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2018/09/01

沖縄県民ならば、玉城にも佐喜眞にも票入れたくないのだが・・・・・・・・

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180901-00307620-okinawat-oki

「翁長雄志は命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期

9/1(土) 7:10配信    

沖縄タイムス

 8月8日に亡くなった前知事の翁長雄志さんの妻の樹子さん(62)は、沖縄のタイムスのインタビューに、名護市辺野古の新基地建設問題に関する前知事の思いなどを明かした。(聞き手=政経部・福元大輔)

埋め立て承認撤回の経緯について説明するため、県議の部屋に向かう翁長雄志知事(中央)=7月27日午前9時20分ごろ、県庁

沖縄の人たちの心を一つにしたかった

 撤回と聞いて「あなたが待ち望んでいたことよ。自分の責任でやりたかったと言うでしょうけど、皆さんが遺志を継いで頑張ろうと立ち上がってくれたのよ」と仏前に報告しました。

 翁長雄志は命がけでした。他の人にはなぜそこまでするのか、と理解できないかもしれません。政治家として自分に何ができるかを追い求めてきた人です。若い頃は何を考えているのか、何をやりたいのか、分からないこともありましたが、亡くなって初めて思うんです。ずっとつながっている。沖縄のことを思い、沖縄の人たちの心を一つにしたかったんだと。

 本人は亡くなる直前に言ったんです。辺野古問題で悩むことが多かったでしょ。「人がどう言うか、分からない。人がどう評価するか、分からない。でも、知っていてほしい。僕は精いっぱいやったんだ。これ以上できない、それでも足りないだろうか。僕の力がそこまでだったんだろうか」と。私が「ウチナーンチュだったらきっと分かるはずよ」と言ったんですよ。そしたら、翁長は静かに笑ってました。

 
県民が諦めなければ新基地は止められる
 

 7月27日に撤回を表明し、30日に入院しました。10日そこそこで亡くなったんですが、肉体的にはとっても大変、きつかったと思うんです。弱いところを見られたくないという思いが強かったですから。副知事や公室長が来たときも病室のいすに座って話をしていました。

 若い頃から政治一筋だったので、自分がいま何やるかが分かっていたのかもしれない。撤回の準備に入ったのも、自分の体調が本当に厳しくなってから。どうにか撤回まで持っていきたいと考えていた。

 ぎりぎりの状態で進め、結局、自分で撤回することなく亡くなってしまったけど。後は任せるということになり、本当に申し訳ないという気持ちだった。

 県民が諦めなければ辺野古の基地は造られないと思う。それは翁長も私も信じていた。県民が辺野古の基地はもうしょうがないということになれば、未来永劫(えいごう)沖縄に基地を置かれたままになる。それでいいのでしょうか。翁長は命をかけて、そこを問い続けた。もう一度踏ん張りたい。私にはそれしかできない。

 ウチナーンチュが一つになって、団結したとき、私たちが考えている以上の力強さがあると次男が県民大会で言ったでしょ。本当にその通りだと思うんです。一つになって立ち上がる。その強さを翁長は求めていたんだと思うんです。若い頃から。

 
私が翁長の背中を押した理由
 

 

 

 7月27日の記者会見の時、知事室からエレベーターに向かう廊下の窓際に腰を掛けて休んでいたのを記者たちが見て、記者会見で聞いたら、外反母趾(ぼし)と応えていたけど、あれは全然違う。

 前日、県庁に行って撤回に向けた最後の打ち合わせをして、公舎に「ただいま」と帰ってきた。玄関にあったいすに座って3分、廊下で3分、リビングで3分、寝室までの廊下でまた3分、5メートルを歩くのに20分かかる状況だったの。

 「記者会見で自分の思いを伝えることができるだろうか。記者の質問に答えることができるのだろうか」と私に言ったの。

 私は「できるに決まっているじゃないの。何のために頑張ってきたの。あなたがやらないで、誰がやるの」と背中を押しました。

 口の中いっぱいに口内炎ができていて、小さな粒の薬を飲むのも少しずつ少しずつ流し込むように。これも20分かかったかな。

 翌日起きて、送り出して、記者会見で30分間話し続けることができたと聞いて、私は「神様ありがとう」と何度も繰り返した。

 弱い姿を見せたくなかった人ですから、外反母趾と言ったんでしょう。私がそうじゃなかったと言ったことで、翁長は怒っているかもしれません。「なんで本当のことを言うんだよ」って。言葉が聞こえてくるようです。

 そんなきつい翁長の背中を私が押したのには理由があるんです。

もう新聞を読めないよ

 撤回が現実味を帯びてきた頃、国から「一般の職員にも損害賠償を求める可能性がある」という情報が伝わってきたんです。脅しのようにも聞こえるでしょ。

 県庁内は戦々恐々になったようで、翁長は「自分は政治家だから丸裸にされても、撤回をやる覚悟はある。でも一般職員をそんな矢面に立たせるわけがない」って、強く言ったんです。私たち家族もその責任を負う覚悟はありました。でも一般職員にそんなことを言うのはどうなんでしょうか。

 皆さんには本質を見てもらいたい。

 2期目の出馬についても、本人から直接聞いたわけではないけど、12月の任期を全うできないと感じているんじゃないかなと思うことがあったんです。

 例えば、4月に膵臓(すいぞう)に腫瘍が見つかる前から、公舎にあった自分の本の整理を始めたんです。大切にしていた本も捨てて。何をしているのと聞いたら、「これは君たちにはできないことだから、僕がやるんだ」と言うんです。何があっても新聞を読む人でした。胃がんの時も膵炎(すいえん)の時も、病室で私が来るのを待つというより、私が手に持つ新聞を待っているんです。

 それが、亡くなる2日前に、新聞を差し出すと「ごめん。もう新聞を読めないよ」って言うんです。新聞の情報を何よりも大切にしていた人ですから、私も「えっ」と思ったんです。この期待に応えてくださいよ。いつまでもいい新聞を作ることがこの期待に応えることですよ。皆さんには頑張ってもらいたいとずっと思っているんです。

最後まで周りに気を遣うお父さんだった

 

 でも翁長が弱いところを見せるのは本当に初めてです。撤回の前日に記者の質問に答えられるかなと言ったとき、そして、亡くなる2日前ですか。出会ってから本当に初めてと言っていいくらい。

 昨年の後半頃から、お風呂上がりに体重計に載るたびに体重が減ったようです。胃がんの後で75キロ。これをキープしようと維持してきたんですが、70キロになり、65キロになり。いくら何でも様子がおかしいんじゃないのと病院に行き、体重減も気になるけど、血糖が上がったことも気になると言われ、もしかしたら糖尿病かもと思い、その日のうちに検査したら膵臓に腫瘍が見つかりました。

 最後に入院したとき、1回だけ「苦しい」といったことがあるんです。病室で車いすに乗ろうとした時に私が支えていたんだけど、バランスを崩して、二人で転んだの。私に苦労させたと思ったんだろうね。そのとき、私にもたれかかるように「苦しい」と言ったの。1回だけ。

 そのとき、死期を覚悟していたのもしれない。もしかしたら恐怖があったのかもしれない。こんなことを私に言ったの。

 「この先、子どもたちにあたることがあるかもしれない。自分で自分をコントロールできなくなるかもしれないんだ。そのときは、子どもたちに伝えてほしい。今のお父さんは本当のお父さんじゃないよ。病気で自分をコントロールできなくなっているんだよ」と。

 でも、最後までそんな必要はなかった。最後の最後まで子どもたちにあたることはなかった。周りに気を遣うお父さんだった。

 でも、でもね。ずっと難しい顔をしていたでしょ。だから最後は見せてほしいと思った。翁長の本当の笑顔を。末っ子の甘えん坊の笑顔を。明るくよく笑う人だったんです。この4年間はほとんど見ることがなかったから。

まず、今更だけど、在任中の功罪なんか取りあえず置いといて翁長氏のご冥福を私からもお祈りいたします。

http://uyouyomuseum.hatenadiary.jp/entry/2018/07/09/021526

そして任期満了直前で鬼籍に入られたという事で、9月30日に沖縄県知事選挙が行われるとの事ですが、革新側からは小沢自由党所属の玉城デニー氏を擁立するらしい。玉城氏は保守中道を自称しているけど、実際は左派ですよね。しかも、沖縄独立を主張してもいるらしいし。

一方で、保守側は宜野湾市長である佐喜眞淳氏を擁立した様で、上記はてなブログでも指摘されているけど、日本会議だけでなく、在特会系右翼団体ともつながりがあって、日本会議のイベントで教育勅語を園児達に唱和させた事もあったらしい。籠池氏(一方で彼は「天皇陛下がお望みにならないのなら憲法改正はしない方が良い。」とも言っていたらしいが)と何が違うんだと言うか、何も知らない子供達を利用して、偏狭な愛国心(サヨク界隈みたいにそれ自体を否定するのも決して同調できないですが)等自分達の思想をコピーしたロボットとして作ろうとする等天皇制ファシズムの亡霊でしょう。彼も。

https://matome.naver.jp/odai/2145713863905515101

普天間基地問題については、このmatomeneverでも作成した人が「基地が出来た後に住民が住んだのは井上和彦や百田尚樹、その他ネトウヨ達のデマ」、「インフラ整備はあくまでアメリカの国益の為」、「沖縄経済の基地依存体質もアメリカ軍のせい」とか主張していて、まあこの人は左派的思想の持ち主だから、鵜呑みにすべきではないし、確かに普天間基地は閉鎖できるのならした方が良いでしょう。もっと言えば、以前にも何度も言った通り、今までとは異質なトランプ政権が誕生したからこそ日米地位協定も見直すべきだとも思うけど、現実そういう辺野古移設反対派が望む通りのシナリオは実現するのでしょうかね?

正直この問題に詳しいわけではないので、私があまり軽々しく言うのもアレだけど、もし沖縄県民だったら正直玉城氏にも佐喜眞氏にも票なんか入れたくないですね。後者も、確かに旧西ドイツのアデナウアー首相(当時)も自分の執務室にドイツ語訳したものを掲げていたと言うし、その理念とか全否定するわけでもないけど、もうすぐ平成も終わるのにそれも利用して子供達を洗脳するなんて、北朝鮮の事も笑えないじゃないですか。時代錯誤も甚だしい、日本スゲー番組もそうだと言うか、そういう愛国オナニーは自分の部屋かトイレで一人で、もしくはネトウヨ達とだけで仲良くやっててくださいですが、前者もですよ。

国会議員だって特に自民は世襲議員多いし、生前の翁長氏の後継者指名自体をどうだこうだ言うつもりはないですが、それ自体がホントにあったのかどうやら疑わしいみたいだし、何より他にもっとマトモな人いなかったのですか?小沢自由党も、某サヨクツイッター(仏教徒を自称していたけど、主張は他のサヨク界隈とほぼ同じだったのには「まず自分を救った方が良いんじゃないか?と言うか、なかなか悟りって開けないんだなあ。」と悪い意味でしみじみ思った)は山本太郎氏をべた褒めしていたけど、社民党(そう言えば、この党も何故あの吉川幹事長の「オウムは冤罪」発言報道しないんだ?これが自民議員が同じ事言ったらおたくらマスコミやサヨク界隈は必死こいて杉田水脈氏以上に叩いていただろうに)同様絶滅危惧種だし、玉城氏が落選しただけでなく、衆議院補選でも他の自由党擁立候補が負けたら、もう自由党の衆議院議員は小沢一郎氏だけになっちゃうじゃん。しかも、その小沢氏だって来年末に議員在職50年を迎える(胸像とか勘弁してくれですが)見込みだけど、もう76歳の老人だし。

しかし、例の「参議院選より前に憲法改正したい」発言も、憲法改正自体が目的なんて本末転倒だと言うか、保守は保守でも穏健な保守ならまだともかく、戦前・戦中への回帰傾向が強いと思われる佐喜眞氏が勝ってしまっては自民はますます民意を得たとか勘違いする可能性があるのは想像に難くない。この沖縄タイムスの記事も、正直「最近では加藤剛氏とか亡くなったばかりの有名人も反安倍等自分達の偏狭で偏った思想を押し付けるのに利用しているリテラ(加藤氏については、晩年安倍政権を批判した事もあったから、もしかしたら・・・・・と思ったらやっぱりで、悪い意味でサヨク界隈も分かりやすい)と何が違うのですか?」ですが、だからこそそれでも、非常に不本意ではありますが、玉城氏と佐喜眞氏どっちか入れろと言うのなら私は玉城氏かなあであります。まあ佐喜眞氏が勝って、結局は辺野古移設となって、日本自体分断が進むのでしょうが、まあしょうがないのかもしれないね。

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