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2017/05/13

打高投低広島になかなか勝てない巨人と過去の開幕4連勝以上したチームの最終戦績

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170513-00000112-sph-base

【巨人】また広島に勝てず 阿部の2ランの2点のみ…通算成績1勝6敗に

スポーツ報知 5/13(土) 17:00配信    

 

◆広島11―2巨人(13日・マツダスタジアム)

 巨人はマイコラスの初回3失点が響き、広島に2―11で敗れた。広島との今季対戦成績は1勝6敗となった。

 阿部の2ランが唯一の得点となった。4点を追う4回、1死一塁で阿部が広島ファンで埋まる右翼席へ7号2ラン。しかし、マツダスタジアムの鯉党が静まりかえったのは、この瞬間だけ。終始試合を優位に進められてしまった。

 G打線は6回に先頭の2番・橋本到が二塁打で出塁したが、クリーンアップが3者連続で倒れ得点できず。7回には1死一、二塁で代打・脇谷と石川が連続三振に。結局打線は広島投手陣の前に6安打しか放てなかった。

 敵地での11連勝を狙った長身助っ人右腕は、初回に3失点。3回にはエルドレッドにソロを許し、6回には田中に犠飛を打たれた。

 そして8回、救援陣がダメ押しの6点を追加され、12球団NO.1のチーム打率を誇るカープ打線に先発全員安打の合計13安打11点を奪われた。

 この日の敗戦で、2位・広島とのゲーム差は2に広がり、試合がなかった首位・阪神とも3.5差となった。14日の同カードは巨人・田口、広島・九里の先発が予告されている。

あともう一つ喜んでライターは記事を書いていたであろうゲンダイの記事も引用します。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170513-00000016-nkgendai-base

FA3選手機能不全に渡辺恒雄氏激怒 巨人に「鹿取GM」急浮上

日刊ゲンダイDIGITAL 5/13(土) 9:26配信    

 

 巨人内がにわかにピリピリし始めた。

 原因はもちろん、前日10日のナベツネ発言。5本塁打で阪神に打ち勝った試合を、上機嫌で観戦した読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆(90)が、オフに獲得したFA選手について話を振られるや、「3人いねえじゃねえか。見る目がなかったんじゃねえか。スカウトがダメだ!」と爆発した一件だ。

 計26億円超もの大枚をはたいて招き入れた山口俊(29)、森福(30)、陽岱鋼(30)のFA3選手が故障、不振でひとりとして一軍の戦力になっていないという状態。それを「見る目がない」とフロント編成部門の責任と断じたわけだから、チーム内がザワつくのも当然である。

■突然のフロント入りに憶測

「カミナリが落ちたのは2年連続ですからね。昨年も首位広島との差が10ゲームに開いた7月に、『これは由伸のせいじゃねえな。フロントだ。こんな補強をせずに、今の陣容で勝てと言ったって無理だよ』とやり玉に挙げられた。このままV逸ということになれば、今オフこそ責任問題は避けられない、ともっぱらです。慶大OBの現GMは同窓の由伸監督の信頼が厚く、選手からも信用されているとはいえ、開幕直後の今年4月には突然、鹿取(義隆=60)元ヘッドコーチがフロント入りし、GM特別補佐に就いた。来年はGMに昇進か、なんて囁かれていましたが、今回のことでそれが前倒しになるかもしれません。鹿取さんは本社の覚えがやたらとめでたいですからね」(巨人関係者)

 長嶋政権で一軍投手コーチ、原政権でヘッドコーチを務めた鹿取氏は確かに、読売首脳から高く買われている。2003年オフにヘッドコーチを辞任すると、読売新聞スポーツアドバイザーに就任。同社が人事に影響力を持つ「侍ジャパン」でも、06年の第1回WBCで投手コーチを務め、その後も中学生以下の日本代表の監督、さらにはアンダー世代を含む侍ジャパン全体のテクニカルディレクターも任された。

 選手、指導者として豊富な経験、実績を持ち、アマチュア球界とのパイプもあって、さらには現役19年で培った人脈が他球団にも広がる。GMにはうってつけの人材ではあるが、「巨人のGMはこれまで、選手経験者が務めたことはない。本来は監督人事を含む編成権のすべてを握るGMは、親会社である読売から出すという考えが根強くある。鹿取さんのGM就任も実現するかは微妙なところ」(読売関係者)という声もある。

 いずれにしろ、ドンのカミナリに球団フロントは戦々恐々だ。

共に開幕ダッシュには成功しましたが、現在セリーグ首位に立っているのは阪神です。広島は黒田とジョンソン(正確には後者はもう少しで復帰できる見込みらしいが)が抜けて、打高投低だった90年代みたいな野球やってるし、巨人は巨人でもう補強する直前から「そんな大金はたいてまで取るような選手じゃないだろ!!」と突っ込まずにはいられなかったけど、山口・森福・陽3人とも全く給料相応の働きが出来ず、噂の真相でも結婚時の写真が掲載された事もあったナベツネも激怒している有様な様ですが、広島にとっては昨日雨で流れて、今日大勝して少なくとも今週中の3位転落は無くなったから一安心と言った所ですか。

巨人はまた、開幕5連勝した際には優勝確率とか報道されていたけど、現存12球団と消滅した近鉄を含んだ全13球団が開幕4連勝以上した時の戦績を球団別に調べてみました。(昨シーズンまで)

巨人

1939 ①
1941 ①
1953 ①
1957 ①
1977 ①
1981 ①
1983 ①
1990 ①
1998 ③
2013 ①
2016 ②

大正義なだけあって(?)今年も含めたら12回記録しています。V9時代は寧ろ開幕戦には弱く、1度も達成していません。藤田元司は選手として1回、監督として3回の計4回も経験していて、いずれも優勝していますが、1957年は自身、1981年はドラフトで当てた原辰徳、1983年は50番トリオと新戦力の台頭が大きく後押ししました。第2次藤田政権までは8度全て優勝していて、確率100%だったのですが、1998年にそのジンクスは破れてしまいました。何故か道徳の教科書にも取り上げられる事になったミスター(長嶋茂雄)が監督だった時ですが、1977年の再来はなりませんでした。

阪神

1938春 ①
1942 ③
1956 ②
2002 ④
2008 ②

阪神は戦前の1938年春が最初で最後の例です。戦後は戦前からの現存球団では唯一そのまま優勝できていない球団でもあります。1956年にはミスタータイガース、藤村富美男(兼任監督)が2002年には星野仙一が共に新監督として張り切りましたが、いずれも最終的には巨人が優勝しました。そして2008年もあのメークレジェンドで・・・・・・

中日

1940 ⑤
1943 ②
1954 ①
1956 ③
1960 ⑤
1963 ②
1972 ③
1999 ①
2008 ③
2009 ②
2012 ②

中日は1940年には開幕4連勝以上しながらBクラスの最初の例を作ってしまい、戦後は戦力をつけてきましたが、9回中優勝したのは1954年と1999年だけでその他の年は殆ど最終的に巨人が優勝とその引き立て役となってしまった感じです。1956年も酷使の影響があったのでしょう。フォークの神様、杉下茂の衰えが見られる様になり、1954年の再来とは行きませんでした。

ヤクルト

1999 ④

ヤクルトは平成一桁台まで開幕4連勝以上した事なく、久しぶりの生え抜き監督だった若松勉が就任し、ユニフォームもインディアンススタイルにチェンジした1999年に漸く達成したにとどまっていますが、4位に終わり、星野監督の胴上げも見せつけられてしまいました。

横浜

1961 ⑥
1964 ②
1965 ④
1979 ②
2000 ③

横浜も1度も開幕4連勝以上からのリーグ優勝をした事がありません。開幕4連勝以上自体は5度あり、いずれも比較的勝率が高い三原修、別当薫、権藤博各監督時代の事でしたが、1961年には初の最下位チームの例を作ってしまい、前年の日本一という天国からの地獄への転落となってしまいました。

広島

1988 ③
1993 ⑥

広島も昭和年間開幕4連勝以上未達成の可能性がありましたが、何とか結果的に昭和最後のシーズンだった1988年(翌1989年は1週間で昭和64年は終わり、平成に改元される)に達成しました。この間マエケンこと前田健太も生まれています。しかし、山本浩二&衣笠祥雄両大砲が抜けた穴は大きく、小早川毅彦&リチャード・ランスもそれぞれ江川卓からのサヨナラ本塁打、シーズン39本塁打打った前年から成績を下げ、星野中日に惨敗しました。そして翌年は星野氏の友人でもあるその山本氏が監督となって、1991年には逆に星野氏に引導を渡しましたが、1993年にはヤクルト戦で16-17の大乱打戦もモノに出来なかったのも響いて19年ぶりの最下位に転落、以降本拠地移転まで打高投低に苦しむ事になります。

オリックス

1938秋 ③
1960 ④
1972 ①
1975 ①(但し、年間勝率は②)
1979 ②(但し、年間勝率は①)
1987 ②
1989 ②
2010 ⑤

悲運の名将はあくまで一面的にすぎない西本幸雄が監督となって漸く強くなったオリックス(当時は阪急)ですが、1972年の独走優勝、西本氏が移った近鉄とのリーグ優勝チームと年間最高勝率チームの「ねじれ現象」には巨人一極集中、黒い霧事件で全く不人気となってしまい、2シーズン制や指名打者制度等色々試行錯誤していたパリーグの歴史も垣間見られるかのようです。1960年代前半のヤンキース等で指揮を執ったラルフ・ホークは彼をもっと劣化させたかのような監督成績でしたが、黄金期終了後も2年のブランクを経て復帰した上田利治は1984年こそ久々に優勝に導きましたが、1987・1989年は2位に終わりました。その後イチローを開花させた仰木彬監督時代を経て、21世紀はAクラスすら2度しかなく、今シーズンは現時点でまだ3位ですが、果たして・・・・・・・・・

ソフトバンク

1948 ①
1953 ①
1954 ②
1955 ①
1961 ①
1966 ①
1994 ④(勝率は5割3分台)
1997 ④
2000 ①
2002 ②
2005 ②(但し、年間勝率は①)
2008 ⑥

南海時代は高い確率で優勝しています。1953年は初めてセパ両リーグ共に開幕4連勝以上したチームが優勝した年でもありました。1954年が惜しかった。この年も優勝していればリーグ5連覇となっていました。鶴岡親分退任後弱体化していって、野村兼任監督の「死んだふり優勝」もありましたが、しばらく開幕4連勝以上達成する事はありませんでした。南海からダイエーとなって、西武でも辣腕を振るった根本陸夫が現場復帰して漸く強くなり始め、2年で世界の王貞治にバトンを譲りましたが、1997年もBクラスに終わり、なかなかすぐに勝てる様になりませんでした。ダイエー・ソフトバンク時代の王監督采配については例の「便器」や「根本の遺産」とか心無い中傷(西本監督時代、日本シリーズで巨人にことごとく勝てず、特に1971年には大好きな山田久志がサヨナラホームランを打たれた私怨から中傷・罵倒していた、阪急ファンを名乗るある人もいて、見苦しい以外の何物でもなかった。名誉の為にフォローもするとも言うか、この人は台湾プロ野球への造詣も私より深い等純粋な野球ファンな面もありますが、阪急やその選手・監督が絡むとバイクに乗ったこち亀の本田みたいに別人になってしまうのだろうか?)も聞かれますが、もし王氏がそのまま根本氏の築いた基礎に乗っかっていただけの監督だったならば、特に1999・2000年のリーグ連覇は無かった、この時点で怪物・松坂大輔が期待通りのデビューを果たしもした西武への苦手意識も払拭しきれていなかったし、下手すればどちらも西武に優勝をさらわれていたとも思います。何度も言いますが、確かに前任者が築いた基礎まで後任者の手柄の様に扱うのも筋違いながらも「遺産」云々は殆どの場合、前任者の信者が後任者を貶めたい時等に都合良く印象操作する為の詭弁に過ぎません。しかし、そんな世界の王も短期決戦に弱かったのもまた事実であり、2005年も年間勝率1位ながらリーグ優勝は出来ませんでした。2007年以降のCSの制度ならば、2003~05年も実質リーグ3連覇で、作品は忘れたけど、大のホークスファンでもある水島新司も2004年の中日VSダイエーの日本シリーズを描いた事もありましたが・・・・・・・CSで敗退するのが2010年頃まではホークスの風物詩となっていた感もありましたが、王監督最後のシーズンの2008年は本塁打歴代1・2位同士でもある野村楽天との裏天王山に負け、最下位で終わってしまいました。

日本ハム

1962 ①

東映時代に1度記録しているのみです。しかし、阪神との日本シリーズにも勝利し、1度だけながらも優勝確率は100%です。しかしまた、2016年に巨人のメークシリーズ以上の大逆転劇をやってのけたので、そんな事はどうでも良いとも言えるかもしれません。

ロッテ

1952 ②
2012 ⑤

ロッテはそもそも年間勝率1位自体、もう42年も遠ざかっていて、大毎時代に日本シリーズで対戦した横浜の37年(1961~97、さあ私が生きている内にあと何回このチームも優勝できるか?)も既に更新してしまっているのも皮肉ですが、CSの恩恵を受け、2005年と2010年に2度日本一にはなっています。2012年も選手やファンの人達からすれば夢よもう一度な気分だったかもしれませんが、現実は甘くありませんでした。昨シーズンは平成初で、31年ぶりの2年連続Aクラスにはなれましたが、今シーズンは・・・・・・巨人、村田譲ってやれよでもありますが・・・・・・・・・

西武

1954 ①
1956 ①
1961 ③
1962 ③
1966 ②
1967 ②
1973 ④
1990 ①
1991 ①
2002 ①
2015 ④

1956年は周知の通り神様や仏様と並び称された稲尾和久がデビューしました。西鉄黄金時代が終わってもその鉄腕ぶりは衰える事を知らず、1961年にはシーズン勝利記録も更新しましたが、翌1962年共々開幕4連勝以上しながら続けて優勝を逃した最初の例を作ってしまいました。しかし、そのまた翌年の1963年に巨人のメークシリーズ以上の大逆転劇をやってのけます。この大逆転劇が西鉄にとっても稲尾氏にとっても最後の大きな見せ場だった様で、1966・67年も2位に終わり、黒い霧事件等を経て太平洋クラブに身売りされた1973年も今度は監督として指揮を執りましたが、4位に終わりました。そして所沢で名目上新球団、西武ライオンズとして再スタートし、黄金時代を築いたのですが、1990・91年の2度に留まったのも、監督が開幕戦に強くなかった川上哲治の影響を受けていた森祇晶だったのだからさもありなんと言えたかもです。2015年は4位に終わり、所沢移転以降では相対的に暗黒期にあります。

楽天

2009 ②

新球団で、2013年に日本一になった事があっても基本Bクラスだから1度限りなのも当然かもです。しかし、今シーズンはオコエはダメながらも、西本門下生最後の監督となるであろう梨田昌崇監督指揮の下、首位を走っている様ですが・・・・・・・・・師匠と因縁あった三原氏、師匠、元監督でもある星野氏に続いて4人目の「3球団で優勝した監督」になれるか?果たして・・・・・・・・・・

近鉄

1968 ④
1979 ①(但し、年間勝率は②)
1984 ④
1987 ⑥
1988 ②
1993 ④
1998 ⑤
2003 ③

Bクラスも多く、勢いそのままに年間勝率1位になった事はついに1度もありませんでした。1968年は大洋でも3度開幕4連勝以上しながら優勝を逃した三原氏で、翌69年はもう少しの所で・・・・・・だったのですが、三原マジックも既に神通力が薄れてしまっていたのかもしれません。その後今度はその三原氏に引導を渡し、1960年の日本シリーズの借りを返した西本氏が指揮を執った1979年は、当時2シーズン制でしたが、チャーリー・マニエルの離脱もあって、1978年に続いて阪急が完全制覇しそうになっていて、「遺産を食いつぶした」と嘆いたらしいですが、西本氏は結果的に指名打者制度導入やその直前の土井正博放出も拍車をかけたと言うか、「外国人の一発頼り」という現在のオリックスにも受け継がれている伝統も作ったとも言えます。


とまあまた長々と語ったけど、特に1990年までの巨人の様な例もありながらも、意外と全球団的には優勝確率は高くなく、Bクラスに終わった例も珍しくはない事が改めて分かりました。特に巨人はよほどの無駄遣いじゃない限りコスパの悪さなんて気にしちゃいないよとも以前言ったけど、さすがに今年は最低でもリーグ優勝しないとなおさら笑われるでしょう。村田選手が飼い殺しにされているのも「昔から巨人はそうなんだ」でもあるけど、阪神だって守備力に不安を抱えているし、「大人の事情」(ここも日本のプロ野球のダメな所でもあるけど)で2015年からさらに試合数削減されてしまった交流戦での戦績もどう影響していくか?いずれか昨シーズンみたいに抜け出る可能性は高くないとも思いますが、今シーズンは阪神VS楽天の日本シリーズになれば面白いかも?勿論異論も大いにあるでしょうが・・・・・・・・・・

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