旅行・地域

2017/03/05

茨城県道169号水戸市内旧道(推定ルート)走行メモ

wikiではやけに茨城県道の歴史に関する記述が充実していて、他の都道府県もそうなってほしいぐらい(?)だけど、1984年(昭和59)8月に指定解除されたらしい、r169の推定旧道ルートを走ってきました。

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R118との交点から少し行った地点ですが、撮影場所は水戸市文京で、1番上の画像の左には茨城大学が見えます。2番目の画像は沿線に見えた、祐養園碑・義公腰掛石で、義公は徳川光圀のことですが、彼の死後に水戸藩藩士だった鈴木重時(勇山、なお今年の大河、おんな城主直虎にも登場するのかな?井伊谷3人衆にも同姓同名の武将がいる)が建てたらしい。

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しばらくまた走ると、R118の西側ルートは1986年(昭和61)以降に開通したらしいけど、R123と那珂川の間のルートを通過する、見通しの良い二車線の道路と交差します。

R169o4

その交点を過ぎると、しばらくは普通の二車線が続きますが、この画像で見える十字路を過ぎると、すれ違いがほぼ困難なほど狭くなり、間もなく那珂川にぶつかって行き止まりとなります。

R169o5_2

しょうがないので、前述の那珂川とR123に並行した道に出て、そこからr63に出ましたが、上記画像の交差点、左はr102、右は(推定の)r169旧道に曲がります。

R169o6

ですが、那珂方面からの旧道もご覧の通り狭い。生活道路の域を出ません。

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R169o8_2

そしてやはり、走ってすぐ那珂川にぶつかり、旧道ルートでは那珂川を渡る事は不可能な様です。下の方の画像は国田の渡し跡です。国田大橋はr169のこの旧道ルートが指定解除された前年の1983年(昭和58)に建設されたらしいですが、今年でもうすぐ6年経つ、東日本大震災の際にも被害を受け、支承の取り換え等災害復旧工事が行われました。他にも水戸市田谷町にも旧道が存在しますが、茨城大付近を除けば、やはりこの推定ルート同様生活道路な性格が強いです。しかし、今日は日曜で、梅のシーズンでもある為か水戸市街地周辺は偕楽園や千波湖とか市内観光目的の車で渋滞していましたね。r30もそうだったけど、もう少し交通分散できないものか。

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2017/02/26

圏央道、ついに茨城県全区間開通する

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170226-00010003-houdoukvq-soci

圏央道 9割の区間で開通

ホウドウキョク 2/26(日) 16:59配信    

 

ホウドウキョク

首都圏1都4県を結ぶ圏央道が、およそ9割の区間で開通になった。
圏央道では、26日午後3時から、境古河インターチェンジとつくば中央インターチェンジ間の28.5kmが開通し、茨城県内の区間が全線で開通となった。
これにより、圏央道で、千葉・成田市から神奈川・藤沢市までが結ばれ、成田空港付近から渋滞が激しい都心部を経由せずに、東北道、関越道、中央道などに行けるようになった。
開通した区間では、外国人観光客の利用も見込まれるため、アルファベットや数字を取り入れた「高速道路ナンバリング標識」が、国内で初めて導入されている。

ついにな感じですね。ヤフコメでは片道1車線ではと言っている人もいますが、下総からつくば中央までは昼でも流れ良いです。途中登板車線もあって、つくば市に近付くと交通量はいくらか多くはなりますが・・・・・・・狭山日高~境古河までも走った事はあって、特に白岡菖蒲から境古河までは何度か走りましたが、いずれも深夜オンリーで、久喜白岡からは片道1車線だけど、ガラガラです。しかし、これからはもっと交通量が多くなるでしょう。まだ一部開通してない区間もあるけど、次は久喜白岡からつくばジャンクションまで片側2車線化ですね。そしてR354(圏央道もR468であるが)も・・・・・・・・境岩井バイパスはまだ境古河インターチェンジに接続する一部区間しか開通していない(r17バイパスもr56との交点南側のみ開通)けど、この圏央道茨城県区間全開通が追い風になればですね。あとは谷田部バイパスの開通と谷田部東拡幅が完了すれば、かっては行方地域にも狭隘区間があったR354もかなり整備された国道となるでしょう。R6の方ももっと何とかすべきですが・・・・・・土浦はやっとイオン付近区間の片側2車線化が進んできたけど、特に日立・石岡・牛久が・・・・・・・・・・

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2017/01/14

茨城県道150号の旧道について

http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=33.28462280&lon=131.49122120&ac=44202&az=&z=13&id=&fa=pa&ei=utf8&p=%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C%E5%88%A5%E5%BA%9C%E5%B8%82

1982~83年にかけて茨城県道150号(r150)月岡真壁線は当時の新治郡八郷町(現・石岡市)月岡~同小幡の区間が茨城県フラワーパークの建設にも伴って旧道が町道に降格したとされていて、この区間はさらに月岡~下青柳(旧道①)、下青柳~小幡(旧道②)の2区間に分かれる様ですが・・・・・・

前者はまだどのルートか想像つきますね。上記ページはyahoo地図のページで、小桜局が見えると思いますが、東方面から見てr138の旧道(r150旧道と同時期の1983年5月に当時の八郷町道に降格となる)と西北に向かう道が交差していて、後者のこの西北に向かう道が旧道①なのでしょう。途中川で分断されていて、橋で渡る事が出来ない(これはr24のつくば市・常総市境付近の旧道とかもそう)様ですが、現在のr138とr150の交点よりさらに数十m先の所でr150現道と交差している様です。

イマイチ辿れないのが後者の旧道②ですね。フラワーパーク前のY字路を右に曲がって、r42と交差した所を左に曲がるのが自然な推定ルートですが、r42(当時はr60)との重複区間はその単独区間になったわけではなく、町道に降格された様なので、果たしてこのルートがホントに正しいのかどうか確信しかねますね。一応下青柳549付近~同397付近でも別の推定できそうなルートがありますが・・・・・・・・あとwikiのページには書いてないけど、r42の石岡市須釜~同小幡4092までのr42を北に迂回した様な道もおそらくr42の旧道で、同時期に降格されたのでしょうね。

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2016/12/11

茨城県道113号旧道等走行メモ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%81%93113%E5%8F%B7%E7%9C%9F%E7%AB%AF%E6%B0%B4%E6%88%B8%E7%B7%9A#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92311-4403+%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E6%9D%B1%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E9%83%A1%E5%9F%8E%E9%87%8C%E7%94%BA%E5%A4%A7%E7%B6%B2/@36.4444748,140.2703125,15z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x6021f433d0281879:0xeac125cf3cd20883!8m2!3d36.440963!4d140.283434

r39の、笠間市・旧七会村(現・城里町)境付近の旧道も以前通った事があるけど、まず今回通った旧道はr113の、wikiによれば2008年1月~2009年2月にかけて町道に降格された、城里町真端、大網の旧道ですね。この付近はr39のさくらトンネル(前述の同旧道はこの開通に伴い降格された区間であるが、カントリーサインはしっかり残っていて、しかも合併前に降格されたのにご丁寧に城里町側も合併後のそれが貼られていたのも過去エントリーで話した通り)を超えた交差点は左に曲がってそのまま茨城県ワースト10に入る険道でもあろうr39を通る事は度々あっても、城里町内のr113は今まであまり通った事がなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%81%93242%E5%8F%B7%E9%89%BE%E7%94%B0%E9%B9%BF%E5%B6%8B%E7%B7%9A#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

実際通ってみたら・・・・・・・・「これホントに21世紀まで県道だったのか?」だったと言うか、普通の乗用車でも一台通過するのにやっとな程の狭隘区間で、r242も生活道路の域を出なかった旧大野村(現・鹿嶋市)大小志崎~同荒野の約6.8キロの旧道が平成初期まで県道指定されていたのもある意味凄かったけど、今や通る車なんて1年でも数えるほどなのでしょうね。その後広域農道ビーフラインに入ってすぐに左に曲がって、やはりすれ違いは困難なほどの狭隘区間な山道に入ったけど、道は落ち葉だらけで・・・・・・しばらくしてr112に出てきたけど、この区間も途中軽トラ1台(及びそれに乗っていたであろう爺さん)しか見かけなかったです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%81%93168%E5%8F%B7%E9%9D%99%E5%B8%B8%E9%99%B8%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E7%B7%9A#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

その後、そのr112やR123、r21等を通って、今度はこのr168の1988年に降格された旧道を通ったけど、常陸大宮駅を過ぎて見える踏切は1つ目ではなく、2つ目のそれを通るのが正解ルートだった様である。しかし、ここも初見ではなかなかトレースできないと思われます。R118とぶつかって、旧道区間は終了、その後は普通の二車線で、建物もあまり見られない風景が・・・・・・と思いきや、水郡線静駅が見え始めたところでまた道は狭くなり、T字路を右に曲がって起点にたどり着いた。そのT字路では静駅(なお、水郡線も水戸~大子まで乗った事があるが、無人駅である)の他にマッサージ屋も見えたけど、2016年12月現在も営業しているのだろうか・・・・・・・・それはともあれ、特にr113は整備が進んできている様ですが、今度機会があったら水戸市開江町や笠間市池辺の旧道区間も通ってみたいなあですね。

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2016/11/13

国道6号について思う事その10

http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=11413

http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000100974.pdf


土浦バイパスも、現在土浦市佐野子~虫掛にかけて四車線化工事が進んでいる様ですが、ついに牛久土浦バイパスも、牛久沼周辺の1.3キロ区間の他にもr143~R408間の1.9キロ区間とr55~土浦バイパス接続部の2.7キロ区間が第Ⅱ期として事業化されたんですね。しかし、下の方のページを見ると、1994年以前までは現在城中田宮線として事業化されている牛久市内の区間のみバイパスを建設して、土浦市内は荒川沖駅~R6土浦バイパス・R354等と殿接続部分は四車線化する計画も検討されていたんですね。初めて知りました。圏央道とのアクセス強化を優先して進めている様で、その区間が開通したら・・・・・・・・・次は残りの調査中区間(牛久沼周辺~r143交点)よりも開通部分の四車線化をしてほしい所ですね。沿線にでかいイオンとか建ってしまったから、たまに通ると渋滞に巻き込まれますね。もうそういうの分かっているから、なるべくその周辺には近づかないですが。イオンも、イーアスも。と言うか、また実際予算の関係で事業化自体難しいとされているらしいですが・・・・・・上尾道路は何とかオオタカ問題も片付いて、四車線化されている区間もある様ですが、このR6牛久土浦バイパスは暫定二車線での全線開通は上尾道路よりも遅れて、下手すればもう私は・・・・・・・・かもしれないですね。

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2016/10/10

平出街道及び楡木街道走行メモ

平出街道は栃木県道64号、楡木街道は同6号のそれぞれ旧道かと思われますが、今日通ってみました。前者は、平出工業団地や宇都宮市街地へのアクセス通路となるのでさすがに交通量はそれなりでしたね。途中緑の相談所なる施設も目にしたのですが、これは植物の生育等について専門的な知識がある職員に相談など出来る施設な様です。最初は工業団地に勤務する各社社員の保養所みたいな所かなあと思いましたが・・・・・・・後者は県道2号から入りましたが、途中県道6号との交差点近くでは道路改良工事がなされていて、地図通りのルートとはちょっと違っていました。交差点を超えるとしばらくはロードサイドが見えましたが、やがて住宅地や田んぼ等がそこそこ見えるごく普通の道路となり、いつの間に鹿沼工業団地を通過する事となりましたが、宇都宮・鹿沼両市境のカントリーサインは設置されてなかったです。この工業団地を過ぎると、やや狭い道となりますが、何か明白な前触れもないまままたまた6号に突き当たって楡木街道は終点(?)です。wikiでは、茨城県道及び茨城県を通過する国道はどこそこの旧道はいつ県道とかに降格したとかちゃんと載ってますが、栃木県道もまた旧道とか探してみたいですね。

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2016/09/19

あの人は今コーナー・・・・・芸能人ではなく、改革者だった元矢祭町長のこと

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160919-00000002-nkgendai-ent

“合併しない宣言”で有名に 前矢祭町長・根本良一さんは今

日刊ゲンダイDIGITAL 9月19日(月)9時26分配信    

 平成の大合併に従わず単独自治を貫き、プライバシー保護のため住民基本台帳ネットワークシステムへの不参加を表明。さらに自らの給料をバッサリ削減する行政改革で勇名を馳せた首長が福島県にいた。矢祭町の前町長・根本良一さん(78)だ。退職したのは07年。あれから9年、今どうしているのか。

■退職後もさまざまな相談が持ち込まれる

 東京からクルマでおよそ3時間半。矢祭町は阿武隈山地に囲まれた福島県の南端、袋田の滝で知られる茨城・大子町と背中合わせに位置する。

 根本前町長が出迎えてくれたのは、町役場から西へ500メートルほど離れた、日帰り湯とホテルを併設した天然温泉施設だ。

「お風呂はアルカリ性単純泉の源泉掛け流しで、やけどや切り傷、疲労回復によく効くんです」

 誇らしげに語る根本さんの名刺には「株式会社根本家具店 代表取締役社長」の肩書。

「この家具店がウチの家業なんですよ。今は公職は一切してません。家具店は1933年に矢祭町に創業した総桐タンスの製造販売会社でして、業務拡張のため78年に大子町に本社を移転しました。ショールームを兼ねた現本社は、大子町役場のそばの元ボウリング場だった建物を改装して使用しています」

 社員数は約20人。家具やインテリア販売のほか、内装仕上げ工事の施行、さらに介護福祉機器の販売とリース、介護サービス事業も手掛ける。

「あとね、水戸市郊外の3ヘクタールほどの自社敷地で太陽光発電を行い、売電事業にも取り組んでおるんです。すぐには無理でも近い将来、『原発ゼロ』にすべきだと思ってますから、自ら率先して事業を起こしました」

 社長業の合間を縫って、友人や知人、かつての後援者からの相談に乗ることが多いという。

「会社経営から借金返済、就職、結婚・離婚、交通事故、家族間トラブルまで……。ありとあらゆるトラブルの相談が持ち込まれるんですよ。もしかしたら、社長業の時間より多いかもしれませんなあ、ハハハ」

■大胆な行政改革が話題に

 さて、矢祭町生まれの根本さんは、高校3年の時に家具店創業者の父を交通事故で亡くし、進学を断念して家業を継いだ苦労人だ。その後、商才を発揮して事業を拡大。人望が厚かったため、周囲に推されて矢祭町長選に出馬した。83年に初当選、45歳のことだった。

 その根本さんを一躍、時の人にしたのが、小泉政権によって平成の大合併が進められていた01年の“合併しない宣言”だ。

「矢祭町は、インフラ整備をほぼ終えてましたから、未整備の自治体と組まされたんじゃデメリットしかありません。しかも場所柄、近隣のどこと合併しても中心にはなれない。つまり、過疎化に拍車がかかるだけです。それで小さくても自立した町づくりを目指そうと思ったんです」

 政府からの補助金がなくても町政を運営できるよう、大胆な行政改革を実行した。

「まず私を含めた4人の特別職の給料をカットしました。私の場合、年間報酬は1133万円でしたが、約300万円ダウン。議員は18人の定員を10人に削減して、議会がある時だけ1日3万円の日当制に変えました。また、職員は給与に手を突っ込まない代わりに、半分以下を目標に随時減らしていきました」

 住民サービスが低下しないよう、出勤時間をフレックス制にして業務時間を延長。また職員宅を臨時窓口とすることによって、365日無休で対応できるようにした。そして02年、プライバシー漏洩の恐れがあるとして住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)に役場のパソコンを接続しないことを決め、またまた論議を呼んだ。

「住基ネットに接続するための基盤整備に、2年間で約2000万円かかる点も見過ごせなかった。矢祭では、町外で住民票を取るケースは年に10件あるかないか。コストに見合うわけがない」

 結局、マイナンバー制導入のため、町は15年3月に住基ネットに接続したが、この間、約2000万円もの経費節減になった。

 退職したのは07年4月。6期24年の町長生活にピリオドを打ったが、通常は授与される「市町村長総務大臣表彰」の対象から外され、これまたメディアで話題となった。

「そんなこともありましたなあ。でも税金で食ってきた者が、さらに税金で表彰されるなんてのは、“お手盛り”の最たるモノ。無駄遣いですから、今でも欲しいとは思いませんな」

 家族は妻と娘2人、長男1人。矢祭町の一戸建てに妻と2人暮らしだ。

大子町には何度か行った事あるけど、福島県矢祭町と棚倉町にも機会あれば行ってみたいですね。国道118号の旧道や県道195・196号とか通ってみたいなあと。それはともあれ、在任時はそういう合併拒否とか話題になったこの元町長ですが、公務員改革とかのお手本になるかもしれないと言うか、もっと注目・評価されても良い人でしょう。町長を辞めた後も精力的に活動されていて、まだ志半ばな感じですが・・・・・・・・平成の大合併、明野町のカントリーサインがいつの間に筑西市に変わっていて驚いた事は今でもよく覚えていますが、茨城でも谷和原村とか伊奈町とか千代川村とか内原町とか合併しないで名前が残ってほしかった町村いくつもあります。民進党も某新代表の二重国籍問題等、これが日頃国の為に真面目に仕事していて、そういう問題も的確に対応していたのなら大目に見てあげような気もしないでもなかったのですが、これでは自民がかってのメキシコの制度的革命党なみに与党であり続けてしまうのもあり得ないとは言い切れない。もっとこの元町長の様な政治家を活躍させてあげるべきですが・・・・・・今の日本は・・・・・・・

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2016/09/16

茨城県道34号牛久市内旧道走行メモ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%81%9334%E5%8F%B7%E7%AB%9C%E3%83%B6%E5%B4%8E%E9%98%BF%E8%A6%8B%E7%B7%9A

WIKIにも年表形式で書かれているけど、1987年2月に降格となった牛久市久野町~同正直町の約2キロの区間ですね。阿見町方面からだと、市内の川を渡ってすぐ、県道は左に曲がるのですが、旧道はこの地点をそのまま真っすぐ行きます。目立たない入り口なので、気づきにくいのですが・・・・・・・・・対向車が来たらすれ違いはかなり困難なほどの狭い道で、いくら降格当時はまだ昭和の時代だったとは言え、途中は森林を抜けていったのですが、これがホントにかっての県道だったのか?なほどの道です。ただ、前述の森林を抜けると若干見通しは良くなり、確か交差点注意という様な標識も残っていたのは県道だったいくらかの名残か。現道と合流して、旧道通過終了となりましたが、厳密には終点地点も、一部は歩道になってしまっています。すぐ国道408号との正直交差点にぶつかり、目の前には竜ケ崎市のカントリーサインも見えますが、このカントリーサインもかってはローマ字表記だけだったのが、近年市章も入った新しいのに差し替えられています。茨城県道34号も圏央道の整備も絡んで、バイバスや四車線化等やはり整備が進んでいますが、牛久市内の旧道の存在は今後余計忘れ去られるとも思われます。

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2016/08/21

最高速度を引き上げても結局はドライバーのマナー次第・・・・・か?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160820-00010000-norimono-bus_all

高速道の最高速度引き上げ、女性は否定的 「消極安全思想」背景か 練習すべき急操作

乗りものニュース 8月20日(土)10時0分配信

高速の制限速度引き上げ、男女で違う意識

 高速道路の一部区間について、制限速度を現行の100km/hから120km/hへ引上げる方針が、警察庁から発表されています。2017年以降に、新東名高速道路や東北自動車道の一部区間で110km/hへの引上げを試行したのち、速度を段階的に引上げ、対象路線や区間の拡大を検討するものです。

【図表】男女差が明確に出た調査結果

 これについてソニー損保が2016年6月、自家用車を所有し自分で運転する20代から50代で、今年のお盆に帰省する予定がある男女(20代、30代、40代、50代、男女各125名)にインターネット調査を行ったところ、非常に興味深い結果になりました。ポイントは「男女の意識差」です。

 制限速度の引き上げで、「高速道路がいまよりも便利になると思うか」という設問に対しては、「そう思う」が全体の63.6%を占めました。しかし、「そう思う」は男性が71.0%だったのに対し、女性は56.2%にとどまっています。

「高速道路を走るのがいまより不安になると思うか」という設問には、54.6%が「そう思う」と答えましたが、男女別で「そう思う」人の割合は男性の41.2%に対し、女性は68.0%と多くなっています。

 また、高速道路の最高速度引上げに「賛成」か「反対」かでは、「賛成」が57.0%と「反対」の43.0%を上回りました。ただ、ここでも男性は「賛成」が70.4%と多かったのに対し、女性は「反対」が56.4%と過半数を占めたのです。

なぜ女性の過半数が否定的? 日本の「消極安全思想」背景か

 こうしていよいよ日本にも高速道路120km/h時代がやってくるわけですが、それについて女性の過半数が不安に思い、反対している点は気になります。

 この背景には、「日本の交通安全教育」があるのではないでしょうか。

 自動車教習所では「急発進、急ハンドル、急ブレーキは危険」と繰り返し教えます。つまり「危険な操作をしないのが安全運転」という“消極安全思想”で、万が一、危険な状況になったときのことは教えません。

 現在のクルマで目の前に歩行者が飛び出してくるなどした場合、ドライバーが取るべき最善の策は、「思い切りブレーキを踏み込むこと」です。ところが日本の教習所では、急ブレーキの練習など一度も行いませんし、アクセルを床まで踏む練習も絶無です。

 こういったことから、スピードを好む人も多い男性とくらべ、女性は免許を取って以来、一度もブレーキやアクセルを思い切り踏んだことがない人が少なくないのが実情で、その練習をするなど「危険で絶対やってはいけないこと」という意識なのです。実際、必要もないのに急ブレーキを踏むのは道交法違反ですが、だからこそ教習所内で練習しておくべきです。

 アクセルを思い切り踏み込むと、エンジンやミッションが傷んだり壊れたりする。そう思っている人も少なくありませんが、もちろん迷信です。ドイツでは、教官が生徒にアウトバーンで180km/h出させる“本物の高速教習”がありますが、日本の高速教習は“ゆっくり恐る恐る走る”という形容がピッタリです。

「アクセルを思い切り踏み込めないから、追い越し車線に出るのが怖い。制限速度が上がるとますます追い越しが怖くなる。だから反対」--そういう心理だと推測します。

 行政は、そろそろ安全運転教育も変革し、「積極的操作による安全運転」という思想も導入すべきではないでしょうか。

高度経済成長期(1955~73年)はまだ最高速度100キロまで出せない車あったんですね。初めて知ったけど。ヤフコメでは「交通量少ない道路だったら別にいいんじゃね?」なコメントも見られたけど、そう言えば冬季を除く夜間時しか通った事ないけど、日光宇都宮道路なんか夜はガラガラですしね。数えるほどしか他の車見かけませんでした。こういう道路なら確かに・・・・・・でしょうが、日光の場合は比較的寒冷な地域なので道路が凍結する冬季なんかはスピード出しすぎると危険でしょうね。まあ頭文字Dみたいな運転できる人なんてそうそうはいないでしょうし、最高速度引き上げても結局はドライバーが安全運転できるかじゃないですか。自分も高速では出しても時速100キロ前後ですが、今度機会があったらその日光宇都宮道路も利用して、国道122号旧道(細尾峠道)でも走ってこようかな。

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2016/08/13

国道349号等旧道走行メモとカントリーサイン

http://blogs.yahoo.co.jp/miew_miew_fc/64203439.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93349%E5%8F%B7

上記ブログでも取り上げていた人がいた様ですが、自分も先月日立市下深萩町~常陸太田市春友町の国道349号旧道等を走りましたが・・・・・・・旧道区間は沿線には住宅や個人商店等が立ち並んでいた集落みたいな風景で、かって国道だったとはあまり感じられませんでしたが、日立市・常陸太田市境のカントリーサインは現在も残っています。白地に青文字でローマ字表記のない1971年式B型の古いタイプでした。両市ともこの旧道でしかこのB型は見かけた事ないです。日立市は、ローマ字表記の1986年式C型は国道6号で見かけますが、常陸太田市は市町村章・ローマ字表記両表記のD型しか見た事ないです。茨城県は県央・県北部は大半はD型で、B型は他には、2013年1月に通ったけど、確か県道245号の高萩市のそれと、農道ビーフラインの那珂市のそれぐらいですね。県南や鹿行地方では、土浦市は現在も国道354号、県道24号、同55号、同201号等で現在も結構残ってますね。かっては谷和原村や伊奈町も殆どB型(谷和原村は県道3号の、旧水海道市境はD型でした)でしたが、平成の大合併もあって、県南地方も減りましたね。ただ、そういうのがあっても、古河市(総和町や三和町と合併。旧総和町の国道125号の三和町境のもB型だった。古河市境のは両方とも未設置)や坂東市はC型が多いですが・・・・・・・・・そうそう、言い忘れたけど、「水戸29KM 常陸太田8KM」の距離ポストも残っていて、やはりかって国道だった証が残っているとも言えます。

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