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2015/03/21

1993年の人民解放軍中将昇進人事と徐才厚の死

\] http://news.searchina.net/id/1565544?page=1

中国軍制服組ナンバー2だった徐才厚容疑者が病死・・・巨額の収賄で逮捕、ネットでは「罵りの声」が次々に

 

 新華社は16日付で、巨額の収賄などの疑いがかけられていた中国・中央軍事委員会の徐才厚前副主席が末期膀胱癌に伴う多臓器不全で死亡したと報じた。起訴のための手続きが進められていた。原告側の軍事検察院は、中華人民共和国刑事訴訟用第15条にもとづくとして、不起訴を決定した。徐容疑者は2007年から12年にかけて、中国軍における「制服組ナンバー2」だった。   徐才厚氏は1943年、満州国奉天省(現:中華人民共和国遼寧省)で生まれた。中国人民解放軍の指導部である中央軍事委員会委員に就任したのは1999年。04年には同委副主席になった。07年から12年にかけての中央軍事委員会主席は胡錦濤国家主席が兼任。副主席は習近平、郭伯雄、徐才厚氏の3人だった。  同じ副主席だが名簿の順が事実上の序列で、徐容疑者は軍内では序列4位、軍制服組では2位だった。収賄の疑いで2014年6月ごろには、身柄を拘束されていたとみられる。当局が「容疑が固まった」として、起訴の方針を明らかにしたのは同年10月27日だった。ただし、同年6月ごろにはすでに、癌を患っているとの見方が強まっていた。  なお、中国軍制服組前トップだった郭伯雄氏も3月3日までに、息子の郭正鋼少将と共に当局に拘束され、汚職問題で追及を受けているとの見方がある。息子の郭正鋼少将の取り調べについては当局も「調査中」と発表した。  中国版ツイッターの微博(ウェイボー)では、徐被告の死亡について「1万年も悪臭は残る」、「死んじまったよ」、「死んだのは楽をさせすぎだ」、「ざまをみろ」などと罵る声が多く寄せられた。中国国営・中国新聞社が運営するニュースサイトの中新網では徐容疑者の死を伝える記事がアクセス・ランキングのトップになるなど、中国でも大きな関心を集めた。(編集担当:如月隼人)(写真は徐容疑者の死に関連する記事とコメントが掲載された新浪微博のページのキャプチャー)

(関連エントリー「元中国人民解放軍ナンバー2失脚の余波」)

習近平は上海閥の流れをくむだけに、書記長・国家主席・軍事委員会主席就任後も江沢民の一定の影響力も残るのかと言うと、どうやら全然そうではないようですね。


1993年に中将に昇進した人民解放軍将領一覧

                                                                                                                                                                                                                                                                                               
马驰 60
孔昭文 61
巴忠倓 63
王申 63
王永明 63
王立忠 60
王作义 61
王厚卿 59
王洪福 59
王继英 60
王福义 61
石宝源 56
兰保景 58
齐连运 60
许瑞忱 63
刘中山 64
刘伦贤 50
刘存康 63
杨正刚 59
杨英昌 59
李鼎文 63
邹永钊 58
辛殿枫 60
怀国模 61
宋文中 64
邵荣棠 61
陈超 63
陈潜 59
陈启智 68
陈显华 56
张超 63
张少松 60
张汉平 60
张宗德 62
单大德 61
赵国臣 58
宗顺留 52
郑贤斌 59
赵丛 63
赵立荣 59
侯树栋 59
姜洪泉 61
施志清 60
聂力 63
郭锡章 60
曹和庆 55
黄云桥 63
黄渐鸿 62
阎琢 60
康富泉 60
栗前明 60
谢德财 60
蔡仁山 62
潘兆民 61
糜振玉 62
杨怀庆 54
曹刚川 58
周子玉 58
徐才厚 50
王祖训 57
王茂润 57
李继耐 51
周坤仁 56
方祖岐 58
李新良 57
杜铁环 58
杨国屏 59
邢世忠 55
文国庆 58
廖锡龙 53
姜福堂 52
杨国梁 55

(参考)1993年当時の現役人民解放軍上将(大将)一覧

                                       
刘华清 77
迟浩田 64
赵南起 66
张震 79
张万年 65
于永波 62
傅全有 63
朱敦法 66
张连忠 62
曹双明 64

中には分からない人も何人もいるので、誕生日とかは完全無視の、満年齢で明記していますが、単純計算して1993年に中将に昇進した72人の人民解放軍将領の平均年齢は59.25歳です。中将は63歳が定年らしいですが、高めです。中にはもう定年年齢以上となっているはずの面々も見られますが、階級制度が復活した1988年を別にすれば、他の年は大体中将昇進者は数十人程度ですが、この1993年だけは異様に多いです。文化大革命での失脚から復権していた長老達がなかなか引退せず、ブレジネフ時代のソ連以上の老人支配体制だった中国、漸く1990年代に入り世代交代が進み、この年江沢民は総書記と軍事委員会主席に加え、国家主席も兼ねほぼ権力を確立した。それゆえの大盤振る舞いというやつだったのでしょう。

その中でも今回の主人公である徐才厚はかなり若かった事が分かります。階級制度復活後、中将に昇進した時には大抵もう50代後半になっているのですが、彼は当時まだ50歳になるかならないか。江沢民に近かったのがその早い昇進の大きな理由です。他には刘伦贤の50歳、宗顺留の52歳が目立ちます。いずれも上海・江蘇省とやはり江沢民のゆかりの地の出身者で、彼らは中将・軍区副司令員止まりでしたが、徐は1999年に56歳で上将(大将)に昇進しています。ちなみに、1993年当時の現役上将はまだわずか10人で、現在の3分の1弱程度に過ぎませんでしたが、階級制度が復活してまだ日が浅かった事、他の国の軍隊ならもう定年退役となってもおかしくなかった老将領がまだ現役だった事等が原因として挙げられると思われます。

中国共産党や人民解放軍のポストにはそれ相応の級があり、最上級の共産党または国家軍事委員会の副主席及び委員はその就任時点で既に上将となっているのですが、その次の正大軍区級、これは四総部(総参謀・総政治・総後勤・総装備)の部長・政治委員、七大軍区・海軍・空軍・第二砲兵・武装警察の司令員・政治委員、国防大学・軍事科学院の校長または院長・政治委員等少なくとも30数以上のポストが相当しますが、軍事委員会副主席または委員との兼任でない場合は就任後すぐに上将に昇進できるわけではありません。中将経験4年以上かつ、内七大軍区の司令員または政治委員を2年以上経験するのが上将昇進の基本的な条件とは以前にも話しましたが、3年でも昇進した例も見られる一方、これら軍事委員会副主席または委員を兼任しない正大軍区級のポスト就任者がそうした基本条件を満たしても全員一斉に昇進できるわけでは無いのです。その中でも、上将になれるのは多くて20人いるかいないからしい。

http://route-125.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-373f.html

(関連エントリー「モンゴル国軍の階級と軍服について」)

上記過去エントリーでも述べましたが、ソ連式の「上大・大・中・少将」(中国・朝鮮語では「大・上・中・少将」、旧北時代からのベトナムでは「大・上中・中・少将」で、上級中将・上級中佐等は1950年代末に制定された。)が欧米式の「大・中・少・准将」にはそのまま相てはめる事は出来ない。ソ連式の大・中・少将はNATOの階級符号で言えば欧米式のそれら同様ぞれぞれOF-9~OF-7であり、上級大将(またはそれに相当するソ連式階級)はOF-9または元帥級のOF-10なのではというのが個人的な結論です。それはモンゴル人民軍の存命将軍達が、共産体制放棄後のモンゴル国軍下階級を、旧東側諸国軍(ハンガリーやチェコ等)欧米式に改めても星を一つ増やした階級章の軍服を着る事を許されている事からも伺えるとも言ったのですが、中国人民解放軍も周辺国はロシア・北朝鮮・ベトナムとソ連式4つ星将軍(もっとも、ロシア連邦軍の上級大将は2015年3月初旬時点で現役で8人いるが、2013年以降ソ連時代の1974年以来39年ぶりに大型の1つ星の階級章に戻されている)がいるし、また比較的仲が良いミャンマー国軍も欧米式の元帥に相当する上級大将(ソ連式とはやや性質が異なる)や同式大将級の中でも最先任である上級大将補の階級が民政移管後も存在するのに3つ星将軍の上将(大将)が最高階級では位負けしている印象もあります。

まあ勝手に星の数を一つ増やしてしまった、どこかの国の某幕僚長みたいに気にはしていないでしょうが、軍事委員会副主席及び委員は実際1988~94年まで存在していた一級上将、正大軍区級のポスト及び、副総参謀長・海軍・空軍・第二砲兵・武装警察の副司令員は就任後すぐ上将としても良いような気がします。実際1988年式一級上将は当初は軍事委員会副主席用の階級だった筈で、また長々と階級の話に逸れてしまいましたが、徐才厚も本来なら1992年11月に49歳で中将(総政治部主任助理)、1996年に53歳で上将(済南軍区政治委員)、1999年9月に56歳で一級上将(軍事委員会委員、2004年に副主席)になってもおかしくなかったと思われます。しかしです。

亡くなったのもそうでしたが、膀胱癌が発覚(2013年2月)したのも共産党中央軍事委員会副主席の退任直後で、国家中央軍事委員会(なお、時期が少しずれているだけで構成員はほぼ同じである)副主席の退任直前だったのはタイミング良すぎなのでは?です。まさかケネディ大統領暗殺事件の鉄砲玉だったオズワルドを射殺したジャック・ルビーみたいに癌細胞を注射された(実際の死因は毒殺だったらしいが)とかではなかったのでしょうが、発病時以降の経緯からして何だかきな臭いものも感じられます。亡くなったのも、汚職等結局不起訴となったようですが、実際は2015年3月15日が死亡日ではなく、習近平とその周りの高級幹部達にも関係する汚職等国民に知られては都合が悪い事実とかを隠す為に、何らかの取引で意図的に粛清された可能性もあるのではです。実際文化大革命時だって、時には毛沢東に諌言する事も辞さなかった彭徳懐や後任の国家主席となった劉少奇、そして賀竜等は全く治療等されず虐待死させられた(彭徳懐や劉少奇も悲惨な最期だったらしいが、賀竜も糖尿病だったのにブドウ糖を注射され、死亡時は腹が鉄のように硬くなっていたという)ようなものだったし、最後まで毛沢東への忠誠を崩さなかったはずの周恩来だって早く手術すれば治っていたであろう膀胱癌の手術すらなかなか許されずでした。元々政治家は健康な事も信頼されるのに重要なポイントながらも、これではオチオチ病気にもなっていられない。反プーチン勢力の有力者が暗殺されたロシアもそうなのでしょうが、中国も中華思想の下、中華皇帝が絶対的な権力を振るい、たとえ功臣でも邪魔者と見做されれば粛清されるのは大昔から全く変わっていないという事ですね。引用した記事にも、そうした国の内情の「ヤバさ」の裏返しとも言える、習近平中華共産帝国第5代皇帝の恐怖政治はだ。自分達とも無関係だとは決して言えないのに、徐才厚の死を喜び、罵倒しているコメントも珍しくない様である。それは死んだばかりの人にはよほどの悪人ではない限り鞭打つ事はその美徳に反するとする日本人との死生観の違いも勿論あるのでしょうが、減速する経済、周辺諸国との軋轢、環境問題等色々ヤバい、なのにかってのソ連みたいに国防費も年々増やし、軍事大国化にますます血道をあげている。そんな余裕があるのなら、もっと国民を幸福にできる政策をいくつも実行できるのにです。まあ日本人もあまり笑える立場ではないとも思えますが、これで中国は本当に大丈夫なのだろうか?その行きつく先は、やはり過去の歴史の繰り返しみたいになってしまうのだろうか?であります。

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