« この人も「Who are you?」だったが・・・・・・ | トップページ | NPBのプレーオフ制度について少し思う事 »

2016/03/20

古代の主な長寿者たち

http://gottanirekishikan.web.fc2.com/fuhou.html

ググっていたら、たまたまこのサイトを目にしたのですが、これは飛鳥時代~現在までの訃報年表のページです。泉重千代翁は最後の江戸時代生まれの日本人かと思いきや、出生記録は早世した兄のそれで、翁は実際は明治10年代半ば頃の生まれだったらしいですが、飛鳥~平安時代に在位した歴代天皇(舒明~安徳各天皇)の治世に生まれ、最後まで生きた人は誰だったのかこのページを参考に調べてみました。


舒明天皇・・・・石上麻呂(640~717)

里中満智子先生の「天上の虹」、「長屋王残照記」いずれにも登場していて、晩年は藤原京の留守役にされていたけど、その時点で70代だったし、必ずしも冷遇されていたわけでもなかったかもですね。

皇極天皇・・・・義淵(643~728)

斉明天皇・・・・阿部広庭(659~732)

天智天皇・・・・巨勢奈弓麻呂(670~753、実際は弓の下に横線が付く)

奈弓麻呂は父の比等が壬申の乱で流罪になる等官人としての出世にはかなり不利な条件を抱えていましたが、最終的には大納言にまでなった等壬申の乱の敗者サイドでは前述の麻呂に次ぐ昇進ぶりを見せましたね。勝者にはついたけど、おそらくすぐ早世した蘇我安麻呂の孫、石川年足もそうだったけど、聖武朝末期~淳仁朝においては一度衰退した氏族の中興も見られた様です。それも、実質的最高権力者だった藤原仲麻呂の権勢のおこぼれでしたが・・・・・・・

天武天皇・・・・泰澄(682~767)

持統天皇・・・・慈訓(691~777)

文武天皇・・・・多治比長野(706~789)

長野はほぼ奈良時代と共に生きた人生だったと言って良かったでしょう。精力もあった様で、娘の真宗は63歳の時の子でしたが、桓武天皇の夫人となり、葛原親王等を産み、途中の系図は曖昧な点もありながらも、桓武平氏等武士の起こりとなっていきました。

元明天皇・・・・賢けい(714~93、変換できず)

元正天皇・・・・羽栗翼(719~98)

聖武天皇・・・・藤原継彦(749~828)

孝謙天皇・・・・護命(750~834)

淳仁天皇・・・・竹田千継(760~860、医師)

称徳天皇・・・・延祥(769~853)

光仁天皇・・・・橘永名(780~866)

前述の仲麻呂との政争に敗れて処刑された橘奈良麻呂の孫で、嵯峨天皇皇后となった嘉智子とは従兄妹にあたります。さらに空海と共に唐に行った逸勢の兄でもあり、近親者は有名人が多いですね。娘の氏子がその女御となっていたので、婿だった淳和天皇とその次の従妹甥だった仁明天皇の治世では昇進したかと思いきや、承和の変で軽い左遷に。しかし、数年で戻ってこれてさらに20年以上生きて晩年は公卿にもなったけど、応天門の変が起きた直後に亡くなったのは何だか皮肉でしたね。

桓武天皇・・・・真然(804?~91)

平城天皇・・・・藤原冬緒(808~90)

嵯峨天皇・・・・藤原良世(823~900)

淳和天皇・・・・相応(831~918)

ただし、菅原道真のライバルだった大蔵善行が832年生まれで、少なくとも921年までの生存が確認できます。道真の左遷(昌泰の変)に関与した連中がその怨霊で次々死んだと言われた中では余計異例な長寿でしたね。悪い奴ほど良く生きるという事ですか。

仁明天皇・・・・増利(836~928)

文徳天皇・・・・会利(852~935)

清和天皇・・・・仁咬(873~959、実際は口へんではなく、白へん)

陽成天皇・・・・寛空(884~972)

光孝天皇・・・・藤原元名(885~965)

宇多天皇・・・・光智(894~979)

醍醐天皇・・・・平忠頼(930~1018)

生まれたのが旧暦で6月だったから、醍醐天皇崩御3か月前でしたが、ここでやっと武士が初登場です。桓武平氏で、前述の長野の子孫でもあります。(多治比長野―真宗―葛原親王―高見王―平高望―良文―忠頼)幼少時は従兄の平将門が一族との土地争いから乱を起こして、ついに関東一帯を支配して新皇を名乗るも間もなく討たれた。そう言えば彼の命日である3月25日まであと少しですが、亡くなった時は道長がこの世をばを歌うか歌わないかの藤原氏全盛期。しかし、道長亡き後すぐに今度は息子の忠常が乱を起こす事となり、藤原氏の満月にも早くも陰りも見え始めます。

朱雀天皇・・・・藤原顕光(944~1021)

村上天皇・・・・源倫子(964~1053)

道長の正室ですが、祖母が時平の娘だったので、時平の子孫って男系は確かに早々と歴史の表舞台から姿を消しましたが、女系では今日に至るまで結構栄えているんですよね。昌泰の変も、例えば宇多天皇の譲位なんか現在に当てはめれば、今の天皇陛下が麻生副総理(彼は総理大臣経験者でもありますが)にだけ皇太子さまへの譲位を相談して、安倍総理にはしなかった様なものですから、時平から見れば「何でそんな大事な事俺にも相談しないの?」な筈である。でも、死んだ時の様子もあの蛇とか面白おかしく描かれていて、悪人扱い、女系子孫の事も半ば無視されてしまっているのも何だかちょっと可哀想ですね。倫子の話じゃないのでこれぐらいにしておきますが。

冷泉天皇・・・・延殷(968~1050)

円融天皇・・・・源算(983~1099)

実は1000年生1107年没な異説もあり、こちらの説の方が本当ならば、四条貞子(孫の後深草法皇・亀山法皇も後を追う様に亡くなっている)よりも先な、3世紀にまたがって生きた、おそらく最初の記録に残る日本人になります。

花山天皇・・・・明快(985~1070)

一条天皇・・・・教懐(1001~93)

三条天皇・・・・蓮待(1013~98)

後一条天皇・・・・藤原寛子(1036~1127)

後朱雀天皇・・・・藤原道子(1042~1132)

後冷泉天皇・・・・源方子(1066~1152)

皇室関係者が続きますが、近衛天皇生母の美福門院こと藤原得子の母で、父の源俊房も長生きで左大臣歴は藤原頼通に次ぐ38年(11世紀は彼ら2人が左大臣だった時期が過半数を占めてもいた)を誇りましたが、天皇の祖母となって、藤原永手以来実に376年ぶりの生前正一位となりました。近衛天皇は1155年まで生きたので、まさに栄光の頂点の中で天寿を全うした事になります。

後三条天皇・・・・藤原実光(1069~1147)

白河天皇・・・・千葉常重(1083~1180)

前述の忠頼の玄孫で、父の平忠兼も81歳、子で、現在も千葉市に胸像がある常胤も83歳まで生きました。武士は貴族みたいに変な迷信とかには囚われず、食事も質素ながらも新鮮で栄養あるものを取っていた様ですが、健康に気を遣った賜物だったでしょうか。常重は治承・寿永の乱勃発直後に亡くなりましたが、その直後常胤が頼朝の挙兵に呼応して、以後相馬氏等子孫繁栄の基を作ったのです。

堀河天皇・・・・大中臣親隆(1105~87)

大中臣氏も、天武系から天智系への皇統移り変わり時に上手く立ち回った清麻呂や平安中期に出て、父の方は百人一首歌人でもあった能宣・輔親親子と長生きした人は何人かいましたが、彼も82歳まで生き、正三位まで登り、三男の能隆も88歳まで生きています。

鳥羽天皇・・・・宇都宮朝綱(1122~1204)

崇徳天皇・・・・寒河尼(1137~1228)

頼朝の乳母でしたが、死去時には彼の子孫は貞暁(頼朝庶子)と竹御所(頼家の娘)しか残っていませんでした。死去2年後には竹御所は鎌倉幕府4代将軍となった藤原頼経と結婚しましたが・・・・・・

近衛天皇・・・・小山朝政(1167~1254)

後白河天皇・・・・菅原為長(1158~1246)

二条天皇・・・・粟田口国綱(1163?~1255)

六条天皇・・・・結城朝光(1168~1254)

何だか国連は今度は代表作の「風と木の詩」までイチャモンつけている(いい加減もっといくつもある大事な仕事しろよでもあるけど)様ですが、竹宮惠子先生が手掛けられた吾妻鏡の漫画版でも特に後半レギュラーみたいな活躍見せていたのも印象的でしたね。

高倉天皇・・・・藤原信実(1177?~1265)

安徳天皇・・・・西念(1182~1289)

近年は平安時代の終わり・鎌倉時代の始まりは1185年説が有力となっている様ですが、おそらく彼が平安時代生まれ最後の生き残りだったでしょうね。既に鎌倉時代も後半が良い所で、持明院統と大覚寺統の対立が深刻なものとなっていましたが・・・・・・

と言うかまた、該当者は斜線表示しましたけど、お坊さんが多かったのが特徴的でしたね。中には僧兵もいて、特に平安後期は朝廷を悩ませましたが、精進料理とか厳しく節制していたからでしょうか。確実な最後の江戸時代生まれの日本人は1977年に109歳の誕生日直前に亡くなった中山イサ氏だった様ですが、男ではおそらく村上直次郎氏(1868年2月生、1966年9月没)で、一世一元(つまり、天皇在中は元号は改元しない)制前の天皇、孝明天皇在位時に生まれた有名人ではスルガ銀行生みの親だった岡野喜太郎氏(1864年生、1965年没)ですね。おそらく。と言うかまた、このサイトでは南北朝時代のページでは文字化けしていて見れないのですが、坊さん以外にも脇役ばかりながらもその時その時の歴史に欠かせない存在ばかりな面々だった事も分かります。以降の面々はまた気が向いたら・・・・・・という事で。

|

« この人も「Who are you?」だったが・・・・・・ | トップページ | NPBのプレーオフ制度について少し思う事 »

歴史」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1159637/64554303

この記事へのトラックバック一覧です: 古代の主な長寿者たち:

« この人も「Who are you?」だったが・・・・・・ | トップページ | NPBのプレーオフ制度について少し思う事 »