天国に旅立ってしまった「スーちゃん」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2011042302000077.html
田中好子さん死去 女優として存在感 技派として活躍
2011年4月23日 朝刊
一九七〇年代に一世を風靡(ふうび)したアイドルグループ「キャンディーズ」。美形ぞろいの三人のメンバーの中で、「最も素朴な女の子」のイメージが強かったのが、“スーちゃん”の愛称で親しまれた田中好子さん(21日死去、享年55)だった。
人気絶頂期の七八年、グループを解散して五年間の活動を終え、希望通り、「普通の女の子」に戻る。芸能界への復帰を決意したのは、六つ違いの弟が骨肉腫を患ったことが契機となった。「そばで付ききりで看病してくれるのはうれしい。でも、お姉ちゃんがテレビに出ている姿を見る方がもっと勇気づけられるよ」。幼いころから弟がかわいくて仕方がなかった“優しいお姉さん”の胸に響く一言だった。
八〇年にバラエティー番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演して復帰を果たし、八二年に弟が亡くなってからも、その「遺志」を背に女優としての歩みを続け、独特の存在感を示した。
八九年、アイドル「スーちゃん」から女優「田中好子」への決定的な転機となる映画に出合う。今村昌平監督の「黒い雨」である。原爆症と世間の冷たい目に苦しめられながらも、輝きを失わずに凛(りん)とした生き方を貫くヒロインを熱演。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞をはじめ各賞を総なめにし、演技派女優の名をほしいままにした。
これ以後、ドラマ、映画で、シリアスな役からコミカルな役まで何でもこなす女優として幅広く活躍。九四年に安達祐実主演のテレビドラマ「家なき子」で母親を演じてからは、“優しいお母さん”がはまり役となった。
九一年に結婚。夫の小達一雄さんは、白血病で八五年に早世した女優・夏目雅子さんの実兄に当たる。弟、そして、かつての友人だった一つ年下の義妹を難病で亡くしている田中さんは、国民の健康問題に高い関心を示し、厚生省(当時)の公衆衛生審議会の委員を務めた。ボランティア活動にも熱意を示し、抗がん剤で脱毛した患者のためにかつらを無料で貸し出す基金の設立に尽力。
脳腫瘍に侵され、自らの余命を知った脳外科医の闘病生活を追ったドキュメンタリー番組(98年)では、ナレーターを買って出る。家族ぐるみで付き合いのある脳外科医夫婦の勇気に、心うたれての決断だった。涙があふれ、原稿につまる。何度も中断しながら収録が進められたという。
田中さん自身も結婚の翌年、乳がんが見つかった。再発を繰り返しながらの闘病生活だったが、自身の病気のことはおくびにも出さず、明るく振る舞い、笑顔を絶やさなかった。女優として演じた優しいお母さんは、田中さん自身からにじみ出る明るさ、人柄の温かさが一段と引き立たせたものだったに違いない。 (安田信博)
最近CM等で顔を見ないと思っていたら・・・・・・・・・・
キャンディーズ時代(どうでもいいが、秋元康は「AKBの原点」とか軽々しく口にするなよ。)は特番の過去映像で何度か目にした程度で、リアルタイムでは目にしたことがない私にとっては、ドラマ「家なき子」での優しいお母さん役の好演が印象的な人でした。しかし、その役柄通り本当にいい人だったのですね。なのにまだ早すぎる・・・・・・ご冥福をこの場を借りてお祈りいたします。
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