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2011/08/26

ソビエト連邦の元帥たち

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa20.html

上記HPは、過去ログ「ソビエト連邦の上級大将たち」でも紹介した、ロシア史に詳しい方が触れられたソ連邦元帥についてのコラムですが、私もちょっと興味を持って、現役のソ連邦元帥は階級制定~ソ連崩壊まで何人いたかちょっと調べてみました。(※国防相監察総監に異動となった時点で退役扱いとする。ヴォロシーロフは1960年5月に国家元首であった最高会議幹部会議長を退任した時点で引退扱い)

なるべく簡単に話したいのですが、最初は上記のコラムからも分かるようにクリメント・ヴォロシーロフやミハイル・トゥハチェフスキーら5人が最高の栄誉を得たのが、あのスターリンの悪名高い大粛清で2人まで減ってしまい、第二次世界大戦の勃発後も暫くは5人前後でした。

しかし、独ソ戦での劣勢を跳ね返し、押せ押せムードとなってから、元帥への昇進ラッシュが始まる事となります。1943年2月の時点では6人だったのが、大戦末期の1945年7月には12人と倍増しています。内ラウレンチー・ベリヤは、職業軍人ではなかったが・・・・・・

戦後も暫くは10人前後で推移していましたが、1955年3月11日には一気に6人も元帥が登場する昇進人事が実施されました。これで現役ソ連邦元帥は17人まで増えます。8日後の3月19日には国土防空軍総司令官だったレオニード・ゴヴォロフ(息子のウラジーミルも上級大将まで昇進している)が亡くなりましたが、それでもまだ16人もいました。彼ら16人の元帥達の当時の役職は以下の通りです。

1.クリメント・ヴォロシーロフ・・・・最高会議幹部会議長(国家元首)

2.ゲオルギー・ジューコフ・・・・国防相

3.セミョーン・チモシェンコ・・・・白ロシア軍管区司令官

4.アレクサンドル・ヴァシレフスキー・・・・国防相代理

5.イワン・コーネフ・・・・沿カルバチア軍管区司令官または地上軍総司令官

6.コンスタンチン・ロコソフスキー・・・・ポーランド副首相兼国防相

7.ロディオン・マリノフスキー・・・・極東軍管区司令官

8.キリル・メレツコフ・・・・国防相参謀?

9.ヴァシーリー・ソコロフスキー・・・・参謀総長

10.ニコライ・ブルガーニン・・・・首相

11.アンドレイ・エレメンコ・・・・北カフカーズ軍管区司令官

12.キリル・モスカレンコ・・・・モスクワ軍管区司令官

13.セルゲイ・ビリュゾフ・・・・国土防空軍総司令官(ゴヴォロフの後任として就任)

14.イヴァン・バグラミャン・・・・国防次官

15.ヴァシーリー・チュイコフ・・・・キエフ軍管区司令官

16.アンドレイ・グレチコ・・・・ドイツ駐留ソ連軍総司令官

ブルガーニンは大戦中は政治委員として活躍した、非職業軍人であり、ヴォロシーロフはフィンランドとの冬戦争や独ソ戦では無能振りを露呈、スターリングラード防衛戦の英雄の一人でもあったチュイコフは、左遷人事だったらしいですが、それにしても錚々たる顔ぶれで、多くは大戦中、高位の指揮権を任された実力者達です。中でも、モスカレンコは当時の最高指導者(筆頭書記)であったフルシチョフと親友でしたが、スターリン死後、ゲオルギー・マレンコフから筆頭書記を譲り受け、ジューコフやモスカレンコの協力を経て、もう1人のライバルだったベリヤの粛清にも成功、直前の2月には首相の座も、マレンコフから腹心のブルガーニンに譲らせる等まさに絶頂にあったのでしょう。

しかし、好事魔多しとはまさにこの事なのか、スターリン批判中ソ対立が次第に表面化、反党グループ事件では、ヴォロシーロフは要領よく寝返りましたが、ブルガーニンには裏切られ、保守派の反撃を退けたと思ったら、今度はジューコフと軍事面で対立してしまい、彼を更迭する事となった。1960年には一時9人まで減りましたが、1961年にはコーネフの現役復帰等もあって、11人までまた増えます。この年にはアメリカ大統領に就任したばかりのJ・F・ケネディとウィーンで会談もしています。しかし、キューバ危機が起きた1962年にはコーネフ、ポーランドから帰国していたロコソフスキー、モスカレンコの引退で8人に減り、この時点では中国での十大元帥はいずれも存命でしたが、現役ソ連邦元帥が10人を超える事はもうありませんでした。1964年10月にフルシチョフが失脚した時点では、現役ソ連邦元帥はマリノフスキー、バグラミャン、チュイコフ、グレチコとマトヴェイ・ザハロフ、ニコライ・クルイロフの6人まで減っていました。第二次大戦での英雄達が次第に引退し始めた影響です。

1976年5月には、フルシチョフの後任の書記長となっていたレオニード・ブレジネフが、7月にはドミトリー・ウスチノフが元帥となりましたが、ブレジネフはブルガーニン同様政治委員、ウスチノフは技術畑での軍歴であり、純粋な職業軍人とは毛色が違いました。ほぼ同時期にウスチノフの前任国防相であったグレチコ、大戦中は旅団長・副軍団長等を務めた経験があったイワン・ヤクボフスキーが亡くなった為、とうとう「大戦当時『実戦指揮を有する将官』となっていた現役ソ連邦元帥」はパーヴェル・バチツキー(少将、師団長)1人だけとなってしまいました。

1978年2月にはセルゲイ・ソコロフが授与され、ソコロフの大戦時の階級は確認できませんでしたが、戦後の1947年時点で連隊長だったからまだ大佐クラスだったのでしょう。おそらくソコロフは、「職業軍人としては、初の『大戦時非将官軍人』」として初めてソ連邦元帥となった軍人だったのではと思われます。上記HP管理人も述べられてましたが、もう既に1960年代からソ連邦元帥は純粋な功績に報いるための栄誉ではなく、軍歴の最後を飾らせる名誉階級的な性格に変化していたという事だったのでしょう。1983年3月には、ヴァシーリー・ペトロフ、セミョーン・クルコトキン、セルゲイ・アフロメーエフが昇進し、現役ソ連邦元帥は7人となりましたが、前述のウスチノフの他にもソコロフ、少佐で当時ワルシャワ条約機構統合軍司令官にも就任したヴィクトル・クリコフ、参謀総長であったニコライ・オガルコフ、そして「最後のソ連邦元帥」となったドミトリー・ヤゾフいずれも大戦終戦時は佐官または尉官クラスの軍人達でした。末期は数人まで減り、崩壊時にはクリコフ、ペトロフ、ヤゾフの3人のみとなりましたが、あくまで抗日戦争及び国共内戦で高位の指揮権を持っていた高級幹部しか授与されなかった中国の元帥とは対照的です。(抗日戦争時、彼ら十大元帥は、内朱徳1人が、国民革命軍でも上将(大将)、5人が中将、2人が少将の階級を授与されており、大将(上級大将)の面々も、3人が国民革命軍少将、2人が同上校(大佐)となっていた。1988年に階級制度が復活した後の、アメリカ軍元帥に相当する一級上将もトウ小平と楊尚昆しか授与の対象にならず、彼らいずれも固辞したまま1994年に廃止された)ナチスドイツも、元帥は乱発傾向で、北の将軍様もそうだろうけど、独裁者って、そうやって軍を手なづけたがるものなのでしょうかね。

なお、現在はソコロフ、ペトロフ、クリコフ。そしてヤゾフの4人が「存命しているソ連邦元帥」ですが、ソコロフは今年7月に100歳の誕生日を迎え、メドヴェージェフ大統領に祝福されたらしいです。ロシアでは飲酒や高い自殺率などの影響で、男性の平均寿命は60歳弱と、主要国の中ではかなり低い水準ですが、それだけに日本人男性の100歳よりも長生きに見えるというか、凄いですね。ペトロフも今年94歳、クリコフは90歳になったばかりですが、やはり政治家・軍人にとって健康は特に命という事なのでしょうか。中国でも100歳以上生きた、建国に貢献した軍人何人かいますからね。

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