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2017/08/13

足利尊氏・義詮・義満の子孫って今いるの?

http://sky.geocities.jp/awashimainjin/newpage58.html

https://2ch.live/cache/view/sengoku/1156769019

足利将軍では最も知名度が低い将軍であろう14代義栄、歴史に強い興味がない人には何もできない内に若くして死んだ傀儡将軍程度(特に中国の古典に詳しい読書家だったらしいが、入京すら出来なかった)の認識しかないだろうけど、もっと知名度が低いであろう弟の義助の子孫が代々平島公方として江戸時代後期に京都に出奔するまで続いたのも知っている人は知っていると思います。

上の方のHPでも系図も掲載されているけど、足利歴代将軍が最後の義昭ですらやっと60生きたか生きなかったかに対して歴代の平島公方家当主は概してこの時代にしてはかなり長生きです。義孝は生没年分からない(初代義冬から数えて11代目に数えられているので、少なくとも息子の義廉も生まれて、父の義俊が亡くなった1876年までは生きていたと思われる。生年は1820~30年代頃か?)けど、明治維新を迎えるまでの歴代当主で、4代続きの義次~義武までを含めて80代まで生きた人が5人もいます。徳川征夷大将軍の家康慶喜をも凌ぐ長寿ぶりです。

明治維新後も義廉は97歳(または96歳)まで生きていた様で、正直つい最近知った事ですが・・・・・・・・・既に10年以上前に某巨大掲示板の日本史板でもちょっとした論争になっていたらしいけど、その次の進悟氏は実は実子ではなく、婿養子で、しかも離婚してそのまた次の義弘氏は足利氏じゃない別の再婚した女性との間に生まれた人らしい。つまりは事実上平島公方家は乗っ取られた形になってしまったという事ですが、これホントなのですかね?だって、大河ドラマ「太平記」が放送された時も最後のゆかりの名所紹介コーナーで当時まだ存命だった進悟氏も出ていたじゃない。まあ先祖ゆかりの地でもある京都に在住していた事もあったのだろうけど、ホントにそうだとしたら、こちらも幕末に徳川斉昭の血筋となってしまったけど、維新後爵位も貰って足利に復した喜連川系から見たら「同じ養子筋でも俺達の方が格上、本家なのに離婚してもう足利と縁切った筈な奴なんかがどうして尊氏公の子孫面しているの?」とか思うよね?

まあこの喜連川系も先代当主の惇氏は当時既に故人で、その次の現当主、公平か浩平か?この人も名前すらハッキリしないけど、細川家からの養子?ソースは「花の乱」らしいけど、細川家と言っても色々な一族あって、一番栄えた和泉守護系からでも例えば熊本藩主家だけでなく、常陸谷田部藩主家とか何家もさらに出ているし、惇氏には3人の弟がいて、その1人の尚麿が他家に養子に行ったらしいけど、彼が細川一族の養子(実際江戸時代にも細川家からも養子を迎えた例が何例かあった)となって、公平氏は尚麿の息子なのか?他にいた4人の妹達はいずれも他家に嫁いだらしいし・・・・・・もしホントに義弘氏が血縁者じゃなかったとすれば現在も健在であろう尊氏らの子孫って宮原家、小田家(13代当主政治が堀越公方政知の子とされるが一族が結城松平家に仕えたという)、佐々家(丸亀藩家老、12代将軍義晴の娘が嫁いだ若狭武田氏の子孫とされる)ぐらいか?室町幕府初期に複雑でカオスだった観応の擾乱があった為か将軍家の庶子は基本出家させられていて、実際義教や義澄、義昭等歴代将軍及びその近親者にも還俗した人何人もいたけど、出家させなかったらさせなかったでもっと争いの種が出来ていたかもしれないからつくづく難しいね。

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