旅行・地域

2018/07/16

茨城県道50・114号各旧道、そして2号旧道(?)走行レポート

この3連休、昨日夜(正確にはもう今日16日になっていましたが)は過去エントリーで話した通り、東京都港区~神奈川県横浜市鶴見区までの旧東海道を走ってきたけど、その前に先々週8日に茨城県道50号等の旧道を走ってきたので、そのレポートという事で。

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まず県道50号旧道で、小美玉市北東部(少し行けばもう鉾田市)の区間だったけど、入ってすぐなだらかな坂に。道幅も狭く、対向車同士のすれ違いは困難(尤も、出くわしたりはしなかったけど)なほどでしたが、生活道路の域を出てないですね。

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だから、3枚目の画像の様な注意標識掲げてもあまり意味ないような気もしますが、途中やはり広くはない道に突き当たった後も狭い道が続きました。

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そして間もなく50号現道に合流して終了です。

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次は県道114号旧道で、鉾田市内(旧旭村)に2つ存在しますが、見通しの良い現道からさっきの50号旧道よりは広い旧道が別れていて分かりやすい(?)です。

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しかし、間もなくやや狭い道になってしまいました。

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右に見える道は114号現道ですが、当然現道の方が走りやすいという事なのか、ここでも対向車には出くわしませんでした。

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そして最後はやはり現道に合流してお終いでしたが、止まれの標識がエラく右に曲がってましたね・・・・・・・・・

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さて、ただ県道の旧道通って帰っても面白くないので、先週は山道歩いたから、今度は海にでも行ってみようという事で大洗サンビーチ海水浴場に行ってきました。既にこの時点で梅雨明けしたとは言え、泳いだわけでもなければ釣りをしたわけでもなく、ただキリの良い所まで散歩してきた程度でしたが、この先はとても広い太平洋が続いていて、ハワイも勿論の事、アメリカ本土は遥か先、改めて自分の存在のちっぽけさを思い知った次第でしたね。月並みだけど。

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帰りも、ただ行った時の道通るなんて面白くないという事で、以前も通った事あったけど、鉾田市内の、県道2号の旧道と思われる道を通ってきました。しかし、やはり生活道路の域を出ない道でした。

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途中現道に突き当たって、余談ですが、4枚目の画像はもう少し前の地点から撮ろうとしたのが、地元住民の人が2名いて、プライバシー保護という事でなるべく人間やナンバープレートの表示されている車は画像の中に入れたくない(入ってしまった場合は当然編集で見えない様にしている)という事で、もう少し前に移動して撮影したものです。

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その後も道の風景は劇的に変わる事もないまま、現道に合流となってしまって、あとは国道354号に入って、霞ケ浦も渡って帰りましたが、霞ケ浦大橋近くにあったワンダーグーがいつの間に西松屋に変わっていた・・・・・・・1回だけ行った事あったけど・・・・・・・・・歩崎水族館も行ってみたいなあと思っているけど、もういい時間になっていたのでそれはまた次の機会という事にしました。もし今度また、茨城県道の旧道についてのレポートを発表するのなら、今度は県道29号旧道の、常陸大宮市内(旧山方町)の車両通行不可と思われる区間についてレポートしたいと思います。乞うご期待?

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2018/07/09

茨城・栃木県道1号旧道散策記

今度の週末は16日まで3連休の人も少なくないと思われ、私は東京都・神奈川県内の旧東海道を走ってくる予定ですが、その前に今月1日日曜日に茨城・栃木県道(笠間宇都宮線)1号の旧道、茨城・栃木両県境にあるのですが、散策してきたので、その件についてレポートします。

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行く途中、別の県道の旧道と思われる道を通りましたが・・・・・・・・何番の県道の旧道(?)かと言うと、165号ですが、常陸大宮市内を区間とする山方常陸大宮線ではなく、現在の64号土浦笠間線の前身である八郷稲田線の旧道と思われる道です。既に1986年(昭和61)頃には県道指定はされていなかった様ですが、沿線には郵便局も見られるし、やはりかっては県道だったかと思われます。

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さて、実際着いてみたら・・・・・・・気温31度の炎天下の中、一般車両通行禁止の標識等が出迎えてくれて、桜植樹記念碑も見られたから、花見シーズンだったらなお良かったかもしれなかったけど、とにかく歩いてみました。

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想像通り、雑草がボーボーに生えた獣道に半ば化していました。

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一般車両は通行禁止なはずが、コンクリートにはタイヤの跡が。バイクにしては大きいよね。

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カーブミラーも見られたけど、この旧道が県道を指定を外れたのはやはりそう凄い昔の事ではなかったのか?

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カーブの警戒標識も。

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苔が目立つ所もあったけど、狸とも歩いている途中出くわしました。しかし、こちらと目が合った途端すぐ逃げてしましましたが・・・・・・・・・・・

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やや見づらいけど、「馬力神」の碑石も。もうとっくに県道指定から外れているであろうな割には立派だけど、確かにかってはこの道も多数の人達が行き交っていた歴史を物語る様です。

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すっかり変色してしまったであろうガードレールも見られたけど、間もなく舗装された道となり、現道と交流した所で終点となりました。

その後は、車を停めていたスタート地点まで戻ったけど、まだ帰らず、今度は茨城・栃木県境を超えて茂木町に入り、今度は高峰と仏頂山との間にある、茨城・栃木両県を結ぶ峠道を両県境まで歩いてみる事にしました。

実は昨年11月12日日曜に茨城県側(桜川市)から歩いてみて、その時は途中で引き返しましたが・・・・・・・・・・スマホも持ちながら常に現在位置確認したのですが、地図上は繋がっていても、県境まで残り距離1/3まで歩いたところで木等の障害物に阻まれて進めそうになかったので、残念ながらここで引き返しました。

帰りは国道355号笠間バイパス(笠間市街地を迂回するルート)等を通りましたが、まだ全線開通されていない状態でした。355号と言えば、玉里石岡バイパスも6号と355号旧石岡有料道路(2005年に無料化される)との交点から通すルートらしく、その地点で営業している某ガソリンスタンドも既に用地買収金貰っているとも聞いた事あるけど、さあいつ全線開通するかね?千代田石岡バイパスもどうも不透明な状況になっている様だけど・・・・・・・・・それはともあれ、また機会あらば、今度はまた茨城県側から歩いてみたいですね。

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2018/06/23

埼玉県道271号&5号旧道(?)走行レポート

http://route-125.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-5208.html

先週17日日曜に埼玉県・吉見百穴等に行ってきた話の続編です。この後、r27旧道からR407に出て、r271から帰ろうとしましたが、その途中でそのr271とr5それぞれの旧道と思われる道を通りました。


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ホントにかっての県道だったのか確信は持てませんが、良くある生活道路な感じでした。

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まもなくr271にぶつかって、これはその交差点です。旧道と思われる道はまっすぐ進みます。

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先の交差点を進むと、二車線の道になって、沿線にはそば屋も見えたけど、今も営業しているのかな?

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まもなくr271と合流した後、すぐまた旧道と思われる道を見つけて通ったけど、まあ何か凄い特徴があったわけでも無かったです。


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もうこの時点で午後4時半すぎていたので、埼玉県内から圏央道通って帰る事にして、インターまでのルートを地図で確認したら、r5も旧菖蒲町内に旧道と思われる区間を見つけました。 この5枚目の画像は羽生・加須方面から入った時に撮影したものですが、ポールが設置していて、普通乗用車がやっと通れる程度の幅しかありませんでした。


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見沼代用水にそって通るルートで、全線道幅は狭かったけど、進むにつれて木も目立つ様になっていきました。 
 

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r5現道(?)と合流して間もなく柴山橋交差点とぶつかり、ここを左に曲がるとすぐに白岡市に入りますが、終点近くにもポールが設置されていました。1985年(昭和60)時点では既に現在の区間がr5に指定されていた一方、柴山橋交差点を左に曲がる道路は建設されていなかった様で、r271の方はホントに旧道かどうかはやや微妙ですが、この道は1970年代以前はホントにかってのr5だったかもしれません。r5はまた、伊奈町区間は区画整理により、現在は通行すらできない旧道ルートもある様ですが、まだまだいくつか謎(?)が隠れているかもしれない?

 

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2018/06/17

吉見百穴等来訪記

今日、梅雨らしくすっきりしない天気が続いていながらも雨降ってはいなかったので、埼玉県比企郡吉見町にある吉見百穴に行ってきました。

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車で2時間強かかって、着いたときにはもう午後4時前でしたが、駐車場近くの建物には山口泰明氏のポスターが。

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入場料300円払って入って、パンフレットも渡されたけど、説明の立て札と吉見町のキャラクターよしみんも出迎えてくれました。


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どうやらこの百穴は故人を葬るのに利用された様ですが、さっそくその穴に入ってみました。中はどんな様子だったのかは実際行って感じてみてくださいですが、体感的に22、3度ぐらいだった外よりもヒンヤリしていて、冷たく感じられました。もっと暑い時に涼むのにも丁度良いかもしれませんね。


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この百穴は頂上に登る事も出来て、吉見市街や東松山市街も拝めましたが、木が邪魔で、眺めはあまり良くは無かったです。

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その後玄室の形とか色々な説明を見ながら降りて、残念ながら閉鎖されていたルートもありましたが、この吉見百穴はヒカリゴケの自生地でもあり、見えづらいけど、この12枚目の画像左寄りに生えているのが見えました。


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吉見百穴はまた、正岡子規ゆかりの地の一つでもあり、ここで詠んだ句の碑も立っていました。これも知らなかったです。


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ここで百穴の見物は終わりでしたが、すぐ近くに松山城跡の史跡があるのも目にしたので、駐車場(なお、午後5時に閉鎖されるので行きたいなあと思った人は注意!!)に車を停めたままそこに向かう事にしました。なお、この15枚目の画像は百穴温泉の看板で、ジンギスカンが名物料理だったらしく随分錆びているなあと思ったら、既に4年前の2014年に廃業となってしまったらしい。


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その途中で岩室観音なる史跡もあったので、そちらも見てみましたが、100パー確証はないながらも平安初期からのもので、戦国期に一度焼失してしまったけど、その後江戸期、徳川四代将軍家綱後期に再建されたらしい。


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そして松山城跡へ。途中ゾウやキリンの模型や、馬の埴輪も目にしたけど、松山城は戦国期、扇谷上杉氏と後北条氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、歴代城主を務めた上田氏もこの2勢力の間を行ったり来たりしながら生き延びてきたけど、秀吉の関東征伐でその命運も尽き、松平家広が僅か13歳の少年ながら城主になったらしい。名前からしてもしやと思ったら家康の曽祖父、信忠の弟だった信定の玄孫で、徳川宗家とは遠い親戚、秀忠らと同年代だったけど、残念ながら24歳の若さで早世、信定系は桜井松平家とされるらしいけど、その後は異父弟の忠頼が跡を継いだけど、忠頼は間もなく石高も倍増(2.5万→5万石)された上で浜松藩に転封され、城も廃城となってしまったらしい。

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案内も当然あって、4枚目左に見える階段を登ってみたけど、まもなく獣道に。しかし、また階段が見えてきてどうやら頂上はもうすぐだ。

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曲輪とは城の内外を石垣等で区画した区域の名称の事だけど、400年以上前までは確かにここに城があったんですね。案内図もしっかりありました。

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また来た道を通るのも面白くないので、違う道を通って降りる事にして、途中兵糧蔵があったと思われる印も見られたけど、進むにつれて足元が滑りやすくなっていて、気が付いたらさっき見たばかりだった岩室観音にたどり着いていました。年配の人は通らない方が良いですね。私も滑りそうになりました。


これで百穴等吉見町の大きな目玉であろう史跡の来訪は終わりでしたが、帰りに通った県道271号と同5号のそれぞれ旧道と思われる道も通りました。しかし、画像も沢山入れて長くなってしまったので、その走行レポートはまた稿を改めて・・・・・・・・・・・

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2018/05/26

うぐいすライン等走行レポート

日大アメフト部反則タックル事件とかブログネタもないわけではないけど、もうGWが終わってから3週間近く経つし、その期間後半に走ってきた、千葉県市原市内のうぐいすラインについて・・・・・・・・

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走ってきたのは5月5~6日にかけてで、入り始めはそれなりに見通しの良い二車線道路と言った感じで周りには建物もあまり無かったですが、夜はちょっと怖いかも?実際幽霊スポット扱いしているサイトもある様ですが・・・・・・・・・


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同じ千葉県内の御成街道を前通った時も道を示す看板立ってたけど、うぐいすラインも同様で、しっかり立ってました。


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5枚目は乱れているけど、しばらく進むと、廃棄物処理(?)工場とか周りには建物もまばらながら見られる様になりました。

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この後多少勾配もあるカーブな道も進みながら、終点まで真っすぐ進むかと思いきや、途中で曲がるポイントもありました。しかし、うぐいすラインをこのまま進むにはどちらを曲がればいいか、しっかり案内表示もされていたので、迷う事は無いでしょう。


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またしばらく進むと、県道13号との交点に差し掛かり、ここで終点と勘違いしそうになったけど、実際はもう少し続きます。

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ゴルフ場の間を突き通ってたどり着いた国道409号との交点で終点な様ですが、思ったよりも道に起伏があり、走っていてそれなりに楽しめた道でした。




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この後ただ通った事のある道を通って終わり・・・・・・ではなく、前述の交点をそのまま真っすぐ進みました。この道は途中で県道284号となりますが、国道409号の旧道かと思われます。2枚目の画像は国道297号との交点を過ぎた直後の、小湊鉄道線の踏切前で撮影したものです。


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牛久三叉路を過ぎて、また国道297号との交点にぶつかったら、続いてそのまま真っすぐ進んだけど、この道は297号の旧道かと思われます。しばらくは学校や住宅等が見える風景でしたが、進むうちに田んぼ等が見られるだけとなり、そんな内に297号と合流してお終いでした。


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その後はしばらく国道297号を走りましたが、駅入口交差点から県道143号に入りました。道は普通乗用車同士のすれ違いも困難な程の狭隘路で、2枚目の画像では案内表示が見えるけど、真っすぐ行って、さらに郵便局の先を進むと小湊鉄道馬立駅です。


この後は、さらにそのまま県道143号を進み、同145号から旧国道16号である県道287号(2011年5月6日に富津岬に行った時に走った事あり)に出て、そこから館山自動車道市原ICに入って帰るつもりだったけど、既にこの時点で5月6日となっていて、時間に余裕が無かったので、小湊鉄道の踏切をまた超えた直後、道を右に曲がってそのまま真っすぐ行って、すると道は途中で国道297号市原バイパスに変わっていたけど、そこから市原ICに入って、途中変わった京葉道路の穴川ICまで走って、あとは知っている道通って帰りました。千葉県と言えば、今日昼前にテレビをたまたま目にしたら、鋸山の石仏等の名所が紹介されていたけど、そこまではちょっと遠すぎるかなあ・・・・・・・・・・・

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2018/05/06

芳賀町の名所巡り前編

http://www.moka-railway.co.jp/kankou01.php#no07

GWも今日で終わりだけど、皆さんは有意義に過ごされましたか?私は4月30日から5月1日にかけても、都道420号とか都内も走ってきたけど、その直後の5月1日日中も、今度は芳賀町の名所を巡ってきました。この真岡鉄道公式HPにも載っている通りのコースを回ろうとして、市塙駅に車を止めてスタートしたのですが・・・・・・・・・・・

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駅から県道69号バイパスに出て、ずっと歩いて行ったけど、これはその途中に通った川です。

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この時点でHPのコースとは既に違っていたけど、50分弱ほど歩いて漸く芳賀町総合運動公園に着きました。野球やサッカーも出来そうなグラウンドで、私の職場は5月1日も休日ですが、世間一般はGW谷間の平日という事で人はまばらで、真ん中を堂々と(?)歩いて行きました。


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次は結果的にここがメインスポットとなってしまったけど、祖母井神社です。この神社は古く、近衛天皇在位時の1145年に創建されたらしい。

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川口松太郎という人の記念碑も見えて、この人は小説家、劇作家として名声を博し、映画会社の専務でもあったらしいけど、青少年期に地元の郵便局に勤務していた事もあったらしい。それも短期間に過ぎなかったらしいけど、地元出身者としては大物だったのは間違いない様だ。残念ながら長男の浩氏は父の後を追う様に、石原裕次郎氏や鶴田浩二氏らと同時期に他界してしまったらしいが・・・・・・・・・

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松太郎氏は来年10月に生誕120周年を迎えるらしいけど、何か記念のイベントでもやるつもりなのだろうか?それはともかく、神社を後にしてすぐ道の駅はがに着いたけど、その時点でもういい時間だったので、市塙駅に戻る事にしました。

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しかし、そのまま戻るのも面白くないし、近くに薬師堂があるのをgoogle mapでスマホから確認したので、そこを目指す事に。その途中で芳賀町民会館の前も通ったけど、ヴァイオニストである高嶋ちさ子氏のコンサートが来る6月24日(日)にここで開催されるらしい。名前からしてまさかと思いきや、いずれも俳優として活躍しているあの高嶋政宏・政伸両氏兄弟とは従兄妹にあたるらしいけど、親戚付き合いは殆ど無いらしい。政伸氏も韓国人と結婚しちゃって回り道を余儀なくされるも、お子さんが生まれたのは普通におめでとうございます!!だったけど、ちさ子氏も40前後の高齢出産ながらも2子に恵まれているらしい。又従兄弟同士でもある子供同士は仲良く付き合えればいいんですけどね。

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そうも思っている内にすぐ着いたけど、まあ取り立てて・・・・・・・でした。あとは来た時の道でもある県道69号バイパスをずっと歩いて市塙駅に着いた。自慢じゃないけど、標準では薬師堂から63分かかるのが、52分で着きました。歩いた距離と時間は13キロ程度・2時間15分程度でしたが、まあ良い運動になりました。今回行けなかった名所は、今度は道の駅はがに車を止めてから行ってみます。だからブログのタイトルにも「前編」と付けたけど、まあ6月頃を予定しています。乞うご期待?

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2018/05/01

東京都道420号鮫洲大山線走行レポート

自分は今年のGWは今日メーデーの5月1日も休日なので、4連休→1日出勤→4連休で、前半が終わるか終わらないかだけど、前日からにかけて東京都道420号鮫洲大山線等を走ってきました。
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柏からずっと国道6号を走った後、途中都道319号等を走ったけど、これは信号待ちしていた時に撮影した東京スカイツリーです。
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これは国道15号との交差点で信号待ちしていた時に撮ったもの。

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これは乃木坂トンネルを通過していた時に撮ったものだけど、都道413号に入って、しばらく走った後大山交差点に差し掛かって、いよいよ都道420号線に入りました。

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しばらくはやや狭めの2車線道路と言った感じでしたが・・・・・・・・ これは三角橋交差点に差し掛かった時に撮影した画像で、都道420号は本当は右に曲がる・・・・・・はずなのですが、一方通行になっていて、大山交差点からは通過する事は出来ないのです。京王井の頭線池之上駅までの区間がそうで、しょうがないから少し戻って、別の道から池之上駅目指して進みました。

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真っすぐ進むうちに道路は都道420号になっていったけど、やはり狭い。途中コンビニもあって、買いたいものあったけど、こんなに狭くては車なんか停められない。ところで、この画像左に見えるイラストの男ははなわ氏か?

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まあそんな冗談はさておいて、まもなく都道423号にぶつかるけど、ここを右に曲がって、すぐ見える狭い道路に入ります。

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都道423号から別れてもしばらくは狭い道が続いたけど、世田谷区池尻あたりから普通の二車線となって、まもなく国道246号にぶつかった。そのまま246号に入って、皇居前や日本橋などを通って帰ったので、今回通った区間は全区間の半分もなかったけど、東京の、特に400番台の都道って一方通行区間が多いから全部トレースするのは何気に面倒です。多分もう少し後の事になると思うけど、今度はやはりそれぞれ反対方向に一方通行な都道118号と同423号を走ってみたいです。

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2018/04/29

恋瀬川と舟塚山古墳散策記

昨日からGW始まって、成田空港は例年通り(?)出国ラッシュな様ですが、私は恋瀬川サイクリングロード等を歩いて、石岡市北根本にある舟塚山古墳に行ってきました。
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かすみがうら市と石岡市の境にトイレ付きの恋瀬橋ロードパーク(なお、余談ながらこの
恋瀬橋は2000年に付き替えられたが、旧橋沿線にあったガストはその直後つぶれてしまい、現在はその跡地に金属スクラップ回収会社がある)があって、そこに車止めて出発したけど、上の画像はそのロードパークのすぐ近くの、国道6号と旧6号と思われる道路の交差点で、向こうに千代田石岡バイパスの道路の橋が見えるけど、事業区間だけでもいつ完成するのやら・・・・・・・

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横断歩道を渡った後、恋瀬川サイクリングロードを同川に沿いながらずっと歩いていって、気温はこの時点で24度だったけど、風が強かったです。2枚目の画像に見える案内も表記が一部消えかかっていましたが・・・・・・・・・・そうして歩いている内に県道221号にぶつかりました。そして・・・・・・・

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家が並ぶ住宅地の中をさらに歩いた後、右に曲がって、坂道を上ると目的の舟塚山古墳らしきものが。しかし、特に案内表示とかは近くにはなかったです。あくまで私が来た方向からに過ぎないのでしょうが・・・・・・・・

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さすがに、当地には説明表示板はあって、5世紀後半に築造された古墳らしいけど、雄略天皇の治世の時かと思われます。

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鳥居が入り口みたいになっていて、入って少し歩いたら石像も見られたけど、顔の一部分が欠損していました。

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そして古墳のてっぺんまで登ったけど、周りの景色の眺めはそれなりに良かったです。これらの画像からでは見えづらいけど、筑波山や常磐線高浜駅に停まっていた電車とかが見えました。

帰りは遠回りのルート通った事もあって、往復には1時間半強かかりました。近くには別のある名所もあるのだけど、もう夕方になっていたので、停めていた車の中で30分ほど寝てから帰りました。余談ながらその帰り、6号の土浦バイパス(旧道は国道354号、県道64号等)は最近漸く全線四車線化されたけど、その少し前に東京方面のみオービスが設置されて、私は時速60~65キロ程度で走っていたけど、もっと飛ばしていた車も多く、左車線を走っていた私の車の右横を過ぎていった別の車がそのオービスを通過しようとした瞬間、オービスが赤く光ったのを目にしました。確か6万円の罰金刑になるのだけど、6万ってデカいぞ。もう知らないぞ~だったけど、また機会あらば、今度は別の近くの名所にも足を運んで見たいです。

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2018/04/21

旧甲州街道?走行レポートと墨田川の夜桜

折角の休日ですが、これといったブログネタも無かったので今回はこれで。

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上記3つの画像は、先月末某日に杉並区上高井戸~世田谷区仙川町までの旧甲州街道と思われる道を走った時のものです。やや乱れている2枚目の画像からでは見づらいと言うか、速度制限30キロになっていたけど、都会に良くある、普通の道な感じでした。走っていて凄い面白かったとかは無かったですね。

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ホントはこの後さらに東京都道11号も走ってみたかったけど、時間に余裕が無かったので深夜でも全然賑やかな新宿や皇居前、日本橋等を通って帰ったけど、その帰りに墨田川にも夜桜を見に寄ってきました。残念ながら、今年の春は今の所記録的な高温で桜開花も早かったから既に散りかけていたけど、記念という事で残しておきます。途中また、国道20号を走っていた時に甲府までの距離ポストも目にしたけど、いつかは山梨まで車で走ってみたいですね!!

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2018/04/14

千葉県道14号及び66号旧道推定ルート走行レポート

折角の休日だけど、これといったブログネタないので、今日はこれで・・・・・・・・・・・

もう3ヶ月以上前だけど、年が明けた直後の今年1月4日に千葉市・市原市まで車で走ってきました。千葉市緑区おゆみ野(県道66号との交点)~市原市ちはら台西(県道14号との交点)までの道(一部ルートで京成千原線と並走)は今回初めて通ったけど、2006年頃に購入した地図には載ってなかったイオンも沿線に見えたのが印象的でした。

千葉市・市原市境にはカントリーサインも設置されていて、それはローマ字表記も市章もない、1971年型のでしたが、村田川を渡った直後の交差点から、県道14号の旧道と思われる道に入りました。

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しばらく進むと、また村田川にぶつかったけど、これはその時の画像です。

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ただ、道幅こそ極端に狭かったわけではなかったけど、地元の生活道路の域を出なかった感じでしたね。しばらく進むとまた千葉市に入るか入らないかの所で県道14号との交点にぶつかったけど、さらに館山自動車道とぶつかる付近までこの区間は現道とバイパスが両方とも県道に指定されている様です。

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次は県道66号の旧道と思われる道について。現道は館山自動車道や国道16号との交点を過ぎた後のT字路を左に曲がるけど、この旧道と思われる道は右に曲がった後すぐ見えるY字路を左に曲がります。この画像はその直後の風景を映したものです。

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しばらくは普通の二車線の道路でしたが、明徳短大・高校に近付くとご覧の通り狭くなってしまった。しかし、沿線には郵便局も見えたし、多分この道路もかっての県道だと思います。

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しかし、それも長くは続かず、県道66号との交差点にぶつかって間もなく終点となりました。この県道66号は御成街道の一部にもなっていて、この御成街道も殆どの区間走った事あるけど、旧道と言えば、千葉県内から次は国道356号の旧道と思われる銚子市四日市場町~同唐子町の区間とか走ってみたいなあと。犬吠埼に行くがてらに・・・・・・・・
 

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