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2014年1月

2014/01/28

アグリフーズ農薬混入事件の背景にあるもの

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140127/dms1401271131001-n1.htm

アクリフーズ事件容疑者の素性 年収200万円 改造バイクに約100万円

2014.01.27

 アクリフーズ群馬工場の冷凍食品農薬混入事件で、偽計業務妨害容疑で逮捕された工場契約社員、阿部利樹容疑者(49)の奇妙な生活が次々と明らかになっている。人見知りで激情型の一方、明るく子煩悩というとらえづらい性格。年収約200万円の給与の不満が動機として注目されているが、趣味の改造バイクやコスプレには資金をつぎ込む無計画ぶりだった。

 工場関係者によると、阿部容疑者は行方不明となる今月14日まで通常通り工場に出勤し、回収製品の検査作業をしていた。休憩時間に同僚と雑談し、冷凍食品への農薬混入について「いくらでもできるよな」などと発言。しきりに携帯電話でニュースを確認する姿も目撃されている。

 本人は容疑を否認しているものの、動機の1つとしてクローズアップされているのが給与の水準だ。阿部容疑者の年収は推定200万円でそのうち賞与は年約20万円。関係者によると、最近の契約社員の募集内容は、月収約14万円で手取りは12万円程度だったことから、勤続8年にしては、それほど上がっていないことになる。

 面識のある従業員は昨年夏、「あべちゃん」と呼ばれていた阿部容疑者がボーナスの低さに「やってられない」と不満を口にしていたのを聞いている。契約社員の昇級モデルなどは最近変更され、手当もカット。阿部容疑者はベテランの部類だが、能力主義のため、勤務年数が短い同僚の半分以下だったという。

 だが、その半面、趣味の改造バイクには「費用だけで100万円くらいかかっていた」(別の関係者)といい、愛車のスクーターは新車価格で約70万円。人気漫画「ワンピース」のキャラクターなどのコスプレにも凝っていた。そのコスプレ姿でスーパーで買い物することもあったことから「地元では有名人だった」(地元民)。

 昨年12月にはバイク愛好者向けの雑誌が企画した埼玉県川越市の撮影会に参加し、自慢のコスプレを披露。趣味は「大くわがた」と回答していた。実際、自宅(群馬)で、カブトムシやクワガタを育てて縁日などで売っていたとの証言もある。

 笑顔が少なく目線を合わせず、人見知りのようでいて、勤務中は話し好きで、やさしく子煩悩との評も。ただ、気にくわないと「ふざけんなよ」とロッカーを蹴る一面もあった“難しい”性格の阿部容疑者。給与の低さを根に持ち犯行に及んでいたとしたら、信じて購入し、被害に遭った消費者はたまったものではない。

いよいよ逮捕されましたね。アグリフーズ農薬混入事件の犯人。私の周囲でも当然ちょっとした話題になっていますが、県内某市の某スーパーでも、別の工場製造品ですが、この会社の冷凍食品が売られているのを見た人がいました。

アグリフーズ群馬工場等が立地している工業団地は、何度か車で通った(群馬地方は、栃木・埼玉県境とまたがる渡良瀬遊水池や館林の茂林寺とかにも行った事がある。もう丁度5年も前の事ですが)事がありますが、その時あの犯人もおそらく働いていたのだなあと思うと・・・・・・・・・・

確かにこの犯人、前の職場でも業務妨害みたいな事やって解雇されたのだから元々人間性は良くなかったのだろうし、やった事は決してごめんなさいで済む事ではありません。出来なくても最低限マルハニチログループは、一生働いても返しきれないほどの損害賠償を請求すべきですが、彼がこのような犯行に及んだ背景も見えてきたみたいです。

その置かれていた待遇も、年齢は50近く私より全然年配なのに手取りが12万で、ボーナスは貰えたらしいですが、住宅等各種手当も特になしのまま8年間も勤務とはちょっと異常でしょう。とても年収の半分もバイクに費やす余裕なんてなかったじゃんでしたが、それはあくまでそういうのに興味ない人間からの表面的な見方に過ぎないのかもしれません。

景気は回復基調にあると言われていて、アベノミクスだか何だか知らないけど、その一方遅くとも小泉政権時代からこうした非正規労働者に支えられている所も大きいのは変わらずなんですね。(私は民主党には否定的だが、派遣を規制しようとしていたのは評価できる数少ない点だった)その恩恵を最も受けているはずの大企業でも、トヨタなんか去年秋頃から茨城県内でも水戸または土浦で期間従業員の採用活動をしていますが、先日のNHK19時のニュースでも賃金ベースアップが可能なのか?を大企業と中小企業の事例を通して報道していました。後者の方は、名古屋市にあるメーカーで、社長自ら、若い兄ちゃん姉ちゃんたったの2人組相手に採用説明会で自ら説明していたのが印象的で、前者の方は偉ぶったりとかせず素朴そうで真面目にインタビューにも応えていて好印象が持てましたが、人材確保の為にベースアップせざるを無い企業もある事を改めて知りました。

そう言えば例の喜多嶋舞氏長男の実父騒動も、過去ログでも述べましたが、彼女って元を辿れば大沢基宿(※1)なのが、長男は同じ大沢さん(樹生氏)の息子でなかったのは皮肉でした。しかし、この犯人も現首相とおなじ「あべさん」(阿部利樹容疑者)なのもまた皮肉と言うか、景気が回復基調となっていき、東京オリンピック開催も決定した直後の事件だっただけに一層アベノミクスに対する警鐘にも思えてきます。

日本経済新聞
での記事を見たら、「消費増税直後は幾分かは景気は落ち込むも直ぐ持ち直し、景気を取り戻す。」というような日銀総裁の弁も目にしましたが、そのアベノミクスが成功するのか?それとも失敗するのか?遅くとも来年中には答えは出るでしょう。だからここでは消費増税とかについてあまりあーだこーだ言うつもりはありませんが、この容疑者が起こした事件をまた繰り返さない為にも、ドンドン増える一方である非正規雇用をいい加減これを教訓にして何とかしなければいけないと改めて思います。賃上げよりもよっぽど優先すべき事項です。

まあ安倍政権には難しい宿題でしょうが、ちょっとめでたい出来事が続くと慢心して物事の悪い面を見ないようになってしまうのは近代以降の日本人の悪い所です。軍部の驕り、一般大衆の暴動(日比谷焼き討ち事件)等を誘発した日露戦争の勝利だってそうだし、アメリカをもしのぐ経済大国になると信じる人も少なくなかったであろうバブル景気時だってそうでした。しかし、今の日本も日本人もそんな慢心なんかしていられる場合じゃないのです。このアグリフーズ農薬混入事件は、そうした「悪癖」ともおさらばするためにも今後の日本人が絶対忘れてはいけない事件でもあるとも私は強く思うのです。

※1・・・・以下の系譜ですが、基宿より前は100%信憑性があるとは限りません。

中臣鎌足・・・・藤原道長-藤原頼宗・・・・持明院基家・・・・大沢基宿-持明院基定-高野保春-四辻実長-裏松謙光-堀河親実-堀川康親-岩倉具視・・・・喜多嶋修-喜多嶋舞-長男

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2014/01/26

千葉ロッテが2014年新ビジターユニを発表

http://www.marines.co.jp/news/detail/12721.html

新ビジターユニフォーム発表のお知らせ

1月26日(日)、新ビジターユニフォームの発表記者会見を行いました。

新ビジターユニフォームのコンセプト

チームのオリジナリティを強調するべく大胆且つシャープな肩切替デザインを採用。チームがもつ、シャープさ、スピード感、力強さを表したデザインとなっています。また、袖部分にはチームカラーである『レッド』のラインを配置し、闘志あふれる勝利への執念と、敵地でもファンの熱い気持ちと一緒に戦い抜いていくという願いが込められています。

ホームは変わらず毎日時代を意識したピンストライプのままのようですが、ビジターの方が一新されたようですね。ズボンがグレーなのは良いけど、シャツも、通常版は同じグレーで、ブラックはメジャー風に言えばオルタネート版として配色した方が良かったのではと思います。中日の方はビジター用の発表はいつになるんですかね。2003年みたいにグレー地にラケットラインつけたデザインで良いんじゃないかなあと思うけど。

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NHK新会長の慰安婦発言が問題視されるのも「この国のかたち」なのか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140126-00000001-mai-soci

<NHK>解説 内部から疑問の声…新会長の慰安婦発言

毎日新聞 1月26日(日)1時4分配信   

就任会見をするNHKの籾井勝人会長=東京都渋谷区で2014年1月25日午後2時7分、竹内幹撮影

 NHK会長としての一歩を踏み出す晴れ舞台となるはずだった就任会見で、籾井勝人(もみい・かつと)氏は窮地に立たされた。自らの不用意な発言が進退問題にも発展しかねない状況だ。

【人物の詳細】座右の銘は「蓋棺事定」…籾井会長の経歴など

 従軍慰安婦問題について記者から質問され、籾井氏は「コメントは控えていいですか」と言いながら「戦時中はどこの国にもあった」と口を滑らせ、韓国の姿勢などについて持論をまくしたてた。

 籾井氏は昨年12月にNHK経営委員会から会長に選出されたばかり。経営委員側からは「外交問題に発展しかねない。選んだ側の責任も問われる。国際放送の役割についても事前に十分説明したのに、正しく理解していない」と失望の声がもれた。発言の真意をただし、今後の対応を検討するため、浜田健一郎委員長は週明けにも籾井氏と面会する予定だ。28日には経営委もあり、各委員から直接追及されるのは必至だ。さらに来年度予算の国会審議も間近に控え、議員の質問攻めにあって同じ過ちを繰り返すことも懸念される。

 NHK内部からは会長の資質を疑問視する声が出始めている。公共放送トップとしての自覚と説明責任が問われている。【土屋渓、有田浩子】

ミラーマンもご自分のブログで批判されているようですが、NHK経営委員会に安倍総理の関係者達で固められている事は確かに問題です。でもこの国のマスコミって、引用した毎日新聞の記事も偏向報道ですが、何処の国のマスコミだか分からないと言うか、好き勝手やらせると中韓寄りの反日報道とかに血道をあげるのだから。例えば大河ドラマも見たって、平清盛なんか在日にプロデューサーなんかやらせたから、やはり他の近年の大河モドキとは別の性質で酷い代物になってしまったのです。どっちも決して望ましい選択肢じゃないけど、日本の国益を考えると、NHK会長人事とか安倍政権の意向を受けた人事である方が相対的にマシだという事なのでしょう。まあ国益といっても、昨年12月末の靖国参拝とかは果たしてその為になったのか?は疑問ですが・・・・・・・・・(※過去ログでも繰り返し述べた通り靖国参拝自体は決して間違ったことではないです。しかし、2005年末にも日露戦争を必要以上に誇り高る百年展が開催されたらしいですが、つくづく虚しさしか感じられません。これでは中国や韓国は勿論の事、欧米の人達にも「不戦への誓いのつもりとして参拝した。」と言っても、なかなか理解してもらえないでしょう。言っときますが、私は明治維新も決して否定しているわけではありません。近代日本史における偉業だったとは思います。ただそうした偉業を過大評価して驕ってしまい、日本ならではの方向性とかを見失ってしまったのが、どちらも「百害あって一利なし」な自慰・自虐両史観等現在に至るまで悪影響を残しているのも決して無視できないのです。)

だから、手放しで褒め称えるつもりもないけど、この新会長の慰安婦発言は至極真っ当な発言だったでしょう。別に問題発言でもなんでもないです。マスコミも政治家も最初から信用はしていませんが、まあNHK内部からの追求にも負けないで、出すべき悪い膿を出していただきたいものでしょう。NHKがどう変わっていくか、お手並み拝見ですね。

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2014/01/19

続・これからのアルゼンチン軍も4ツ星将軍がいなくなるのか

http://route-125.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/4-53b3.html(関連過去エントリー「これからのアルゼンチン軍も4ツ星将軍がいなくなるのか」)

http://www.ejercito.mil.ar/site/ejercito/autoridades.asp(アルゼンチン陸軍将官総覧のページ)

http://www.armada.mil.ar/conduccion.asp(アルゼンチン海軍将官・代将・一部大佐総覧のページ)

http://www.fuerzaaerea.mil.ar/mision/autoridades.html(アルゼンチン空軍将官総覧のページ)

関連過去エントリーから約半年経って、情報が更新されましたが、陸軍・空軍各参謀総長のみ就任中に大将に昇進したみたいです。海軍参謀総長は少将→中将に昇進したようで、就任直後は階級を昇進させないで、しばらくした後に昇進させるのは中国人民解放軍等共産圏の軍隊みたいです。(人民解放軍は基本的に上将昇進には中将を4年以上、その内軍区司令員または軍区政治委員を2年以上経験するのがその条件。ただ近年は3年で昇進した人もいたみたいです。)そして海軍参謀総長と合同参謀総長は3ツ星中将のようですが、特に海軍は世界的にそんな規模が小さいわけでもないのに星が1ツ少ないなんて、軽視でもされているのですかね。(※陸軍のTeniente general、General de division、General de brigadaはスペイン陸軍の場合は中将・少将・准将と訳するが、ニカラグア軍等一部を除く中南米各国陸軍の場合は後の2つは中将・少将に相当すると思われるので注意。最初のTeniente generalも4ツ星なので大将と訳した。なお、チリ陸軍ではGeneral de ejercitoが相当するが、この階級も元はTeniente generalであり、ピノチェト政権から民政移管後の1990年代後半頃に置き換えられたようです。)

将官の人数は大将は陸・空各1の計2人、中将は陸5・海4・空2の計11人、少将は陸49・海22・空28の計99人で、全軍3階級では112人です。1000人当たりの将官人数は陸1.25・海1.16・空2.12と意外と多いです。特に空軍の比率が高いのも分かりますが、中将と少将の壁が厚く、少将まで出世できた人も相当でしょうが、中将になるともうひと握り中のひと握りな感じです。中将ポストはもう少しあってもいいような気がしますが、陸軍では旅団長も基本少将と師団長と指定階級が同じになっています。なお、アルゼンチン陸軍の師団は、wikipedia日本語版「アルゼンチン陸軍」のページではまだ更新されていないようですが、元々軍団だったのが降格されたのです。しかし、その当時も少将の軍団長も珍しくはなかったみたいです。

http://kiyotani.at.webry.info/201312/article_15.html

しかし、話は逸れますが、中南米各国軍で一番の階級インフレはやはりブラジル軍でしょうね。我が国の陸上自衛隊同様師団長=中将、旅団長=少将です。一応将官の最高現役年数は12年との制限(達していなくても、各軍総司令官や統合参謀長等以外は66歳で定年となる)はあるようで、最近わかったけど、陸軍が大20近く中40前後少100前後で海軍が大10少し中30半ば少50前後もいるようです。空軍も少将はまだ調べ中だけど、大将が10前後、中将が25前後程度はいますね。特に陸軍については、旅団長は大佐上がりの少将でも良いけど、師団長と12全ての軍管区の司令官は先任の少将、(プラナルト軍以外の)軍司令官は中将、そして各総局も局長は中将、副局長や各部長は全員少将に格下げします。その代わり、有能な人はもっと早く昇進出来るようにして、定年年齢も引き下げます。こうすれば将官を中心にコストが減り、その分少しでも、老朽化していて中には使い物にすらならない装備の改善にもお金を割けるようになります。しかし、そんな事は軍部はまず承知しないでしょうね。陸上自衛隊も、自民党が与党に返り咲いて、改めて陸上総隊の話が進んだと思ったら、当初は確か東部方面隊を廃止して事実上陸上総隊に格上げさせるつもりが、方面隊は5個体制のままその上位組織として創設するらしいし。ますます将官ポスト増えますよね。めでたいと言えるのかどうかつくづく疑問だが・・・・・・・

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元大統領以前に国そのものが・・・・・・と評すのは偏見か

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140119-00000054-san-n_ame

盧武鉉氏を酷評「クレージー」 ゲーツ氏の回顧録、韓国で波紋

産経新聞 1月19日(日)7時55分配信   

 【ワシントン=小雲規生、ソウル=加藤達也】ゲーツ米元国防長官が14日に発売した回顧録「デューティー(任務)」で、韓国の盧武鉉(ノムヒョン)元大統領を「反米的で、おそらく、ちょっと頭がおかしい」と断じ、韓国で波紋が広がっている。

 ゲーツ氏は2007年11月に会談した際、現職の大統領だった盧氏が「アジアにおける安全保障の最大の脅威は米国と日本だ」と述べたことを暴露し、盧氏を酷評した。

 ゲーツ氏の批判に左派系のハンギョレ新聞は「大統領への露骨な非難は非常に異例で、度を越えた」と指摘。保守系紙の朝鮮日報の論説委員もコラムで「同盟国の大統領をひどい言葉で非難するのは苦々しい」と反発し、同紙の一般記事も発言が「今後、波紋を呼びそうだ」と問題視した。

 ただ、韓国では親北朝鮮の左派政権を率いた盧氏への否定的な評価も保守派を中心に根強くある。

 朝鮮日報はゲーツ氏が回顧録で、李明博(イ・ミョンバク)前大統領を「意志が強く、現実的で極めて親米的」と評価した点も強調。盧氏を批判した原文の「crazy」を英語の専門家が「精神障害」よりは弱いが「変だ」の意味より強いと解説するなど、ゲーツ氏の真意の見極めに重点を置いている。

 ハンギョレ新聞もゲーツ氏が回顧録でオバマ大統領を痛烈に批判したことも合わせて取り上げるなど、感情的な批判に終始する“突出姿勢”はみられない。

 一方、ゲーツ氏は回顧録で、10年に発生した北朝鮮による延坪(ヨンピョン)島砲撃の舞台裏にも言及。韓国は当初、航空機と砲撃での報復を検討したが、米国側は「不釣り合いに攻撃的」と判断し、オバマ大統領やクリントン前国務長官と連携して韓国側と協議を重ね、北朝鮮の砲台への攻撃に落ち着いたことを明らかにした。

まあ「本当の事を言っていただけ。」と言うか、国そのものがちょっとアレですが・・・・・・・・・この国は。故・盧武鉉氏って、wikiを見ると、日本だけでなく、アメリカに対しても自分の都合次第で態度をコロコロ変えていたようだけど、確かにやりづらかったでしょう。そしてこのwikiではまた、大統領在任時の発言もご丁寧に一々網羅されているけど、多くは失笑ものな発言です。でもネタにはなると言うか、かかわり合いになるのは御免なのは変わらないながらも遠くから笑いの種にはできる分彼はその他多くの韓国人よりはマシだったかもしれません。(まあブッシュ保安官も彼以上の数々の爆笑発言を残してくれたが。)これが今のあの悪口外交とかに血道をあげているあのオバハンなんてこの盧氏以下だもんなあ・・・・・・・自分の支持率が落ちてくるや、親父がどちらかと言えば日本統治とかに肯定的だったのもスルーしてその威光に頼ろうとしていたなんて北とどう違うって言うんだよ。北もロッドマン氏やアントニオ猪木氏を色々利用しようとなりふり構わないようだけど。

そう言えば、韓国といえば、ももいろクローバーちゃん達ですが、「韓国の言い分も聞いてあげようよ。」とか言って、ネットで猛反発を食らっているらしく、彼女らも中には韓国人や創価系もいるようですが、そんな頓珍漢な事言ってたのですかね。確かに言い分を聞いた上で話し合って分かるような相手なら苦労はしないですが、この発言って、「まあ彼女らは無知だからね。」と苦笑しながら聞き流す程度の発言だったでしょう。対談相手と対談させた人が一番悪いというか、何だか言葉狩りみたいな感がしないでもないですね。韓国側の言う極右とまではいかなくても、右傾化現象の現れの一つである事は確かでしょう。多分。

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2014/01/18

百人一首の歌人達(8)-76番法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)と2014年東京都都知事選挙

「わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波」(法性寺入道前関白太政大臣)

このシリーズ第8弾ですが、今回の歌人である法性寺入道前関白太政大臣とは藤原忠通の事です。平安以降の皇統の祖である天智、本来一傍流皇族として一生を終えるはずだった光孝、そして某アニメでは若手男性声優では実力者の一人な梶裕貴氏(今更ながら、年末年始休みの時に見た進撃の巨人とやらも確かに近年の他のアニメとは「違うな。」と思わせるものはあった。)演じた定家との確執も見られたけど、オールマイティだった才人・後鳥羽等天皇を除けば一番の大物でしょう。何故今回そのような大物を取り上げたかと言うと、最近話題のニュースありますよね?そう、自民党だけでなく、半ば日本をもぶっ壊してしまった「あの人」の支援も受けた、あの細川護煕元内閣総理大臣の東京都知事選挙出馬の事です。以前取り上げた徳大時実定もそうですが、細川氏にとってご先祖様でもあるこの忠通の人生も今あらためて振り返る必要も多少なりともあるのではとも思ったからです。

彼の人生は一言で言えば、「思い通りにいかなかった事の連続だったが、最後まで粘り強く悪戦苦闘して何とか勝ち組となった人生」。こうだったかもしれません。

そもそも曾祖父の師実からして実は当初出家する予定だったらしい。幼少時に兄だった通房の早世で他に男子がいなかったから高祖父・頼通の嫡男となったらしいですが、この「師」こそ九条流の祖である師輔を強く意識した命名であり、祖父の「師通」も師輔だけでなく、頼「通」その人をも意識した命名だったのでしょう。信長(勿論あの戦国三英傑の一角とは無関係である)という、師実よりも年上の息子がいた事もあって、内心は自分の子孫に摂関職を継がせたかったであろう教通や、若い頃から反抗的な態度を取っていた能信等弟達も油断ならない面々ばかりだったので、頼通系の正統性を示したかったのでしょう。(表立っては争わなかったらしい、系図通りなら現在非難轟々な喜多嶋舞氏の先祖でもある頼宗や、前述の定家直接の先祖だった長家だって他の平安貴族同様乱暴者な一面もあったと言うし。)

ikiにも書いてあるし、なるべく手短に話すけど、教通系である信長との権力闘争にも勝って、村上源氏と連携(女子を自らの養女として白河天皇に入台)して、堀河天皇の外戚になる事にも成功、上皇となった白河の院政は認めても、お互い協調・連携する体制を作った所で師実は師通にバトンタッチしたようですが、この師通も確かに有能だったのでしょう。

実の外戚で、親父よりも年配だった一上左大臣だった源俊房(頼通って、実は摂関だけでなく左大臣歴も1位ですが、左大臣歴2位はおそらくこの俊房です。)がいたから、普通はやりづらく感じるでしょうが、右大臣は空位で、自身は内大臣のまま(彼らよりも若かった事と、頼通が弟達を統制しきれていなかったのを見ていた故に為光みたいに連携できる相手を余計見出せなかったという事もあったのだろうが)かっての兼家や道隆とは違い、大臣も兼職しながら果敢な政治的判断をしばしば示していたらしい。頼長から苛烈さとホモっ気(苦笑)を幾分か以上スポイルしたのが彼の人となりと評すれば分かり易いかもしれません。

もしこの途中出家して法皇となっていた白河や俊房が比較的早く亡くなって、師通が頼通並みとまではいかなくとも、道長や師実並みに生きていたらです。武士の世の到来自体は遅かれ早かれ避けられなかったでしょうが、道長が頼通に対してそうした様に忠実を厳しく指導して、その上で大臣に据え、自身は外戚政策にも成功して堀河の次の新帝治世においても引き続き外戚として君臨、その新帝の元服加冠の前後短期間のみは太政大臣と兼務するも、基本的に摂関職専任出来るような体制も作る事に成功したでしょう。藤原氏中興の祖としてもっと歴史に名を残し、もう少し藤原氏の時代が続いていたかもしれません。

ところが運命の悪戯か、歴代北家嫡流では最も短命な、37歳の若さで亡くなってしまった。(その次に短命だったのが冬嗣の51歳と他はみんな50歳そこそこ以上まで生きていた。)祖父だけでなく、引退していた曾祖父の師実も後を追うように亡くなり、経験に乏しかった父の忠実はそもそも大臣にすらなっていなかったからしばらく正式な摂関になれないまま表舞台への登場を余儀なくされてしまい、案の定力量不足を露呈してしまった。忠通は生い立ちからしてこうでした。忠実よりも数段状況は悪くなっていたのです。

出世だけは順調でした。摂関だけでなく、太政大臣就任も史上最年少でした。しかし、それは既に高祖父の頼通から例にある事で、既に道長が自分の直系子孫だけに摂関職を継承させるような体制を作り上げた事と、それが崩れそうになった際の、本来摂関家に皇位すら左右されていた筈の天皇家の家父長たる白河による裁定(鳥羽天皇の摂政任命者の問題等)もあった公家の家格固定化によるものです。そしてやっと自身が経験を積んできたと思ったら、忠実は今度は勲子入台工作問題で大切な根回しを欠き、白河の怒りを買って強制隠居を余儀なくされた。まだこの時忠通は24歳でしたが、「親父何やってんだよ・・・・・」だったでしょう。

そして専制的だった白河がやっと崩御したかと思えば、鳥羽だって解放的な気分から自分も祖父に倣って院政を行いたいのは当然の事。崇徳が実は自分ではなく、白河の子な「叔父子」かもしれないとあっては尚更そうです。勿論摂関家にもあまり力を持たせたくない。忠実が復帰して、忠通という現職の関白がいるのに内覧となってしまった。初の関白・内覧の並立です。その上男の子がなかなか出来ないから、父の蟄居中に産まれ、余計可愛がっていた弟の頼長を養子にせざるを得なくなった。女の子は聖子という娘が既にいたので崇徳への入台が成功しました。冒頭でのこの歌はその前後の1135年(保延1)に、内裏歌合の際にその崇徳の前で詠んだ歌です。鳥羽に嫌われていた等の不安要素もありましたが、この頃の忠通は将来への希望もいくらか感じられた事だったでしょう。歌自体も、この院政期という複雑な時代を生き抜いた大物らしい、壮大な歌です。ところが、聖子との間には皇子は生まれず、兵衛左局との間に重仁親王が産まれてしまいました。5年後の1140年(保延6)の事です。これを忠通・聖子が面白く思わなかったのは当然の事。鳥羽の寵愛を受けていた美福門院(藤原得子)の猶子となり、その寵愛を受けていたのだから尚更です。

ところがまた、間もなく忠通の対抗勢力の一角の筈だった鳥羽法皇が、体仁親王を崇徳の養子たる皇太子として即位させると約束したはずが、いざ近衛天皇として即位したときには彼は崇徳の皇太弟となっていた。まだ赤ん坊だったとは言え、次期天皇の有力候補となった重仁が成長しない内に崇徳をペテンにかけてまで手を打ったのです。そうかと思えば、忠通には基実・基房とやっと続けて男子が生まれました。当然養子とは言え弟よりも息子に継がせたいと思います。養子縁組を解消しましたが、勿論忠実・頼長は面白くない。外戚の座の獲得の為(実は、聖子が近衛の准母となったので、忠通はすでに近衛の養祖父となっていたのだが)お互い養女を近衛に入台させますが、忠実はさらに源為義とグルになって関白を頼長に譲るのを拒否した忠通から強制的に藤氏長者を剥奪します。またかっての忠実同様、頼長は忠通という関白がいるのに内覧に別に任じられてしまいました。頼長は左大臣でもあったので、かっての道長みたいに、一上として太政官の会議を主催するだけでなく、天皇が目を通す文書等を先に見る事が出来る様になったわけです。院を除けばとうとう兄を超える、実質的な最高権力者となってしまった!!忠通ピンチ!!

もし近衛即位後に崇徳と聖子の間に子供が産まれていたら、この重仁の外祖父である信縁は既に死去していて、重仁誕生時にはまだ存命だった養外祖父の源行宗も源氏は源氏でも三条源氏(三条天皇曾孫)と、公家源氏の主流じゃなく、忠通らと比べると後ろ盾が弱かったから、彼も有力天皇候補になっていたかもしれませんが、まあどちらに転んでもいいように、近衛に対して同じ外戚政策を展開していたでしょう。近衛その人も健康で皇子が生まれていたら、その近衛皇子が次の天皇となっていて、どのみち後白河・二条両天皇の登板はなかったかもしれません。ところがその近衛が子を成さないまま17歳で崩御してしまった。またしても忠通の外戚政策は頓挫してしまいましたが、忠通よりも忠実・頼長の方が痛手でした。頼長は生前の近衛にも嫌われていたのですが、崇徳とグルになって近衛を呪ったとの風聞が立ったのです。勿論忠通もこのネガティブキャンペーンに関与していたでしょう。当然鳥羽の怒りを買い、頼長の内覧職は停止となりますが、鳥羽崩御直後、後白河と切れ者だった信西に味方した忠通と崇徳と組んだ頼長の、天皇VS上皇の保元の乱が勃発します。とは言っても、はやこうした院や貴族間の紛争も武士による実力行使なしでは解決できなくなっていました。前者には平清盛&重盛親子・源義朝ら、後者には平忠正(清盛の叔父)や前述の為義・為朝親子が味方する等源平両氏も敵味方に分かれたのですが、経過や勝敗については周知のとおりです。しかし、勝者側となった忠通もただではすまず、経済的にも軍事的にも弱体化しただけでなく、藤氏長者の任免権も朝廷に握られる事となってしまった。その上その後の後白河新体制下においても主導権は本来ずっと格下な筈の信西に握られ、その信西の対抗勢力である院近臣の有力株だった藤原信頼の車を、非礼にいじやけた忠通の従者が破壊したためにとうとう閉門・失脚・・・・・・・・「泣きっ面に蜂」とはまさにこの事です。後任は嫡男の基実が任命されましたが、まだ15歳の少年です。忠通の24歳をさらに大きく更新した摂関最年少記録となりました。その後も平治の乱も経て、本来中継ぎの天皇に過ぎなかったが、退位後も白河・鳥羽に倣って院政を行いたかった後白河と親政志向が強かった二条との対立等権力闘争は収まる事ありませんでした。

信西も不遇の時期が長かった反動もあってか、かっての同じ南家出身だった仲麻呂の失敗点も学ばないで、息子達もゴリ押ししてしまったのが余計この院政・天皇親政各派双方の反感を招き、平治の乱の混乱の中で彼も信頼共々死にました。彼もまた、長屋王や菅原道真、野中兼山等同様「出る杭は打たれる」の見本だったという事でしょう。

その平治の乱が終わった後、基実も関白として二条親政を支えましたが、忠通も育子を天皇に入台させました。彼女は忠通実女か、徳大寺実能実女・忠通養女の二説があるようですが、既に師実の頃から、前述した通り摂関家の家格が定着していった中でも清華家クラスの家とこうした外戚工作等で連携していた例が良く見られ、閑院流もその中でも元々頼長寄りだったとは言え、積極的だったので、後者の方がどちらかと言えば可能性が高かったでしょう。

彼女の入台で、院政派と親政派の確執が収まったわけではありませんでしたが、一段落付いたと思ったのか、1162年(応保2)6月8日に出家します。その10日後には忠実が84歳で亡くなりますが、結局彼って、白川崩御後の復帰~保元の乱まで忠通、いやもっと言えば摂関家そのものの足を引っ張る行為が目立っていた感じでしたね。残念ながら無能認定は避けられないと思います。そして最後は寵愛していた女房が密通していたのに衝撃を受けて・・・・・・・・

彼の死時点で、院政派と親政派の確執はなおも続き、基実はまだ21歳の若輩者。基房もまだ20歳になるかならないか。兼実や兼房に至ってはまだ10代の少年です。最後の最後に至って、女房がこのような不義を働いていたようでは、孫も基通(基実長子)や隆忠(基房長子)等の顔を見る事は出来ましたが、余計自分の子孫の行く末が心配だったであろう事は想像に難くなかったでしょう。(実際基房の松殿家は立ち回りが拙過ぎて、このシリーズ(4)の徳大寺実定で触れたけど、失脚後に生まれた忠房は途中までは清華家並みの出世スピードだったのが22年も大納言のままで、他の清華家出身者達にドンドン官職を追い越されたまま出家を余儀なくされ、清華家どころか羽林家クラスまで落ちてしまった。そして戦国時代には断絶してしまった。)

せめて最後の最後はもっと安らかに過ごさせてあげたかったとも思えたこの忠通の「思い通りにならない事ばかりだった人生」でしたが、この忠通の温厚ながらも粘り強さを見せた政治センス、加来耕三氏は「あまり目立たなかったが、その政治能力はかっての不比等にも引けを取らなかったのではないか。」と評価されていました。確かに結果論とは言え、信西や頼長・師長親子が死亡または失脚していった中で摂関家が分裂しながらも明治まで続いたのですからそれもあながち過大評価とは言えないかもしれません。

特に現在も忠通の直系男系子孫が健在な九条家です。実は忠通は基実ではなく、その祖であった兼実を自分の嫡男に考えていたらしい。そう言えば師実以降の北家嫡流はまた、「実」→「通」の一字を交互に貰っています。実は閑院流の通字(例えば、近代以降では三条「実」美や武者小路「実」篤等)でもありますが、兼実の諱もそうした願いの現れだったのでしょう。

兼実も兼実で、兼通ではかって兼家と犬猿の仲だったあの人と同じ名前となってしまうからか、自分の嫡男を良「通」と名付けたようです。彼は残念ながら早世してしまい、代わって彼の弟の良経が期待を受ける事となりましたが、兼実・良経・道家、彼らもまた最後は失脚または急死を余儀なくされてしまいましたが、新たな武家政権・鎌倉幕府との連携を取って、時代の変わり目に九条家の地位維持等に務めた等「忠通の粘り強い政治的センスを受け継いだという意味での正統な精神的後継者達」だったのではないかと改めて思うのです。

長々と書いてしまいましたが、いやー本当に複雑で大変な時代でしたよね。この院政~鎌倉初期という時代も。繰り返し強調する通り、忠通の子孫の一人でもある細川護煕氏は、猪瀬直樹前東京都都知事の倍のお金を貰って、その説明責任等を果たさないまま9ヶ月で総理大臣の座を投げ出してしまった。自民党の55年体制を終わらせた直後だっただけに、その時の失望感はなおさらの事で、アメリカが安倍総理の靖国参拝を見た程度の話じゃなかったよでした。失脚直前の忠通-信西の関係と、近衛文麿-軍部の関係、総理在職時の護煕氏-小沢一郎氏の関係は何だか「『名』と『実』」みたいな関係で重なり合うものも感じられないでもない(特に五輪返上発言も、まさに悪い意味で血は争えないだよ!!そこにしびれないッ!!あこがれないッ!!)ですが、護煕氏が忠通の立場だったら、9ヶ月どころか、下手すれば1ヶ月も持たなかったでしょう。そして子孫は五摂家として繁栄することも無く、頼長の系統が嫡流として栄えていたかもしれません。下手をすればで、軽く断言しますが。

http://livedoor.blogimg.jp/hikoshi727/imgs/9/0/90dd03e0.jpg

このHPも、「何が『殿、出番です!』だよ・・・・・・・・・・・」だけど(苦笑)、それなのに、東京都都知事選挙に、前述の「日本も半ばぶっ壊した、詐術系パフォーマーだったあの人」にも乗せられてか、出馬してしまい、しかも東京都都政には直接関係ない脱原発以外にはこれといったビジョンも示せてないままです。そしていつの間に、やはり護煕氏共々「噂の真相」内連載「筆頭両断」で佐高信氏に叩かれていた舛添要一氏との二大有力候補という事にされてしまい、候補の中では最もマトモな田母神俊雄氏は半ば無視!!繰り返し言う様に私は決して田母神氏全ての思想に賛同するわけではないですが、マスゴミにとっていかに都合の悪い人物であるかが改めて分かります。過去ログでも取り上げた本田報道でも的はずれな事は言ってない。「自分達の都合次第で不定見的に持ち上げたり、叩いたりするマスゴミ報道」に警鐘を鳴らしたに過ぎません。

そうかと思えば、今度はマック赤坂氏が立候補だもんなあ・・・・・・・・もう半ば冗談でもドクター中松氏でも良いんじゃないかと思える程の顔ぶれで、我らが東国原くん(苦笑)なんかもう出る幕ないよね!!でもありますが、父方が清和源氏、母方が藤原氏なサラブレッドな護煕氏には果たして政治家としての誇りがあるのだろうか?あの世の忠通もどう思っているのだろうか?ですが、どうせ出馬するのなら、この忠通の政治的センスも顧みて、非現実的な事を公約するのではなく、本当に都民の為になる政治・経済等現実的な公約を示していただきたいものです。まだ遅くはありません。

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2014/01/17

元KAT-TUN田中聖が部屋の中の漫画本を公開

http://blog.livedoor.jp/rbkyn844/archives/7048447.html

ジャニーズを、2000万円の退職金付で退所(正確に言えば、暴露本等書かれないよう口止め金を渡して解雇)したこの田中聖という兄ちゃんですが、いやはやと言うか、ワンピースやGANTZとかだけでなく、クローズやカメレオン等いかにも好きそうな漫画も所狭しと並んでいますね。まあ悪い言い方すれば、アニメや漫画ファンに擦り寄っているのがあざとい感もしないでもないですが、何だか憎めない兄ちゃんですな。彼って。風邪ひいて入院してしまったらしいけど、今冬も寒い冬になりそう。ノロウィルスも流行しているようだし、芸能界での今後の活躍は厳しそうだけど、お大事にして下さいね。

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2014/01/16

サッカー本田報道も見て、Be fool!!everybody be fool!!なのか(野猿風)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140114-00000005-jct-soci

NHKトップで12分間本田特集 田母神俊雄氏「国民が馬鹿になる」批判に賛否両論

J-CASTニュース 1月14日(火)19時0分配信   

 サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)の名門ACミランに移籍した本田圭佑選手のデビュー戦をテレビ各局は大々的に取り上げ、NHKの朝のニュースでも冒頭12分を使って報じた。

 東京都知事選に立候補表明した田母神俊雄氏がNHKの報道に、「12分間もやることなのか」と苦言を呈した。ネットでは、「せいぜい5分くらいにしろ」「サッカーが嫌いなだけじゃん」など賛否両論の議論が盛り上がっている。

■4000回以上リツイートされ波紋広がる

 NHKは「おはよう日本」2014年1月13日の放送で、本田選手がサッスオロ戦で後半20分から途中出場してデビューした映像を放送した。注目度が高いためか、トップニュースの扱いだった。

 日本のファンがスポーツバーで観戦する様子や、現地ファンやメディアによる本田選手に対する評価のほか、本人が小学校の卒業文集にセリエAで将来活躍するという夢を書いていたことなどを特集した。しかし、これに田母神氏はおかんむりのようだ。約19万のフォロワーを抱えるツイッターで、

  「今朝のNHKのトップニュースはサッカー本田選手のイタリアのミランでの活躍の様子でした。始めから12分間がそのニュースです。サッカーも人気が有るのかもしれないが、トップニュースで12分間もやることなのか。これでは国民が馬鹿になります」

と書き込んだ。「国民が馬鹿になる」というくだりもあって波紋が広がっている。ツイッターでは4000回以上この発言がリツイートされた。

 賛成派からは、「トップニュースでやってもいいけどせいぜい5分くらいにしろ」「サッカーが世界の中心じゃあないんだよ」などと、時間の長さに同意する意見が出た一方で、反対派からは

  「スポーツを否定される方が2020年に五輪を開催する東京都の知事に?」
  「W杯じゃ視聴率50%取る様な国民的スポーツだぞ喧嘩売るとかアホだろこいつ」

といった意見がたくさん出ている。

「私は柔軟性もあり、本当にいい人」

 また田母神氏のツイートは、半年ほど前のツイッターでの発言と矛盾するのでは、という声もある。プロ野球の長嶋茂雄氏と松井秀喜氏が国民栄誉賞を受賞した際にも、テレビで大々的に報じられたが、

  「長嶋、松井両選手の国民栄誉賞を称えるテレビ報道が繰り返し行われています。お二人とも国民に夢を与えた立派な選手でした」
  「多くの子供たちが野球の選手を目指すでしょう。学校で我が国の近代史に影響を与えた偉人の話をもっと教えるべきです」

と、好意的に捉えていた。

 ネットでは「野球が好きでサッカーが嫌いなだけじゃんw」「野球とサッカーで180°見解を変える二枚舌田母神さん」という指摘が相次いだ。念のため田母神氏の苦言についてNHKに問い合わせたが、「ニュース番組の個別の編集判断に関わることであり、コメントは控えさせていだだきます」ということだった。

 NHKのサッカー報道に対して厳しい姿勢を見せる田母神氏だが、

  「どうしようもないガチガチだと思っている人もいるようですが、実像は全く違います。私は柔軟性もあり、本当にいい人です。適度のユーモアのセンスも持ち合わせています」

と都知事選に向けて独特な自己アピールをツイッターで繰り広げている。

まあねえ、そんな目くじら立てるほどの事でもないと思うけど、ワールドカップ優勝、いやせめて所属チーム優勝に貢献ならまだ分かるけど、そうでもないのに12分も時間を割くべきだったのかなあと。凄いのは否定しないけど、浮かれすぎなのでは?確かに田母神氏は野球の方がサッカーよりも好きそうな感じと言うか、ミスターの現役時代をこの目で見てきた世代の一人ですもんね。

そうかと思えば、今日職場食堂のテレビでたまたま目にしたTBS・ひるおびで、その本田選手について、世界ハンサムランキングでトム・クルーズ、ジョニー・デップ両氏より上位の58位(しかも、その基準も100パー的確なのかどうかも少々怪しいが)だとか、何十万もする時計を身につける等ファッションもオシャレだとか、プレイそのものよりも、どちらかと言えば容姿やプライベート等を中心とした特集やってましたね。(苦笑)

いや私だって好きな芸能人とかがどういう嗜好の持ち主なのか全く興味無いわけじゃないし、日本を代表する人気サッカー選手の一人ですから、色々な面で注目されるのも当然なのかもしれませんが、それはあくまで余談でちょっと簡潔・手短に「こういった一面もあるんですよ。」とコメンテーターの方々と話すに留めるべきなんじゃないですか?こんな事言ったらファンの方々から袋叩きにされそうですが、あくまで「そういう話自体ダメ!!」と言っているわけではなく、「もう少し程度を考えましょうよ。」という事です。この田母神氏が批判された12分特集同様。別に私は氏に対しても、特に歴史認識等の思想面で全て同意しているわけではありませんが、そんな的はずれなことは言ってないと言うか、そう言えば朝は朝でAKBのニュースを流していたけど、脱法ハーブ吸引の件はどうなったんだ?まさかこのまま無視?いやー虫が良すぎるねぇとも言うか、「テレビは見る人を馬鹿にする道具」とはまさにその通りでしょう。故・大宅壮一氏が唱えた一億総白痴化現象が今現実通りになりつつありますが、マスゴミはホント駄目ですね。しかしまた、今年の大河ドラマでも毛利も絡んできますが、何でこのひるおび司会の恵俊彰氏が、あの「毛利元就」で小早川隆景役だったのだろうか・・・・・・・既にお笑い枠があったという事なのでしょうが、役柄負けしていましたけどね。

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2014/01/13

横山輝一名曲選その1「Can't Look Back」

横山輝一氏3枚目のシングル「Can't Look Back」ですが、発売されたのは1987年(昭和62)2月25日の事。横山氏が26歳の時の、いわば「EARLY KIICHI」時代のシングルですが、実は本曲は元々のこのバージョンよりも、1989年(平成1)10月に発売されたベストアルバム「A LONG GOOD BYE」でのライブバージョンの方が印象に残っています。2枚組のアルバムで、アマゾンでも入手できるようですが、KIICHIファンの方は手にしてみて絶対損はしないお得なアルバムです。

本アルバムリリース直後、横山氏は2年程渡米し、楽曲提供等活動の幅を広げる事にもなりましたが、何げに強いインパクトを残したのが、堂本剛版「金田一少年の事件簿」にも出演されたことです。

本シリーズは堂本剛氏金田一の第2期シリーズで、横山氏は「怪盗紳士の殺人」という話で28歳という設定だった岸一成の役を演じられる事となったのですが、横山氏自身は当時35歳と実年齢よりも7歳も若い役だったのです。まあ「山田くんと7人の魔女」では徳山秀典くんなんてもう30過ぎにもかかわらず高校生役を見事に演じられていて、やはりいい俳優さんである山本裕典氏にも負けない好演を見せていたのだから、上には上がいるものですが、横山氏も20代後半でも通用する若々しさがありました。こういう所も見習いたい所ですが、この話って横山氏以外にも日野美歌氏児島未散氏等歌手が本業の方が何人もゲスト出演されていたのが特徴的だったのです。まあお話自体は、廃人にされた挙句絵描きとしての魂だけは忘れないで死んだ親父とエンクミ演ずるさくら父娘の悲劇等可哀想でしょうがなかったのですが・・・・・・・・・・・

そして横山氏自身も、なんとその後ファンとの集いでこの話を一緒に見たらしく、ファンの方から「次の(ドラマや映画等の)出演依頼はないんですか~」と聞かれたらしいです。でも、今の金田一シリーズももっとこういう意外な起用をまたやっても良い様な気もしますよね。2000年代以降は以前ほどは歌手としての活動は聞きませんが、横山氏にはまた一花咲かせていただきたいものです。その為の応援ではないですが、この「名曲選」も今後シリーズ化していくつもりです。

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平家の公卿人数推移について

実は・・・・・というほどのものでもないですが、昨年末701年(大宝1)~1221年(承久3)までの官位一覧が記してある公卿補任を入手する事が出来ました。もう放送終了してから1年が過ぎ、今は「軍師官兵衛」の放送が始まったばかり(もっとも、視聴率はあまり良くないようだが)ですが、平家一門は本当にwikiに書かれていた通り、最大で12人も公卿がいたのかどうか調べてみました。

①1166年(任安1)8月27日
1 平清盛 正二位 権大納言
2 平重盛 正三位 権中納言
3 平親範 正三位? 参議
4 平頼盛 従三位 非参議
②1167年(任安2)2月11日
1 平清盛 従一位 太政大臣
2 平重盛 従二位 権大納言
3 平親範 正三位? 参議
4 平時忠 正四位下 参議
5 平頼盛 従三位 非参議
③1176年(安元2)7月8日
1 平重盛 正二位 権大納言
2 平宗盛 従二位 権中納言
3 平時忠 従二位 権中納言
4 平頼盛 正三位 参議
5 平教盛 正三位 参議
6 平経盛 従三位 非参議
7 平信範 正三位 非参議
④1179年(治承3)11月17日
1 平宗盛 正二位 前権大納言
2 平時忠 正二位 権中納言
3 平頼盛 従二位 権中納言(※兼職の右衛門督は解官)
4 平教盛 正三位 参議
5 平経盛 正三位 非参議
6 平知盛 正三位 非参議
⑤1181年(治承5)閏2月4日
1 平宗盛 正二位 前権大納言
2 平時忠 正二位 権中納言
3 平頼盛 正二位 権中納言
4 平教盛 正三位 参議
5 平経盛 正三位 非参議
6 平知盛 正三位 非参議
7 平清宗 従三位 非参議(※宗盛長子)
⑥1183年(寿永2)7月3日
1 平宗盛 従一位 前内大臣(2月に辞任)
2 平時忠 正二位 権大納言
3 平頼盛 正二位 権大納言
4 平教盛 正二位 中納言
5 平知盛 従二位 権中納言
6 平経盛 正三位 参議
7 平親宗 正四位下 参議(※時忠異母弟)
8 平清宗 正三位 非参議
9 平重衡 正三位 非参議
10 平維盛 従三位 非参議(※重盛長男)
11 平通盛 従三位 非参議(※教盛嫡男)
12 平資盛 従三位 非参議(※重盛次男)
(平家以外の公卿面々)
1 近衛基通 従一位 摂政・前内大臣(北家嫡流近衛家)
2 大炊御門経宗 従一位 左大臣(師実男経実系大炊御門流)
(藤原経宗)
3 九条兼実 従一位 右大臣(北家嫡流九条家)
4 徳大寺実定 正二位 内大臣(公季系閑院流)
5 三条実房 正二位 大納言(公季系閑院流)
6 中御門宗家 正二位 権大納言(頼宗系中御門流)
(藤原宗家)
7 花山院兼雅 正二位? 権大納言(師実男家忠系花山院流)
(藤原兼雅)
8 九条良通 従二位 権大納言(北家嫡流九条家)
9 中山忠親 正二位 権大納言(師実男家忠系花山院流)
10 藤原成範 正二位 中納言(※南家出身。信西息子)
11 藤原朝方 正二位 中納言(高藤系勧修寺流)
12 藤原実家 従二位 中納言(公季系閑院流)
13 藤原家通 従二位 権中納言(師実男忠教系難波家)
14 西園寺実宗 正三位 権中納言(公季系閑院流)
(藤原実宗)
15 大炊御門頼実 正三位 権中納言(師実男経実系大炊御門流)
(藤原頼実)
16 持明院基家 従三位 参議(頼宗系中御門流)
17 藤原定能 従三位 参議(道綱系)
18 源通親 正三位 参議(村上源氏中院流)
19 吉田経房 従三位 参議(高藤系勧修寺流)
20 藤原泰通 ? 参議(頼宗系中御門流)
21 藤原脩範 正三位 参議(※南家出身。信西息子)
22 水無瀬親信 正三位 非参議(隆家系水無瀬流)
(藤原親信)
23 藤原兼房 従二位? 非参議(北家嫡流九条家)
24 藤原雅長 従三位? 非参議(師通男家政系)
25 藤原光隆 正二位? 前権中納言(利基系)
26 藤原頼季 従三位 非参議(利基系、光隆弟)
27 藤原隆輔 従三位 非参議(魚名系)
28 藤原季能 従三位 非参議(魚名系)

 

②~⑥はそれぞれ月日を見てピンとこられた方もいるかもしれませんが、②は清盛太政大臣昇進日③は建春門院・平滋子が亡くなった日④は治承3年のクーデターが起こり、反平家的な公卿等39人が解官された日⑤は清盛が熱病で急死した日⑥は平家一門最後の公卿である資盛が昇進した日です。⑥はまた、まあ殆ど藤原氏ですが、非平家出身の公卿リストも記しました。

公卿補任に載っているのは、あくまで参議以上の議定官で、三位以上でも非参議は載っていないのです。

①はまだ清盛が院近臣の最高官職と言われていた権大納言だった頃のリストですが、当然まだそんなにはいません。「平親範って、誰?」と思われるかもしれませんが、清盛義弟で「平氏にあらずば人にあらず」な暴言を吐いた(と言われている)時忠同様桓武天皇孫高棟王の子孫です。高棟王5代子孫だった平行義から範国と行親の系統に別れますが、時忠は前者、親範は後者の系統です。行親系は鎌倉時代末期の惟俊までは公卿輩出が確認できます。堂上家の西洞院家は範国系ですが、時忠とはまだ別の系統です。残念ながら途中で藤原北家(基経弟だった清経や師実等)の血筋となってしまってます。

②は頼盛は、清盛の兄弟では唯一公卿入りしていましたが、平治の乱以降昇進面では甥の重盛に押され気味となって、もうこの時点で大きな差がついてしまいました。wikiでは翌1168年(仁安3)に「平氏では3人目の参議となった。」と書いてありますが、平氏ではなく、伊勢平氏と書いた方が正確です。

③の時点となると、宗盛や教盛ら等清盛の他の弟や子も公卿になっていきましたが、信範は時忠の叔父にあたります。時忠が清盛義弟だったおこぼれもあったのでしょうが、非参議もまま、1年後の1177年(安元3)7月には出家しています。この時点で65歳だったから長生きの方ですが、没年は不明のようです。(もし平家滅亡時点まで生きていたら、その盛衰をどう思っていたのか。)

④は、宗盛は権大納言を辞任したとは言っても、政界引退したわけではないので、公卿の人数に数えましたが、意外にも、平氏政権がほぼ完成したこの時点ではまだそんな人数は増えていません。⑤は注目すべきはその宗盛の嫡男・清宗のゴリ押しっぷりです。

重盛が鹿ケ谷の陰謀(があったのかどうか疑問視されている説もあるようだけど)に加担した藤原成親と縁戚(彼の娘が嫡男・維盛と結婚)だった事、そして清盛に先んじて亡くなった事もあって、宗盛が嫡流として扱われていたようですが、2歳で早くも祖父の清盛(11歳)をも大きく凌ぐスピード記録な5位の位を貰って、現在の貨幣価値では年収1500万程度の役人に!!そしてついに安徳天皇を即位させた前年の1180年(治承4)には早くも非参議ながらも10歳で従三位で公卿となるなど、12歳も歳上だった維盛よりも昇進が速かったのです。本来甥の(近衛)基通に譲るはずなのが、息子で7歳の師家を権中納言にした松殿基房(直後前述のクーデターで親子共々解官)ほどではないにせよ、露骨です。

そして⑥です。清盛の孫世代では、清宗がトップの出世を果たしたとは言え、重盛の息子達も、教盛の息子や時忠の異母弟共々公卿に列せられています。平家の公卿の人数が10人となったのは清盛急死直後の1181年(養和1)12月、前述の維盛が従三位となった時の事です。総帥の宗盛は⑥の半年前の1月に、平家では清盛以来15年ぶり(出家で表向きは引退したとみなした場合)であるの従一位となっています。まあ子や孫世代がまだ比較的若かったというのもあったのでしょうが、公卿人数だけを見れば、実は平家の全盛期は清盛死後の都落ちのカウントダウンが始まった時であり、それはまた、動揺期と背中合わせでもあったという事だったのですね。平家一門のこの都落ちは、資盛が公卿に列せられてから僅か22日後、1183年(寿永2)7月25日の事でした。

藤原氏は、公卿(非参議は除く)が10人以上出るようになったのは、藤原忠平が右大臣となった914年(延喜14)頃の事で、大宝律令を制定してから200年以上かけて着々と勢力を築いていったわけです。その後道長・頼通の全盛期に15~20人の公卿を輩出するようになりました。村上源氏も、その全盛期が過ぎた後、堀河天皇の外戚(生母の賢子を、故摂政・関白・太政大臣藤原師実の養女として入台)となった事から、1102年(康和4)頃には、藤原氏の11人を凌ぐ13人の公卿を出しました。(非参議は除く)

上記リストを見ていただければ分かる通り、平家一門の都落ち以前は藤原氏の公卿は参議以上20人、非参議6人、その他(前権中納言)1人と計27人いました。(非参議はもしかしたらもっといたかもしれないが)村上源氏が全盛期だった頃とはまた勢力図とかは違いますが、まあ平家一門はやはり出世しすぎてしまっていたのが改めてわかります。

清盛は確かに天才でした。しかし、重盛が長生きしていればまた違っていたのかもしれず、月並みかもしれないけど、彼の個人の力量に負う所が大きすぎたのが平家政権最大の弱点でした。「アナタコナタ」と評された政治手腕でどんどん勢力を伸ばして、気づいたときには複雑な権力闘争を繰り広げていた院や貴族等の反発が大きくなって、それを抑えようとますます強引な手段を取ろうとしてますます反発が強くなる悪循環に陥ってしまっていたわけです。清盛存命時は重盛・時忠とあとはせいぜい宗盛、清盛死後は宗盛・時忠とあとはせいぜい、清盛の弟達の中でも頼盛か教盛にとどめておくべきだったのかもしれません。公卿に列するのは。

後の武家政権を見ると、頼朝はすぐ権大納言も右近衛大将も辞任(結局彼も、大姫入台工作等では蘇我氏や藤原氏や、その平家と同じ様な事しようとして失敗、⑥時点では唯一の源氏公卿だった源通親が、本来数段以上格上だった九条兼実を失脚に追いやる。)したし、実朝は急速な昇進で平家みたいに清華家並みの家格を得ようとして、北条氏以下御家人たちを抑えようとしたのでしょうが、右大臣昇進後すぐに志半ばで兄の頼家同様彼らの権力闘争(犯人は三浦氏が有力視されている)に巻き込まれる形で暗殺されてしまった。鎌倉幕府を乗っ取った北条氏を倒した尊氏・義詮も正二位権大納言にとどまった。義満は、彼ら祖父・父の失策もあって、一度正平一統で解体した後の北朝天皇の正当性がイマイチ弱った(事実過去ログでも指摘した様に、後光厳~後小松まで皆劣等感を払拭できず、南北朝合一が成った後も、後小松は義持を「室町殿様」とまで呼んでいたが、次の称光天皇や弟の小川宮も情緒不安定な性格で、結局皇統は祟光系に戻る。)事もあって、余計天皇をも超越した存在となりたいと思ったのか自身だけでなく、義持に対しても積極的に昇進を後押ししていたらしいけど、将軍後継以外の子は基本的に出家する事になっていて、弟の満詮も祖父や父の生前の最高官位だった権大納言に昇進して僅か4日で出家したけど、室町幕府の動揺及び戦国群雄割拠の起こりもそうしたルールが大きな原因の一つだった。その戦国期には、自分の領国支配の正当性の為にも武将達には官位が必要となって、大内義隆みたいに従二位まで登った人もいれば、信長みたいに上総介を自称する人もいて、彼は太政大臣・関白・征夷大将軍の何になりたいかを明らかにしないまま本能寺に消えたけど、その後をついだ秀吉は諸大名たちに官位を乱発した。それは他の戦国大名みたいに先祖代々の家臣がいなかった弱みもあったのだろうけど、逆に自分の一族、自身だけでなく弟の秀長も子供に恵まれず、姉・日秀の息子達も早死(エグザイルの某メンバーも演じた事のある秀勝のみ女系として子孫が現在も存在。)してしまったのに、その1人、秀次一族を粛清してしまったのはオウンゴールも良い所だった。そして家康が最後に天下を取って、公家とは別個の武家官位制度というシステムが出来て、納言は御三家だけ。外様は参議が前田家で、島津・伊達さえもせいぜい権中将レベルとこの点でも上手い具合に統制していたんだなあでしたが、平家一族の栄えからここまでもう400年以上も経っていたのですね。まあ長くなりすぎてしまって、現在中流層を増やしたと思ったら、今度は一転貧困層にバラマキする事となったタクシン派と、反発も抱いている南部のその中流層の支持を得ている反タクソン派の確執等泥沼状態なタイもそうなのでしょうが、政治って人間の欲望とか絡むからつくづく難しいという事なのでしょうね。

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2014/01/12

初代ストⅡでの四天王強制使用

https://www.youtube.com/watch?v=AnguKk6XOEo

ベガ、サガット、バイソン、バルログの順に紹介されています。

ベガ・・・・・サイコは攻撃判定発生まで間があるから連続技には出来ないっぽいですが、ダブルニー、削り能力ないながらもスキが無く、キャラによっては連発するだけでダッシュみたいに詰みそうです。あと、プレイヤーは使用しなかったようだけど、リュウが基なせいか、しゃがみ小・中キックのポーズで波動拳も撃てます。(苦笑)

サガット・・・・タイガークラッシュは実装されてないっぽいですが、タイガーショットの隙が小さい。上はダルシムとザンギエフはしゃがんでも当たってしまい、まだダルシムの方はしゃがみズームパンチで攻撃できたり、ドリルキックで避けたりと対抗手段はありますが、ザンギエフはゲーメストでのダイヤグラムでは1:9(ちなみにターボでは5:5とかなり戦えるようになった)だったダッシュ以上に詰みそうですよね。(苦笑)あとタイガーアッパーカートも、タイガーショット同様しゃがみパンチ等から連続技にも出来るようだけど、昇竜拳同様地上の相手に当ててもダウンは奪えないようです。

バルログ・・・・フライングバルセロナアタックはスペインステージ以外でも壁張り付きポーズから襲いかかります。(苦笑)ローリングクリスタルフラッシュ共々威力も高いですが、やはり全体的な火力は四天王中最下位でしょう。

バイソン・・・・ダッシュアッパーが春麗のような比較的背の低いキャラにもしゃがまれても当たるのがポイントでしょう。ターンパンチも、パンチを繰り出すタイミングをある程度ずらせるっぽいけど、まあターボやⅣシリーズみたいに無敵時間はないでしょうから、上手く利用できるかですが・・・・・・・でも、ガイルやサガットには苦戦しそうです。リュウ・ケンに対しては、他のシリーズほどは波動拳の性能が良くない分まだ彼らよりは戦えそうですが・・・・・・

と言うか、ハイパーストⅡでも特定条件とかでこの初代Ⅱ四天王も使えるようにすれば良かったのにと言うか、なお面白そうでしたけどね。対戦ダイヤグラムで彼らも加えればどうなるかですが、まあそれはまた次の機会に。

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もう行き着く所まで行き着いてもらおう

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140112-00000503-san-kr

そこまでやるのか中国寄り 異例ずくめの朴大統領会見

産経新聞 1月12日(日)8時0分配信   

 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が6日、テレビの生中継で年頭の記者会見を行った。彼女にとってこれは昨年2月の大統領就任以来、初めての記者会見だ。会見の後、大統領官邸の記者室に顔を出して記者たちとなごやかに握手をしていたが、こんな風景も初めてだという。

 彼女は国内ではよく「プルトン(不通)」といわれている。「意思疎通が不十分」、つまり国民との対話が足りないという批判だが、品のあるソフトな笑顔の裏は意外にガンコなようで、記者会見嫌いもその批判の対象になっていた。

 ところが、今回の記者会見にはいくつかの異例があって驚かされた。外国人記者も出席したのだが、12人だけに制限された。こんな厳しい制限は歴代大統領では初めてで、女性大統領へのせっかくの「お近づき」を期待していた外国人記者たちをいたく失望させた。

 また外国人記者に対しては、事前に大統領官邸当局が一方的に指名した2人にのみ質問の機会が与えられたが、このやり方は過去、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代など時にはあったから仕方ない。

 その2人を欧米系と非欧米系のメディアに分けたのもよくやるやり方だ。ところが今回、その非欧米系の1人に選ばれたのが何と中国中央テレビ(CCTV)の記者だった(欧米系はロイター通信)。

 過去の大統領会見で非欧米系メディアからとなると必ず日本人記者が含まれていた。ソウルの外国人記者団では日本系が最大だからだ。近年、中国の記者も増えているので、非欧米系で複数が指名されるときは中国人記者も入るようになっていたが、今回のように日本人記者を差し置いて中国人記者だけを指名というのは史上初めてである。

 CCTVをはじめ中国メディアは共産党独裁下の国営機関だ。そうしたメディアに非欧米系を代表させるとは。朴政権の「中国寄り」と「日本無視」を象徴する風景である。

 中国人記者の質問に対する朴大統領の答えも興味深かった。記者は、韓国の大学関係者が新年の四字熟語に選定したという「チョンミケオ(転迷開悟)」を紹介し、解釈をたずねた。

 仏教用語で「迷いを脱し悟りを開く」の意味だが、朴大統領はまず「そうした四字熟語で新年を展望するというのは、韓国と中国がいかに人文的に近いかを示すものだ」といい、さらに記者の韓国語をほめた上で「姿も韓国人と似ているので韓国人と思われるだろう。いろんな面で近しい感じを受ける」と語った。

 ついでに「“転迷開悟”は、習近平国家主席が進める腐敗反対などの政策にも通じる」と“ヨイショ発言”をするなど中国ベタベタの雰囲気だった。

 ただ、韓国では漢字は排斥されているため「チョンミケオ」などといわれても国民の大多数はチンプンカンプンだ。最近の新聞報道によると、子供の名前を漢字で書けない親も多いとか。中国文化の核心である漢字を排斥しながら「人文的に近い」はないと思うのだが。

 朴大統領はこれまで自らの国政の基本としてしきりに「非正常の正常化」を強調している。

 とすると、その中国寄り政策も、日清戦争で日本が清(中国)に勝つことで韓国がやっと中国の影響(支配)を脱して日本の影響下に入った19世紀末より前の、中国影響下の時代に再び戻るという「正常化」なのかもしれない。日本としてはそれこそ「転迷開悟」を求めたいところだが。(ソウル・黒田勝弘)

「正常化」とは、これまた皮肉の効いた評ですが、もう自分や国の為ならなりふりかまわずですな。このオバハンは。(苦笑)義理の叔父さんを処刑して、中国にも喧嘩を売った北とは対照的とも言えます。

そういう歴史が長すぎたから、「この事大主義等からの卒業」(尾崎豊風)等夢のまた夢なのだろうけど、お父さんだって某著書でそうした朝鮮民族の人間的欠陥を鋭く指摘していたというのに。実は米軍慰安婦管理者でもあったお父さんまで利用していたようだけど、まあ彼女はそんなの知らないか、知っていてもスルーのつもりなのでしょうね。ネタにもならない分、盧武鉉よりもさらに数段酷いと言うか、「ええ加減にせえよ。」ですよ。(苦笑)まあそれは何故か反日的な我が国のマスゴミもそうで、「踊る大捜査線」や「金田一少年の事件簿」(BIGBANGとか)でもまた韓流ゴリ押ししてましたもんね・・・・・・・・前者は一昨年9月放送の某TVスペシャルの事で、「キャリアVSノンキャリアの確執・抗争」の見せ方があざとい他のシリーズ(劇場版最終作は除く。アレは比較的マトモな出来だった)とは別の性質で酷かったですが。まあ変に日本に関わるのは迷惑ですが、もっと日本人に韓国や韓国人の実態を知ってもらう為にも、もうこのオバハンにはもっと行き着くところまで行ってもらいましょう。その方が韓国のためにもなります。

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2014/01/10

元々アメリカが靖国参拝を良く思うはずはないのだけど

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140108-00010001-wedge-pol

靖国参拝を米国が許容できない理由

WEDGE 1月8日(水)12時16分配信   

 安倍総理が昨年12月26日に靖国神社に参拝して以降、フェイスブックなどのソーシャルネットワークサイトやその他のメディアでは「安倍総理の靖国神社参拝に対するアメリカの反応」に注目が集まっている。米国政府は参拝当日に、アメリカ大使館が参拝に「失望」を表明する声明を出すという異例の対応をしたが、この声明を巡り、アメリカ大使館のウェブサイトが「炎上」する事態にまで発展しているという日本の報道も見た。しかし、おおむね日本では「アメリカ政府はそんなに腹を立ててはいない」「日米関係にはあまり影響はないだろう」という楽観的な雰囲気のようだ。

 ワシントンで生活している身としては、大いなる違和感を感じる。ワシントンでアジア政策に何らかの関わりを持っている人たちの間では、今回の総理による靖国参拝は大問題として認識されており、安倍総理を見る目は格段に厳しくなっているからだ。ちなみに、前掲のアメリカ大使館が出した声明も、「大使館に出させたのは手ぬるかった。ホワイトハウスからの声明として出すべきだった」という声すら一部からは挙がっているほどなのだ。

靖国とアーリントンは「似て非なるもの」

 ここまで書くと「米国は中国や韓国による働きかけに影響されているのだ。日本がきちんと説明すれば、米国も理解してくれるはずだ」という声が返ってくるかもしれない。しかしお断りしておきたいのは、今回の批判はそのような観点から出てきているものではなく、それ故に日本にとっては今後、非常に取扱いが難しい問題になる可能性が高いということだ。

 私自身の経験から言えば、アメリカ政府の関係者やアメリカ人研究者と話をするとき、中国や韓国の専門家が相手であっても「戦争に負けたら、国のために犠牲になった人に尊敬の念を表してはいけないのか?」という問いに「そうだ」と答えることができる人はまずいない。いわゆる「歴史問題」に関する誤解や疑問について日本の立場を丁寧に説明すれば、「日本が国のために命をささげた人たちを追悼し、敬意を表すことは批判されるべきではない」という点については、同意してくれるようになることが殆どだ。

 しかし、その場合でも、「戦争の犠牲者に対する日本人指導者による敬意の表し方」としての「靖国神社参拝」はどうしても理解してもらえないのだ。特に、ちょっと日本に詳しい人になると、1979年にA級戦犯が合祀されて以降、天皇陛下が靖国神社を参拝していないことも知っており、「天皇陛下ですら参拝していない場所を参拝することに、なぜ一部の日本の指導者はそこまでこだわるのか」となる。

 ちなみに、靖国神社参拝の正当性を主張する際に、米国バージニア州のアーリントン国立墓地を引き合いに出し、「アーリントン国立墓地だって南北戦争時の南軍の兵士が埋葬されていても大統領が献花したりするのだから、靖国神社に総理が参拝して何が問題なのだ」という論調を日本で目にすることがあるが、これはアメリカ人には全く受け入れられないたとえである。

 彼らに言わせると、アーリントン国立墓地は、確かに南軍の兵士も埋葬されているが、宗教色のない墓地であり、敷地内に奴隷制や朝鮮戦争、ベトナム戦争の正当性を主張するような資料館もない。さらに「米軍で戦闘地域に派遣される時に『アーリントンで会おう』と言って出発する兵士なんかいないよ」というあるアメリカ人の研究者の言葉が端的に示すように、国立墓地の存在が米軍人の精神的支柱になってはいないという意味で、靖国神社とアーリントン国立墓地は「似て非なるもの」なのだ。

米国の不信感と当事者意識

 要は、米国では、靖国神社とは、A級戦犯の合祀や、敷地内の資料館「遊就館」の展示を含め、戦前の日本の行為を正当化する象徴的存在なのである。つまり、そこに日本の総理が参拝することは、事後にどのような説明があったとしても「第二次世界大戦前の日本の行為を正当化する歴史観の肯定」であり、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序(当然、日米安全保障体制もその一部に含まれる)の否定につながる。これは中国や韓国の反応を抜きにして、米国として許容できないものなのである。

 さらに日本の総理が靖国神社に参拝することで、中国や韓国に「日本の軍国主義化」について大騒ぎをする絶好の口実を与えることになり、日本にはこれからアジア太平洋地域で安定した安全保障環境を作り出すために一層、安全保障分野での役割を拡大してもらいたいと考える米国にとっては非常に具合が悪い。つまり、日米同盟をこれから深化させていきたいという米国の意図が本物であればなおさら、日本の総理大臣による靖国神社参拝は敵に塩を送るに等しく、「百害あって一利なし」の行為なのだ。

 このような背景をもとに、安倍政権発足後、米国は水面下であらゆる機会をとらえて「靖国参拝だけはしないでもらいたい」と安倍総理本人やその周辺などに水面下で伝えてきた。政府関係者だけではなく、自民党に知己の多い民間の研究者からも、一貫して同じメッセージが出ていた。昨年10月に日米安全保障協議会(2プラス2)会合のために来日したヘーゲル国防長官とケリー国務長官が揃って千鳥ヶ淵に献花に赴いたのも、「戦争の犠牲者に追悼の意をささげるのであれば、こちらの施設があるではないか」という明確なメッセージだった。

 それにも拘わらず先月、安倍総理が靖国神社参拝に踏み切ったことで「安倍は個人の信条を日米同盟の将来や日本の国益に優先させる指導者なのか? そうだとすると、尖閣諸島で状況が緊迫するようなことがあった場合に、理性的な対応をしてくれることを本当に期待できるのか? わざと中国を挑発するような行為に走らないといえるのか?」という不信感が湧き上がっている。「大局的判断よりも自分の思い入れにこだわる指導者を米国は信頼できるのか? そのような人物がけん引する日本という国との関係を強化することで、米国がリスクを抱え込んでしまう可能性はないのか?」というわけで、米国の東アジアにおける立ち位置を考慮したうえでの「日本リスク論」が首をもたげているのである。

 このような不信感は、参拝から2週間が経過した今も根強く残っている。これまでは靖国神社参拝を「日本と中国・韓国の間の過去の歴史を巡る問題の一つ」であるとして、事態を静観していた米国が、今回の靖国神社参拝を契機に、この問題に当事者意識を持ち始めるに至っているのである。

日米関係への影響は不可避

 特に今回、総理の靖国神社参拝についての事前説明が日本側から全くなかった(参拝するという通報も、参拝の30分前に行われたという話もある)ことが、米政府の苛立ちを強めているようだ。ビジネスライクなことで知られるオバマ大統領は「サプライズ」を何よりも嫌うが、今回の参拝はオバマ政権にとっては「サプライズ」以外の何物でもなかった。小泉政権時代のように、米国との関係が指導者の強力な個人的関係にけん引され、ブッシュ大統領の強い意向を受けた米政府が、小泉総理に対する表立った批判を一貫して抑制していたような時代ではない。

 しかも、今回の参拝は、米国からの度重なるメッセージを無視して強行された、という見方がワシントンではほぼ、定着している。「水面下でのメッセージが伝わらないなら、これからはもっとはっきりと、公の場で米国は発言すべきではないか」という主張がジワジワと説得力を増している。今回のアメリカ大使館から出た声明がその第一歩となってしまう可能性も十分にあるのだ。

 参拝以降、「来春のオバマ訪日は中止すべきでは」との声も根強く残っている。「訪日は中止すべきではない」という意見の人の中にも、「オバマ大統領本人の口から、はっきりと安倍総理に米国の不快感を伝えたほうがいい」と思っている人がいる。つまり、日本での認識とは異なり、今回の参拝は今後の日米関係に何らかの影響を及ぼすことは避けられないというのがワシントンの雰囲気なのだ。

 今回、残念なのは、「安倍総理靖国参拝」の衝撃が余りに大きく、「沖縄県の普天間飛行場の辺野古移設案受け入れ」という日米関係の実務面では極めて重要な成果が全く注目を集めていないことだ。しかも、この件について日本政府に謝意を表明するために行われたはずの日米防衛電話会談の中でも「日本が隣国との関係改善に努力することの重要性」についてヘーゲル国防長官が言及している。

 昨年12月17日に発表された日本初の国家安全保障戦略、新防衛大綱、新中期防衛力整備計画から明らかになった「アジア太平洋地域の安定という公共財のために日本は努力を拡大する」「自衛隊をより機動的に運用する」「本土防衛に必要な能力を強化する」といった方向性をもとに日米防衛協力の指針(ガイドライン)など、より具体的な防衛協力の中身を議論しようというときに、日米関係、ひいては安倍政権を見るオバマ大統領や閣僚の目が厳しくなるというのは、この作業に従事する事務レベルの人間にとっては、非常にやりにくい状況なのである。

米国に配慮しつつ参拝する方法はなかったのか

 国に命をささげた人に敬意を表し、追悼の意を表すために靖国神社に総理として参拝したい、して何が悪い、という安倍総理の思いも理解できる。しかし、この問題はまだ日本の中でも意見が分かれている。日本の国内がそのような状況なのだから、参拝を「国民との約束」と説明するのは無理があったのではないか。であるならば、米国にも一定の配慮を示しつつ、靖国神社を参拝するような方法は模索できなかったのだろうか。

 参拝そのものへの注目が大きすぎてほとんどのメディアが報じていないが、靖国神社参拝後に安倍総理が出した声明は「不戦の誓い」がはっきりと言及され、参拝に当たっての安倍総理の思いが伝わってくる、非常に良く書かれたものだ。たとえば、靖国神社参拝直後に千鳥ヶ淵にも献花し、そのあと、正式な記者会見を開いてあの声明を読みあげ、記者からの質問に答える、という方法を取ったらどうだっただろうか。

 安倍政権は、政権発足以降、「日米同盟間の信頼の回復」を掲げて安全保障政策上の様々な措置を積極的に講じてきた。国家安全保障戦略の策定や防衛大綱・中期防衛力整備計画の見直しはもちろん、国家安全保障会議の発足や特別秘密情報保護法の成立など、いずれも、日本の安全保障政策が国際安全保障環境に迅速に反応し、種々の政策を打ち出す即応性を得るためには必要とされてきたもので、日米同盟にとってもプラスになるものばかりである。政策実務面で日本が着実な前進を見せ始めた今、今回の靖国参拝が指導者間の「信頼」に傷をつけ、実務者の足を引っ張るようなことにならないことを願うばかりである。

辰巳由紀 (スティムソン・センター主任研究員)

ある人も、この「主任研究員」の記事を引用されていたが・・・・・・・・

フェイスブックでも指摘している人がいる様に、この記事には誤りもいくつか見られるようですが、「そんなのアメリカの自分勝手な都合じゃないか。」などと切り捨てない方が良いと思います。勿論中国や韓国に対するのと同様にアメリカにも配慮しろなんて言うつもりもないですが、「こういう見方もあるんだな。」と受けとめる分には決して悪くない問題提起を改めてした記事だと思います。(そもそもこのような問題を大きくした元凶の一人である加藤千洋氏、彼は中国でだったら秦檜汪兆銘みたいな扱いを受けるであろう((まあ日本も、偏狭な皇国史観が蔓延していた戦前には足利尊氏の墓に汚物までぶちまけられた事もあったらしいから、必ずしも中国人を笑える立場ではないのだけどね。))と言うか、売国奴だと非難されてもしょうがない事をしたのは否めない。)

過去ログでも言った様に、安倍総理の靖国参拝自体は間違った事ではないし、少なくとも建前上は不戦の誓い等故に参拝されたのでしょうが、日本人にとっての靖国とは、自分達に都合のいい歴史認識を押し付けてくる中国や韓国に対して「NO!」の姿勢を見せながらも、富国強兵策等明治維新(勿論誇るべき点だってあるのだが)で生じた歪みから戦争・敗戦に至った悲劇の歴史を決して美化等しないで、向き合い、未来に繋げていく事の「強い意思・信念」を確認すべき、ある意味「聖地」で有り続けなければいけないとも改めて思います。「死んだら仏」の日本人的美徳・風習等外国の人達にはなかなか理解してもらえない点もあるでしょうから、難しいかもしれないけど、安倍総理にとって大事なのは、「批判するから参拝しないのはおかしい。」(言ってる事自体はやはり間違いではなく、真っ当ではあるが)とか「靖国は再び参拝する。」とか言う事ではなく、そうした「日本人にとっての靖国のあり方」も強く訴え、右翼や保守主義思考の人達に靖国を、太平洋戦争等を正当化する拠り所等にしないよう大局観から日本という大船を適切に導いていく事だと思います。しかし、防衛面ではともかく、特に経済面ではそのような導きが出来ているのか甚だ疑問でありますが・・・・・・・そのような「強い意思・信念」を持ってこそ、日本人はさらに国際社会で自立した存在となれると自分は信じて疑わないのですが、果たして・・・・・・・・

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2014/01/08

元幕僚長とドクター中松、そして舛添要一も都知事選出馬の意向

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-193587/1.htm

田母神俊雄氏が都知事立候補表明 選対本部長は「チャンネル桜」水島氏

 

 

2014年1月7日(火)19時46分配信 J-CASTニュース

 

 

 

 
 
 

   航空自衛隊の元航空幕僚長の田母神俊雄氏(65)は2014年1月7日、都内で記者会見し、猪瀬直樹前知事の辞職に伴う東京都知事選挙(1月23日告示、2月9日投開票)に無所属で出馬すると正式に表明した。日本維新の会共同代表の石原慎太郎元都知事が個人的に支援することも明らかにした。選挙対策本部長は水島総氏が「日本文化チャンネル桜」社長を辞任して務める。

   田母神氏は2020年の東京五輪に向けて「東京の強靭化対策」を固めたいとし、自衛隊を中心とした災害救助体制を作るべきだと主張。「自衛隊の経験を持つ私は極めて適切な都知事ではないかと思っている」とした。

   都知事選には、前日本弁護士連合会長の宇都宮健児氏(67)がすでに立候補を表明している。

職場食堂のテレビで見た、NHK正午のニュースでも放送されていたけど、告示が23日だからあと半月ですね。

しかし、ホント今回も殆どまともなのいませんな。(苦笑)左翼な宇都宮健児氏は夫婦別姓、自虐史観的歴史認識等なその時点でアウトだし、舛添要一氏も、結局一度除名した筈の自民が擁立?ああやっぱこないだの参議院選挙で自民に票入れなくて正解だった(私が自民に票を入れた事があるのはたったの2回だけである)わでしたが、無節操ですよね。舛添氏と言えば、佐高信氏に「噂の真相」内連載の「筆刀両断!」で、誰かは忘れたけど、離婚した奥さんについて、「舛添のような男と結婚してしまった事に対するお悔やみと、見限って離婚した事に対するお祝いを申し上げる。」等痛烈な批判をされたり、誰が取り上げられた時の回か忘れたけど、「知ってるつもり?」でその佐高氏と隣同士で座っていた事とか笑えましたが。

ドクター中松氏も、「やっぱね。」と言うか、ホント毎回毎回よー出るわ。この爺さんも。(苦笑)知名度等舛添氏が有利そうですが、都知事になりたくて、国会議員を辞めるまでした東国原くん、さあどうする?(苦笑)彼っていかにも計算高そうだからもしかしたら出馬を見合わせるかもしれないけど、もう1人有力な(?)候補が名乗りを・・・・・・・そう、航空自衛隊のトップまで上り詰めながらも、論文が問題となって退官となった田母神俊雄元航空自衛隊幕僚長で、外国風に言えば退役中将(大将待遇の幕僚長を更迭されたため)です。これで東国原くんも出馬すれば、舛添氏と下半身が緩いおじさんトリオを結成できるけど、田母神氏は東京都都知事よりも国会議員となって、幕僚長まで登りつめた知識と経験を活かして、防衛大臣を目指す方が良いのではと思います。そう言えば、元陸上幕僚長で法務大臣にはなった人はいたようで、この人は短期での在任となってしまったようですが、まあそれでも田母神氏が彼ら候補者の中では一番マトモですね。まあ私は宇都宮氏のような左寄りに対しても、田母神氏のような右寄りに対しても決して全ての思想に賛同するわけではありませんが、今度こそはマトモな東京都都知事が出るのか見守っていきたいところであります。

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2014/01/06

「軍師官兵衛」第1話のちょっとした感想等

今日から仕事始めの人も多いと思いますが、サザエさん症候群が起きたであろう昨日夜、いよいよ今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」がスタートしました。一部始終をたまたま目にしたので、ちょっとした感想を述べてみたいと思います。

見て第一に思ったことは、全体的にキャストの年齢が高いなあと言う事でした。まず孝高(官兵衛)の親父職高役の柴田恭平氏ですね。最近もガッキーや綾野剛氏と共演された「空飛ぶ広報室」や、吉永小百合氏と共演された「北のカナリアたち」とか良くご活躍されてますが、孝高は天文15(1546)、彼が22歳の時に生まれたので、この頃はまだ30歳前後だったでしょう。祖父重隆も永正5(1508)生まれで、孝高が18歳の時まで生きていたらしいですが、竜雷太氏やはりまだ40代後半程度だったので柴田氏共々ちょっと老けていたかなあと。

しかし、孝高の祖父・父役以上に違和感あったのが、信長・秀吉出会いのシーンでしたね。信長役の江口洋介氏も壮年以降ならともかく、青年期は「せめてあと10歳程度若ければ・・・・・」(歳相応よりは若く見えますが)でしたが、秀吉役の竹中直人氏はもっと苦しい感じを受けました。あまり史実どうのこうの言ってもしゃーないのは分かっているけど、お互い出会ったのって、信長が20過ぎるか過ぎないかで、秀吉はまだ10代の頃だったでしょ。あの「で、あるか」にはニヤリとはさせられたけど、せめて秀吉は青年期は竹中氏ではない別の役者にした方が良かったのではと思いました。竹中氏と言えば、孝高最初の主君だった小寺政識も、配役が片岡鶴太郎氏なのは竹中氏同様過去の大河作品(「太平記」での北条高時役)を意識した起用だったのですかね?後に荒木村重に呼応して信長を裏切り、孝高受難の原因を作った人なのだから元々小者なのだけど、バカ殿っぷりが出ていて良かったです。()

また、少年期の孝高が土蔵に押し込められていたかと思えば、脱出したと見せかけて隠れ、戸を開けていた隙に逃げたシーンとかも良かったです。悪知恵が働いていたなあと言うか、後の天才軍師の片鱗が良く表れていました。子役の子の演技も良かったけど、彼は果たしてこども店長や浜田龍臣くんみたいにブレイクするか?本作って、実はアベノミクスの影響もあってか、企業ドラマの戦国版がコンセプトみたく、信長をトヨタに、毛利元就・輝元をマツダにたとえているらしい。そう言えば緒方直人氏主演の「信長 KING OF ZIPANGUも、現代日本の労働問題(長時間労働等)と重ね合わせていたようですが、近年の大河ドラマにしては「今度はそれなりに面白いかな?」と思わせるものはありました。

期待してみて良いかもしれませんが、来年は来年でどうなるか・・・・・・・吉田松陰の妹なんて新島八重以上にマイナーじゃんと言うか、単発でならまだともかく1年はキツいでしょう。何だか近年の大河ってまた、隔年で女性が主人公となっているけど、そんなに女性を主人公にしたいのなら、清少納言&紫式部、物足りなければ和泉式部か赤染衛門もセットでどう?「紫式部は源氏物語を題材とした映画何作も制作された事あるし、イマイチ新鮮味無いなあ。」なら、前半は小野小町が、後半は藤原高子(陽成天皇生母)と班子女王(桓武天皇の孫で宇多天皇生母。つまり宇多は父・母方双方皇族の血を引いている事になり、宇多にとって桓武は父方なら高祖父、母方なら曾祖父にあたる)が主人公でどうでしょう?

 

時は平安前期、天皇家の家父長だった嵯峨上皇の元、薬子の変以降は平和な時代を迎えていたが、小町の近親者(年代的に祖父とするのは無理がある)である篁が藤原常嗣と遣唐使の船を巡って対立、嵯峨の逆鱗に触れて流罪になる波乱の幕開け!!その後空海の入滅も聞いたが、篁は中央への復帰を果たし、参議にまで昇進!!小町も仁明天皇朝の宮廷に仕える事となる。平和が崩れたのは、嵯峨の崩御後すぐの事。皇位継承も絡んだ承和の変や伴氏の野望が木端微塵に打ち砕かれた応天門の変等の政争で藤原北家が良房を総帥とし、権力を強めていく中で、出仕を辞めた小町は流浪の旅の末常陸国新治郡に隠棲する事となった。一方、その藤原氏の政治の為の道具となっていた、良房姪で基経妹の高子は、某アニメではバルログ・アトーベ様が中の人で小町とも付き合っていた事があった在原業平と情熱的な恋愛を!!これは結局叶わぬ恋に終わったが、清和天皇との間に産まれた貞明(陽成天皇)は彼女の反抗的なDNAを受け継ぎ、成長するにつれて基経の権力に反抗する。結果退位させられ、桓武天皇孫の班子が、人格者だったが政治とは無縁で一皇族として一生を終えるはずだった夫・時康親王の即位(光孝天皇)で女御に!!そして臣下となっていた愛息・定省(宇多天皇)も夫から異例の皇位継承!!外戚関係にない藤原氏からの、目障りな橘氏潰しも目的とした先制パンチだった阿衡の紛議が起きるも、青年期から学者として頭角を現しながら、業平から恋の手ほどきも受け、小町達同様汚い政争も見てきた菅原道真が基経に諫言!!当時今でいう香川県県知事(讃岐守)だった道真は基経死後の宇多親政下で、祖父や父を超える破格の出世を遂げる。班子は孫・敦仁(醍醐天皇)の即位も見た後世を去るが、高子は僧との密通でまさかの皇太后はく奪と明暗を分ける!!そして直後道真がまさかの大宰府へ左遷!!やがて道真は病死したが、その死後干ばつ等の異常気象が発生、高子も自身同様政治の道具にされていた姪の温子や兄の国経、そして道真を左遷に追いやった甥の時平(高子は、彼が国経から騙す形で、彼の元妻で、かって自分が愛していた業平の孫娘を奪った事にも反感を感じていた。)の後を追うようにこの世を去るが、道真の怨霊の怒りは収まらない。既に世を去っていた小町の霊の諌めにも、道真の怨霊は耳を貸さなかった。その後も左遷関係者は次々と世を去り、ついに清涼殿落雷事件をきっかけに醍醐が譲位!!班子の曾孫・寛明(朱雀天皇)が即位し、高子のもう1人の甥・忠平が父基経以来の摂関として天皇を助け、新たに藤原氏独走の基礎を築いた。しかし、世の中は平和にはならなかった。班子同様桓武の子孫だったが、既に彼女にとっては従弟にあたる祖父の代で臣籍降下していた。道真左遷の共犯者・源光の変死直後に大臣となった忠平に仕え、役人になる事を夢見ていたが叶わなかった事に失望し、都を去っていた青年がいたのである・・・・・・・・・その青年の根拠地は、小町終焉の地・常陸国新治郡ともごく近い位置にあったが、やがて都の天皇や貴族達を驚愕させる歴史の1ページを開く事になるのである・・・・・・・・・・そして高子の名誉が回復したのは、何とか班子の子孫達への皇位継承が安定し、その青年と、海賊と化した高子のもう1人の縁戚が討たれた後の事だった・・・・・・・・・・その少し前に時平一族期待の星だった、業平曾孫の敦忠が権中納言昇進から1年弱で早世していたが、息子の陽成上皇は、既に70半ばの老人となっており、祖母譲りの風流人だった元良(親王)はその名誉回復を見届けた直後陽成に先立ってこの世を去ったしかし、陽成の子孫達も武士として藤原氏や天皇・上皇中心の貴族の政治を終わらせ、その青年が叶わなかった武士の時代を築く事となるのである・・・・・・・・・

 

簡単なダイジェスト(妄想?)も流しましたが、面白そうでしょ?特に後半の主人公がこれなら、平安前期の政治・文化史から、1976年放送だったあの「風と雲と虹と」に上手い事繋がってしまうし、何より高子と班子の対比が明確です。皇位継承という点において。範囲的にはその「青年」の関東への帰郷前後までの約100年間です。(といっても、高子死後約数十年は最終話のみでの消化となりますが。)まあ陽成天皇や宇多天皇の描写は難しい所があるかもしれませんが・・・・・・・・その「青年」についてはまた、桓武天皇と祖父との間にはもう1代いる説もありますが、実は架空の人物な可能性が高いらしいです。また、清和源氏は実は陽成源氏だったのでは?な異説にも拠っています。少年期の安倍晴明や、醍醐天皇孫でもある源博雅も最終話ほんの僅かですが、登場させます。2015年はもう決まっていて、無理でしょうが、2017年の題材で考えてもらえませんかね?NHKさん?

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どのみち答えは近い内に必ず導かれるから

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140106-00000070-mai-pol

<安倍首相>「この春こそ収入アップを国民に届けたい」

毎日新聞 1月6日(月)19時55分配信   

 ◇伊勢神宮参拝後に記者会見

 安倍晋三首相は6日、三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝後、同神宮内で記者会見した。昨年末の首相の靖国神社参拝によって中国、韓国との首脳会談開催が遠のいたことについて、首相は「困難な課題や問題があるからこそ、前提条件を付けずに首脳同士が胸襟を開いて話をすべきだ。(参拝時の)談話で示した私の真意をぜひ直接、誠意を持って説明したい」と表明。靖国参拝を首脳会談の障害にすべきではないとの認識を示した。

【伊勢神宮参拝の様子】参拝客に笑顔で手を振る安倍首相

 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は6日の記者会見で「事前に十分な準備をすべきだ」と述べており、会談を巡る両首脳の主張には隔たりがある。首相は会見で「現時点で見通しがあるわけではない」とも述べた。

 一方、首相は「日本経済は1年前の危機的状況から脱し、順調に回復軌道を歩んでいる」と強調。「この春こそ景気回復の実感を収入アップという形で国民に届けたい。このことが消費の拡大を通じて、さらなる景気回復につながる」と述べ、消費増税対策を盛り込んだ2013年度補正予算案や14年度予算案を審議する次期通常国会を「好循環実現国会」と位置付けた。政府の成長戦略を今年半ばに改定し、雇用、農業、医療分野などの構造改革を進める方針も示した。

 また、首相は原発の新増設について「現在のところまったく想定していない」と明言。原子力規制委員会の安全審査が行われていることを踏まえ、「厳格な新安全基準を乗り越えた原発について、再稼働を判断していく」と述べ、再稼働に重ねて前向きな姿勢を示した。【村尾哲】

まあ私が今更指摘する程の事でもないでしょうが、右翼または安倍信者のヤフコメ住人って、同じ安倍総理がやっている事(あるいはやろうとしている事)でも、靖国参拝とか歴史認識絡みでは、直接関係ないのに、太平洋戦争を正当化(勿論私だって、有能な行政手腕を発揮した今村均とかその他インドネシア等の独立戦争に参加した旧帝国軍人を無視しているわけではないですよ。しかし、戦前からそういう動きがあったのに、都合のいい時だけ黄色人種である事を強調して、「兄たる日本が弟たるアジア諸国を指導し、独立させてやった。」なんて傲慢なんじゃないですか。そもそも戦前の日本には台湾と南洋諸島以外には朝鮮を保護国化する程度の国力しかなかったというのに)したりする等、鼻息荒いコメントをされているのに、こうした増税・原発関連では否定派の方が勢いあるってどういうことなんでしょうね。まあある意味分かり易いという事なのでしょうが・・・・・・・・・南京大虐殺捏造のコメも、全然関係ないやん。(苦笑)

まあこれも本当に安倍総理の言う通りになりそうなのか?小学生の算数レベルの予想問題ですよね。過去ログでも触れたけど、パナソニックのような企業もあるし、何だかんだ言って自民党はこの国の政党ではマトモな方なのだから、取り敢えず消費増税やらせてみたら良いんじゃないですか。それに対して1人1人何らかしらの形で抗議する事だって出来ると思うし、そうした方がただ批判するよりは良いでしょう。多分。東京オリンピックだって私は招致が決まっても全然嬉しくなんかないですがまた然りです。とにかく、余計「もう最初から政府は当てにするな。」という事なのでしょうね。月並みかもしれませんが。

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2014/01/05

Street Fighter 2 Sheng Long Hackでのガイルプレイ動画

http://www.youtube.com/watch?v=CjKWb_cYzKY

これは「Street Fighter 2 Sheng Long Hack」と言う、レインボー等と並ぶストⅡダッシュの海賊版です。プレイヤーはガイルですが、ダッシュベースなのに何故かターボカラー。他のキャラも見たような事ないカラー(ベガはXカラーに近かった)でしたが、サマーソルト飛びすぎww。デーブ・キングマンじゃないけど、アレではもっと本気出したらシカゴからミルウォーキーまで飛びそうです。(苦笑)個人的には、アネキブーンとかよりもマネックブーンとの空耳に聞こえたソニックブームもすぐ何発も、軌道も変えて発射できる上に空中でもOK!!無敵技のないキャラ相手なら、本気出せば積んでしまいそうな程の反則的な性能っぽいです。ベガのダブルニーハメですら可愛く感じてしまう。(苦笑)

実は次回作のダッシュターボの発売って、こうした海賊版対策という事情もあったらしいですが、当時は批判の声も少なくなかったのも意外にも感じられます。しかし、ガイルと四天王以外の7人には弱点を補うための新必殺技が追加(他の5人も、バイソンは鳥かご防止の為にターンパンチ振り向きポーズの際、無敵となった)される等対戦バランスはシリーズの中でも良かった方だったでしょう。攻撃力が最も抑え目だったのも特徴的でしたが、Xでもこのぐらいの攻撃力でも良かったと思います。実際ゲーメストでのダイヤグラムではリュウが1位でしたが、大きな差はなく、2位がケンで、3位がサガット・ブランカ・E本田・ザンギエフの4人同数でした。まあベガとバルログは弱体化ちょっと厳しすぎたかなあでしたが・・・・・・・後のZERO2豪鬼や、KOF98のルガール共々。(豪鬼は別に真豪鬼が隠しボスとして登場し、次回のZERO3ではVイズムの場合最強キャラ候補となったし、ルガールもラスボスとして、95みたいに半裸にはならなかったが別にオメガが存在、リメイクのUMでは良調整が施され、少なくとも中堅上位程度まで強くなったが)

現在はストⅣ鉄拳も、それにギルティギアメルティブラッドの他にも、5だけプレイした事があるけど、デッドオアアライブもそうでしょうが、KOFシリーズも13、闘劇に無理に間に合わせようとして、ずさんになってしまって結局焼き直しするハメになってしまいましたが、焼き直しが花さかり(?)な近年からでは余計ちょっと考えられないこのストⅡダッシュターボに対する批判だったかもしれません。ストⅣシリーズについては、さあウルトラはどうかな?ですが、まあ口説い様だけど、ダブルウルトラコンボ等の新要素や、AEでは中国人トリオ(フェイロン・李兄弟)だったけど、特定キャラを強くしすぎましたから次は「ウルトラ2015」を発売しますなんて事にならない様、カプコンにはしっかり調整して頂きたいものです。と言うかもう、SF自体正史とか全くこだわる必要ないのではですが・・・・・・

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2014/01/04

新テニスの王子様第115・116・117話-頼通の苛烈なるリンチ!!そして頂点を目指す殿!!

さあ2014年最初の新テニプリww感想です。

リョーガ、南次郎国王陛下と連絡を取っていたようですが、まだ王子様はあの記憶を取り戻していない模様。しかし、「真剣勝負・・・やろうよ」と王子様にしてはいい目つきで勝負を挑む事となりました。

しかし、メインはあくまで頼通(平等院鳳凰)wwwww対殿(徳川カズヤ)wwwのバトルです。もうあまりに凄すぎて観衆は驚きを隠せない。そしてこのやり取り!!

頼通wwww「沈没の恐怖に震えながら航海するがいい。」wwwww

殿www「俺は強くなりすぎた。この確信は揺るがない!」wwwww

中二病丸出しwwwwwなこの台詞!!そしていつも通りの許斐剛大先生十八番な大ゴマwwwww!!シリアスなハズの場面でも大先生はマジメに笑いを取る事を常に忘れません!!そして鬼おじさんの、「徳川・・・・あの時の約束果たして来いや」との語りかけの元、奏太くんも交えた過去エピソードが明かされる事となります。

その時も合宿でした。あまり今と変わってない殿、手応えのある相手を探していた殿、そこに頼通wwwwが「待て・・・じゃあ俺とやろうぜ・・・・」と挑戦を買って出ます。と言うか、まだ髭こそはやしていませんでしたが、髪は既に長髪!!つくづくイメチェンが好きなwww頼通wwwwですが、殿は細々と身なりを注意、しかし、頼通は気にかけず、殿の「本気でやりますが後悔しないように」な鼻につくwwwwセリフの元バトルが始まりました。しかし・・・・・・・・

頼通もそんな殿の態度をウゼーと思ったのかwwww余計容赦しなかったようで、顎や腹に弾を遠慮なく当てまくっていた!!しかし、頼通は「激痛で意識が戻ったか!良かったな。」「さあ楽しくテニスやろうぜエリート!!」とどこまでも殿を嬲る気マンマンwwwww!!もう殿は立つのもやっとなノックアウト寸前でフラフラ!!なのに頼通の容赦ないwwww攻撃は続きます!!「どうしたよエリート・・・・プロになるんだろ?だったら・・・勝ち負けの本当の意味を俺が教えてやるッ!!」とどこまでも残虐非道!!うわ、これは酷すぎるわwwww・・・・・・・老人虐待したキテレツですら可愛く見えるよ・・・・・・・・

いい加減見かねた奏太がリタイアを申し出ましたが、頼通だけでなく鬼おじさんも了承しませんでした。奏太は笑えない冗談も交えながら殿をちゃんと手当したから、流石に命に別状とかはなかったようですが、プライドをズタズタにされた悔しさからか、殿は涙を流しました。三方ヶ原合戦で敗退し、アレを漏らしながら逃げた先祖(苗字が同じだけだっつうの)の家康と重なり合うものがあったのかもしれません。しかし、鬼おじさんは「男が泣いていいのは悲願が成就した時だけだ。」と諭します。カッコ良いよ!!あんた!!今月号の名言だろうね。これは。そして鬼おじさんと奏太くんは海外遠征を断ってまでもこの殿を特訓する事になります。先祖の家康(だから苗字が同じだけだっつうの)も、狸親父となったのは秀吉が死んでからで本来は律義者だったのですが、恩を必ず返すと宣言した殿に対して2人とも「そんなもの売った覚えはない!!」ととぼけます。奏太くんも意外と良い奴だったんですね。ちょっと見直したぞ。

そして現在の話に戻ります。殿は確かにさらに強くなった。頼通はラケットのガットを突き破られたまま黙って座り込んでいましたが、彼に対してさらに力強くこう宣言しました。

「俺は日本代表のトップになる!」

しかし、鬼おじさんの前述の名言と比べると凡庸に見えてしまうかもしれません。と言うか、彼は本来ここにいるのがもったいないぐらい、マトモな数少ないテニス星人なのに・・・・・・

メディア進出面でも依然好調!!残念ながら会場に行けなかったファンの人達の為にも、テニプリフェスタ2013のDVDが2月21日の花金の日(もうこれも死語か。私の職場ではまだこう呼んでいる人がいるが)に発売されるとの事です!!しかも、豪華版と通常版どちらも!!これで価格が税抜きで3000円なんて安いでしょう!!大企業には優しいが、一般国民には優しくないこの国の政治!!消費増税も決まったし、発売されたら即買うしかない!!

http://subcultureblog.blog.fc2.com/blog-entry-5440.html

そう言えば今月号の表紙は、とらぶるダークネスで、スクエアに移ってエロ描写ますますパワーアップで絶好調!!本編ではいきなりヤミちゃんの全裸!!そしてノーパン着物姿!!で、リトくんも福田負債wwwwのガンダム種死のシン・アスカなんて全然目じゃないラッキースケベwwwwwっぷりはますます羨ましすぎるぞ!!ですが、許斐剛大先生ももっと対抗するっきゃない!!そしてまた名言(迷言)wwwww入りブロマイドwwwwwwもまた出して、夢のネスカフェCMwwww出演の為にもっとアピールしよう!!2014年もテニプリはさらに走り続ける!!これはもう間違いない!!

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荘司としおと足利義満の「奇妙な(?)縁」

http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/mmanga/moriyuki.html

上記HPは、南北朝時代が好きな方のHPで、細川頼之&足利義満を主人公とした「室町太平記」なる仮想大河ドラマの企画(私も何度も見させて頂いてますが)も見られます。これは集英社出版、学習漫画日本の歴史(以降「漫画」と表記)1982年版の紹介ページです。漫画はもりゆき男先生でしたが、この「漫画」での義満は等持院木造の風貌を忠実に再現した意匠となっています。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/image/yosimitu02.jpg

ちなみにその等持院での義満木造はこれですが、この足利義満とやけに縁がある漫画家の先生がいるのです。その人こそ、「サイクル野郎」や故・梶原一騎氏とコンビを組まれた「夕焼け番長」等何作もヒット作を出した荘司としお先生なのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/kaze2010_case_case/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fimg5.blogs.yahoo.co.jp%2Fybi%2F1%2F29%2Fd1%2Fkaze2010_case_case%2Ffolder%2F432210%2Fimg_432210_6774423_4%3F1367663245&i=1

http://auction.thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_aucitem/image3/102/10720102/1108/img5450820191298.jpg

荘司先生は、歳がさほど違わないが、やはり数多くのヒット作を出す等一時代を築かれた貝塚ひろし先生のアシスタント出身で、「ど根性ガエル」等の吉沢やすみ先生とは兄弟弟子にあたります。私はこの荘司先生の絵が好きです。

上記の、ヤフー某ブログが貝塚先生、オークションページでのが荘司先生のそれぞれ作品画像ページです。荘司先生の絵はアシスタント時の貝塚先生のそれの絵の影響を受けていると思われます。何が魅力なのかと言うと、描き分けは上手いほうではないですが、表情が豊かで人間味あふれるからなのです。

貝塚先生も荘司先生も1980年代半ば以降は集英社出版を中心とした歴史系学習漫画の執筆も多数手がけられる事になりましたが、特に伝記日本の歴史(以降「伝記」と表記)での源義経です。義経、琵琶湖で何故か裸で水浴びしていた所を野盗に身ぐるみ剥がれるショタコン萌え(苦笑)なシーンも見られたのですが、頼朝が、静御前が義経を慕う歌を目の前で歌ったのにブチ切れて斬殺しようとしたり、彼を庇護してくれた藤原秀衡が死んだ後、「目の上のたん瘤がくたばった!!これでもういつでも奴を殺せる!!」と言わんばかりな、まるで鼠を捉えた凶暴な猫みたいに喜んだシーンはまさにテラ悪役wwで、強烈な印象を何げに残してくれました。まさに先生の真骨頂なシーンでした。他の凡百な漫画家では、ここまで愛嬌さと憎々しさを兼ね備えたような描き方はできないでしょう。

しかし、そんな先生がもっとも縁があった人物はおそらく足利義満でしょう。「伝記」でも義経や空海共々漫画を担当(1989年)されましたが、実はその5年前の1984年(昭和59)にも人物日本の歴史シリーズ(以降「人物」と表記)というのも別にあって、その時代を代表する、複数の人物を短編伝記形式で取り上げたのですが、この「人物」でも義満漫画を担当されたのです。しかし、あくまで短編という限られた尺もあってか、「伝記」との違いも少なくありませんでした。

赤松則祐、二条良基、観阿弥等「人物」では登場しない主要人物が何人もいた。「伝記」では世阿弥も副主人公に近い扱いでしたが、「人物」では数シーンの登場にとどまってます。

義詮が死ぬ間際のシーン、「人物」では死亡時点でまだ37歳だったにも関わらず老け込んでしまっていたが、自分の父の命の灯火が消えそうな時なのにミョーにすました顔して、悲しげな様子を見せない等態度が不自然。(苦笑)

・「人物」では花の御所建設時点でまだ20歳になるかならないかで義満は髭を生やしたが、「伝記」ではそれより3・4年後の1381年(永徳1)に、祖父尊氏と父義詮の生前の官位を超える内大臣となった時に髭を生やす姿が見られるようになった。

・「人物」では1379年(康暦1)の康暦の政変時、頼之の管領解任を通達した際まだ義満が折烏帽子を被っていたシーンが見られたが、「伝記」では10代後半以降は折烏帽子を被ったシーンは見られなかった。

・烏帽子と言えば、「人物」ではまた義満や彼に超愛されていた義嗣立烏帽子を被っていたシーンも見られた。

守護大名達も、「人物」では斯波義将等狩衣(武家の礼服と化したのは確か江戸時代以降の事だったと思うが・・・・・・)を着ていた姿も見られた。

・いずれも登場はしていても、斯波義将、大内義弘、後小松天皇等容姿が異なっていた人物も何人かいた。後小松天皇は「伝記」の方が実際の肖像画に近い風貌でした。

・そしてこれが最も重要な違いでしょう。「人物」では、義満ははっきりと(おそらく義嗣を後小松天皇の養子として、次期天皇にして自分は)上皇になる野望を持っていた事が描かれていたが、「伝記」では勿論天皇を凌ぐ牽制を誇っていた姿は描かれていてもそこまでは明言させていなかった。

以上が主な違いですが、伊勢貞継も「人物」では登場してなくて、「伝記」では1361年(康安1)における南朝方京都占領の際、義満の行方を拷問されても割らず、名誉の死を遂げたかと思えば、実はあの後も生きていたんですね。何と82歳まで生きて、亡くなったのは1391年(明徳2)の事。頼之や彼の弟・頼有(細川元総理の御先祖様です)、そして結局南朝に戻った楠木正儀ら共々南北朝合一直前まで生きていたんですね。でもその後政所の執事にまでなったのに存在自体忘れ去られてしまったのは何とも気の毒です。

そして皇位簒奪については、太政大臣任命の際「人物」でも「伝記」でも「俺は太政大臣程度なんかで満足しないぞ。」という様な事を言っていて、つい最近知ったけど、義満って二条良基が亡くなる少し前の1388年(嘉慶2)に左大臣を一度辞任していましたが、南北朝合一直後の1392年(明徳3)末に還任しているんですね。右大臣・久我具通か、内大臣・一条経嗣が任命されるかと思いきやです。(もし具通の左大臣就任が実現していたら、久我家と名乗った以降では初の左大臣となっていた。)この頃の義満は既に准三后と言って、皇族に準ずる扱いを受けていたし、今更太政官の官職にこだわる必要も無かったのではでしたが、村上源氏に代わって源氏長者にもなっていた事・そして南北朝合一という功績を果たした事からも前左大臣では体裁が悪いと朝廷が思ったのか功労を労うつもりで還任させたのでしょうか。女を巡って従兄弟同士(生母が姉妹)ながらも確執を抱えた事もあった、後円融上皇の意図も何だか感じないでもないです。もう既に良基もいなかったし。

実際上皇が崩御した5ヶ月後の1393年(明徳4)9月に僅か9ヶ月弱程度で左大臣を辞任して、後任には経嗣が就任したし、太政大臣も半年で辞任して出家しましたが、「人物」では必ず巻末に監修された、故・笠原一男先生の解説が掲載されていました。この笠原先生、貝塚先生が漫画を担当された平将門と藤原純友に対しては「朝廷権力の恐ろしさも知らない身の程知らずにも関わらず、甘い見通しで反乱を企てた挙句自滅した。」と言うような、かなり厳しい(苦笑)解説をされていました。まあ大正生まれの笠原先生が小~高等教育を受けられた頃はまだ戦前で、偏狭な皇国史観も蔓延っていた異常な時代でしたが、意外と(?)尊氏と義満に対してはそんな厳しい解説はしていませんでした。なお尊氏もまた、故・古城武司先生は「人物」「伝記」双方で漫画を担当されてましたが、観応の擾乱は「人物」では「伝記」以上に駆け足で描かれていました。まあこれは複雑怪奇な幕府の内部抗争でしたからしょうがなかったですけどね。

しかし、荘司先生、他にも日本の歴史人物事典1984年版でも、鎧姿で馬に乗った義満のイラストを描かれていたし、「伝記」からさらに9年後の「漫画」1998年版でもこの時代、義満死後~応仁の乱後の義政の死までを描かれていました。そしてまたさらに3年後の日本の歴史人物事典2001年版でもまたまた義満の漫画を担当!!今度は南北朝合一~義満死後の鹿苑院太上法皇の尊号辞退までが描かれていたのです。いやあ本当に義満の漫画執筆に縁がある!!他にも織田信長・武田晴信(信玄)も「人物」「漫画」1998年版で担当(まあ信長は何と言っても、中島利行先生の漫画が最高ですけどね)されていたし、豊臣秀吉も「漫画」1998年版と「世界の国旗事典」(日本・韓国・ギリシャ・ルーマニア・オーストラリア等を担当)で描かれていたけど、特に義満については「彼の漫画なら俺に任せろ!!」ですね。まさに。

http://www.ninomiya.or.jp/33-ema/list-07/

まあ「だから何だよ。」と思われるかもしれないけど、、折角の正月休みなので新年早々そんなどーでもいい話を長々としました。今年で73歳になられる先生、近年もこのようなイラストも描かれているようですが、先生の作品は機会あらば一度読んでみたいです。

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2014/01/03

到来した2014年とアベノミクスの真価はいかに

http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20140102-00000005-wordleaf-bus_all&s=lost_points&o=desc&p=2

2014年「アベノミクス」で賃金は上がるのか?

THE PAGE 1月2日(木)20時0分配信   

安倍首相が昨年打ち出した「アベノミクス」は、円安基調や株価上昇などにつながり、景気を好転させたといわれています。しかし、大胆な金融緩和で物価上昇を目指すことから賃金上昇も不可欠ともいわれます。過去の景気回復局面では「実感なき景気回復」とやゆされるなど、賃金は十分に上がったとはいえませんでした。安倍政権では賃金アップの方向性も打ち出していますが、果たして思うように上がるのか。個人消費や雇用・賃金の問題に詳しい、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの尾畠未輝さんに聞きました。

賃金が上がるために必要な条件

ーーーーアベノミクスで賃金は上がるのか?
一番難しい質問ですね。賃金が上がるためには、景気が一時的ではなく、継続的に良くなることが必要です。企業の儲け、つまり収益が増えれば、モノが売れて不足してくる、そして人出が不足してくる。そうなると、高いお金がつくようになる。需要が供給より増えるとモノのお金も人のお金、つまり賃金も上がってくるという構図です。

それがある程度長い間、継続して景気が良くなって、企業活動が活発になることが大前提です。景気の回復が今のようにずっと続いていけば、賃金が上がってくる可能性はあります。

非正規雇用の増加の影響

ーーーー継続的な好景気が必要だと。
ただ、今までなぜ賃金が上がって来なかったのかというと、一人ひとりの賃金が落ちているということもありますが、やはり賃金が安い人、つまり非正規の人たちが増えてしまっているからです。賃金の高い人が減って、賃金の低い人が増えると、平均の賃金でみると、どんどん下がってくることになります。こうした短時間労働者らが増えたことが平均の賃金を上がりづらくさせてきました。

これから景気が良くなっていけば、企業も正社員を雇おうかとなるかもしれませんが、まだ少し先行きが不安だという気持ちがあれば、非正規で雇うという流れは変わらないかもしれない。そうすると、「賃金押し下げ圧力」はずっと続くことになるので、景気は回復しているのに、なぜか賃金が上がってこない、という可能性もないとはいえません。

ーーーー正社員の賃金は上がってる?
正社員の賃金はそこまで下がってはいませんし、上がってはいません。物価が90年代後半からずっと下がっているので。ここ10年で非正規雇用が増えました。その流れが一気に変わるということは考えにくい。ただ、景気が継続して回復すれば、モノも人も不足してくるので賃金が上がるきっかけにはなります。

中小企業まで波及するのか

ーーーー大企業と中小企業の格差もある。
収益とモノの関係でいくと、業績がいいのは大企業。一方で、人出が不足しているのは中小企業。みんな大企業志向が強い中で、中小企業は賃金が安いのでなかなか働きたがらない。

大企業は儲けが出ているので、賃金を上げようと思えば、簡単ではないが、上げられなくもない。ただ人も足りている。むしろ人件費を下げているから収益がいいという側面もあります。いま注目されている春闘の賃上げでも、賃金を上げますと言う企業が出てきています。大企業は、リーマンショックの後、一時的に悪い時期もありましたが、継続して業績が良くなっているので、政府が賃上げ要請したことに対して、素直に応えることができた部分もあると思います。

一方で、中小企業はどうかというと、人出が不足しているので、できれば賃金を上げて人を集めたい。ただ収益はどうかというと、まだまだ経営状況が厳しく儲かっていない。なので賃金が上げられないという状態。そこでギャップが生まれてしまっていることが一つ問題です。

ポイントとしては、中小企業まで収益改善の流れが広がってくるのか。日銀短観などでは足下でも広がりつつあるという調査結果が出てきています。それが続けばいいのですが。ただこの春に予定されている消費税アップの影響は、どうしても中小企業にしわ寄せが来やすい可能性があるので、消費税増税が一つの大きなヤマになってくくるでしょう。まず8%へのアップを乗り越えることができるかどうかですね。

どれくらいの景気回復が必要?

ーーーーどれくらい景気回復が続けば賃金にも反映されるのか

景気の回復が、時間がたてば本当に波及していくのか、それとも構造的に日本は
大企業は良くても、中小企業は何年経っても良くないという状況なのか、これまで疑わしかった部分はあります。少なくとも、今後景気回復が続いて、消費税増税があっても、あまり景気が悪くならなかった、となれば、企業にとっても消費者にとっても
一つの自信につながるかもしれません。そこで「安心」だということになれば、設備投資を増やそうとか、人出が不足するから賃金を上げよう、という動きにつながります。非正規ではなくて正社員を採ろうという流れに少しでもなれば。

ただ、ずっと20年くらい景気が悪くなっているのを続けて見ていると、今年1年くらい景気が良くなったくらいでは難しいかもしれない。だいぶムードは変わりましたが、自信が持てるかというと、まだ不安な部分はあると思います。いずれにせよ、そうした企業のマインドが変わるためにも、継続して景気が良くなることが大事です。

■尾畠未輝(おはた・みき)
調査部 研究員    2008年3月慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了。同年4月三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。金融機関経営コンサルティング業務を経て、現在、調査部で個人消費、住宅、雇用・賃金など家計部門を中心に国内マクロ経済調査を担当。日本経済新聞「ゼミナール(賃金はあがるのか?)」連載やプライムコンサルタント「プライムブックレット」、財団法人労務行政研究所「労政時報」および「HR Watcher(コラム)」など定期寄稿。

来週6日から仕事の人が多いと思われ、私もそうですが、安倍総理いきなり9日から1週間かけて中東・アフリカを訪問するんですね。それが終わったら、今度は25日から3日間インドに行く予定らしいですが・・・・・・・今度はまあ賃金上昇の可能性は、大手ならともかく中小企業は下手すれば消費税率以下の確率でしょうね。だって例えばパナソニックなんて新卒採用人員倍増と思いきや、その直前に大幅なリストラを敢行して、しかも今度また情報システム部門だけでも1000人も首切るつもりらしいじゃない?大手でさえ、こういう企業があるのだし、消費増税だってもう決まったのだからあまり景気回復等をアピールされてもこれでは虚しかしか感じないですよね。

ヤフコメでも、「10年経たないと末端まで影響できないだろう。」とのコメントが見られたけど、小泉政権の時だって比較的景気良かった時期は2002年春頃~2009年秋頃の、世界金融危機前までの7年強程度だったでしょ?まあそんな続かないでしょう。東京オリンピックだって、そのオリンピックの翌年は高い確率で不景気になるし、オリンピック景気だって所詮一時の線香花火程度にしかならないでしょう。勿論安倍総理や滝川クリステル氏の功績を否定するわけではないけど、そんなのに浮かれている場合じゃないというか、福島の為に使った方がどれだけ有意義か・・・・・・・・正直嬉しくないですよ。

まあ今年は特に安倍政権の経済政策が将来の日本国民にとって幸福な答えとなるか否やハッキリ示される年になるでしょうが、まあ例年に増しておてなみ拝見と言った所ですね。何だかんだ言ってこの国の政党では自民党はマトモな方なのだから。政権与党のレベル=国民のレベルなのだからもうしょうがない。これは。

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2014/01/01

AKB大島優子もついに卒業

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140101-00000040-dal-ent

卒業発表のAKB大島優子、元日公演でファンに改めて報告「驚かせてしまってスミマセン」

デイリースポーツ 1月1日(水)16時50分配信   

 大みそかのNHK紅白歌合戦で、AKB48からの卒業を電撃発表した大島優子(25)が1日、東京・秋葉原のAKB48劇場で元日公演に登場した。

【写真】秋元氏も怒りあらわ…物議醸した乃木坂46の新ダンス

 衝撃の報告から一夜が明け、高橋みなみ(22)、小嶋陽菜(25)ら選抜常連の人気メンバー16人でステージに上がって、「昨日は急な発表をしてしまい、驚かせてしまってスミマセン。1秒1秒を目のフィルターのシャッターを切りながら、感謝の気持ちをもって過ごしていきたいと思います」と深々一礼。卒業時期は未定ながら、限りあるAKBでの青春に全力を注ぐことを、ホームのファン250人に約束した。

 大島は年末の激務の疲れを感じさせることなく、キレのある動きで「恋するフォーチュンクッキー」など3曲をパフォーマンス。新春らしく書き初めで「馬乗り NORINORI 調子のり」と今年の抱負を掲げ、なぜか外国人のような口調で読み上げて、笑いを誘った。

 また、2月26日に35枚目のシングルとなる新曲を発売することを発表。大島が歌唱メンバーに加わるかなどの詳細は、明かされなかった。

今回もついに紅白は見ず、ダウンタウンガキ使罰ゲームスペシャルを見ていたらいつの間に2014年になってしまった感じでしたが、「ああついにか・・・・・」ですね。確かに良くも悪くもAKBをここまでのグループとした功績は否定はしないけど、他の出演者だっているのにねえ・・・・・頭ごなしで非難する程の事でもないけど、AKB自身のライブで発表すればいい事でしょう。まあキムタクや柴咲コウ氏と共演した「安堂ロイド」でも演技は微妙で、AKBの中では「ろくでなしブルース」実写版に出ていた北原里英ちゃん共々マシな方(それも元々子役なのだから当然なのだが)に過ぎませんが、能書きはいいからAKBの肩書きが無くてもちゃんと通用するよう頑張ってくださいね。私は残念ながらAKBはアンチですが、取り敢えずお疲れ様。

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百人一首の歌人達(7)‐25番三条右大臣、26番貞信公&27番中納言兼輔

「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られて 来るよしもがな」(三条右大臣)

「をくらやま みねのもみちは こころあらは いまひとたひの みゆきまたなむ」(貞信公)

「みかのはら わきてなかるる いつみかは いつみきとてか こひしかるらむ」(中納言兼輔)

今年(2014年)初のエントリーですが、このシリーズ第7弾です。三条右大臣とは醍醐天皇外叔父だった藤原定方の事で、貞信公とは延喜・天暦の治の間に摂政・関白を務めた藤原忠平の事、中納言兼輔とは定方の従兄弟で娘婿でもあった藤原兼輔の事です。忠平の歌は907年(延喜7)9月に宇多法皇が大井川に御行した際、「天皇(醍醐天皇)にもこの紅葉を見せてあげたいものだ。」とこぼした程感激していたのを見て歌った歌です。

http://hmikann.blog110.fc2.com/blog-entry-1045.html

上記ブログでのイラストは唐風装束姿の忠平が描かれていて、過去ログでも「やっぱ醍醐朝後半~村上朝前半にかけて束帯や狩衣等の平安装束に移行していったのでは。」と言ったけど、やはり忠平にとっては義理の甥(妻が長兄・時平の娘)でもあった敦実親王(宇多法皇皇子・醍醐天皇弟)に926年(延長4)に狩衣袴が許されたとの記録が見えるようなので、遅くとももう醍醐朝末期には平安装束が広まってきたと見て間違いないでしょう。だからこの歌を歌った頃の忠平はまだ同イラスト通りだったでしょう。

忠平といえばまた、集英社出版学習漫画「日本の歴史」1982年版や「人物日本の歴史」平将門編では役人になる事を願った将門に対し、「お主のような田舎者は関東でたぬきとかと遊びながら畑でも耕していた方が似合っておるぞ~」と酷い事wwを言ってましたが、「日本の歴史」1998年版では、「そなたはまだ若い。役人になるのはもっと力をつけてからにしなさい。」とやんわりと諭していて、こちらの方が真実味があったでしょう。(「人物日本の歴史」では、藤原純友も貝塚ひろし先生が漫画を担当されていて、そちらにも忠平は登場している。)

忠平の歌に話を戻しますが、当時は過去ログで取り上げた菅原道真が大宰府に追放された昌泰の変からまだ6年しか経っていません。これは主導権を巡る、宇多法皇・醍醐天皇の確執も背景にあったようですが、この歌から察するに、そうした確執とかは既に解けていったのでしょう。道真失脚以前は、彼をゴリ押しさせてまでも自分の意志を貫き通す強引な手腕もしばしば見せながらも、失脚後は、反対していた妹の穏子の入台、道真の死、天皇と彼女との間に産まれた祟象親王(後、保明と改名)の生後まもない立太子、そして時平長男・保忠の叙爵等もあって「過ぎた事をいつまで悔やんでもしゃーないし。もう俺は俺自身の運命を受け入れて生きていこう。」と思うようになったのでしょう。この大井川御幸から僅か半月後の10月2日には、今度は紀伊と熊野に出かけています。913年(延喜13)には大掛かりだった亭子院歌合も行っています。ただ、在位時には寛平の治と評される等少なくとも名君となる素質はありましたから、特に927年(延長5)には初めての院宣が見られるように、延喜の治というけど、実際は大井川や紀伊や熊野への観光等で遊んでいたこの頃から次第に政治的影響力を取り戻していき、道真を失脚、彼の娘婿だった斉世親王も出家に追い込ませてしまった反省から、天皇や時平・忠平と上手く強調して政治を見ていたのでしょう。(前述の歌合とほぼ同時期斉世に灌頂を授けたのも、罪滅ぼし等の親心故だったのでしょう。)

昌泰の変直前に参議を辞退していた忠平が、この一連の法皇御幸から数ヵ月後の908年(延喜8)正月に、次兄の仲平より一足早く参議に還任されたのも、そうした法皇の政治的影響力の復活もあったのではでしたが、それから僅か1年少しで意欲的に政治改革に取り組んでいた時平が早世、やはり道真失脚劇の首謀者だった源光も変死する等もし本当にあったとすれば忠平は道真怨霊騒動で最も得をしたのですが、彼ほどではないにせよ、三条右大臣・定方もそうだったでしょう。

父の藤原高藤も、醍醐天皇外祖父になったにも関わらず、その即位の際蔑ろにされた事に怒って、賜姓旧皇族の長老格だった光や、基経と時平の間の藤氏長者だったが、引退していた良世(時平・忠平の大叔父)に変わって北家長老格だった国経とグルになってボイコットに及ぶ事になりましたが、兄の定国も反道真派で、既に906年(延喜6)に40歳で亡くなっていました。この時点で定国は従三位大納言で、時平政権下では時平・光・国経に次ぐ序列4番目の閣僚でした。対する定方は従四位下右近衛権中将で、30代半ばでしたが、まだ公卿にはなっていませんでした。同じ醍醐天皇外戚(外叔父)でもこれは大きい差です。それが兄貴が死んでしまい、時平も死んだ5日後の909年(延喜9)4月9日に参議として公卿に列せられました。なお、同じ日には忠平も上位者5人を一気に抜かして権中納言となっています。

定方は父や兄のように道真排斥に関与した形跡(少なくとも表立っては)は見られませんが、おそらく政治的野心とかはあまりなく、上記の歌からも察せられるように本来はどちらかと言うと、風流に生きようしたのでしょう。ところが、兄の日陰者として一生を終えるはずが、思ったより早く死んでしまった。時平も死んで、公卿となり、さらに4年後の913年(延喜13)1月には仲平等上位者5人を抜かして中納言となった。「俺ってラッキー?もしかしたら、もっと行けるのかも?」とでも思ったのかどうかは知りませんが、娘の能子が醍醐天皇の女御となったのはこの中納言昇進の直後だったでしょう。この能子との間に皇子が産まれれば、父同様天皇の外祖父になれる可能性だって有り得ます。そして920年(延喜20)にはついに大納言になりました。兄に並びましたが、父・高藤も内大臣(当時は、該当者の資格はあるが、大臣に欠員がいない時のみに臨時に充てられた性格が強かったのでしょう。中世以降は准大臣がそうした官職になった感じです。)となっていたのは死の数ヶ月前でしかももう危篤状態だったらしいから、実質的に父にも並んだと言ってよかったでしょう。

そして924年(延長2)にはついに左大臣となった忠平の後任の右大臣となりました。父の官職をもついに超えたわけです。前年に保明親王は亡くなりましたが、その子の康頼王が皇太孫となったので、定方は皇太孫の外叔父となった保忠(時平長男)共々忠平の政治的ライバルとしてますます重きを置いた存在となったわけです。兼輔も既に921年(延喜21)に公卿となっています。この年は空海が朝廷から弘法大師の称号を頂いています。

しかし、運命の女神は忠平に微笑みました。翌925年(延長3)に康頼王までも早世してしまったのです。なので、926年(延長4)に保明親王同母弟で、まだ3歳の寛明親王(朱雀天皇)が立太子されました。これでもし忠平より5歳歳下の醍醐天皇にもしもの事があれば、父・基経以来の摂関職復活だってありえます。しかし、この寛明親王は保明親王以来穏子が20年ぶりに産んだ皇子で、この時点で既に38歳の高齢出産でしたが、ホント運が良かった。(残念ながら忠平自身が保明親王と結婚させた貴子の方は皇子が産まれなかったようですが。)対する能子はついに精力絶倫だった筈の醍醐天皇との間の皇子は生まれませんでした。宇多法皇の、道真だけに相談した醍醐天皇譲位によって天皇外戚となる事が出来なかった時平、道真を追放(これも他サイトでも色々異説を主張されている方もいるようですが)して、法皇の反対を押し切って穏子入台を強行、故・石ノ森章太郎先生の「日本の歴史」でも喜んだ姿が描かれていましたが、皇太子保明親王の外戚となれたと思ったら自身は法皇女御だった温子(907年没)の後を追うように早世、そのような后宮政策の恩恵を受けたのは参議に返り咲いたばかりだった筈の弟・忠平だったのも何とも皮肉です。

保忠はこの寛明親王立太子時点で36歳の中納言。20近くまでは父が生きていたので出世は早い方でした。しかし、その後の大納言。どうもこの時代は定員は数名で、権官を含めても5人以上となったのは90年近い後の三条朝の頃です。大納言となったのは930年(延長8)の事でしたが、それも清涼殿落雷事件で藤原清貫が事故死したからです。直後に醍醐天皇も発病、譲位(9月29日に崩御)して本当に摂関職が復活。忠平は朱雀新帝の摂政となりました。天皇の外戚となる密かな(?)野望を果たせず、気力が萎えてしまったのか定方も兼輔もこの数年後に亡くなっています。そしてその直後の934年(承平4)に忠平は定方の後任で右大臣となった仲平と保忠に一上申文の処分を委ねたらしいですが、これは定方という政治的なライバルがいなくなった事も大いに関係しているのではと思われます。仲平は定方みたいに天皇または皇太子に娘を嫁がせているわけでもなく、特に政治的なライバルでもなかった(大鏡では忠平が仲平の大臣昇進を喜んだエピソードもあって、勿論兄弟愛もあったのでしょうが、危険な存在ではなかった故の余裕もあったのでしょう。)し、保忠も実子自体おらず、やはり然りでした。孫の頼忠が保忠の養子となったのもこの直前の事だったでしょう。そして定方に対する懐柔の意味合いもあったのか、夫醍醐上皇と死別した能子が忠平嫡男の実頼と結婚したのもこの頃でしょう。実頼はまた、この上皇崩御~定方・兼輔の死、一上申文委託の間に参議に昇進しています。ただこの能子、醍醐上皇や敦実・斉世両親王と兄弟だった敦慶親王とも恋をしていたようですが、残念ながら実頼との間にも子女は産まれず、夫より先になくなっています。そして自身が太政大臣となり、保忠もいなくなった後は平伊望に一上申文を委ねさせています。これは忠平妹の穏子の中宮大夫(本当はこの時点で皇太后となっていたのだが、彼女はあくまで中后と称した為この名称)となっていた故だったのでしょう。その後実頼が一上宣旨を賜ったらしいですが、伊望が亡くなった939年(天慶2)頃の事でしょう。どうやら「一上=通常は左大臣」なのは945年(天慶8)の仲平死後、空席となっていた左大臣にその実頼が就任したのが先例となって確立されたようです。そしてこれは後の道長が正式な関白とならず、大半は内覧左大臣として朝廷に君臨していた事とも大きく関係しているようです。

定方の方は新帝の外戚にはなれませんでしたが、子孫は兄の定国よりも大いに栄えました。兼輔とは曾孫同士も、紫式部(兼輔曾孫)と宣孝(定方曾孫)が結婚しましたが、彼女ら夫婦の結婚生活は残念ながら宣孝の死で数年で終わりましたが、間に産まれた大弐三位(賢子)も百人一首歌人の一人となる等祖先の才能を引き継ぎました。しかし、宣孝は他にも妻子がいて、良門流は中世以降多数の堂上家を出しただけでなく、武家でも上杉氏として後の歴史に大きく関わりを持つ事になったのはもう周知の通りです。祖父の良門がしょっぱなから早世してしまった不運に見舞われてしまった定方と兼輔でしたが、彼らも含む良門流は立派な勝ち組と言っていいでしょう。

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