文化・芸術

2015/07/18

最近報道ステーションも全然見ていなかったけど

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150717-00000022-tospoweb-ent

ピース又吉「芥川賞」への古舘氏“皮肉”が物議

東スポWeb 7月17日(金)12時5分配信    

 

 

 お笑いコンビ「ピース」又吉直樹(35)の芥川賞受賞をめぐり、テレビ朝日系「報道ステーション」での古舘伊知郎キャスター(60)の発言が物議を醸している。

 16日放送の同番組では又吉の著書「火花」の芥川賞受賞を報じたが、ニュースVTR明けに古舘キャスターは「みんなすごいなとは思うんですけど、それとは別に芥川賞と本屋大賞の区分けがなくなった気がするんですけどね」と発言した。

 芥川賞は純文学の新人に与えられる賞で選考委員はプロの作家。一方で本屋大賞は新刊書店の店員による投票で選ばれる賞で、これまで受賞作は大衆小説が多く、歴代受賞作はその後ベストセラーになっている。古舘キャスターの発言には芥川賞が大衆化、商業主義になっており、芸人であり話題性もある又吉が受賞したのではとの皮肉が読み取れる。

 番組サブMCを務める小川彩佳アナ(30)はすかさず「ちょっと読んでみないと分からないですけど」と“フォロー”したが、古舘キャスターは「芥川賞と明らかに、時代が違うっていえばあれですけど、僕なんかの年代はあれ?って気もちょっとするんですけどね」と又吉の受賞、芥川賞のあり方に疑問を呈した。

 発言は又吉の受賞、芥川賞の選考、また本屋大賞についても侮辱したものと視聴者には捉えられたようで、発言直後からSNS上では「芥川賞、本屋大賞受賞者の双方に失礼だ」「本当に『火花』を読んでの発言なのか」などと批判の声が相次いだ。思いつきの発言だったのかもしれないが、少々配慮に欠けるものだったといえるだろう。

 芥川賞の9人の選考委員代表として会見を行った作家・山田詠美氏(56)は、又吉の作品が最初の投票から候補5作の中で最も票を集めており「選考会の時に、彼がどういう職業かというのはほとんど出なかった」と語っている。

 芥川賞はあくまで純文学の新人に送られる賞。山田氏が「受賞後第1作を読んで、選考委員の私たちが選んでよかったと思えるような、そういう気分を味わいたい」と語る通り、作家・又吉の評価は次作にかかっている。“火花”を散らすのは、そのときでも遅くはないはずだ。

最近の芥川賞受賞作は田中慎弥氏の「共喰い」読みましたけど、まあちょっと読む人を選ぶ作風でしたね。どこかの国の総理大臣をモデルとしたらしい、「宰相A」の方が面白そうかなあな気がしますが・・・・・・・まあ芥川賞の権威とかはぶっちゃけアテにはしていないですが、受賞された又吉直樹氏の「火花」も実際読んでみたいなあとも思います。古館氏も報道番組のキャスターは所詮畑違いだったんじゃないの?と思っているのは私だけではあるまいですが・・・・・・古館氏が疑問を持たれるのも分からないわけではないけど、ちょっと言い方が悪かったし、それ相応の見識も持つべきでしたね。又吉氏についても、ファンではないけど、まあ芥川賞受賞はゴールじゃなくて大きなスタートの第一歩に過ぎないし、それでも今後の活動への大きなモチベーションにもなったでしょうが、万が一お笑い芸人として売れなくなった時の「保険」とかじゃなくて、ホントにその道のスペシャリストになりたいと思われているのなら頑張っていただきたいですね。本業との両立等なかなか容易ではないでしょうが。

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2014/11/09

村上春樹の政治的発言も全く切り捨てるべきではないのだけど

http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20141106046/1.htm

村上春樹氏「日本人は自らを第2次大戦の被害者と認識」―中国メディア

2014年11月6日(木)16時57分配信 Record China

記事画像

5日、作家の村上春樹氏はこのほど日本メディアの取材に答え、第2次世界大戦や福島原発事故などに関して、日本は責任を回避していると批判した。写真は村上春樹氏著作の中国語版。[ 拡大 ]

2014年11月5日、作家の村上春樹氏はこのほど日本メディアの取材に答え、第2次世界大戦や福島原発事故などに関して、日本は責任を回避していると批判した。環球時報がAFP通信の報道を引用して伝えた。

日本で最も有名な作家の1人であり、幾度もノーベル文学賞の候補に名が挙がっている村上氏は、「終戦後、悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目にあったという考えがある」とし、「結局、誰も悪くないということになってしまった」と述べ、日本人が自らが犠牲者であり、被害者という誤った認識の中にいるとの見方を示した。さらに、「1945年の終戦に関しても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当には責任を取っていないという気がする」と述べた。

村上氏はまた、「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」と指摘した。日本が過去の侵略行為を真剣に反省しないことは、隣国との間に緊張関係をもたらしている。

このほか、福島原発事故に関しても「誰が加害者であるかということが真剣には追及されていない」と指摘。「このままでいけば『地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった』みたいなことで収まってしまいかねない」と懸念を表した。(提供/人民網日本語版・翻訳/SN・編集/kojima)

原発については、川内原発が再稼働されるらしいですが、正直「その安全基準自体果たして適正なのか?」「もし万が一大なり小なり事故が起きてしまった場合等に備えた危機管理体制はしっかりしているのか?」等色々疑問が出てきます。

http://ruposters.ru/archives/4551

そう言えば、旧ソ連軍最後の参謀総長だった上級大将、ウラジーミル・ロボフ氏、もう80近い老人なはずと思いきや、ロシア連邦軍の顧問となったみたいですね。最近。軍歴的には現役復帰扱いで、ロシア語版wikipediaでの氏のページでもそのような記述がなされていますが、福島原発事故についても「日本国民および全世界にとっての巨大な悲劇だ。世界の科学時術は行き詰っている。世界の発展、技術の進歩を停止させるときがきた。なにが正しく、なにが正しくないのかをもう一度、立ち止まって考える時期だ。」
続きを読む: http://japanese.ruvr.ru/2011/03/25/47968947/
とコメントされていたみたいで。この人は旧ソ連軍の良識派だったようですが、中央アジア軍管区司令官だった時にチェノルブイリ原発事故に直面した事があっただけに、日本での出来事は余計他人事として見過ごすことが出来なかったのでしょう。原発利権に関わる人達は、この人のコメントについてどう思うのかなあですが、危機管理及びなるべく必要以上に依存しないで済むようにする努力は絶対必要だと思います。(と言うか、山本太郎氏は?)

しかし、歴史認識問題はですね・・・・・・・そう言えば、村上作品ってそのロボフ氏の祖国でもあるロシアでも結構人気があって、ドストエフスキーよりも上だと思っているロシア人もいるのだとか。私自身は、確かに真似できない非凡なセンスがあるのは分かるのだけど・・・・・・・ですが、確かに昨今の日本はネットの普及もあって右傾化しています。村上氏の言う様な、被害者面している人も確かに一部見られます。そしてそういう意見に対しても「それこそ自虐なんじゃねーの?」と突っ込んでいたブログも最近目にしました。

そういえばまた、とうとう安部総理と習近平国家主席の日中首脳会談がいよいよ実現すると言う。安部総理夫妻も北京に到着したようで確かに私も中国及び中国共産党には決して良い印象は持っていませんが、「共産党は勢力温存のために逃げ回ってばかりいて、ろくすっぽ戦争で戦わなかった。」とか、「日本はアメリカに負けたのであって中国には負けたわけではない」とか、「中国の本当の建国年は1949年で純粋な漢民族なんてとっくの昔に絶滅している。中国4000年の歴史なんて嘘っぱち」とか言って何になるのか。確かに別に鳩ポッポとかみたいに「中国に何でも配慮しろ」とかなんて言うつもりは全く無いですが、ハナから見下すような発言では中国人に誤った認識を余計持たれ、怒らせてしまうのも無理ないかもしれません。

こんなこと言う私も、右翼や保守の人達から見れば立派な左翼なのでしょうが、しかし、ヘイトスピーチ問題とかも随分大事となっているようですが、そのような人達を生み出しているのは、靖国問題や従軍慰安婦問題等を引き起こしてしまったマスコミや、村上氏のような文化人による「反動」も大きいのでは?です。別に人間は皆好き好んでその国の国民として生まれたわけではないですが、誰だって自分や自分の生まれた国が一番可愛いわけです。確かに責任をしっかり確認して、それを未来に活かしていく事は日本人が世界の中でこれからも生きていく上で絶対必要ですが、いつまでもあたかも日本だけが悪いような言われ方(しかも、中には嘘あるいは誇張も交えられて)をされてはいい加減自己弁護の1つや2つぐらいはしたくなるでしょう。今までも何度も言ってきたように、美化と自虐の狭間での「揺れ動き」はいい加減もう終わりにしなければいけないし、そういう意味ではこの村上氏の発言も「ノーベル賞狙いのパフォーマンス」だとかで切り捨てないで、そうした歴史認識問題の一考としなければならないとも改めて思いましたが・・・・・・・・・・・まあ今度の首脳会談がそうした「揺れ動き」に歯止めがかかる契機・・・・・・・にはおそらくならないでしょうね。結局尖閣とかのらりくらりと根本的な問題は先送りにされそうです。

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2014/03/10

STAP細胞騒動も佐村河内事件と似たような騒動なのか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140310-00000068-mai-sctch

<STAP細胞>論文の取り下げ提案…「データ再検証必要」

毎日新聞 3月10日(月)20時46分配信   

 新たな万能細胞「STAP細胞(刺激惹起<じゃっき>性多能性獲得細胞)」の作製を英科学誌ネイチャーで発表した日米研究チームの一人、若山照彦・山梨大教授が10日、日本人共著者らに対し、論文の取り下げを呼びかけたことを明らかにした。若山教授は毎日新聞の取材に「研究が信用できなくなってきた。データを再検証して再投稿すべきだ」と説明した。

【「自分がやった実験が何だったのか、分からなくなった」】

 ◇日米研究チームの一人、若山・山梨大教授

 STAP細胞は、理化学研究所の小保方晴子・研究ユニットリーダーらが1月末に作製に成功したと発表したが、インターネットで論文の画像や表記が不適切ではないかとの指摘が相次いだ。さらに、今月9日には論文中のSTAP細胞の万能性を示す根拠の一つとなった画像と、小保方さんが2011年の博士論文(早稲田大)で使った画像が似ているとの指摘が出た。

 若山教授は、STAP細胞の万能性を証明するマウス実験を担当。「私が担当した部分は適正に実験したと言い切れる。さまざまな疑問点があり、科学的真実を知りたいと考えた」とコメントし、保管するSTAP細胞の分析を第三者機関に依頼するという。

 STAP細胞は、マウスのリンパ球を弱酸性の溶液に浸すと、体内のあらゆる細胞になれる能力を持つ画期的な成果として、世界の注目を集めた。一方、「実験を再現できない」との指摘が続き、理研は先月、「結論は揺るがない」としながら調査に乗り出した。理研広報室は毎日新聞の取材に「調査内容に関わることなのでコメントできない」と話した。【須田桃子、八田浩輔】

今日19時のNHKニュースでも放送されてましたが・・・・・・・・・・・

まあ凄い興味があったわけではないので、このSTAP細胞についても、「自分の生活にどれほどメリットがあるのかは良く実感は沸かないけど、凄いねえ~」程度の認識でした。しかし、マスゴミにリケジョ(「肉食系・草食系」とか、「~すぎる」とかと大差ない)ともてはやされたり、研究内容と関係ない事を質問されたり、割烹着(多くの人は、それまで大して興味もなかっただろうに)とやらがブームになったり等の現象には当初から強い違和感しか残りませんでしたね。正直。

果たして組織絡みの捏造だったのか?それとも確証を完全に持てないまま見切り発車してしまった勇み足だったのか?どちらかを憶測で断定して、小保方晴子氏を頭ごなしで非難などをするつもりはないです。

しかし小保方さん、本当にやましいものがないのだとすれば、若山教授に丸投げ等しないで、1日も早く状況をよく説明された方が良いと思います。STAP細胞が国益にどう関わるかについても全く興味はありませんが、下手すればやっと髪やヒゲを切って会見に臨んだかと思えば、神妙らしい事言って新垣隆氏と責任のなすり合いをしている佐村河内守氏(もう「お互い気の済むまでやってて下さい。」ですが。)と同じムジナの穴になってします。私は小保方氏の研究者としての良心に期待します。今ならまだ間に合う!!

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2014/02/28

本当にタチが悪いのは誰だ?

http://newskenm.blog.fc2.com/blog-entry-14449.html

どうせネットでちょっと調べればすぐ出てくるような話ばかりな気がしますが・・・・・・・・この竹田恒泰氏が出すらしい「笑えるほどタチの悪い韓国の話」の事です。韓国は嫌いですが、こういう本出したってしょうがないでしょう。マンガ嫌韓流も、新治のさんあぴおにあった古本屋(潰れてしまって、現在は別のコーナーになっていますが)で買って、今も自宅にありますが、何だか主人公(彼は幽遊白書の浦飯幽助に容姿が似ていた。まさかないとは思うけど、もしアニメ化されるとすれば声優は佐々木望氏で決まりでしょう。((苦笑)KOF2001でも再びあのAKIRAの鉄雄を演じたし。(苦笑)「草薙ぃぃぃっ!!」「さんを付けろよ。デコ助野郎!!」(苦笑))らは美男美女に描く反面、討論とかで彼らと対立する人物は醜く描く等はあざとかったなあと言うか、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」シリーズと同レベルでしたよね。確かに「ああそうなんだ。」と思わされた所もあったけど、決して全部鵜呑みにしちゃダメだなあとも強く思いました。もし現在の皇室と、彼ら旧皇族共通のご先祖様である伏見宮貞成親王が天国でも看門日記を書き続けているとすれば、天国からこの子孫の言動をどのように評すのだろうか?足利義教を「万人恐怖」、「犬死」と評していたように。何だか最近の竹田氏はちょっと迷走しているように見えると言うか、明治天皇の玄孫という事で珍しがってか勘違いさせている周囲の連中もタチが悪いように見えます。まあ私がこの本を書店で見かけても、「永遠の0」(手放しで賞賛するまではしないけど、良作レベルではあったと思う。)みたいに買う事はまずないでしょう。嫌韓流だって100円じゃなければ買わなかっただろうとも思うし。

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2014/02/09

「ボヴァリー夫人」ギュスターヴ・フローベール25歳の時のポートレート

http://flaubert.univ-rouen.fr/iconographie/inedit-1846.php

たまたまググっていたら、「ボヴァリー夫人」等が代表作の、あのギュスターヴ・フローベールの若い頃のポートレートを目にしました。しかし・・・・・・・・中居正広くんの「金スマ」にも先日出ていたけど、瀬戸内寂聴氏著作「愛と別れ-世界の小説のヒロインたち」によればフローベールについて「金髪紅顔の美少年がブクブク太って頭が禿げるのは早かった。」というような記述が見られ、確かにwikiによればボヴァリー夫人を発表した時には既に梅毒等の所為でそうなっていたようですが、このポートレート1846年の時のものらしいから、まだ25歳だったわけですか。「紅顔の美少年」と評するにはかなり微妙ですね。確かに容姿自体は整ってはいたけど、老けてましたね。40歳と紹介されても違和感感じないかもしれません。まあアラン・ドロン氏みたいな人はそうそういないという事ですか。

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2010/12/30

到底プロレベルではなかった「KAGEROU」とポプラ社が失ったもの

イケメン俳優として一時代を築いて・・・・・・「いた筈」の水嶋ヒロくん、結婚のトラブル等も経て、本名斉藤智裕名義での小説デビュー作、「KAGEROU」、良い意味でも悪い意味でも内容等気になる所があったので私もamazonで購入して、冬休みも利用して読んでみました。しかし・・・・・・・・・

絵に描いたような転落人生を辿っていた、自殺願望の中年男が主人公だったけど、良い点としては、読む事自体はそんな時間はかからない事でしょう。しかし、それよりも悪い点の方が全然目立つと言うか、人物描写も、世界観も、話の展開も全てチグハグでこの作品ならではのウリが全く見出せず、かつテンポが悪かったですね。

特に人物描写については、この中年男、大東某のオヤジギャグも全然笑えず全く余計だったし、そんな彼に、結果的に心臓を提供される事となる天木茜が好意を抱く所もご都合主義的。京谷も、大東とはじめてあった時の講釈等ミョーに理屈っぽかったのが鼻についたけど、訴えかけられたものは皆無に等しかった。「人の命」をテーマとしたかったようだけど、先の展開も容易に読めたし、残念ながら延々と200ページ以上も描き続ける必然性は無く、全然扱いきれていなかったと評して差し支えないでしょう。

ぶっちゃけamazonでのレビューを読んでいる方が何倍も面白い(ここでのレビュアーは基本的に寛容で、星二つ以下の総合評価なんてよほどの駄作じゃない限り付かないのではと思うのだが・・・・・・・)というか、作品としても100点満点なら10点程度の評価しかつけられないのだけど、それ以上に残念だったのがポプラ社の対応だったでしょう。

ポプラ社と言えば、ズッコケ三人組やかいけつゾロリシリーズ等良質な児童書を出版してきた大手というイメージが強かったけど、芸能人としては迷走していた水嶋ヒロくん、いや斉藤智裕くんを利用して誰にでもすぐ分かる大賞出来レース等の「嘘」で一時的な利益をあげる事には確かに成功した。ポプラ社としては「してやったり」だったのだろうけど、それとは引き換えに、そんな金等の利益では変え難い「信用」を失ってしまった。そして、その信用を今後取り戻すのは容易ではないけど、まさに悲劇であります。

そういう意味では、執筆に当たって映像化を意識してもいたらしい(このレベルでは全くおこがましいとしか言い様が無いのだが)斉藤智裕くんも、さらに印象が悪くなるのは否めないと思いますが、そんな出版社の「大人の事情」で利用された彼も、また被害者であると言えなくも無いでしょう。現状のレベルでは、2作目は1作目のようには売れる可能性など限りなくゼロに近い。これは自信を持って断定できますが、俳優時代も実は何気に勘違い発言も目立った彼、茨の道はまだまだ続くでしょう。次回作は本当に賞レベルとまでは行かなくとも、せめてプロレベルであると自信を持って評価できるような作品を描ける様に、心を改めて入れ替えて頑張ってほしいものだが・・・・・・・・・・

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2010/11/07

俳優・水嶋ヒロと作家・斉藤智裕

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/101107/tnr1011070830004-n1.htm

俳優・水嶋ヒロさん「大切な一歩目」

2010.11.7 08:29

 「大切な一歩目となるこの作品が大賞をいただけたという現実に、まだまだ身震いをしている最中です」。第5回ポプラ社小説大賞の大賞受賞が決まった俳優、水嶋ヒロさん(26)は1日、東京都新宿区ポプラ社で行われた受賞作発表会で、かみ締めるように喜びを語った。本名の齋藤智裕(ともひろ)での創作活動の第一歩を、自らの力でとびきり派手な舞台にしてしまった。

 俳優として人気絶頂だった昨年2月、歌手の絢香(あやか)さん(22)と結婚。ところが、今年9月には「表に出るより執筆活動をしたい」と所属事務所を退社した。突然の文筆活動宣言を冷ややかに見る向きもあったが、本人の覚悟は相当だった。名前を伏せてペンネームの齋藤智(さとし)で応募し、1285編もの応募作品で最も高い評価を受けた。ポプラ社によると、10月25日の最終選考で大賞が決定した後に、編集者が初めて本人と会い、作者が「水嶋ヒロ」だと分かったという。

 受賞作「KAGEROU」は自殺志願者とそれを止めようとする男を描く。「命の大切さ」を問う原稿用紙388枚の長編だ。単行本が刊行予定で、「多くの大切なメッセージを盛り込んだ作品を表現していくことで、生意気かもしれませんが、社会貢献につなげていけたら」と語る。

 国内文学賞では最高額の賞金2千万円は「多くの作品が生まれるために有効利用していただきたい」として辞退。いきなり“社会貢献”を実践してみせた。

彼は俳優として高い評価を受けていたし、自分もその演技力は高い評価をしていて、悪い印象は無かったのだが・・・・・・・・・あまりこういう邪推はしたくないけど、編集者が「斉藤智裕=水嶋ヒロ」である事を知らなかったなんてウソだろというか、何だか出来レースの匂いがしますね。実際1000件以上の応募から晴れて最高評価を受けたと言うのに、何故か賞金受け取りは辞退したと言う。やはり出来レースだったのか。それとも金持ちゆえの余裕だったのか。

いずれにしても、実は人気絶頂な頃から勘違い発言(まあ、勘違いしないほうが不自然とも言えたけど)も多かったようだけど、ちょっと胡散臭い夫婦になってしまいましたね。彼ら夫妻は。やはり結婚は、個人としては間違ってはいなくとも、芸能人としては大きなミスだった。この先作家としても、ヒット作を出せるのかどうかは知らないけど、まあ一度はイバラの道でも歩んでみたら良いんじゃないですか。真に実力があるのか、それとも身の程知らずだったのか。答えが出るのはそう遠い先では無いでしょう。

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2010/04/11

「たちあがれ日本」の旗揚げと近代日本を代表するスタンドプレーヤーな与謝野晶子

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E3E3E2E2E08DE3E3E2E6E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;at=ALL

「たちあがれ日本」って、某東京都知事はセンスないですな。(苦笑)「新日本保守党」とかの方がしっくり来るのではと思うけど。何だか10議席獲得も厳しいのでは?とも思うけど、「第2の自民党」じゃない独自の政策をもっと示さなければ政権獲得なんて夢のまた夢でしょう。

与謝野馨氏についてだけど、そもそも祖母の与謝野晶子自体好きか嫌いかといえば正直嫌いですね。私は。

wikiでも指摘されていたけど、あの「君死にたまふことなかれ」等反戦家と思いきや、そうではなく、第一次世界大戦では逆に戦争を賛美する歌を出していたし、昭和初期の軍国主義も支持していた。こうした一貫性のなさについて、ある人は「彼女は彼女なりに先の見えない世の中を一生懸命生きてきたんだ。」という様な擁護をしていたけど、まあ綺麗事でしょう。

源氏物語の研究の他にも、平塚らいてうとは一線を画した女性自立論、教育問題への論評、政治評論等彼女の実績を否定するつもりはないけど、結局与謝野晶子とは、「悪い意味で近代日本における代表的なスタンドプレーヤー」だったのだと思います。夫・寛と結ばれるまでの経緯も正直私の、彼女に対する印象を悪くしていますが、本質はそこにあります。

そして、彼女の孫の馨氏が「たちあがれ日本」を立ち上げたのも、そうしたスタンドプレーヤーな祖母譲りの一面もあるからと言えるのではと思いますが、今度の参議院選挙は厳しいのではですね。

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2010/02/08

「中原中也」という題材を扱いきれなかった若き日の浅田弘幸

日本を代表する詩人の一人である中原中也、その生涯は「知ってるつもり?」でも取り上げられた事がありましたが、商標登録するかしないかで騒がれたのは記憶に新しい所であります。そんな彼の世界を「漫画」という形で表現しようとしたのが、現在「テガミバチ」を連載中である、当時まだ20代前半の浅田弘幸氏でした。

その作品は「眠兎」と言いましたが、中原中也の詩を引用しながら、眠兎と時雨という2人の主人公を軸に物語が展開されます。簡単に言えば、自分と周囲との所謂「ズレ」に苦しみ、自殺しようとした所をとめようとした母を誤って刺殺してしまった過去をもつ眠兎、そしてそんな彼の過去を知り余計「近親憎悪」に陥っていたが、実は憎んでいた父親を殺せず、自殺も出来なかった「悔しさ」から「引け目」を感じ、彼のようになりたがっていた時雨の「心の葛藤」はそれなり以上に掘り下げられていたと思います。

しかし、だからと言ってこの作品に惹かれたものがあったかどうかはまた「別」です。何故「別」なのかと言うと、それは時雨のキャラクター、確かに彼が家庭環境に恵まれないまま生い立ちを過ごしたのは気の毒だったと思います。そう言えば、某ロボットアニメでも、教育評論家のクセして自分の体裁しか考えないで、息子を阻害、夫に一喝された主人公の母親がいましたが、彼の父もまさに「現代の駄目親そのもの」でした。某ロボットアニメ主人公の母共々「教育云々についてたいそうらしく語る前に自分を客観的に評論した方が良いんじゃないかね?」と突っ込みたくなるような親でした。

そうした酌量の余地はあった。しかし、結局は、上から目線な言い方になってしまうけど、「自分がこの世で一番不幸だと思い込んでいるのが惨めったらしい、粋がったガキ」で残念ながら共感とかは全く出来ませんでした。最後は元仲間の不良達もぶちのめして、事故で目が刺さって失明の危機までさらされた粋花も無事退院、眠兎との葛藤も解け、父も久しぶりに帰ってくるから目出度し目出度し等とは素直に思えない。特に某カップルの彼氏、全く無関係だったのに眠兎との葛藤等からくる鬱憤の捌け口としてボコボコにぶちのめされたのは凄い理不尽だったと思うけど、あの後どうなったのかね?親父か粋花が、DR.ワイリーばりに(苦笑)必死こいて土下座して何とか示談に持ち込んでもらったのかね?

それはともかく、確かに浅田弘幸氏、公式ブログでも語っていたけど、中原中也に思い入れがあるのはよく分かります。でも、繰り返し言うように主要登場キャラの心情とか掘り下げはなされていても、それがキャラや作品そのものへの共感には残念ながら繋がらなかった。2巻の巻末では、某担当は彼を天才などと持ち上げらていた(確かにそうなる素質はあったとは思いますが)けど、残念ながら私から見れば、力量不足だったというか、「中原中也」という「題材」を扱いきれなかったまま不完全燃焼してしまったのは否めなかったですね。そしてこの漫画の連載終了から20年近く経った今も、結局彼は分不相応に作品が持ち上げられてしまっている(確かに当時も低くは無かった画力は大きく向上したけど・・・・・・)のだけど、残念ながらこれも高評価は難しい作品の一つであります。

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2009/11/26

佐野洋に対する、「10番打者」での別所毅彦過小評価への批判

http://www.amazon.co.jp/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB50years%E2%80%95%E5%89%B5%E5%88%8A50%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%89%B9%E5%88%A5%E4%BC%81%E7%94%BB-B-B-MOOK%E2%80%95%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-562/dp/4583615523

昨年夏、「週刊ベースボール」創刊50周年を記念した特別企画号が出版されました。内容は、まず「ONを神聖視しすぎなのでは」だけど、最後の方に、佐野洋氏原作「10番打者」の中の話、別所毅彦引き抜き事件等を題材にした「不均衡計画」が掲載されてましたが、正直「?」な内容でした。一部記述を引用してみます。

その後(巨人移籍後)の別所の働きについては、多く触れる必要はあるまい。(中略)三十五年に打ち立てた三百十勝という記録は、前人未踏の記録として球史に輝いている。

しかし、『桜機関』員であった私は、この大記録も、彼が巨人軍にいたからこそ、達成できたのではといいたいように思う。つまり、例の別所事件がおきたとき、連盟が巨人に有利な裁定をせず、太陽あたりにいせきされていれば、決してこれだけの投手寿命を持たず、また勝利数も上げられなかったのではあるまいか?その証拠として、ほとんど同じ時期にプロ入り、同じように剛球投手であった真田(朝日-太平-太陽-松竹-阪神)とを比較してみよう。(中略)

別所が巨人に移る二十三年の末までに、別所は八十七勝、真田は八十六勝で、ほとんど同じような成績をあげていたのだ。真田は、体格も決して小さいほどではない。その後も、別所と同様な成績を上げたとしても、何の不思議もない選手だった。だが、彼は昭和三十年に二勝をしたのを最後に、引退を余儀なくされた。合計勝利度数は178である。(中略)

この差は、どうして生じたか?やはり体力にまかせ、不調時にも登板するという無理がたたったためであろう。ことに、所属の松竹が優勝した二十五年には三百九十五三分の二回という登板を強いられた。

だから、もし別所も、巨人への移籍が流れ、弱小チームに移されたら、こんにちの大記録は作れなかったはずだ。この意味で、別所の大記録を生んだというだけでも、『不均衡計画』は、一つの成功を納めたといえるであろう。

まあ、こういう「強いチームにいたから勝てたんだ。」の弁、そのいた人を否定するには便利な詭弁と言うべきか、よく聞かれますが、確かに全く関係ないとは言わない。しかし、まず真田こと、真田重蔵を比較対象にしたその時点で説得力に欠けるのは否めません。

打者の価値を表すのが打率なら、投手は防御率と言うけど、真田は1流ではあったけど、同時代に投げたエース達の中でずば抜けていた存在だったわけではない。

生涯防御率は2.83だったけど、別所の2.18以外にも、完全試合男・藤本英雄の1.90(日本記録)、戦後はやはり弱小球団でなげたビクトル・スタルヒンの2.09、選手兼監督も務め、45歳まで投げた若林忠志の1.99、やはり弱小チームにしか所属しなかった為に優勝経験すらなかった「元祖鉄腕」野口二郎の1.96、フォークの神様・杉下茂の2.23中尾ひろ志(変換できん)の2.48川崎徳次の2.53他の彼らと比べていずれも劣る数字です。

防御率ベスト10に入った回数を見ても、真田は昭和18・23・25・27年の4回で、中尾の3回よりは多いけど、スタルヒンの12回、若林の10回、藤本の9回、野口・杉下の7回、川崎の5回に比べるとやはり少ないのです。

「強いチームにいたから別所はあんなに勝てたんだろ。」と言うけど、それを言うのなら、真田だって生涯の勝ち星の5分の1強を一気に稼いだ昭和25年(シーズン39勝は現在もセリーグ記録)は、あのプロ野球史上5指に入る、強力な「松竹水爆打線」のおかげだし、大阪(阪神)に移籍した昭和27年も、防御率3位で16勝9敗の好成績を収めたけど、毎日の引き抜き事件の後遺症がまだ残っていたとはいえ、当時の大阪は、まだ藤村富美男もバリバリの四番で、決して昭和30年代後半~40年代のような貧打線だったわけではなく、勝率.664で巨人に3.5ゲーム差の2位でしたが、得点数も巨人に次ぐ600点で、120試合制だったので、丁度1試合に5点取っていた計算です。

その昭和25年に、作者は真田が400回近く投げた事を強調していたけど、この時代、稲尾和久はやや例外だったにせよ、何処のチームのエースも似たり寄ったりな酷使をされていて、決して真田だけが異常だったわけじゃない。

別所と真田、彼らの生涯勝利数が130以上も差がついてしまったのは、1に「純粋な投手としての能力の差」、2に「何処のチームで投げさせられようが関係ない頑丈な肉体との差」です。実際、中3日で登板させる事を要求して、当時の巨人・水原茂監督に「それは監督が決める事だ。」と立腹させてしまった事もあったし、後年の解説者時代の巨人びいきぶりから、「もう南海に在籍していた事すら忘れてるんじゃないか。」と揶揄する声も聞くけど、決してそんな事は無く、「さんまのまんま」に出演したさいにも、南海時代の昭和22年にシーズン47完投を記録した事を真っ先に自慢したと言います。

前述の中尾や川崎とは比較的生涯防御率は近いですが、現行のルールに当てはめれば、真田は11年投げて内規定投球回数(当時は試合数よりも多く投げなければいけなかった)に達したのは7回に過ぎませんが、中尾は16年投げて13回、川崎は15年投げて11回規定投球回数に達しています。真田も、野口や、国鉄時代の金田正一みたいに決して全く打線の援護に恵まれなかったわけでなかったのですが、中尾は生涯巨人、川崎も最初の3年、南海に所属した後巨人・西鉄(ただし、三原脩監督の元、黄金時代を迎えたときにはもう成績は下降線を辿っており、昭和31年の、古巣巨人との日本シリーズでも第1戦に先発したが、ノックアウトされている。)に所属していた事を差し引いても、真田が彼らと同等、あるいはそれ以上の格な投手だったと評価するのも、やはりやや無理があります。

別所を過小評価しすぎというか、佐野氏にとっては耳が痛いであろう批判文になってしまったけど、指導者としては、別所は昭和36年に巨人投手コーチに就任するも、中村稔とのトラブルもあって、翌年シーズンに途中辞任、39年にはかって引き抜いた三原脩の元で、大洋の投手コーチに就任して、その年は最後まで阪神と優勝争いをして、2位浮上に貢献しましたが、翌40年は開幕ダッシュに成功するも、ずるずる失速、Aクラスどころか中日にも抜かれて4位転落、41年は南海からスタンカを補強するも、既に峠を越していて、アトムズとの同率最下位に転落した責任を取って退団しました。その後も、アトムズ・ヤクルトの監督を務めましたが、45年は楽天1年目の勝率よりも低い.264、特に巨人戦5勝21敗の惨敗で、8月の16連敗もあり、解任されました。

対する真田は、大阪明星学園の野球部監督に就任し、38年夏大会の優勝に貢献し、「初の甲子園優勝経験投手でもある、甲子園優勝監督」となりました。その直後プロ球界に復帰し、「世紀のトレード」小山正明が入団した東京オリオンズでは2年間ともBクラスに終わりましたが、阪急ブレーブス・近鉄バファローズでは西本幸雄監督の元、合計6度のリーグ優勝に貢献しました。同球団では、前述の野口との同僚でしたが、どうやら真田に軍配が上がった格好です。ただ、野球殿堂入りは、別所は昭和54年にその栄誉に浴する事が出来ましたが、真田はそれより11年遅れた平成2年の事でした。そして、もうあまり真田には時間が残されておらず、平成6年5月に亡くなり、別所も5年後の平成11年6月に、長嶋巨人2度目の日本一を見ることなく、眠るようにこの世を去ったのです。

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