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2017/12/30

入閣待機組の顔ぶれの移り変わり(後編)

http://kokkai.sugawarataku.net/

後編で、1986年の衆参同日選挙大勝直後と2012年の民主党からの政権奪還直後の入閣待機組(衆議院当選5回、参議院当選3回以上)が何人いて、内何人入閣できたか調べてみると言ったけど、後者は2012年じゃなくて2005年の郵政解散衆議院選挙大勝直後についてこの国会議員白書というページを元に調べてみました。

 
衆議院38期(1986/7~90/2)・・・90人中71人が入閣果たす(内51人が38期中に入閣)※赤字表記が38期中に、緑字表記がその後に入閣入りした面々。

 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
相澤英之 元winkの相田翔子は三男の妻
愛知和男 小沢一郎と共に自民に離党するもまもなく復党
愛野興一郎
青木正久
阿部文男 共和汚職事件で有罪となる
有馬元治
池田行彦 岳父は内閣総理大臣池田勇人
石井一
石川要三
石橋一弥
稲垣実男 政界引退後出資法違反で逮捕、晩節を汚す
稲村利幸 巨額脱税で逮捕、議員辞職
大石千八
大塚雄司
越智伊平 橋本政権でも入閣するが・・・・・・・
越智通雄
梶山静六
粕谷茂 長妻昭に引導を渡され、未入閣のまま引退
片岡清一
鹿野道彦 清和会のプリンス、後に民主党に移籍
唐沢俊二郎
瓦力
菊池福次郎 5回目の挑戦で当選した時には既に50代
北川石松
小泉純一郎 後の総理大臣
近藤鉄雄
佐藤孝行
佐藤隆
塩谷一夫
志賀節
関谷勝嗣
染谷誠 千葉県議会からの国政デビュー時点で既に50代半ば
高鳥修
竹中修一
谷洋一
玉澤徳一郎
田村良平 吉田茂の地盤を継ぐ
塚原俊平
津島雄二 太宰治の娘婿
戸井田三郎
中尾栄一
中島源太郎 政界進出前は大映在籍の映画プロデューサーだった
中村喜四郎 戦後生まれでは初の入閣を果たすも・・・・・
中村靖
中山利生 長男の一生は現職龍ヶ崎市長
中山正暉
西岡武夫 当選直後漸く初入閣も再び政界渡り鳥に
野田毅
野中英二
葉梨信行 現在は娘婿の康弘が地盤を継ぐ。取手市在住
浜田幸一 「政界の暴れん坊」の異名通り元気すぎたのが祟ったか
林大幹 宮澤内閣下で入閣して燃え尽き症候群に?
原田昇左右
深谷隆司
福島譲二 入閣後熊本県知事としても手腕を発揮、急逝が惜しまれる
堀内光雄
堀之内久男
松本十郎
三ツ林弥太郎
宮崎茂一
村岡兼造 日歯連闇献金事件で失脚
保岡興治 森内閣下で漸く入閣、2017年に病気のため引退
山崎拓
湯川宏 当選直後急死
渡辺紘三
渡辺秀央
綿貫民輔
(参議院第13期(1983/7~86/7)
坂元親男
沢田一精 細川護熙の前の熊本県知事
堀内俊夫
森下泰 元森下仁丹社長
(参議院第14期(1986/7~89/7)
井上吉夫
岩上二郎 国政進出前に茨城県知事を4期務める
遠藤要 法務大臣として入閣、平沢貞通がこの時死去
大島友治
岡田広 元水戸市長・現衆議院議員の人とは同姓同名の別人
後藤正夫
斎藤栄三郎
斎藤十朗
坂野重信
佐々木満
山東昭子 女優でもあり、今井絵理子の後見人も務める
田代由紀男
中村太郎
長谷川信 海部内閣下で入閣するも間もなく死去
林田悠紀夫 京都府知事も2期務める
平井卓志
前田勲 前田佳都男は父
宮田輝 NHKのアナウンサーでもあった
山口淑子 別名義・李香蘭。山東共々角栄に見いだされて政界進出

待機組も69年衆議院総選挙並みに多ければ、入閣者もそれ以上に多い事が分かるでしょう。時はバブル景気、日本の経済はイケイケムードでしたが、政治も衆参同日選挙で自民が大勝して中曽根総理もこの年(1986年)限りで総理・総裁退任予定だったのが任期1年延長を勝ち取って、中には後藤田正晴みたいに5年間全て閣僚であり続けた人もいたけど、ドンドン入閣させたようです。

そんなイケイケムードから一変して、中曽根から禅譲された竹下登政権ではリクルート事件が起きてしまったけど、直後の女性スキャンダルで短命に終わった宇野政権共々こうした悪い事件もまた入閣待機組をトンドン入閣させていく流れとなったのでしょう。参議院も結構積極的に入閣されていたし、中には茨城県出身者やタレント・アナウンサーも見られる様になったけど・・・・・・・鹿野道彦は自民から他党へ移籍した面々では珍しい清和会の出身(と言うか、この人の政策・思想も出身派閥の割にはそんな右寄りでタカ派な感じはしない。民主の中ではそうだったのかもしれないけど)だったけど、運命の選択を間違わなければ中村喜四郎船田元共々大臣どころか総理の座も狙っていけたかもしれません。田村良平はあの吉田茂の地盤を受け継いだ割にはパッとしないまま終わってしまいました。西岡武夫も前編で話した通り、最晩年は参議院議長として色々頑張った様だけど、議員歴の割には遅い入閣でした。それでも彼も自民にいたままの方がまだ良かったかは判断しかねるかもです。葉梨信行は、娘婿の康弘氏は次の選挙で当選すればついに閣僚入りか?ハマコーも嫌いじゃないけど、まあ本人もヤクザだったとハッキリ言っていた様では入閣できなかったのも無理なかったかも。良くも悪くも元気だっただけに晩年はなおさら寂しく見えたのは私だけではあるまい。福島譲二は熊本県知事だけじゃなくて、総理大臣もこの人が細川護熙の後やっていれば日本の歴史は大きく変わっていたかもしれない。昨年の熊本地震もこの人が知事だったらどういう対応していたのかなあですが・・・・・・・・

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
衆議院44期(2005/9~09/8)・・・50人中24人が入閣果たす(内21人が44期中に入閣)
逢沢一郎 加計学園問題にも関与ではこの先も入閣は難しいか
赤城徳彦 松岡利勝後任の農林水産大臣として入閣も2か月でクビ
安倍晋三 現内閣総理大臣。官房長官として初入閣
伊藤公介
稲葉大和 稲葉修の息子。93年組も、入閣できないまま2009年に落選
遠藤武彦 赤城の後任の農林水産大臣としても入閣も8日で辞任
小此木八郎 2017年8月の内閣改造で漸く入閣
小野晋也 44期を持って引退、その後は著述業を中心に活動
鴨下一郎
岸田文雄 その後外務大臣等を経て現在は政調会長に。ポスト安倍の1番手?
木村義雄 衆議院で落選後、参議院に転ずるが未だ入閣せず
小坂憲次
坂本剛二 いわき市議、福島県議を経て国政進出も副大臣止まり
佐田玄一郎 政治資金問題で失脚。以後再入閣ないまま2017年9月に引退
塩谷立
七条明 国政から引退後上板町長を務めるも1期しか続かず
実川幸夫 彼も民主フィーバーの逆風を跳ね返すことは出来ず
杉浦正建 70余歳にして初入閣
鈴木恒夫
園田博之 最近また政治資金規正法違反疑惑が浮上する
田野瀬良太郎
中馬弘毅
渡海紀三郎
長勢甚遠 安倍晋三が引き立てた問題児閣僚その4。数々の不祥事が発覚
仲村正治 一時自民を離党したのも響いたか
根本匠 2012年の自民政権奪還後に初入閣
萩山教厳 国政デビューが遅すぎたか
浜田靖一 ハマコーの息子、防衛大臣としての評判はまずまず
林幹雄 自民の政権奪還後も1回閣僚入り
原田義昭 学歴詐称が拙かったね
二田孝治 中選挙区制のままなら閣僚入り出来た?
松岡利勝 安倍晋三が引き立てた問題児閣僚その5。自殺に追い込まれる
三原朝彦
宮路和明 彼も副大臣在任中に不祥事が発覚
森英介
柳本卓司 大臣どころか副大臣経験も無し。2014年にはオールゼロ議員の1人に
山本公一
山本有二 安倍晋三が引き立てた問題児閣僚その6。2016年にも入閣
(参議院第19期(2001/7~04/7)
太田豊明
狩野安 女性、息子の岳也は元茨城県会議員
沓掛哲男
佐藤泰三 68歳で国政デビュー
西田吉宏
溝手顕正 安倍晋三が引き立てた問題児閣僚その7。大臣規範に違反
(参議院第20期(2004/7~07/7)
泉信也
市川一朗
岩永浩美
矢野哲朗 舛添についていったのは間違いだったね
山崎正昭
吉村剛太郎

経世会が分裂して、自民から他党に移籍した議員が続出したのもあったのでしょう。入閣待機組は50人とこれまでと比べて激減し、2017年8月の内閣改造時よりも少なかった。一方で、その分裂等によりついに自民が結党以来初の野党に転落した1993年衆議院総選挙は今日の日本の政治の中心的な人物が多数国政デビューした選挙でもありました。取りあえず政策の良し悪しは置いといてその代表的な人物として第一に安倍晋三を挙げないわけにはいかないでしょう。「沈黙の仮面」感想でも述べた通り、彼は北朝鮮による日本人拉致問題以外は特段誇るべきな実績はなく(これにしても、一部被害者家族からは政治利用した等の非難の声が上がっている)、幹事長としてはイラク派兵に反対(勿論私も当時から反対の立場をとっていました)した亀井・加藤・古賀各氏に強い態度を示せなかったり、2003年衆議院・2004年参議院各選挙でも民主党の躍進を許したりでこの2005年衆議院郵政選挙でも大きな貢献したわけではなかったのですが、彼ら93年組が入閣条件を満たしてきたのです。

森内閣時から数年官房副長官を務めてきて、そう言えばシンゴジラでも官房副長官がゴジラの出現と言う未曽有の事態収拾に努めていましたが、勝手知っていたという事からか官房長官として初入閣した。そしてそれから1年余りで、他の有力候補もイマイチ決定打に欠けた運の良さ(最も大物だったのが現在も政府のナンバー2である麻生太郎)もあって、戦後では田中角栄も凌ぐ最年少の総理大臣となった。

衆議院44期開始直後のその入閣待機組50人中24人が2017年12月28日現在まで入閣して、安部が総理大臣になったのもその44期中の事でしたが、残念な事に安倍は人を見る目もあまり無い様です。閣僚の人事は何も総理大臣が全て選んだわけではないらしく、そうしたのは小泉純一郎氏ぐらいなそうですが、その24人中少なくとも7人が第一次安倍政権において不祥事を起こし、安部の足を却って引っ張ってしまったのです。

松岡利勝も末路は悲惨でしたが、我が地元茨城の出身でもある赤城徳彦もあの絆創膏姿もネットでネタにされる等ピエロの様にも見えました。当然この人のポスターも何度も目にした事もあったけど、結局政治家生命そのものが絶たれてしまい、地盤を田所嘉徳に譲らざるを得なくなってしまったけど、あの世の祖父もさぞかし泣いている事でしょう。倉成正和氏みたいにきっぱり政治とは縁を切って研究者(私の親戚にもOBいるけど、城西大学教授を務めている)として人生の新章をスタートさせた人もいるけど、赤城氏は今何やっているのですかね?息子がいるらしいけど、既に60半ばな田所氏(この人には娘しかいないらしい)から地盤を譲ってもらって国政デビューして地に落ちた赤城家の復活を果たす事は出来るのでしょうか?まあ田中雄一郎氏みたいに親を反面教師として政治の道には進まない可能性の方が高そうですが・・・・・・・・・・・

赤城氏に深入りしたけど、まあこのブログは茨城県という地域ブログな面もあるし、もう一人茨城県出身者で興味を持ったのは狩野安です。父の加藤高蔵は7回当選したけど、大臣にはなれず、夫の明男も水戸市長選挙に落選して、衆議院選挙でも2度目の挑戦で当選したと思いきや、83年に無所属出馬で直後追加公認された額賀福志郎等に票が流れてしまったのか落選、その後の参議院選挙でも2度目の挑戦で当選して、漸く海部内閣下で政務次官になるも10ヶ月で交代となり残念ながらそこで政治キャリアは終わりとなってしまった。安氏は亡夫の遺志を継いで国政デビューされた様ですが、もし郵政民営化法案に最初から賛成していたら父や夫が果たせなかった閣僚入りも実現したのか?まあ微妙かもしれませんが、息子の岳也氏もあのまま県会議員やっていた方が良かったかもしれない。だって厚生族議員で、派閥の共同ボスまでやった丹羽雄哉氏が相手では最初から勝機薄かったでしょう。結局丹羽氏の後継となったのは国光文乃氏で、まあ私は先の2017年衆議院選挙では小選挙区はこの人じゃなくて共産候補の人(比例では希望の青山大和氏はもっと当選させたくなかったから仕方なく自民に入れましたが)に入れましたが・・・・・・・・・落選直後の2013年1月時点では色々肩書持っているらしいけど、もう5年近い前の話だし、今何しているのですかね?この親子も。

佐田玄一郎も、これも「沈黙の仮面」感想でも述べましたが、2012年の自民政権奪還後も衆議院議員運営委員長には起用してもらいました。しかし、今度は女性問題が起きてやっぱダメでした。まあ尾身朝子も同じく清和会出身なのですが、しょうがなかったでしょう。長勢甚遠もまた清和会で、確かに左翼の人達もおかしい所はいくつかはあるけど、右寄り過ぎな人達もロクなのがいないもんだ。勿論そういう人達も全否定しているわけではない(櫻井よしこ氏とかは嫌いではない。彼女なりの愛国心とかは伝わる)し、稲田元防衛大臣もそうだけど、思想で必ずしも政治が出来るわけではないのですからね。それで国や国民を不幸にする様ではネトウヨの連中も死ぬほど嫌いであろう周辺諸国の事も全く笑えない。長勢氏は国民主権、平和主義、基本的人権も無くしたくてしょうがない様で、憲法改正と言えば今度は自衛隊を実力組織と位置付けような話が出ている様ですが、何度も言う通りもうGHQによる洗脳の有無(確かにあったとは思うけど、それで全く骨抜きになってしまうほど日本人がそこまで阿保でノータリンだとまでは私は思わない。そんな阿保でノータリンだったなら欧米諸国の植民地にされていたよだけど、いつまでもそんな事でギャーギャー騒いで過剰な被害者意識持っている連中こそが一番自虐史観に囚われていて、愛国心が無いんですよ)とか近隣諸国への好悪とか押し付け憲法(確かに宮澤喜一氏が生前主張した通り1951年の主権回復直後に国民投票でもすべきだったと思う。おそらく大半の国民が賛成しただろうし)であるか否かとか取りあえず置いといて、これまでの歴史的な役割及びその限界を客観的に評価する前提こそがまず第一になければ、絶対日本にも日本人にも憲法改正または自主憲法制定なんてプラスにならないです。

これも何度も言う通りまず日米地位協定を見なおして、可能な限り米軍基地を縮小させるのもセットで行うべきですが、「わが国の平和と安全を維持する為の国民の良き番人であり続ける、自衛の為であろうが無かろうが侵略戦争は絶対にしない、世界の平和にも主体的に貢献していく」とかともハッキリ明記した上でその政治家に暴走させない限界(集団的自衛権も例えば日本周辺でテロが絡むのはダメだとか限定して。まあこれは憲法よりも法律整備の話となるだろうが)も定めていけば良いんじゃないの?ですが、まあ右傾化している今の日本人のメンタリティのままならば下手に憲法改正なんてしない方が良い(個人的には必要だとは思いますが)、憲法に現実を合わせた方がまだ身の丈に合った、可能な努力だろうな個人的見解(そもそもまた、原発があるのだから侵略であろうが無かろうが安易に戦争なんかできない)に大きな変わりはないです。勿論議論を進めるのは大事ですが・・・・・・・・・・・・

憲法改正の話にまた深入りしてしまったけど、その他大物どころでは園田博之の名前も見られました。園田氏も政界渡り鳥になってしまいましたね。自民以外の所属政党は立ち上がれ日本とか次世代の党とか自主憲法制定を党是として掲げていた、自民以上に右な政党に所属していたから、復党後は宏池会系な谷垣グループに所属しているのにも何気に違和感あるのですが、他政党では党務では幹事長になれても自民ではどうやら幹事長代理や衆議院法務委員長が精いっぱいなのも無理ないのでしょう。最近もまた、政治資金規正法違反疑惑が浮上してしまった様だし。果たして下村氏や小渕氏とかみたいに有耶無耶のままで逃げ切れるのか?

明後日で2018年になって、憲法改正の発議も重要な政策課題の一つになるのでしょう。9月には総裁選が予定されていて、安倍総理の3選可能性は高いと思われます。現在は60人以上いる入閣待機組にもそれなりにチャンスはやってくるのでしょうが、一方でかって程の勢いはないとはいえ、第3派閥で無視できるほどの勢力でもない額賀派(平成研究会)が同じ角栄氏の流れである石破派(水月会)と連携を取るのではとも言われています。日韓議員連盟会長で、文在寅大統領とも今夏会った事があるらしい額賀氏も、「中韓を知りすぎた男」とかではその親韓ぶりを批判された事もありましたが、派内でも会長交代を求める声出ている様だし、来年で74歳だからあと1期か2期やった所で引退でしょうが、もっと存在感を示したい所なのは確かでしょう。しかし、この郵政衆議院選挙大勝の時点で彼も入閣待機組の1人だったけど、私は岸田政調会長が一番ポスト安倍となる可能性が高いと思います。この人ならば今以上に日本が右傾化する事はないでしょう。しかし、その一方で外務大臣やってた時も胆力不足を感じた(現在の河野太郎氏の方が毅然とした対応していると思う。慰安婦合意の件はもはや日韓二国間の問題ではなくなっているのに10億払ったのがそもそもの大間違いで、河野氏には責任は無いし、アメリカも何を言おうが、もう韓国とは必要最小限の関わりしか持たず、すり寄ってきても無視して突き放すのがお互いの為だよだけど)けど、周辺諸国との付き合い方等特に外交面で不安があります。まあ安倍政権も高い点数付けられるのかと言うと、正直「微妙」ですけどね。勿論民主党政権よりは全然マシだけど・・・・・・・・・

その一方でまた、憲法改正の是非を国民に問う為に総裁選を1年延期して、もしホントにそうなれば安倍政権は最長2022年まで続く事になるけど、実際イタリアとかでは国民投票が否決されて辞任に追い込まれた首相もいます。ネットでの声=国民の総意とは全く限らないし、前述した通り今の右傾化したままで、ニュースでもいつまでも貴ノ岩暴行事件(貴乃花親方も確かに組織の一員なのに意固地すぎる所はあるかもしれないが、それほどおたくら相撲協会が信用されてないという事ですよ。彼を理事降格処分にする前にまず自分達のダメぶりを改善しなければいけないのだけど、こうしたダメぶりもインパール作戦も大失敗した第二次世界大戦の頃から悲しいかな変わっていない)やシャンシャンフィーバーや藤井四段・ひふみんフィーバーとかで騒いでいて、総理大臣も沖縄米軍ヘリ事故への対応よりも芸人達との会食を優先している有様な日本人にはなおさら憲法改正なんか高難度ゲーである。戦前も1000歩譲って東南アジア諸国が結果的に植民地支配から解放された面も確かにあったかもしれないけど、結局は近代化の成功に奢って自分達を過大評価して失敗したじゃないですか、そういうの今後も絶対忘れちゃダメだよだけど、いずれにせよ、それ相応の回数の当選をして、当然入閣していようがいまいがそんなのは関係ない、少しでもこれからの日本を任せるのにマシな政治家を選んでいかなければいけないでしょう。これからももっと。

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