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2014/11/16

通字に信をつける事を止めた織田丹波柏原藩系当主の「信念」

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141116-00000001-sasahi-peo

織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず〈週刊朝日〉

dot. 11月16日(日)7時12分配信

 日本一有名な武将・織田信長。代々子孫の名前には“信”の文字が使われてきたが、次世代の当主でその伝統が途切れるという。いったいなぜ「信」を使わなかったのか。その理由を織田家第18代当主・織田信孝(のぶたか)氏が明かす。

*  *  *
 1986年に父が亡くなり、織田家の当主になりました。当主としてお参りするのは、信長がまつられている京都市北区・船岡山の建勲(けんくん)神社です。毎年10月19日の大祭に参列しています。ここは明治天皇が「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」と考えて建てたそうです。

 信長のお墓は本能寺など全国各地に10カ所以上ありますが、その一つが船岡山を下ったところにある大徳寺総見院(京都市北区)です。本能寺の変の後で秀吉が信長の葬儀をしたお寺ですが、普段は入れない。それが10月のその時期はちょうど公開しているので、建勲神社の大祭とあわせてお参りしています。

 柏原(かいばら)藩に移った6代・信休(のぶやす)から14代・信民(のぶたみ)までの藩主とその夫人のお墓は、兵庫県丹波市の柏原町にあります。織田家は、明治維新のときに東京へ移り住み、今は柏原に屋敷はありません。ただ、お墓がある廟所(びょうしょ)は織田家の所有になっていて、ときどきお参りしています。廟所はテニスコートくらいの広さがありますが、これが最近の悩みの種。

 というのも、廟所を囲む土塀の傷みがひどくなったから。取り壊すだけでも数百万円かかる。歴史のある家ならではの悩みでしょう。

 僕が結婚したのは、父が亡くなって9年後でした。披露宴は東京でしたが、結婚式を挙げたのは、福井県の織田(おた)町(現在は越前町織田)というところです。もともと織田氏はこの地から出たと言われています。織田町には剣(つるぎ)神社という大きな神社がありますが、織田氏は代々ここの神官をしていたらしい。やがて、越前の守護・斯波(しば)氏に見いだされ、家臣として尾張に送り込まれたそうです。剣神社は、信長が氏神としていた神社でもあります。

 自分の家のルーツを知りたい気持ちもあって、妻と2人だけで行って、剣神社で結婚式を挙げました。

 僕ら夫婦には、男の子が2人います。でも、名前には2人とも「信」の字を入れていません。信長よりも前の世代から、うちでは代々、男の子に信がついています。僕は400年以上の伝統を破ったことになる(笑)。

 子どもの名前を決めるときに面白かったのは、家族からはほとんど反対されなかったのに、友人や知人のなかには「なんでそんなことするの」と反対する人が多かったこと。でも母に、「父が生きていたら反対したかな」ときいてみたら、「あの人は絶対にそんなことに反対しない」と言いましたね。父は外資系企業の重役だった人で、考え方は非常に合理的でしたから。

 名字が織田で、名前に信がついていれば、信長の血筋だということは察しがついてしまうでしょう。僕は子どものころから、それがたまらなく嫌でした。

 初対面の人が僕の出自を知ると、「すごいですね」とよく言います。ぜんぜんすごくないですよ。すごいのは信長で、僕が天下統一のお手伝いをしたわけじゃない(笑)。自分が、本質ではなく、血筋や出身校などの属性で判断されてしまうのは悲しい。そんなこともあって、自分の子どもは個人として生きやすくしてあげたかったのです。

(構成 本誌・横山 健)

※週刊朝日  2014年11月21日号

そう言えば、「ホントに信長の子孫か?」な声もあるようですが、現役引退された織田信成氏も、負傷しながらも強行出場された羽生結弦選手(こういう事件は今後絶対に美談などにしてはいけない)についての解説とかも記憶に新しい所ですね。実際はこの現・丹波柏原藩系織田家当主の孝一氏(信孝)は曽祖父の信親が養子として入ったのですが、世界帝王事典で系譜を調べると意外な人に何人もたどり着きました。

明智光秀-細川ガラシャ-細川忠利-松平忠弘正室-松平清照・・・・井伊直朗-毛利高ナカ(変換できず)正室-細川満姫-細川敏-織田信親・・・・織田孝一(信孝)


そうです。信長協奏曲ではタイムスリップした主人公のサブロー(アニメ版での声優、宮野真守氏はこれで信長・曹操という日中両国の英雄を演じられる事となった)と入れ替わったモノホン信長が彼になったという設定でしたが、何度も女系を介していますが、あの謀反人(との一般的な印象がある)、明智光秀の正真正銘の子孫なのです。他にも以下の主な系譜が分かりました。

②戸田康光・・・・松平忠喬正室-松平忠名-土井利厚-細川福姫-細川行カ(変換できず)-細川敏(以降①と同じ)
③細川藤孝(幽斎)-細川興元・・・細川興栄-板倉重同正室-板倉勝清-土井利厚正室-細川福姫(以降②と同じ)
④京極高次・・・・京極高文-毛利高誠継室-毛利高ナカ-細川満姫(以降①と同じ)
⑤細川藤孝-細川忠興・・・・細川立之-細川行カ(以降②と同じ)
⑥鳥居元忠・・・・鳥居忠瞭-毛利高丘正室・・・・毛利高誠-毛利高ナカ-細川満姫(以降①と同じ)
⑦継体天皇・・・・桓武天皇-葛原親王-(高見王、非実在説もあるけど、私は実在していたと思います)-平高望-平良文-平忠光-平忠通(但し、忠光との親子関係には異説もある)・・・・三浦義村・・・・三浦正次-鳥居忠春正室-鳥居忠則-鳥居忠瞭(以降⑥と同じ)
⑧宗義智・・・・宗義真-毛利高慶正室-毛利高通・・・・毛利高ナカ-細川満姫(以降①と同じ)
⑨佐久間安政-久留島通春正室-久留島通清-毛利高慶-毛利高通(以降⑧と同じ)
⑩大江広元・・・・毛利元就-毛利隆元-毛利輝元-毛利秀就・・・・毛利広豊-毛利遊-平野長興-山崎治正-織田信親(以降①と同じ)
⑪加藤嘉明-加藤明成-青山幸利-青山幸実-内田正和正室-内田正偏-平野長里・・・・平野長興(以降⑩と同じ)

まあ公家や大名の家は別にこの孝一氏に限った事ではないし、他にももっと辿ればまだいくつもあるかもしれませんが、いやー結構色んな武将などの血を引いているんですね。全体的に関ヶ原や賤ヶ岳合戦にも参加した、織田家と因縁あった人達の名前が見られますが、②の康光は後の家康である竹千代を織田家に売った人で、⑨の佐久間安政は、兄貴の盛政の方が有名でしょうが、賤ヶ岳合戦後も近世大名として生き残り、常陸国小田(現・茨城県つくば市小田)5000石の領土ももらって、③の興元(谷田部藩初代藩主)共々茨城県にもゆかりのある人です。⑪の加藤嘉明はその盛政・安政兄弟と敵対した、賤ヶ岳の七本槍の1人です。④の高次は正室は信長の姪で浅井長政・市の次女だったでしたが、残念ながら彼女との間には子が出来ませんでした。⑦は少なくともこのラインだと、平忠通まで遡れるのですが、途中で鎌倉前期の悪役の一人(?和田合戦と実朝暗殺)でもある三浦義村の名前も出てきて、娘も元就から数えて11代の先祖である毛利季光に嫁いでいます。しかし、他にも織田家は出羽天童藩系の方は女系を介しながらも現当主の信昭氏は今年で91歳の高齢ながらも信長の血を引いていて、信弘氏という跡取りもいるようですが、この丹波柏原藩系は信長とは血筋的に全く関係ないのでしょうか・・・・・・・・今後時間あらばまた調べてみたいなあと思います。

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