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2013/11/23

百人一首の歌人達-97番権中納言定家

飛鳥時代~鎌倉時代前期までの主な歌人達の歌を集めた歌集に「小倉百人一首」がありますが、近年これを題材としたアニメまでついに制作・放送されました。自分なりに拙いながらも語っていければとふと思いましたが、トップバッターはやはり撰者である藤原定家を先に挙げねばならないでしょう。

http://www.anime-utakoi.jp/#chart

そのアニメ版では出家した時点ですでに70過ぎの老人だったはずが、梶裕貴氏ボイスの金髪のイケメン若者となっていましたが、実際残されている肖像画はこれです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Teika(3).jpg

その人となりはプライドが高く苛烈な性格で、若い頃は村上源氏の流れであった源雅行にからかわれたのにブチ切れて乱闘騒ぎを起こした事もあったらしいですが、いかにも歌聖らしい優雅な雰囲気が感じられる、この肖像画での風貌からはそんな人には見えません。ただ、平安貴族って結構血の気の多い乱暴者が多く、三条天皇皇子の敦明親王や藤原道雅等はもっとエグいエピソードを残しているだけに定家はまだこの程度なら「若気の至り」で済みそうと言うか、可愛いレベルだったかもしれません。まあ「若気の至り」と言っても、歳を重ねてもこうした苛烈な性格は変わらなかったようで、後鳥羽上皇との確執も抱えていたらしいですが・・・・・・・

優雅さと苛烈さと、苦労ゆえに息子の出世にもなりふり構わずになりそうだった飽くなき亡者さ。いくつもの異なった顔を持つのも定家の魅力だとも思いますが、現在彼の子孫はどうなっているのか。4つの家が残っていたようですが、上冷泉家は婿養子として跡を継いだ現当主の人はそれほどの家柄の人ではないらしいですが、娘さんしかいないらしいです。また入婿でも迎えるのでしょう。このままでは。下冷泉家は残念ながら9世紀末に醍醐天皇の外祖父となった藤原高藤の血筋となっています。具体的な系譜は以下の通りです。

中臣鎌足‐藤原不比等‐房前-(2代略)‐冬嗣‐良門‐高藤‐(3代略)‐宣孝(紫式部夫)‐(10代略)‐坊城定俊‐(8代略)‐勧修寺治豊‐坊城俊昌‐(5代略)‐勧修寺経逸‐為起‐為行‐為柔‐為勇‐為安‐為弘(1941年生)

藤谷家も阪神淡路大震災で最後の当主がお亡くなりになられたのに伴って断絶してしまったらしく、入江家は俊久氏までは彼自身が婿養子として入りながらも定家の血を受け継いでいる事を確認できましたが、その次で現当主と思われる彰氏が俊久氏の実子であるかどうかまでは確認できませんでした。しかし、女系だったら定家の子孫は現在ももっといるかもしれません。

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