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2010/12/26

中露朝になめられる大元は日露戦争辛勝・朝鮮併合への驕り

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101226/plc1012260247000-n1.htm

【主張】対露外交 恫喝に対抗措置が必要だ

2010.12.26 02:47

このニュースのトピックス:主張

 ロシアのメドベージェフ大統領が11月に北方領土の国後島を訪問した問題で、政府は情報収集などが不十分だったとして、河野雅治駐露大使を更迭する方向だ。

 確実な情報を把握できず、日本固有の領土にロシアの最高指導者が足を踏み入れる結果を招いた責任は免れない。更迭は当然だろう。だが、より重要なことは菅直人内閣が今後の対露外交をどう立て直すかである。

 その機先を制するように、大統領は24日の政府系テレビのインタビュー番組で、北方四島を指す南クリール諸島は「全てロシア領だ」と述べ、北方領土に「自由経済圏」や「自由貿易圏」を創設する考えを打ち出した。65年にわたる北方領土の不法占拠を大統領自ら正当化し、主権問題を棚上げする姿勢を示したものといえる。

 菅首相は直ちにこれに抗議し、領土問題を置き去りにして経済関係を進展させる考え方には応じられないと表明すべきである。

 今後の対露外交について、前原誠司外相は「さまざまな布石を打ち、粘り強く進める」と、来年2月にも訪露することに意欲を示してきた。河野氏の後任には対露外交が専門の「ロシアン・スクール」に属する原田親仁(ちかひと)駐チェコ大使の起用が検討されている。

 河野大使の更迭も日本政府が大統領の国後島訪問を重大視しているメッセージになるだろう。だが、恫喝(どうかつ)的な主張をやめないロシアに対抗するには、大統領発言をはじめとする不当な主張に逐一、反論を重ね、対抗措置を取っていくことが重要だ。

 ロシア側は色丹島や歯舞群島の2島返還を明記した1956年の日ソ共同宣言を無視する動きも強めている。対立を恐れて日本側が対抗措置を躊躇(ちゅうちょ)すれば、積み重ねてきた領土交渉の基盤を失い、北方領土のロシア化が進むことを許しかねない。

 大統領の国後島訪問に関しては、政府内でまったく情報がなかったわけではない。モスクワの日本大使館側からは「訪問の可能性がないと外務省本省に報告した事実はない」との反論が出ている。また、10月末に「大統領訪問は確実」との新情報がありながら、ハノイ滞在中の首相と外相に伝わらなかったというのも不可解だ。

 前原外相はコメントを避けているが、首相官邸サイドの領土問題の認識に問題はなかったのか。

まあ、ロシアは他にも、沿海州だってもとは当時清王朝の領土だったのが、南下政策の下、アロー戦争の仲介との名目で自分たちの領土にしたし、他にも第二次世界大戦では北方領土の他にもドイツ・ポーランド・旧チョコスロバキアから一部領土を割譲してもらった。フィンランドとの間にもカレリア問題があるし、チェチェンや南オセチアという爆弾も抱えている。タタールのくびきの反動からか、ロシアは自分が決めた縄張りには極めて貪欲という地政学的伝統があるけど、返したくてもあっさり認めたらもう示しがつかなくなってしまうのでしょう。

しかし、「(不法占拠した)領土は返さない。しかし、経済協力はしろ。」なのは虫が良すぎでしょう。(苦笑)(特に江沢民時代に)日本にはやたら過去の「侵略戦争」を責めるくせにベトナムには「中越戦争の事はもう過去の事だから忘れろ。教科書からも削除しろ。」とのたまった中国と大して変わらないじゃないですか。これじゃ。ほんと日本はなめられまくりですね。(´;ω;`)

しかし、つくづく良い面の皮なのだけど、これは戦前の日本も拙劣だったというか、そうした拙劣さが尾を引いている所もあるのだと改めて思います。

現在明治期の日本を題材とした「坂の上の雲」が放送されていて、主人公の秋山好古・真之兄弟は周知の通り日露戦争の勝利に大きく貢献した。朝鮮併合にも成功して、ロシアからの防衛線をさらに築く事が出来た。

しかし、日露戦争自体も、優勢だった内にアメリカというレフリーに頼んで判定勝ちにしてもらったのに過ぎず、ロシアの方はまだ戦う余力はあったのだけど、明治期には他の列強に対する根回しを日本は慎重に行っていた。協調を忘れなかった。だからハーグ密使事件でも当時の大韓帝国は相手にしてもらえず、朝鮮併合ではブーイングを食らう事もなかったけど、そうした成功に溺れて大正に入ってからは根回しを怠るようになってきた。まず、辛亥革命の影響もあったけど、軍部の増長が見られるようになり、景気が良くなかったのに、戦力増強を時の西園寺公望首相上原勇作陸軍大臣が要求して、断られるや辞職して西園寺を辞任に追い込んだ。

その後の山県(有朋)色が強かった第三次桂太郎内閣大正政変で短命に終わったけど、第一次世界大戦ではヨーロッパ諸国がドイツとの戦争ゆえにアジアに目を向ける暇が無かったのを良い事にドイツが租借または植民地としていた中国山東半島・オセアニア諸島(パラオ・マーシャル)の占領、終戦後のシベリア出兵継続で他の列強に確認を取らなかったから、四カ国条約(この時日英同盟は失効)を結ばされる等してアメリカの思惑通り「日本の孤立化」が始まってしまった。

ほぼ同時期に明治の元老たちが鬼籍に入ってしまい、残るは軍部に総理大臣辞任に追い込まれた西園寺だけになってしまったから、政治的やり取りでは素人に過ぎない軍部がますます暴走するようになり、山東出兵張作霖暗殺事件等を経て、統帥権干犯問題で自分達の都合の良い様に解釈して、とうとう満州事変満州国を成立させた。

誤解しないでほしいのは、自分は戦前日本のこうした中国・朝鮮への進出政策を悪だと決め付けているわけではなく、当時の帝国主義時代では、特に日本は明治維新を進めなければ他のアジア諸国同様植民地にされてしまう危機感があり、そのような善悪は問題ではなかったと思っているのだけど、この満州国も溥儀という神輿を担ぎ出したのも良かったのだけど、やはり事前に他のいくつかの列強に味方を頼まなかったから、国際連盟を脱退する羽目になり、本格的に日本は孤立した。さらに当時の南京国民政府が内では北伐で取り込んだ旧軍閥との派閥争い、外では共産党との内戦等国家としての形をなしていなかったのをいい事に華北にまで進出しようとした。石原莞爾は止めようとしたけど、結局は「石原さんが満州でやった事と同じ事をするだけじゃないですか。」と聞いてもらえず、彼は東条英機と不仲だった事もあって、不遇の晩年をすごす事となった。

これにしめたと思ったのが、長征で延安への逃避行自体は成功したけど、戦力が激減していた共産党で、勿論共産党自体も、主にネット右翼の連中が言う様に決して逃げ回って温存していただけではなかったのだけど、国民党と日本軍という2つの強敵を戦わせる事に成功した。

日中戦争については、侵略戦争である事を単に否定するだけでなく、日本こそが被害者だったと歪曲した主張をする人もいるけど、戦後伊丹万作だって「戦争責任の問題」で騙す者だけじゃなくて、騙される者双方がいないと戦争は起こらない。騙された事を教訓としないと何時までたっても進歩はしないというような事を言っていた。果たして日本は確かに南京・重慶国民政府との戦いでは勝った数自体は多かったけど、結局屈服させられないままソ連とも国境紛争を起こし、ノモンハン等で痛い目に遭わされ、日ソ中立条約を結んだけど、結局これはソ連の方が徳をして、日本も援蒋ルートを断つ為に今度はインドシナまで手を広げる等して結局太平洋戦争という、もう戦う前から勝敗が決まっていたようなアメリカとの戦争をする羽目になってしまった。案の定優勢だった時期は1年も持たず、戦争末期になって、条約の更新不可を一方的に通達され、対日宣戦布告で北方領土などを火事場泥棒のように奪われてしまった。戦後のソ連との国交回復交渉では、2島返還も考えていたというけど、結局アメリカに「あまりソ連と仲良くしようとしていると、小笠原も沖縄も返してやらないぞ。」と脅されたから、骨抜きにされた日本は大人しくこの脅しに従うしかなかった。

中国に対しても、大陸打通作戦はまさに「戦術では優勢でも、戦略は終始拙劣」だった日中戦争を最も象徴した戦いで、結局華北では八路軍の解放区拡大を許し、華中・華南でももう末期には全占領地を維持し続ける余力なんて無かった。東南アジアでもアメリカの援助を受けた重慶国民政府軍に手痛い打撃をうけた。だからよく聞く「アメリカには負けたが、中国には負けていなかった。」というのは、偏狭な自慰史観に過ぎず、中国に対しても少なくとも決して勝っていたわけではなかったのだけど、結果的に日本軍も勢力拡大に貢献した共産党がその直後の国共内戦で大陸を支配するようになり、田中角栄が内閣総理大臣となって国交を回復したけど、既にこの前後から尖閣諸島の支配権を主張するようになり、毛沢東の後に実質的最高指導者となったトウ小平は経済発展の為に日本に見習おうという意識(一方で尖閣諸島については棚上げ論に終始した)が強く、彼の引き立てで総書記となった胡耀邦も、山崎豊子の「大地の子」の取材に全面協力する等親日的ではあり、当時の中曽根康弘首相が気を使うあまり靖国神社参拝を止めたほどだった。

しかし、政策方針を政治局常務委員ではないが、実質彼らを上回る政治的権限があった長老たちに批判されて、後ろ盾であったトウとも対立するようになっていたので大して庇って貰えず失脚する事となった。六四天安門事件は彼の急死がその引き金になって、総書記には江沢民が就任。トウ小平は表向きは引退宣言しながらも、その後も数年は彼の後見人として影響力を保持して南巡講和等もあって、第十四次全国代表大会や直後の江沢民の国家主席就任で長老たちは身を引いて、江沢民の指導権が確立されたけど、その江沢民本人が愛国教育等で反日教育を広めてしまった。それも、彼の親父が日中戦争中日本軍に協力していた事、毛沢東や、国共内戦などで政治委員としても辣腕をふるっていたトウ小平とは違い軍とのパイプが無かった事、国民の不満を外へそらすために日本をスケープゴートとする必要なあった事等様々な要因が組み合わさっての事です。

以上長々と述べてしまって、周辺国に恵まれない日本も確かに不運ではあったけど、こうした周辺国からなめられ続けている現状を見ると、言い換えれば、戦後豊かな民主主義国になったはずが未だにこの関係においても、「戦前の負の遺産」を引きずり続けているとも言えますね。そして、この「負の遺産」から果たしていつ解き放たれるのか?少なくとも民主党が政権の内はその可能性は限りなくゼロに近いという想像は硬くないし、勿論「戦前=暗黒時代」が「江戸時代=暗黒時代」と同じ様に偏見に過ぎないというのも分かっているつもりなのだけど・・・・・

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