« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011/08/28

また「ゆとり世代」がやらかした事件か・・・・・・

http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201108280020.html

落とし穴に転落、夫婦死亡=いたずらで掘る―石川

2011年8月28日11時6分

27日午後10時40分ごろ、石川県かほく市の大崎海岸から、「(人が)穴に落ちて意識がない」と119番があった。救急隊員が駆け付けたところ、会社員出村裕樹さん(23)と妻里沙さん(23)=金沢市湖陽=が穴の底で砂に埋まっており、約1時間後に救出されたが搬送先の病院で死亡が確認された。穴は里沙さんが裕樹さんを驚かそうとして友人と掘ったといい、県警津幡署が経緯を調べている。

 同署によると、穴は約2.4メートル四方、深さ約2.5メートル。里沙さんは同日午後、裕樹さんを落とすため、友人の男女数人と砂浜に穴を掘った。

 午後10時過ぎ、里沙さんが自宅にいた裕樹さんを砂浜に呼び出したが、辺りが暗かったため2人とも転落。叫び声を聞いた友人男性が通報した。死因は砂に埋まったことによる窒息死だった。 

[時事通信社]

まず突っ込みたい点ですが、何で2メートル強も掘ったわけ?しかも、呼び出した時間帯が深夜・・・・・・・もし最悪の事態になったら・・・・・・というのは全然考えてなかったのでしょうかね?親か兄弟どちらかが葬式の喪主を務めるのかは知らないし、どーでもいい事だけど、どういう弔辞を述べるつもりでしょうかね。この嫁に対しても、死者に石を投げることはしたく無いけど、子供じゃない、いい歳になった大人であった自分が蒔いた種だから同情はできないし、この友人らも人殺しの共犯同然じゃん。嫁の遺族や、友人達はこれから旦那の遺族に対してどう償いするつもりなのかね?彼らはこれから、一生そうした十字架を背負って生きていかなければいけないと思いますけどね。

何と言うか・・・・・・・勿論「ゆとり世代」がこういう連中ばかりではないのだろうけど、どーも感覚がずれているように思えてならないですね。自分がこの旦那の近親者なら、彼らを許す気には正直なれない。

| | トラックバック (0)

2011/08/27

今はまだそんな去就どころじゃないだろうに・・・・・・

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20110827-OHT1T00120.htm

梨田監督が退任へ、後任に栗山氏最有力…日本ハム

 日本ハムが、梨田昌孝監督(58)と来季の契約を更新しないことが26日、確実となった。2年契約の最終年を迎えた今季は、開幕から好調を維持。ソフトバンクとマッチレースで優勝を争っているが、現在までに契約延長の打診はなし。関係者は「今季限りです」と成績にかかわらず続投はないとの認識を示した。後任には野球評論家の栗山英樹氏(50)を推す声が浮上。また、横浜2軍監督で球団OBの白井一幸氏(50)や外国人監督の招へいも検討されている。

 梨田監督が、今季限りで日本ハムのユニホームを脱ぐことになった。就任1年目の08年は3位だったが、2年目にリーグ制覇。近鉄時代の01年に続き複数球団を優勝に導いたのは、史上10人目の快挙だった。

 昨季は、ロッテと1勝差でチーム5年ぶりのBクラス転落。しかし、4年間の監督生活で、その手腕は高く評価されている。投手出身の糸井を中堅手として固定、リーグを代表する外野手に育て上げた。また、昨季は成長途中にあった中田を我慢して起用し、現在の大ブレークを演出。対話を大切にしながら、ベテランと中堅、若手をバランス良く起用し、スムーズな世代交代にも成功している。

 今シーズンはソフトバンクとともに、3位以下に大差をつける“2強独走状態”をキープ。事実上、V争いはこの2チームに絞られている。指揮官の手腕を疑問視する声はない。

 その一方、球団側は指揮官も“新陳代謝”が必要という方針を打ち出していた。Aクラスは当たり前となったチームをさらに強化し、常勝軍団を築くためには、新監督の招へいが欠かせないというのだ。

 現在まで、梨田監督に来季続投の打診はされていない。最初の2年契約が切れる09年は、8月中に契約延長が決まっている。だが、今月も残りわずか。この段階で打診もない。球団関係者が「梨田監督は今季限りです」と断言するように、事実上続投は消滅した形だ。

 「若返りを図ることになるでしょう」(球団関係者)という後任人事だが、球団内で推す声が多いのが野球評論家の栗山氏だ。90年に29歳の若さで現役引退後、プロでの指導経験こそないが、プロ、アマ問わず現場の最前線で熱心に取材を続けており、その論理的な野球理論は多方面から評価されている。また、さわやかでまじめなイメージは、球団の親会社である食品会社にも好ましいものだ。実際、就任には至らなかったが、古田政権後にヤクルトの監督候補に挙がった時期もあった。

 まだシーズン中とあって正式な打診はなく、一本化には至っていないようだ。他候補としては、ヒルマン政権下でヘッドコーチを務め「日本ハム野球」を知り尽くした白井横浜2軍監督。また2003年に就任したヒルマン監督のように外国人を招へいするプランも検討されている。

 ◆栗山 英樹(くりやま・ひでき)1961年4月26日、東京・小平市生まれ。50歳。創価高から東京学芸大に進み、83年のドラフト外でヤクルト入団。右投両打で俊足巧打の外野手として活躍し、89年にはゴールデングラブも受賞した。しかし、右ひじ痛に加え、めまいや吐き気を伴うメニエール病の影響もあり、90年に29歳の若さで引退。現在は野球評論家、キャスターを務め、白鴎大経営学部教授として教壇にも立つ。通算494試合、打率2割7分9厘(1204打数336安打)、7本塁打、67打点。23盗塁。176センチ、74キロ。

島田紳助引退報道(ミョーに美化していないか?マスゴミは)も記憶に新しいが・・・・・・・この報道については、「あえてチームの士気を高めるため」という意見もあるようだけど、梨田監督は、所謂西本門下生ではフィリーズの「赤鬼」マニエルの次に頑張っていると思うのですがね。

マスゴミの記事なんてアテにならないけど、もし本当だとすれば、ちょっとひどいですよね。現在は連敗中とはいえ、上には上がいると言うか、首位でもおかしくない成績なのに、「指揮官にも新陳代謝が必要」なんて訳分からん言い訳ですね。500歩譲って、来年2012年は違う人が監督を務めるとしても、栗山はないですね。解説での話しぶりを見ても、所詮3流タレント解説者と言うか、内容が乏しいし、第一選手としても一流とは言い難かったけど、指導者としての経験ゼロなのも不安要素ですね。そういう人が監督になれるのも、日本のスポーツの変な所なのだが・・・・・・・・新庄も嫌いではないけど、客寄せパンダはハンカチだけでも十分過ぎますね。まあ、一番無難なのは白井だろうが・・・・・・・・まあまだシーズン中だけど、もし2012年よその球団の監督を務める事になるのなら、3球団で優勝した人は三原脩と、師匠の西本幸雄(※西本は大毎監督時代の1960年には三原率いる大洋と日本シリーズで対戦し、敗退したが、阪急に移った1969年には、やはり大洋から移った三原率いる近鉄と最後まで優勝争いを演じ、4球団での優勝を阻止したが、1974年には近鉄でその三原が果たせなかった初優勝を目指す事になったという因縁がある。)しかいませんが、日本ハムのフロント陣を見返して欲しいものです。

| | トラックバック (0)

2011/08/26

ソビエト連邦の元帥たち

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa20.html

上記HPは、過去ログ「ソビエト連邦の上級大将たち」でも紹介した、ロシア史に詳しい方が触れられたソ連邦元帥についてのコラムですが、私もちょっと興味を持って、現役のソ連邦元帥は階級制定~ソ連崩壊まで何人いたかちょっと調べてみました。(※国防相監察総監に異動となった時点で退役扱いとする。ヴォロシーロフは1960年5月に国家元首であった最高会議幹部会議長を退任した時点で引退扱い)

なるべく簡単に話したいのですが、最初は上記のコラムからも分かるようにクリメント・ヴォロシーロフやミハイル・トゥハチェフスキーら5人が最高の栄誉を得たのが、あのスターリンの悪名高い大粛清で2人まで減ってしまい、第二次世界大戦の勃発後も暫くは5人前後でした。

しかし、独ソ戦での劣勢を跳ね返し、押せ押せムードとなってから、元帥への昇進ラッシュが始まる事となります。1943年2月の時点では6人だったのが、大戦末期の1945年7月には12人と倍増しています。内ラウレンチー・ベリヤは、職業軍人ではなかったが・・・・・・

戦後も暫くは10人前後で推移していましたが、1955年3月11日には一気に6人も元帥が登場する昇進人事が実施されました。これで現役ソ連邦元帥は17人まで増えます。8日後の3月19日には国土防空軍総司令官だったレオニード・ゴヴォロフ(息子のウラジーミルも上級大将まで昇進している)が亡くなりましたが、それでもまだ16人もいました。彼ら16人の元帥達の当時の役職は以下の通りです。

1.クリメント・ヴォロシーロフ・・・・最高会議幹部会議長(国家元首)

2.ゲオルギー・ジューコフ・・・・国防相

3.セミョーン・チモシェンコ・・・・白ロシア軍管区司令官

4.アレクサンドル・ヴァシレフスキー・・・・国防相代理

5.イワン・コーネフ・・・・沿カルバチア軍管区司令官または地上軍総司令官

6.コンスタンチン・ロコソフスキー・・・・ポーランド副首相兼国防相

7.ロディオン・マリノフスキー・・・・極東軍管区司令官

8.キリル・メレツコフ・・・・国防相参謀?

9.ヴァシーリー・ソコロフスキー・・・・参謀総長

10.ニコライ・ブルガーニン・・・・首相

11.アンドレイ・エレメンコ・・・・北カフカーズ軍管区司令官

12.キリル・モスカレンコ・・・・モスクワ軍管区司令官

13.セルゲイ・ビリュゾフ・・・・国土防空軍総司令官(ゴヴォロフの後任として就任)

14.イヴァン・バグラミャン・・・・国防次官

15.ヴァシーリー・チュイコフ・・・・キエフ軍管区司令官

16.アンドレイ・グレチコ・・・・ドイツ駐留ソ連軍総司令官

ブルガーニンは大戦中は政治委員として活躍した、非職業軍人であり、ヴォロシーロフはフィンランドとの冬戦争や独ソ戦では無能振りを露呈、スターリングラード防衛戦の英雄の一人でもあったチュイコフは、左遷人事だったらしいですが、それにしても錚々たる顔ぶれで、多くは大戦中、高位の指揮権を任された実力者達です。中でも、モスカレンコは当時の最高指導者(筆頭書記)であったフルシチョフと親友でしたが、スターリン死後、ゲオルギー・マレンコフから筆頭書記を譲り受け、ジューコフやモスカレンコの協力を経て、もう1人のライバルだったベリヤの粛清にも成功、直前の2月には首相の座も、マレンコフから腹心のブルガーニンに譲らせる等まさに絶頂にあったのでしょう。

しかし、好事魔多しとはまさにこの事なのか、スターリン批判中ソ対立が次第に表面化、反党グループ事件では、ヴォロシーロフは要領よく寝返りましたが、ブルガーニンには裏切られ、保守派の反撃を退けたと思ったら、今度はジューコフと軍事面で対立してしまい、彼を更迭する事となった。1960年には一時9人まで減りましたが、1961年にはコーネフの現役復帰等もあって、11人までまた増えます。この年にはアメリカ大統領に就任したばかりのJ・F・ケネディとウィーンで会談もしています。しかし、キューバ危機が起きた1962年にはコーネフ、ポーランドから帰国していたロコソフスキー、モスカレンコの引退で8人に減り、この時点では中国での十大元帥はいずれも存命でしたが、現役ソ連邦元帥が10人を超える事はもうありませんでした。1964年10月にフルシチョフが失脚した時点では、現役ソ連邦元帥はマリノフスキー、バグラミャン、チュイコフ、グレチコとマトヴェイ・ザハロフ、ニコライ・クルイロフの6人まで減っていました。第二次大戦での英雄達が次第に引退し始めた影響です。

1976年5月には、フルシチョフの後任の書記長となっていたレオニード・ブレジネフが、7月にはドミトリー・ウスチノフが元帥となりましたが、ブレジネフはブルガーニン同様政治委員、ウスチノフは技術畑での軍歴であり、純粋な職業軍人とは毛色が違いました。ほぼ同時期にウスチノフの前任国防相であったグレチコ、大戦中は旅団長・副軍団長等を務めた経験があったイワン・ヤクボフスキーが亡くなった為、とうとう「大戦当時『実戦指揮を有する将官』となっていた現役ソ連邦元帥」はパーヴェル・バチツキー(少将、師団長)1人だけとなってしまいました。

1978年2月にはセルゲイ・ソコロフが授与され、ソコロフの大戦時の階級は確認できませんでしたが、戦後の1947年時点で連隊長だったからまだ大佐クラスだったのでしょう。おそらくソコロフは、「職業軍人としては、初の『大戦時非将官軍人』」として初めてソ連邦元帥となった軍人だったのではと思われます。上記HP管理人も述べられてましたが、もう既に1960年代からソ連邦元帥は純粋な功績に報いるための栄誉ではなく、軍歴の最後を飾らせる名誉階級的な性格に変化していたという事だったのでしょう。1983年3月には、ヴァシーリー・ペトロフ、セミョーン・クルコトキン、セルゲイ・アフロメーエフが昇進し、現役ソ連邦元帥は7人となりましたが、前述のウスチノフの他にもソコロフ、少佐で当時ワルシャワ条約機構統合軍司令官にも就任したヴィクトル・クリコフ、参謀総長であったニコライ・オガルコフ、そして「最後のソ連邦元帥」となったドミトリー・ヤゾフいずれも大戦終戦時は佐官または尉官クラスの軍人達でした。末期は数人まで減り、崩壊時にはクリコフ、ペトロフ、ヤゾフの3人のみとなりましたが、あくまで抗日戦争及び国共内戦で高位の指揮権を持っていた高級幹部しか授与されなかった中国の元帥とは対照的です。(抗日戦争時、彼ら十大元帥は、内朱徳1人が、国民革命軍でも上将(大将)、5人が中将、2人が少将の階級を授与されており、大将(上級大将)の面々も、3人が国民革命軍少将、2人が同上校(大佐)となっていた。1988年に階級制度が復活した後の、アメリカ軍元帥に相当する一級上将もトウ小平と楊尚昆しか授与の対象にならず、彼らいずれも固辞したまま1994年に廃止された)ナチスドイツも、元帥は乱発傾向で、北の将軍様もそうだろうけど、独裁者って、そうやって軍を手なづけたがるものなのでしょうかね。

なお、現在はソコロフ、ペトロフ、クリコフ。そしてヤゾフの4人が「存命しているソ連邦元帥」ですが、ソコロフは今年7月に100歳の誕生日を迎え、メドヴェージェフ大統領に祝福されたらしいです。ロシアでは飲酒や高い自殺率などの影響で、男性の平均寿命は60歳弱と、主要国の中ではかなり低い水準ですが、それだけに日本人男性の100歳よりも長生きに見えるというか、凄いですね。ペトロフも今年94歳、クリコフは90歳になったばかりですが、やはり政治家・軍人にとって健康は特に命という事なのでしょうか。中国でも100歳以上生きた、建国に貢献した軍人何人かいますからね。

| | トラックバック (1)

2011/08/21

連敗中のオリックスバファローズと今は無き近鉄バファローズの「伝統」その2

http://route-125.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/5-faf8.html

前回の続きです。1983年には5位の南海とも僅差だった4位に沈んだ近鉄、翌1984年にはワールドシリーズ出場経験もあるドン・マネーを獲得します。マネーは開幕して僅か1ヶ月強後に待遇の悪さへの不満から途中帰国してしまいますが、急遽代わりの助っ人が入団しました。リチャード・デービスその人です。チームは南海戦での2試合連続サヨナラ勝ちがありながらも、最終的にはAクラス入りすら逃す事となりましたが、デービスは78試合出場ながらも18本塁打、打率.310の好成績を残します。

翌1985年にはデービスの打棒は本格的に爆発。落合博満の三冠王を許しはしましたが、40本塁打、109打点、打率.343の好成績で、投手陣も5年目の石本貴昭が大ブレイク。リリーフとしてフル回転し、規定投球回数にも到達、19勝3敗7セーブで、最高勝率にも輝きました。しかし、それにも関わらず、チームはAクラス入りがやっと。通風で治療中の広岡達朗監督が不在だった西武のリーグ優勝も目の前で見せ付けられました。

1986年にも2人とも投打の主軸として、最後まで監督が森祇晶に代わり、清原和博が入団した西武との優勝争いを繰り広げました。3年目の小野和義も14勝を挙げて、ローテ投手の仲間入りを果たしましたが、途中6月の直接対決でデービスは東尾修の死球に激怒し、10日間の出場停止処分を受けます。

翌1987年には、巨人と横浜大洋からも1位指名を受けた阿波野秀幸が入団、第2の「打の助っ人外国人」も、マネー同様、友好球団であったミルウォーキー・ブリュワーズからのルートでベン・オグリビーを獲得しました。去年同様優勝争いをするかに思われ、実際阿波野自身は期待通りの成績(15勝)を残しますが、デービスが91試合出場にとどまり、石本も2年間酷使された疲れが出る等の要因で一転して最下位に転落、西武には5勝19敗2分と「お客様状態」でした。

仰木彬が漸く監督に就任した翌1988年にはデービスは大麻所持で途中解雇となりますが、また他球団から強力助っ人を近鉄は獲得します。中日の2軍でくすぶっていたラルフ・ブライアントです。最終戦ロッテとの10.19ダブルヘッダーでは惜しくも優勝を逃しましたが、翌年の西武との10.12ダブルヘッダーでは、ナベキュウからブライアントが本塁打をかっ飛ばし、9年ぶりのリーグ優勝、帰国したオグリビーに代わって来日したハーマン・リベラも、打率は.260でしたが、公式記録では無いながらも、リーグの最多勝利打点を記録しています。

仰木彬監督・中西太コーチのコンビからしたら、1958年の借り(巨人VS西鉄の日本シリーズ)を返された形となった日本シリーズ)に敗戦した直後、近鉄は今度はあの野茂英雄を獲得します。リベラの後釜の第2外国人もジム・トレーバーが入団し、2人とも期待通りの活躍を見せましたが、ペナントレースは西武の独走に終わり、近鉄はAクラス維持がやっとでした。1991年は終盤まで優勝争いを演じましたが、ブライアントの欠場が響き、勝率.616ながら西武に4.5ゲーム差の2位に終わりました。彼がフル出場していたら、V奪還ができていたかもしれません。

トレーバーがこの年限りで、年俸面で折り合わず、退団となった為、ブライアントの代役を務めていたジェシー・リードが第2外国人となりましたが、やはり期待通りの成績を残せません。そこでシアトル・マリナーズでバリバリの4番打者だった経験がある、アルビン・デービスを獲得しましたが、彼も駄目でした。ペナントレースは日本ハムに予想外の苦戦を強いられた(この年負け越す)事が響き、2位は確保したものの、6月以降早々と西武の独走を許す事となりました。

監督が鈴木啓示に代わった1993年には、横浜大洋からロバート・レイノルズを獲得し、マニエルやブライアントのような成功が期待されましたが、左投手に弱い弱点をつかれてしまい、やはり期待通りの活躍はできませんでした。ペナントレースは6年ぶりにBクラス転落となり、西武・森監督の目の前の胴上げを阻止したのが救いでした。

この間、投手陣では野茂はスーパースターぶりを遺憾なく見せ付けましたが、彼以外の投手陣、阿波野や小野、そして「巨人はロッテより弱い」と暴言を吐いたと言われている加藤哲郎等他の投手陣が早くも衰えを見せる事となってしまったのです。

高村佑、山崎慎太郎、赤堀元之が活躍してきたと思いきや、彼らも思ったほど長続きしなかった。高村は結果的に1年目の1992年がベストシーズンとなってしまい、以降2桁勝利のシーズンは1度も無かったし、山崎も、最後に規定投球回数に達したのはまだ30歳だった1996年の事で、赤堀は他の近鉄の投手達と較べると、やや息は長いほうでしたが、まだ28歳だった1998年には早くも衰えが明らかになる等やはり早熟型でした。

この間、野茂英雄は、鈴木監督との確執等から大リーグ・ロサンゼルスドジャースに活躍の場を移す事となってしまい、阿波野や小野も移籍、彼ら同様やはり野茂の入団とほぼ入れ替わりでパッとしなくなっていた吉井理人も、西村龍次とのトレードでヤクルトに移籍しましたが、入団した選手より放出した選手の方が活躍した失敗トレードとなってしまいました。そんなチグハグさもあって、1995年シーズンは、長く主軸として打棒を爆発させていたブライアントも衰えは明らかとなり、レイノルズの次の第2外国人として入団していたスチーブンスも、それなりながらも物足りない成績だったのですが、8月には40代となっていた佐藤義則にノーヒットノーランを許す屈辱も味わい、最下位に沈みました。1996年も、最後の最後でもう少しで西武にAクラスの座を奪われる等1984年に似たパターンで、この年を最後に本拠地を大阪ドームに移します。

その大阪ドーム元年だった1997年には、やはり長く日本で活躍する事となったタフィ・ローズとフィル・クラークの外人コンビの打棒や、小池秀郎のブレイク(15勝6敗)で3位となりましたが、小池が活躍したのはこの年限りで1998年にはほぼ最後まで日本ハムの大失速もあって、優勝争いはしましたが、最終的にはガタガタだったオリックスにも抜かれて5位、1999年と2000年には中村紀の活躍もありながらも、連続最下位に沈みました。

2001年には、クラークの代わりに来日したショーン・ギルバートは不振でしたが、彼以外の打撃陣は概ね絶好調で球団の歴史でも、この年のいてまえ打線は1980年の時ともほぼそん色ない強力打線を形成しました。特にローズはあの王貞治と並ぶ、シーズン55本塁打を記録しています。ダイエーに大きく負け越しながらも、12年ぶりのリーグ優勝を果たしますが、日本シリーズでは前年最多投球回数を記録し、この年も防御率は5点台ながらも12勝をあげた前川勝彦の起用法等采配のまずさが目立ち、ヤクルトに敗れる事となります。近鉄最後の優勝したシーズンとなりました。前川は梨田監督との確執もあり、一旦阪神に放出されます。

翌2002年には、やはりマニエルやブライアント等の成功が忘れられなかったのか、かって日本ハムのビッグバン打線の主軸を担っていたナイジェル・ウィルソンを獲得しましたが、やはり期待通りの成績は残せませんでした。6月には大型連勝もありましたが、最終的には西武に16.5ゲームの、ダイエーとの同率2位に終わり、1990年とほぼ似たパターンを辿りました。2003年も開幕5連勝を飾る等スタートは良かったのですが、3位に終わり、ローズとも自由契約となりました。

そして近鉄ラストイヤーとなってしまった2004年、岩隈久志は徐々に成長が見られ、球団新記録となる開幕12連勝をマーク、最終的には15勝2敗の好成績を残しましたが、ローズがいなくなり、中村紀も怪我の影響で打棒がなりを潜めてしまったとあっては、他球団にとって近鉄は組み易しな存在となってしまいました。代役を期待されたラリー・バーンズも到底期待に応えたとはいえなかった成績で、西武の全球団勝ち越しを阻止する等意地は見せましたが、周知のとおり、オリックスとの合併で消滅する事となりました。

しかし、近鉄バファローズとしては消滅しても、その「伝統」とは決別した事にはなりませんでした。新生オリックス元年となった2005年、既に癌に侵されていた仰木彬監督が4年ぶりに指揮をとる事となりましたが、打力の弱さが響き、もう少しのところでAクラス入り、即ちプレーオフ進出を逃します。新たな助っ人外国人、ガルシアとブランボーいずれも主軸としてはもう少し物足りない数字でした。ガルシアは翌2006年にも残留しましたが、前年を下回る成績に終わり、ルーキーの平野佳寿も、この年と翌年の2007年に8勝をマークしましたが、その後は暫くパッとしなくなります。2007年にはローズが「バファローズ」に復帰、やはり他球団から獲得したグレッグ・ラロッカとの主軸コンビを組みますが、チームはオリックスバファローズとしては初の最下位に沈みました。

翌2008年には、アレックス・カブレラが入団、所謂「ビッグボーイズ」の結成となりました。現実にはラロッカは26試合の出場にとどまりましたが、他の2人は変わらぬ打棒を見せつけ、弱体だった投手陣も、小松聖・金子千尋・近藤一樹・山本省吾のカルテットが合わせて45勝をあげ、テリー・コリンズ監督の退団騒動を跳ね除けて2位に躍進しました。

しかし、彼らの勢いも長続きしない。2009年にはやはり他球団のお古である、ホセ・フェルナンデスを獲得しましたが、4人とも主軸としては物足りない成績に終わり、また最下位に逆戻りしました。2010年には、ローズとフェルナンデスがいなくなった代わりに阪神からアーロム・バルディエスを獲得し、本塁打と打点は物足りない数字でしたが、打率は3割をマーク、カブレラも最高出塁率のタイトルを取り、5位ながらも、借金は僅か2でした。

そして、東日本大震災の影響で開幕が遅れた今年2011年も、まだプレーオフ進出の可能性はありますが、カブレラもいなくなったと思ったら今度は巨人から李承ヨプを獲得しました。しかしもはやかっての打棒は見られない状態であり、バルディエスも研究されているのか、打率でも物足りない数字です。平野は、2010年からのリリーフ転向が当たった形となっていますが、2008年の先発2桁勝利カルテットも、金子以外はパッとしないシーズンが続いているし、その金子にしたって、今年は怪我で出遅れ、4年連続2桁勝利は微妙な状況にあります。移籍組では、寺原隼人は頑張ってますが、木佐貫洋はやはり未だ1勝しか挙げてません。チーム防御率は8月20日現在でリーグワースト。打線もさほど強力ではありません。(山本は2011年からは横浜でプレーする事となった。)

以上2回に分けて長々と述べてみましたが、オリックスバファローズとなっても、チームの成績と、他球団からの獲得も依然多い外国人選手の打棒がほぼ比例し、投手陣も潜在能力のある選手は多いながらも、実際安定した成績を残せている選手は少ない事が分かると思います。そういう意味では、金子や平野もそうですが、元近鉄の岩隈も、楽天時代とあわせれば、100勝はクリアしていますが、今後どうなるか?やはり気になる所ですね。ついさっき分かった速報では、今日も日本ハムに負けてしまい、これで6連敗、3タテを食らう形となってしまったが・・・・・・・

| | トラックバック (0)

里子虐待死事件の犯人は強力若本とも同僚だった!!

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210821009.html

 3歳だった里子の女の子を殴って死亡させたとして逮捕された声優の女は、転落事故を装うため、女の子を階段の下に移していたとみられることが分かりました。

 声優の鈴池静容疑者(43)は去年8月、東京・杉並区の自宅で、里子として育てていた3歳の渡辺みゆきちゃんの頭を殴るなどして死亡させた疑いで、21日に送検されました。みゆきちゃんは地下1階の階段の下で見つかり、鈴池容疑者は「階段から落ちた」と話していました。その後の警視庁への取材で、みゆきちゃんには階段から落ちたような傷がなかったことが新たに分かりました。警視庁は、鈴池容疑者が転落事故にみせかけ、みゆきちゃんを暴行した後に階段の下に移したとみて調べています。

正直この犯人、事件が起きるまで全然知らなかったけど、主に報道番組やCMのナレーションを担当していたみたいですね。元は同様にナレーションの仕事が主だったアトーべ様も、外車を数台も保有する程羽振りが良いらしいけど、道理で知らなかったワケだ。かっては81プロやシグマセブンにも所属していたらしいけど、81では、シュワちゃんやバイキンマン等、シグマではあの強力若本や、水樹奈々氏等と同僚だった事になるが・・・・・・・・人生勝ち組かと思いきや、これで転落の道を歩む事になってしまうだろうけど、まあしっかり罪を償ってきて下さい。

| | トラックバック (0)

2011/08/20

連敗中のオリックスバファローズと今は無き近鉄バファローズの「伝統」その1

http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110820-822976.html

<日本ハム4-0オリックス>◇20日◇札幌ドーム

 オリックスが5連敗を喫した。勝敗の分岐点は0-1の6回。1死三塁で荒金久雄外野手(33)の右飛で三塁走者のアーロム・バルディリス内野手(28)がタッチアップ。同点と思われたが、サード小谷野栄一内野手(30)のアピールで三塁塁審は離塁が早かったと判定。岡田彰布監督(53)が2日連続で審判団に抗議したものの判定は覆らなかった。直後の6回裏に追加点を奪われ、8回にも2点でダメを押された。

 試合後、この場面を質問された岡田監督は「野球の話か。(あの1点が)あればとかそんな話ちゃうやろ。そんなことしかないんか」と会見を打ち切った。前日19日は際どいボール判定で延長サヨナラ負けを喫し、試合後、審判室に怒鳴り込んでいた。

 [2011年8月20日19時15分]

パリーグももはや2強4弱だが・・・・・・・・・斉藤に4勝目を献上する形となってしまったけど、こういう判定もビデオ判定にすれば良いのにですね。

そう言えば、近鉄と合併してからもう6年経って、近鉄に対する扱いは記録等の面では傍系扱いとなっていて、最近も西武戦では近鉄の往年のユニフォーム(1974~96年に使用されたブレーブスタイプ)が使用されていたけど、近鉄バファローズの「伝統」は大きく2つ挙げられると思います。1つは、全盛期には並々ならぬパフォーマンスを見せたが、衰えの早い投手が多く、息の長い活躍を見せた投手はあまりいなかった。2つ目はこれはヤクルトにも言える事だけど、打つ方でも外国人頼りだったという事です。

http://gararoom.hp.infoseek.sk/kuzukago.html

投手については、上記HPでのコラムでも指摘していた人がいたけど、近鉄は消滅直前の2004年時点現存していた12球団の中では、100勝以上挙げた投手は「草魂」鈴木啓示以外には2人しかいなかったのです。柳田豊は生涯では110勝でしたが、内16勝は、西鉄・太平洋時代の勝ち星で、佐々木宏一郎も、生え抜きではなく、当時の大洋・三原脩監督にクビにされた所を拾ってもらえたのです。つまり、純正生え抜きでは鈴木の他には、関根潤三とは同級生でもあった武智文雄しかいないのです。沢藤光郎も、近鉄参加時点でもう30歳だったから、あと5歳若ければ100勝を達成できていたかもしれなかったけど。

その武智ですら、目立った活躍をしたのはwikiでの成績を見れば分かると思うけど、1951年と1954~56年の4シーズンしかなかった。(内1954年は最多勝に輝いたが、チームもAクラス入りを果たした)「猛牛」千葉茂が監督に就任した1959年に入団した久保征弘も、3年間の下積みを経て、別当薫に監督が代わった1962年には最多28勝を挙げ、翌63年にも防御率1位となり、チームもあと少しでAクラス(残念ながら、西鉄ライオンズの14.5ゲーム差を跳ね返す大逆転劇を演出する形となってしまったが・・・・・)とそこそこいい線行ったが、1964年に10勝に終わると、中日に移籍しても往年の力は発揮できず、最期の阪神では1軍登板すらありませんでした。ただ、これが縁だったのか、何度か引退後に阪神のコーチを務める事はできました。

前述の佐々木が近鉄に入団したのは、久保が防御率1位となった1963年の事で、コーチとなっていた武智に厳しく鍛えられ、1965年に最多敗戦投手になったのにもめげずに1967年からはエースとして定着、翌1968年からは自分を首にした三原の元でまたプレーする形となってしまったけど、1970年には17勝5敗、勝率.773の好成績で最高勝率のタイトルも取り、防御率2.05も2位でした。

しかし、三原がヤクルトに去り、岩本尭に監督が変わった後の1973年、30代に突入するかしないかの年頃でしたが、この年から急に衰えてしまった。1975年には島本講平とのトレードで当時ノムさんがプレイングマネージャーとして奮闘していた南海ホークスに移籍、ここでは主に中継ぎとして起用されましたが、ノムさん解任後の1979年、南海の凋落は明らかなものとなっていましたが、3勝7敗ながらも、防御率3.47はリーグ10位以内でいくらかはベテランの意地を見せ付けました。ただ、この年と次の1980年に最も長く在籍していた近鉄の優勝を見る事になってしまったのは皮肉で、実際ご本人も、優勝を経験できなかったのが心残りだったと言っていたといいます。最も惜しかったのは1969年でしたが、阪急との最後の直接4連戦で1勝3敗と負け越し、リーグ3連覇を見せ付けられてしまいました。近鉄のあの10.19と南海の身売りを見届けた後の1989年5月に若くして亡くなりましたが、あともう少し生きていて、近鉄3度目の優勝を見たらどのように思ったのだろうか・・・・・・・・

佐々木が生涯最高の成績を残した1970年には、甲子園の元祖アイドルだった太田幸司が入団し、その人気と言ったら今の斎藤佑以上だったらしいけど、後期優勝した1975年の12勝以外には、翌1976年の9勝7敗、防御率3.94、1977年の10勝14敗、防御率3.21、そして初優勝した1979年の防御率3.31がそれなりに目立った程度で1980年以降のプロ5年間はとうとう未勝利に終わってしまった。さあ、斎藤はどうなるか・・・・・・

打つ方でも、近鉄の打線はピストン打線と呼ばれてきて、小玉明利やフジテレビの解説で御なじみの関根潤三が弱体打線を支えてきた。そんな中、外国人の助っ人も段々日本に来るようになってきて、60年代近鉄の代表的な「打の助っ人」と言えば、やはりジャック・ブルームだろうけど、彼はアベレージバッターだった。(後に南海でノムさんとチームメイトになり、リーグ優勝に貢献している)前述の1969年の優勝争いの時にはジェン・ジムタイルがいたけど、65試合で僅か8本塁打(しかも、得点数が本塁打数より少ない珍記録も残している)では1年で帰国となったのも無理なかった。その後やってきたテハダもジョンソンもハンキンスも駄目だったから、西本幸雄を監督に迎えた1974年には、ついに他球団で既に実績を残している助っ人を取ろうと考え付いた。

そう、彼こそが前年の1973年の「南海死んだフリ」優勝に貢献したクラレンス・ジョーンズで、移籍1年目はチームは5位に終わったが、38本塁打で本塁打王となると、前述の柳田を得た代わりに長く4番で打って来た土井正博を放出した1975年にはマークの厳しさが予想され、打率は低打率だったけど、29本塁打で後期優勝に貢献した。1976年にも本塁打王となったが、1977年に打率1割台に終わると、お役御免となった。しかし、ジョーンズ以上の大物助っ人を、近鉄はこれまた他球団から得る事が出来た。

現在フィリーズの監督としても活躍中の「赤鬼」チャーリー・マニエルで2年連続で本塁打王と、使用球の恩恵に与かれたのもあったけど、全くリーグの違いを物ともしなかったのです。チームは1979・80年と連続優勝。太田はあまりパッとしなかったけど、6年間で12勝だった井本隆がこの2年間で一気に倍以上の30勝と大ブレイク。鈴木らと共にローテーションを守りました。

しかし、使用球が変わり、マニエルがヤクルトに戻った1981年、井本は一転して5勝に終わり、チームも最下位に転落、西本監督は奇しくも、阪急との最終戦で両チーム選手から胴上げされながら勇退する事となります。翌1982年には井本は11勝4敗・防御率3.37の好成績で復活、8年目の谷宏明も11勝を挙げ、ローテ定着が期待されました。しかし、井本は王貞治に756号を打たれた鈴木康次朗とのトレードでヤクルトに移籍するも、全くの不振に終わり、引退、谷も以降は1984年の防御率3・57がそれなりに目立った程度で井本同様最終的にはヤクルトで引退しましたが、特に井本は近鉄を優勝させる為だけに入団したような選手だったと言えなくも無いですね。続きはその2で。

| | トラックバック (0)

2011/08/17

亡くなったばかりの「あの人」はジャンパイアだったのかもしれないが・・・・・・

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20110817-OHT1T00024.htm

平光清さん、肺がんで死去…巨人・川上監督を退場させた唯一の審判

 元セ・リーグ審判部副部長の平光清(ひらこう・きよし)さんが9日午後7時47分、肺がんのため死去した。73歳だった。東京都出身。葬儀および告別式は故人の希望により、近親者で済ませた。

 平光さんは1965年にセの審判員に採用された。初出場は同年4月10日の大洋・国鉄戦(川崎)の右翼線審。通算1061試合、日本シリーズに5度、オールスターに7度出場した。90~92年に同審判部副部長。独特なジャッジング・スタイルと白髪姿で、ファンにも知られる存在だった。

 92年9月11日の阪神・ヤクルト戦(甲子園)9回、阪神・八木の本塁打の判定を二塁打に覆したことで、37分間の抗議を招き、同年限りで審判を退職。この試合は延長15回引き分けとなり、試合時間6時間26分は現在も史上最長試合となっている。74年7月9日の大洋戦(川崎)で巨人・川上監督を退場させた唯一の審判でもある。関係者によると、最近はがん治療に専念していたという。

あの阪神-ヤクルト天王山の本塁打は、確か、当たり自体は本塁打コースも、阪神応援団の旗に当たって二塁打になったと思うけど。

確かに彼は、1961年日本シリーズで物議を醸した円城寺満共々ジャンパイアだったのかもしれない。しかし、一々突っ込んだらキリが無いのも分かっているけど、ヤフコメ住人のアンチ巨人は何様のつもりなのかね?鬼籍に入られたばかりの人を好き勝手に罵倒とかしたりして。キミ達のお仲間が大嫌いな中国人・朝鮮人(勿論皆がそうではないと信じたいが・・・・・)と同レベルじゃん。長野の広島戦死球事件もそうだけど。彼らの巨人嫌いって、もう精神病レベルなのでしょうかね。(苦笑)「アンチ巨人快楽読本」シリーズにも、そんなアンチ何人もいたしね。

国鉄・サンケイ時代からのスワローズファンを名乗っていた花野都氏とやらは、後楽園球場を「スタンドがゴチャゴチャした汚らしい球場」と罵っていたけど、おいおい。あんたの応援しているヤクルトだって、後楽園を本拠地にしていた事があって、そこで球団史上初の日本一にだってなった事あるだろ。その汚らしい球場で、巨人と、ホーム・ロード問わずほぼ全試合組んでもらって、人気カードとなったのも、飯田徳治をはじめ、杉山悟・宮本敏雄・豊田泰光等好選手をそれなりに補強ができた理由の一つだったと思うのですがね。もっとも、巨人から来た宇野光雄は、後の大毎でも、須藤豊等一部選手の反感を買って、結局2年間ともBクラス。その後自分を放出した水原茂へのわだかまりが解けて、中日に移った彼の下でコーチとして働いていた時もBクラスと、私はあまり彼は指導者としては有能だったとは思いませんけどね。古くからのファンを名乗っているのなら余計「そんなの知りません」なんて言わせない。まあ何はともあれ、ご冥福をお祈りいたします。

| | トラックバック (0)

2011/08/16

独裁者の末路はえてして哀れなものなのか

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22720020110816

ムバラク前大統領の第2回公判は審理進まず、テレビ中継禁止に

2011年 08月 16日 11:14 JST
 [カイロ 15日 ロイター] 反政府デモ参加者の殺害に関与した罪などで起訴されたムバラク前大統領(83)の第2回公判が15日、首都カイロ郊外の警察学校に設置された法廷で行われた。

 ムバラク被告は、初公判と同様にヘリで到着し、移動式ベッドに横たわったまま出廷。白い被告人服は着用せず、左手には点滴をしたままで、同じく起訴された息子2人と言葉を交わす様子も見られた。

 この日の公判では実質的な審理に入れず、被告の弁護団が、裁判所に提出されたすべての書類を確認する時間が必要と主張。これを受け、裁判長は審理を9月5日に延期したほか、テレビ中継を禁止する決定を下した。

 3日に行われた初公判で、弁護士らは軍最高評議会のタンタウィ議長(国防相)を含む約1600人超の証言を求めており、裁判が長期化する恐れも出ている。弁護士らは、ムバラク政権下で20年にわたって国防相を務めた同議長の証言が鍵を握ると見ている。

1回目の公判の際も、ニュースでたまたま目にしたが・・・・・・・・

確かに彼も、長期独裁政権のジレンマに陥っていた。30年は長すぎた。それでも、スーダンのアル・バシールやジンバブエのムガベよりはまだマシだったとも思うけど。晒し者にされているみたいで哀れですね。裁判の決着がつく前に生きていられるのかどうかも危うい。この様子では。

http://en.wikipedia.org/wiki/Hosni_Mubarak

http://en.wikipedia.org/wiki/Marshal_of_the_Air_Force

そう言えば、ムバラクと言えば第4次中東戦争での指揮でイスラエルに一泡吹かせた功績で空軍元帥に昇進したという事になっているけど、英語版wikipediaでの最終階級はAir Chief Marshalになっています。ちょっと紛らわしいのだけど、これは日本語に訳すと「空軍大将」で、空軍元帥ではありません。同じく英語版wikiでの、空軍元帥(Marshal of the Air Force)のリストのページでも、エジプトではファルーク1世とその息子でムハンマドアリー朝ラストキングだったフアード2世しか載っていません。勿論2人とも、特に息子の方はまだ赤ん坊だったのだけど、名誉的な授与です。このリストには、現在では廃止された階級でも、イギリスでのMarshal of the Air Forceに相当する階級(旧ソ連の航空総元帥等)を授与された面々も載っているのだけど、ムバラクって本当に空軍元帥まで昇進したのだろうか?エジプトでは、陸軍元帥の階級は存在し、実際暫定的に国家元首となっているムハンマド・タンタウィが70を超えながらも、未だ現役の元帥となっているが・・・・・・・

| | トラックバック (0)

2011/08/13

ホスト部のハルヒ、ついに光と結婚する!!

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20110813_050.html

「マーヤ」こと人気声優の坂本真綾(31)と同じく人気声優の鈴村健一(36)が8日に結婚した。13日、両者が自身のブログで報告した。坂本は、結婚を決心した思いを「そうしたいと心から思えるときが自然と来たのでその気持ちに従いました」と表現している。鈴村について「心休まるパートナーが側にいてくれること、とても頼もしく思います」と綴っている。鈴村は、坂本について、「柔らかな時間を届けてくれるかけがえのない方」と説明。声優人生を振り返り、「これからの新しい人生はまた大きな糧をもたらしてくれるはず」と期待に胸を膨らませている。坂本は、小学生の時から児童劇団に所属。96年にテレビアニメ「天空のエスカフローネ」のヒロイン神崎ひとみの声を務めて一躍声優として知られるようになった。鈴村は高校卒業後、専門学校などを経て94年のテレビアニメ「マクロス7」のモーリー役でデビュー。代表作には仮面ライダーシリーズなどがある。

前日に続いて声優関連ニュース(しかも、名前はどちらも「ハルヒ」)だけど・・・・・・・・

坂本真綾氏は、私もエスカフローネ(悪役は未来少年コナンのおじいだった)で知ったクチで、しかし当時は声優よりは歌手としての印象の方が強かったけど、桜蘭高校ホスト部での好演でその実力を再認識いたしました。現在も幅広い活躍をされていて、声優としても、歌手としてもトップクラスの実力を持っています。

一方の鈴村健一氏は、あのガンダム種死で折角主役の座を射止めたというのに、扱い悪過ぎ(話によっては、一言しか台詞のない時もあり、しかも最後は・・・・・・・・)だったのには気の毒としか言い様がなく、その後もそんな不遇にもめげないで代表作を重ねるも、最近はやや迷走していた所もなかったわけではなかったが・・・・・・・・まあ何はともあれ、流石に環先輩の方はもうできちゃった結婚(宮野真守氏についても、伸び悩み傾向で歯がゆさを感じていたが、最近見たウルトラマン某シリーズでは、役に段々なりきっていて好印象だった。これからも頑張って欲しいです)しているから、アレだけど、ご結婚おめでとうございます!!これからも末永くお幸せに・・・・・・・・

| | トラックバック (0)

2011/08/12

平野綾の「事実上事務所解雇」事件(※追記あり)

http://npn.co.jp/article/detail/28177842/

 人気テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」などで知られる声優・平野綾(23)が、8月20日付で所属事務所「スペースクラフト・エンタテインメント」を退社することが事務所から告知された模様だ。事務所はオフィシャルファンクラブ「平野塾」の会員宛てに20日付で平野が所属事務所を退社する旨を伝える書類を送付。ファンクラブも解散となる運びのようだ。しかし、平野自身は退社のことには触れず(12日現在)ブログの更新をおこなっている。近日詳細が発表されるのだろうか。

 平野は過去にも何度か活動休止騒動が持ちあがっている。昨年春、半月ぶりに更新されたブログの内容が活動休止を思わせる文面だったためファンが騒然としたこともあった。声優として人気の平野だが、歌手活動に力を入れるなどアーティスト志向が強い。しかし、こうした路線には声優としてこれからも売っていきたい事務所サイドがいい顔をせず「ズレ」が生じていると言われている。平野はブログなどで事務所側への不満をのぞかせていただけに、今回の電撃退社劇にも、両者に何らかの確執があるのだろう。

まあご本人だけでなく、ファンやファン以外のアニメヲタ・ハルヒヲタにも大きな責任があるのだけど、たまたま「涼宮ハルヒ」シリーズがヒットして、たまたまハルヒの「中の人」になっただけなのに、シリーズの人気=自分の実力だと勘違いしてしまったのがそもそもの間違いだったと言えるでしょう。

入院中に退屈凌ぎで見た某バラエティ番組での出演等も悪い意味で印象的だったけど、肝心の本業、声優としての演技力は優遇されていたポジションに見合ったレベルではなかった。鉄のラインバレルにせよ、可憐チルドレン(原作はGS美神ほどではないにせよ、面白いのだが・・・・・・・)にせよ、フェアリーテイルにせよ、演技は同じ役柄を演じていても、何だか発生や抑揚とか安定せず、神谷明氏に酷評されたのも無理なかったけど、彼女じゃなければ務まらないというレベルでは全くなかった。ドラゴンボール改のデンデも、勿論最初から故・鈴木富子氏レベルの演技力なんて期待していなかったけど、やはりミスキャストだった。「過大評価ナンバー1女性声優」だったけど、ツイッターでの頓珍漢な発言の数々や、男達との乱れた性交、マネージャーへのいじめETC・・・・・・・・そして例のキス写真流出・・・・・・・・・・

この写真の流出は事務所が解雇する口実を作りたくてやったのではとも言われているようで、勿論どこまで信用して良いかはまだ確信は持てないけど、絵に描いたような自滅劇ですね。ハルヒシリーズも、「憂鬱」じゃない、確か「消失」が最近映画化されたらしいけど、これも降板となるのでしょうかね。yahooコメでは、椎名へきる病にかかったと評したコメントも見られたけど、全盛期の椎名氏の方が演技力も歌唱力もカリスマ性も全て上だったよ。また、水樹奈々氏や田村ゆかり氏、堀江由衣氏と比較するコメントも見られて、この3人も過大か過小かと言えば、過大評価だとも思うけど、やはり少なくとも演技力は彼女より数段上ですよ。まあ、ただでさえ良くなかったイメージが決定的に悪くなってきているし、ご本人は今の所は、公式ブログでも平然さを装っているみたいだけど、もうかっての勢いを取り戻すのは難しいだろうね。繰り返し言うように、声優界も競争の厳しさは普通の芸能界と変わりなく、彼女レベルの演技力ならば、代わりは幾らでもいるのだから。まあこれを機に今度こそは一からやり直すつもりで頑張ってみる方が良いと強く思います。


【以下2016年4月某日追記】

平野氏に対するコメントですが、誹謗中傷の類になってしまっていました。言いすぎでした。この場を借りて、平野氏及びファンの方々を不快な気分にされた事をお詫び申し上げます。すいませんでした。(※なお、この謝罪アナウンスは誰か他の人にブログ自体削除されない限りは永久に載せます)

| | トラックバック (0)

エコハちゃん騒動にも決着か

http://www.sanspo.com/shakai/news/110812/sha1108120504003-n1.htm

ピカチュウ似エコハちゃん着ぐるみお蔵入り

2011.8.12 05:00

操作メニューをスキップして本文へ

 「ピカチュウ」に似ていると指摘された山口県宇部市のエコキャラクター「エコハちゃん」の着ぐるみ(宇部市環境政策課提供)【フォト】

 山口県宇部市のエコキャラクター「エコハちゃん」の着ぐるみが人気アニメ「ポケットモンスター」のピカチュウに類似していると指摘された問題で、山口県宇部市の久保田后子(きみこ)市長(56)は11日、「今後はイラストを活用していきたい」と着ぐるみを使用しないことを会見で発表した。着ぐるみは厳重に保管するという。

 エコハちゃんは、「自然の大切さを知って欲しい」と宇部資源リサイクル協同組合が作った環境啓発DVDに登場。着ぐるみ1体を大阪市内の業者に発注、制作費は52万5000円だった。同組合の翁林武雄理事長(70)は「中に人が入るため顔が丸っこくなったようだ」と説明した。

 今月1日にイベントに登場した様子が放映され「ピカチュウに激似」とネット上で話題になり、同市には10日までに苦情など96件の意見が相次いだ。ポケモンのブランドマネジメント会社に経緯を説明し、「着ぐるみの使用を控えてほしい」と伝えられたという。

(紙面から)

確かにピカチュウに良く似てますね。というか、色が違うだけやん。(苦笑)いやそれ以前にもうポケモンも私が中学生の頃からシリーズを変えつつ続いていて、ゲームにも特に嵌りはしなかったけど、ピカチュウって、そんなパクられるほどのキャラなの?ですね。(苦笑)主役級のキャラだから当然と言えば当然かもしれないけど、ちょっと贔屓っぷりが鼻につかないわけでもない。まあ半ばどうでもいい事だけど・・・・・・・

| | トラックバック (1)

2011/08/07

再ブレイクしつつあるヒロシのこだわり

http://rn.oricon.co.jp/news/entertainment/2000529/full/

ここ最近、ブレイクの兆しが見えるお笑いタレント・ヒロシ。8月13日(土)から21日(日)まで上演される舞台初主演作『バッド・アフタヌーン~ 独立弁護士のやむを得ぬ嘘~』(赤坂RED/THEATER)を間近に控え、セリフ覚えに躍起になるなかORICON STYLEのインタビューに応じた。「ブレイクなんてしたくないんです。『最近プチブレイクしてる』とか言われてる時点で、もう駄目ですね…」と、スタートからお馴染みの自虐発言。その一方で、自身の芸風に対しては強いプライドを持つヒロシがいた。

 同舞台では廃業の危機を回避するために裁判の依頼を取り付けようと嘘に嘘を重ねる弁護士役に挑む。「演出を務める土田(英生)さんは、僕が初めて舞台(『錦鯉』/2006年上演)をやった時の演出と脚本の先生で、印象が良かったんです。漠然とまたやりたいと思ってたから、弁護士のセリフとかややこしそうって思ったけど、その存在が後押ししたんです」。

 幸いにも法律の専門用語が少ない台本があがってきたというが、キャストとの掛け合いは長い。「セリフ量、随分これでも減らしてもらったけど、会話のテンポが速い分、頭に入れないと…。もう怖いんですよ。2時間ほど出ずっぱりの世界も未知の世界で、ホント弱ってます」。哀愁漂わせる佇まいからボソリと自虐ワードを炸裂させるお家芸とは相反する内容に、頭を抱えている日々だという。

 選択肢が与えられているようで、1つの事柄に収束されていく今作の主人公像に、ヒロシは自身を重ねる。「逃れられないで生きていくことってあるよな~。周りからの目を気にしたり、番組や舞台に出るからには何かを手に入れたいって思うし…。何かあると信じて、その都度、僕はやってるんです」。

 5、6年前に自虐ネタでブレイク。多忙ゆえに嬉しい悲鳴を上げていた毎日を振り返り「当時は当時できつかったですよ」と語るも、近年はテレビなどの出演が減り月給5万円の転落人生をたどっている。

 試行錯誤して芸風を変える芸人も少なくないなか、「ヒロシです…」のネタを貫く姿勢は変えないと力を込める。「僕は、“ヒロシ”だから。そのパッケージを変える必要性はないと思ってる。飽きたと言われるかもしれないけど、意地でもこれをやらなきゃと思って。そして、純粋なあるあるネタじゃなくて、深みのあるネタを狙っていきたい。そこは僕のこだわりなんです」。

 生活や思考が負の連鎖になればなるほど「ウケやすいネタが浮かぶ」ことが悩みの種と、明るく笑い飛ばすヒロシ。「今までは、愉快なトークができないことがコンプレックスだったけど、出ないでバカにされるより、出てバカにされようっていう開き直りが最近生まれた。『昔は一発屋と言われてたけど、ヒロシってこの位置にいるよね』って言われたいな~」。以前ブレイクした時にはなかった余裕が、何をもたらすのか? 本人も今後が楽しみと語っていた。

あの自虐ギャグは何度も笑わせてもらいましたね。その後テレビでしばらく見かけないと思いきや、再ブレイク芸人の1人としてまた名が挙がってきているようだけど、低収入に甘んじながらも、自らの芸風へのこだわり等を変えないのは、彼もまた確かに一種の芸人魂とやらを持っているという事なのでしょう。個人的に彼には頑張って欲しいなあと思います。

| | トラックバック (0)

2011/08/04

新テニスの王子様第56・57・58話-「一軍の『すごい漢達』の逆襲!!」

さあいくつもの1軍VS2軍メンバーの熾烈なバトルが繰り広げられる事となりましたが、副部長くん・猫丸くんの黄金コンビもシンクロを使いこなす事に成功したようです。しかし、1ゲームを選手されたとは言え、相手の陸奥兄弟はまだ全然余裕。

金太郎くんの方は、またまたやたら技名が長い必殺サーブを披露、さすがの人斬りも困惑したかと思えば・・・・・・って、また大ゴマかよwww。しかも2見開き連発wwだったけど、何と球が消えてしまいました!!勿論金太郎くんには成すすべなし!!しかし、この人斬りの方言喋りむかつくなwww。

ピーチキャッスルくんとケンヤくんは元四天宝寺の部長と対戦中だけど、片割れの渾名の由来なんて気にしている場合かよww。しかも、律儀に相手のハラテツくんも由来を教えてあげてるしwww。テツアンドトモのテツ(現在は地方でドサ回りしているらしいが・・・・・)が腹に描かれているのがその由来だったけど、見とれている内にサーブ攻撃、しかも双方ガットをぶち抜かれたけど、ケンヤ、お前馬鹿だろ?wwww。ピーチキャッスルも「お笑いもショットも規格外」って、感心している場合じゃないからwwww。そして、相手コンビの見ているだけでウザイwwwアップwww。勿論また大ゴマwwww。

データくんと烏丸くんは健闘していたかと思いきや、烏丸くんが早くも敗北宣言。樺地くんとタカさんもダメ。あのアトーべ様に実質勝った入江くんも、芝居(だからもう大ゴマいいよwww)は全然通用しません。そして神の子・幸村も・・・・・・・・・・・

いや、相変わらず笑いも織り交ぜる等受け狙いも抜け目ないですなwwww。許斐大先生は。いよいよアニメ劇場版新作の公開まで1ヶ月切りましたが、王子様役・皆川純子氏のインタビューも掲載されてました。やはり10年以上も演じられてきたのもあるのか、王子様に対する思い入れとかが改めて伝わりましたね。舞台はイギリスらしいが・・・・・・

劇場版も全く別の意味wwwで楽しみだけど、ペアプリはよりによって、8巻は老人虐待したクズのキテレツかよwwww。「サトウキビ畑で捕まった」って、何ライ麦畑でつかまえてをもじってんだよwwww。

そう言えば、白石くんもまたシングルを出すらしいけど、あの許斐大先生が超勘違いwwwwCDデビューしてからもう2年経つんですねwwww。歌唱力とボイスは一級品なのに、どうしてまだセカンドシングル出さないのwww?SSS級国賊企業電通と、存在価値ゼロなマスゴミにゴリ押しされているK-POPや、インチキ商法ヲタ媚びアイドルAKBに対抗すべきですよ!!今こそ。そして、セカンドシングルを出した後はミュージックステーションで森田一義さんとの夢のトークを実現!!ネスカフェのCM出演も夢じゃない!!(全く別の意味でwwww)テニプリの大ファンである私としては是非是非K-POPやAKBを、大先生や大先生が生み出した愛すべきイケメン達に粉砕して欲しいのです!!2011年もテニプリが絶好調な大先生に出来ない筈は無いwwww!!YES!!YOU CAN!!wwww

| | トラックバック (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »