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2011/03/15

残り任期わずかな胡温体制下の中国と「追いつかない」皇帝制の変容

http://mainichi.jp/select/world/news/20110315ddm007030121000c.html

中国:全人代閉幕 最大の危機は「腐敗」 温首相「国民からの批判必要」

 【北京・成沢健一】中国の国会に当たる第11期全国人民代表大会(全人代)第4回会議が14日閉幕した。温家宝首相は閉幕後の記者会見で、政権にとって最大の危機要因は腐敗との認識を示すとともに「国民の不満を解決するため、国民に政府を批判させ、監督させなければならない」との考えを明らかにした。

 温首相は「政治体制改革がなければ経済体制改革も成功し得ない」と改めて表明。「公平と正義は社会安定の基礎となる」と述べ、所得再分配や教育・医療の不公平の解消を進める方針を示した。

 一方で、「政治体制改革は容易なことではない。安定した環境を必要とし、党の指導の下で段階的に進める」と述べ、国民にどう批判や監督をさせるかについては具体的に言及しなかった。

 また、温首相は「北アフリカなどで起きた政治的動揺を注視しているが、中国との比較は不正確だ」と指摘し、「中国は国情に応じた発展の道を歩む」と強調した。

 国民の不満が大きいインフレについて温首相は「虎のようなもので、いったん放すと封じ込めるのが難しい」と主張。「一部の国が実施している量的緩和策が為替や商品の相場を大きく変動させている」と述べ、名指しを避けながらも米国の金融政策を批判した。

 この日閉幕した全人代では、年平均の経済成長率目標を7%に設定した「第12次5カ年計画」(11~15年)や今年の政策目標を盛り込んだ政府活動報告などを採択した。政府活動報告では、今年の成長率目標を8%前後とするとともに消費者物価指数(CPI)上昇率の抑制目標を4%程度とし、都市部の登録失業率を4・6%以内に抑えることなどを掲げている。

 最高人民法院(最高裁)と最高人民検察院(最高検)の活動報告も採択したが、いずれも反対や棄権などの批判票が20%前後に上り、汚職への取り締まりが十分ではないとの不満の根強さを示した。

中国は周知の通り、溥儀をラストエンペラーとして20世紀初頭の辛亥革命で皇帝制は表向きは廃止となりました。

しかし、それまでずっと中華思想等の下中華皇帝が君臨していた中国大陸、急にそうした皇帝制と決別するのには無理があった。溥儀を退位させる事を条件に、孫文から新生中華民国大総統を譲ってもらった袁世凱も皇帝になろうとしたし、彼の死後、軍閥割拠、日中戦争・国共内戦を経て誕生した中華人民共和国もその実共産党王朝で毛沢東が初代皇帝となった。

彼が実は、暴君と言われている殷のチュウ王(実際はそうではなかったらしいが)を高く評価していたのも、共産党王朝の成立要因を考えれば何も驚く事ではなく、また秦の始皇帝については、「私は反右派闘争で、彼が行った焚書坑儒での数百倍の知識人を処分してやった。だから私を秦の始皇帝みたいだと罵る事は不適切なのだよ。」とミョーに大物ぶっていたけど、この時点までならまだいくらかは擁護できた。そう、毛沢東はあくまでも革命家だったというか、月並みだけど、レーニンモンゴルのスフバートルみたいに建国数年で死んでいればよかったのです。

毛沢東の後は、国家主席兼任共産党主席・劉少奇と国務院総理・周恩来、共産党軍事委員会主席・ホウ徳壊(OR葉剣英)、その後は国家主席・胡耀邦と国務院総理兼任共産党軍事委員会主席・トウ小平、共産党総書記・趙紫陽のトロイカ体制がベストとまではいかなくても、ベターだったのではないかと思い、実際大躍進政策失敗後は国家主席・劉少奇とトウ小平が疲弊した経済の建て直し等に務めた。しかし、国家のトップを退いても、党・軍事のトップへの留任を許してしまったのが、文化大革命の悲劇を産んでしまったのは過去ログでも言った通りです。

しかしまた、平時で少なく見積もっても7000万が殺された毛沢東時代も確かに異常でしたが、二代目皇帝・トウ小平の時代もまた異常でした。

文化大革命で失脚した第1世代の元老が復帰したのはともかく、彼らがいつまでたっても権力を手放さない。トウ小平は独裁者というよりはバランサーの性格が強く、そうした元老たちの受け皿として共産党中央顧問委員会を設立はしたけど、実質中央政治局常務委員会の更なる上位機関となってしまって、若返りという目的で設立した意味が無くなってしまった。さらにこの顧問委員会の中でも、主任・副主任・常務委員・ヒラの委員の序列がありましたが、顧問委員会常務委員以上のメンバーで政治局常務委員を務めた経験があるのはトウ小平と陳雲ぐらいしかいないのにです。

特に八大元老のメンバーである陳雲、薄一波、王震、李先念(王と李は顧問委員会のメンバーではなかったが)が老害でしたが、実際建前上は最高指導者であるはずの胡耀邦が彼ら長老の攻撃にさらされて失脚したり、六四天安門事件で総書記を解任された趙紫陽の後任で江沢民が、陳雲達の推薦で選ばれてます。

その後保守派が勢いづき、李の後国家主席に就任、天安門事件で戒厳令を出した楊尚昆まであからさまに軍部に影響力を及ぼす等増長してきた。半ば彼ら長老の傀儡だった江沢民にも痺れを切らした(「この体たらくのままならば、お前には総書記を辞めてもらう。」と脅されたとか)トウ小平、ついに南巡講和という逆転サヨナラホームランをかっ飛ばして、漸く彼ら長老は1992年~翌93年にかけて引退、顧問委員会も廃止となり、楊から国家主席も譲られた江沢民が漸く独り立ちしましたが、その独り立ちをした途端、反日教育に血道をあげる事になったのは周知の通りです。

そして2002年~2004年にかけて、三代目江沢民から四代目胡錦濤への、「初の平和的な権力移譲」が行われるようになり、10年単位で「皇帝」が交代する前例が作られるようになった。これだけでも中国の皇帝制は良い様に変容してきていると評価できなくも無いけど、一方で、市長・党書記を務めた上海閥の親玉として子分を政治局常務委員に送り込み、自身も健康不安説などが囁かれながらも未だにキングメーカーぶっているのもまた確かです。次期五代目皇帝の習近平もそんな上海閥の一人ですが、未だブレジネフ~チェルネンコ政権期のソ連以上に異常だった「老人支配」時代の悪影響が及んでいると言えるのです。

そういう意味では、毛沢東死後、一時的に最高指導者となっていた華国ホウ、確かに彼は長老たちから見れば子供同然だったと言うか、あの中国を支配するには頼りなかったのも確かですが、変に権力に固執しないでトウ小平による改革開放への道を開いたのには一定の評価はしても良いのではとも思います。

いずれにせよ、21世紀の中国、そうした「変容」は見られながらも、ロマノフ朝末期のロシアもそうでしたが、民心に追いついているとはまだまだ言い難い。実際中東での民主化運動が飛び火している事も相まって、特に温家宝(彼も胡耀邦に大きくインスパイアされている人物の一人)は大きな危機感を抱いているようだけど、果たして・・・・・・・・・・・良識的な隣人達の志は強く支持したいけど、果たして台湾みたいに中華皇帝制との決別はやってくるのだろうか?習近平体制が始まる2013年はもう近い未来だが・・・・・・・・・・

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