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2017/11/11

野上忠興氏著「安倍晋三 沈黙の仮面」感想その1

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トランプ大統領の訪日で、松山英樹氏(まあご本人は楽しんでいた様だから、それならもう彼については私などがとやかく言う事ではないけど)やピコ太郎氏も政治利用して日米同盟をアピールしていたかと思いきや、過剰なゴマすり等正直「?」だった安倍総理ですが、取材に基づいて彼の半生を描いた「安倍晋三 沈黙の仮面 その血脈と生い立ちの秘密」を読んだので感想を残します。(感想文中は敬称略)

父の安倍晋太郎は出生時は毎日新聞記者だったのが、岳父・岸信介の秘書を経て、国政デビューしていた事情で、晋三は両親と親子らしい触れ合いを過ごした機会はあまりなく、お手伝いさんだった久保ウメが母親代わりでよく甘えていた様ですが、加えて、晋太郎の国政デビュー直前に石橋湛山との総裁選で僅差で敗れたばかりだったが、病気による退陣で、総理になった岸がアイゼンハワーとの間で調印した安保条約に対する世間の強い風当たりが決定的な人格・思想形成の基となってしまった様です。

アメリカに対する過剰な追従(昨年末の稲田前防衛大臣の靖国参拝も「ノーコメントは無いだろ」だったし)も改めて理解できると言うか、家庭の事情で、猶更自分の世界に占める割合が大きかった祖父の成し遂げた「偉業」を否定されて反発した気持ちも分からなくはないのですが、さらに最近まで外務副大臣を務めていた弟の信夫が伯父の信和の養子となっていたのもそうした人格の屈折に拍車を欠けてしまった様だ。

勿論晋三本人もそうした自身の中にあった歪みをどう乗り越えるか全く考えていなかったわけでもなく、早くから政治家への道を志していた様だ。後に共に北朝鮮問題で注目された平沢勝栄とも早くから接点(家庭教師を務めていた)あったのも初めて知った話でしたが、晋三は祖父母または両親からそうした政治的思想の影響もうけても、自分なりに色々知識も吸収して、視野を広げた上で、歴史認識も含む自分なりの国家観とか形成していった・・・・・・・わけでは残念ながらなかった様です。

いくら当時ベトナム戦争も泥沼化していて、反戦の気運が強かったとはいえ、教師が学校の教育で反安保とか自分の偏った思想を生徒達に押し付けていたのも異常に見えました。一次政権は2年で終わったのが、数年後に再登板して第四次黄金期を築いた巨人の原辰徳とも重なり合うものもあると言うか、実はヤクルトファンのアンチ巨人(参議院議員を務めていた堀内恒夫の前でも「堀内さんには悪いですが・・・・・」とネタにした事もある)でもある晋三が再登板後現在まで長期政権を築いている2017年現在は逆に右傾化していて、勿論良い傾向なんかじゃないけど、教師に嚙み付いた晋三も晋三でしたね。自分の意にそわない主張をされると時にはキレる悪癖もこの頃から変わっていないのだなあと改めて認識させられました。「祖父のDNAだけを要領よく引き継いだ。思想、思考が浅いまま政治家になり、若くして総理になったのが成長を止めてしまった。」とのある自民中堅議員の評も紹介されていましたが、稲田朋美とかも思想、思考が浅いのは同じだよね。まさに「類は友を呼ぶ」と言うか。

だから、政治家なんて大抵は功罪両面あるものですが、そうして祖父のやった事を全て無批判に受け止め、崇拝していた一方で勉学にはあまり力を入れていなかったのもさもありなんだったのかもしれない。結局大学まで成蹊で通した晋三、後の2012年自民政権与党復帰後に加筆した「美しい国へ」でも最終学歴を記したプロフィールを削除するほど学歴コンプレックスを持っていたのなら、もっと一生懸命勉強していれば良かったのに、と言うか、そう言えば最近ゴリ押しされている某イケメン俳優も出身大学を明かさなかったエピソードあったけど、成蹊はそんな事しなければいけないほど低偏差値な大学じゃないだろうに。そう言えば、先輩OBのギレン総帥も明日誕生日だな。

大学時代の晋三はサークルにあまりレベルが高くないであろうアーチェリー部を選択した等打算的な面もありましたが、コンパを楽しむ等そこら辺にいる学生らしい一面も強かった様だ。どうやらあまり将来へのビジョンとかはこの時の彼からは感じられませんでしたが、黙っていても時は過ぎていく。私が何回か話した事のある、ある保守系ブロガーの人も言ってましたが、やはり学歴はないよりはあった方が良い。祖父の岸から官僚になる事を進められても、一度も受験で進学した事すら無かった晋三には高すぎたハードルだったでしょう。大学卒業後、モラトリアムだったかどうか知らんけど、取りあえずアメリカの南カリフォルニア大学に留学した。しかし、間もなくホームシックにかかってしまった様で国際電話代が10万もかかったらしいけど、私だってスマホ代月7000か8000円だよ。しかも働いていないのにこれでは晋太郎が怒ったのも無理あるまい。

結局単位も満足に取得できず、父の所属する派閥のボスだった福田赳夫が今の所最初で最後な「総裁選での現役総裁の敗北」というまさかの「変な天の声」を聞いてしまった事情もあってか、現在不祥事で大変な事になっている神戸製鋼にコネ入社した。しかし、入社時期が中途半端だったこともあって、またアメリカ(ニューヨーク事務所)に戻る事になってしまったのは皮肉だったし、次に配属された加古川製鉄所では慣れない勤務体制や環境もあって病気でダウンとなってしまったけど、加古川もその次に配属された東京本社での勤務も彼にとっては楽しかった様だ。父の上司から大平正芳に政権交代となって、その大平も権力闘争で神経をすり減らしたのか80年の総選挙直前に急死したドラマもあって、晋三も加古川勤務時は週末には選挙応援させられた(と言うか、当時から神戸製鋼って週休二日だったの?だけど)事もあったけど、大きな商談も任されていた様だし、このまま神戸製鋼勤務のサラリーマンとして過ごしていた方が彼にとっては幸福だった気もしてならないです。

しかし、既にこの頃から腸に持病を抱えていた様だけど、そんな充実した日々も長くは続かなかった。大平急死後、同じ宏池会の鈴木善幸が総理となったけど、残念ながら鈴木も闇将軍、田中角栄に祭り上げられた神輿に過ぎず、特に外交面での失策が目立った(近隣諸国条項も配慮し過ぎだった感は否めない。今から見れば鈴木政権の誕生は自民ハト派衰退の前兆だった気がしてならないが、だからと言って新しい歴史教科書をつくる会の教科書にも私は否定的である)けど、総裁選出馬断念も余儀なくされ、次に登板したのは、晴れて陣笠議員になったばかりで、嵐の櫻井翔とも慶応の同窓だった孫もこの頃生まれたけど、後に加計学園問題で晋三に喧嘩を売る事になる前川喜平とも親戚(息子の弘文の妻が喜平の妹)になったばかりの中曽根康弘だった。

清和政策研究会のボスだった赳夫はまだまだ元気ながらも、晋太郎も「田中曽根」新内閣の外務大臣に就任したという事で、晋三に会社を辞めて秘書官になる様命じるも、すぐ受け入れられなかったのは当然だったでしょう。しかし、元総理の孫、外務大臣の次男坊というサラブレッドだから会社も穏便に辞めてもらおうと大騒ぎだった様で、ここらのくだりも生々しいものがありましたね。また、何をすべきか分からなかった事もあってか、前職場にロッカー整理に行く事も最初はあった等まだ未練も残していたのも伺えた様なでしたが・・・・・・・長くなりすぎたので何回かにに分けて、今回はここで区切ります。

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