氏みたいに無所属の会に所属している人もいる。

彼らはどうするのだろうねえと思いきや、茨城県議会のドンだった山口武平氏との確執で自民に復党できず、かっての派閥仲間だった二階幹事長の派閥の特別会員だった筈の中村喜四郎氏(国会議員としては二階氏の方が後輩)もその無所属の会に入会したらしい。リーダーの岡田氏とも派閥の先輩・後輩だった喜四郎氏には息子がいて、親父は無所属でも後援会等強力な地盤があるから選挙に強いけど、息子もそうだとは限らないし、ゲンダイでも指摘されていた通り、喜四郎氏ももう70近いから息子に地盤譲るのも視野に入れているのでしょうが、同じ茨城7区の自民政治家には永岡桂子氏がいるし、彼女が現役な内は自民入党も無理だろうから喜四郎氏の息子は民進党から公認を得るつもりか?実際無所属の会って民進党の政党交付金を受け取っていて、会の定例記者会見とかも民進党本部で行っているらしいし。

しかし、某サイトで画像見て、まあこれも何度も言っている通り基本政治家には容姿の良し悪しは求めませんが、喜四郎氏の息子はそこらへんに良そうな兄ちゃんな印象で、親ほどのカリスマ性とかは感じられないですね。それ以前に小沢自由党を取り込んだり、維新分裂組を取り込んだり、今度はかっての仲間達(そうでない人もいるが)でも右寄りな希望を乗っ取ろうとしたり等消滅しそうでしない民進党ですが、息子はゼネコン汚職でミソをつけてしまった親父以上の出世が出来るのだろうか?いずれにせよ、何故か日本航空学園問題も報道されず、だからと言って森友・加計問題みたいに野党が決定的な証拠を示せないで、なのにいつまでも追及に血道をあげているのも考えものですが、いい加減安倍政権に代わる選択肢を見出さない事には日本国内ではネトウヨとか味方を増やせても世界ではそうした歴史修正主義等通用せず、慰安婦問題もまた「恥を知りなさい」とか言われて慰安婦像を建てられて、却って自分で自分達を貶めるだけだし、どうしようもないですね。

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2018/01/03

小沢一郎最大の失敗

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180102-00000026-mai-pol

<小沢氏>野党結集に意欲

1/2(火) 19:27配信    

    

毎日新聞

 自由党の小沢一郎共同代表は1日、東京・世田谷の私邸で恒例の新年会を開いた。小沢氏は「今年はしっかりとした野党結集・連携を実現したい」と述べ、来夏の参院選に向け、野党勢力の結集を目指す考えを強調した。「安倍政権は1強と言われるが、その基盤は非常に脆弱(ぜいじゃく)だ」とも指摘し、参院選で野党が共闘すれば勝利は可能だとの認識を示した。会合には自由党、立憲民主党、希望の党の国会議員、前議員ら約40人が出席した。

小沢一郎氏と言えば、やった事の1つとして中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への選挙制度「改革」が挙げられるけど、これがもしドイツ等が採用している、比例代表併用制だったならば第41回(1996年10月)以降の衆議院総選挙はどういう結果になっていたか、乏しい想像力でシュミレーションして見ます。(※3月6日追記・・・・ドント方式とか政党名簿とか全く考慮していないので100パー正しい数字ではないでしょうが、極端な大きな違いも無い筈です。多分)

第41回(1996年10月20日実施)

自民 175
社民 28
さきがけ 2(与党205、過半数割れ)
新進 150
民主 88
共産 60
民革 1
無所属 9
合計 513

ハイ、自社さ過半数割れですね。新進も史実よりは議席若干減っているけど、そもそもこの連立政権って自民党内でも反対意見も少なくなく、小沢氏の操り人形1号(ルパン三世でもパロられたほど)だった海部元総理も離党して、首班選挙で村山富市氏に僅差に迫った程だったのだけど、自民と新進の保保連合がホントに実現していたかもしれないですね。新進・民主・社民の連立はちょっとなかったかもしれない。何故ならどうやら小池百合子氏の専売特許ではなかった様だけど、民主党はさきがけの武村正義氏や社民の村山氏等何人かの幹部の入党を拒否していたからで、排除の論理と評されたほどだったからです。それなら自民・民主連立の方がまだいくらか可能性あったかも?いずれにせよ、大揉めに揉めて、何とか実現して、消費増税も5%ではなく10%増税が実現しても史実通り翌1997年末に新進党は解党、自新連立は1年少ししか持たず、公明党の再結成は史実より早くなり、そのまま自民・自由・公明の連立政権になっていたかもしれません。(しかし、前述通り新進党も史実より議席少なくなっているから、過半数取れていたかも微妙かもしれず、さきがけもそのまま閣外協力の形でも連立に加わっていたかも)

第42回(2000年6月25日実施)

自民 177
公明 64
自由 55
改ク 0
民主 125
共産 53
社民 40
自連 1
無所属 15
合計 530

比例代表での議席率を元に計算すれば自由48、保守7だけど、前回時点で自民は史実より大きく議席減っていて、自由・公明両党(共に史実での結党または再結党時の衆議院議席数は40少し)と合わせてやっと過半数取れたほどだったから何とか小沢氏とも妥協して自自公連立は続いていたかもしれません。

当然保守党の結成も少なくともこの時点ではなかっただろうし、実際また、森喜朗氏は日経新聞「私の履歴書」によれば小沢氏とも、少なくとも消費税や憲法改正とかでは話が合っていた様ですが、翌2001年に小泉純一郎氏が史実通り総理・総裁になっていたらどうなっていたか。田中真紀子氏は外務大臣として無能ぶりを露呈するまで利用して、人気があったのは同じだったけど、師匠同士が政敵でしたからねえ・・・・・・・・・・・・・そのまま小沢氏と組む事は無かっただろうと言うか、結局は小沢氏に不満を持っていた連中に森氏共々工作する等して自由党は保守党と分裂、史実より遅かったながらも自公保連立政権となって、小沢氏は5年ぶりに野党議員になっていたかもしれません。

第43回(2003年11月9日)

自民 184
公明 67
保新 4
民主 192
共産 24
社民 13
無所属の会 1
自連 1
無所属 11
合計 497

自公保で何とか過半数取れていた有様だったから、43回総選挙の実施自体が史実より若干早くなっていたかもしれません。前年秋に小泉総理が訪朝した直後あたりだったかもであり、共産・社民も惨敗となってますが、結局は現状より微増にとどまっていたでしょう。しかし、第一党が民主と史実より6年早く非自民政党となっているのは史実と大きく異なります。

小沢氏と公明党・創価学会の関係は少なくともこの時点では悪くはなかった様で、93年非自民・非共産連立政権でもその後の新進党でも組んでましたが、パイプ役だった故・市川雄一氏はこの選挙には出馬しないで引退しています。市川氏は引退してからもしばらくは名誉職に就いていて、どれほど影響力があったかは知らないし、史実の45回の自民大敗でもいくらコバンザメだとは言え見捨てたりはしなかった(都議では小沢氏らの悪い所ばかり受け継いだ小池氏の都民ファーストと・・・・・・でしたが・・・・・・・)からまあ可能性は高くはないでしょうが、これが、もし民主が公明との連立を持ちかけて実現していたらどうなっていたか。

小沢氏ならやりかねないと言うか、もし民公連立政権が実現していれば、9月に総裁に再選されたばかりの小泉氏は総理も総裁も辞任、清和会政権は3年強で終了、新総裁は橋本龍太郎氏か亀井静香氏(高村正彦氏も可能性あったか?)になっていて、当然次の44回郵政選挙及び郵政民営化もなければ国民新党の結党や安倍晋三氏の総理就任(幹事長もこの時点でクビで、総理どころか大臣にすらなれなかっただろう)もなかったでしょう。当然日本の右傾化も史実ほどは酷くならなかった。(橋龍氏だった場合は日歯連献金事件もあって、結局与党復帰できないまま総裁途中退任になっていたかも。でも、だからと言ってその後は野党転落の戦犯となった小泉氏の再登板はないだろうし、麻生氏も史実ほど閣僚経験なかったから、高村氏か平沼赳夫氏あたり?しかし平沼氏も小泉氏以上にタカ派だし、やはり高村氏が総裁に就任して、与党復帰も2007年に衆参同日選挙で勝利して果たせたか?堀内光雄氏は2003年総裁選時点では親小泉派だったから総裁就任の可能性は低かっただろうが、分裂していた宏池会も史実より早く合流していただろう)小沢氏の動き次第でこの年以降政局が大きく動いていた可能性があります。

運命の分かれ道だったと言うか、実際また、45回以降は史実と大きな変化はない(ただ、民社国連立政権はこの3党揃ってやっと過半数だったので、社民の離脱で少数与党となり、次の46回選挙及び自民・公明の与党復帰がもう少し早くなっていた可能性はある)のですが、選挙制度改革するにしても小選挙区比例代表併用制ではなく並立制にしてしまったのは小沢氏、そして平成日本最大の失敗だったと改めて認識せざるを得ません。実際ドイツでは連立政権になる事が多く、最近のメルケル政権もキリスト教民主同盟は連邦議会では単独で3割しか取れてなくて、なのに自民党や緑の党との連立交渉が決裂して、どうする?アイフル?ならぬどうする?メルケル?なのも道理でですが・・・・・・・・・

結局民意が十分に反映されない、自民に有利な制度になっていて、それだけならまだしも色々な考えの人達を受け入れて、野党がダメ(実際そうだったのだけど)でも派閥同士が切磋琢磨して疑似政権交代は出来ていたのが自民の良い所だったのに党執行部の権力が強くなって、逆らえなくなって、派閥間での勉強も十分に出来ず、適性を疑ってしまう様な議員も粗製乱造し、彼ら共々却って日本や日本人を貶める事ばかり(だって、あの沖縄米軍ヘリ事故も代表作が数回イケメン俳優を主役に実写化されている作家まで一緒になって小学校や児童を中傷している有様だけど、こいつらのどこが愛国者なんだよ?日本の左翼も確かに特有のおかしい所はあるけど、右翼も、他の何処の国に金も2000億強ももらっている外国駐留軍の方を擁護して、被害者は口汚く中傷してる奴なんかいるんだよ?)やっている「無能な働き者」ネトウヨもはびこって右傾化が進んでいる有様なのです。だから小沢氏がやるべき事は野党共闘とかそんな絵空事を唱えるのではなく、選挙制度の再改革という自分が犯した失敗の尻ぬぐいを自分でやる事ですが、あと少しで名誉議員にはなれてももはや過去の人な彼にそんな大仕事なんかはもう望めないでしょう。

自民を出てからも93年非自民・非共産連立、99年自自公連立、民自合流からの2009年民国社連立と3度与党の立場になったのは流石と言った所で、その後コンビを組んだ山本太郎氏も年末に炊き出しとかボランティア活動しているのは普通に賞賛に値するし、彼の弱者への再配分とか一部主張も共感は出来るのですが、もう4度目は無いでしょう。それでも、毎日新聞は特に眞子さまの婚約報道をきっかけにした女性宮家創設議論とか皇室関連での偏向報道も朝日より酷かったけど、朝日共々とにかく安倍政権倒したくてしょうがなくて(劣化噂の真相なリテラもその憎しみは彼らのさらに何倍も凄い様ですが)、その後の事なんかは考えていないから、小沢氏がそんな過去の人になっても藁をもつかむ思いでまだ一種の幻想を抱いているのでしょう。

いずれにせよ、ウーマン村本氏もそんな悪い見本みたいになってしまった(まあそのリテラの言う通り三浦瑠麗氏も薄っぺらくて中身がないと言うか、正直最初見た時から「何故この程度の人物が専門家づらしてテレビで分かった様な口きいてるの?」で、好印象なかったけどね。ヘンリー王子婚約相手のメーガン・マークル氏もそうで、実際彼女の素性も調べてみたらやっぱ「一般家庭でもお断りです」な小室圭氏と50歩100歩なレベルだから私の直感にはやはり間違いはなかった)けど、まず左翼の人達もガラパゴス化を克服し、決別しない事にはなかなか事態は改善しないと思われます。勿論他にも覇権主義を露骨に押し出している中国とか世界情勢の変化とかいくつも要因はあるけど、左翼の人達のそういうダメな所ももっとダメな人達を生み出して、本当だったら過去の戦争による悲劇とかもう謝罪なんかしなくてもいい筈なのが改めて深い反省しなければいけない有様になっているのです。日本国内ならまだしも、世界相手にやれ「南京大虐殺は無かった」とかやれ「慰安婦の強制性は無かった」とかそんな歴史戦なんかやったって勝てる筈ない、また「恥を知りなさい」とか言われて慰安婦像を建てられるだけで逆効果です。勿論中韓の言い分を一方的に受け容れるつもりはないし、残念ながら彼らとはしばらくは必要最小限のお付き合いにとどめるしかないのだろうけど、そんなのはホントに大事な事と比べたら憲法押し付け論共々小さい話に過ぎないのです。

【以下3月31日追記】

選挙結果シュミレーションだけど、ドント方式とか議席の配分方式とか全く考慮していなかったので、ドント方式でやり直してみました。

第41回


自民 169
社民 32
さきがけ 5(与党206、過半数割れ)
新進 141
民主 81
共産 65
諸派 12
無所属 9
合計 514

第42回


自民 177
公明 62
自由 53
改ク 0
民主 122
共産 54
社民 45
保守 7

自連 5
無所属 15
合計 545

第43回

自民 168
公明 71
保新 4
民主 180
共産 37
社民 24
無所属の会 1
自連 1
無所属 11
合計 497


まあ大きな変化とかは無いですね。同じ選挙制度(小選挙区比例代表並立制)を採っている国は日本以外にもいくつかある様ですが、ロシア(2016年より)も日本同様一強多弱状態で、最大野党がかっては政権与党になった事があった(日本の場合は民進党は周知の通りですが・・・・・・)のとか似ている様ですね。またハンガリー(一院制)では小選挙区176・比例区152の各定数以外にも前者の死票と後者の余剰票を考慮した補償議席が58存在するらしいですが、日本もせめてこれぐらいの選挙制度改革はすべきでしょう。まあ党執行部の権力が強いのは変わりないし、民進もまた希望との合流を模索する等どうしてこの期に及んで自分達の立場が分かってないのよ、どうして森友で政権交代は無理(本来ならなされなければいけないのだけど)でも安倍退陣に持ちこまなければいけない時にそうやって敵に塩を送るのよですが・・・・・・・・・・

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2017/12/25

もう一度ポリティカルコンパスで診断、そして・・・・・・・・・

http://sakidatsumono.ifdef.jp/draft3.html

自分はこのポリティカルコンパス最新版で診断したら政治的には中道寄りの保守な診断(政治1.0強、経済-3後半程度)な出ましたけど、もう一度やってみました。その結果は・・・・・・

20171225

見えづらいけど、「政治-0.2、経済-3.7」のリベラル左派でした。しかし、政治はかなり0に近いので実際の私は保守左派ではなく、やっぱ中道左派なのでしょう。ネットでも政治家達をこうしたポリティカルコンパスに当てはめたページ見られるけど、日本の政治家ならば大平正芳氏、鈴木善幸氏(後者は社会党にも在籍経験がある。どうりで倉山満氏も目の敵にするわけだ)、それに田中角栄氏等55年体制自民の保守本流面々や鳩山ルーピー、海外ならばヘルムート・シュミット氏やフランソワ・ミッテラン氏に考えが近いらしいです。でも、大平、鈴木両氏については「自民だったら宏池会に思想近いだろう。」と思っていたからまあ納得(宮澤喜一氏は政治は私よりもう少し左寄りで、経済は真ん中寄り。枝野幸男氏も「30年前なら・・・・・」とか発言したらしいけど)ですが、鳩山ルーピーは、私は彼ほど親中とかではないのだけど・・・・・・・・・

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

そしてある人のブログからこの政党座標テストというサイトも見つけて、早速診断してみましたが、その結果は・・・・・・・・・・・・・

Photo

どちらも真ん中には近いけど、私は社会自由主義及び社会民主主義者との事でした。画像のポリティカルコンパス、上が私が診断した結果で、右がアメリカの歴代大統領(と有名経済学者)の思想を現したものですが、大統領ならば私はビル・クリントン氏が一番近いらしい。息子の方のブッシュ氏とレーガン氏とは全然違うのは予想通りでしたが・・・・・・

https://www.politicalcompass.org/

Photo_2

そしてさらに本家ポリティカルコンパスの方でも診断してみたけど、経済も社会もやはり真ん中寄りながらも左でした。アメリカ国民だったら私は間違いなく民主党支持者なのでしょう。サンダース氏に大統領になってほしかったのですけどね・・・・・・・・・・

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2017/11/27

まあ彼女も「人生の師匠」だよ

https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-2017112700675/

細野氏、野田前首相に謝罪=排除は「小池氏指示」と釈明

 

 

 衆院会派「無所属の会」の野田佳彦前首相は27日付の自身のブログで、希望の党の細野豪志元環境相から衆院選前に希望への公認申請を辞退するよう促されたことに関し、細野氏から「大変失礼な発言をしてしまい申し訳ありません」と謝罪されたことを明らかにした。
 細野氏は衆院選での公認について、野田氏らを念頭に「三権の長を経験した方々は、ご遠慮いただく」と発言。野田氏は無所属で立候補した。野田氏によると、細野氏は1日に衆院本会議場で謝罪し、「上からの指示でやむを得ず(言った)」と、排除は代表だった小池百合子東京都知事の意図と釈明したという。
 野田氏はブログで、小池氏について「『寛容な保守』という(希望の)看板は偽りであり、極めて非寛容で排除の論理を振りかざす人物だった」と批判した。 

リテラでは特別顧問と言う名の「党内上皇」に就任した小池百合子氏は側近の某産経OBを事務局長、自分の手足として院政を図っていると書かれていて、プレジデントオンラインでは憲法改正の見通しについて、希望の党もリベラル旋回する事は無いだろうと書かれていましたが・・・・・・・

前者もホントに玉木新代表に直撃したのかですが、後者もリベラルか保守かどちらに旋回するかじゃなくて、分裂しないで一枚岩でこれからも団結していけるか?じゃないの?憲法改正してほしいと望むのは勝手(でも、押し付け憲法ガー、北朝鮮の脅威ガーとか言っている人達、国内の左翼のダメぶりや中韓とか近隣諸国に対する好悪とかGHQによる「洗脳」の有無とか取りあえず置いといてよーく考えられた方が良いです。今実際、安倍自民が進めようとしている憲法改正は誰の為にやろうとしているのか?彼らにとって特に自衛隊明記は何を意味しているのか?本当だったら何の為にしなければいけないのか?そもそも憲法とは何なのか?という事を!!私も憲法改正の必要性自体は否定しないけど、これまでのそうした憲法改正についての動向だけじゃない、そうした自問自答もすれば答えはすぐ出てくるんじゃないの?と個人的には考えますが・・・・・・・・・・)だけど、論点ズレてるよね~これだったら私の方がまだマシな記事書けるんじゃないかなあ~でしたね。正直な話。

だからこそ、猶更こういう見当はずれな記事とかも空しく響いてくるのだけど、細野氏のこの謝罪も責任のなすりつけ合いかよと言うか、たとえホントにそうだとしても口に出す事では無いでしょう。細野氏も細野氏だけど、小池氏もですね・・・・・・・・・・・

先の衆議院総選挙で思ったほど議席を得られなかった事からして仲間達から非難されていて、直後代表を辞めたのも「投げ出した」とか非難されていたけど、自分達だって小池人気に便乗してきたくせにこれではマトモな神経の持ち主なら誰でも怒るでしょう。

しかし、小池氏その人も、都民ファーストからも典型的な太鼓持ちかと思われた音喜多氏らに離脱されただけでなく、そうやってリテラも指摘した通り表向きは都政に専念しつつ、かっての上司の一人だった小沢一郎氏の手法もまねて院政敷いたと思ったら今度はこれですものね。あの小池人気も何だったんだろうか?どれほど人望無いんだよ?と。

ホントに小池氏が日本初の女性総理も目指せるほどの逸材ならば、かっての小沢氏みたいに自民を出ていく事になってもついてきてくれる仲間が何人もいた筈です。でも、どうやら全然そうではなかったのだから、そもそも絵に描いた餅だったのだろうし、何度もクドクド言う事では無いけど、排除発言した事じゃなくて民進を取り込もうとしたのが後々もっと大失敗だったと痛感せざるを得ない事態になりそうです。これでは。

失礼ながらお歳もお歳ですし、焦っていたのだろうけど、ブログ「中韓を知りすぎた男」とかでも指摘された通り、左翼(もっと正確には当時の民主党内の旧社会党派)を取り込んだつもりが逆に取り込まれた小沢氏の失敗もどうやら小池氏には見えていなかったのでしょう。元々他にも細川氏や小泉氏等過去の上司達の悪い所ばかり受け継いでいる彼女なのだから当然と言えば当然なのですが、前にもこれも言った通り、たとえ最初は小勢力でも自分と思想が近い人達だけでまず選挙を戦い抜いて足がかりを築く。そして1期でも東京都都知事として合格点を付けられる成果を残して、1期満了後に実施される衆議院総選挙を迎えるにあたって前原氏なり細野氏なりと堂々と代表選挙で党員達の信を問うて戦い、代表になったらもう一つの保守として自分達は何をしたいのか?何が出来るのか?東京都都知事の実績も下地に、特に保守だけど自民は嫌いな人達に真摯に訴えかけていけばその時には総理は安倍氏じゃなくなっていて、憲法改正も実現されている可能性も無いとは言い切れないけど、衆議院総選挙でも第一党は無理でも自民・公明を過半数割れに追い込んで公明に変わって連立政権のパートナーになれたかもしれない。もっと上手くいけば、かって自民や新党さきがけと連立組んだ時の社会党、村山富市氏みたいに自民から総理の座もホントに得られたかもしれないのです。希望小池一派の方が公明よりも全然右旋回中の自民と思想近いのだし。

しかし、結果は希望は周知の通りで言われているほどの惨敗ではなかったけど、結局一番得したのは希望・立憲民主に別れながらも、旧民主党政権時代を中心としたマイナスイメージをある程度は払拭して、総合的に得票数も増やした旧民進の連中でした。そして都政でも、まあ中道主義とか尤もらしい事言っていても本音は勝ち馬に乗るのが一番彼らにとって大事なのだから「らしい」と言えるのですが、公明にはそっぽを向かれ、葛飾区議選でも都民ファーストからはたったの1人しか当選者が出なかった等さすがに都民もそこまでバカじゃないのか求められるハードルまで高くなってしまった。丸出だめ夫の主題歌にもなった「365歩のマーチ」でも「三歩進んで二歩下がる~♪」ってあるけど、小池氏の場合は「一歩進んで十歩下がる~♪」(いや、もっと下がったか?)有様になってしまったと言えるかもしれない。

遅くともこのブログでは今年1月末以降度々彼女を叩いているけど、小池氏もまた、私にとっては人生の師匠でもあります。何故ならば、「女性が男性と比べて必ずしも能力が劣っているからダメなのではない。能力が劣っている女性ばっか有権者が何か人気投票とかと混同して選んでしまうのがダメなのだけど、今までの不幸な歴史にも囚われて、行き過ぎた平等主義に走って女性に幻想を抱き、特別視して身の丈不相応な地位に就かせる事は社会の不幸になるだけでなく、全世界の女性達を却って貶める事になるんだ。」という事を彼女が特に政治家として身をもってトップクラスの手本となってくれたからです。

そういう意味では小池氏が落ち目になってきた途端、禊が済んだと言わんばかりにしゃしゃり出て彼女を批判しているのも分かりやすいと言うか、典型的な小者の所業ですが、東京都都知事選直前よりももっと前から佐高信氏等(噂の真相で連載していた「筆頭両断」でも「舛添の様な男と結婚してしまった事への御悔やみと本性に気づいて離婚した御祝いを申しあげる。」という様な痛烈な皮肉まで浴びせた)からはその偏った女性観を批判されてもいた舛添要一氏も自身も小池氏とはまた別の性質での反面教師になりながらそうした愚も発信する片棒を担いだとも言えたでしょう。

いずれにせよ、希望がこの先いつまで何とか分裂しないでやっていけるか?3年持てば良い方じゃないの?だし、もはや政治家としての実務能力とかは期待していませんが、悪い事は言わないから小池氏は国政にも手を出すにしてももう一度自分達と思想が近い人達とだけで一から出直された方が良いと思います。繰り返し失礼ながらたとえある程度以上ゴールが見えてきた時の年齢が何歳になっていようがです。失脚経験もあった大隈重信だって鄧小平だって70代後半で最高権力者になっていたのだし。(大隈は、正確にはそれ以前にも短期ながらも隈板内閣を築いていたが)小沢氏や細川氏だけじゃなく、私は彼についてももう当時から郵政民営化には疑問を抱いていたし、あの郵政解散後の2005年衆議院総選挙でも自民などには票入れなかったけど、小泉氏だって総理・総裁退任後僅か1年足らずで自民は参議院選で大敗してねじれ国会となってしまって、3年後には二度目の野党転落となってしまって、それが森友・加計学園問題(特に籠池氏なんて天皇制ファシズムの亡霊じゃん)も引き起こした日本の右傾化にさらに拍車をかけてしまった事も忘れてはいけない。勿論それは全て小泉氏の責任ではないですが、同じ様な事をしたら待っているのは同じ様な結末、いや下手すればもっと酷い結末です。例えば少なくとも費用やエンブレム等2020年東京五輪の様々な問題は小池氏だけの責任ではないですが、ホントにその様な結末とならない様にまず何をすべきか?憲法改正をめぐる議論もそうだけど、根本に立ち戻ってみるべきです。

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