旅行・地域

2019/11/04

国道6号について思う事その12

https://www.mlit.go.jp/common/001279620.pdf

折角の3連休だったけど、今日は特にブログネタが無かったので、1年9月ぶりのこのシリーズについて。チョー今更で、前からこういう話も聞いてはいたけど、国道6号東海拡幅も漸く事業化されたんですね。仙台方向への国道6号は茨城町から那珂市・東海村境まで両側4車線なのが、東海村に入ると、2車線になってしまって、榊橋付近の数キロはまた4車線区間となるも、そこからまた・・・・・・・・なのですが、まあ早く実現してほしい所ですね。しかし、日立・高萩両市内区間が相変わらずなので、用が無い限りは金を出してでも常磐道を利用するのが無難なのは変わりないでしょうが・・・・・・・・・・・牛久土浦バイパスの方は土浦市内の、学園東大通り~終点(国道354号との交点付近)までの区間が漸く建設始まりそうですね。しかし、国道408号~学園西大通りの区間で点線開通状態となってから、学園西大通り~東大通りの区間が開通するまでも9年経っているわけで・・・・・・・・・・・・一部を除く牛久市内~国道408号の区間はまだ事業化すらされていないけど、全線開通するの一体いつになるのですかね・・・・・・・・・上武道路は事業化から全線開通まで36年かかったけど、牛久土浦バイパスや千代田石岡バイパスは間違いなくそれよりかかりそう、下手すれば全線開通を見ない内に私の人生終わってしまうかも・・・・・・・・・ですが・・・・・・・・

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2019/06/23

那珂湊駅の駅猫、おさむもさようなら・・・・・・・・

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190623-00000017-mai-soci

記憶は曖昧だけど、千葉県多古町のあるコンビニ(セブンとかではない)にジュース買うのに、寄ったらおそらくメスの三毛猫(三毛猫は殆どがメスで、オスはホントごくまれにしか生まれないからそうであろう)がいて、共にこのコンビニの経営者に飼われているのかどうかは知らないけど、その後もう一度同じ目的でそのコンビニに寄ったら、今度はその三毛猫の他にももう1匹トラ猫がいました。

また何かの機会で寄った時はまだいるかなでもあって、駅猫と言えば、たま駅長とかが有名だけど、茨城県にもいたとは知らなかったですね。17歳と言うと、人間だったら84歳程度の長寿で、ひたちなか海浜鉄道も乗った事はないですが、こんな猫もいたのなら一度会ってみたかったですね。鹿島鉄道はとうとう乗らない内に廃線となってしまったので、ひたちなか海浜鉄道は何らかの機会があれば是非乗ってみたいと思うけど、まあ安らかに眠ってくれですね。

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2018/12/16

白鳳道を歩く

http://route-125.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-e7de.html

3か月弱前に房総のむらに行ってきましたが、その訪問記を記したこの過去エントリーで言及した「近くの寺に行くルート」を歩きに最近再訪しました。

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その近くの寺とは栄町の地名でもあるけど、龍角寺と言って、しっかり案内表示もありました。

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まもなく白鴎道の案内表示も。

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落ち葉がいっぱいな道を進みましたが、途中で古墳についての案内板も。

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白鳳時代は政治史よりも文化史での区分で呼ばれる時代らしい。

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来た時に通った道とも途中スレスレになったけど、もう残り1キロを切りました。

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さっきの道の下をトンネルを通って通過します。

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相変わらず落ち葉いっぱいの道を歩きましたが、途中で浅間山古墳を見つけたのでよりました。誰が眠っているのだろうか?

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あと400mとなりました。

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また少し進むと、舗装された道となり、民家も見えてきました。

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そして普通の町道(?)に出ました。

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龍角寺までもう少し!!

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ついに龍角寺に着きました。これはその案内板。

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房総の魅力500選にも選ばれているらしい。

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寺はすごく大きかったわけではなかったけど、いくつか見所はありました。もう寒くなっているから、来年の4月までは積極的に散策できなさそう(でも、今日も事実上の廃道になっている茨城県道29号旧道を歩いてきたんですけどね)ですが、他の房総の魅力500選も見つけて、行ける所だったら行ってみたいですね。

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2018/09/29

房総のむら・坂田ヶ池総合公園来訪記

先週9月23日に、千葉県栄町・成田市にある房総のむら及び坂田ヶ池総合公園に行ってきました。

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その途中、利根川を渡って千葉県に入った直後に浅間神社を目にしたので、少し寄ってみましたが、日露戦争の記念碑も見られました。

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房総のむらに着いたのはそれから15分後の事でしたが、道路を挟んで、みそ岩谷古墳も。

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イメージよりもオシャレな面もあったと言うか、カフェで食事をする事も出来た様だけど、電気自動車の充電スタンドも設置されていました。先日のNHKニュースでは樹脂製の電気自動車も紹介されていましたが、普及はいつの事になるやら・・・・・・・

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これは旧御子神家住宅

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こちらは旧平野家住宅で、いずれも江戸時代の富農の家だった様です。

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その後しばらく雑木林の中を歩いていきました。

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しばらく歩いたら旧学習院初等科正堂へ。当時、元々東京市四谷区(現・新宿区)にあったのが、印旛郡遠山村(現・成田市)に下賜されたらしいです。

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当時の千葉県知事の名前も刻まれた植樹記念碑もありました。

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房総のむらにも案内表示もされていたけど、沢山の古墳もあります。

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ヨモギ等植物が植えられていた万葉植物園も。

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その後またしばらく歩いたら坂田ヶ池に着いたので、一周してみる事にしました。

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途中埴輪も添えられた比較的大きい古墳も目にして、近くの両親に連れられた幼児も注目していたけど、これは龍角寺101古墳というらしい。

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池にはとかが泳いでいて、餌をあげていた家族もいました。

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見えづらいけど、この画像の奥には鴨の群れもいました。

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鯉や鴨だけでなく、鯰も池から顔をのぞかせていて、私の方を見ていました。でも、生憎ながら前述の家族みたいに食べ物は持っていませんでした。ごめんね!!

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1時間半近く歩いたけど、そんな内にもう閉館の16時半直前になってしまいました。房総のむらから近くの寺に行くルートもあって、本来また、この房総のむら(と坂田ヶ池運動公園)の後に印旛沼に行く予定だったけど、結構色々見どころがあったので、満足してこの日はもう帰りました。今週の週末は台風が近づいてきていて、昨日は秋晴れだったのもつかの間ですが、一度は行ってみて損はしないです。これも間違いないです。

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2018/09/23

埼玉・群馬・栃木県境等訪問記及び栃木県道252・160・173各号旧道走行記(後編)

前編は近くの数か所の名所に行った所までレポートしたけど、後編は栃木県の各県道旧道の走行記としてレポートします。

R252
渡良瀬遊水地を後にして、その西回りに進んでまず栃木県道252号(以下r252と表記)の旧道に来たけど、案内表示は特になく、道も御覧の通り軽自動車同士でもすれ違いは困難なほど狭かったです。

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しかし、住野または間々田への距離ポストは残っていて、かっては県道だった名残も感じられました。(車を停めて撮影したけど、その車はプライバシー保護の為に黒塗りさせていただきます。悪しからず?)

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その後も狭隘区間は続いたけど、沿線には神倉神社もあって、ここは天皇にもなろうとした、かの弓削道鏡ゆかりの寺でもあるらしい。

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速度制限の標識もあったけど、繰り返し言う様に狭いから対向車も全く来なかったし、意味を成すのかどうかは・・・・・・・・・

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しばらくしたら、今度はいくつものお地蔵さんが見えたけど、これは伯仲南部地蔵尊と言うらしい。元々この旧県道沿いにあったわけではなく、移転されたものらしいけど、その詳しい経緯とかは残念ながら分かりませんでした。

R252_11
そこも過ぎたら、栃木市大平地区(旧大平町)に入ってすぐ現道と合流してお終いです。

R160
次はr160の旧道で、巴波側を挟んだルートだったけど、残念ながら西岸のルートは廃道になっている様で現在は自動車での通行は出来ない様です。この画像は東岸の、r174旧道との交点から撮影したものですが、道は途中で途切れており、橋も撤去されています。

R160_2
そしてこれは1枚目と同じ場所から反対方向の風景を撮影したもの。

R160_3
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やはり生活道路の域を出ていなかったけど、この県道の旧道はすぐ走り終わりました。

R173_2
最後はr173の旧道で、小山市真中付近の新荒川橋からr160の交点を過ぎて同市生良のr50との交点までの区間だけど、r160以南は確かに1986年頃までは県道に指定されていた事を確認しました。 以北は推定だけど、現道の線形の良さからやはり旧道かと思われます。

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しかし、人通りもあまりない集落を過ぎていったけど、やはり狭い・・・・・・・そしてこの3枚目の画像はそのr160との交点に差し掛かった時に撮影したものです。

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その交点を過ぎたら小さい神社みたいなのも見えたけど、おそらくここを左に曲がります。

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その後も道の風景はそんな変わりないと思いきや、集落から田んぼに代わり、見通しは良くなってきました。

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しかし、間もなくr50とぶつかってこの旧道区間もお終いです。ここらの旧道もr174は通った事ある(栃木市と小山市境のカントリーサインも撤去されないで残っていた。2015年5月下旬時点ではですが)けど、もう旧道ネタも尽きてきたと思いきや、思っていたよりは近い地域で見落としていましたね・・・・・・・・・・・・次の機会あらば、田中正造の墓にも行って、渡良瀬遊水地もゆっくり散策してみたいです。

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2018/09/22

埼玉・群馬・栃木県境等訪問記及び栃木県道252・160・173各号旧道走行記(前編)

先週の3連休、3日目の9月17日に記事タイトル通りの活動をしてきたけど、画像も結構撮影したので、前後編に分けます。

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まず、古河市から埼玉県に入って、東武日光線柳生駅への道の途中で田中正造翁の霊を目にしたけど、郷土の偉人の割にはあまり目立ってない様な。ただ、柳生駅から南西に道を真っすぐ行った所にある墓はさすがにそれ相応に立派らしい。また何らかの機会があれば行ってみたいです。

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その次が、埼玉・群馬・栃木三県の境に行ったけど、祝日という事で他にも何人も訪問者がいました。何かメッセージを書く為のノートも置いてあったけど、折角だから記念にという事で私もメッセージ残してきました。どういうメッセージを残したかは秘密です。

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で、次に行ったのはその近くの昇龍寺です。昇竜寺ではないです。念のため。

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で、ここはその昇龍寺すぐ近くの地点。向こう側に柳生駅が見えます。

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その次は、前にも数回行った事あるけど、渡良瀬遊水地です。中央エントランスから入ったけど、改めて少し散策しただけでもその広さを感じました。

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ただ、その一方でこの魚の死骸も浮かんでいましたが・・・・・・・・縁起の良いものではなかったけど、カラスあたりに襲われたのか?

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もっと色々散策したかったけど、ここらまできた一番の目的ではなかったので、15分程度で渡良瀬遊水地は後にしました。

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ゼロカロリーコーラ買いに(結局なかったけど)道の駅きたかわべにも寄ったら、田口和美という人の胸像も見えました。知らない人だったけど、柳生駅近くの出身の人で、解剖学の元祖的存在、森鴎外や北里柴三郎も彼の弟子だったらしいです。さて、この後各県道の旧道を走って行ったけど、その話は後編にて。

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2018/09/15

国道124号旧道等走行記及び犬吠埼訪問記

丁度1か月前で、終戦の日(敗戦の日と言った方が正確な気もするけど、それはともあれ)でもある8月15日に千葉県銚子市にある犬吠埼に行ってきたのですが、その訪問記等についてレポートします。

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その犬吠埼に行く途中、以前(2015年7月)にも茨城県神栖市内(太田~矢田部)の国道124号旧道を走った事があって、この時は銚子方面からだったけど、撮影はしなかったので、今回は逆に潮来方面から走った際に撮影しました。しかし・・・・・・・・・

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総じて集落沿線の生活道路の域を出ていなかった様に見えます。この3枚目の画像を撮影した地点辺りから漸くセンターラインが見られる様になりましたが・・・・・・・

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途中左に曲がって、まもなく右に曲がって、またしばらく真っすぐ進んだけど、ボートも道沿いに見られました。まあ近くの住民の所有物なのでしょう。

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次は神栖市波崎内の旧道「と思われる」道を走行した際に撮影した画像群です。この交差点を右に曲がります。

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旧波崎町内の集落の中を進んでいくルートですが、途中でセンターラインが無くなってしまってました。

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ただ、太田~矢田部区間の旧道と違うのは、進むにつれて住宅も多く見られる様になり、そこそこ賑やかな風景となっていった点です。と言うかまた、旧波崎町は平成の大合併時点でも人口3.9万人と下妻や笠間、高萩各市よりも人口多かったものね。この5枚目の画像は国道124号との交差点で撮影したものですが、右に曲がるともうすぐ利根川を渡る事になり、千葉県に入ります。

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利根川を渡って15分ほど経って漸く犬吠埼に着きました。

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3枚目の岩に刻まれたこの俳句ですが、先日88歳になったばかりの有馬朗人氏が詠んだものらしい。有馬氏は物理学者であると同時に、参議院議員・文部大臣(小渕政権時)を務めた政治家でもあり、俳人でもあるのですが、いずれの分野でも一定以上の実績を残したのは流石と言った所ですか。

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犬吠埼灯台は、もう営業就業時間の16時を少し過ぎていたので入れなかったけど、まあいずれまた・・・・・・・・

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この先は日本よりずっとずっと広い、太平洋という大海原なのだなあとかしみじみと感じながら犬吠埼を後にしました。

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帰りには銚子市清川町~若宮町にかけての、国道126号の旧道と思われる道も通りました。しかし、思ったよりも人の気配がしなかった様な?

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これは総武本線の踏切を横切る際に撮影したもの。銚子駅は右に見えました。

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県道37号との交点で撮影したものだけど、右折禁止となっていました。

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しょうがないから一旦左に曲がって、また右に進んですぐつき当たった十字路を左に曲がったけど、初代銚子大橋が架けられていたと思われる場所より東のルートだったので、もしかしたら国道の旧道ではないかもしれないです。この後356号の旧道と思われる道も通ったけど、途中推定ルート間違えていたので、これもまたの機会という事で。

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2018/08/26

飯田ダム訪問記&茨城県道113号旧道走行記

もうすぐ8月も終わるのにクソ暑いので、今日は昨日同様家でゆっくりするつもりでしたが、茨城県道113号旧道もいくつか区間あるし、距離も遠すぎない・・・・・・という事で同旧道を通る事にしました。

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ところが、その途中で笠間市にある飯田ダムが見えて、駐車場も用意されている様なので、今日も県内某所では日中の気温が37度の猛暑日でしたが、ちょっと見ていこうかと思って、飯田ダムの周り5キロほどの距離を歩いてみました。まず。

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とは言え、前半は木陰で暑さをしのげる場所も多かったので、上はTシャツ1枚で歩いたけど、それほどは汗かかなかったです。中にはジョギングだけでなく、釣りをしていた人も見えたけど、眺めはそれなり以上に良かったです。

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そんな内に、一般道に出てしまったけど、ここは県道39号で、間違って左に曲がりそうになったけど、右に曲がるとまたダムにそって進む事になります。

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この9枚目の画像はダムの手前から撮影したもので、かってはカヌーで遊ぶ事も出来たらしいけど、現在は出来ない様です。

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途中3つか4つ橋があって、これらの画像はその橋の左右から撮影したものだけど、途中また、20代前半と思われる若い兄ちゃんがスケート乗りながら走っている姿も見かけました。何故かあと少しでゴールという所で反対側に戻っていったけど、彼はどれぐらいの時間この飯田ダムにいたのだろうか?

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そして間もなくダム管理所に戻ってきてゴールとなったけど、もうTシャツは汗びっしょりで、そもそもたまたま予備のTシャツもあったからこのクソ暑い中1時間かけて歩いたけど、まあ良い運動になりました。でも、いい加減秋が来てほしい・・・・・・・・・・・・・

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さて、ここからは本来の目的だった県道113号旧道走行記だけど、飯田ダムを後にして、道を真っすぐしばらく進むと113号にぶつかります。まずは笠間市大橋付近の区間からだけど、この画像の右の道が現道で、左の道が旧道です。

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生活道路の域を出ないけど、しばらく進むと並走したルートになってもいる現道が再び見えてきます。

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この区間はここで終了、現道に合流します。

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次は県道61号との交点を過ぎてすぐの区間で、ここは前にも通った事あるけど、やはり狭かった。どーでも良いけど、現道との交点に見える奥の家についてある外の階段が洒落ていますね。家もこういう階段もあれば良かったかなあ・・・・・・・・

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次は笠間市池野辺付近のそれで、この画像の左の方の道に曲がったけど、スムーズにトレース出来なかったです。もしかしたら現在は通行不能な区間もあるかもしれません。

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しばらくすると水戸市に入って、今度は同市全隈町付近での旧道だけど、小学校の前を通るとすぐ曲がって、すぐ合流して終わりです。

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そして最後は常磐道を過ぎてすぐの、開江町での旧道で、分かりづらいけど、右に曲がってすぐにこのT字路を左に曲がります。

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相変わらず狭めの道だったけど、水戸市街地に近いだけあって比較的新しい住宅も見られた等他の旧道とはやや異なる風景だったのが印象的でした。しかし、間もなく田んぼも見られる様になり、そうかと思えばもう現道と合流して終わりでした。この後まだ国道123号との交点付近にも旧道が存在するのですが、これも前にも通った事あったので、あとは赤塚駅から南に下って帰りました。このブログではこうして県内外の名所や旧道等を通る度に撮影して、その体験記等を公開してもいるけど、先々週15日(終戦記念日でもある)にも犬吠埼に行ってきて、国道124号の旧道も通ったし、まだいくつかは公開ネタありますね。まあ今週はあと3時間ほどで終わりだけど、さあ今度の週末はどこに行こうかな・・・・・・・・・

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2018/08/25

埼玉県道75号旧道走行レポート

埼玉県道75号には、旧川本町(現・深谷市)から熊谷市にかけて旧道区間があるのですが、トレースしづらくて、今まで2回試みていずれも失敗しました。しかし、今までそれに限らず方向感覚を過信して道を間違えた事は何度かあったけど、昨年7月に携帯をガラケーからスマホに変えてからgooglemapをナビ代わり(現在地ポイントが表示される様になっている)に出来る様になり、都心とか大都会でない限りは道に迷う事が無くなりました。前置きが長くなっているけど、その為今月8月5日に再々挑戦してみました。果たしてその結果は・・・・・・・・

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国道140号との交差点、ここを右に曲がります。

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御覧の通り道は狭めです。3枚目の画像みたいに一時両側二車線分確保されている区間もあるけど、すぐ狭くなってしまいます。

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6枚目の画像は県道47号との交差点で撮影したもの。やはり狭い道が続きますが、生活道路の域を出ません。

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その後もしばらくは変わりないです。と言うか、ここもホントにかってに県道だったのかが気がしないでもなかったですが、この10枚目の画像からも見える様に速度制限(30キロ)の道路標識も見えたのはその名残という事なのでしょうか?

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10枚目までは以前の挑戦でもトレースできたのだけど、スマホで現在位置を確認して、地図と照らし合わせたら・・・・・・・・・勿論標識とかでの案内はなく、道路を右に曲がったけど、この11枚目の画像はその時撮影したものです。「ああ、ここを曲がるのか・・・・・・全然分からなかった、道理で・・・・・・・」でしたが・・・・・・・・・

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向こうの道路に出たらすぐまた右に曲がったのですが、これは秩父鉄道の踏切。

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近くは工業団地や航空自衛隊熊谷基地があって、その横を通っていきます。ホントにここもかっての県道だったんだ・・・・・・・・尤も、そうした風景も長くは続きませんでした。

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まもなく道は右に曲がる事になり、すぐ現道にぶつかって旧道区間は終了です。左が元々指定されていた区間で、右がバイパス(という名の現道)として建設された区間な様です。しかし、今回は「3度目の正直」で成功したけど、旧道等走行もそろそろネタが付きそうになっています。あんまり遠い所はガソリン代バカにならないしね・・・・・・・・・・・・旧道とかじゃなくても通ってみたい道が全く無いわけではないし、先週の土曜はある用で都内まで行ってきましたが・・・・・・・・・・

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2018/08/12

旧東海道を走る(後編)

今週またまた矢吹健太朗先生のダリフラが休載になったから・・・・・・ではないですが、先月7月15~16日に走ってきた旧東海道についての体験記、後編は神奈川県川崎市~同横浜市鶴見区までのものをレポートします。

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神奈川県内の旧東海道は、多摩川を渡って東京都大田区から入ってすぐからのルートですが、国道15号からは直接入れないので、同409号から入りました。風景は東京都市圏らしく繁華街なのが特徴的ですが、3枚目の画像は京浜急行の踏切前で撮影したものです。この先を左に曲がるのですが、近くにはすぐ八丁畷駅が見えます。

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カントリーサインとかは見られませんでしたが八丁畷駅を過ぎると間もなく横浜市鶴見区に入ります。5枚目の画像は鶴見川を渡った時に撮影したものです。

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東海道本線鶴見駅も過ぎると、間もなく国道15号にぶつかりますが、このまま真っすぐ進みました。

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その交点を過ぎると、風景は住宅地等が見られましたが、地名は生麦、もしかしてと思ったら・・・・・・・・・そう、深夜に撮影したから暗くて見えにくいかもしれないけど、大河ドラマ「西郷どん」でも触れられていた生麦事件の発生現場にも行き着いて、きちんとそれを示す説明版も見られました。

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その後少し進んだら、沿線にはキリンビール横浜工場も見られたけど、再び国道15号と合流、この先戸塚区からもまだ旧東海道ルートがあるらしいけど、もう深夜も1時を過ぎていたので、国道15号等を走った後、首都高三郷線や常磐道を通って帰りました。品川区内では旧街道の面影が色濃く残っていて、川崎市内では繁華街、横浜市鶴見区内では住宅街と歴史的大事件の発生現場跡とそれぞれ風景が異なっていたのが第一に印象的でしたが、機会あらば戸塚区からの旧東海道も走ってみたいです。大和市~厚木市内の国道246号旧道区間でも良いですが・・・・・・・・次回のこの旧道等走行体験記(レポート)は埼玉県道75号の旧道について取り上げる予定です。

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