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2017/11/11

野上忠興氏著「安倍晋三 沈黙の仮面」感想その4

Photo_4

今度こそ最終となるけど、その4ですね。(感想文中は敬称略)

北朝鮮による拉致問題で一躍脚光を浴びた晋三、実際は近年蓮池兄弟等から拉致問題を政治利用しているとの批判も出ていて、異常な安倍晋三嫌いはゲンダイ以上なリテラ(もうねぇ、確かに批判点もいくつかあるけど、その怨念には正直失笑混じりな恐怖も感じる)でも当然ネタにされているけど、私も彼を知ったのはこの時でした。

そして2003年9月21日、49歳の誕生日に森喜朗と小泉総理から幹事長内定の電話をもらったのですが、議員になってまだ10年、当選3回の時の事でした。

(これまでの自民党歴代幹事長就任時の当選回数、太字は総理経験者)

岸  2
三木  8(再任時11)
川島  8
福田  4(再任時6)
益谷  10
前尾  6
田中  8(再任時9)
保利  11
橋本登  9
二階堂  11(再任時14)
中曽根  11
内田  9
大平  10
斎藤  7
櫻内  12
田中六  8
金丸  10
竹下  11
安倍晋太  11
橋本龍  9
小沢  7
小渕  10
綿貫  8
梶山  7
森  9(再任時10)
三塚  8
野中  5
古賀  7
山崎  10



自民党結党直後は祖父の岸や福田赳夫みたいに当選回数が少なくても就任した例(但し、福田は退任後1966年に最大のライバル、田中角栄の後任として再任されている)もあって、その他では当選5回の野中広務の叩き上げぶりが際立っていますが、晋三以前の歴代幹事長は29人中19人が当選8回以上してやっとなれたのです。父の晋太郎も含んでです。二階堂や櫻内は当選回数が多く(特に前者は再任時の14回は就任時当選回数の最多記録であろう)てもさらに総理になれなかったのは、それぞれ同じ派閥に角栄、中曽根という強力なリーダーシップを持つボスがいたからでしょうが、彼ら29人の平均当選回数は8.5回です。ちなみに安倍以降の歴代幹事長は武部6、中川9、麻生9、伊吹8、細田6、大島9、石原7、石破8、谷垣10、二階11と当選3回だった晋三も含んで平均当選回数は7.8回です。篠原孝氏のブログでは、2000年代末以降当選回数、党三役、閣僚経験が比較的不足した手合いが選ばれる等自民総理が劣化したと指摘されていましたが、平均当選回数に大きな変動はありません。愛読していた噂の真相でもその俗物ぶりが生々しく描かれていたけど、前任の山崎拓の女性スキャンダルによるもので、彼では選挙を乗り切れないと判断した小泉らが拉致問題で脚光を浴びた晋三に白羽の矢を当てた・・・・・・と言うのが幹事長起用の背景にあった様ですが、「4階級」どころか「5階級特進」だったでしょう。

祖父の岸が辞職して以降、幹事長経験者の総理は角栄まで12年登場しませんでしたが、その後は10年以上途絶える事は無く(池田勇人や大叔父の佐藤栄作は自由党時代に幹事長経験がある)、これまでの29人中10人が総理となっています。確率は単純計算で約34%でしたが、これで衆議院選と来年2004年の参議院選挙を乗り切れればさらに晋三に大きく総理の椅子が近づく・・・・・かに見えました。森にも、選挙初出馬の際に祖父の岸が応援に来てくれた恩と、小泉の次は福田康夫、康夫の次は晋三と続けて自分の派閥から総理を出したい打算があった様です。

しかし、晋三本人も次は副幹事長だろう、幹事長なんて時期早々だと思っていた様ですが、やはり現実は甘くなかった。この時初めて投票権を行使出来る様になった私は、「これで日本にも本格的な二大政党の時代が来るかも。」な、今から見れば馬鹿げた幻想を抱いていたのだから無知とはつくづく怖いものだですが、就任後間もなく行われた2003年11月の衆議院総選挙は民主党が177議席と自民の237議席に迫り、公明の34議席と合わせて過半数は維持、保守新党は自民に合流となり、政界渡り鳥だった二階も結果的に自民に復党したのです。さらにイラク派遣に反対していた加藤、古賀、亀井の大物達の説得にも失敗した。勿論私も、このイラク派遣には反対でしたが、彼らから見れば「祖父と親の十四光りな若造が何を抜かす。」(まあ加藤も世襲でしたが)だったし、小泉は小泉で「幹事長に一任してある。」と丸投げしたのは彼らしいと言えたかもしれません。そして、そう言えば当時の阪神の監督も同じ「岡田さん」だったという事で、民主党の代表と重ね合わせてクローズアップされた事もあったけど、翌2004年7月の参議院選挙も自民はまたしても単独過半数の確保に失敗(公明の24議席と合わせて過半数を維持)し、衆議院に続いて民主の躍進を許してしまいました。

残念ながらやはり力量不足だった様で、幹事長代理に降格となったのもしょうがなかったでしょう。そして間もなく2005年の郵政解散による衆議院選挙も実施されて、私は当時から郵政民営化の意義には疑問を抱いていましたが、小泉に直接疑問を呈して一喝されたり、造反組の説得に失敗したりと自民は大勝しましたが、どうもパッとしなかった様だ。それでも、選挙後の内閣改造では内閣官房長官に起用されました。1963年に認証官となって、大臣と同格になって以降、これまでの歴代の平均当選回数は約7回(衆議院での。中には宮澤喜一や森山眞弓の様な参議院議員歴のある人もいるが、彼らの場合はその間に実施された衆議院選挙の数を加えて計算した)ですが、この時点で晋三はまだ当選5回だったからやっとそろそろ入閣かと言った所だけど、正直小泉内閣時の官房長官と言えば、福田康夫の方の印象がずっと強いです。

それでも、いよいよポスト小泉の一番手となったかと思いきや、まだそうは問屋が卸さなかった様です。同じ派閥で、国会議員としては1期先輩のその康夫がライバルとして立ちはだかったのです。良く父の赳夫と田中角栄のライバル関係も角福戦争だなんて言われていて、親同士は「喧嘩するほど仲が良」くても、康夫と真紀子(本書でも描かれていたけど、官僚を使いこなせなかったのは父とは対照的と言うか、やっぱ真紀子は無能だ)は全くそりが合わなかった様ですが、安福関係も、赳夫が総理退任後も派閥のボスはなかなか譲らず、晋太郎が60過ぎて漸く代わったけど、結局ポスト中曽根になり損ねて赳夫より先に亡くなった等親同士だけでなく、子同士も微妙だった模様。でも、康夫ってハト派か?まあ晋三と比べれば確かにそう見えるかもしれないけど、官房長官時にイラク派遣にも関わったし、ハト派とまで言えるかはちょっと微妙かも?

実は李登輝の病気治療を目的とした入国問題だけでなく、北朝鮮の拉致問題をめぐっても康夫と対立していたのも初めて知ったけど、スピードワゴン風に言えば「後先考えずに無茶する奴よ!!」でしたね。結果的に小泉が晋三の強硬案を呑んで、年金未納問題もあって康夫が取りあえず身を引いたから良かったものの、一歩間違えれば総理や幹事長どころか入閣の芽も絶たれていたかもでしょう。まだ終わらないね。次こそ最終回になると思うけど、続きはその5で。

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