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2011/06/19

中国人民解放軍の上将(大将)たち

今度はベトナムとまたトラブルを起こしている中国ですが、軍事費はあの6・4天安門事件が起こった1989年から21年連続で20%以上増加しているらしい。人民解放軍はますます脅威を増しているようですが、過去ログでも何度か言ったように、西欧諸国における大将は、中国や台湾・ベトナム・北朝鮮・ラオスでは上将と呼ばれます。1950年のオマー・ブラッドレー以降授与者はいませんが、1944年に制定されたアメリカ陸海空各軍元帥(但し空軍は1949年に制定)は五星上将と呼称されています。以前中国人民解放軍の元帥と大将(上級大将に相当)については過去ログで述べましたが、今度は上将について述べてみたいと。

階級制度が最初定められたのは1955年9月の事でした。この内元帥・将官は6階級(但し、最上位の中華人民共和国大元帥毛沢東の為に制定されたが、当の本人は固辞した為とうとう授与されなかった)ありましたが、元帥と大将は各10人、上将が55人、中将が175人、少将が798人授与されています。上級大佐に相当する大校は1266人授与されましたが、中将と少将の比率が約4.6対1と最も大きな壁があったのが分かります。

内元帥と大将はそれぞれ十大元帥または十大大将と呼ばれ、1927年8月の南昌起義に参加していた事が条件の一つだったと言われており、特に栄誉ある階級として扱われてきました。実際元帥は1963年に羅栄桓が、大将は1961年に陳コウが亡くなっていますが、1965年に一旦廃止されるまで新たに授与された人は存在せず、上将も王建安李聚奎、中将も聂鹤亭賀誠のそれぞれ2人に留まっています。なお少将の方は、1961年と1964年に大規模な昇進人事があり、1360人まで授与者が増えましたが、中将との比率が約7.7対1とさらに壁が大きくなっています。

http://news.xinhuanet.com/mil/2005-01/04/content_2415729.htm

彼ら57人の「開国上将」達の中で、序列1位だったのは101歳まで生きた肖克です。既に20代で紅軍の軍団軍軍長等将軍クラスだった彼ですが、日中戦争等による第二次国共合作で、八路軍が国民革命軍に組み入れられた際、開国上将の中では最高級の中将まで昇進しています。この時点ではまだ30歳でした。ナチス・ドイツのアドルフ・ガーランドは同じ歳(1942年次)でもまだ空軍少将です。4位の宋任窮と5位の王震は後に八大元老の1人として、後年まで政治的影響力を強く保持する事となります。その王震の前に復活したばかりの国家副主席に就いていたのは49位のウランフでした。7位の許世友第一次天安門事件トウ小平が3度目の失脚を余儀なくされた際、広州軍区の司令員でしたが、彼を庇護しています。11位の楊得志は17位の楊成武、32位の楊勇と共に「人民解放軍の三楊」と呼称されたといいます。19位の肖華は長征組歌の作者として有名です。28位の謝富治と30位の黄永勝等は文化大革命で国家・軍の元老迫害に加担し、晩年または死後に名誉を剥奪されています。46位のイ国清はチワン族出身者で奇しくも、6・4第二次天安門事件の直後に75歳で亡くなっています。48位の呂正操は建国後は主に鉄道畑で活躍しましたが、彼ら開国上将たち最後の生き残りで104歳まで長生きしました。上記サイト1枚目の画像は若き日の呂将軍の画像ですが、なかなかのイケメンです。

前述したように1965年で階級制度は廃止されてしまい、文化大革命の伏線となりますが、やはりかってのソ連がそうだったように色々不都合が生じてしまい、1988年に復活する事となります。この時、上将は士官では11階級の内2番目に高い階級として新たに制定される事となります。充てられる役職は中央軍事委員会副主席及び委員・人民解放軍総参謀長・総政治部正副主任・総後勤部部長及び政治委員・後装備部部長及び政治委員・海空軍司令員・大軍区司令官及び政治委員ですが、17人の軍人たちが授与される事となります。

この内、将官級の階級を授与されていたのは10人でしたが、特筆すべきは洪学智です。実は彼は、1955年にも序列37位で開国上将を授与されているのです。つまりドイツのヨーゼフ・カムフーバー(国防軍:1943年、連邦軍:1961年)と共に大将(上将)の階級を二度授与された数少ない一人なのですが、六星上将と呼称する声もあるようです。他にも開国中将だったのが2人、開国少将だったのが7人いましたが、いずれも他の国ならとっくに定年退役している御爺さん達ばかりで、実際例えば劉華清は、建国時は海軍に所属しており、授与時は中共顧問委員会委員となっていましたが、第二次天安門事件の鎮圧に協力した事で増長していた楊肖昆・白スイ兄弟(前者は国家主席・共産党及び国家中央軍事委員会第一副主席で、後者も17人の上将達の1人)をけん制したいトウ小平の意図もあって、彼の信頼を得ていた事もあり、軍事委員会副主席ばかりか政治局常務委員への昇格まで果たす事となりました。一番上の階級は現在の台湾でも、基本的には国防省参謀総長のみ(その他の軍の長老に対しても、名誉的に授与された例もある)に充てられる一級上将でしたが、彼ら開国将軍達には上将ではなく、一級上将を授与しても良かったのではとも思います。(結局授与者がいないまま1994年に廃止される事となる)

開国時には校官(左官)だった面々は4人いましたが、出色は最近もアメリカ&日本殲滅等物騒な事を訴えているタカ派の遅浩田で、1962年には中校(中佐)だったのが、今回の階級制度復活で最年少の上将となりました。この時中央軍事委員会委員と総参謀長を務めていました。軍種別では15人が陸軍で後は海軍と空軍が1人ずつでした。

その後も1993年には6人、1994年には19人、1996年には4人、1998年10人、1999年2人、2000年16人、2002年7人、2004年17人(内6月15人、9月2人)、2006年10人、2007年4人、2008年3人、2009年3人、そして去年2010年は11人と計129人授与されていますが、内79人は江沢民が、33人は現任の胡錦濤が共産党軍事委員会主席だった時の昇進人事で、特に江沢民時代に上将が乱発されていたのも分かります。軍種別に見ると、陸軍が圧倒的に多く105人、海軍8人、空軍12人、そして武装警察部隊(略して武警)が4人です。ちなみに中将は、542人(後に上将に昇進したものも含む)が階級制度復活後、2010年までの22年間に授与されていますが、上将よりさらに階級のインフレ化が進んでいるのが分かります。

現役では、上将は28人(陸21人・海2人・空5人・武警0人)で中将が118人(陸75人・海15人・空20人・武警8人)と合わせて146人いますが、人民解放軍は人員が344万人なので、約23.6万人に1人しかいない割合となり、他の主な国と比べると高いとは言い難いようです。(自衛隊は約4000人に1人、米軍は約8500人に1人、ドイツ連邦軍は約12.5万人に1人)

あと階級制度復活後の上将の特徴としては、将軍では最下位の少将から昇進するのに大抵10年以上かかる事でしょう。例を挙げれば、国防部部長である梁光烈は1988年の階級制度復活時に47歳で少将となった。この時陸軍第20集団軍軍長だったけど、中将に昇進したのは北京軍区参謀長から副司令員に昇格するかしないかだった1995年で、2002年6月に上将に昇進したときには61歳。14年近くもかかった。つい最近では、マイケル・マレン米軍統合参謀本部議長に「台湾の事に口を出すのは内政干渉だ。」と噛み付いていた、総参謀長・陳銘徳もそうだったし、総政治部主任の李継耐は12年、党中央軍事委員会第一副主席の郭伯雄も11年かかった。海軍ではトップの海軍司令員を務める呉勝利も13年、空軍でトップの空軍司令員な許其亮にいたっては16年(1991年少将、2007年上将)もかかった。許の場合はまだ、少将になったのが41歳の時と早い方だったから、上将昇進時はまだ57歳だったけど、呉は既に62歳となっていました。帝国陸海軍でも10年以上要した人は決して珍しくなかったけど、全体としては人民解放軍の方がいくらか年数を要するのではですね。40代の上将もゴロゴロいた第一次階級制度時とは対照的です。毛沢東の孫である毛新宇も、前述の許をも凌ぐ40歳の若さで去年夏に少将に昇進して、やはりと言うか、批判の声も少なくなかったらしいけど、さあ上将に昇進するのはいつの日か。主な面々で早い方なのは徐才厚の56歳(1999年昇進)だけど、果たして更新できるか・・・・・・・・・・・・

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