国道124号旧道等走行記及び犬吠埼訪問記
丁度1か月前で、終戦の日(敗戦の日と言った方が正確な気もするけど、それはともあれ)でもある8月15日に千葉県銚子市にある犬吠埼に行ってきたのですが、その訪問記等についてレポートします。
その犬吠埼に行く途中、以前(2015年7月)にも茨城県神栖市内(太田~矢田部)の国道124号旧道を走った事があって、この時は銚子方面からだったけど、撮影はしなかったので、今回は逆に潮来方面から走った際に撮影しました。しかし・・・・・・・・・
総じて集落沿線の生活道路の域を出ていなかった様に見えます。この3枚目の画像を撮影した地点辺りから漸くセンターラインが見られる様になりましたが・・・・・・・
途中左に曲がって、まもなく右に曲がって、またしばらく真っすぐ進んだけど、ボートも道沿いに見られました。まあ近くの住民の所有物なのでしょう。
次は神栖市波崎内の旧道「と思われる」道を走行した際に撮影した画像群です。この交差点を右に曲がります。
旧波崎町内の集落の中を進んでいくルートですが、途中でセンターラインが無くなってしまってました。
ただ、太田~矢田部区間の旧道と違うのは、進むにつれて住宅も多く見られる様になり、そこそこ賑やかな風景となっていった点です。と言うかまた、旧波崎町は平成の大合併時点でも人口3.9万人と下妻や笠間、高萩各市よりも人口多かったものね。この5枚目の画像は国道124号との交差点で撮影したものですが、右に曲がるともうすぐ利根川を渡る事になり、千葉県に入ります。
利根川を渡って15分ほど経って漸く犬吠埼に着きました。
3枚目の岩に刻まれたこの俳句ですが、先日88歳になったばかりの有馬朗人氏が詠んだものらしい。有馬氏は物理学者であると同時に、参議院議員・文部大臣(小渕政権時)を務めた政治家でもあり、俳人でもあるのですが、いずれの分野でも一定以上の実績を残したのは流石と言った所ですか。
犬吠埼灯台は、もう営業就業時間の16時を少し過ぎていたので入れなかったけど、まあいずれまた・・・・・・・・
この先は日本よりずっとずっと広い、太平洋という大海原なのだなあとかしみじみと感じながら犬吠埼を後にしました。
帰りには銚子市清川町~若宮町にかけての、国道126号の旧道と思われる道も通りました。しかし、思ったよりも人の気配がしなかった様な?
これは総武本線の踏切を横切る際に撮影したもの。銚子駅は右に見えました。
県道37号との交点で撮影したものだけど、右折禁止となっていました。
しょうがないから一旦左に曲がって、また右に進んですぐつき当たった十字路を左に曲がったけど、初代銚子大橋が架けられていたと思われる場所より東のルートだったので、もしかしたら国道の旧道ではないかもしれないです。この後356号の旧道と思われる道も通ったけど、途中推定ルート間違えていたので、これもまたの機会という事で。
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