旅行・地域

2018/05/06

芳賀町の名所巡り前編

http://www.moka-railway.co.jp/kankou01.php#no07

GWも今日で終わりだけど、皆さんは有意義に過ごされましたか?私は4月30日から5月1日にかけても、都道420号とか都内も走ってきたけど、その直後の5月1日日中も、今度は芳賀町の名所を巡ってきました。この真岡鉄道公式HPにも載っている通りのコースを回ろうとして、市塙駅に車を止めてスタートしたのですが・・・・・・・・・・・

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駅から県道69号バイパスに出て、ずっと歩いて行ったけど、これはその途中に通った川です。

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この時点でHPのコースとは既に違っていたけど、50分弱ほど歩いて漸く芳賀町総合運動公園に着きました。野球やサッカーも出来そうなグラウンドで、私の職場は5月1日も休日ですが、世間一般はGW谷間の平日という事で人はまばらで、真ん中を堂々と(?)歩いて行きました。


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次は結果的にここがメインスポットとなってしまったけど、祖母井神社です。この神社は古く、近衛天皇在位時の1145年に創建されたらしい。

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川口松太郎という人の記念碑も見えて、この人は小説家、劇作家として名声を博し、映画会社の専務でもあったらしいけど、青少年期に地元の郵便局に勤務していた事もあったらしい。それも短期間に過ぎなかったらしいけど、地元出身者としては大物だったのは間違いない様だ。残念ながら長男の浩氏は父の後を追う様に、石原裕次郎氏や鶴田浩二氏らと同時期に他界してしまったらしいが・・・・・・・・・

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松太郎氏は来年10月に生誕120周年を迎えるらしいけど、何か記念のイベントでもやるつもりなのだろうか?それはともかく、神社を後にしてすぐ道の駅はがに着いたけど、その時点でもういい時間だったので、市塙駅に戻る事にしました。

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しかし、そのまま戻るのも面白くないし、近くに薬師堂があるのをgoogle mapでスマホから確認したので、そこを目指す事に。その途中で芳賀町民会館の前も通ったけど、ヴァイオニストである高嶋ちさ子氏のコンサートが来る6月24日(日)にここで開催されるらしい。名前からしてまさかと思いきや、いずれも俳優として活躍しているあの高嶋政宏・政伸両氏兄弟とは従兄妹にあたるらしいけど、親戚付き合いは殆ど無いらしい。政伸氏も韓国人と結婚しちゃって回り道を余儀なくされるも、お子さんが生まれたのは普通におめでとうございます!!だったけど、ちさ子氏も40前後の高齢出産ながらも2子に恵まれているらしい。又従兄弟同士でもある子供同士は仲良く付き合えればいいんですけどね。

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そうも思っている内にすぐ着いたけど、まあ取り立てて・・・・・・・でした。あとは来た時の道でもある県道69号バイパスをずっと歩いて市塙駅に着いた。自慢じゃないけど、標準では薬師堂から63分かかるのが、52分で着きました。歩いた距離と時間は13キロ程度・2時間15分程度でしたが、まあ良い運動になりました。今回行けなかった名所は、今度は道の駅はがに車を止めてから行ってみます。だからブログのタイトルにも「前編」と付けたけど、まあ6月頃を予定しています。乞うご期待?

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2018/05/01

東京都道420号鮫洲大山線走行レポート

自分は今年のGWは今日メーデーの5月1日も休日なので、4連休→1日出勤→4連休で、前半が終わるか終わらないかだけど、前日からにかけて東京都道420号鮫洲大山線等を走ってきました。
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柏からずっと国道6号を走った後、途中都道319号等を走ったけど、これは信号待ちしていた時に撮影した東京スカイツリーです。
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これは国道15号との交差点で信号待ちしていた時に撮ったもの。

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これは乃木坂トンネルを通過していた時に撮ったものだけど、都道413号に入って、しばらく走った後大山交差点に差し掛かって、いよいよ都道420号線に入りました。

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しばらくはやや狭めの2車線道路と言った感じでしたが・・・・・・・・ これは三角橋交差点に差し掛かった時に撮影した画像で、都道420号は本当は右に曲がる・・・・・・はずなのですが、一方通行になっていて、大山交差点からは通過する事は出来ないのです。京王井の頭線池之上駅までの区間がそうで、しょうがないから少し戻って、別の道から池之上駅目指して進みました。

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真っすぐ進むうちに道路は都道420号になっていったけど、やはり狭い。途中コンビニもあって、買いたいものあったけど、こんなに狭くては車なんか停められない。ところで、この画像左に見えるイラストの男ははなわ氏か?

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まあそんな冗談はさておいて、まもなく都道423号にぶつかるけど、ここを右に曲がって、すぐ見える狭い道路に入ります。

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都道423号から別れてもしばらくは狭い道が続いたけど、世田谷区池尻あたりから普通の二車線となって、まもなく国道246号にぶつかった。そのまま246号に入って、皇居前や日本橋などを通って帰ったので、今回通った区間は全区間の半分もなかったけど、東京の、特に400番台の都道って一方通行区間が多いから全部トレースするのは何気に面倒です。多分もう少し後の事になると思うけど、今度はやはりそれぞれ反対方向に一方通行な都道118号と同423号を走ってみたいです。

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2018/04/29

恋瀬川と舟塚山古墳散策記

昨日からGW始まって、成田空港は例年通り(?)出国ラッシュな様ですが、私は恋瀬川サイクリングロード等を歩いて、石岡市北根本にある舟塚山古墳に行ってきました。
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かすみがうら市と石岡市の境にトイレ付きの恋瀬橋ロードパーク(なお、余談ながらこの
恋瀬橋は2000年に付き替えられたが、旧橋沿線にあったガストはその直後つぶれてしまい、現在はその跡地に金属スクラップ回収会社がある)があって、そこに車止めて出発したけど、上の画像はそのロードパークのすぐ近くの、国道6号と旧6号と思われる道路の交差点で、向こうに千代田石岡バイパスの道路の橋が見えるけど、事業区間だけでもいつ完成するのやら・・・・・・・

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横断歩道を渡った後、恋瀬川サイクリングロードを同川に沿いながらずっと歩いていって、気温はこの時点で24度だったけど、風が強かったです。2枚目の画像に見える案内も表記が一部消えかかっていましたが・・・・・・・・・・そうして歩いている内に県道221号にぶつかりました。そして・・・・・・・

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家が並ぶ住宅地の中をさらに歩いた後、右に曲がって、坂道を上ると目的の舟塚山古墳らしきものが。しかし、特に案内表示とかは近くにはなかったです。あくまで私が来た方向からに過ぎないのでしょうが・・・・・・・・

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さすがに、当地には説明表示板はあって、5世紀後半に築造された古墳らしいけど、雄略天皇の治世の時かと思われます。

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鳥居が入り口みたいになっていて、入って少し歩いたら石像も見られたけど、顔の一部分が欠損していました。

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そして古墳のてっぺんまで登ったけど、周りの景色の眺めはそれなりに良かったです。これらの画像からでは見えづらいけど、筑波山や常磐線高浜駅に停まっていた電車とかが見えました。

帰りは遠回りのルート通った事もあって、往復には1時間半強かかりました。近くには別のある名所もあるのだけど、もう夕方になっていたので、停めていた車の中で30分ほど寝てから帰りました。余談ながらその帰り、6号の土浦バイパス(旧道は国道354号、県道64号等)は最近漸く全線四車線化されたけど、その少し前に東京方面のみオービスが設置されて、私は時速60~65キロ程度で走っていたけど、もっと飛ばしていた車も多く、左車線を走っていた私の車の右横を過ぎていった別の車がそのオービスを通過しようとした瞬間、オービスが赤く光ったのを目にしました。確か6万円の罰金刑になるのだけど、6万ってデカいぞ。もう知らないぞ~だったけど、また機会あらば、今度は別の近くの名所にも足を運んで見たいです。

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2018/04/21

旧甲州街道?走行レポートと墨田川の夜桜

折角の休日ですが、これといったブログネタも無かったので今回はこれで。

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上記3つの画像は、先月末某日に杉並区上高井戸~世田谷区仙川町までの旧甲州街道と思われる道を走った時のものです。やや乱れている2枚目の画像からでは見づらいと言うか、速度制限30キロになっていたけど、都会に良くある、普通の道な感じでした。走っていて凄い面白かったとかは無かったですね。

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ホントはこの後さらに東京都道11号も走ってみたかったけど、時間に余裕が無かったので深夜でも全然賑やかな新宿や皇居前、日本橋等を通って帰ったけど、その帰りに墨田川にも夜桜を見に寄ってきました。残念ながら、今年の春は今の所記録的な高温で桜開花も早かったから既に散りかけていたけど、記念という事で残しておきます。途中また、国道20号を走っていた時に甲府までの距離ポストも目にしたけど、いつかは山梨まで車で走ってみたいですね!!

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2018/04/14

千葉県道14号及び66号旧道推定ルート走行レポート

折角の休日だけど、これといったブログネタないので、今日はこれで・・・・・・・・・・・

もう3ヶ月以上前だけど、年が明けた直後の今年1月4日に千葉市・市原市まで車で走ってきました。千葉市緑区おゆみ野(県道66号との交点)~市原市ちはら台西(県道14号との交点)までの道(一部ルートで京成千原線と並走)は今回初めて通ったけど、2006年頃に購入した地図には載ってなかったイオンも沿線に見えたのが印象的でした。

千葉市・市原市境にはカントリーサインも設置されていて、それはローマ字表記も市章もない、1971年型のでしたが、村田川を渡った直後の交差点から、県道14号の旧道と思われる道に入りました。

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しばらく進むと、また村田川にぶつかったけど、これはその時の画像です。

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ただ、道幅こそ極端に狭かったわけではなかったけど、地元の生活道路の域を出なかった感じでしたね。しばらく進むとまた千葉市に入るか入らないかの所で県道14号との交点にぶつかったけど、さらに館山自動車道とぶつかる付近までこの区間は現道とバイパスが両方とも県道に指定されている様です。

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次は県道66号の旧道と思われる道について。現道は館山自動車道や国道16号との交点を過ぎた後のT字路を左に曲がるけど、この旧道と思われる道は右に曲がった後すぐ見えるY字路を左に曲がります。この画像はその直後の風景を映したものです。

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しばらくは普通の二車線の道路でしたが、明徳短大・高校に近付くとご覧の通り狭くなってしまった。しかし、沿線には郵便局も見えたし、多分この道路もかっての県道だと思います。

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しかし、それも長くは続かず、県道66号との交差点にぶつかって間もなく終点となりました。この県道66号は御成街道の一部にもなっていて、この御成街道も殆どの区間走った事あるけど、旧道と言えば、千葉県内から次は国道356号の旧道と思われる銚子市四日市場町~同唐子町の区間とか走ってみたいなあと。犬吠埼に行くがてらに・・・・・・・・
 

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2018/03/10

東京都道442号北町豊玉線走行レポート

折角の休日だけど、これといったブログネタが無いので、先月3連休中に走った東京都道442号(r442)北町豊玉線についてレポートします。

終点の環七通り(r318)側から通ったけど、r439との交点まではまだそこまで凄く変わった道だったわけでもなかったです。しかし・・・・・・・・・

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一部乱れている画像もあるけど、それを過ぎて練馬駅にかなり近くなると、しばらくは弁天通り商店街が見える風景でしたが、ご覧の通り狭いです。3枚目の画像に見えるタクシーは時速30キロ強程度で走っていたらいきなり(?)左から曲がってきて、途中でまた曲がってどこかへ行ってしまいました。

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途中で環八通り(r311)と交差するけど、商店街を過ぎると相変わらず狭い道を走りながら住宅地の中を通過していきます。

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そうこうしている内に制限速度がついに時速30から20キロに。大型車進入禁止の標識も立っていたけど、通ろうとする車なんて無いでしょう。(苦笑)

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これは確か左に曲がると光が丘公園や田柄高校に行ける区道(?)との交差点だけど、交通量なんか少ないのに赤信号は冬の寒い夜の中いつもの様に光り続けていた。

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最後は国道254号にぶつかっておしまいですが、254号から来た場合、特に目立った案内表示はないですと言うか、3ケタ台の都道はそういう道路も多いけど、このr442も確か大部分は杉並方面からの一方通行だった筈です。次に機会あらば、旧甲州街道あたりを走ってみたいけど・・・・・・・・・

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2018/02/16

国道6号について思う事その11

http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180131-239916.php

いわき・国道6号部分に「新路線名」 管理権限が国から県移管

 

 
     

 

   
 

 

 県は30日、国道6号常磐バイパスと並行する現在の国道6号部分(現道区間)について、道路の管理権限が国から県へ移管されることに伴う新たな路線名を発表した。

 県管理へ移管する現道区間は、いわき市小名浜住吉―同市平中神谷間の約18キロ。新たな路線名は〈1〉小名浜住吉―常磐下船尾町(県道いわき上三坂小野線との交差部)間が「小名浜小野線」〈2〉常磐下船尾町―平十五町目(国道399号との交差部)間が「いわき上三坂小野線」〈3〉平十五町目―平中神谷(国道6号常磐バイパス終点との交差部)間が「国道399号」―となる。

 管理権限が県に移管されるのは4月1日。順次、案内標識などを更新するが当面の間、旧表示と新表示が混在するとしている。管理権限の移管は国の地方分権改革の一環で、道路の維持管理費は県負担となる。

このシリーズ、去年はついに更新せず、チョー今更だけど、1年3か月ぶりの話題です。

常磐バイパス、ついに遅くともあと1か月半で全線四車線化されるんですね。同バイパスは東日本大震災直後に全線走った事があって、その時は震災による損傷跡も見られたけど、おめでとうございます、と同時に今まで指定されていた現道は国道399号とかに降格となって、同国道もいつかは全線走ってみたいけど、まあそれはまだ何十年か先の事になりそうです。国道4号も郡山市内の現道(これも元々はバイパスだったらしい)は県道等に降格されたのはまだ記憶に新しい所(?)、また2桁以下の国道がその使命を終えていくのを見るのは何だか寂しい感じもします。

https://twitter.com/shiguretont/status/934772310040395779

国道6号、福島県南東部(浜通り)の整備が進んでいるのに対し、茨城県内は・・・・・・・・・・・これももっとチョー今更だけど、美野里バイパス建設中止?石岡市街地~茨城町・小美玉市境付近までは休日の日中でもまだそんな流れは悪くないけど、確かに「どーすんだよ、これ・・・・・・・・・」ですね。355号の玉里石岡バイパスも、県道7号バイパス(石岡市街地を走る県道は既に市道に降格)と接続する形でのルートが計画されている様だけど、これも今後どうなるかますます不透明になってきましたね。それならば、せめて藤代バイパスや茨城町バイパスの四車線化を進めてほしいものだけど、6号は一桁の割に整備度が良くない・・・・・・・・国道の聖地、日本橋を起点とする国道の一つなのに・・・・・・・・これならば、日本橋~いわき市街地までを52号(実際の52号は清水~甲府)、いわき市街地から仙台(実質的には岩沼)は53号(実際の53号は岡山~鳥取)に分けた方が良かったのか?下手したら千代田石岡も美野里も私が生きている間の完成も無理だぞ?と言うか、国道の高規格バイパスに恵まれている福島県民や栃木県民が何だか羨ましく思えます。改めて・・・・・・・・・・・

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2018/02/12

熊谷市内の中山道を走る

今年に入ったばかりの1月3日午後、埼玉県熊谷市内の中山道等を走ってきました。その時実際見てきたもの等を画像を交えながらレポートします。

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走り始めてしばらくはこの様な住宅が立ち並ぶ風景でしたが、やがて荒川が見え、しばらくはその荒川沿いを走る様になります。

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その荒川が見えた所で、権八地蔵等を目にしましたが、この権八は徳川四代将軍家綱治世下の鳥取藩士で、 罪を犯して処刑されてしまった人らしい。報徳の像も見えたけど、まあ二宮金次郎の事でしょうね。

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しばらくは荒川沿いを走っていったけど、まもなく荒川からは少し離れて小学校も見える集落の中に入ります。

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元々重要な街道だったからか、現在の国道でも県道でもないのに この様な道路案内表示まで立っていました。

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この表示を過ぎると、集落から抜けて、8枚目の画像の様な交差点にぶつかりますが、ここは、この直前のY字路を右に曲がって、その後のT字路を左に曲がる様です。そのまま直進すると相変わらず道路は普通車同士のすれ違いも容易でないほど狭いですが、熊谷駅に着いて、ひとまずここで終了です。 この走行レポートシリーズ、次回は東京都道442号及び同8号旧道を予定しています。乞うご期待?

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2017/12/31

棚倉城跡小旅行記(後編)

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今度こそホントに今年最後のブログですが、途中降雨はありながらも福島県棚倉町にある棚倉城跡、亀ケ城公園に3時間少しで着きました。先週12月24日のクリスマスイブの日の事でしたが、まずは城跡の堀ですね。

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城についての歴史的経緯についての説明も勿論見る事が出来た。棚倉藩は藩主家交代が頻繁で、初代藩主が立花宗茂だったのも意外でしたが、最も長く支配した内藤家ですら3代78年に過ぎませんでした。藩主歴が最も長かったのが内藤家としては初代だった内藤信照の38年で、家光~家綱前半期に相当します。最後の藩主家は阿部家でしたが、正静が戊辰戦争で旧幕府側についてしまったので攻撃を受け、残念ながら城そのものは消失してしまったらしい。最後の藩主が義理の叔父の正功で、子爵となったけど、娘しかいなかったので島津家から婿養子を迎えた。しかし、この婿養子、正寛も義65歳まで生きた義父の後を追う様に亡くなり、長男の正一が跡を継いだけど、正一も18歳で早世して、弟の正友が養子という形で跡を継いだらしい。70過ぎまで生きた正一は相馬家から奥さんを迎えて、正靖氏と正英氏の2男を得たらしいけど、そうした確かにあった歴史のある場所に来て、改めて感慨深いものがありました。


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写真には見えないけど、上の還暦記念樹は平成17年(2005年)に建てられたものらしいです。来年で73歳という事ですね。下のオオシマザクラは桜シーズンだったらなお見ごろだったという事なのだろうけど、名前通り伊豆諸島に多く見られる桜らしい。茨城県にもあるかな?

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城跡の公園だけあってトイレもそれらしい建物になっている。

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東白川農商高等学校は前編で話した県立修明高等学校の前身校の一つです。県立棚倉高等学校と合併したから今は存在しないけど、所在地は修明高等学校と同じだった様です。

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上2枚目の写真は見ての通り忠霊塔ですが、何でこれまで建っているのかと言うと、3枚目のそれが大きく関係しているらしい。そう、旧日本軍の元帥大将、畑俊六がこの棚倉町の出身者なのです。人柄は良かったらしいですが、軍部の暴走を止める事は出来ず、他にも色々な大人の事情がありながら結果的に米内内閣を倒閣に追いやってしまった。これが仇となり、戦後はA級戦犯に指定、死刑になりそうになって、日中戦争でも高級指揮官として指揮を執ってはいたけど、そこまで重大な戦争責任があったとは思えないです。実際死刑から減じられて終身禁固となったけど、結局6年で仮出所したのは妥当な処置だったでしょう。

東京裁判の正当性についてはここで深く突っ込むつもりはない(そういう歴史認識とか憲法改正とか今年も何度もこのブログで口酸っぱくして主張してきましたし)と言うか、その是非に関わらず、歴史を個人の都合の良い様に歪曲せず、これからも平和と幸福を守り続ける事こそが何よりも大事ですが、この碑を建てたらしい鈴木孝雄も畑の後を追う様に94歳で亡くなったらしい。共に今の日本を見てどう思っているのやらですが、そんな内に午後4時近くなって、「もうすぐ4時ですから暗くならない内にお家に帰りましょう。」な旨の町内アナウンスが。日曜日だったけど、毎日流しているのか?良く言えば家族的で親切、悪く言えばお節介かもしれないけど、130キロ以上離れた所から来た私などなおさら時間に余裕ないし、一回りした所で帰る事としました。


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118号旧道残りルート(途中から棚倉町道から県道25号となる)を通って、118号とぶつかった所で左に曲がって南進しましたが、棚倉市街地を避けるために作られたバイパスだけあって、二車線ながらも流れが良かったです。県道60号とも途中交差して、右に曲がるのですが、118号~旧道の区間も指定はされてないながらもかってはここも県道60号だったと思われます。ただそのまま国道通って帰っても面白くないんで、国道289号とぶつかってからは水郡線の西に並走する町道を通りました。上の写真はその町道を通った時に撮影した、棚倉・塙両町境に設置してあるカントリーサインだけど、両町とも町章&ローマ字表記入りタイプのものを見た事ないです。茨城県でも土浦市や旧谷和原村(県道3号には村章&ローマ字表記入りのが設置されていた)、旧伊奈町とかそうだけど、どちらもない昭和46年式ばかりですね。

進んでいく内に水郡線磐城塙駅にたどり着き、国道118号に戻りましたが、118号は矢祭町内は市街地も通過して、やまっぴーというゆるイメージキャラがイラストしてあった旗もそこらかしらに見られました。市街地を過ぎて国道349号に入ると、住宅もまばらとなり、茨城県に入っていくのですが、棚倉城跡から県境まで進むのに30分はかかりました。

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茨城県に入ったら、今度は349号の旧里美村(現常陸太田市)内旧道を通りました。やはり生活道路の域を出なかったですが、上3枚目の写真から見える通りバス停留所があるのはかって国道だった名残を感じさせられるものがあります。ちなみに写真からは見えないけど、工事標識からすぐ近くの建物には地元出身の有力政治家、梶山弘志氏のポスターも見えました。

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途中また雨に降られてしまったけど、上1枚目の写真は里美中入口交差点で撮影したのもので、いったん現道と合流するけど、まもなくまた旧道とぶつかりました。撮影はしなかったけど、途中の国道461号との交差点では距離ポストも残っていて、これもまたかって国道だった名残を感じさせるものがあります。

また現道と合流した地点の近くには不動滝もあるけど、もうそんな時間なかったのであとは少し山道通って、県道36号とぶつかった所で右に曲がって県道33号を真っすぐ進んだ後、左に曲がって県道29号に入ったけど、その直後に見えた某コンビニ(この時点で午後5時15分頃)で夕食買って、運転しながら食べ終えたところで丁度常磐道那珂インターが見えたので、あとは家に近いインターまで常磐道通って帰りました。

往復6時間少しかかったけど、そこまで遠い所なんてなかなか行けないんで、今年終盤の思い出にはなりましたね。富津岬にも2011年5月6日(平日だったが、4月29日の振替休日だった)に行った事あったけど、次にまた機会あったら、日光の細尾峠(旧国道122号)か千葉の九十九里浜沿線を走りたいですね。後者は圏央道、大栄~松尾横芝区間が早く開通してほしいものですが、少なくともあと6年強はかかるらしい。それはともあれ、年始も1月8日までならほぼ毎日更新できると思います。色々ありましたが、皆様良いお年を!!

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棚倉城跡小旅行記(前編)

今年も早いもので今日で最後ですが、今年最後のブログは、先週クリスマスイブの12月24日に福島県の棚倉町にある棚倉城跡、亀ケ城公園に行ってきたので、その体験記とします。

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しかし、途中の矢祭町までは既に行った事あるけど、ただ国道通って行っても面白くないので・・・・・・・水戸市までは常磐道通って、水戸インターで降りて赤塚から市街地通って118号に出たけど、上の写真は常磐道との交差付近における118号の旧道(推定)のものです。生活道路の域を出ていなかったけど、さらに大子町まで進みます。

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昭和50年代まで国道118号に指定されていたけど、現在は県道28号等に降格となっている旧道の写真です。市街地を過ぎると、沿線にはバス会社の営業所等が見える、やや狭めの二車線の道路となっていくのですが、2枚目の方に見える踏切は水郡線のそれです。

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水郡線の踏切を超えてしばらく進むと118号と交差します。交差してからも路線状況はしばらくは変わりありません。

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ところが、水郡線下野宮駅近くまで進むと旧道は県道28号から県道326号、さらに大子町道に変わってしまうけど、県道28号ではなくなってしまうあたりから道は狭くなっていきます。しばらく水郡線と並走して、水郡線の踏切や川を渡っていったけど、橋は3枚目の写真を見ても分かる通り車通しのすれ違いは困難です。この時は軽トラの方が譲ってくれましたが・・・・・・・・その後も生活道路の域を出ず、これでは30年以上前に国道としては役割を終えてしまったのも無理はあるまいでしたが、118号現道に合流すれば福島県との県境はもうすぐでした。

福島県に入るとまず一番に目を引いたのが矢祭町一番の観光スポットであろう矢祭山です。鮎の塩焼きを食べていた観光客らしき人達の姿も見えましたが、矢祭山を過ぎたらそのまま118号を進んだのではなく、福島県道230号に入りました。特に凄い面白い特徴とかあるわけでもない普通の道でした。話は先走りながら、帰りは並走ルートな118号の方を通って、そっちは市街地を通るルートですが、この県道230号がバイパスみたいになっているから別にまたバイパス道路を作る必要はないのでしょう。この時人生で初めて塙町に入った(なお、余談ながら福島県は2013年2月にも白河市と西郷村に行った事ある)けど、カントリーサインはローマ字表記だけのものだったので撮影はしていません。そして今回の目的地である棚倉町に入ったのがその15分後でしたが、入った所で118号と合流となったけど、棚倉町のカントリーサインは見られませんでした。

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そのまま118号をしばらく進むと十字路にぶつかります。右が289号、左が118号、直進が118号旧道でしたが、この棚倉町内118号旧道を通るのも今回の目的だったので直進しました。wikiでは昔ながらの低規格な道路みたいな記述されているけど、水郡線中豊駅以南は上の写真1,2枚目の様な普通の二車線でそんな走りにくかったわけではないです。しかし、3枚目はその中豊駅を過ぎた後、県立修明高校近くで撮影したものですが、棚倉市街地に入り、道路も狭く線形も悪くなっていきました。4枚目の写真の奥には十字路が見えますが、旧道は右に少し曲がりつつ直進して進みます。そしてそのまま市街地に入ると道路右に郵便局が見えましたが、左には棚倉城跡、亀ケ城公園の案内表示が。この日は天気が悪く、途中雨が断続的に降っていましたが、前述通り常磐道を一部利用してもここまで3時間少しかかりました。目的地に着きましたが、長くなったので前後編に分けて、次の後編こそ、ホントに今年最後のブログとなります。

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