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2016/01/23

2016年野球殿堂表彰者について

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160118/k10010376361000.html

野球殿堂入り 工藤公康氏や斎藤雅樹氏ら5人
1月18日 17時36分

 

    
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野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる「野球殿堂」に、現役時代、西武の黄金期をエースとして支え、現在ソフトバンクの監督を務める工藤公康氏や巨人の中心投手として活躍した斎藤雅樹氏など5人が新たに選ばれました。
新たに野球殿堂入りしたのは、競技者表彰と特別表彰で合わせて5人です。競技者表彰で工藤氏と斎藤氏に加え、昭和30年代から40代にかけて活躍し、通算2314本のヒットを打ち「安打製造機」と呼ばれ、4年前に亡くなった榎本喜八氏の3人が選ばれました。
このうち、工藤氏は愛知県出身の52歳。現役時代は西武のエースとして6回の日本一に貢献、その後移籍した当時のダイエーと巨人でも日本一を経験するなど29年で通算224勝を挙げました。去年からはソフトバンクの監督に就任し、1年目でチームを日本一に導き、12月に殿堂入りの資格を得たばかりでした。
また、斎藤氏は埼玉県出身の50歳。巨人では独特のサイドスローから通算180勝を挙げ、沢村賞に3回輝くとともに、現役引退後、巨人のコーチを経て現在、2軍の監督を務めています。
特別表彰では、日米野球の初開催に携わるなど戦後の野球振興に貢献し、昭和33年に亡くなった松本瀧蔵氏と、東京六大学野球でリーグ最多記録の通算48勝を挙げ、銅メダルを獲得したバルセロナオリンピックで日本の監督を務めるなどした山中正竹氏の2人が選ばれました。

工藤氏 光栄に思う まずは3連覇目指す

工藤公康氏は「野球人として誰でも殿堂入りは最終的な目標だと思う。野球界に功績を残した多くの先輩たちの中に入れることを光栄に思う。これから自覚を持っていく。今は監督を務めているのでまずはチームに対して精いっぱい3連覇という大きな目標を成し遂げられるようやっていきたい」と話していました。

斎藤氏 殿堂入りに恥じぬようこれからも頑張る

斎藤雅樹氏は「去年は3票だけ足りず殿堂入りできなかったので、ことしは少し期待していました。栄えあるメンバーの中に入れたことは、うれしいですし、光栄に思っています」と喜びを話しました。そのうえで、「現在は巨人の2軍監督として若い選手を見る機会が多いのでこれをきっかけに野球の歴史も伝えていきたいと思います。野球殿堂入りに恥じぬようこれからも頑張っていきたいです」と抱負を語っていました。

山中氏 野球人としての誇り 殿堂入りうれしい

山中正竹氏は「野球人として誇りである野球殿堂入りできてとてもうれしい。大学時代に先発として全うでき、東京六大学野球で48勝できたことは誇りで、このあとの野球人生を支える励みになった」と振り返りました。
また、今後については、「東京オリンピックの正式種目として野球が復活できるように頑張っていきたい」と抱負を話しました。
息子さんも俳優として頑張られてますが、まずは工藤元投手・監督ですね。人によっては、29年やってやっと224勝したかと思うのもいるかもしれない。しかし、その29年も、しかも投手で現役続けるだけでも相当の体力と実力が必要です。何せあのノムさんや大島(康徳)よりも長かった。それでいて、42歳(2005年)の11勝と44歳(2007年)の7勝は年齢別の最高勝利数記録です。確かに、西武時代でも1991年の16勝が最高だったのはやや物足りなく感じられたかもしれない。また、不摂生がたたって1989・90年に合わせて12勝しか出来なかったのも、特に1989年には僅差で優勝を逃した(リーグ優勝していればリーグ10連覇となっていた)のは惜しまれた。しかし、選手の寿命が伸びて、その他プレイ環境が良くなっても。2000年以前はレギュラー入りが遅れても打者で2000本安打を達成できたのは落合と駒田ぐらいだったのが、その後金本や和田(一浩)等挽回して達成した人も何人か出てきました。試合数増も追い風となって、2000本安打の難易度は下がったのですが、投手は権藤(博)みたいに実質3年で潰れてしまった人もいて、藤本定義も「30勝投手はチームの恥」と言っていた様ですが、分業化が進んだ為、200勝の難易度は逆に上がった。工藤や山本昌ほどの投手でも40前後まで投げてやっと達成できる環境。

しかも、工藤について言えば、あの時代の西武は他にも東尾、松沼兄弟、ナベキュウ(渡辺久)、渡辺智、郭泰源、石井丈裕等先発だけでも戦力が豊富だったけど、工藤はその中でも西武黄金期(1982~94)、ナベキュウの115勝にもう少し及ばない113勝を挙げて、負け数では速球で押すスタイルからの転換に失敗してしまったナベキュウ90敗に対して、工藤は52敗と勝率でも109勝56敗で、しかし一方で肘の痛みを抱えていた郭を凌いだ。工藤がそんな豊富な投手陣の中でも1シーズン引っ張った印象のある年はなかなか思い浮かばないかもしれませんが、ただ勝っただけでなく、大舞台でも日本シリーズMVPに2年連続輝く快挙もなしとげ、1991年にも優秀選手賞の表彰を受けたし、1995年にダイエーに移籍した後も1996年には最多敗戦投手になってしまった事もありながらも巨人時代も含めて3球団で11回の日本一に貢献し、流石に40台以降(2003年以降)は、防御率の悪化も目立ってはいきましたが、終わってみればダイエー移籍後もそれ以前の倍近い白星まで伸ばした。歴代で工藤よりも勝った投手は皆1960年代までにデビューした面々ばかりです。現役前半は強いチームで投げていた事を考慮しても、やはり凄いです。

斎藤雅は残念ながら200勝には届きませんでしたが、11試合連続完投勝利の快挙も達成して、他に3人しかいない沢村賞3度受賞したり、巨人一筋だったことを考慮しても投球回数2000以上の投手では勝率3位の堂々たる記録も残し、勿論防御率も2点台と安定感は抜群でした。90年代の勝敗126勝72敗は工藤の111勝をもしのぐ数字で、90年代最強の日本人投手は間違いなくこの斎藤雅か野茂で、次点は工藤や、1998年以外2桁勝利をマークした星野伸之だったでしょう。1986~88年の間にもっと勝てれば・・・・・・1984~86年の3年間伸び悩んでしまったながらも、元チームメイトでもあった駒田は名球会入り出来ただけに・・・・・・でもありますが、昭和末期~平成10年代前半までの巨人にはなくてはならない大エースでした。

榎本喜八は流石に天才は持ち上げすぎで、セリーグほどの注目を浴びなかったパリーグでは一層際立った奇行ぶりや、「昔は凄かった」な過去を必要以上に美化しているOBの証言、引退後は球界とのコネクトを殆ど絶っていた等もあって、実態以上に神格化されている感も否めずです。打点数が1200試合以上3番を打ったにしては当時としてもやや物足りなかったかなあでした。彼は若松勉もそうだったのだろうけど、本来3番よりは1・2番向けだったのでしょうが、しかしです。一方で高卒1年目から長くレギュラーとして活躍し、生涯打率は全盛期も3割を少し超えた程度でしたが、シーズン150安打以上が1960~62年の最多安打王を含む6回記録し、しかも1955・56・68年もそれに近い安打数を記録、選球眼もよく、シーズン出塁率4割以上も5回あって、特に1966年がベストシーズンでした。首位打者、最多安打、塁打王、出塁率王、長打率王、OPS王と6部門のリーダーとなり、OPSは1を超えていました。それに最近注目されている野球指標ですが、RCWINでも概算値である1954年以前からプレーしていた川上哲治と山内一弘を含めてもトップ10に君臨しています。チームがロッテに変わって優勝した1970年時点で引退していれば生涯打率3割をキープできたのですが、彼は他の選手達と全く異次元で野球を見ていた様なので、そんなの気に留めてなかったに違いありません。天才は持ち上げすぎながらも一流の名選手だった事には違いなく、生きている内に殿堂入りしていれば・・・・・でもあります。

その他特別表彰した2名、特に山中正武はアマに尽くし続けた野球人生だった様ですが、彼らも正しく殿堂入りにふさわしい功績を残しました。工藤氏、斎藤氏、榎本氏、松本氏、山中氏各位皆さん野球殿堂入りおめでとうございますです。

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