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2017/11/11

野上忠興氏著「安倍晋三 沈黙の仮面」感想その3

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長々とここまで書いてきているけど、その3です。(感想文中は敬称略)

村山富市も自分が総理の器じゃない事を自覚はしていた様で、前々から総理を辞めたがっていた様だけど、かっての鈴木善幸の様に総裁選出馬断念を余儀なくされた河野洋平の後任で自民総裁となっていた橋本龍太郎が総理にも選ばれ、自民総理も2年5か月ぶりに誕生しました。1996年1月の事で、同年の10月には第41回衆議院総選挙が開催されましたが、晋三は圧勝し、議員第2期を迎えました。

ここで興味を持ったのは当選回数ごとに積み重ねていくキャリアで、議員3期でやっと中堅議員となり、4期で副幹事長あたりになる様だ。そういう意味では小泉次男(筆頭副幹事長)も就任直後に4選したから超スピード出世というほどでも無かったのかなあで、茨城出身では葉梨康弘も副幹事長らしい(※11/14追記だけど、葉梨氏は現在副大臣に転じたらしい)ですが、5期、おそくとも6期でやっと大臣か国会の常任委員長になれるらしい。これは衆議院の話で、参議院なら大臣入閣は3期が目安らしいけど、入閣待機組が60人って多すぎだよね。議員定数削減やっぱ必要だろな気もしないでもないけど・・・・・・・・・

しかし、橋本政権下では青年局局長も務めていた晋三がこういう定型通りキャリアを積み重ねていったのかと言うとどうやらそうではなかった様だ。消費増税で98年の参議院選挙では自民は過半数割れ、橋本は責任を取って総理を辞職し、同じ経世会の小渕恵三にバトンタッチされたけど、当時は金融問題が最重要視されていた。そう言えばこの頃にはまた金正日が親父が死んで三年経つか経たないかで漸く総書記に就任したけど、拉致疑惑を取り上げていた晋三は大して見向きはされず、社会保障に目を向けて、同志たちの名前のアルファベットから命名したNAISの会も厚生利権の壁に阻まれて不完全燃焼だった様です。

ところが、平成以降の総理では一番有能だった小渕が不幸にも脳梗塞に倒れてしまったのが現代日本政治史の大きなターニングポイントとなった。55年体制以降ここまでの45年間、吉田茂をボスとする旧自由党の流れをくむ、軽武装と経済重視を掲げた保守本流が大半は政治の主導権を握ってきて、岸・福田・中曽根のタカ派総理は例外的な存在に過ぎなかった。

しかし、この3人にしたって岸は本書でも著者に語ったエピソードも触れられていた通り「青磁は押すだけではなく、時には引くバランス感覚が大事」と公言していて、娘婿の晋太郎も忘れていなかったし、福田・中曽根もアジア諸国(やアメリカ)との外交を重視していた。それが、あの当時は5人組による談合であると世間から非難されていたけど、晋太郎同様党三役全て経験した森喜朗が総理となり、清和政策研究会出身者としては22年ぶりに誕生した総理でもあった。

日本歯科医師連盟事件も結局有耶無耶になって、今の森友・加計学園問題もそうなるのだろう(と言うか、他にもっと大事な課題がいくつもあるし、決して納得しているわけじゃないけど、もう良いよである)けど、森にとって晋三は衆議院総選挙初出馬時に応援演説に来てくれた恩人(岸の事)の孫でもある。晋三の初出馬時に応援に来たのも、その恩返しの一環で、当時は失言癖やえひめ丸事件の対応の拙さ(しかし、言われているほどは酷くなかったと擁護する意見もある)も相まって、総理退任後も無能なくせにキングメーカーぶっていた印象が強かった森だったけど、総理の時も実は(?)政策自体は概ねマトモだったし、そうとは言えない面も多々あるという事だったのでしょう。恩返しはこれだけでは終わらず、7月の改造内閣成立時に内閣副官房長官に抜擢したのです。

韓国やアルゼンチン等大統領制下の首相も日本の内閣官房長官に相当する仕事をするらしく、その重要性が改めて伺えますが、官房副長官も晋三以前にも小沢や近藤元次等閣僚経験者の就任例もあった等他の政務次官(2001年以降は副大臣)より格上だった事が伺えます。結果的にはこの内閣官房副長官の就任が安倍晋三の総理への大きな一歩となったわけであり、支持率が低迷していた森は小泉純一郎に総理・総裁を譲る(厳密には森内閣下でも入閣していた橋本との総裁選となり、1995年の時は敗北したが、この時は雪辱を果たした)事となりましたが、小泉内閣下でも引き続き務めました。河野談話や反日傾向を強めていた江沢民政権下の中国、一時期よりはマシにはなっていったが、停滞気味で「失われた10年」となっていた経済、中選挙区制から小選挙区比例代表制への政治改革等色々要因はあって、私が自民にあまり票を入れない大きな原因ですが、この頃から自民もハト派が絶滅危惧種になっていった日本は右傾化していって、それは2017年現在もますます悪化してきている。

本書でも「超タカ派の鎧」と評されていたけど、晋三が早稲田大学の講演で悲惨な戦争の本質の理解に欠けた核保有合憲論(実際学生時代図書館で被爆者の人達の写真を見た人間の一人としては到底同意できるものではない)の逸脱発言したのも間違いなくそうした右旋回し始めた日本を象徴する舌禍事件で、大学時代の彼を知る友人達が抱いた「違和感」は私よりももっと大きかった事も想像に難くなかったです。

ここまで読んできた通り、保守主義だけじゃなくて、色々な他の違う考えも自分なりに吸収した上での主張だったとは思えないのですが、時流は晋三に味方し続けます。小泉総理が訪朝する事になって、晋三も同行したのです。2002年9月17日の事で、この時の小泉に対する世間の評価は必ずしも芳しいものではなかった様ですが、強硬的な態度を一貫した安倍は一躍脚光を浴び、被害者家族への率直な態度もこの時は好印象を持たれた様です。そして2004年5月22日の2度目の訪朝で5人の一時帰国を事実上永久帰国として、5人でも拉致被害者を日本に戻したのは小泉政権の確かな評価点の一つです。今までの歴代内閣が出来なかった事をやれたのです。しかし、独立した人格を持つ人間と大砲はまた違うし、現在もますます暴走している北朝鮮と欧州の雄の一角であるフランスもまた違う。小泉訪朝より少し前の、森内閣時の河野外務大臣主導のコメ支援を行った時点で、拉致被害者の方々を数名でも日本に帰国させる事は出来なかったのかでもありますが、親父の晋太郎の秘書官だった時にフランスとの長州砲返還交渉した経験を忘れてしまったのでしょうか。特に外交ではただ自分の主張を押し通すだけでなく、相手の立場もある程度吟味して、なるべく信頼関係を築いて見返りも得させる事も大事だと学んだ筈です。確かに拉致被害者に身代金をさらに払う様な行為は一見筋が通らないかもしれませんが、金正日が生きていた内に北朝鮮との拉致問題もこの経験を活かして、もっと多くの被害者の方々に祖国に帰っていただく事は出来なかったのかなあな疑問も本書を読んで改めて頭をよぎりました。また長くなったので、続きはその4でという事で。

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