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2013/12/31

豊田泰光の西鉄・稲尾賛美も理解は出来るけど

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131226-00000006-pseven-spo

豊田泰光氏「田中将大と稲尾和久は、まったくレベルが違う」

NEWS ポストセブン 12月26日(木)7時6分配信   

 プロ野球の黎明期、数々の伝説を作り上げた名選手たちが、もしも現代のグラウンドに降り立てばどんな成績を収めるか。今の球界への叱咤激励を込めた、“レジェンド”による大胆な“自己査定”。今回は豊田泰光氏(78)である。豊田氏は1953年西鉄に入団。1956年に入団した稲尾和久氏とともに黄金時代を築いた。
 
 * * *
 田中将大が56年ぶりに稲尾の連勝記録を塗り替えたと騒がれました。そのため彼を稲尾と比較する人が多かったけど、稲尾とチームメートだったオレにいわせてもらえば、まったくレベルが違う。それにオレがもし今現役で、田中とチームメートだったとしても、彼を認めなかったと思います。
 
 稲尾は常に、野球に“尽くしきった男”でした。だからこそ、オレをはじめ皆が彼を支えたし、西鉄というチームの強さはそこにあったんです。
 
 稲尾が記録した開幕20連勝は、入団してまだ2年目の1957年。この時も稲尾は個人の連勝記録のための連投ではなく、あくまでチームが勝つための登板ばかりでした。この記録は75日間で達成したんですが、31試合のうち先発勝利は12で、残り8勝はリリーフで挙げた勝ち星なんです。田中は中6日のローテーションを守って先発、158日間を要しての連勝ですから、内容の違いは明らかでしょう。
 
 それに、稲尾はどこかのエースみたいに、自分のせいで負けそうな試合でも、監督に「代われ」といわれているのに、「最後まで行く」なんてフザケたことはいいません。監督のいうことは絶対なんだから「ハイ」といえばいい。
 
 その点稲尾は、負け試合でも泣き言ひとついわず、降板する時には、次の投手のためにマウンドをならすことを忘れない冷静さも持ち合わせていた。だからこそ、稲尾が投げる時はナインが何とかしてやりたいと思ったんです。
 
 それに稲尾の時代、パ・リーグにどんな打者がいたと思いますか。山内一弘、榎本喜八、張本勲、野村克也……錚々たる顔ぶれが並ぶんですよ。また、稲尾とタイトル争いをやった投手には杉浦忠、スタンカ、土橋正幸、尾崎行雄、米田哲也がいて、こんな連中と真っ向から投げ合ったんです。
 
 そんな中で、シーズン42勝、30勝以上が4回、入団以来8年連続20勝、年間400イニング以上2回と、今のプロ野球では考えられないハードワークの記録が並んだわけです。この数字を見て、今の人は「稲尾のすごさ」だけを語るけど、オレがいいたいのはそうじゃない。彼こそがチームに尽くし、野球に尽くした本当のエースでした。
 
 派手なガッツポーズや、雄叫びも上げない。静かに、冷静にマウンドをこなしていた。バックを守る者としては、そんなエースこそ応援したいと思うのです。

※週刊ポスト2014年1月1・10日号

ベースボールマガジンならともかく、週刊ポストは何で今更こういう事を言わせたいのかな?と。まず。

そう言えば、私が数年前の晩秋~初冬にかけて入院していた際、ガン闘病体験を綴ったある本をたまたま読む機会がありましたが、その本ではこの豊田氏も、「暴力装置」発言した元官房長官等共々大腸ガン経験を語っておられてました。そうした大変な経験をされたのに、お元気そうで何よりと言うか、豊田氏がそのように西鉄ライオンズや故・稲尾和久元投手の偉大さを語りたい気持ちも理解できます。

何せ3年連続あの巨人を倒して日本一になりましたが、長続きはせず、1959年には一転してBクラス。三原脩監督はフロントとの確執等もう大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)に移りたかった(本当は同年に監督就任するつもりだったが、報知新聞にすっぱ抜かれてしまったので、当時球団社長の森茂雄がこの年限り監督も兼任した。)のであっさり退任。42勝した1961年は優勝してもおかしくなかったハズなのが、実際は鶴岡親分率いる南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)と水原茂監督を巨人から迎えた東映フライヤーず(現・北海道日本ハムファイターズ)の優勝争いで3位に。1963年は最大14.5ゲーム差を跳ね返した逆転リーグ優勝を果たすも、日本シリーズではあの稲尾が巨人打線に打ち込まれて敗退、以後は黒い霧事件もあって、とうとう本拠地自体福岡から埼玉・所沢に移転する事となったけど、前オーナーは西鉄の歴史は半ば無視!!西鉄と西武の歴史が本当の意味で繋がるように見なされたのはつい最近の事です。

だから気持ちは理解できるのだけど、「時代が違うのだから、どっちも凄いでいいじゃん。」はダメなのですかね?別にマー君に連勝記録を塗り替えられても、稲尾氏が神様・仏様と並ぶほどの凄い大投手だった事には何ら変わりないのだから。でもまあもう元々そういうだって分かりきっているし、「彼には彼なりの大切な思い出があるのだからある程度は言いたい事言わせてあげよう。」な目で見るのが言いのかもしれませんね。この人は元々そういう人だってまあ分かりきっている事ですし。そしてHPでのフェイスブックですが、何だか豊田氏の発言に否定的な人に対してやけに噛み付いている人もいますね。豊田氏以上に大人気ないでしょう。この人は。やっぱフェイスブックもツイッターと同類項なのか・・・・・・・・・

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