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2018/02/03

歴代衆議院当選回数最多議員の顔ぶれ

国会議員白書というHPがあるのを最近知ったのですが、そのHPを基に、戦後の衆議院議員当選回数最多議員の顔ぶれはどの様に移り変わっていったか調べてみました。(数字は期数、()は議員在職期間)

23~25 尾崎行雄(1890~1953)当選23~25回

別名咢堂の、憲政の神様ですね。ご存知の通り。途中東京市長も務めて、アメリカに桜を送った事もあったけど、戦前は市長と国会議員の兼職OKだったんですか。戦後はやめなきゃダメだよね。相馬家の現当主もこの人の孫(母は三女の雪香で、この人もかなり長生きだったが、祖父が亡くなった時、孫である事を話すも「お前の様な奴があんな立派な人の孫なわけがない。」と中学校の先生から怒られたと言う。また、祖母がイギリス人とのハーフだったので1/8はこの人もイギリス人の血を引いているという事か)ですが、最後の19世紀からの国会議員、江戸時代生まれの国会議員でもありましたね。おそらくですが、当選回数及び議員在籍期間は今後も不滅の記録としてあり続けるでしょう。

27・28途 鳩山一郎(1915~46、52~59)、星島二郎(1920~66)当選14・15回

鳩山一郎は最近爆報THEフライデーでも孫嫁(由紀夫氏の妻、幸氏)が取り上げられていたけど、尾崎行雄の引退直後に総理、そして保守合同で成立した自由民主党(自民党)の初代総裁になった。最後の1910年代からの国会議員でもありました。おそらく。

28途~30 星島二郎(1920~66)当選15~17回


デビューはやや遅れたも、鳩山は途中公職追放されていたので、尾崎行雄引退後は当選回数最多タイとなってましたが、彼のの急死で彼が単独トップになった。「ほし しまじろう」ではなく「ほししま にろう」と言うらしい。誤読しやすい名前の人ですね。鳩山同様旧日本民主党出身ですが、政策は戦前から一貫して比較的リベラルな立場で比較的右派色が強かった日本民主党ではやや異色の存在だったでしょう。wikiでのページでは45歳の時の写真が載せられているけど、なかなかのイケメンです。おそらく最後の大正時代からの衆議院議員でもありました。(※5/27追記 当選同期で、途中ブランクはあったけど、1972年まで現職の議員だった益谷秀次がいました)

31・32 西尾末広(1928~32、37・38、42~45、46~48、52~72)当選14・15回

途中ブランクは何度かありましたが、尾崎行雄以来13年ぶりの非自民系国会議員であり、初めての左派政党出身者だったでしょう。もっとも、星島の引退でその様に当選回数最多議員になった時は既に民社党所属となっていました。民社党は中道とされていたけど、西村眞悟氏曰く「自民党より右だった。」との事。

33・34途 船田中(1930~45、52~79)、三木武夫(1937~88)当選14・15回

大体当選回数15回前後が最多議員の目安みたいになってますね。船田中はキン肉マンでも名前の由来にされていた(読みは「あたる」ではなく「なか」ですが)けど、作新学院の理事長もやっていて、江川事件にも巻き込まれたのも有名な話ですね。しかし、江川氏は一定期間の出場停止処分を受け、中本人は1979年シーズン開幕直後に死去したので残念ながら彼のプロでの登板姿を見る事は出来ませんでした。息子の譲は参議院議員から栃木県知事に転じていたので、孫の元氏が直後の衆議院総選挙に立候補・当選し、同じ田中派(元氏は江崎真澄氏等共々外様でしたが)で同じ北関東出身の中村喜四郎氏に代わって最年少衆議院議員となったのです。宮澤政権ではその喜四郎氏共々入閣して、かってのボスだった田中角栄の入閣最年少記録をも塗り替えましたが・・・・・・・・・・・(この当時、角栄はまだ存命で、角栄が初入閣した時は尾崎の記録を約60年ぶりに更新したのだが、2018年1月現在も男では最年少記録を保持している)

34途~38途 三木武夫(1937~88)当選15~19回

鳩山と違って、当選回数最多となった時点で既に総理大臣を経験していた三木ですが、当選回数最多保持期間は90年代末までは戦後最長でした。角栄時代の金権政治という負のイメージ払しょくの為に、クリーンなイメージを買われて総理になるも、中小派閥だったが故に思ったほどの成果を残す事は出来ませんでしたが、ただのクリーンでもなく、再古参議員として福田赳夫と共に主流派の大平派(宏池会)と激しい政争を繰り広げる事になりました。しかし、大平の急死によりハプニング解散後の1980年衆議院総選挙は自民が大勝し、分裂は回避、総裁・総理は政敵、角栄と仲が良かった鈴木善幸が就任、内政はまずまずながらも外交での失策が(しかし、「暗愚の帝王」とか酷評されるほどは酷く無かったと思う。まあ倉山満大先生にとっては、三木もそうなのだろうと言うか55年体制下での自民主流派も左翼なのだろうし、この人の主張は話半分に聞く程度の価値しかないですが)目立って、それでも総裁再選は確実だったのですが、結局2年そこそこで中曽根康弘氏に譲りました。その後1984年に起きた、彼の再選を阻止しようとした二階堂擁立事件は失敗に終わり、福田の影響力は低下、角栄も自派から総裁が出せない事に不満を抱いていた竹下登らの不満を抑えようとするも脳梗塞に倒れ、三木もまもなく病気がちになり、名誉議員の表彰は受けるも第38期は角栄同様満足に政治活動が出来なかった中で死去、福田もその後引退と昭和の終り、平成の始まりとほぼ同時に大福三角の時代は終わりました。(これに中曽根氏を加えて大福三角中と呼ぶ事もあるが、彼はリクルート事件で一時離党しながらもまだまだ現役議員であり続ける)

38途 坂田道太(1946~90)、原健三郎(1946~2000)当選17回

坂田は1988年11月の三木の死去で1年3ヶ月の短い期間に過ぎなかったながらも彼が当選回数最多となりました。37期末に一時衆議院議長も務めていて、その為にリクルート事件で総理に推されても固辞したのですが、それよりも当時の森喜朗総理にNHKの日曜討論で勝手に殺されてしまったエピソード(秘書と混同してしまったらしい)の方が全然有名でしょう。ただ、閣僚経験は豊富ながらも党三役の経験が無かったのはネックだったか。おそらく議員生活の大半を無派閥で通したのが響いたのでしょうが・・・・・・・・・・・73歳だった時の平成初の解散と同時に引退して、2000年代初頭までは80代の議員も何人かはいただけにこの当時では比較的早い引退に感じられますが、他にも福田や角栄、茨城出身でもあった赤城宗徳(おそらく尾崎以来の7つの年代に跨って国会議員であり、最後の戦前からの現役国会議員でもあっただろう)稲葉修久野忠治等大物議員の引退が相次ぎました。

39~41 原健三郎(1946~2000)当選18~20回


最後の明治生まれでかつ帝国議会時代からの国会議員でした。坂田の引退で当選回数は単独最多となったけど、1999年9月にそれまで三木が保持していた戦後における単独での最多当選回数保持期間を更新しました。(タイ含みでは星島の13年が最長)坂田の引退後もしばらくは同期の二階堂進も現役議員であり続けていたのですが、二階堂は途中落選(1953年総選挙)していたので惜しくも名誉議員にはなれないまま途中1996年に引退しています。ただこの人も、坂田の後釜で衆議院議長までにはなりましたが、所属していた中曽根派も比較的弱小な派閥だったからか党三役の経験は坂田同様ありません。

42 中曽根康弘(1947~2003)当選20回

ここで改めてその業績とか語るまでもないほどの大物ですが、おそらく最後の改進党・日本民主党在籍経験がある国会議員でもあったでしょう。重複比例立候補が73歳定年となってしまい、当時の小泉総理からも引退に追い込まれて56年、当選20回に渡った議員生活に別れを告げたわけですが、小泉政権以降の自民党、そして日本政治の変容を象徴させられた様な引退劇でした。しかし、昨秋の衆議院総選挙で初当選した孫の康隆氏がコロンビア大学院で次男の進次郎氏と同窓だったのは何かの因縁か。

43途 山中貞則(1953~90、1993~2004)当選17回

中曽根氏が最後の改進党・日本民主党在籍経験のある現役国会議員ならば、彼は最後の自由党在籍経験のある現役国会議員だったでしょう。(つまり、彼の死で保守合同以前に当選した現役国会議員は一人もいなくなった)中曽根氏に代わって最多回数衆議院議員となったけど、仲が悪く、1990年総選挙ではリクルートで一時離党した中曽根氏が当選したのに対し、閣僚経験も党務経験もやはり豊富だった彼が落選してしまったのは皮肉な明暗です。二階堂パターンと言うか、この時の落選のせいで、彼も名誉議員になる事は出来ませんでした。もし次の総選挙後の2006年まで存命だったら、当時の小泉総理との関係も良かったみたいだし、当選して名誉議員にもなれたでしょうが・・・・・・・・

43途~44 海部俊樹(1960~2009)当選15・16回

総理大臣としても初の昭和生まれでしたが、当選回数最多議員としてもまた然りでした。総理としては師匠の三木同様不完全燃焼のまま退任を余儀なくされてしまいましたが、自民が野党転落して55年体制が終わった後の非自民・非共産連立政権が8ヶ月で崩壊した後も総理になるチャンスがありました。首班指名選挙で村山富市氏にそれなりに肉薄し、自民からも何人かは造反して海部氏に投票した人(同じ派閥だった野田聖子氏等)もいたのですが、「福田赳夫以来の、退任後再就任しようとして結局実現できなかった総理経験者」(1979年の首班指名選挙で同じ政党ながらも大平正芳に肉薄する)となって、ルパン三世でもその関係を揶揄されていた小沢一郎氏とも新進党・自由党で同僚になる等政界渡り鳥の一人になってしまいました。その後現在の二階幹事長共々小沢氏とは袂を分かって、保守党・保守新党所属となり、吸収合併に伴って自民に復党したのですが、惜しくも彼も名誉議員にはなれませんでした。若い世代で海部氏を知っていてもそのルパン三世とかネガティブなイメージがどちらかと言えば強かったのも総理経験者ながらも落選してしまった原因になってしまったのでしょう。

45 小沢一郎(1969~)、羽田孜、森喜朗、渡部恒三(1969~2012)

4人中3人が経世会出身で西尾以来37年ぶりの非自民当選最多回数衆議院議員であり、森氏もその経世会(厳密にはこの当時既に平成研究会に改称)に擁立されて総理になった等結局全員その絡みでしたが、4人もタイで並びました。羽田・森両氏までで総理経験者の当選最多回数保持者はこれで6人になり、自分の派閥から自身を含めて4代総理を続けて出したが、15年ぶりに野党議員となり、結局そのまま引退した森氏に対し、他の3人は与党となった民主党内の長老またはキングメーカーとして一定の影響力を保持するかに思われました。

実際特に小沢氏は幹事長となり、しかし、これについても信望者を中心に陰謀説を主張する声も少なくはないですが、睦山会事件でまもなく辞任、その後の代表選では菅直人氏と争って、この時がかって神輿として担いだ海部氏の辞職以来の総理になるチャンスだったのですが、結局ここでも喧嘩してしまい、東日本大震災でも適切な対応を取れず、代表・総理どころか民主党員ですらなくなってしまいました。

46~ 小沢一郎(1969~)


民主党を追い出された小沢氏は国民の生活が第一党を立ち上げ、陸山会事件も何とか無罪を勝ち取り、しかし元々あったダーティーなイメージは拭えないという事で日本未来の党に合流し、滋賀県知事で、左寄りで、特に憲法改正では小沢氏と主張が違う筈の嘉田由紀子氏を表向きのトップに祭り上げました。合流時の議席数は61と決して無視できる勢力ではなかったのですが、今までも師匠の角栄や竹下登、金丸信に倣って宇野、海部、細川、羽田、鳩山各氏を裏から操り、権力に固執してきた小沢氏の手法はもはや有権者にはバレバレでした。兄妹みたいに歳が近かった真紀子氏も父の命日に落選してしまったのは皮肉でしたが、この2012年12月16日に実施された総選挙では日本未来の党は9議席しか取れなかった等希望の党なんか全然マシ(57→50で、後に前原誠司氏等が入党するが、次の総選挙では分裂しなくてもこの半分しか当選できないかもな)に見えるほどの惨敗を喫してしまいました。

それでも小沢氏自身は当選して、他の羽田氏ら3人は出馬しないで引退したので現在に至るまで単独の当選回数最多議員となったのだけど、ここでも嘉田氏と仲が悪くなって今度は生活の党に改称した上で森裕子氏を担ぎ上げるも、森氏は翌2013年の参議院総選挙で落選、2014年衆議院総選挙でも落選して、2016年の参議院総選挙で漸く国政復帰するも2014年の時点で政党要件を失った。すると今度は山本太郎氏と組む事になったけど、「生活の党と山本太郎と仲間たち」ってなんだかライトノベルの題名みたいな党名でしたね。(苦笑)

まもなく、自由党に改称して、一時無所属となっていた森氏も戻ってきた。山本氏も園遊会での手紙渡し事件や牛歩戦術等「?」な言動も目立つ一方、年末の炊き出しやその他富の再配分等を訴える政策には共感できる所もいくつもあるし、最近も参議院予算委員会では森友事件について追及していて、今日予定の名護市長選挙直前の応援演説も是非現職が勝利する様貢献してくださいですが、所詮は弱小政党、今後絶滅危惧種となりつつある社民党(かっての最大野党だったのに・・・・・・・)共々いかに国民の支持を広げていけるかですが、小沢氏は単独当選回数最多議員の名誉と引き換えに過去の人になってしまった。もはや。

さっきたまたまテレビで選挙区制の是非とかについてある専門家のおじさんが語っているのを目にしたけど、功よりも全然目立つ罪の内でも特にダメだったのは権力に固執して経世会を分裂させて、小選挙区比例代表並立制を導入してしまった事です。表向きは保守ながらも右派から中道左派までいろんな考えの人達を受け入れてきて、特に55年体制時は大半の期間で、世界基準なら中道(または中道左派。角栄や善幸とかはこれに該当すると思う)が主流になってきた国民政党であり続けてきたのが自民の一番良い点だった筈で、勿論バブル経済の崩壊やポスト冷戦下における国際勢力の複雑化等他にもいくつも要因はあるけど、民意が十分に反映されず、その素質そのものを疑わざるを得ない政治家を国会に送り込んで、特に小泉政権以降は右傾化(今の自民を中道左派なんて言っている連中もいるけど、バカも休み休み言えである。少なくともイギリスの保守党やドイツのキリスト教民主同盟、フランスの共和党よりも右だろうが。もしホントにそうならば私なんかバリバリ左翼だよ?)してしまって、本屋に嫌韓本とか嫌中本とかとかが所狭しと立ち並んでいるのも異常(だって、私だってこのブログでも随分前に韓国について捏造ばかりと非難した事もあって、正直K-POPゴリ押しとかも良く思ってないけど、殆ど中国・韓国の悪口なんて言ってないでしょ?言ったってしょうがないもの。異民族同士の憎しみを煽り、その異民族以下に自分を貶めるだけなのだから)だけど、近隣諸国との確執にも囚われて、一部の事実も全ての事実であるかのように歪曲するか、酷い時には嘘も平気で拡散する等他人を不快にさせる事しか能がないネトウヨ達が多数出現する等自分達の姿を鏡で見る事も出来ないほど政治家も国民も劣化してしまっているのです。

まあ小沢氏以前にも鳩山や角栄も小選挙区導入を目指していた事も無視できないし、小沢氏は直接的には親父の佐重喜の影響を受けたらしいけど、同じ権力闘争に固執していても、亡くなったばかりの人の事をあれこれ言いたくはないけど、野中広務氏については確かに他の自民ハト派政治家達共々中国や北朝鮮には甘かったし、ネトウヨ達なんか存在自体認めたくないだろうけど、少なくとも沖縄にも真摯に目を向けていた平和への願い、差別を憎み、社会的弱者への温かい眼差しを忘れなかった姿勢、そしてそれも持って日本の右傾化に一定の歯止めをかけてきた事は個人的にも評価してきたつもりです。

実際また、森氏同様裁判で揉めた事があった筈の噂の真相でさえ、引退時にはそれを惜しむ旨の特集記事を掲載していたのだけど、小沢氏は・・・・・・・・・・・まあまたクドクド言ってしまっているんでこれぐらいにしときますが、あと2年弱で小沢氏も名誉議員か・・・・・・・・・・・胸像とか正直勘弁してほしいですね。中国が反日国か否かとか中国や中国人に対する個人的な好悪なんか全く置いといても、天皇陛下を勝手に習近平国家主席に合わせた等の政治利用もしたしね。まあそれはともかくとして、この面々の中には総理にはなれなくとも、衆議院議長にはなれた人も何人かいるけど、今度機会がある時には歴代の衆議院議長についても語ってみたいと思いますね。

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