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2017/04/09

「べリヤ スターリンに仕えた死刑執行人 ある出世主義者の末路」の感想

Saitama_r66old

もう散り始めていましたが、これは今日撮影した、埼玉県某市某県道旧道沿線に咲いていた桜の画像です。春の風物詩という事で載せておきます。

Be1

さて、この桜とは全くムードが合わない題材ですが、折角の週末なのにこれといったブログネタが無かったので、ウラジーミル・ネクラーソフ氏編の「べリヤ スターリンに仕えた死刑執行人 ある出世主義者の末路」について、簡単にですが、感想を述べます。

本書は五部構成でしたが、さらに大きく分けると、第一章が主人公、ラヴレンチ―・べリヤの経歴を中心とした第一部、第二章がべリヤについての当時関わった人達の証言やべリヤの悪行を中心とした第二・三部、第三章が逮捕から処刑までの詳細な経緯を中心とした第四・五部となります。

この本の後、現在「スターリン 赤い皇帝と延臣たち」(以降「赤い皇帝」と表記)も読んでいて、これも凄い面白いけど、出世狙いで休暇を過ごしていたスターリンに近付こうとしたけど、当初はスターリンの態度はそっけなかったエピソードや、側近となった後、別荘の木の伐採作業で「ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ、私が刈り取ってごらんになります・・・・・・・」と張り切っていたエピソード等は赤い皇帝でも言及されていましたね。共産党の官僚として駆け出し始めだった時から既にその経歴等怪しいものもあった様ですが、有名な魚色家ぶりな数々のエピソードもさる事ながら、サッカーの試合が自分の思い通りにならなかったからと言って、既に決勝戦まで終わっていたのに準決勝をやり直させた、スタロスティン兄弟事件も無茶苦茶でしたね。

モスクワにあるオトクリティエアリーナには彼らスタロスティン四兄弟の銅像も建っているらしいですが、証言者で、長兄のニコライ、この時は娘のエヴゲーニヤが当時の人民委員会議議長(首相に相当)、ヴャチェスラフ・モロトフ(なお、赤い皇帝によれば、当初はスターリンが書記長と兼任する案も出たが、ロシア人ではない自分に務まるのかの不安等から「君が議長になれ」とモロトフに勧めたという)の娘、スヴェトラーナ(スターリンの娘と同名でもある)と親しかったおかげで逮捕は免れましたが、モロトフがスターリンに人民委員会議議長を譲って議長代理(副首相に相当)兼外務人民委員(外務大臣に相当)となった直後に刑務所暮らしになってしまったらしい。そこでも、サッカーチームの指導等に従事した事で命までは取られず、まさに「芸は身を助く」でしたが、べリヤ処刑直後に釈放されて、ソ連崩壊も見届け、93歳まで長生き(弟たちも皆80前後以上まで生きていたらしい)したらしい。良かったね。

大粛清の代表的な犠牲者、ニコライ・ブハーリンの妻、アンナ・ブハーリナもこのスタロスティン長兄と同じ年(1996年)に亡くなって、孫のニコライ・ユーリエヴィチもサッカースクールを経営している(息子のユーリー・ニコラエヴィチは父が処刑された時はまだ1歳か2歳だったが、2014年に78歳で亡くなったらしい)らしいですが、彼女への尋問の際、夫をニコライ・イヴァノヴィチと敬称で呼んで(名前+ミドルネームは日本なら「~さん」な感覚である)命は助かる希望もあると見せかけて、色々心理的な揺さぶりをかけていたのも生々しいものがありましたね。大粛清の犠牲者と言えば、ヴァシーリー・ブリュヘル元帥の最期も眼球を失うほどの拷問を受けていたらしく、壮絶なものだった様です。逮捕されたのは1938年10月22日の土曜日で、前日は夜遅くまで家族と一緒に遊んでいたらしいですが、日本との戦(張鼓峰事件)を終えてリフレッシュしたと思ったら・・・・・・・ですが、赤い皇帝によれば、実際は損害の大きさをスターリンに「同志ブリュヘル、君は日本と真剣に戦う気があるのか?共産主義者でないのなら正直に言いたまえ。」と咎められて、モスクワに呼び戻されていたらしいですが。

べリヤは大粛清を当初から主導していたわけではなく、それはニコライ・エジョフがかなり張り切っていた様ですが、スターリンの立会いの下とべリヤと討議するも、「私は同志べリヤを信頼している。彼を内務人民委員の代理に推薦したいと思う。」な「裁定」が下った時点でエジョフの運命は決まってしまったのか・・・・・・・・ネストル・ラコバやグリゴリー・オルジョニキーゼとの確執もまさに陰湿極まりない「仁義なき戦い」で、特に前者は毒殺後の内臓の取り出し等の証拠隠滅も分かりやすかったですが、近親者達も面と向かって罵倒した事もあった弟のミハイルだけでなく、妻子らも悲惨な最期を遂げた等この時点ではまだ内務人民委員ではなかったながらもラコバ一族もブハーリンらとはまた別の性質でこの不幸な時代の申し子だったとも言えたでしょう。

第二次世界大戦中は当然カチンの森事件にも関与していて、スターリンがヤルタ会談の際、ルーズベルトらに「ウチのヒムラーです。」と紹介した有名なエピソード(まあヒムラーの方が普通にマトモに見えますけどね!!べリヤと比べれば!!どちらかと言えば、中国の康生の方がキ〇ガイぶりでは良い勝負になるかも?)もゴルバチョフ時代まで外相等長く要職を歴任したアンドレイ・グロムイコが語ってくれましたが、余談ながら過去エントリーでも取り上げた事のある、アンドレイ・アンドレーエフがかってはトロツキー派と意見を同じにしていた事もあったのも意外に感じられましたね。赤い皇帝でも、彼ら家族のエピソードもいくつか見られ、戦後は共産党統制委員会委員長のポストは保持し、人民委員会議から改編された連邦閣僚会議副議長を兼任するも、書記局の書記は解任されてしまったアンドレーエフは何だかいつの間に影が薄くなってしまった印象(アナスタス・ミコヤンの息子、セルゲイが受けたインタビューによれば、ラコバ同様聴覚障害を抱える様になってしまったらしいが、1952年10月に13年ぶりに開催された党大会では閣僚会議議長代理には留まるも、統制委員会委員長と政治局員からは解任されてしまい、議長代理もスターリンが死んだ直後更迭され、事実上失脚する)がありますが、モロトフも西側のマスコミがこの頃体調を崩して1か月半の休養を余儀なくされたスターリンの有力な後継者と持て囃したせいか疎まれる様になり、後継者候補はアンドレイ・ジダーノフかゲオルギー・マレンコフかになった模様。

マレンコフも決して順風満帆だったわけでも無く、エジョフに告発されて、逆に彼のあら捜しして、スターリンに報告して難を免れるわ、戦後一時期、中央アジアに左遷された事もあったらしいですが、大腸癌におかされ、引退を余儀なくされた、最高会議幹部会議長(国家元首相当で赤い皇帝では大統領と訳されていた)、ミハイル・カリーニンとほぼ入れ替わりに彼にと共に政治局員に昇格(昇格は1946年3月18日で、カリーニンの幹部会議長退任は翌日の3月19日、政治局員退任及び死去は同年6月3日のこと)していたべリヤは勝ち馬に乗るのが上手いと言うか、彼を後ろ盾として利用してさらに権力の高みに昇る道を選んだ様である。実際、スヴェトラーナとユーリー・アンドレ―エヴィチ(ジダーノフの息子)の結婚(1950年には娘が生まれて、スターリンも祝福の手紙を書いたという。ソースは「有名人の子供はつらい」です)には影響はなかった様ですが、ジダーノフが怪しい急死を遂げて、部下のニコライ・ヴォズネセンスキー等ジダーノフ派の粛清にも成功した。

どうも最終的に筆頭書記(書記長から改称)も閣僚会議議長も、そのポストを失って、最終的に失脚したあたり、マレンコフは側近としてはかなり有能でもリーダーとしてはやや頼りない印象を受けます。さすがにべリヤの本性を見抜けなかったほどバカだったわけでも決してなく、一緒に散歩した際、フルシチョフに忠告されるも「分かっているけど、どうすれば良いと言うのだ。」と返したエピソードも印象的でしたね。そのフルシチョフにも後塵を拝す事となってしまったのですが・・・・・・・・・

とにかく突出したナンバー2を作らない様意識していたフシもある晩年のスターリンからもさすがに警戒されていたべリヤでしたが、彼の死後、ナポレオンの帝政復古同様100日天下だったながらも実質的なナンバー1として頂点を極めたかに見えた。3月5日のスターリンの死~6月26日の逮捕までだとすると、正確には113日間でしたが、彼が主導した諸政策、例えば囚人の釈放は新たな犯罪の温床となった等当然と言えば当然ですが、否定的な評価を下していました。もしマレンコフが筆頭書記ではなく、閣僚会議議長の方をフルシチョフに譲っていればどうなったのかなあですが、その6月26日に逮捕されたとされた。フルシチョフだけでなく、ジュ―コフ元帥、コーネフ元帥、モスカレンコ元帥等軍の大物どころの証言も載っていましたが、逮捕から死刑までの経緯は食い違う証言もある様だし、事実はどうだったのか今後新たな検証が待たれる所でしょう。

しかし、月並みだけど、真に異常だったのはスターリンでもべリヤでもなく、彼らを国家の最高幹部にしてしまったソ連という国、もっと言えば幻想だった理想の為に多くの無辜の国民を死に追いやった共産主義思想そのものだったのでしょうね。特にスターリンは功罪両面共に非常にハッキリしていて、客観的な評価が難しいですが、スターリン時代以降、極端な恐怖政治や独裁、個人崇拝は抑えられはしたとは言え、押し付け憲法ならぬ押し付け社会主義国家だった衛星国への締め付けや重工業化の為に犠牲にされ、ルイセンコ理論も取り入れた農業の脆弱さ、ノルマ至上主義に陥り、技術革命や需要の多様化に対応できなかった計画経済等決定づけられた悪い体質もその崩壊まで残ってしまっただけに本書を読んで改めてそう認識させられました。その後継国家、ロシアも現在もシリア内戦において空爆を行う等イラク戦争というパンドラの箱を開いたアメリカもアメリカだけど、べリヤもその担い手となったスターリニズムよりももっと根深いこの国の本質は変わっていない様である。べリヤらの犠牲になった人達の死も無駄にならない様、いい加減変わっていかなければいけないのだけど・・・・・・赤い皇帝もまだ上巻すら読み終えてないけど、全部読み終わったらまた感想書きます。

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