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2016/01/02

松坂大輔の奇跡のカムバックはなるのか?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160102-00000512-san-spo

満身創痍の松坂よ「カムバック賞」に挑め! マサカリ兆治の試練を思えば…

産経新聞 1月2日(土)12時15分配信    

 プロ野球の「カムバック賞」は文字通り、けがや病気で苦しんだ後、復活を遂げた選手に贈られる。そこには「野球人生に悔いを残さない」という強い思いがある。2015年はセ・リーグがヤクルト・館山昌平、パ・リーグは「該当者なし」だった。両リーグの歴代受賞者を見ると、パの受賞が圧倒的に少ないことに気づく。有名なところでは、ロッテの村田兆治や近鉄の盛田幸妃がいるが、最近13年間は該当者なしという異例の事態が続く。プロ野球の世界で復活を遂げることがいかに難しいかを示すデータと解釈できそうだ。来季、この難関を乗り越えてほしい選手が、ソフトバンクの松坂大輔である。甲子園の「怪物」が輝きを取り戻す日は訪れるのか-。

 ■ドラマ性も受賞の条件?

 プロ野球のカムバック賞は大リーグにならって1974年に創設された。第1回からパ・リーグは該当者なし。ゴールデングラブ賞やベストナインなどと違って「条件」を満たす選手が限られていることも影響し、パ・リーグの最初の受賞は80年になってから。「不惑の大砲」といわれた門田博光(元南海)が第1号となった。

 受賞者の傾向として、野手よりも投手が目立つ。「マサカリ」の異名をとり、豪快な投球フォームで知られた村田が受賞したのは85年のこと。当時、タブー視されていた「トミー・ジョン手術」を受けて、肩の故障から返り咲いた。手術後も140キロ後半の速球と落差のあるフォークで開幕11連勝を記録、劇的な復活を遂げた。

 数々の「伝説」を残した村田はリハビリ期間中、機能回復トレニング、野菜や玄米を中心とした食生活の改善、温泉療法…。滝に打たれ、真っ暗な部屋に1本のローソクを立てて座禅を組むこともあった。一切の妥協をせず、求道者のようにトレーニングを積んだ。「辛抱の先に楽しみがある」と言い聞かせて徹底したプロ根性を見せたのである。

 また、脳腫瘍の手術から復活を遂げた盛田は2001年に「奇跡のリリーバー」として34試合に登板して2勝を挙げた。1シーズン限りのカムバックだったが、ファンに与えた感動は村田と双璧と言われてきた。盛田以降、パの受賞者は出ていない。「球史に名を残す村田や盛田をはじめ大投手のドラマチックな物語によって、受賞のハードルが高くなっている」と指摘する声もある。

 ■松坂にとっての正念場

 2015年、ソフトバンクは日本一に輝いたが、シーズン通してファーム暮らしだった松坂は優勝に何一つ貢献できなかった。西武から大リーグレッドソックスなどをへて日本球界に復帰、推定4億円という高額年俸はチーム随一だけに厄介なのだ。復帰2年目も活躍がおぼつかなければ、チーム内に不協和音が生じるのは当然だろう。まさに現役人生の正念場を迎えている35歳・松坂だが、全盛期に比べてアスリートらしからぬ“体型”を一部メディアに撮影されるなど、来季に向けて活躍できる保証は何一つない。

 肩は消耗品である。松坂のように高校時代から酷使すれば、必ずツケが回ってくるということである。あの村田でさえ、ほぼ2シーズン棒に振ったことで、一部の心ないファンから「給料泥棒」などと陰口をたたかれることもあったが、まったく意を介さなかった。泥臭く、がむしゃらにマウンドに戻ることに恋い焦がれたのである。

 ファンは松坂に高額年俸に見合った活躍を求めているのではなく、約20年前に甲子園を沸かせた「怪物」の雄姿をもう一度見たいと願っているはずだ。「転んだままで野球人生を終えたくない」と、あえて“茨の道”を選択し、ボロボロになるまで投げた「昭和生まれの明治男」のように…。

産経新聞は政治では民主叩き(まあ産経に指摘されるまでもなく、民主が駄目すぎるのは確かですが)等ノリノリだけど、野球ではマーリンズを何度もマリナーズと間違えた事もあった等・・・・・・・

2016年、続けてNPBネタですが、甲子園でも怪物だった松坂大輔投手はプロでも怪物ぶりを見せ付けてはいました。もう5年以上前の事だったけど、過去エントリーでも指摘した通り、2001年の沢村賞が「相応しくない、不適切な受賞」だったという認識には変わりはありませんが、この時点で3年連続最多勝で、計45勝だったけど、分業制が既に確立されていたのだから平均15勝でもそうなるのはまあしょうがない。2001年はまた負け数も15でしたが、一方で6月26日にはリリーフ登板もしており、150球以上投げた試合も4試合もあった。内容には微妙な点も目立ちながらも、エースとしてのフル回転ぶりが評価されたのでしょう。

2002年は投球回数は100にも満たず、ついに昨年2015年現在までNPBではリーグ優勝した年にシーズンフル回転して優勝に貢献した年はなかったのですが・・・・・・えっ?2004年があるだろって?確かにペナントレースではダイエーに勝ち越したけど、敗者復活戦なプレーオフ(と言うか、日本でホントにまともなプレーオフやりたいのなら、独立リーグも参加させて球団数を倍に増やして、各リーグ2地区制とかにしないとダメ。レベルは間違いなく下がるだろうけど)の恩恵に与っただけで、実質2位でしょ?あの年の西武って。確か水島新司先生のドカベンか何かでも、その年はダイエーが中日と日本シリーズ戦った事にされてましたけど。

しかし、それでも日本シリーズでも勝利投手となって、リリーフ登板もした等日本一に貢献したのも事実で、2003~2006年がNPBでの松坂投手のピークでした。WBCでも活躍したし、それも置き土産としてメジャーに挑戦した。

レッドソックスでは、15勝しながらも防御率は4点台半ばと本拠地のフェンウェイパークが打者有利な球場な事を考慮しても、内容は手放しで絶賛できるほどではなかったですが、それでも21世紀ではレッドソックス2度目の世界一に貢献し、「次の世界一は2090年だ(2004年に1918年以来86年ぶりの世界一になったので、2004+86=2090という意味)」な意地悪な野次も飛ばしたヤンキースファンも黙らせた。(まあヤンキースも2009年に世界一となりましたが)

そして翌2008年はリーグ優勝決定戦止まりだったとは言え、防御率等内容は格段に良くなり、「流石松坂」と思わせたものもあった。しかし、2009年、この年もWBCでは活躍したけど、松坂投手最後の輝きを放った年になってしまっています。WBC前から既に股関節を痛めていたらしいけど、ドーム球場でのプレイが多かったNPBよりも過酷なMLBで、そんな状態で1年間乗り切れるはずがなかった。翌2010年こそ9勝して、いくらか復活の手ごたえをつかんだけど、その後は・・・・・・・・

もうこれ以上はここで一々詳細に語るほどの事でもないでしょう。松坂投手のNPBでの成績は108勝60敗、防御率は2.95です。投球回数は約1400回と、歴代記録の基準(2000回以上)には及ばずとも、勝率は6割4分強だし、90年代以降登場し、100勝以上した投手で防御率2点台は松坂投手の他は所謂「松坂世代」でもある同級生の杉内俊哉投手ぐらいでしょう。2000・2001・2004年とかなり打高投低なシーズンも目立った中での2点台は普通に凄い事だとは思います。しかし・・・・・・・・

元々以前から体調管理のアバウトさとか指摘されてましたが・・・・・・・・一部過大評価との声も聞かれますが、MLBでも5年連続2ケタ勝利、そして7年全て防御率は3点台だった黒田博樹投手はやはり凄い事も改めて認識させられましたね。MLBに挑戦した日本人選手、そのままNPBでプレイしていた方が良かったのにな面々も多いですが、残念ながら松坂投手もその1人となってしまった。そしてソフトバンクに入団するも・・・・・・・ヤフコメでも指摘されていたけど、そもそも村田氏や盛田氏とは野球にかける姿勢からして違います。彼らと同列で語るのは「?」だし、特にファンではないですが、松坂フィーバーからもう18年たとうとしていますか。怪物の名をほしいままにした彼が、日米通算はあくまで「参考記録」な認識も不変ですが、気が付いたら黒田投手の方が日米通算でも200勝にかなり近くて、彼は2008年シーズン終了時点であと4・5年程度で達成かなと思いきや、164勝のままで現役生活を終える事になっても、それは寂しくも思えます。フル回転はもう無理でも、せめて何か若手の見本になるような指導とかは・・・・・・・マエケンもドジャースと契約を結んだらしいですが、まずは1シーズンフルに投げられる様に、先輩方々の失敗例も反面教師にして頑張ってねでもあります。この松坂投手の現状を見ても改めて・・・・・ですが・・・・・・・

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