« 石ノ森章太郎「マンガ日本の歴史」を改めて読んでみた | トップページ | 続「はだしのゲン」の表現規制-「中途半端」なる自慰史観 »

2013/08/18

「はだしのゲン」の表現規制とそこに潜む影

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130818-00000000-mai-soci

<はだしのゲン閲覧制限>教育研究全国集会で批判相次ぐ

毎日新聞 8月18日(日)0時3分配信   

各国で出版された「はだしのゲン」=広島市中区で小松雄介撮影

 原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を、松江市の全小中学校が図書室で自由に閲覧できない閉架措置とした問題を巡り、名古屋市で17日開かれた全日本教職員組合(全教)主催の教育研究全国集会で、出席者から「子どもの知る権利の侵害だ」との批判が相次いだ。

【あなたはどう思いますか?】写真で見る「はだしのゲン」の原画

 図書館をテーマにした分科会で、専門家として参加した沖縄国際大の山口真也教授(図書館学)は、過去に大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」を学校図書室に置くことに抗議があったと説明。一方、在沖縄米軍の機関誌を置く公立図書館への批判も紹介し、「図書室も思想的対立に巻き込まれる時代だが、多様な本を準備するのが図書室の義務。子どもが何を読み、読まないかを判断する責任は保護者にある」と指摘した。

 また、北海道大大学院の姉崎洋一教授(教育法)は、松江市の措置を「保護者や教員の話し合いを経て、学校が主体的に本を選ぶべきだ」と批判した。

 出席していた山口県の中学教員も、取材に対し「子どもの感性は多様で、『はだしのゲン』の受け止め方も任せたらよい」と閉架措置に疑問を投げかけた。【花岡洋二】

「はだしのゲン」、良く学校の図書室で「ブラックジャック」等共々読んでましたが・・・・・

確かに表現は過激というか、えげつないシーンが目立ちました。特に印象的だったのが、ゲンの親父が特高に散々拷問されたシーンや、被爆した画家志望の青年が、血を吐き血便を流したシーンとかかなり生々しかったです。(結局彼は最後まで家族に邪魔者扱いされて余計やるせなかった。)しかし、松江市はもう少し考えて欲しい。何故今は亡き中沢啓治氏がそのような漫画を描いたのか?それはゲン一家や被爆者達に対する迫害等人心まで荒廃させる「化け物」な戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさとか訴えたかったからでしょ?あの1945年8月6日の原爆投下は決して「単なる過去の出来事」などではありません。イスラエルの某高官が暴言を吐いたのも、彼らもまたイスラムやパレスチナとの不毛な戦いに身を投じているからこそ当時の日本人とはまた別の性質で人心が病んでしまっているからです。(だからと言って、発言自体は決して聞き捨てできるものではないと言うか、マスゴミや野党が必死こいて叩いている麻生副総理の某発言よりもこの暴言の方がずっとずっと問題ですが。)

http://matome.naver.jp/odai/2137662713442272601

そうかと思えば、たまたまこのサイトも目にしましたが、行き過ぎたヘイトスピーチ等を行っている「在日特権を許さない市民の会」による圧力があったとか・・・・・・・・まあ確かにこういう人達にとっては「はだしのゲン」は反日漫画なのかもしれませんが、近年自虐史観の反動で太平洋戦争を「アジア解放のための聖戦」とか正当化している傲慢な自慰史観も蔓延っている事もあって、この「はだしのゲン」はもっとそういう「戦争の悲惨さ」や「原爆の恐ろしさ」等顧みられるべき重要な文化的遺産だと改めて思うのです。それを、そうした過激描写も決して次元の低い志から描かれたものではなかったのに、「臭いものには蓋をする」と言わんばかりに自分達のイデオロギーとかと都合が悪いからといって、戦争の知らない世代の子供達から知る権利を奪おうとするのはあまりに偏っています。今からでも遅くはない。こういう措置は全くの白紙に戻すべきですが、さもないと日本はますますおかしくなっていきます。自分達にとって都合のいい歴史認識という名の捏造史観を押し付けてくる中国・韓国に対しても正しい反論が出来なくなってしまいます。自虐史観もそうですが、この「はだしのゲン」事件からも垣間見られる自慰史観も「百害あって一利なし」です。どちらも日本をダメにする偏った史観なのです。

|

« 石ノ森章太郎「マンガ日本の歴史」を改めて読んでみた | トップページ | 続「はだしのゲン」の表現規制-「中途半端」なる自慰史観 »

社会」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1159637/52927624

この記事へのトラックバック一覧です: 「はだしのゲン」の表現規制とそこに潜む影:

« 石ノ森章太郎「マンガ日本の歴史」を改めて読んでみた | トップページ | 続「はだしのゲン」の表現規制-「中途半端」なる自慰史観 »