ドイツ連邦軍の階級と陸軍軍服
2011年7月、日本ではアナログテレビ放送が終了する予定ですが、ドイツでは連邦軍の徴兵制が廃止となるらしいです。
もっとも徴兵制と言っても、100%強制ではなく、代替として社会奉仕活動に従事すれば兵役につかなくても良い事になっています。それだけに今後こういった面もどうなるか気になる所ですが、ちょっとどうでもいい事を述べてみたいと。
ドイツ連邦軍の成立は1955年の事。自衛隊の前身である警察予備隊より5年遅れての事でした。自衛隊の場合は、旧帝国陸海軍出身者の参加は最高でも大佐クラスまでで、将官は存在しませんでしたが、ドイツ連邦軍は将官クラスにも参加者が見られました。以下はその主な面々です。(※階級はドイツ国防軍所属時の最終階級だが、将官の階級は、ドイツ国防軍が少将~上級大将なのに対し、連邦軍は准将~大将の4段階である事に注意されたい。以下国防軍大将は三ツ星大将、連邦軍大将は四ツ星大将と表記。)
①アドルフ・ホイジンガー(中将、初代連邦軍総監)
②ハンス・レッティガー(大将、初代陸軍総監)
③フリードリヒ・ルーゲ(中将、初代海軍総監)
④ヨーゼフ・カムフーバー(大将、初代空軍総監)
⑤ハンス・シュパイデル(中将、NATO欧州連合軍中央連合部隊司令官)
⑥ヨアヒム・フリードリヒ・フート(中将、空軍南部軍集団指揮官)
⑦マックス・ヨーゼフ・ペムゼル(中将、陸軍第二代第二軍団長)
⑧フリードリヒ・フェルチュ(中将、第二代連邦軍総監)
⑨ベルンハルト・ロッゲ(中将)
⑩ハインツ・トレットナー(中将、第三代連邦軍総監)
⑪ハンス・クロー(少将、第一空挺師団師団長)
この11人で、内レッティガーとカムフーバーが創立メンバーでは最高階級の三ツ星大将で、ルーゲが創立メンバーでは最年長(61歳)でした。クローは連邦軍には1等降格の大佐で入隊、1959年に准将に昇進、再び将軍となり、最終的には少将で退役しましたが、実際は15人の元国防軍将官が連邦軍創設に関わっていたらしいです。総監というのは、連邦軍、陸海空軍の最高幹部で、自衛隊の統合・陸上・海上・航空各幕僚長に相当します。しかし、幕僚長は階級は中将相当の将ですが、待遇は「○○幕僚長たる将」と言って、大将相当です。これに対し、総監は四ツ星大将クラスなのは連邦軍総監だけで、陸海空軍総監は中将の階級となっています。
陸海空軍総監も四ツ星大将でも良いじゃないかと思いきや、ヨーロッパ諸国の多くはアメリカとNATOという軍事同盟に参加していて、良くも悪くも主要国である旧西ドイツも参加する事になりました。その最高幹部には、軍事委員会議長・欧州連合軍正副最高司令官・プルンスム統連合司令官等のポストが存在し、常にドイツ連邦軍幹部から選ばれるわけではないですが、連邦軍総監と、それらNATO最高幹部ポストに四ツ星大将が充てられるというわけです。(但し、欧州連合軍最高司令官はアメリカ軍元帥・大将が独占で、同副最高司令官はイギリス軍元帥・大将と交代でポストに就く)
現に軍事委員会議長には、連邦軍総監を退任した後のホイジンガーの後にも、エースパイロットの一人だったヨハネス・シュタインホフ(国防軍での最終階級は大佐。前職は空軍総監)、ヴォルフガング・アルテンブルク、クラウス・ナウマン、ハラルド・クヤート(いずれも前職:連邦総監)の4人、欧州連合軍副最高司令官には、ゲルト・シュミックル、ギュンター・ルターら8人、プルンスム統連合司令官には、ヨハン・キールマンセグ(国防軍での最終階級は大佐)が1966年3月に就任して以降、ジャック・デヴェネル(イギリス軍大将)が2001年から3年間務めたのを除いて歴代16人のドイツ連邦軍四ツ星大将が独占しています。
国防軍時代にはあの「砂漠の狐」と連合軍から恐れられた、エルヴィン・ロンメルの参謀だったシュパイデルは、中央連合部隊の司令官だったらしいですが、これはあくまでも発足時の部隊で、現在の部隊・組織との関係はよく分かりません。(確認しだい追記します)ただ、例外も無かったわけでもなく、カムフーバーライン等キレ者な戦略家だったカムフーバーは、前述通り最終役職は空軍総監でしたが、退役直前の1961年に、ホイジンガー・シュパイデルに続く3人目の(空軍出身では初の。同年に連邦軍総監となった先にフェルチュが昇進していれば4人目)四ツ星大将に昇進しています。第一次世界大戦以来の軍歴を有していた彼、既に連邦軍創立時点では59歳となっていましたが、そんな長老に対する敬意を込めての昇進人事だったのでしょう。レッティガーも、連邦軍三ツ星中将相当の陸軍総監在任中に亡くなってしまいましたが、もう少し長生きしていればカムフーバーみたいに「例外的な」昇進を果たしていたかもしれません。つまりカムフーバーは、中国の洪学智と共に2回大将の階級を授与された数少ない一人だったわけです。(※洪は階級制度制定時の1955年と、復活時の1988年に授与されたが、中国や北朝鮮、ベトナム、ラオスでは上将と呼ばれる。ラオスはアメリカ・西欧式、北朝鮮とベトナム、階級制度廃止前の中国はソ連・ロシア式の階級システムを採用しており、さらに上の階級である大将は上級大将に相当するが、洪は「六星上将」とも称されている。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:2june2006_168.jpg
陸軍総監と言えば、連邦軍の軍服、特に陸軍はプロイセン・国防軍とは一線を画したデザインとなっています。どういうデザインなのかと言うと、上着は灰色の開襟で、ズボンは黒色と熱狂的なファンも見られる国防軍のそれと比べると、個人的にカッコいいとは思えないデザインです。
ただ、創立時から現在のデザインだったわけではなかったようで、上記URサイトの画像では、創立時のホイジンガーとシュパイデル(眼鏡をかけている人物)が軍服を着ている姿が見られますが、上下同色のデザインだった事が分かります。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Bundesarchiv_Bild_183-83742-0001,_Stuttgart,_Generalstreffen.jpg
ところが、これは1961年6月の、連邦軍の最高幹部達が一堂に会した際に撮られた写真で、右端の人物がフェルチュ、その左隣の眼鏡をかけた人がシュパイデル、2人置いて、背の低めな老人がカムフーバーで、左端の人物がルーゲの後任としての、海軍総監に昇進した頃のカール・アドルフ・ツェンカーですが、陸軍出身のフェルチュとシュパイデルはズボンに比べて色の薄い(灰色?)開襟式上着を着ているのが分かります。
http://www.specialcamp11.fsnet.co.uk/Generalleutnant%20Heinrich%20Heinz%20Trettner%20(Luftwaffe).htm
しかしまた、一方で、右端の画像は連邦軍総監に昇進した頃と思われる、トレットナーの写真ですが、色の濃い開襟式上着を着用しています。
トレットナーの画像はいつ頃かはハッキリは分かりませんが、この第六代陸軍総監等を経て、プルンスム統連合軍総司令官となったエルンスト・フェルバーの画像は、前述の会談より3年経った1964年の写真です。
http://www.hdg.de/lemo/objekte/pict/BiographieSpeidelHans_photoSpeidelHans/index.html
さらに、これは1960年の、シュパイデルを撮影した写真の画像ですが、今度は上着・ズボン共に色が薄いのが分かります。
要するに、「何時ドイツ連邦軍陸軍の軍服は現在のデザインになったのか?」なのですが、色の薄い上着・ズボンはおそらく夏服だったのでしょう。対する海軍は、前述の1961年会談の画像では、ツェンカーが着用していたのは冬服と思われる(海軍の夏服は大抵上衣は白色)のはちょっと解せない所(?)だけど・・・・・・・
しかし、今度は1969年12月の、時の首相であったヴィリー・ブラントと連邦軍最高幹部達の会談時の画像です。サングラスをかけた人物が当時空軍総監だったシュタインホフ、その右隣の、眼鏡をかけた人物がウルリッヒ・デメジエール連邦軍総監、一人おいてスーツを着た人物がブラント首相、そのまた右隣の人物がアルベルト・シュネツ陸軍総監ですが、この時には既にほぼ現在のデザインとなっていたようです。
またどーでもいい事を長々と書いてきたけど、旧東ドイツの方は案外旧来のデザインも残っていて、対照的だったのも興味深いです。特に陸軍軍服の「カッコ良さ」では、東の方に軍配が上がった・・・・・・かもしれません。
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