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2010/09/18

毛沢東の爆笑(?)演説と共産中国の権力基盤について

http://www.youtube.com/watch?v=_j6H-hplPJ0

最近もまた反日デモが起きたようですが、良くも悪くも「共産中国創建の父」である毛沢東、「20世紀の100人」でも紹介されていましたが、上記URの動画は、対日戦争辛勝後(アメリカには負けたが、中国には・・・・・・との詭弁は相手にしない事)の国共内戦で、共産党の勝利がほぼ決定的となった1949年9月21日における演説です。

注目してほしいのは、0:32からの部分ですが、本当は日本語でこういっています。

「敵はこのまま震え上がらせておけ!!彼らは我々には何も出来ないと言ったが、好きなように言わせておけ!!中国人民不撓不屈の努力で、必ず着実に我々の目標を達成できる!!」

しかし、空耳では・・・・・・・・

「山瀬!!命名ふぁージャンパー!!チェン化眠珍ファトゥ場!!ヤンファー麺忠誠馬!!シェン絵無為絵無い絵武威絵シェン馬!!チェン化珍民地ムー巣等藪有利!!イーピャン!!ウエンブー時!!ファーパー!!ムー地似無地!!」

としか聞こえませんねwwwww。しかも原稿を手に取ったままのカンパ演説だしwwww。発生も汚く、どう贔屓目に見てもカリスマ性とかとは皆無ですwwwww。

要するに、言ってる事は根性論なのだけど、その人民を他のどの国の国民よりも殺したのは毛沢東本人に他ならないなのだからまさに皮肉ですね。

それでも、清王朝を終焉させたのは良いが、軍閥が割拠していて、北伐を成功させても、妥協的に引き込んだ彼らを纏めきれず、共産党との内戦や日本の進出等で国家としての形を成していなかった中国。その中国の実情を鑑みた上での革命を行い、「一つの国家」として纏め上げた毛沢東の功績は否定できないと思います。ただ、彼はあくまで革命家ではあっても、政治家では断じてなかったと言うか、本来彼の役割は、建国した時点で終わらせるべきでした。そしてその後は、周恩来か劉少奇が継いで、さらにトウ小平が国家主席となるべきだったと思うけど、30年近く「皇帝」として君臨させた結果は周知のとおりです。おかげで、過去ログでも述べたように甘く見ても「功績三割、誤り七割」と評価せざるを得ないのだけど、大躍進政策での責任所在が不徹底だったのがいけなかった。

確かに国家主席は辞任したけど、党中央委員会主席(現在は党中央委員会総書記が相当する)と党中央軍事委員会主席の座は手放さなかった。

前者は他の社会主義国にも言えることだけど、国を牛耳る共産党の事務部門等を司るトップで、必然的に最高指導者のポストとなってしまう。

ソ連では、レーニンが死ぬ直前にやっとスターリンの危険性に気づいて、書記長の解任を提案したほどし、結果的に30年近くもツァーリーとして君臨した彼が死んだ後も、マレンコフは集団指導体制を敷くのなら、フルシチョフに首相のポストを譲ればよかったのに、書記長を実際に譲ってしまったから、首相職まで腹心のニコライ・ブルガーニン(彼とも後に確執を抱える事となるが)に譲らされて間もなく失脚してしまった。東ドイツでも、初代国家元首は「最初で最後の大統領」だったヴィルヘルム・ピークでしたが、就任時点で既に73歳の老人だった事もあって、実権を握っていたのはやはり書記長だったヴァルター・ウルブリヒトでした。アルバニアでも、ミニスターリンの1人だったエンヴェル・ホッジャは首相は建国後10年で譲ったけど、書記長は1985年に死ぬまで40年間以上維持した。その結果、彼は金日成みたいに柔軟にノラリクラリする術を知らなかったために、ソ連・中国双方とも仲が悪くなり、アルバニアはつい最近まで「欧州の最貧国」となってしまっていたのです。

後者は北朝鮮ほど露骨ではないけど、そもそも人民解放軍自体党の軍隊で、中国も先軍政治な面がかなり強いわけです。

国家副主席には、毛沢東の戦友でもあった朱徳(1959年まで。)が、国務院副総理には、朱徳以外の9人の元帥の内ホウ徳懐、賀龍、陳毅、林彪、聶栄シン(1956年より)の、実に5人も任命されていた。(ホウはハッキリ確認したわけではないけど、廬山会議で、国防部長共々途中辞任したと思われる。賀龍・陳毅は第3期途中に死去。)

特に林彪は、毛沢東の失政をかばったりする等国共内戦初期は必ずしも従順になかったのが、接近する事になったけど、党の序列でも毛沢東は依然1位のままで、これらの役職への留任は、大躍進に続く中国の人災だった文化大革命を引き起こす大きな基盤となってしまったと言えたのです。

特に党中央軍事委員会主席と、1982年に創設された人民共和国中央軍事委員会主席が重要というか、2代目「皇帝」だったトウ小平が、総書記にも、国家主席にも、国務院総理にも就任しないでキングメーカーとして実権を握れたのも、元来彼は政治将校でもあったけど、この2つのポストについていたからです。

現在の中国では、文化大革命や六四天安門事件への対応の反省からか(?)、国家主席の権限は毛沢東時代に比べ儀礼的で限定されたものとなっていますが、国家主席自体はそうであっても、3代目皇帝であり、反日教育を普及した元凶でもある江沢民以降、総書記や党中央・人民共和国中央軍事委員会主席を兼任するのが通例(但し時期は全く一致しているわけではなく、1,2年程度のズレはある)となっており、最高権力者である事には全く変わりありません。江沢民はまた、党中央軍事委員会主席のポストは維持したかったらしいですが、反感を買い、上海閥のボスとして現在の国務院に子分達を送り込む等の一定の影響力を保持するにとどまっています。4代目皇帝である胡錦濤も同様だし、5代目皇帝もおそらくそうなるでしょう。毛沢東の演説云々とは話がそれてしまったけど、隣国であるだけに、共産中国の権力構造・基盤等にはやはり無関心ではいられない。対日政策が軟化する可能性は高くはなさそうだが・・・・・・・・

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