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2016/01/01

川上哲治と藤村富美男はどちらが上?

まず2016年新年あけましておめでとうございます。あの従軍慰安婦問題の協議及び決着点等何だか2015年は悪い幕切れとなってしまい、これでは戦後レジームからの脱却など夢のまた夢であろうですが、何はともあれ、今年もよろしくお願いします。(基本的にこのブログでは実在人物は敬称付けますが、今回は敬称略とさせていただきます)

さて、今年初めてのエントリーですが、あるきっかけでふと気になった点が浮かびましたそれは、打撃の神様・川上哲治はホントにそうした愛称に相応しい成績を残したと言えたのか?藤村富美男や大下弘と比べてどうなのか?折角の年末年始休みなので、ちょっと検証してみました。 まず留意しなくてはいけないのは、この2人ともボールの質が悪く、なかなか本塁打が出なかった戦前戦中からの選手だったという事です。

                                                                                                                                                         
打数 安打 打率 備考
1936秋 6509 1407 0.216
1937春 14977 3491 0.226
1937秋 13101 3057 0.233
1938春 9207 2108 0.229
1938秋 11932 2616 0.219
1939 28807 6333 0.22 、96試合制
1940 30428 6262 0.206 、104試合制
1941 22438 4502 0.201 、84~87試合制
1942 27731 5454 0.197、 105試合制
1943 21767 4264 0.196 、84試合制
1944 6978 1571 0.225、 35試合制
戦前・戦中 193875 41065 0.212



1936年春シーズン
はちょっとわからなかったのですが、現在と比べてかなり低い事が分かります。本塁打率だけで見れば、藤村の圧勝です。彼が25.2に対し、川上が41.4です。またある人が考案した打撃指標によれば、川上は藤村の3割弱程度の能力値しかなく、大下と比べても、半分にも満たないようですが・・・・・・・・

「たら、れば」の話にもなってしまいますが、まず注目したいのが戦前戦中期の成績です。打点率は川上0.158にたいし、藤村(1936年春は除く。以降戦前戦中期の彼の成績については同じ)は0.166と大きな違いはありません。しかし、同じまた兵役による複数年にわたる欠場時期があっても、川上は1943・44年と合わせて最大119試合欠場しましたが、藤村は1939~43年途中までと少なくとも389試合(1939~42年ののタイガース・阪神消化試合数)も欠場しています。3倍強以上も違います。

                                                             
藤村戦前中 847 236 0.279  1936秋~38、43、44 本塁打率282.3、打点率0.158
期間内 84471 18514 0.219
川上戦前中 1516 458 0.302  1938~42 本塁打率65.9、打点率0.166
期間内 130543 27275 0.209

これは2人の戦前戦中期の打数、安打数、打率、プレイシーズン、本塁打率、打点率及びプレイシーズン中のリーグ述べ打数、同述べ安打数、同述べ打率をそれぞれ示したデータです。前のデータからも分かる通り特に1940~43年シーズンが超投高打低のシーズンでしたが、藤村の欠場はほぼその時期と重なっています。打数も川上と藤村では倍近く違いますが、藤村はリーグ平均より0.060高いのが、川上は0.093も高いです。川上の方が打数や打率とかだけでなく、打率突出度も上です。タイトルは首位打者・打点王各2回、本塁打王1回で、本塁打もこの時代としては打っていた方です。

もし、日本がこのアメリカとの馬鹿げた戦争しなければ2人の成績にどう影響したか?1943・44年シーズンも80~100試合ほど開催されていたでしょうが、川上よりも藤村の方が実際よりも大きく変動していたでしょう。安打数はそれなりにもっと稼げたでしょう。川上よりも先に2000本安打を達成できていたかもしれません。しかし、打率は生涯3割を切り、打点率や本塁打率も下がってしまっていたかもしれません。

                                                                                                                                               
1946~58年の主な打者の打点・本塁打率
打数 打点 打点率 本塁打 本塁打率
川上 5984 1058 0.177 158 37.9
藤村 4764 987 0.207 221 21.6
青田 5978 957 0.160 261 22.9
大下 5246 834 0.159 198 26.5
西沢 5005 900 0.180 211 23.7
杉山 4424 667 0.151 203 21.8
小鶴 5457 873 0.160 205 26.6
藤井 4356 636 0.146 142 30.7
飯田 5420 830 0.153 162 33.5
別当 3191 549 0.172 155 20.6
                                                                                                                                                                           
1946~58年の主な打者のOPS
安打 四死球 出塁率 塁打 長打率 OPS
川上 1893 661 0.383 2830 0.473 0.856
藤村 1447 569 0.377 2488 0.522 0.899
青田 1673 410 0.326 2789 0.467 0.793
大下 1590 551 0.368 2599 0.495 0.863
西沢 1619 489 0.324 2562 0.512 0.838
杉山 1117 373 0.310 2012 0.455 0.765
小鶴 1572 693 0.367 2593 0.475 0.842
藤井 1198 346 0.328 1907 0.438 0.766
飯田 1589 625 0.365 2650 0.489 0.854
別当 965 322 0.366 1676 0.525 0.891

そして戦後の、同時期に活躍した他の強打者達も加えた成績の比較です。これを見ると、確かに川上は戦後も本塁打率が飛躍的に上がったわけではありません。他の面々と比べても、この時代の基準でもやや物足りなかった事も否めなかったでしょう。別当(薫)は打数が他の面々よりも少なく、あまり比較の対象にはならないかなあですが、本塁打率&打点率ではやはり藤村が抜きんでています。本塁打数では「じゃじゃ馬」青田(昇)です。

しかし、川上も打点率では藤村にはやや差を開けられながらも、西沢(道夫)とは大差なく、打点数は1位ですが、打点率もかなり高い方です。そしてOPSでも藤村は頭一つ抜けていて、川上も大下(弘)、飯田(徳治)、小鶴(誠)らと並び、第2トップグループです。と言うかまた、中日は西沢の他にも杉山(悟)がいたのですが、日本一は1954年の一度限り(とは言え、この年も巨人も勝率6割台だったし、中日が一矢報いらなければリーグ9連覇となっていた)ながらも1950年代全シーズンAクラスだったのも伺えますね。(他には、プロ入りが32歳とチョー遅咲きながらも最後2年間の大洋時代も含め、868試合出場した児玉利一とかもいました)

確かに短期間のラビットボールブームを過ぎた後本塁打数は再び減りました。本来クリーンアップタイプではない千葉(茂、1952年)や広岡(達朗、1954年)よりも少なかったシーズンもありました。

しかし、打率は言うに及ばずで、引退前年の1957年も3割切りながらも5位。打点数も晩年も1954年は杉山に4点差、55年は打点王、56年も宮本(敏雄)に2点差、その他1955年からは3年連続最多敬遠でした。1発とかはあまりないから怖くないや、大した事ないやだったらこの様な記録も残すはずありません。その内5シーズン特に、ボール飛ばない、試合数多くない打者不利な戦前戦中シーズンプレイしながらも、晩年まで第2期黄金期を迎えていた巨人の中でも不動の4番打者(最晩年は6番を打つ事が多くなっていたらしいが)として、守備は上手いとは言えませんでしたが、打撃ではほぼ一流の成績を残し続けました。また走塁面でも足は速くなかったながらも、200盗塁以上であり、しかもその大半は2リーグ制移行後でした。過大評価だとかは思えません。ミスタータイガースでもある藤村共々妥当な評価を受けているでしょう。

OPS以外にも色々な指標がある様で、また時間ある時にそっちの方でも検証してみたいとも思いますが、結論を言えば、「爆発力は藤村、長期安定性なら川上で容易には甲乙つけがたい」です。ただし、藤村が川上と同級生でもっと遅く生まれていたら、彼ももっと凄い成績を残せていたかもしれません。40代までプレイして生涯打率3割を維持したのも、彼の引退以降王・張本の引退までしばらく出てこなかったのですから。(ただし、阪神によくあるお家騒動となってしまったけど、一時期監督として指揮を執っていた)どちらもタイプは違えど、その時代を代表する偉大な名選手です。

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