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2017/01/01

一昔前のMLB日程消化の一例その2

http://www.baseball-reference.com/teams/MIL/1979-schedule-scores.shtml

新年あけましておめでとうございます。一昨日・昨日と松潤の二股報道について触れたエントリーのアクセス数凄いんですけど、今年も自分のペースで色々興味持った事について語っていければ・・・・・・です。

さて、早速今年最初のエントリーですが、上記ページはbaseball reference内の1979年のMLBアメリカンリーグ東地区(当時。現在はナショナルリーグ中地区)に所属していたミルウォーキーブリュワーズの戦績についてのページです。何故1979年なのかと言うと・・・・・・・1960年まで長く16球団体制だったMLBは61年にアリーグが、62年にはナリーグが2球団新規加盟して20球団体制となり、NPBでも2004年には1リーグ10球団という愚かな選択をしてしまう所なりそうでしたが、当時まだプレーオフも無かったので当然消化試合がさらに増加しました。

まあ実際はアリーグは1964・67年、ナリーグはドジャースとジャイアンツが激しい優勝争いした1962・65・66年、カーディナルスとフィリーズがそうだった64年と混戦だった年もいくつかあったのですが、特にまた1968年が歴史的な投高打低な年だったのも追い風となったのでしょう。翌1969年には一気に両リーグ2球団新規加盟の2地区制となって、シアトルパイロッツがその一角でした。しかし、短期で移転し、ミルウォーキーブリュワーズとして再スタートを切り、これに怒ったシアトル市がMLBを訴えて、勝てそうになかったから1977年にアリーグだけさらに2球団新規加盟させました。シアトルマリナーズとトロントブルージェイズの事だったのですが、今の所、実は1961年以降両リーグ球団数が同じだった時期の方がまだ短いのです。

それまで同地区とは18回、他地区とは12回総当たりだったのがアリーグはそれぞれ15回、10回または11回となったのですが、1979年からは同地区とは13回、他地区とは12回と対戦数があまり変わらなくなり、しばらくこの方式が定着しました。東西各地区7球団となったのだから、2013年以降のア・ナ両リーグみたいに必ず1カードは組み合わせも代わり代わりの違う地区同士の対戦でが見られたかのかと言うと、それは違っていたのです。

注目すべきは9月の労働祭も過ぎたか過ぎないかのペナントレース最後の4週間8カードです。79・80・88年はブ軍(前述通り同地区15回、他地区10or11回総当たりだった1977・78年も)、81‐83、91年はブル軍(ブルージェイズ)、84‐87年はイ軍(インディアンス)だけが他地区チームとの試合ばかり消化していたのです。これがシカゴとかミネアポリスとかカンザスシティとか中西部だったらまだ良かったのでしょうが、オークランド・アナハイム・シアトルまでしばしば遠征した様だから移動距離の長さとかで不利だった想像は難くなかったでしょう。

1989年はヤ軍(ヤンキース)とイ軍、90・92年はヤ軍・ブ軍・タ軍(タイガース)、93年はヤ軍・イ軍・ブル軍・レ軍(レッドソックス)と、アリーグ2地区14球団時代の末期においては東地区チームは特定の一球団だけが終盤ずっと他地区チームとだけ対戦する例は少なくなりましたが、やはり移動の疲れとか影響したのでしょうか?元々ア東は創設当初から基本的にレベルが高い地区ですが、この様な日程を消化したチームでワールドシリーズに進出したチームはとうとう無かったまま1994年から3地区制に移行したのです。

逆にこの年(1979年)のブ軍はまた、4月5日にヤンキースタジアムで連続世界一となったヤ軍相手に開幕を迎えてから、5月13日のデトロイトでのタイガース戦まで1か月強11カードずっと同地区との対戦ばかりでした。ミルウォーキーとシカゴではシカゴの方が東に位置していて、もしブ軍が西地区所属だったら1987年も地区優勝して、82年同様ワールドシリーズもカーディナルスとの顔合わせになっていたかもしれませんが・・・・・・・「最後の8カード」、15年間ずっと同地区との対戦ばかりオ軍(オリオールズ)も1983年までは強豪(しかし、以降ワールドシリーズからは遠ざかり、近年も漸く地区優勝争いは出来るようになったが、バック・ショーウォルター監督はつくづく短期決戦には弱い様で今年も出場はならなかった。90年代後半~00年代前半のヤ軍黄金期も彼とジーン・マイケルGMコンビの「遺産」だとも言っていた人もいたけど、それでもプレーオフ2ラウンド制となって最多であろう世界一4度の栄光に輝いたのもまた事実であるジョー・トーリ氏の殿堂入りは「当然」でも、ショーウォルター氏も殿堂入りするには少なくともあと2球団でリーグ優勝するか、1球団でリーグ優勝かつ地区優勝も4回ぐらいしないと難しいと思う)で、1992年に1カード消化しただけだったレ軍もバンビーノの呪いこそ破れず、78年には去年のNPB・ソフトバンク以上の逆転V逸を喫してしまったけど、リーグ優勝した86年の他にも88・90年にも地区優勝しているのに対し、ブ軍やブル軍もそんな不利な日程にめげずに(?)強くなってはいった。特にブル軍は1991年もこういう日程じゃなければリーグ優勝していたかもで、ついに92・93年に連続世界一、特にまた93年にはジョー・カーター選手のサヨナラホームランで2地区制時代の最後を締めくくったけど、イ軍は地区優勝すら出来なかった。まあイ軍もそれから2001年までリーグ優勝2回・地区優勝6回の黄金期を築いた等、1994・95年のストも乗り越えてブル軍と入れ替わりに強豪に返り咲いて、去年も久々にワールドシリーズ出場を果たしたけど。

http://www.baseball-reference.com/teams/PHI/1983-schedule-scores.shtml

一方この時代(つまり2地区26または28球団時代)ナリーグの方はこれは1983年にリーグ優勝したフ軍(フィラデルフィアフィリーズ)の例だけど、開幕直後はサンフランシスコ・アトランタ・ヒューストンに遠征(ナリーグも位置的にはシンシナティ・アトランタよりシカゴ・セントルイスの方が西なのだが、同じく黄金カードなジ軍・ド軍と別所属にするためにカブ軍とカ軍を東地区所属としたのだろう)した等他地区チームと対戦した例も珍しくなかった様ですが、終盤は基本同地区5チーム(ホーム&ロード10カード)とだけ対戦する様に日程が組まれていた様です。そしてその時は少なくとも週一度は月火の2連戦・水木の2連戦・金土日の3連戦3カード消化してもいた様です。他地区との対戦においてもやはりその様な週3カード消化の例は珍しくなかったという。

http://www.baseball-reference.com/teams/OAK/1974-schedule-scores.shtml

前述通り「大人の事情」でアリーグは1977年から14球団となるも、69~76年まではナリーグと同じ12球団でした。これはヤ軍以外のチームでは依然最後な、3年連続世界一を達成した1974年ア軍(オークランドアスレチックス)の例ですが、やはり開幕直後は同地区よりも他地区チームと先に対戦する事もありながらも、最後の10カードは同地区だけと対戦する様に組まれていました。

http://www.baseball-reference.com/teams/NYM/1969-schedule-scores.shtml

この1969年の所謂「ミラクル」で初の世界一になったメ軍(ニューヨークメッツ)みたいに開幕してから10カード全部同地区と対戦する様組まれていた例もありますが、まあ終盤地区優勝争いに興味を持たせるのは当たり前という事ですか。

http://www.baseball-reference.com/boxes/HOU/HOU199309060.shtml

http://www.baseball-reference.com/boxes/NYN/NYN199309100.shtml

そして1993年にはナリーグもマ軍(フロリダマーリンズ、現マイアミマーリンズ)とロ軍(コロラドロッキーズ)が加盟して17年ぶりにアリーグと球団数が同じになりましたが、9月第1週は違う地区同士の対戦が4カードもあった等余った1カードだけとは限らなくなった模様。ブ軍(アトランタブレーブス)・ジ軍・カブ軍・エ軍(モントリオールエクスポズ、現ワシントンナショナルズ)が「最後の8カード」中3カード他地区との対戦が組まれていたけど、この中で一番きつかったのはいずれも西海岸に遠征したカブ軍だったでしょう。しかし、順位は同じ4位ながらも前年より勝ち星を6つ増やして勝ち越してはいました。

繰り返し言う様にこの年を最後に24年続いた2地区制から3地区制に移行して、2013年にア軍(ヒューストンアストロズ)がアリーグに移籍して16年ぶりに両リーグの球団数が同じになるも、それは奇数同士になったので、常に交流戦が見られる様になりました。しかし、移動距離など不公平さへの不満も少なからずある様で、2020年からまた偶数ずつ各16球団の32球団制となる見込みな様なので、こうした「暫定」もその時まででしょうが・・・・・・・NPBと違って平日のデーゲームが珍しくないのもアメリカ(とカナダ)は国土が広く、時差も存在して移動に時間がかかるからな様ですが、トランプ政権成立で微妙(新球団本拠地はメキシコシティとモントリオールが有力視されている)とも思われた32球団制がホントに実現して、日程編成も果たしてどうなるかですね。1960年以前の154試合制に戻そうかな声もある様ですが・・・・・・・

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