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2011/05/05

「ガッツ」小笠原道大の2000本安打達成と名球会の問題点すり替え

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110505/bbl11050516560009-n1.htm

巨人・小笠原が通算2千安打を達成 史上38人目

2011.5.5 16:56

8回、通算2000本となる安打を放ち、花束を阪神・新井(左)から受け取る巨人・小笠原道大=東京ドーム(撮影・大里直也)

 巨人の小笠原道大内野手(37)が5日に行われた対阪神6回戦で、八回の第4打席に中前打を放ち、通算2千安打を達成した。通算2千安打の達成は、プロ野球史上38人目。達成直後には、チームメートの坂本や阪神の新井貴から花束を受け取り、笑顔を見せた。

 小笠原は1997年、社会人のNTT関東(現NTT東日本)を経て、ドラフト3位で日本ハム入団。プロ初出場は1997年4月8日のダイエー戦(福岡ドーム)。初安打は97年5月10日の対西武(西武)で、石井丈からマークしている。06年オフ、フリーエージェント(FA)権を行使して巨人に移籍した。

 昨年までの通算成績は1719試合に出場し、打率・316、371本塁打、1111打点。

小笠原道大内野手、今シーズンはチーム自体のみならず自身も、波に乗れない状態が続いていますが、ついに2000本安打を達成しました。

これで実質金田正一その人が仕切るための私物と化している名球会への入会基準も満たした事になりますが、改めてここで強調したい。

同団体については、よく駒田徳広田中幸雄に対して、「ただ長く続けただけの『キリ番的』な達成だったのにあいつらも会員なんておかしい。」と過小評価したくてしょうがない輩の意見を聞く。(柴田勲山崎裕之の生涯打率も高いとは言えず、前者は70年代前半までの投高打低な傾向も相まって、シーズン3割が一度もなかったけど、制約が多かった中での生涯盗塁数579は現在もセリーグ記録だし、後者も引退する前年までフルに働いていたので、この二人ほど否定的な意見は聞かない)しかし、それはおかしい詭弁ですよ。

駒田デビュー戦での満塁本塁打こそ強烈なインパクトを放ったけど、選手層が厚い中、その後すんなりレギュラー入りとはならず、所謂50番トリオの中でも3番手な印象があった。漸くプロ入り7年目の1987年にレギュラーとなったけど、既に25歳。次の年から2年連続3割を打って、さらに13年ぶりのリーグ連覇を果たした1990年にはチームの本塁打・打点王となった。1991年と1992年にはまた2年連続3割。安打数160・155も、当時まだ最多安打のタイトルはなかったけど、それぞれリーグ最多だった野村謙二郎ジム・パチョレックとそれほど遜色は無し。1992年まではまた、3年連続の全試合出場も果たしている。

ところが、長嶋茂雄監督復帰後、彼がいくら無能でも勝てるように導入されたFA制度のせいで、落合博満獲得を目指すように。実際1993年の巨人は、ゴジラもまだ高卒1年目。ヤンキースで四番を打った事もあるバーフィールドも変化球がからきし打てない。貧打でAクラス維持が精一杯だった。

このまま巨人にいても居場所が無くなる。駒田ピンチ!!しかし、彼もまたFAのおかげで、巨人時代のコーチだった近藤昭仁が監督を務めていた、横浜ベイスターズという新たな居場所を見つける事ができた。そこでまた5年連続全試合出場&140安打以上等の安定した成績を残し、1998年にはあの38年ぶりの日本一に大きく貢献した。通算2006本の内62,0%の1243安打は、30代に突入した1992年以降に積み重ねた安打であった。

この点も強調しておきたいのだけど、生涯安打数の内、30代以降の安打数のしめる割合が60%を超えているのは、他には金本知憲の80.9%(1917本)、古田敦也の72.2%(1514安打)、新井宏昌の66.0%(1345本)、山本浩二の64.6%(1510本)、大島康徳の64.2%(1414本)、若松勉の63.7%(1385本)、福本豊の62.2%(1583本)と達成者の中でも数えるほどしかいません。ちなみに最低は榎本喜八の29.3%(679本)で、ブービーは阪神生え抜きでは唯一の達成者でもあった藤田平の35.1%(724本)ですが。打撃の神様・川上哲治ですら57.0%(1341本)です。戦前・戦中は試合数が少なく、兵役にも就いていたと言うのに!!(この時の部下が、今は亡き丹波哲郎である。なお、イチロー・松井秀喜・松井稼頭央は試合数が異なるMLBでのプレイ経験があるので、比較の対象外としている。金本は2010年シーズン終了時のデータ)

田中は、レギュラー定着以降ほぼフル出場していた駒田と比べると、晩年はややボロボロ(ノムさんのチームメイトでもあった広瀬淑功も晩年は似たり寄ったりだったけど、名球会ができる直前に引退したためか、彼や加藤英司と違い、現役にしがみついたのを非難する声は聞かない)でだったのは確かに否めない。しかし、彼もレベルが高いとはいえなかったとはいえ、1994年にはリーグ2位の87打点、1995年にはイチローや初芝清と同数ながらも打点王、1996年にも82打点を記録した。生涯1000打点も、彼以外には36人しかいない。名球会の基準とは関係ないけど、守る方でも339守備機会連続無失策のパリーグ遊撃手記録は現在も破られていないし、当時5人目の4年連続全試合出場も果たした。NPB公式記録ではないけど、シドニーオリンピックでも打率.323の好成績を残した。1992年の負傷が無ければ、もう少し早く達成できたかもしれない。

確かに、2000本、200勝、250セーブを達成した選手だけがさも名選手のように思われかねない名球会の存在意義が大いに問われているのは客観的事実です。彼ら達成者以外にも、長い日本プロ野球の歴史では、野手では大下弘、小鶴誠、中西太、飯田徳治、毒島章一、吉田義男、高橋慶彦、大石大二郎ETC、投手では長谷川良平、秋山登、杉浦忠、足立光宏、松岡弘、斉藤雅樹ETC・・・・・・・と一時代を築いてきた名選手たちは何人もいます。また基準自体も、多少レギュラーになるのが遅くても、ある程度挽回できる2000本安打と、分業制が進み、工藤公康や山本昌のように高卒でプロ入りしても、40代までプレイしてやっと達成できる200勝の難易度は違ってきているし、セーブも、現在のストッパーは殆ど1イニングしか投げないだけあって、甘い基準に余計思えます。また勝利数とセーブ数を合計した場合の記録も考慮されていないのも問題です。

しかし、だからといって、駒田や田中を過小評価するのは的外れ。それこそ問題点のすり替えに他ならない。長くプレイできるだけでも実力の内だけど、彼らもただそうしてきたわけではない。やはりそれ相応の実績があったのです。そうした実績を正しく理解していれば、名球会入りへの文句なんて出てこない。結局の所、他の未達成名選手への思い入れ補正だかなんだか知らないけど、「森だけを見て、木は見ていない」のです。こういう連中は。さて、次の2000本安打達成者は、今や優勝請負人の一人にもなった稲葉篤紀か。谷佳知にも達成して欲しいけど、難しいだろうな・・・・・・・・巨人に移籍して日本一まで経験できたのは良かったと言った所なのだろうけど・・・・・・いずれにせよ、小笠原選手、達成おめでとうございます。

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