国内・世界政治一般

2018/06/30

歴代衆議院副議長(日本国憲法下)の顔ぶれ後編

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(過去エントリー「歴代衆議院議長(日本国憲法下)の顔ぶれ」)

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(前エントリー「歴代衆議院副議長(日本国憲法下)の顔ぶれ前編」)


さて、前編では保守本流が自民党の主流派となり、池田・佐藤長期政権下で高度経済成長を遂げたと思いきや、オイルショックとロッキードで保革伯仲国会となった所までの歴代衆議員副議長達やその政治的背景について語りましたが、後半はそれ以降の話です。(歴代就任者名の右表記は当選回数、閣僚経験の有無、所属政党の順)

Ⅲ・・・・保革伯仲からバブル崩壊、55年体制終了へ(1976~93年)

三宅正一・・・・13、×、社会
岡田春夫・・・・13・14、×、社会
勝間田清一・・・・14、×、社会
多賀谷真稔・・・・12、×、社会
安井吉典・・・・11、×、社会
村山喜一・・・・10、×、社会


保革伯仲と言っても、この時期既に社会党から分裂した民社党の他にも公明党も結党されていて、他にも新自由クラブ共産党(戦前からあったが)等多党化の傾向も顕著となっていた。34回総選挙でも社会党は前回の118→123と微増にとどまり、衆議員ではせいぜい自民の半分弱しか議席を取れない状況は変わらなかったのですが、この時期は社会党出身の副議長が続きました。

解散が乱発されていた1950年代以前から当選を重ねていた世代の議員が政府または党の最高幹部に登りつめていった時期だったので、前編と併せて見れば当選回数も多くなっている事が分かると思います。既に秋田大助が1972年末に就任した時点で、「日本国憲法下では」初代副議長の田中萬逸以来24年ぶりの当選回数2ケタの衆議院副議長でしたが、三宅以降の6人は彼以上に多いです。尤も、社会党も片山・芦田両政権が短期で終わり、下野して万年野党化してから久しかったので、委員長や書記長、副委員長等党務では最高幹部となっても閣僚経験があった人は一人もいませんでした。この時期、漸く1986年に革命路線を否定した新宣言を発表するも、左派への配慮な付帯決議も付加される玉虫色だったものであり、また江田三郎の離党や馬場おろし等相変わらず内紛も収まらなかった事もあって、1989年の15回参議院選挙を中心とした土井ブームも所詮一過性のブームに過ぎませんでした。

Ⅳ・・・・2度の非自民政権誕生・挫折から安倍自民一強体制へ(1993年~現在)

鯨岡兵輔・・・・11、〇、自民
渡部恒三・・・・10・11、〇、新進→無所属の会
中野寛成・・・・10、×、民主
横路孝弘・・・・9(途中北海道知事を3期務める)、×、民主
衛藤征士郎・・・・10(参1・衆9)、〇、自民
赤松広隆・・・・8、〇、民主
川端達夫・・・・10、〇、民主
赤松広隆(再任)・・・・10、〇、立憲民主


党の最高幹部級を次々衆参両議院副議長に据える事は出来ても、党勢は政権交代どころか、参議院では自民を過半数割れに追い込んでも衆議院では自民の半分弱の議席数確保が精一杯だった社会党でしたが、1993年、ついに久々の政権交代が実現しました。

と言っても、社会党が一党で成し遂げたわけでは決してありません。その大きな原動力になったのは小沢郎や羽田孜ら、党内での権力闘争に敗れた元自民組です。小沢が宇野、海部、宮澤に続く第4の神輿として担ぎ上げた日本新党の細川護熙も、新党さきがけの武村正義も元自民だし、ワンワンライス繋がりだった民社党(沢隆)公明党(市川雄)との人脈もあって、選挙直前の党勢は維持した自民をついに下野させたのです。

あくまで比較第一党は自民だったから、非自民連立政権では最大勢力でも、この40回総選挙では議席を半分近く減らす惨敗(136→70)を喫した社会党の土井たか子が衆議院議長になるのには反対の声も少なくなかった様ですが、副議長には自民議員が据えられたのは当然だったでしょう。その中でも鯨岡兵輔に白羽の矢が立ったのは、「自民党の徳川慶喜」宮澤喜一に代わって総裁となった河野洋平の後ろ盾になっていた事が大きかったからだな想像は難くありません。

しかし、細川政権は、所詮結果的には政治劣化を加速させた政治改革ならぬ政治改悪以外確固たるビジョンもなかった数合わせ、烏合の衆だったので綻びるのも早かった。政権の主導権を巡って小沢と武村が対立しただけでなく、社会党を「排除」(この時参議院から衆議員に鞍替えしたが、決して小池百合子の専売特許ではないのである)した統一会派、改新を結成したのが決定打となって次の羽田政権は少数与党、連立から離脱した社会党とさきがけが自民と組む自社さ連立政権が成立して、河野が自身の総理就任をあきらめる代わりに竹下登ら共々社会党の村山富市を総理に担ぎ上げたので結局自民が僅か1年弱で与党に返り咲き、それに伴い当然鯨岡も与党議員に復帰したので衆議員の正副議長は1976年以来18年ぶりに共に与党議員となりました。

そう言えばまた、余談ながら・・・・・・ですが、この時三木政権で、三木武夫の愛弟子だった海部俊樹はこの連立政権に反対して、小沢や羽田と行動を共にする(新進党の結党)事になりましたが、鯨岡も三木→河本派出身だった(1992年に退会)し、次の第41回総選挙後に衆議院議長に就任した伊藤宗一郎も三木→河本派でした。しかし、1993年に自民が下野していなければ議長に就任予定だったと言われていたらしい派閥ボスの河本敏夫はどちらにも縁がないままだった。総理も三光汽船の倒産が無ければなれた可能性もあったらしいけど、派閥の部下達が正副いずれかの議長になったのを見届けながら(正確には語弊ある言い方だけど)引退って、ツイてなかったよね、この人って。息子(顔も父に似ている)も後述する民主党旋風で落選したら早々と引退してしまったし・・・・・・・・

まあ三木→河本派に深入りしてしまったけど、社会党も数か月で与党に返り咲いた。しかし、閣僚人数自体は与党内最多でも重要じゃないポストばかりだった細川政権の時とは違う。今回は社会党員が総理だから、野党時代はそれでも良かったのかもしれなかったけど、反対ばかり言って、自民に一定の妥協を呑ませるわけには猶更いかなかった。

だから自衛隊や日米安保も認める現実的な政策に転換せざるを得なくなって、それは私から見ても「当たり前」の話(でも、何度も言う通り、緊急事態条項にも反対だし、必然性に乏しい徴兵制の復活も含む対米追従の為の改憲ならば、憲法改正なんて止めた方が良いと信じて疑わないのである)だし、それはまた、保守強硬派だった筈の石原慎太郎(だから「もうやってられるか!!」な感じで議員辞職しちゃったんだろうね)や亀井静香(但し、彼は経済的には左派)も政権を支持して村山談話を認めるのとギブアンドテイクでもあったのだろうけど、どんなに社会党が55年体制時は政権交代の意欲すらなかった(単独で憲法改正の発議を阻止できれば良かった)万年野党であっても一定以上の支持者は常にいたわけです。

もうこういう話も他所でも散々言われている事で、長期的な視野に欠けた数合わせして、でもちょっと都合が悪くなったら排除しようとした小沢や大内啓吾らにも責任はあったけど、(表向きには)長年の宿敵だった筈の自民と組んだ代償は決して小さくなかった。村山談話は日本にもそういう選択に追い込まれた情状酌量の余地もあったながらもやはり太平洋戦争は侵略戦争だったのだから、多少配慮が過ぎる面もあっても見直すべきではないし、阪神淡路大震災での対応も、後の東日本大震災でのそれよりはまだマシだったけど、村山がついに総理を辞めて、消費増税路線も引き継いだ橋本龍太郎(既に前年1995年に河野の後任として自民党総裁に就任)が後を継ぎ、社会党も社会民主党(社民党)に改称したけど、多くの党員が要領よく民主党に逃げて、余計支持を失ってしまった。

副議長とは直接関係ない話が長くなってしまっているけど、社民党への改称後の41回総選挙(1996年10月実施)、初めての小選挙区比例代表並立制が採用された選挙でもあったけど、社民党は議席数は前回実施直後時点の70から15に大きく減らし、以降現在まで少数政党に転落したまま、自民の宿敵は、細川政権の失敗を反省したとは言い難かった小沢がまたまた数合わせして作った新進党になるかと思われた。

だから、その後羽田らと共に自民党時代から小沢と行動を共にしていた渡部恒三が副議長になったのも当然だったけど、案の定小沢はまた羽田ら仲間達と仲が悪くなって、新進党自体が無くなってしまった。次の42回総選挙(2000年6月実施)後も、色々「大人の事情」があって、本来敵である筈の自民の野中広務から再任を要請されて、果たして在任日数は歴代最多となったけど、大半は無所属の会所属などうも変な副議長となってしまった。

渡部在任中に自民主流は佐藤→田中→竹下→小渕→橋本派の流れ(ただし、橋本が平成研究会会長だった時に実権を握っていたのは野中と青木幹雄)で大半政界を支配していた平成研究会から角福戦争等因縁があった清和会に移り変わっていきましたが、郵政解散で一時は勢いをくじかれてもこの時自由党から合流していた小沢らが政治改革の一端として採用させた小選挙区比例代表並立制の効果は大きかったのです。

渡部も再び小沢と同僚となったけど、45回総選挙(2009年8月実施)で民主党は圧勝、本格的な政権交代となった。しかし、そんな多大な期待を背負って誕生した民主党政権のダメぶりは今更ここで突っ込んで語るつもりはないですが・・・・・・・・・・中野や横路についても、彼らも唱えている在日外国人参政権の付与には絶対反対だし、民社党出身だった川端達夫も、政治資金をキャバクラ代に使ったスキャンダルが発覚した事もあったけど、民主下野後も政権与党時代には口蹄疫問題で適切な対応が出来なかった赤松広隆が二度も副議長に就任した事からも改めて野党議員の劣化ぶり(もっと根本的には政治そのものの劣化か)が伺える様です。

民主党は旧民社党員、旧社会党員、旧自由党員とか他党党員を色々取り込んで、民進党に名前を変えてもそれは変わらず、小池氏が失敗したのも排除の論理をかざしたのではなく、かっての上司の一人だった小沢氏の失敗からも学ばず、そんなアメーバみたいな民進党の本質を全く見抜いていなかったからだと改めて思いますが、今度は最右派を排除した希望の党と一緒になって国民民主党となった。もし計算通り事が運んだら立憲民主をしのぐ最大野党となって、赤松氏が途中辞任した時にはその中での大物級が副議長に選ばれるのだろうけど、結果は周知の通り(衆参合わせて107人となるはずが、62人しか集まらなかった)で支持率も惨憺たる有様です。まあ参議院では今の所最大野党ですが、来夏の参議院選挙では絶対藤田幸久氏には票入れないですね、私は。社会党・民主党からの視点中心でここまで長々と述べてきましたが、このままではどんなに安倍政権が長期政権の宿命で腐敗しても、1960~70年代半ば(参議院は保守合同~1977年まで)みたいに衆参正副両議長も自民議員が独占する事態にもなりかねないでしょう。

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歴代衆議院副議長(日本国憲法下)の顔ぶれ前編

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(過去エントリー「歴代衆議院副議長(日本国憲法下)の顔ぶれ」)

他にも言いたい事は皆無ではないけど、約5か月前に述べた話の続編です。今度は日本国憲法下での、衆議院副議長についての話ですが、延べ31人(1人が退任後再就任)の当選回数、閣僚経験の有無、所属政党を複数の時期ごとに区切って見てみます。

Ⅰ・・・・戦後再出発~高度経済成長現出まで(1947~61年)

田中萬逸 11、○、民主
岩本信行 3・4、○、民主自由→自由
原彪    5、×、左派社会
高津正道 3、×、左派社会
杉山元治郎 7、×、右派社会
椎熊三郎 7、×、自民
正木清 7、×、社会
中村高一 6、×、社会
久保田鶴松 7、×、社会


日本国憲法下最初の政権は日本社会党・民主党・国民協同党の連立政権で、議長は当然比較第1党の社会党からで、副議長も与党第2党の民主党からの擁立となるのが自然ですが田中萬はこの時点で当選回数は尾崎行雄、斎藤隆夫に次ぐ3位ながらも、尾崎は無所属、斎藤は国務大臣待遇の行政調査部総裁(後の行政管理庁長官)に直後就任したので、無難な選任と言った所だったのでしょうか。

しかし、この社民国連立政権も1年5ヶ月で終わり、第2次吉田内閣成立直後の第24回総選挙では斎藤も移籍した民主自由党(民自党、間もなく自由党に改称)が単独過半数の議席を獲得、正副議長共に民自議員が占める事になりましたが、その吉田も公職追放から復帰した鳩山一郎と対立するようになり、26回総選挙では吉田派と鳩山派に事実上分裂し、吉田派だけでは過半数を取れなかったのが響いたのか、社会党も同じく右派と左派に分裂して、その再統一、保守合同もありながらもしばらくは原則として社会党議員が副議長に就任する事になった様です。

当選回数も「日本国憲法下での初代副議長」、田中萬を除けば6回程度だった様ですが、例外は椎熊三郎で、保守合同後初の28回総選挙(1958年5月実施)で単独過半数した余波で選任されたのでしょう。総理・総裁の岸信介、議長の星島二郎と共に保守傍流の系譜に属した(ただし、椎熊は改進党系だが、岸と星島は自由党員歴もある)ので、この頃が保守傍流最初の黄金期だったと言えたのかもしれません。(ただし、参議院正副議長は保守本流)

しかし、警職法改正をめぐる混乱により星島と椎熊は半年で辞職、翌1959年の総裁選では岸は再選されたものの、対立候補だったハト派の松村謙三も170弱も票を得たと保守合同から主導権を握り続けていた保守傍流も早くも陰りが見えてきた様です。椎熊も残念ながら大臣にはなれないまま議員在職中に死去してしまった様ですが、次の正木清も日米新安保条約をめぐる採決に反発して辞職、しかし、それは日米新安保成立には影響せず、岸はこれをきっかけとした解散も考えていた様ですが、幹事長だった川島正次郎に反対されて辞職となりました。そしてその岸辞職4か月後に実施された29回総選挙では解散直前に浅沼稲次郎が刺殺された同情票も見込まれたと思いきや、右派が民主社会党(民社党)として分裂し、擁立候補も約1/3減、正木も残念ながら落選してしまいました(間もなく死去)が、自民296議席に対し、145議席と自民の半分近く取るのがやっとでした。(全員当選しても過半数には遠く及ばなかった)

この総選挙後に選任された久保田鶴松もどうやらその浅沼の刺殺等がきっかけとなった政治的暴力行為防止法案への是非が原因で、不信任決議まで可決された上での辞職となってしまった(ただし、参議院では自民は過半数をわずかに超えていた程度だった為か法案は成立しなかった)様ですが、自民が自主憲法・再軍備等を主張する保守傍流から、防衛はアメリカに依存する、軽武装・経済成長を優先する保守本流が21世紀に入るまで大部分の時期主流派(福田政権は短命で、田中政権の親中路線を受け継いでもいたし、幹事長は田中角栄の盟友だった大平正芳を起用、中曽根政権は新自由主義色も強かったが、暴走ストッパー役だった後藤田正晴をはじめとしたその田中派からの閣僚起用が目立ち、特に角栄が脳梗塞に倒れるまでは田中曽根内閣と揶揄されたほどだった)となって、高度経済成長が長く続いていった中で社会党は早くも万年野党化する事になります。

Ⅱ・・・・保守本流の黄金期からオイルショック・ロッキードまで(1961~76年)

原健三郎・・・・8、×(退任後〇)、自民
田中伊三次・・・・8、〇、自民
園田直・・・・8、×(退任後〇)、自民
小平久雄・・・・9、〇、自民
藤枝泉介・・・・8、〇、自民
荒船清十郎・・・・9、〇、自民
長谷川四郎・・・・9、〇、自民
秋田大助・・・・10、〇、自民


当初は政権交代も期待されていた社会党が日米新安保等でも現実的な対案が示せなかったり、内部闘争したりする中で万年野党化し、それと表裏一体な自民の万年与党が固定していった中で副議長も自民出身者が占める状態がこの時期続きました。議長もこの時期、退任後さらに党の最高幹部(幹事長等)や閣僚を目指すのではなく、それ自体が最高職な「上がりポスト」となっていきましたが、副議長も前半は退任後閣僚入りする「登竜門」(?)だったのが、当選回数8・9回程度の閣僚経験者がさらに箔をつける半名誉職ポスト(?)となっていった様です。閣僚経験があった小平以降も、退任後も衆議院の常任委員会院長や閣僚に就任する例がしばらく続きましたが、この時期最後の副議長だった秋田大助はロッキードや三木おろし等自民への逆風の中で、初めて任期丸々務めましたが、戦後初で唯一の任期満了に伴う34回総選挙では落選してしました。

自民党自体も、追加公認でやっと単独過半数確保な敗北でした。秋田は次の1979年に実施された35回総選挙では返り咲きを果たしましたが、選挙はあまり強くなかったのかこれ以前にも2回落選歴もあったのも響いたのか、以後は大した活躍は見られないまま1983年に引退、政局も保革伯仲に移り変わる事になります。と、ここまで書いてきましたが、長くなってきたのでここらで区切って、続きは後編として・・・・・・・・

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2018/06/28

小泉次男のパフォーマンスは所詮「コップの中でのガス抜き」だよ(※7/18追記)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180628-00010014-fnnprimev-pol

小泉進次郎議員の熱き国会改革提言…プリンスは泥にまみれて結果を出せるのか?

6/28(木) 22:02配信    

    

FNN PRIME

   
“平成のうちに”国会改革を果たす!

W杯サッカー日本代表の決勝トーナメント進出を賭けた熱き決戦を8時間後に控えた6月28日午後、国会では小泉進次郎議員が、ひときわ熱く語っていた。

【画像】党内からは厳しい声も…真価が問われる小泉氏

「合意されても実行されないという歴史を繰り返している国会改革を、1つでも前に進めるためには、期限を区切ってどんなに小さいと言われてもいいから、1つでも(風穴を)開けるんだと。それをこの実現会議に入って頂いている、全ての党派を超えた皆さんに共有して頂かなければ動かないのが、国会改革という大変大きな課題だ」

超党派の国会議員で作る「『平成のうちに』衆議院改革実現会議」の設立総会が28日、国会内で開催され、与野党100人以上の国会議員が詰めかけた会場は熱気に溢れていた。

事務局長を務める小泉氏が常々言い続けてきた、国会改革に向けたスタートが切られた形だ。

会合では前日に安倍首相が「歴史的使命は終えた」と嘆いた党首討論についても、「歴史的使命を終えてはいけない!」との声が挙がり、夜の開催や、あり方の見直しなどの意見が出たほか、首相や大臣が長時間拘束される国会の委員会の改善、国会改革を特別委員会で行ったらどうかなど、議論が交わされた。

そして、国会会期中は週1回程度のペースで議論を積み重ねていくことも確認された。

実は国会改革を巡っては、2014年に自民・公明などに加えて、当時の民主党など与野党7党が、首相や大臣の国会出席を減らすことや、党首討論の毎月1回の開催などで合意をしている。
しかし、今の国会を見る限り実現しているとは到底言えない現状だ。

今回の会の設立趣意書でも、「合意だけで終わらせず、与野党の垣根を越えて、共に実現していくことが、我々国会議員が主権者たる国民に対して果たすべき責任である」と強調されている。

森友・加計問題での政治不信からの脱却へ

「よりオープンに、より政策本位で、政治不信を乗り越えるための国会改革」

小泉氏は前日の27日にも、自民党の若手議員らで作る「2020年以降の経済社会構想会議」のメンバーらとともに、“国会改革”についての提言を発表している。

会議のメンバーは、これまで「政治における“平成”の総括」をテーマに、多岐にわたる議論を重ねてきた。

提言には「一年以上にわたり、国民と国会は森友・加計問題に振り回されてきた」と記され、一連の問題によって引き起こされた国民の政治不信の高まりを指摘し、「国民の政治不信に正面から答える政治改革が必要」として、“よりオープンに”、“より政策本位で”の2つを柱に、国会を改革すべきと提案している。

そして、具体的には、行政の公平性などに疑いが生じた場合、国会に「特別調査会」を設置して徹底的な事実究明を行うことや、内閣の説明責任を強化するために隔週で党首討論や大臣討論を開催すること、現在午後3時に行われている党首討論を、より多くの人が生中継で見られるように、夜に開催することなどが盛り込まれた。

小泉氏は会見で、「今の国会はスキャンダルとか疑惑、こうしたものが発生すると審議拒否などによって、党首討論、委員会、大きなビジョン、そして国民の生活に近い法案や政策、そういったものが、通行止めを起こして、いわば渋滞が発生するようなことが起きる」と指摘し、「時間も税金も、国会をこれ以上無駄遣いしてはいけない」と強調した。

さらに小泉氏は国会改革について「負け癖がついている」と指摘し、「“本当に国会改革って動くんだ、できるんだ、動いた”という体験がないといけない。今のサッカーワールドカップ見てください。勝ったら、空気が変わる」と、日本代表の勝利になぞらえ、実現への決意を語った。

党内からは厳しい声も…小泉進次郎の真価が試される時

 

こうして、国会改革に熱意を燃やす小泉氏だが、これまで“人気だけなら総理大臣を凌ぐ”と言われてきたものの、党幹部である筆頭副幹事長に就任してからは、やや精彩を欠いているとの指摘がある。

6月6日には、党の会合の中で、「加計学園の問題はやっぱりおかしい」と述べ、政府与党の対応を批判し、特別委員会の設置の必要性を訴えた。

自民党内としては異例のこの発言について小泉氏はその後、「党内でもそういう風に思っている方はいると思う。だけど現実として、それを言える方、言えない方、いろんな状況がある。おかしいことはおかしい、そう言えない自民党はいつか見放される。そうあってはいけない」と、党内の意見をあえて代弁したものだと説明した。

しかし、発言があまりに過激すぎたのを自覚したのか、小泉氏はその後メディアの取材を受け付けず、しばらく担当記者の取材を避け続けるような形となった。

“政治家にオンオフなし”とまで言っていた小泉氏はどこに行ってしまったのかと思う光景だ。
これについて小泉氏は27日、苦しい胸のうちも吐露した。

「政治家はいつも言っているというのもよくない。「沈黙は金」という時もあれば、今こそ言わなきゃいけないということもある。その最後の判断はまさに政治家の判断だ」

国会改革自体、小泉氏は去年も提唱していたものの、関係する各所への根回し不足で出鼻をくじかれ、大きくスタートが遅れた経緯もある。

今回の案についても、与党の国会対策関係議員からは、自らを跳び越す形での提言に冷ややかな目が注がれ、野党内からは政府与党への数少ない抵抗手段を奪われることへの反発が必至のため、実現は簡単ではない。

自民党内では小泉氏について「今まではワンフレーズで発言すればよかったが、その限界が来ている(自民党幹部)」との声や、「知名度に実力が追い付いてきていない(自民党若手)」と厳しい声も出ている状況だ。

つまり、小泉氏に求められているのは、「発言」だけではなく、「汗」と「結果」だということだ。そうした中で、国会改革の会合での小泉氏の言葉には注目しておきたい。

「しっかりと汗かいて、野党の皆さん含めて、どれだったら動かせるのかなと。その一点だと思います。自分たちが今まで訴えたことが形になるのではなくて、1個でもどこだったら皆さんの合意が得られるか。そういったところが大事だなと思います」

若くして、注目を浴び、政界のプリンスとも言われる小泉氏。泥臭く汗をかいて、国会改革を“平成のうちに”実現できるのか。政治家としての1つの正念場を迎えている。

まず最初に改めて言いますが、最近学歴詐称疑惑も出てきているらしい、小池東京都都知事、都知事選出馬前にも某疑惑も出た時点でもし私が東京都民だとして、この人に票を入れる事はなかっただろうけど、実際当選してしまったら一時期でも期待していたのは、まだまだ私自身人を見る目が無かったという事だったと思います。(一昨年11月に郷原信郎氏のブログでの批判を目にした時からおかしいと思い始めたけど、遅かったよね)

だからこそ、「彼」についても改めて思うものがあるのだけど・・・・・・・・・・その小池氏のかっての上司の息子でもある小泉次男の事ですよ。政治改革自体は私も反対しないです。ホントに日本の首相や大臣の国会出席率が他国(と言っても、日本と同じ議院内閣制なイギリスやドイツのような国もあれば、アメリカの様な大統領制、フランスの様な反大統領制の国もあるのだけど)と比べてホントに多いのなら、何か最重要事項とかあればまあそっちを優先しても良いのだろうし、まず第一に選挙制度を見直してほしい。ロシアやハンガリー、そして先日W杯で日本が対戦したセネガルもそうらしいけど、小選挙区制比例代表並立制はやっぱ一強多弱(今年のプロ野球セリーグもそうで、巨人も菅野投手を先発させながら広島に3タテ食らって、勢いをますます取り戻させてしまった)になりやすくて駄目なんだよ。アメリカとかみたいな二大政党制の国じゃなきゃ合わないんだよ。

だから小沢一郎氏の「国民がおかしい」発言も、「結果論とは言え、そういう状況も作り出してしまったあんたが言えた口じゃないだろ、『人間はやっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間をそのまま愛せるかなんだ。』とも言っていた角栄があの世から見てたら絶対怒るぞ?」とツッコまずにはいられなかったけど・・・・・・・・近年もブームが再燃したその田中角栄氏もそうも言っていたのだから、彼に期待したくなる気持ちも分からないわけではないですが、所詮「コップの中のガス抜き」に過ぎないでしょう。今回のこの小泉次男のパフォーマンスは。

親父が脱原発(私もなるべく依存しない様努力すべきだとは思っています)に走っているから色々難しかったのだろうけど、新潟県知事選挙(しかも実際来た奴らは和田政宗氏とか杉田水脈氏とかろくでもない奴らばかりだったものね。今回の自民擁立候補の当選は対立候補側のオウンゴールによるものが大きかったよ)で株下げたから余計必死こいてパフォーマンスしているかは分からない(苦笑)ですが、私もほんの一時期は「彼はもしかしたら将来何か大きな仕事をしてくれるに違いない。」とある程度は期待していました。しかし、農林部部長時代に思ったほど農協改革に成果を上げられなかったのと、こども保険を提唱したのを見て、「やっぱ買いかぶっていた。親父の地盤を継いで出てきた時に見えた本質こそが正しかった。こいつはダメだ。」と思いましたね。

今年秋に予定されている総裁選でも就任を望む声も多く、何度も言う通り他の方々の期待そのものを頭ごなしで否定するつもりはないですが、閣僚経験すらない人に何が出来るんですか?と言うかまた、衆議院は当選5回、参議院は当選3回を入閣適齢期と見做すのはもうやめませんかでもありますが、農協改革も満足に出来なかったのに政治改革など出来る筈が無いです。前述の田中氏と重ね合わせる評価も見られて、確かに初当選した時や副幹事長等要職に出世した時の年齢は近いか同じ(なお、田中氏は尾崎行雄の最年少記録を更新して郵政大臣として初入閣した後にも副幹事長に就任しており、自由党と自由民主党両党で経験を有する事になった)で、一方で置かれていた社会的状況は全然違うから単純な比較は難しいですが、今の小泉次男と同年齢だった1955年時点でも国の発展とか貢献度は普通に田中氏の方が上でしょ。成立させた議員立法だって大半は若手時代の時のものだったし。

石破茂氏や村上誠一郎氏共々「ボスを後ろから鉄砲で撃つ行為は良くない。」な批判も良く聞かれるけど、いや、党の為になる建設的なものならどんどん批判するのは良いと思います。しかし、yahoo知恵袋でも本人みたいな言い方で「パパは安倍さんを幹事長にしたし、安倍さんは僕を筆頭副幹事長にした。プロレスみたいなものだよ。」とか皮肉った回答が見られて、確かに質問者の立場ならベストアンサーにしたいとも思ったけど、そうした一連のパフォーマンスの一方で入閣要請拒否した事もあったらしいし、自民党執行部だって案外彼の本質を見抜いているのかもしれないですね。変人と評された親父だって散々見てきたのだろうし、彼らから見れば適当に泳がせてやっているのでしょう。

つくづく繰り返し言う通り、改革しようと党派も超えて一致団結、実行するのは結構ですが・・・・・・・・・・そう言えばまた、同じ副幹事長経験があった松本純氏も、HP内の「幹事長室」でその時の仕事ぶりを目にして、特に選挙期間とかは激務だなあと思ったけど、たとえニュース等で取り上げられずスポットライトを必ずしも浴びる事は無くともまず自らに与えられた仕事を着実にこなされる方が良いです。当然農林部部長時代の経験も無駄にしないで、今から15~20年後には、宮澤喜一氏みたいに実際就任したら「40年間騙されとったなあ。」とかなんて言われない、真に自他ともに認める総理・総裁候補となっていただきたいものです。どの分野だろうが、その人の人間性がどうだろうが、私はマスコミが推す人間は絶対安易に信用したりはしませんが、人気先行で要職経験に乏しい人を総理にして国を任せる余裕があるほど今の日本は凄くも何ともないのですから。

【以下7月18日追記】

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180718-00272328-nksports-soci

賛成票の小泉進次郎氏に野党ブーイング 参院6増案

7/18(水) 17:40配信    

    

日刊スポーツ

 参院選の「1票の格差」是正に関し、定数を6増やす自民党提案の公選法改正案は18日の衆院本会議で与党の賛成多数で可決、成立した。

【写真】公選法改正案を可決した衆院政治倫理・公選法改正特別委

 同改正法では、比例代表の一部の「特定枠」が、合区対象県で選挙区に出馬できない自民党候補の「救済枠」になることから、野党は自民の「党利党略」法案と批判した。

 国会改革に向けた議論を、超党派の会議などを通じて主導している自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長の対応が注目されたが、進次郎氏は賛成票を投じた。その際、立憲民主党など野党席から、「え~」などとブーイングが起きた。

 進次郎氏は本会議後の取材に、「今回は私だけでなく、党内の多くの議員がいろんな思いを持っている。特に衆議院は」「議院内閣制の中、党の決定と個人の思い。そういう中の葛藤は常にある」と、葛藤があったことを認めた。その上で、「自民党議員の1人として、党の決定に従って賛成票を投じたが、あらためて国会改革をやらないといけないという決意を新たにする意味での賛成票だった」と、説明した。

 野党のブーイングについては「光栄ですね。いろんな議員が賛成票を投じた中、私だけにブーイングというのは、名誉なブーイングだと思います」と話した。

 進次郎氏は、同法案が自民党内で了承された今年6月の会議で、「森友、加計問題で結論が出せていない中、こういうこと(議席増)にはすぐ結論を出す。国民にどう映るか心配だ」などと、異論を述べていた。

 この日は、その時の議論を振り返り、「採決までには党内でいろんな議論があり、私も思いを言わせてもらった。なぜこんな改革制度になるのか、原因をたどれば、衆参のあり方、二院制のあり方を根本から話してこなかったことが一因」と指摘。「最終的に、私の中で、さあ国会を変えようと、自分の思いを言った。そういう意味での賛成だ」と述べた。

 一方、法案の内容に疑問を示していた自民党のベテラン船田元衆院議員は、採決の前に議場を出て、棄権した。

とうとう実現しちゃったかですが、だから野党はダメなんですよ。親父とは脱原発で一致して、政敵だった筈の小沢一郎氏とも手を組んだから尚更何か幻想とかを抱いたのかもしれないけど、小泉次男に何を期待してたんですか?党執行部にも逆らってまでも政治改革しようとなんて本気で思ってない(なお、親父も総理就任直後に書かれた「噂の真相」での特集では加藤の乱との時の対応等から「この男も永田町の常識に染まっていた事を忘れてはならない。」と警戒されていた)ですよ。彼は。最初投稿した時も言ったけど、一定以上の農協改革も出来なかった人が政治改革なんてどうして出来るんですか?

彼らが推す人間はその人間性とかに関わらず安易に信用してはいけないという意味では分かりやすいけど、マスコミもいい加減この人を特別視するのも止めた方が良いし、私も定数増には反対ですが、決まったからにはしょうがない。せめて来夏の参議院選挙で安倍一強体制にストップ!!(もう分党したけど、希望の党フィーバーで過半数割れするぐらいなら、まだ自公で過半数維持した方がマシだな意見に変わりはないですが)もっと自民と正面切って政策議論出来る様になって、「自民が駄目なら次はこの党に任せよう。」と思えるぐらいの実績を築いてほしいのです。しかし、まあ無理だろうなあ。そんな野党を支持しているのであろう、反安倍連中、中には西日本豪雨で安倍総理が15日予定だった広島視察中止の理由となった病気についても、「池田勇人だって『前ガン症状』と誤魔化していたし、政治家が自分の病気を軽く見せるのも常套手段だ!!」とあたかも重病であってほしくてしょうがない某ツイッターもいたもんなあ・・・・・・・・

そりゃ安倍総理も批判されるべき点はいくつもあるし、私もこのブログでも度々自公政権批判もしているけど、権力者にだって人権・人格はあるでしょう。「人間じゃない!!」とまで罵倒した某大学教授とも重なり合うものも感じられたけど、自分が親の仇以上に憎む人間の不幸を願って、もっと根本的に言えば、別に好きで日本人として生まれたわけじゃないから勝手だけど、日本という国自体を憎悪している人(だから、この某ツイッターも共感できる意見もあるけど、他人の意見を吟味する時もミョーに上から目線だし、分かり切った主張でもあるツイートより、どうして特に明治以降の日本が嫌いなのかに興味を持ってしまう)が社会的弱者の味方面とかしても説得力ない。小泉次男の話とはそれてしまったけど、所詮彼もその中で泳いでいるに過ぎない自民党と言うコップがこれ以上好き勝手しない為にはまず彼ら「自称」リベラルが一人一人反権力ぶっている自分らも安倍一強体制の被害者ではなく、共犯者になってしまっているのだと自覚しない事にはどうしようもないです。仮に彼らの望む非自民政権が生まれてもこのままでは1994年か2012年みたいになります。どうも特にたかだか5,6年程度前の民主党政権の事は都合よく忘れてしまっている様で、まあ安倍政権も第四次以降は下手すればその民主党政権の事も笑えないだろでもありますが・・・・・・・・・

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2018/06/11

新潟県知事選挙の野党統一候補敗北とゆず・RADWIMPSの愛国ソング

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180611-00000009-exmusic-musi

RAD野田「HINOMARU」歌詞について謝罪 「軍歌だという意図は1ミリもない」

6/11(月) 16:45配信    

    

エキサイトミュージック

RADWIMPSの新曲「HINOMARU」の歌詞が話題になっている件について6月11日、ボーカルで作詞を担当した野田洋次郎さんが自身のTwitterでコメントを発表した。「戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした」などと謝罪している。

「HINOMARU」は6日に発売したニューシングル『カタルシスト』に収録されているカップリングソング。<風にたなびくあの旗に/古(いにしえ)よりはためく旗に>というフレーズから始まる同楽曲は、<この身体に流れゆくは/気高きこの御国の御霊>や、<さぁいざゆかん/日出づる国の/御名の下に>といった、愛国心を思わせるフレーズがちりばめられている。

この歌詞に対して、ネット上では「愛国歌と同じセンスで少しゾッとした」「国に誇りを持つということの難しさについて、ちょっとあぶないぞと思った」といった声や、「フジテレビのW杯サッカーのテーマ曲だから普通に日本を背負って試合に向けての闘志みたいな意味じゃないの?」「RADらしくないってなんだよ、RADが作ったんだからRADなんだよ」などさまざま意見が飛び交っていた。

そんななか、きょう6月11日に野田さんがTwitterを更新。英語と日本語で、「HINOMARU」の歌詞が話題になっていることについて、自身の思いを綴った。

以下、全文を掲載する。

I hate violence. I hate war.
Every time I mention something about our history, I try myself to express that. And not to go backwards, but to go forward. Some people has claimed that the song Hinomaru is an Army song. The answer is, It is not. Never.
There are no specific words in the song related to it. This song is not made to attack anyone who is in any kind of posistion or nationality.
The song Hinomaru does not express any cheering of war or violence. The lyrics is to cheer and encourage the people living in Japan although we have great earthquakes, a huge tsunami, a big typhoon, and all the other disasters. The song is to unite and to hold our hands tightly as one homeland. I apologize if there were any fans who were hurt from this song.
Some of the words were written in traditional Japanese (I do that in many songs) and maybe that was one of the reason made you feel that way.
This is my truth. No lies, not even a single lie. I’ll prove that with my actions and my career in the future. Hope you’ll understand. I’ll keep trying my best, to be the positive energy for you and this world. To be the change and to be the piece of “Peace”,always.
Love

戦争が嫌いです。暴力が嫌いです。どんな国のどんな人種の人たちとも、手を取り合いたいです。
終戦記念日やその他の歴史的な事柄を語る時、アジア各国でライブをする度、僕はなるべく自分のメッセージを伝えてきたつもりです。
時代に逆行するのではなく、前進しようと。二度と繰り返してはいけないと。
HINOMARUの歌詞に関して軍歌だという人がいました。そのような意図は書いていた時も書き終わった今も1ミリもありません。
ありません。誰かに対する攻撃的な思想もありません。
そのような具体的な歌詞も含まれてません。この曲は日本の歌です。この曲は大震災があっても、大津波がきても、台風が襲ってきても、どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です。みんなが一つになれるような歌が作りたかったです。結果的にその曲で不快な想いをさせてしまった人がいたというのが何より悲しいです。
日本の歌を歌う上で歴史の上に成り立っているこの今の僕ら、その想いものせたかったので古語的な日本語を用いたのも一つの要因かもしれません。僕は色んな曲で古語を使うので自然な流れでした。
色んな人の意見を聞いていてなるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした。これが僕の気持ちです。一つの嘘もありません。これからのキャリアや行動でもそうであることを証明していくつもりです。
どうか、皆さんに伝わりますように。
この先も、僕なりに自分のメッセージを伝えていきます。音楽で、活動で、この世界のプラスになるエネルギーとなれるように頑張ります。

 
【関連記事】
※途中からまたやや愚痴っぽい話になります。そういうのが嫌な人は読まないで!!

RADWIMPS、「君の名は」の主題歌も歌っていたけど、「HINOMARU」、実際聴いてみました。果たして・・・・・と思ったら・・・・・・・・・・

ロックマン2次創作の「思い出は億千万」や「エアーマンが倒せない」みたいな、自己陶酔甚だしい掲斧入淵な歌ではなく、もっとハイテンションなメロディかと思いきや、国を背負う思いも抱きながら思ったよりも静かに歌っていて、愛国心の強制、押し付けに否定的な私にとっても特に不快感とか抱いた様な歌ではありませんでした。

https://ruhiginoue.exblog.jp/22543811/
(①・・・・国歌・国旗の各国での位置づけについて言及したブログ)
https://toyokeizai.net/articles/-/108352
(②・・・・東洋経済オンラインの、君が代論争についての記事のページ)

同じくネットで物議をかもした(とされている)ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」も聴いてみて、「美しい国」には、今の日本はとてもそんな自画自賛できるような国じゃないだろとツッコまずにはいられず、また国歌や国旗に対する左巻き等のアレルギー反応が強い風潮を皮肉った歌詞も見られましたが・・・・・・・・・・・

卒業式や入学式では毎年決まって教職員がその国歌、「君が代」を斉唱するのを拒否したニュースが聞かれて、特に何とも思ってない私から見れば「どうして、一々噛みつくのだろう?」な素朴な疑問がありましたが、②のページでは津田真佐憲氏という、近現代研究者がなぜ君が代がやり玉に挙げられるのか説いていましたが、確かに私自身もいささか無関心すぎたし、国歌が上から強制されるべきではないとの意見にも異存はないです。

http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
(③・・・・国旗掲揚、国歌斉唱についての諸外国の判例等を紹介したページ)

それでも、別に国旗掲揚も国歌斉唱も義務付ける必要なんかないけど、そういうのが決まっている学校で、生徒はまだしも国から給料もらっている身分な先生が歌わないのはおかしいだろ、それならさっさと歌わないで済む職場にでも転職しろよとも思っていたけど、①のページによれば欧米各国はそういう義務づけしている国はほとんどなく、③のページで紹介された通り、そういうのがダメな判例が下されたのも珍しくないらしいですが、プーチン政権誕生後、国歌を旧ソ連のそれのメロディに「回帰」したロシアでさえ、国歌斉唱の義務規定はないらしい。プーチン大統領って「ソ連が恋しくないものは心が無い。ソ連に戻りたいと思うものは脳が無い。」な名言(?)も残しているからおかしくはないとも言えるのだろうけど、意外でしたね。他の東アジア諸国、特に中国では侮辱罪が適用される事もある等日本よりも全然厳格らしいけど、ネトウヨや右派文化人連中の感想が聞きたいです。「やっぱこの国がおたくらの理想じゃん!!」ともツッコミそうになったけど。

また君が代が嫌いな日教組とかもただ反対していただけでなく、君が代に代わる国歌を模索していた事もあったけど、自分も国歌を代えるのは別に反対しないです。ゆずとRADWIMPSはどう思うのかな?でもありますが、後者は別にボーカルが釈明・謝罪する必要なんか全くないし、後者もまあツッコミどころはあって、私はどちらかと言えば左派だと思っていますが、たとえ価値観が違っていても、アニメ化も中止となってしまった某ラノベ作家みたいにヘイトスピーチ等も連想したりするものでなければ、愛国心も訴える等の思想・良心は自由です。特にゆずについては彼らがこういう歌も世に出した事自体を非難するのではなく、彼らにそうさせたものは何なのか?そうした背景は日本にとって良い事なのか?良い事でなければどうしていけば良いのか?一人一人考えていくきっかけになればと思います。(最近のエントリーで触れた二見宣氏だって、ただ「太平洋戦争=アジア解放の為の聖戦」なだけならば右から左に聞き流していただろうけど、アフリカ諸国を実質的な植民地のままだとか、愛国者を名乗っているくせに対米追従な自国を棚に上げて見下す発言したから、ツッコんで批判したわけだし、インティ社長が安倍応援団の一員だった事について触れたのが某所で批判されたのも、「社長の思想とゲームの出来不出来は関係ない。」とかとも言ったはずだけど)

という様な事をniftyニュースでも言ったら、「別に何を持って実害と見做しているか分からないけど、別に思想・良心の自由を否定しているわけじゃないだろ。奴らの歌が戦前回帰を思わせるもので、即ちそうした自由の否定につながるから問題なんだろ。」とか「左派のフリしたネトウヨ」とか言われてしまいましたね。(苦笑)対して私は、「自分も戦前回帰には否定的ですが、別に彼らの活動を100パー手放しで容認しているわけじゃないですよ。ちゃんとコメント最後まで読んだのですか?」、「私程度で右なら、それこそ極右なんかはいて捨てるほどいるでしょ。」とか反論(このブログを定期的に目にしている人で私が右派だなんて思っている人はまさかいないでしょうが)して、特に「カタルシス」はネットで言われていた様な軍歌でもなかったし、戦前回帰と結びつけるのはやや無理があるのではでしたが・・・・・・・・・・

もう政治の話はしないと言ったけど、ある対策を講じた上でコメントした新潟県知事選挙についての某社による某ニュースでも以下の様なやりとりをする事となりました。

私「新潟県政とは直接関係ない、モリカケとかの政権批判や保育園児も利用した保育園ぐるみの触法行為な選挙運動とかピント外れた事やってたのだから負けるべくして負けた。野党は敗因を真剣に検証しない限りは政権交代も無理だ。」
某パヨク「票差とか基本的な動向を確認してから物申せ。ゴミカス」
私「そんなの知ってる。3パーそこそこしか得票率の差なかったんだろ?私だって新潟県民だったら特に保育園児の件が無ければ池田候補に票を入れていた。これが群馬や山口の様な保守王国ならば、もっと票差が開いていただろうが、もう少し口の利き方気をつけようね。
某パヨク「知っているんなら、『負けるべくして負けた』なんて言えないはず。お前は頭がおかしい。」
私「池田候補に有利な要素がいくつもあった筈なのに、却ってそうやって、対立候補に票を入れさせる行為ばかりやる等敵に塩を送りまくっていたという意味でそう言ったのだ。これで池田候補が勝ったら正直新潟県民の良識を疑う。自公が問題大有りな二流どころに応援に来させたのに対し、野党は党首らが来てもこうなった事からも今回の敗北の意味を良く考えるべきだ。」


いい加減めんどくさいんで、この後反論来てももう無視するつもり(苦笑)ですが・・・・・・niftyニュースにコメント欄がついたのは今年2月ごろからですが、ネトウヨに絡まれた事は殆ど無いです。彼らにとって面白くはないであろう事も言ってますが、殆どはリベラル・左派とされる匿名の人達ですね。変にちょっかい出してくるのは。

https://togetter.com/li/1107025
https://togetter.com/li/944513
(④・・・・リベラル・左派またはアベ憎しの人達の問題点等が指摘されたtogetterのページ)

この④のtogetterのページでも彼らのダメぶりが指摘されていて、8・9割方同意できるけど、最近のエントリーで言及した、you tubeでも最近チャンネルを開設した、某反安倍ツイッターも花角候補に票を入れた新潟県民を「何も考えていない」「バカ」とか罵倒していた。(彼は米山前知事の不祥事については「辞めるほどの事ではない。」と擁護していたけど、自公に擁立された森民夫氏が同じ事しても同じ事が言えたのかね?絶対ボロクソに貶していただろですが)

この人のツイートは共感させられたものも少なくないし、だからこそ今もしばしばチェックしているけど、「だから、あんたらのそういう所が駄目なんだよと。」。私もしばしば日本人全体について強い批判もしばしばしているから必ずしも人の事言えないかもしれないし、決して文章力もある方じゃない。私は伝えるのが下手な所もあるから、私自身も全く落ち度がない、悪くないとは言わないけど、とにかく他人の話を聞かない。「俺たち賢人が愚民を教え導いてやっているんだ。」と言わんばかりにハナから一般庶民を見下していて、気に入らない意見言う相手は「敵」認定し、ミョーに攻撃的、反論には反論で返さず、論点そらしもしながら汚い罵倒もする。私もさっさと辞めてくれと思っているけど、安倍総理を親の仇のごとく異常に憎んでいて、日馬富士の暴行事件等関係ない話まで「安倍のせい」にしている。緒方恵美氏の某ツイートに対して、「声優風情が知識人ぶって政治を語るな。」とか「どうせFラン大卒か高卒だから」とか「悪の手先」とか「ネトウヨ声優」とかまるでとんでもない悪い事をしたと言わんばかりに噛みついたのも異常だったけど、ネトウヨのヘイトスピーチと何が違うのよ?これも。

緒方氏については遅ればせながら「お誕生日(某ハンカチ王子と同じ日なんですね)おめでとうございます。」であり、やっぱもう政治の話をするのは控えようかなあだし、国民の為に政治をしているのなら別にリベラルでも保守でもどっちでも良いけど、そういう人達にどうして共感できるというの?維新・新希望以外の野党はそんなダメなリベラル・左派の人達に支持されているけど、その支持されている人達が今回の新潟知事選挙でも前述通り県政とは関係ないモリカケとか政権批判を持ち込み過ぎたり、森友幼稚園の「安倍総理頑張れ」も批判する資格なんかない、公職選挙法違反な保育園児の政治利用したり等却って花角氏に票を入れさせる方向に誘導してしまった。こんな有様じゃ勝てるものも勝てない。リベラル・左派の人達は結果また、そのネトウヨや右派文化人達とか私から見ればもっとダメな人達を生み出して、日本人全体の民度を下げてもいるのですが、いい加減「安倍ガーーー」とかの前に自分達のダメダメぶりを自覚しろよですね。私自身も繰り返し言う様に中道左派だと思っているし、英語版の某ポリティカルコンパスでも診断したら世界標準ではリベラルだったけど、正直こんな有様な日本のリベラル・左派の人達と一緒になんかされたくないです。ナコルルを演じた事もあった千葉麗子氏が「くたばれパヨク」とか書きたくなった気持ちも分かるよ。まあ私も2012年衆議院総選挙で自民に票入れちゃったのは反省していて、谷垣再選じゃなければそういう選択選ぶべきじゃなかったと後悔しているけど、現状ではもう8割方今度の総裁選も安倍3選となるでしょうね。小沢一郎氏の、例の「国民がおかしい」発言も「中韓を知り過ぎた男」の辻本貴一氏の指摘通りすっかり左派に取り込まれちゃったねと言うか、小選挙区制導入とかあんたにも政治劣化を招いた責任あるでしょうが・・・・・・・師匠の田中角栄氏だって「俺の地元にも来て何言ってるんだ!!何やってるんだ!!」とかあの世で怒ってるぞ、嘆いているぞとツッコまずにはいられなかったけど・・・・・・・・・

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2018/05/23

安倍政権支持率を下げるにはどうすれば良いかって?難しくないよ、まずリベラルが自分達の「ダメぶり」を良く認識する事だ

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180522-00000032-sasahi-pol

田原総一朗「麻生舌禍、柳瀬虚偽でも安倍支持率が下がらない理由」〈週刊朝日〉

5/23(水) 7:00配信    

    

AERA dot.

 柳瀬唯夫元首相秘書官の国会招致、麻生財務相のセクハラ問題発言などに揺れた安倍政権。ジャーナリストの田原総一朗氏は、そうした問題が続出しても支持率が下がらない背景を語る。

*  *  *
 前回、私は5月10日の衆参両院の予算委員会に参考人として出席した柳瀬唯夫元首相秘書官の答弁について、国民の誰もが虚言だと捉えているのではないか、と書いた。中村時広愛媛県知事の怒りの抗議が、ますますその思いを強くさせ、柳瀬氏批判が高まっているが、私はむしろ柳瀬氏に同情している、とも書いた。彼はひたすら安倍首相を守るために、虚言を繰り返していたからである。

 その批判について安倍首相は、柳瀬氏は正直に語っていると全面的に認め、彼が首相に報告しないのは当然で、途中段階でそのような説明を受けることはほとんどない、と言い切った。獣医学部新設を政府に申請している加計学園の願いを聞くことを“そんなヒマはない”と言い切る安倍首相の言葉が事実だとすれば、安倍首相の判断力は相当おかしくなっているのではないか。

 さらに森友学園疑惑だが、財務省が国有地売却についての決裁文書改ざんを認めたとき、私は当然、麻生財務相は責任を取って辞任するものと思っていた。自民党の何人かの幹部たちに確かめたが、誰もがそう思うと答えた。

 ところが、麻生財務相は辞任しなかった。それどころか、最近「文書改ざんは一部の人間が勝手にやったことだ。こういうことはよくある話である。だから、組織としての財務省はまったく責任がない」という、理解しがたい発言をした。とんでもない発言だ。それだけではない。麻生財務相はこのところ、福田淳一前事務次官のセクハラ問題でも、わざわざ国民の反発を呼ぶような発言を繰り返している。こんな失言を繰り返している麻生財務相を、なぜ安倍首相は擁護し続けているのか。

 とにかく、安倍内閣では国民の不信を買う問題が続出している。

だから私は、当然支持率が大きく落ちるだろうと予測していた。ところが、4月29日に日経新聞が発表した安倍内閣の支持率は、なんと43%とあった。もっとも、日経新聞はアベノミクスに肯定的なので、こういうこともあるのか、と捉えたが、5月12、13日に実施された共同通信の世論調査では、前回の4月の調査よりも、安倍内閣の支持率が上がっているのである。前回は37%であったのが、今回は38.9%となっている。そして、自民党の支持率も前回よりも微増ではあるが上がって、37.1%である。

 これはどういうことなのか。こんなに問題が続出しているのに、なぜ支持率が上がっているのか。

 野党6党は、麻生財務相の辞任など4項目を政府に要求して、国会の審議を拒否し続けてきた。ところが、要求は何一つかなえられていないのに国会に出席することになった。これ以上拒否し続けると、国民の反感を買うのではないかと自信を失ったのだろう。野党には政権奪取の意欲が感じられない。

 そして、何より問題は自民党だ。

 かつて自民党には主流派、反主流派、非主流派などがあり、主流派と反主流派の間で激しく、リアリティーのあるダイナミックな論争が繰り返された。その意味で自民党は、自由で民主的な政党であった。選挙制度が変わったためもあり、現在ではほとんどの自民党議員が安倍首相のイエスマンとなり、論争の類はほとんどなくなった。自由でも民主的でもなくなってしまったのである。

 これをどのように捉えればよいのだろうか。

まず最初に言っておきたい事があります。今回のエントリーは愚痴話になってしまうので、そういうのが嫌な人はスルーして読まない事を勧めます。

https://news.nifty.com/topics/yomiuri/180523243842/

そういう注意した上で話しますが、私は今年に入ってからは態々このブログで話すまでも無い事はniftyニュースのコメント欄で一言コメして、今日はこの安室ちゃんが沖縄県民栄誉賞を受賞した話等についてコメントしましたが、先々週12日の事ですね。

立憲民主の枝野代表が「自民に会期中に踏み絵を踏ませる。」と発言したニュースについて、私は「まず辻本氏を役職から外しましょう。それだけでもいくらかは違います。決して安倍政権を擁護するわけではないですが、モリカケ追及ばかりに力を入れていても支持は得られません。」とコメントしました。すると、反論のコメントがきて、ただ事実誤認であると反論しただけならまだしも、「お前は中立ぶって、政権支持に誘導しようとしているクズだ。」とまで罵倒されちゃったんですね。

そこまで言われたら私も聞き捨てならないと言うか、「私は自民批判の受け皿になってほしくて改善案を述べただけです。それも理解できないで過剰にかみついた貴方こそクズだ。ネトウヨとかと同じだよ。」という様な反論しました。そしたら、そいつストーカーみたいになって、猪狩ともか氏とか香取慎吾氏とか別の政治とは全く関係ないニュースのコメント欄でもモリカケ追及云々の話を蒸し返して、再び私をクズだと罵倒し、他にも私が皇室関連ニュースで小室圭氏を批判した事共々告げ口もしたんですね。その後他の政治ニュースコメント欄でも数回コメントしたのですが、こいつ以外の数人の匿名にエセ中立だとか非難されましたね。確かに「モリカケの追及ばかり」は事実誤認だったかもしれない。私にも落ち度がなかったとは言いません。しかし、パワハラもセクハラもしたわけでもなければ、その他相手の名誉を著しく傷つける様なデマを飛ばしたわけでもないのに、何でそこまで言われなければならないのかなあと。最初にクズだと罵倒した奴には「私だって安倍総理なんかさっさと辞めてほしいとか思っているんだ。」とか「自民支持者ではなく、選挙ではしょうがないから大抵共産党に票を入れているんだ。」(特に参議院選は2007年以外は全て共産党に入れている)とか何度も政権寄りの人間じゃないとか説明しても分かってもらえなかったですね。もう自分の歪んだ解釈をして、思いこんだ事だけが絶対的に正しいと言った感じで。

https://togetter.com/li/1222872

これは、彼女は私の好きな声優さんの一人でもあるけど、緒方恵美氏のGW前半の、国会審議を拒否する野党の姿勢を疑問視するツイートに対する他の、リベラルだと思われるツイッター達の反応及びその反応についてのネットでの意見をまとめたページですが、まさに「これはひどい」ですね。

なにがひどかったのかと言うと、緒方氏に対するツイッター達のバッシングです。まあ緒方氏も炎上後のあの言い訳はちょっと拙かった。緒方氏らしくなかったけど、特にアカウント@so6287の反応ですね。この人はちょっと前には表現の自由の大切さとかを訴えていたくせに「声優風情が知識人ぶって政治の話をするな。」とか「どうせ彼女は高卒かFラン大学卒だから」(実際は東海大学中退)とか平然と職業・学歴差別発言していたのには噴飯もの(本来はそういう意味じゃないらしいから語弊のある言い方だけど)でしたね。

職業や学歴にも関係なく、政治でも各々言いたい事が言えるのが民主主義なのではないですか?ですが、この人は会社員で法務担当らしい。勿論法務もその分野での高い専門性とかがないと出来ない仕事なのだろうけど、この人がノーマルかハードモードでプレイしているのなら、緒方氏ら一般的にその分野で一流と評価されている声優さん達はベリーベリーハードモードでプレイしているのですよ?しかも解雇される可能性も低いであろうこの人と違って、ギャラは低く、同年代のサラリーマンより低年収な人だって珍しくなく、またどんなに一流でも10年後、20年後も同じ様に売れている保証なんか無い。緒方氏同様常に第一線で活躍されている大塚明夫氏だって、自著(私も買って読みましたが)で「声優だけはやめておけ」と謳っていたほどだ。別にファン止めるのもアニメを見る見ないも勝手だけど、この人は声優という仕事に対してあまりに無知・無理解すぎますよ。過去1ヶ月分のツイートをざっと見て見たら、それほど政治的な話は多くなく、専門的知識について語っているブログもやっているらしいけど、小林よしのり氏のゴーマニズム宣言の画像をまじえながら「立憲民主はネトウヨと繋がっているから、票は入れない。」とか嘯いていたほどだったから政治的スタンスはおそらく左派または極左なのであり、私も彼から見たら間違いなく右派なのでしょう。(立憲民主だって、枝野氏とかは中道かもしれないけど、辻本氏みたいな左派だって少なくないだろうに)

https://www.change.org/p/%e5%ae%89%e5%80%8d%e6%99%8b%e4%b8%89%e5%86%85%e9%96%a3%e7%b7%8f%e7%90%86%e5%a4%a7%e8%87%a3-%e9%81%8e%e5%8a%b4%e6%ad%bb%e5%90%88%e6%b3%95%e5%8c%96-%e6%ae%8b%e6%a5%ad%e4%bb%a3%e8%b8%8f%e3%81%bf%e3%81%9f%e3%81%8a%e3%81%97%e6%b3%95%e6%a1%88-%e9%ab%98%e3%83%97%e3%83%ad-%e3%81%ae%e6%92%a4%e5%9b%9e%e3%82%92%e6%b1%82%e3%82%81%e3%81%be%e3%81%99?utm_medium=email&utm_source=petition_signer_receipt&utm_campaign=triggered&j=319113&sfmc_sub=379144541&l=32_HTML&u=57423153&mid=7233052&jb=421694

別に緒方氏のこのツイートに強く同意するわけでもないです。だからやって良いわけでもないけど、自民だって野党時代に審議拒否した事あったし、自分達の要求が通るほどの実力とかあれば、いくらでもしたって良いでしょう。しかし、現実は野党の要求は何一つ通らないで18連休とかネットでも揶揄されて、再開に応じる羽目になったのではないですか?野党もアテにならないから、この高度プロフェッショナル制度撤回運動にも今日署名して、お金もわずか1000円ながらも寄付しましたが、政治的スタンスが右派だろうが左派だろうが国会運営に疑問を呈する事自体もそんないけない事なんですか?私はハッキリ言ってネトウヨなんてこの世でも最も嫌いな人種の一つですが、このツイートをもって、緒方氏もネトウヨだとか、悪の手先だとか、安倍昭恵と顔も思想も似ている(これは@so6287の5月3日付のツイートによる)とか飛躍し過ぎだろですよ。彼女はその後の言い訳はやや拙劣でも、ツイート自体はそんな叩かれる様なものじゃなかったでしょ。違うかね?

http://www.mag2.com/p/news/327377
http://www.mag2.com/p/news/327377/2
http://www.mag2.com/p/news/327377/3
http://www.mag2.com/p/news/327377/4


これは昨秋の衆議院総選挙直後に投稿した、宮脇睦という人のいかに日本のリベラルとされる人達がダメなのかを指摘した記事です。宮脇氏も正論とか右派・保守系雑誌で主張している人だから100パー鵜呑みにするつもりはないですが、概ね「ああその通りだよなあ。」と納得させられた記事ですね。

まず立憲民主に寛容性がないのがその通りですね。今日も職場食堂のTVをつけて、昼食取ろうとしたら、福山幹事長の怒りドアップの顔が映っていて、亡くなったばかりの人(高畑勲氏とか岸井成格氏とか)も自分達の偏った主張を押し付ける為に利用するリテラ等共々安倍政権を親の仇よりも憎いと言わんばかりに非難していたけど、辻本氏とは別の性質でウンザリさせられて、飯も不味くなりそうでした。(苦笑)

こういう人もいる党なのに自民批判の受け皿になってほしいとまだマジで思っていた私はつくづく優しい人間なのだろうとかはまあ自惚れというものなのでしょうが、「彼らに耳の痛い言葉には即座に罵倒と中傷が投げかけられます。」とか「言論の多様性などそこにありません。対立意見への寛容性も、都合の悪い指摘にたいして目をつぶると言うことをせずに攻撃してきます。反論のつもりが論拠を示さず、罵倒語だけを投げつけます。」とかリベラルまたは左派であると自覚しているか否かは別として、前述の、私をクズ扱いまでしたniftyニュースコメント欄での匿名投稿者とかにほぼ見事当てはまるし、緒方氏の、ただ国会運営のあり方に疑問を呈したに過ぎないツイート(繰り返し言う通り私自身は審議拒否するなと言うつもりは無いが)に鬼の首を取った様に嚙み付いてきたツイッター達にも当てはまるでしょう。

今度発売されるファイティングEXレイヤーでもストリートファイターEXシリーズの七瀬に相当するのであろう紗波音を演じられた緒方氏も災難だったなあ、薙刀で蹴散らすわけにもいかないからなあ~としみじみ思ったけど、自分も実際この緒方氏と似た様な目に遭って、いかに日本のリベラル・左派とされる人達が嫌われていてダメなのかを改めて認識せざるを得なかったです。


もうniftyニュースコメント欄で政治の話をするのは止めるつもりで、もしまた関係ない分野でのコメント欄で蒸し返されたら、「あなたがそこまで言うなら、全く不本意ながら『モリカケ追及ばかり』は事実誤認だったと認める。しかし、それだけじゃない、他にも色々与党の暴走を食い止めているのであろう野党がホントに有能だったら、どうして野党の支持率上がらないんだい?無党派層が自民の支持者よりも多いんだい?こんな事実誤認した見識の無い私にも分かりやすく納得のいくような説明してよ、マスコミの偏向報道のせいとかは無しでね!!」とか反論するつもりですが、そういう悪い意味で日本特有なリベラル・左派の人達のダメぶりが、ネトウヨやネトウヨを中心にウケている右派文化人とかもっとダメな人達を生み出す大きな温床の一つになっているんだよ。あなた達はそうやって自国を良くしようとしているつもりなのだろうけど、実際は逆の事をしている。(そう言えばまた、先週18日には少し前には「みんなに愛される」とか頓珍漢な事言っていた吉川社民党幹事長がペヤングの異物混入事件及びその後の再発防止策を引き合いに出して、働き方改革関連法案成立の為の労働時間調査の杜撰さとかを批判していた様だけど、あなたら政治家先生なんてペヤングなんか普段食わないだろ(苦笑)、私も腹に大してたまらない割にはカロリー高いからあまり食べた事は無いけど、職員をリストラした
だけでなく、拉致問題とか痛恨の失策に対しても真正面から向き合わず、清算しないおたくらが社会的弱者の味方面しても説得力なんかない。何でこの様な人が社民の4人しかいない国会議員の1人なのだろうかとも思いましたが・・・・・・・・・・・)

https://twitter.com/sharenewsjapan/status/990830515098812418

別のある人のツイッターでは、緒方氏の発言について擁護している人が殆どなのはまだ救いも感じたけど、確かに特に第四次以降の安倍政権は色々酷いよ。下手すれば民主党政権の事も笑えないレベルだろう。モリカケ追及もするなとは決して言わない。寧ろドンドン悪い膿を出して、嘘ばかりついている安倍総理その人にもさっさと辞めてほしい。そしてその次は保守は保守でももっと穏健な保守である人に総理やってほしいけど、そんなリベラル・左派の人達も安倍政権がどうだこうだよりもまずそういう自分達の何がダメなのかを正しく認識して、それを直して、どんなに思想が違う相手の主張でも良い点は認められる「大人」にならない事にはどうしようもない。まあでも無理だろうな。緒方氏を叩いたツイッター達も日大アメフト部の前監督ら共々反省の念なんてこれっぽっちもないだろうしね。

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2018/03/31

韓国の国務総理(首相)達とその閣僚経験

http://www.recordchina.co.jp/b586637-s0-c10.html

憲法改正で大統領の任期変更へ、韓国・文大統領の狙いは―米華字メディア

配信日時:2018年3月28日(水) 6時20分

 

         
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26日、米華字メディア・多維新聞網は、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、大統領の再任を認めない現行憲法の改正に挑むと伝えた。写真は文大統領。
2018年3月26日、米華字メディア・多維新聞網は、韓国文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、大統領の再任を認めない現行憲法の改正に挑むと伝えた。

記事は「文大統領が26日に憲法改定案に署名し、『一任期制』の打破へのチャレンジを始めた。現行の韓国憲法では大統領の任期は5年で再任できない。これを任期4年にして1度の再任を認めようとしているのだ。韓国の民間調査機関が22日に発表した世論調査では、59.6%が改憲案に賛成だ」と紹介した。

その上で「過去にも、朴槿恵(パク・クネ)前大統領が任期変更を提起し、やはり高い支持率を得た。再任が禁止された1987年以降、全ての大統領が汚職の罪を負うという結果になっており、『一任期制』はもはや現在の韓国の政治舞台には適さないようだ」としている。

そして、再任を認めるメリットについて「韓国の民主政治がある程度安定する。現状では、現職の大統領の任期切れが近くなると各政党や派閥は次期大統領争いに走る。政敵への攻撃が強まり、大統領が最大のターゲットになる。再任の可能性がなく、場合によっては味方にまで切り捨てられる大統領は徐々に政権運営の主導権を失ってしまう。再任を認めればこの状況を変えることができる」と説明した。

また「国の戦略的な計画を立てる上でもプラスになる」とも指摘。「政策や計画の多くは長い時間をかけて立て、実施する必要があるが、頻繁に大統領が代わっては進めようがない。北朝鮮問題がその好例で、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権では懐柔政策をとったが、その後の李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵政権では過剰な強硬姿勢を取ったため関係が急激に悪化した」と論じている。

記事は「一部の市民は憲法改正には反対している。文大統領の政治的な勇気と決断によって『一任期制』を過去のものにするには、さらに国会での審議、決定を経る必要がある」と伝えた。(翻訳・編集/川尻
文大統領を擁する与党、共に民主党は第一党だとは言え、全議席の4割程度しか取れてない少数与党だから、発議は難しそうですが、今回のこの改憲案は6月に予定されている地方統一選挙に向けた戦略だとも指摘されているらしいです。

この改正案によれば、大統領は国家元首でなくなり、単独での恩赦は出来ない様にする等強大な権限を縮小、首相に相当する国務総理は第一党から選出されるとかいくつもある様ですが、大統領じゃなければ誰が国家元首?まさか韓国国民がそうだと言うのではあるまいな?ですが、韓国の国務総理って歴代の面々見ると、代理就任者も多いけど、軍政期の4人も含めて独立後の70年間で述べ49人が就任している。これは代理就任者は除いた人数だけど、第三・第四共和政のフランス(89年間で述べ113人と平均で約10ヶ月と1年ももたなかった)ほどはひどくないけど、平均で1年そこそこと短命ですね。

日本の内閣総理大臣は、田中角栄は就任の条件として「党務では幹事長も含んで党三役を2回、閣僚では外務・大蔵・通産の内2つを含んで3回経験する」事だと言っていたらしく、大福三角は全員この条件を満たしているし、彼ら以降では櫻内義雄、安倍晋太郎、橋本龍太郎、三塚博とかが該当者らしいですが、韓国の国務総理の場合は就任前どれほどの閣僚経験があったのか調べてみました。(回数は入閣回数で代理者就任の時や同一総理の時でもポストが変わった時はカウントしなおしています)

【第一共和国】

李範ソク・・・・(国防長官を途中まで兼務)
張勉Ⅰ・・・・(駐米大使)
張沢相・・・・外交部長官1回、4ヶ月
白斗鎮Ⅰ・・・・企画財政部長官3回、2年10ヶ月
ビョン栄泰・・・・外交部長官5回、3年

まあ独立直後だったから最初は閣僚経験ゼロな人がいたのもしょうがなかったでしょう。朝鮮戦争末期に就任したからそれなり以上に経験がある人が就いたと思いきや、途中で一旦廃止されます。

【第二共和国】

許政・・・・交通部長官1年7ヶ月、社会部長官1年2ヶ月、無任所長官3ヶ月、計4回、3年
張勉Ⅱ・・・・(副統領)

が初めて複数の閣僚を経験した国務総理で、6年ぶりに復活した後の初の国務総理でもありましたが、李承晩失脚に伴う混乱を収拾した後は短期で身を引いたようです。その後が張勉でしたが、アメリカとのパイプはあっても、クーデターで失脚してしまったのは党の内紛も大きな要因だったけど、経験不足も祟ったからか。副統領としても李の暴走のストッパー役になっていたわけでもなかった様だし・・・・・・第二共和国は韓国の歴史上ではおそらく唯一の議院内閣制(大統領は象徴的存在だったけど、この第二共和国時はまた、大統領は議員との兼職OKだった様でもある)が採用されてましたが、結局能力を発揮する事は出来ませんでした。

【軍政期】

張都瑛・・・・(国家再建最高会議議長と国防部長官を兼任)
宋堯讃・・・・(一時期国防部長官を兼任)
朴正煕・・・・(無し)
金顕哲・・・・企画財政部長官10ヶ月と1年9ヶ月、復興部長官1年、経済企画部長官1ヶ月、計4回、3年8ヶ月

軍政だったから最初の3人は当然軍人出身で、閣僚はせいぜい就任後に国防部長官を兼務していた程度でしたが、張が短期で失脚してしまったのは、彼はエジプトのナギブに似ていたけど、ナギブほどクーデターに積極的に関わろうとせず、当初は日和見的な態度を取っていたのが響いたからか。軍政期最後の金のみが文官で、民政移管へのアピールとして軍部から起用されたのだろうけど、確かに閣僚経験も豊富で、退任後も80年代後半の民主化までは色々要職を歴任していたらしいから、まあ要領よく立ち回った方でしょう。

【第三・第四共和国】

チェ斗善・・・・(無し)
丁一権・・・・外交部長官2回、1年1ヶ月
白斗鎮Ⅱ・・・・総理経験者
金ジョンピルⅠ・・・・(副総理格のKCIA長官)
チェ圭夏・・・・外交部長官、1回、3年11ヶ月
申ヒョナク・・・・復興部長官1年1ヶ月、保健社会部長官3年、経済企画部長官1年、計4回、5年1ヶ月
南デ祐・・・・経済企画部長官4年3ヶ月、財政部長官4年11ヶ月、計5回、9年2ヶ月

最初の斗善は独立活動家歴があって、大統領となった朴正煕よりも年長でしたが、朴は日本との関わりが深く、実際死後に親日派認定されてしまったけど、政敵からの批判反らしの意味もあったのでしょう。実際閣僚経験は無く、半年足らずで退任となり、その後は朴同様軍人出身者もいたけど、特に外交と経済畑での経験が豊富な人を起用する実務重視の姿勢が伺えます。この時期は日本との国交樹立による経済援助やベトナム戦争参戦等で漢江の奇跡を成し遂げ、世界最貧国(1960年代前半時点で一人当たり国民所得はフィリピンと比べても3割そこそこしかなかった)から脱し、著しい経済成長を遂げた等国際的地位を高めていった(一方で強引な維新クーデターやベトナム戦争での蛮行等批判点も皆無ではなかったが・・・・・・)のですが、特には総理在任期間は断トツのトップで、退任後も朴が暗殺されるまで長く国会議長を務めた等軍人出身者では朴に次いでキャリアを極めたと言って良いし、南も朴暗殺直後の経済混乱の中での火消し役は十分務めたのでしょう。しかし、総理としてはおそらく丁の次に在任期間が長かった圭夏は残念ながら大統領としては短期ですぐ辞めさせられてしまって、総理までの経験は生かせませんでしたが、汚職とは無縁で、自身も長寿を全うしたし、この国ではそれが却って良かったのか?

【第五共和国】

劉彰順・・・・商工部長官7ヶ月、経済企画部長官2ヶ月、計2回、7ヶ月
金相ヒョプ・・・・教育部長官9ヶ月、1回
陳ウィジョン・・・・保険社会部長官、2回、9ヶ月
廬信永・・・・外交部長官1年9ヶ月、国家安全企画部長官2年8ヶ月、計8回、4年5ヶ月
金貞烈・・・・国防部長官2年10ヶ月、1回

第三・第四共和国時と比べるとやや物足りないけど、実務重視の姿勢には大きな変化は無いです。この期間、再び経済成長を続け、ソウル五輪も実現しています。

【第六共和国、盧泰愚・金泳三政権期】

李賢宰・・・・(無し、大学教員として活動)
姜英勲・・・・(無しだが、駐英・駐愛大使等外交経験はある。軍人出身。)
廬在鳳・・・・(無し、大学教員として活動)
チョン元植・・・・教育部長官2回、2年
玄勝ジョン・・・・(無し、軍人出身だが、大学学長等を経て就任)
黄寅性・・・・交通部長官1年、農林水産部長官2年3ヶ月、計3回、3年3ヶ月
李会昌・・・・(副総理格の監査院長)
李英徳・・・・副総理兼統一院長官4ヶ月、1回
李洪九・・・・統一部長官2年1ヶ月、8ヶ月、計5回、2年9ヶ月
李寿成・・・・(ソウル大学学長)
高建Ⅰ・・・・交通部長官6ヶ月、農林水産部長官1年2ヶ月、内務部長菅2ヶ月、計6回
1年10ヶ月

ところが、民主化されると閣僚経験ゼロの国務総理がまた目立つ様になってしまいました。盧泰愚政権期はまた、自身と同じ軍人出身の総理も見られる様になり、また大学教員経験者の起用も目立つ様になりましたが、その一方で李姓の総理が続いた金泳三政権期はそこそこ以上の閣僚経験者も起用される様にもなりました。最後のはwikiでは「経験豊富な達人」と書かれているけど、在任年数だけを見ればそこまで豊富には見えないです。また玄は、総理在任が重なってもいた宮澤喜一と同じ1919年生まれでもありました。

【第六共和国、金大中・廬武鉉政権期】

金ジョンピルⅡ・・・・総理経験者
朴泰俊・・・・(無し、韓国のカーネギー)
李漢東・・・・内務部長官7ヶ月、1回
金ソクス・・・・(無し)
高建Ⅱ・・・・総理経験者
李海ギョン・・・・教育部長官1年2ヶ月、2回
韓明淑・・・・女性部長官2年1ヶ月、環境部長官1年、計6回、3年1ヶ月
韓ドクス・・・・財政部長官1年4ヶ月、3回

韓国で初めて革新勢力が大統領を擁立していた時期でしたが、盧泰愚・金泳三の保守政権期と比べると再び実務が重視される様になり、総理経験者が2人再登板しています。特にジョンピルは最近も親戚として朴槿恵について批判的な証言をしたのも記憶に新しいですが四半世紀近くのブランクを経ての再登板で、おそらく最後の軍人出身の総理でもあるでしょう。また革新政権らしく明淑という初の女性総理も誕生しています。彼女は久々の3年以上閣僚を経験した総理でもあり、相当期待されていた事が伺えましたが、廬共々汚職がバレて、ソウル市長選挙でも落選し、ついに2015年に懲役2年の実刑判決が下ってしまいました。世界中で女性政治家のダメぶりも目立っている近年、韓国では朴槿恵がその代表例みたいになってしまって、彼女は去年夏に出所しましたが、革新勢力が政権奪還した中で再浮上はあるのか。

【第六共和国、李明博政権期以降】

韓昇ス・・・・外交通商部長官10ヶ月、財政企画部長官7ヶ月、1年4ヶ月、計4回、2年9ヶ月
チョン雲チャン・・・・(ソウル大学学長)
金ファン植・・・・(副総理格の監査院長)
チョンホン源・・・・(弁護士、検事出身)
李完九・・・・(道知事)
黄教安・・・・法務部長官2年3ヶ月、3回、検事出身
李洛淵・・・・(マスコミ出身、道知事)

どうも長期的傾向として韓国の国務総理は民主化以降は閣僚経験がそれなりに豊富な人と、特定の非政治分野では一定以上の名声はあるけど、政治での実務経験に乏しい人が半々出ている印象がある様で、韓姓の総理がまたでもありますが、李明博政権初期の昇スは前者の部類でした。民主化以降総理交代も比較的少なくなって、李政権期は3人しか出なかったけど、総理の政治実務経験の乏しさも拍車がかかっている歴代大統領の反日政策等の迷走とも無関係ではない様にも見えます。実際ファン植は李に迎合して度々反日的発言もしていた様だし、チョンは朴の代読総理と揶揄されていた上にセウォル号沈没事件の責任を取る形で一旦辞職を表明するも、後任候補の一人だった文昌克は親日発言(「南北分断は神の意思だ。」はやや言い過ぎで日本にも招いた責任もあると思うけど、それ以外はその通りだとも思う)が問題視されて、完九が就任したけど、こいつも反日発言していた上に土地投機等の疑惑が浮上、裁判では無罪を勝ち取ったものの、石橋湛山や羽田孜とかとも大差ない2ヶ月しか持たなかった。

確かに某所でも指摘されていた通り、同じ反日政策でも保守の方がエグい(しかし、李は韓日関係の重要性は客観的に理解していて、朴もお父さんはハッキリ日本統治を評価する発言していただけにそういう反日に走らざるを得ないのももはや一種の「宿命」なのか・・・・・・)と言うか、反日にも血道をあげていた内に朴槿恵がとうとう周知の通りな有様になってしまったけど、民主化以降初めて大統領が弾劾された異常事態の中でその権限を代行する事となった黄が検事としてでなく、政治実務でも久々の、それなりの経験がある総理だったのは韓国や韓国国民にとっていくらかの救いにもなったでしょう。一方であくまで代行に過ぎないのに正式な大統領としての待遇を要求していたとも報道されていましたが・・・・・・・・・・・

政治・社会的にますます迷走を深めていってしまったので、黄代行の後は再び革新勢力が政権奪還を果たしましたが、現任者の洛淵はマスコミ畑から政治家に転身して、道知事の経験はあっても閣僚経験は無いながらも知日派らしい。そもそも李承晩が初代大統領になってしまったのが日韓両国民の大きな不幸であり、特に所謂日帝36年までの歴史を客観的に受け容れるのは辛いだろうし、日本もいつまでも恨まれるのは正直困るながらも朝鮮併合を100パー正当化するつもりはない(第二次世界大戦という大失敗の原因の一つにも間違いなくなったのだし)ですが、その恨とかのエネルギーをこれから学歴や職歴に関係なく国民が皆幸福になり、生まれ変わってもまた韓国人になりたいと思える様な国にしていくエネルギーに変えてほしいと思うのです。憲法改正が実現しても適用されるのは2022年以降だからその時には既に退任しているであろう洛淵総理にそこまでの革命を成し遂げるのを期待するのは難しいでしょうが、権限が強化される可能性も出てきた国務総理の今後の政治的な役割も注目されるべきでしょう。

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2018/02/28

政党座標テストも受けてみたが

先日また、ポリティカルコンパスで診断したら政治-1、経済-4.44だった(10~-10が範囲で、正ならば右寄り、負ならば左寄り)けど、やっぱ私は政治的思想は中道左派なのでしょうね。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12139792617

yahoo知恵袋でもこの様な質問した人がいて、彼は中退とかしていなければ現在も大学に在学中で、今年就職するのだろうけど、彼の主張と私のそれは大体同じですね。違う点を挙げるならば・・・・・・・

君が代斉唱 基本的には個人の自由だが、斉唱が義務付けられている学校で教師とかがそれに応じないのはおかしい。そんなに嫌ならさっさと歌わなくていい職場に転職すべき。
首相の靖国参拝 参拝する人による。過去の歴史に対して真摯な反省と建設的な未来志向を忘れない人ならば首相だろうが芸能人だろうがニートだろうが別に何とも思わないが、戦前・戦中を美化し、愛国心も押し付ける政治家や文化人等の参拝には反対。
天皇制 基本的には維持すべきだが、また小室圭氏の様な男が寄生してくるようならばさっさと廃止して、皇族の方々には自分で責任とれる範囲で気ままに暮らしてもらう方が良い。決して無条件の崇拝とかはしない。
日米安保 どちらかと言えば賛成だが、地位協定は絶対見直して、少しでももっと対米自立できるようにすべし。
どちらかと言えば親米 ただし、特に外交や軍事での対米追従には否定的、北朝鮮の核開発問題も必要最小限な連携だけ取れば良い、エルサレムの首都承認とかももっての外。
集団的自衛権 特定秘密保護法 前者は制限された条件下でなら賛成だが、安倍政権は間違っても行使なんかしない方が良い(でも、2015年の安保体制で事実上行使できる様になったよね?確か)、後者は賛成。
日本の核武装 基本的には反対、そんな事言い出す前に何が本当の脅威なのかもう一度よーく考えた方が良い。

これぐらいでしょうね。まあ天皇制容認、外国人参政権には反対、核武装も必要悪として容認しているあたり、左翼とまではいかないでしょう。私よりももっと左だけど、左翼よりの中道左派と言った所ですか。この質問者は。

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

本場ポリティカルコンパスをもう少し簡素化した様な政党座標テストのHPも最近見つけたけど、これも私も診断してみました。0が同意しない、1があまり同意しない、2がどちらとも言えない、3がやや同意する、4が同意するとすれば・・・・・

マリファナは合法であるべきである・・・・1
市場は一般的に、政府が行う資源配分よりも優れている。・・・・1
もしシートベルトなしで運転をしたいのであれば、それはその人の決断であるべきである。・・・・3
無駄な政策が多すぎる。・・・・4、安倍政権なんかまさにそうでしょう。
税金は、芸術やスポーツに使われるべきではない。・・・・2
死刑は事例により選択肢にすべきである。・・・・4、だって、先日爆報THEフライデーでも取り上げられていたけど、椿隆之氏の顔をボコったごじゃっぺが執行猶予かつわずかな罰金で済んだなんてやるせないでしょうよ。これで死刑が廃止になったら・・・・・・・
売春は合法であるべきである。・・・・1、女性専用車両でも騒いでいる様な日本でも絶対合法なんかにはしない方が良い。
西洋文明は、古代ギリシャの思想よりもキリスト教からより恩恵を受けている。・・・・1
株式取引に関する投機は、他の経済活動よりも好ましくない活動である。・・・・3
一部の国と文明は天敵である。・・・・0、そういう固定観念に囚われ、異民族ヘイトとかに走る事がいかに国辱ものの愚行であるか?ネトウヨを中心としたわが国日本の国民が立派な反面教師になっているじゃない。
総体的に、最低賃金は利益を与える以上に害をもたらす。・・・・0
君主制と貴族称号は廃止されるべきである。・・・・2、前述した通り。
海外製品に対し輸入税率を定めることは、私の国の雇用を保護する好ましい方法である。・・・・3
私の国は発展途上国に対し、より多くの対外援助と 開発援助を行うべきである。・・・・1、安部バラマキ外交を見ていれば2以上はあり得ないですね。私からは。
気候に対する恐れから産業に対し増税を行う必要がある。・・・・2
同性愛カップルは養子を引き取る権利を含め、異性愛カップルとすべて同じ権利を持つべきである。・・・・3、今すぐできる様にしろとまでは言わないけど、価値観の多様化は否定すべきじゃないし、反対はしません。
監視とテロ対策プログラムは、度を越している。・・・・1、アメリカとかはそうかもしれないけど、前にも言ったけど、テロは彼らを駆り立てさせるものを根絶しない限りは無くならないし、1が妥当と言った所。
政府は、裕福層から貧困層に財産を再分配すべきである。・・・・4、日本がこの先の衰退を免れるためには絶対避けて通れない道です。
総体的に、労働組合は効用を与えるよりも害を多くもたらす。・・・・0
私の国への移住は最低限度に抑え、厳しく管理されるべきである。・・・・3、もちろんはすみとしこのあの愚行は論外だけど、欧州は今どうなっている?
自由貿易は、発展途上国にとって開発援助よりも助けになる。・・・・2
一部の人々や宗教は、一般的に他の人々や宗教よりも問題を抱えている。・・・・4
政府が事業に携わると、大抵進捗具合が思わしくない。・・・・2
医学的に支援された自殺行為は合法であるべきである。・・・・3
犯罪者を社会復帰させることは、処罰を与えることよりも重要である。・・・・0
他の宗教に対し自分達の宗教の特権を主張することは、国民にとって正当である。・・・・1
実際は、事業の関心と社会の関心の間に対立が存在する。・・・・3
平等は経済成長よりも重要である。・・・・3
仕事を拒否する人は政府から支給される失業手当の受給資格を与えるべきではない。・・・・2
政府は、銀行家と代表取締役の最高賃金に対し、上限を設定すべきである。・・・・4、NHKの経営陣にも必要でしょう。
雇用創出を目的とする財政支出は、一般的に良い着想である。・・・・3
国は、国際社会の支援無しで決して戦争に行くべきではない。・・・・4、支援があったとしても、正しい戦争なんかある筈ないのだけど・・・・・・・
総体的に、エドワード・スノーデンやウィキリークスが犯した機密漏洩は、益をもたらす以上に害を及ぼす。・・・・1
政府は、国民に医療を無料で提供するべきである。・・・・3、まあそれも一番の理想でしょう。
もし移住者が、彼等の国旗を私の国に掲げたいならば、私はそれでいいと思う。・・・・3、まあそれぐらいなら別に良いんじゃないですか。たとえ中国や韓国の旗だとしても。
強い軍隊は、強い外交よりも優れた外交政策道具である。・・・・0、強い外交もまた戦争防止の為になされなければいけないでしょう。ましてや原発が50基以上もある日本は戦争なんか出来ないのだから。


その結果がこれでした。

Photo
ちょっと見づらいけど、「22.2%左派、8.3%自由主義者」との事で、やっぱ前にも言った通りビル・クリントン氏に近いですね。アメリカ国民ならば、間違いなく民主党支持者なのでしょう。もう一度本場ポリティカルコンパスも診断してみたいとも思うけど、このページでは他にも色々なテストあるみたいなので、また機会あらば稿を改めて・・・・・・かも?

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2018/02/24

アメリカの連邦議員達の在職年数について(上院議員編)

本来ならばこっちの方が先に興味を持った事でしたが、上院議員編です。

下院は比較的早く在職30年の議員が出てきました。しかし、上院は任期こそ6年と下院に比べて長いですが、人口比に関わらず州の代表2人ずつ選出という事で定員は100人と4分の1弱しかない事もあってか、5期30年以上在職した人が出てくるのにはそれなりに時間がかかりました。歴代在職年月数最多議員の移り変わりは以下の通りです。(年月は記録保持期間)

ジョン・ラングレン&ジェームズ・ガン・・・・12年(~1802年6月)→セオドア・フォースター・・・・12年9ヶ月(1802年6月~1811年12月)→ジョセフ・アンダーソン・・・・16年(1811年12月~20年12月)→ジョン・ガイヤール・・・・21年2ヶ月(1820年12月~41年2月)→ウィリアム・キング28年10か月(1841年2月~50年6月)→トマス・ベントン(初の5期議員)・・・・29年7ヶ月(1850年6月~96年10月)→ジャスティン・モリル・・・・31年9ヶ月(1896年10月~1904年12月)→ウィリアム・アリソン(初の6期議員)・・・・35年5か月(1904年12月~52年8月)→ケネス・マッケラー・・・・35年10ヶ月(1952年8月~63年1月)→カール・ヘイデン(初の7期議員)・・・・41年10ヶ月(1963年1月~97年5月)→ストロム・サーモンド・・・・47年6ヶ月(1997年5月~2005年3月)→ロバート・バード(初の8期議員)・・・・51年5か月(2005年3月~)

初めて3期を超えて務めたのがガイヤールで、彼までがアメリカ独立戦争を経験した世代です。キングは駐仏公使就任の為一旦上院議員を4期務めた所で辞めて、1848年から5期目に入りましたが、途中で副大統領になったのでまた途中で辞任した。ところが、残念ながら既に結核を患っていて、間もなく鬼籍に入ってしまった。そんな内にベントンが初めて5期を務めた議員となったけど、彼以降期数を更新するたび長期間在職期間記録が保持される事ととなりました。ベントンは46年強、アリソンは48年弱、ヘイデンは34年強保持した。

ヘイデンの記録を更新したのはサーモンド氏で、この時点で既に95歳、日本の尾崎行雄原健三郎をも凌ぐ(中曽根康弘氏も小泉純一郎氏に引退に追い込まれなければ、尾崎の議員在職年数も更新できていただろう)高齢でしたが、2002年12月にはついに現職議員のまま100歳の誕生日を迎えた。まもなく退任、引退したけど、それから半年経たない2003年6月に天寿を全うしたのは、死因は心不全だったらしいけど、生きる張り合いを無くしてしまったのもあったのか。その数年後に、上院議員在職年数こそバード氏に更新されてしまったけど、100歳まで議員やった人、他に知らないと言うか、この最高齢記録は今後も更新される事はないでしょう。おそらく・・・・・・・・・・・・・

上院議員在職年月数トップ10は以下の面々です。

1位 ロバート・バード 51年5ヶ月(1959年1月~2010年6月)
2位 ダニエル・イノウエ 49年11ヶ月(1963年1月~2012年12月)
3位 ストロム・サーモンド 47年6ヶ月(1954年12月~56年4月、56年11月~2003年1月)
4位 
エドワード・ケネディ 46年7ヶ月(1962年11月~2009年8月)
5位 パトリック・リーヒ 43年1ヶ月(1975年1月~現職)
6位 カール・ヘイデン 41年10ヶ月(1927年3月~69年1月)
7位 ジョン・ステニス 41年2ヶ月(1947年11月~89年1月)
8位 オリン・ハッチ 41年1ヶ月(1977年1月~現職)
9位 テッド・スティーブンス 40年1ヶ月(1968年12月~2009年1月)
10位 サッド・コクラン 39年2ヶ月(1978年12月~現職)


イノウエ氏は最晩年には名誉職だとは言え、大統領継承第3位の上院仮議長にまで登りつめた等日系人のみならずアジア系では一番出世したと言えて、50年にあと少しという所で鬼籍に入ってしまったのが惜しかったけど、ケネディ氏は某スキャンダルが無ければ兄弟での大統領が誕生していた可能性もあっただけに、存命時点ではバード氏に次いで在職年月数3位でしたが、あまり名誉には感じていなかったかもしれない。もう一人の兄のロバートも暗殺されてしまったけど、ケネディ家の悲劇とは彼も決して無縁ではなかったと言うか、晩年にはまた、甥のジョンジュニア氏(父の葬儀の時に敬礼していたあの子供の事ね)が飛行機事故で死去、後を追う様に娘のカラ氏も早世、甥のロバートジュニア氏の奥さんも自殺とどうしてこうも不幸が立て続けに起こるのか・・・・・・・・・切断障害があるらしい息子のエドワードジュニア氏もコネチカット州知事選に出馬を表明して、姪(ジョンの娘、キャロライン氏)の息子のジャック・シュロスバーグ氏も現在はハーバード・ロースクールに在学中ながらも政界進出も噂されているらしいですが、果たして・・・・・・・・

ケネディ家に少々深入りしすぎたけど、彼ら10人の内5人は2000年代まで議員を務めて、3人は現職と上院は下院と比べて時代が下るにつれて在職年数が明確に伸びているのも特徴的と言えるかもしれません。そして、おそらくですが、上院・下院ひっくるめた連邦議会議員歴トップ10はこの面々でしょう。(赤表示は下院のみ、青表示は上院のみ、緑表示は両院議員経験者)

1位 ジョン・ディンゲル 59年10ヶ月
2位 ロバート・バード  57年6ヶ月(上院51年6ヶ月+下院6年)
3位 カール・ヘイデン  56年11ヶ月(上院41年10ヶ月+下院15年1ヶ月)
4位 ダニエル・イノウエ 53年4ヶ月(上院49年11ヶ月+下院3年5ヶ月)

5位 ジェイミー・ホワイテン 53年2ヶ月
6位 ジョン・コニャーズジュニア 52年11ヶ月
7位 エマニュエル・セラー 49年10ヶ月
8位 サム・レイバーン  48年8ヶ月

9位 ストロム・サーモンド 47年6ヶ月
10位 ライト・パットマン  47年


日本も在職50年の議員は戦前の閑院宮載仁親王と西園寺公望を含んでも7人(他にも鞍替え、または途中落選して数年ブランクがあった二階堂進や宮澤喜一とか惜しかった人も何人かはいる。来年2019年12月末に小沢一郎氏も8人目として到達する見込みだが、天皇を政治利用して勝手に習近平国家主席に会わせた事もあったし、表彰するのは別に良いけど、胸像とかは勘弁してほしい)しか存在せず、しかも殆ど下院に相当する衆議院での在籍(参議院議員のみで在職最長は山東昭子氏か)ですが、こうして見ると、連邦議員全体としては、下院議員編で触れたジョン・ランドルフ以降は・・・・・・・・・・

ランドルフ(上院2年も含めて26年2ヶ月在職)→(トーマス・)ニュートンジュニア→(ジョン・)ケットカム→(ジョセフ・)キャンノン→ヘイデン→バード→ディンゲル

の順に最長在職議員が移り変わっていった事になります。キャンノンは1908年~58年の半世紀に渡って記録を保持し、ヘイデンは、彼も90過ぎまで現役だったけど、2010年1月にバード氏に更新されるまでやはり半世紀強記録を保持、バード氏は間もなく現職のまま鬼籍に入ったけど、今度はディンゲル氏が2013年7月に更新して現在に至っているわけですね。サーモンド氏も上院のみ経験者では唯一のトップ10入りしていると言うか、それ以前はサウスカロライナ州知事を1期やっていて、上院議員初当選時は既に50過ぎていたから、30代で国政進出していれば間違いなく彼がヘイデンの記録を更新して現在も最長記録を保持していたでしょうが、1975年に初当選して、2023年初めまでの任期が保証されているリーヒ氏とかが新たにトップ10入りする可能性もあります。まあ尾崎行雄の62年8ヶ月にはやや及ばなかったながらも、ディンゲル氏の議員在職年数もまた、今後そうそう破られる事はないでしょうね。当選回数では尾崎をも凌いでいるけど、まさに空前絶後でしょう。

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アメリカの連邦議員達の在職年数について(下院議員編)

昨年末、アメリカ合衆国アラバマ州で上院議員補選が実施されて、ハンク・アーロン氏等が出身者ですが、結果は野党の民主党が勝利したのも記憶に新しい所かもしれませんが、三権分立が徹底しているアメリカでは大統領は議会解散権がなく、他に解散権を持つ人もいないけど、任期は上院が6年で2年ごとに3分の1が改選、下院が2年で、大統領選挙がない年にやる選挙は中間選挙として実施されるらしい。最初は上院議員達で長く在職した人達について調べたけど、定員が4倍以上いる下院議員達の在職年数等についてから分かった事を述べます。

30年以上在職した下院議員の人数(州別)

デラウェア・・・・0
ペンシルバニア・・・・4
ニュージャージー・・・・2
ジョージア・・・・1
コネチカット・・・・0
マサチューセッツ・・・・4
メリーランド・・・・1
サウスカロライナ・・・・1
ニューハンプシャー・・・・0
バージニア・・・・3
ニューヨーク・・・・13
ノースカロライナ・・・・2
ロードアイランド・・・・0
バーモント・・・・0
テネシー・・・・3
オハイオ・・・・2
ルイジアナ・・・・0
インディアナ・・・・3
ミシシッピ・・・・5
イリノイ・・・・6
アラバマ・・・・0
メイン・・・・0
ミズーリ―・・・・3
アーカンソー・・・・1
ミシガン・・・・4
フロリダ・・・・0
テキサス・・・・11
アイオワ・・・・0
ウィスコンシン・・・・3
カリフォルニア・・・・2
ミネソタ・・・・1
オレゴン・・・・1
カンザス・・・・0
ウェストバージニア・・・・1
ネバダ・・・・0
ネブラスカ・・・・0
コロラド・・・・1
ノースダコタ・・・・0
サウスダコタ・・・0
モンタナ・・・・0
ワシントン・・・・0
アイダホ・・・・0
ワイオミング・・・・0
ユタ・・・・0
オクラホマ・・・・1
ニューメキシコ・・・・0
アリゾナ・・・・2
アラスカ・・・・1
ハワイ・・・・0

下院は人口比に応じて定員が定期的に見直されているらしいけど、アメリカと言うよりも世界の政治・経済の中心地であるニューヨークのお膝元なニューヨーク州が一番多いですね。その次がテキサス州で、それぞれシカゴがお膝元のイリノイ州も5人いて、成立が遅い州を中心に未だゼロな州も少なくないけど、全米では77人います。ワシントンDCやグアム、プエルトリコ等州ではない特定地域でも30年以上在職した人はまだいません。

合衆国初期において長く下院議員を務めたのはジョン・ランドルフかと思われます。数度ブランクがあって、晩年は短期間ながら上院にも転じていましたが、1813年にバージニア州15区で落選して、2年後の1815年に今度は16区から出馬して当選しましたが、同じバージニア州の21区だったトーマス・ニュートンジュニアに並ばれてしまい、1817年にまたランドルフが落選した時点でおそらくニュートンが議員として最長在職者となりました。

ニュートンも1区に転じていた1830年に議員でなくなってしまいながらも、翌1831年にカムバックして、1期務めて64歳だった1833年に引退、その直後にランドルフも現職のまま結核で亡くなってしまいましたが、通算31年務め、下院議員初の在職30年議員及び議員の最長在職記録の保持者になったかと思われます。

次に更新したのがニューヨーク州のジョン・ケットカム(在職1865年3月~73年3月、77年3月~93年3月、97年3月~1906年11月)で、1904年にニュートンの記録を更新、2人目の在職30年の下院議員となりました。しかし、翌1905年には早くもイリノイ州のジョセフ・キャンノン(在職1873年3月~91年3月、93年3月~1913年3月、1915年3月~23年3月)も3人目の在職30年下院議員となり、1908年末にケットカムの記録を更新、1913年にはまた議員でなくなるも、1915年に返り咲き、1917年におそらく初の在職40年議員となりました。アメリカの議会が設立されたのは1788年で日本のそれより約100年早いですが、これは尾崎行雄が在職40年議員になった13年前の事でした。

1923年に87歳で引退したキャンノンのこの記録は半世紀強の長きにわたって保持されてきましたが、アイゼンハワー政権期の1959年にテキサス州のサム・レイバーンが久々に更新、彼はこの時下院議長も務めていましたが、上院も院内総務だったリンドン・ジョンソンらを自分の手足の様に使って、影響力を保持していました。フランクリン・ルーズベルト政権期においても第1・2期の副大統領だったジョン・ガーナ―を擁立してルーズベルトの3選を阻止しようと(結局予備選で敗北して引退を余儀なくされた)しましたが、第二次世界大戦後、大統領の連続3選禁止が明確化されて、ポストアイクに焦点が充てられた時もそのジョンソンを擁立して、ジョン・F・ケネディに敵対したのです。

結局は、ケネディが民主党候補となって、疑惑もありながらもニクソンとの大統領選に勝利を収めたのは周知の通りですが、そこで燃え尽きてしまったのか議員在職のまままもなくガンで亡くなった。ところが、これも周知の通りケネディ自身もそのレイバーンやジョンソンの地元、テキサス州で暗殺されて、副大統領だったジョンソンが結局昇格したけど、天国から見ていたらどう思った事やら。

ニクソンもそのジョンソンの後に大統領になったけど、そのニクソン政権期の1971年末にはニューヨーク州のエマニュエル・セラーがレイバーンの記録を更新、このセラーは第二次世界大戦後、対イギリス援助についてイギリスのパレスチナ撤退とセットでなされるべきと主張したエピソードがありますが、最終的にはユダヤ人だったエリザベス・ホルツマン(当時の彼女の地元、ニューヨーク州16区はユダヤ人が住民の過半数を占め、特にユダヤ人の支持を得ないと当選は不可能だった)にあともう少しで議員在職50年の所で引退に追い込まれたのも皮肉な話です。

下院議員在職50年を達成したのはミシシッピ州のジェイミー・ホワイテンで、その時はブッシュパパ政権期だったけど、それからさらに四半世紀経ったオバマ政権期の2015年には在職50年の下院議員が入れ替わった。ジョン・ディンゲルとジョン・コニャーズジュニアの同じミシガン州で、同じ「ジョンさん」だけど、ディンゲル氏は白人、コニャーズ氏は黒人の「オセロ」コンビです。(そう言えば、本家オセロも中島氏は今どうしているのやら。お笑いコンビって片方は露出しなくなってしまうの多いけど)

特に日米貿易摩擦時には対日強硬派として鳴らしたディンゲル氏はまもなく引退したけど、引退当時は(現在もか)議員在職記録の保持者でもありました。下院議員を40年以上務めた面々は以下の通りですが、わずか13人と30年以上の6分の1に過ぎません。

1位 ジョン・ディンゲル 59年1ヶ月(1955年12月~2015年1月)
2位 ジェイミー・ホワイテン 53年2ヶ月(1941年11月~95年1月)
3位 ジョン・コニャーズジュニア 52年11ヶ月(1965年1月~2017年12月)
4位 エマニュエル・セラー 49年10ヶ月(1923年3月~73年1月)
5位 サム・レイバーン 48年8ヶ月(1913年3月~61年11月)
6位 ライト・パットマン 47年(1929年3月~76年3月)
7位 ジョセフ・キャンノンとチャールズ・ランゲル 46年 (キャンノンは1873年3月~91年3月、93年3月~1913年3月、1915年3月~23年3月で、ランゲルは1971年1月~2017年1月)
9位 アドルフ・サバス 45年8ヶ月(1907年3月~52年11月)
10位 ドナルド・ヤング 44年11ヶ月(1973年3月~現職)
11位 ジョージ・マホン 44年(1935年1月~79年1月)
12位 メルビン・プライス 43年3ヶ月(1945年1月~88年4月)
13位 ロバート・ダウグレン 41年10ヶ月(1911年3月~53年1月)


殆どが20世紀以降に国政デビューした面々で、ヤング氏のみが現職議員ですが、長くなってしまったので上院議員編はまた別稿という事で。

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2018/02/03

歴代衆議院当選回数最多議員の顔ぶれ

国会議員白書というHPがあるのを最近知ったのですが、そのHPを基に、戦後の衆議院議員当選回数最多議員の顔ぶれはどの様に移り変わっていったか調べてみました。(数字は期数、()は議員在職期間)

23~25 尾崎行雄(1890~1953)当選23~25回

別名咢堂の、憲政の神様ですね。ご存知の通り。途中東京市長も務めて、アメリカに桜を送った事もあったけど、戦前は市長と国会議員の兼職OKだったんですか。戦後はやめなきゃダメだよね。相馬家の現当主もこの人の孫(母は三女の雪香で、この人もかなり長生きだったが、祖父が亡くなった時、孫である事を話すも「お前の様な奴があんな立派な人の孫なわけがない。」と中学校の先生から怒られたと言う。また、祖母がイギリス人とのハーフだったので1/8はこの人もイギリス人の血を引いているという事か)ですが、最後の19世紀からの国会議員、江戸時代生まれの国会議員でもありましたね。おそらくですが、当選回数及び議員在籍期間は今後も不滅の記録としてあり続けるでしょう。

27・28途 鳩山一郎(1915~46、52~59)、星島二郎(1920~66)当選14・15回

鳩山一郎は最近爆報THEフライデーでも孫嫁(由紀夫氏の妻、幸氏)が取り上げられていたけど、尾崎行雄の引退直後に総理、そして保守合同で成立した自由民主党(自民党)の初代総裁になった。最後の1910年代からの国会議員でもありました。おそらく。

28途~30 星島二郎(1920~66)当選15~17回


デビューはやや遅れたも、鳩山は途中公職追放されていたので、尾崎行雄引退後は当選回数最多タイとなってましたが、彼のの急死で彼が単独トップになった。「ほし しまじろう」ではなく「ほししま にろう」と言うらしい。誤読しやすい名前の人ですね。鳩山同様旧日本民主党出身ですが、政策は戦前から一貫して比較的リベラルな立場で比較的右派色が強かった日本民主党ではやや異色の存在だったでしょう。wikiでのページでは45歳の時の写真が載せられているけど、なかなかのイケメンです。おそらく最後の大正時代からの衆議院議員でもありました。(※5/27追記 当選同期で、途中ブランクはあったけど、1972年まで現職の議員だった益谷秀次がいました)

31・32 西尾末広(1928~32、37・38、42~45、46~48、52~72)当選14・15回

途中ブランクは何度かありましたが、尾崎行雄以来13年ぶりの非自民系国会議員であり、初めての左派政党出身者だったでしょう。もっとも、星島の引退でその様に当選回数最多議員になった時は既に民社党所属となっていました。民社党は中道とされていたけど、西村眞悟氏曰く「自民党より右だった。」との事。

33・34途 船田中(1930~45、52~79)、三木武夫(1937~88)当選14・15回

大体当選回数15回前後が最多議員の目安みたいになってますね。船田中はキン肉マンでも名前の由来にされていた(読みは「あたる」ではなく「なか」ですが)けど、作新学院の理事長もやっていて、江川事件にも巻き込まれたのも有名な話ですね。しかし、江川氏は一定期間の出場停止処分を受け、中本人は1979年シーズン開幕直後に死去したので残念ながら彼のプロでの登板姿を見る事は出来ませんでした。息子の譲は参議院議員から栃木県知事に転じていたので、孫の元氏が直後の衆議院総選挙に立候補・当選し、同じ田中派(元氏は江崎真澄氏等共々外様でしたが)で同じ北関東出身の中村喜四郎氏に代わって最年少衆議院議員となったのです。宮澤政権ではその喜四郎氏共々入閣して、かってのボスだった田中角栄の入閣最年少記録をも塗り替えましたが・・・・・・・・・・・(この当時、角栄はまだ存命で、角栄が初入閣した時は尾崎の記録を約60年ぶりに更新したのだが、2018年1月現在も男では最年少記録を保持している)

34途~38途 三木武夫(1937~88)当選15~19回

鳩山と違って、当選回数最多となった時点で既に総理大臣を経験していた三木ですが、当選回数最多保持期間は90年代末までは戦後最長でした。角栄時代の金権政治という負のイメージ払しょくの為に、クリーンなイメージを買われて総理になるも、中小派閥だったが故に思ったほどの成果を残す事は出来ませんでしたが、ただのクリーンでもなく、再古参議員として福田赳夫と共に主流派の大平派(宏池会)と激しい政争を繰り広げる事になりました。しかし、大平の急死によりハプニング解散後の1980年衆議院総選挙は自民が大勝し、分裂は回避、総裁・総理は政敵、角栄と仲が良かった鈴木善幸が就任、内政はまずまずながらも外交での失策が(しかし、「暗愚の帝王」とか酷評されるほどは酷く無かったと思う。まあ倉山満大先生にとっては、三木もそうなのだろうと言うか55年体制下での自民主流派も左翼なのだろうし、この人の主張は話半分に聞く程度の価値しかないですが)目立って、それでも総裁再選は確実だったのですが、結局2年そこそこで中曽根康弘氏に譲りました。その後1984年に起きた、彼の再選を阻止しようとした二階堂擁立事件は失敗に終わり、福田の影響力は低下、角栄も自派から総裁が出せない事に不満を抱いていた竹下登らの不満を抑えようとするも脳梗塞に倒れ、三木もまもなく病気がちになり、名誉議員の表彰は受けるも第38期は角栄同様満足に政治活動が出来なかった中で死去、福田もその後引退と昭和の終り、平成の始まりとほぼ同時に大福三角の時代は終わりました。(これに中曽根氏を加えて大福三角中と呼ぶ事もあるが、彼はリクルート事件で一時離党しながらもまだまだ現役議員であり続ける)

38途 坂田道太(1946~90)、原健三郎(1946~2000)当選17回

坂田は1988年11月の三木の死去で1年3ヶ月の短い期間に過ぎなかったながらも彼が当選回数最多となりました。37期末に一時衆議院議長も務めていて、その為にリクルート事件で総理に推されても固辞したのですが、それよりも当時の森喜朗総理にNHKの日曜討論で勝手に殺されてしまったエピソード(秘書と混同してしまったらしい)の方が全然有名でしょう。ただ、閣僚経験は豊富ながらも党三役の経験が無かったのはネックだったか。おそらく議員生活の大半を無派閥で通したのが響いたのでしょうが・・・・・・・・・・・73歳だった時の平成初の解散と同時に引退して、2000年代初頭までは80代の議員も何人かはいただけにこの当時では比較的早い引退に感じられますが、他にも福田や角栄、茨城出身でもあった赤城宗徳(おそらく尾崎以来の7つの年代に跨って国会議員であり、最後の戦前からの現役国会議員でもあっただろう)稲葉修久野忠治等大物議員の引退が相次ぎました。

39~41 原健三郎(1946~2000)当選18~20回


最後の明治生まれでかつ帝国議会時代からの国会議員でした。坂田の引退で当選回数は単独最多となったけど、1999年9月にそれまで三木が保持していた戦後における単独での最多当選回数保持期間を更新しました。(タイ含みでは星島の13年が最長)坂田の引退後もしばらくは同期の二階堂進も現役議員であり続けていたのですが、二階堂は途中落選(1953年総選挙)していたので惜しくも名誉議員にはなれないまま途中1996年に引退しています。ただこの人も、坂田の後釜で衆議院議長までにはなりましたが、所属していた中曽根派も比較的弱小な派閥だったからか党三役の経験は坂田同様ありません。

42 中曽根康弘(1947~2003)当選20回

ここで改めてその業績とか語るまでもないほどの大物ですが、おそらく最後の改進党・日本民主党在籍経験がある国会議員でもあったでしょう。重複比例立候補が73歳定年となってしまい、当時の小泉総理からも引退に追い込まれて56年、当選20回に渡った議員生活に別れを告げたわけですが、小泉政権以降の自民党、そして日本政治の変容を象徴させられた様な引退劇でした。しかし、昨秋の衆議院総選挙で初当選した孫の康隆氏がコロンビア大学院で次男の進次郎氏と同窓だったのは何かの因縁か。

43途 山中貞則(1953~90、1993~2004)当選17回

中曽根氏が最後の改進党・日本民主党在籍経験のある現役国会議員ならば、彼は最後の自由党在籍経験のある現役国会議員だったでしょう。(つまり、彼の死で保守合同以前に当選した現役国会議員は一人もいなくなった)中曽根氏に代わって最多回数衆議院議員となったけど、仲が悪く、1990年総選挙ではリクルートで一時離党した中曽根氏が当選したのに対し、閣僚経験も党務経験もやはり豊富だった彼が落選してしまったのは皮肉な明暗です。二階堂パターンと言うか、この時の落選のせいで、彼も名誉議員になる事は出来ませんでした。もし次の総選挙後の2006年まで存命だったら、当時の小泉総理との関係も良かったみたいだし、当選して名誉議員にもなれたでしょうが・・・・・・・・

43途~44 海部俊樹(1960~2009)当選15・16回

総理大臣としても初の昭和生まれでしたが、当選回数最多議員としてもまた然りでした。総理としては師匠の三木同様不完全燃焼のまま退任を余儀なくされてしまいましたが、自民が野党転落して55年体制が終わった後の非自民・非共産連立政権が8ヶ月で崩壊した後も総理になるチャンスがありました。首班指名選挙で村山富市氏にそれなりに肉薄し、自民からも何人かは造反して海部氏に投票した人(同じ派閥だった野田聖子氏等)もいたのですが、「福田赳夫以来の、退任後再就任しようとして結局実現できなかった総理経験者」(1979年の首班指名選挙で同じ政党ながらも大平正芳に肉薄する)となって、ルパン三世でもその関係を揶揄されていた小沢一郎氏とも新進党・自由党で同僚になる等政界渡り鳥の一人になってしまいました。その後現在の二階幹事長共々小沢氏とは袂を分かって、保守党・保守新党所属となり、吸収合併に伴って自民に復党したのですが、惜しくも彼も名誉議員にはなれませんでした。若い世代で海部氏を知っていてもそのルパン三世とかネガティブなイメージがどちらかと言えば強かったのも総理経験者ながらも落選してしまった原因になってしまったのでしょう。

45 小沢一郎(1969~)、羽田孜、森喜朗、渡部恒三(1969~2012)

4人中3人が経世会出身で西尾以来37年ぶりの非自民当選最多回数衆議院議員であり、森氏もその経世会(厳密にはこの当時既に平成研究会に改称)に擁立されて総理になった等結局全員その絡みでしたが、4人もタイで並びました。羽田・森両氏までで総理経験者の当選最多回数保持者はこれで6人になり、自分の派閥から自身を含めて4代総理を続けて出したが、15年ぶりに野党議員となり、結局そのまま引退した森氏に対し、他の3人は与党となった民主党内の長老またはキングメーカーとして一定の影響力を保持するかに思われました。

実際特に小沢氏は幹事長となり、しかし、これについても信望者を中心に陰謀説を主張する声も少なくはないですが、睦山会事件でまもなく辞任、その後の代表選では菅直人氏と争って、この時がかって神輿として担いだ海部氏の辞職以来の総理になるチャンスだったのですが、結局ここでも喧嘩してしまい、東日本大震災でも適切な対応を取れず、代表・総理どころか民主党員ですらなくなってしまいました。

46~ 小沢一郎(1969~)


民主党を追い出された小沢氏は国民の生活が第一党を立ち上げ、陸山会事件も何とか無罪を勝ち取り、しかし元々あったダーティーなイメージは拭えないという事で日本未来の党に合流し、滋賀県知事で、左寄りで、特に憲法改正では小沢氏と主張が違う筈の嘉田由紀子氏を表向きのトップに祭り上げました。合流時の議席数は61と決して無視できる勢力ではなかったのですが、今までも師匠の角栄や竹下登、金丸信に倣って宇野、海部、細川、羽田、鳩山各氏を裏から操り、権力に固執してきた小沢氏の手法はもはや有権者にはバレバレでした。兄妹みたいに歳が近かった真紀子氏も父の命日に落選してしまったのは皮肉でしたが、この2012年12月16日に実施された総選挙では日本未来の党は9議席しか取れなかった等希望の党なんか全然マシ(57→50で、後に前原誠司氏等が入党するが、次の総選挙では分裂しなくてもこの半分しか当選できないかもな)に見えるほどの惨敗を喫してしまいました。

それでも小沢氏自身は当選して、他の羽田氏ら3人は出馬しないで引退したので現在に至るまで単独の当選回数最多議員となったのだけど、ここでも嘉田氏と仲が悪くなって今度は生活の党に改称した上で森裕子氏を担ぎ上げるも、森氏は翌2013年の参議院総選挙で落選、2014年衆議院総選挙でも落選して、2016年の参議院総選挙で漸く国政復帰するも2014年の時点で政党要件を失った。すると今度は山本太郎氏と組む事になったけど、「生活の党と山本太郎と仲間たち」ってなんだかライトノベルの題名みたいな党名でしたね。(苦笑)

まもなく、自由党に改称して、一時無所属となっていた森氏も戻ってきた。山本氏も園遊会での手紙渡し事件や牛歩戦術等「?」な言動も目立つ一方、年末の炊き出しやその他富の再配分等を訴える政策には共感できる所もいくつもあるし、最近も参議院予算委員会では森友事件について追及していて、今日予定の名護市長選挙直前の応援演説も是非現職が勝利する様貢献してくださいですが、所詮は弱小政党、今後絶滅危惧種となりつつある社民党(かっての最大野党だったのに・・・・・・・)共々いかに国民の支持を広げていけるかですが、小沢氏は単独当選回数最多議員の名誉と引き換えに過去の人になってしまった。もはや。

さっきたまたまテレビで選挙区制の是非とかについてある専門家のおじさんが語っているのを目にしたけど、功よりも全然目立つ罪の内でも特にダメだったのは権力に固執して経世会を分裂させて、小選挙区比例代表並立制を導入してしまった事です。表向きは保守ながらも右派から中道左派までいろんな考えの人達を受け入れてきて、特に55年体制時は大半の期間で、世界基準なら中道(または中道左派。角栄や善幸とかはこれに該当すると思う)が主流になってきた国民政党であり続けてきたのが自民の一番良い点だった筈で、勿論バブル経済の崩壊やポスト冷戦下における国際勢力の複雑化等他にもいくつも要因はあるけど、民意が十分に反映されず、その素質そのものを疑わざるを得ない政治家を国会に送り込んで、特に小泉政権以降は右傾化(今の自民を中道左派なんて言っている連中もいるけど、バカも休み休み言えである。少なくともイギリスの保守党やドイツのキリスト教民主同盟、フランスの共和党よりも右だろうが。もしホントにそうならば私なんかバリバリ左翼だよ?)してしまって、本屋に嫌韓本とか嫌中本とかとかが所狭しと立ち並んでいるのも異常(だって、私だってこのブログでも随分前に韓国について捏造ばかりと非難した事もあって、正直K-POPゴリ押しとかも良く思ってないけど、殆ど中国・韓国の悪口なんて言ってないでしょ?言ったってしょうがないもの。異民族同士の憎しみを煽り、その異民族以下に自分を貶めるだけなのだから)だけど、近隣諸国との確執にも囚われて、一部の事実も全ての事実であるかのように歪曲するか、酷い時には嘘も平気で拡散する等他人を不快にさせる事しか能がないネトウヨ達が多数出現する等自分達の姿を鏡で見る事も出来ないほど政治家も国民も劣化してしまっているのです。

まあ小沢氏以前にも鳩山や角栄も小選挙区導入を目指していた事も無視できないし、小沢氏は直接的には親父の佐重喜の影響を受けたらしいけど、同じ権力闘争に固執していても、亡くなったばかりの人の事をあれこれ言いたくはないけど、野中広務氏については確かに他の自民ハト派政治家達共々中国や北朝鮮には甘かったし、ネトウヨ達なんか存在自体認めたくないだろうけど、少なくとも沖縄にも真摯に目を向けていた平和への願い、差別を憎み、社会的弱者への温かい眼差しを忘れなかった姿勢、そしてそれも持って日本の右傾化に一定の歯止めをかけてきた事は個人的にも評価してきたつもりです。

実際また、森氏同様裁判で揉めた事があった筈の噂の真相でさえ、引退時にはそれを惜しむ旨の特集記事を掲載していたのだけど、小沢氏は・・・・・・・・・・・まあまたクドクド言ってしまっているんでこれぐらいにしときますが、あと2年弱で小沢氏も名誉議員か・・・・・・・・・・・胸像とか正直勘弁してほしいですね。中国が反日国か否かとか中国や中国人に対する個人的な好悪なんか全く置いといても、天皇陛下を勝手に習近平国家主席に合わせた等の政治利用もしたしね。まあそれはともかくとして、この面々の中には総理にはなれなくとも、衆議院議長にはなれた人も何人かいるけど、今度機会がある時には歴代の衆議院議長についても語ってみたいと思いますね。

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