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2017/05/12

戦後のアンドレイ・アンドレーエフの断片的な姿(7/1追記あり)

https://www.youtube.com/watch?v=sy4R3mmUslk&t=42s

これ1946年夏の、ソ連国家元首で、ロックマンシリーズのコサック博士の容姿のモデル(名前のモデルは当時最高権力者だったゴルバチョフだったでしょうが)でもあったであろう、前最高会議幹部会議長、ミハイル・カリーニンの葬儀の様子を報道した動画で、0:43に過去ログでも何回か取り上げたアンドレイ・アンドレーエフの姿が見えます。1895年10月生まれの彼はこの時50歳で、「スターリン 赤い皇帝と延臣たち」によれば、戦後健康を害する様になっていたらしいですが、髪に白髪が目立つ等歳不相応に老け込んでいた感じです。同級生の(アナスタス・)ミコヤンなんか1966年、70余歳の引退直前(前年12月に最高会議幹部会議長は解任となるも、翌年4月まで政治局から改名された幹部会の会員に留任)でもまだ黒髪も全然目立っていたのに。

https://www.youtube.com/watch?v=HavbO7oH8Ho&t=443s

これはその2年後のアンドレイ・ジダーノフの葬儀の様子を報道した内容の動画で、0:30あたりで他の幹部達と一緒に歩いている、アンドレーエフらしき人物の姿が見えた。右からアンドレーエフ、シュヴェルニク(カリーニンの後任の最高会議幹部会議長)、スターリン、ヴォロシーロフ、べリヤ、モロトフ、コスイギン(?)、マレンコフが並んでいたけど、カリーニンの葬儀の時よりさらに老け込んだ感じでしたね。「赤い皇帝」ではまた小柄とも書かれていたけど、実際身長160前後しかなかったっぽいですね。当時のソ連国民として見ても全然小柄だったでしょう。と言うか、スターリンも身長163しかなく、5センチは誤魔化せるシークレットブーツ履いていたらしいけど、主な側近達で身長170以上あったのってモロトフ(172、3ぐらいか)とカガノーヴィチ(175程度か)ぐらいですよね。ブレジネフも173あって、コスイギンももっと大きかった様ですが、側近達もナポレオン(身長167だったらしいが、当時のフランス国民の平均身長は165弱と平均よりは高かった)とは対照的とも言うか、170ない人が大半だった様ですからスターリンの小柄ぶりもそれほどは目立たなかった様です。3:30~5:18にかけて、声優の上坂すみれ氏も大好きなモロトフが演説していますが、意志の強靭さと神経質さが同居した様な声ですね。もしスターリンを題材としたアニメを制作・放送するのなら、声優は西村知道氏あたりをイメージしていましたが・・・・・・しかし、ジダーノフが死んだのが1948年8月31日だから、葬儀は9月上旬頃だったんでしょ?幹部達は皆コートを羽織っていて、軍服姿のスターリン(最晩年にはまた人民服姿も見られる様になったが、1943~49年にかけては公では殆ど軍服姿しか見かけない)やヴォロシーロフもそうだったけど、既に日本でなら初冬並み以上の寒さだったのでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=w_Q3u8t1GOw (7/1追記)

これは1951年の空軍航空ショーを共産党や軍の幹部達が見物した動画ですが、0:26あたりから左に見えるミコヤンからフルシチョフ、顔が良く見えない1人置いてブルガーニン、スターリン、ベリヤ、マレンコフ、モロトフ、アンドレーエフ、シュヴェルニク、コスイギン、スースロフの順に並んでいるのが見えます。スースロフの右にはさらに2人並んでいて、彼らが誰かは確認できませんでしたが、アンドレーエフは白い服も度々着ていた様で、余計その小柄さも目立ちますね。スースロフはこの時点ではまだ政治局局員ではなかったけど、書記局の書記になっていて、更なる出世も暗示していた様です。

https://www.youtube.com/watch?v=RIgy9W071g0

これは1952年10月に開催された、第19回党大会でのマレンコフ演説シーンの動画だけど、注目すべきは1:24または2:45あたりのシーン。政治局員は前の方の座席に並んで座っている様で、最前列には左からカガノーヴィチ、モロトフ、ヴォロシーロフ、フルシチョフ、べリヤ、ブルガーニン、つまり最古参幹部と比較的新しく頭角を現した4人組(マレンコフもその1人)が座っていて、幹部達の序列を物語っている様でもある。スターリンは開幕日と閉幕日(この日に演説もしている)に姿を現しただけだった様ですが、後ろの方でアンドレーエフが1人だけポツンと寂しく座っている姿が見えます。5:12ではカガノーヴィチ、べリヤ、ブルガーニンらも後ろの席に移動し、スターリンの姿も見えるのも分かると思いますが、開幕日に早くもアンドレーエフは政治局員(1966年まで幹部会に改称される)を解任されており、副首相のポストはしばらくは保持(この党大会の4か月後にスターリンは急死するが、副首相もその後まもなく解任される)したものの、事実上の失脚を象徴した様でしたね。

76歳まで生きたから、ロシア人男性の平均寿命(2014年頃にソ連時代で最も高かった1986年の水準を漸く上回ったが、現在も65歳程度)よりは一回り以上長生きしたけど、健康は最期まで回復しなかったらしい。自身またはその一派が粛清されたべリヤやジダーノフよりは全然マシだったでしょうが、アンドレーエフも共産党幹部として戦前・戦中と戦後の落差が何気に激しかったとも言えます。93歳まで生きた娘のナターシャはあの時代のスターリンらが関与した粛清等も正当化しながらロシアのクリミア併合を見届けた直後に亡くなったけど、その胸中にあったのは、父もその歴史の歯車となって働いてきた強いロシアの栄光を取り戻した、確かな自信だったのか・・・・・・・・・現実には製造業で高い技術力を発揮できるのは軍需関連だけで、資源の呪いからも抜け出せず、経済制裁でプーチン第一次政権の様な高い成長率も望みにくい等ロシア民族主義・愛国主義は大きな行き詰まりに直面していますが・・・・・・・・勢力圏に固執し、技術力・競争力で劣る欧米と国力不相応な喧嘩を続けるのか?それともいくつか妥協してでも国民の実利を優先し、喧嘩の強さよりもどれだけ飯を食えるかで欧米と肩を並べる様にしていくべきなのか?アンドレーエフ親子も確かに関わったソ連、そしてその後のロシアの歴史を見ると、来年大統領選挙が予定されてもいますが、今この国の国民は変われるか変われないか、大きな決断の時を迎えているとも強く思います。

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