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2010/08/17

中国人民解放軍の十人の大将(上級大将)達と1988年における階級制度復活

過去ログでは、かって1955年~65年にかけて存在した「中国人民解放軍の10人の元帥達」について述べましたが、その直ぐ下には大将という階級があり、当時のソ連・東欧では上級大将に相当しました。その階級を授与されたのは以下の面々です。

  • ・張雲逸
  • ・肖ケイ光
  • ・徐海東
  • ・許光達
  • ・王樹声
  • ・譚政
  • ・羅瑞卿
  • ・粟裕
  • ・黄克誠
  • ・陳コウ
  • 彼らは、十大元帥同様、国共内戦や日中戦争等に多大な貢献をした軍事指導者でしたが、特に粟裕はゲリラ戦等の理論家として知られ、張雲逸等共々主に華中で活躍しました。譚政は主に政治将校(政治委員)として活躍し、肖ケイ光と許光達はそれぞれ海軍・陸軍装甲部隊の創設にも大きく関わった。陳コウは日中戦争で唯一日本軍と正面で戦ったといって良い百団大戦にも参加しており、黄克誠は総参謀長・国防部副部長等を歴任していました。徐海東も、北伐戦争時から軍歴を有していましたが、日中戦争途中病気を患い、半ば一線を退いていました。

    上将(ソ連・東欧での3つ星大将、アメリカ・西欧での中将に相当)や中将・少将は、1955年に階級が制定された後も、昇進者は見られましたが、元帥とこの大将は合わせて20人同時授与された後は与えられた者は存在せず、軍事指導者としての最高級の栄誉だった事が分かります。しかし・・・・・・・・

    そんな彼ら10人の大将達も、誕生して間もない「共産中国の荒波」から逃れる事は出来ませんでした。まず、黄克誠がつまずきます。

    彼は前述通り国防副部長として、ホウ徳壊直属の部下として働いていましたが、廬山会議で彼ら共に毛沢東の大躍進政策を批判した為に、参謀総長の座共々解任されてしまいます。

    その後任は、部長がまだ50代前半だった林彪ならば、黄克誠の後の副部長が羅瑞卿で、彼らの関係は当初は悪くは無かったようですが、毛沢東に追従し、ゲリラ戦等に固執していた林彪と、ホウ徳懐同様軍の近代化を主張していた羅瑞卿はやがてソリが合わなくなっていきます。この間粟裕も閑職に回され、譚政も早くも失脚、陳コウは、まだ階級制度が存在していた1961年に比較的早く亡くなりましたが、同制度が廃止された1965年についに林彪の妻、葉群の中傷もあって、羅瑞卿は失脚します。彼は毛沢東の信頼は厚かったのですが、同時に後任の国家主席として、政治的実権を掌握していた劉少奇とも関係は悪くなかった事も命取りとなってしまいました。この失脚は毛沢東もしぶしぶ認めたと言われています。

    直後いよいよ文化大革命が起こり、そのさなかで張雲逸と王樹声は比較的要領よく切り抜け、元帥だった朱徳等共々天寿を全うする事が出来ましたが、羅瑞卿に対する攻撃は特に熾烈を極めました。ついに飛び降り自殺をしようとしましたが、足を負傷しただけで済み、しかもその後の治療が満足になされなかったために切断する羽目になり、さらに公の場に引っ張り出されて個人攻撃の応酬に遭う・・・・・・・・いや、まさに踏んだり蹴ったりとはこの事です。

    彼以外にも「生き残った大将達」は、徐海東と許光達もやはり迫害の中で憤死し、黄克誠や肖ケイ光も、完全には抹殺されませんでしたが、やはり迫害を受けていたと言います。

    政敵を粛清し、軍を自分達の腹心で固め、毛沢東の後継者として公式に明言される等すっかり権力に酔っていた林彪でしたが、奢れるもの久しからず。

    劉少奇を抹殺して半ば存在意義が無くなった国家主席制度の廃止に同意しなかった為、毛沢東の不興を買い、暴走。クーデターに走って失敗した挙句ソ連に高飛びする途中に墜落死しましたが、同意していたとしても、何らかの理由をつけられて失脚していた可能性は大いにあります。功績がありすぎる臣下(=劉少奇やホウ徳壊、林彪等)は、やがて皇帝(=毛沢東)によって排除されるという、王朝時代からの伝統があるからです。周恩来は他の幹部たちと違って教養があり、そうした中国の伝統もよく理解していたからこそ、養女を惨死させられ、自身も四人組の攻撃を受けても、ナンバー3にとどまり、死ぬまで何とか国務院総理であり続けました。

    林彪の死により、文化大革命は一つの転換を向かえ、外政的では日本等との国交回復、台湾での蒋介石政権に変わる国連への参加等が見られましたが、内政的には、失脚していた幹部の復帰等が見られました。粟裕は国務院に閣僚入りを果たしましたが、肖ケイ光は、今度は江青から、「お前は極右林彪とつるんでいただろ」とまたまた個人攻撃を受けます。「お前らもその林彪と一緒に叩いていただろ」と言うか、もう無茶苦茶。何が何でも自分達が気に食わない人間を叩かずにはいられなかったと言うか、当初は毛沢東との結婚を認める代わりに政治に口を出させなかった筈の、このオバハンをのさばらせてしまったのも、さらに中国が混乱する大きな要因となりました。

    しかし、止まない雨はありません。形式的には、劉少奇の代行としての副主席も、実質国家主席だった董必武(知名度は低いが、共産党創立に参加したメンバーとしては、毛沢東以外では政府の高級幹部であり続けた唯一の人物。「中国のミハイル・カリーニン」と評しても差し支えないかもしれない)、なし崩し的に国家元首格となっていた朱徳、癌に侵されながらも国務院総理の重責を全うしていた周恩来、そして毛沢東その人と、「第一世代」の重鎮達が次々と亡くなり、文化大革命が終わると、迫害されていた他の大将達も復権していく事になります。ただ、彼らの中でも散々イジメを受けていた羅瑞卿は、晩年の写真を見る限り、義足はつけてもらったようで、名誉回復も間もなく、1978年には再三の治療をドイツで受ける事となりました。手術自体は成功しましたが、72歳の老人となっていた彼、精神的にも肉体的にも既にボロボロで直後に心筋梗塞をおこし、帰らぬ人となりました。

    粟裕は76歳、黄克誠は84歳、譚政は82歳、そして「大将最後の生き残り」であった肖ケイ光は86歳と、やはり文化大革命時には2度も失脚したトウ小平の改革開放政策による祖国の発展を見届ける事(但し、黄は晩年失明した。)が出来ましたが、元帥の面々ではホウ徳壊と賀龍が迫害死を強いられ、朱徳と陳毅も、完全な失脚こそ免れるも攻撃を受け、文化大革命のさなかに死去、生き残り組は、徐向前は国務院副総理・国防部長、聶榮臻は中央軍事委員会副主席、葉剣英に至っては、4人組の逮捕も主導し、国家元首格であった全国人民代表大会常務委員長などをそれぞれ歴任した事等を考えると、政治家にとって健康はいのちであるという事を改めて認識させられます。

    譚政と肖ケイ光がまだ存命だった1988年9月には、23年ぶりに階級制度が復活し、この際1955年にも開国上将となっていた洪学智は既に75歳でしたが、再び授与されています。他にも、この第一次階級制度下では中将以下だった軍人達も、年齢・功績に応じた階級を授与されましたが、国際比較では、日本語版wikiでの某ページによると、この第二次階級制度下での上将は、アメリカ・西欧での大将(ロシア等での上級大将)に相当するみたいで、第一次のそれとは違うみたい?です。

    第一次での大将・元帥の階級は置かれておらず、それはあくまで、過去そういう階級を授与された「20人の偉大な軍事指導者達」の功績に報いるため?なのでしょうが、同時にも4つ星ながらも元帥に相当する一級上将(中華民国では5つ星で蒋介石のみに授与された)も存在しました。しかし、授与が予定されていて、確かに相応しい軍歴もあったトウ小平も、譚政同様政治委員として活躍していた楊尚昆も固辞した為、結局そのまま廃止されています。時期が違うので単純に比較は出来ませんが、

    元帥(第一次)>一級上将(第二次)>大将(第一次)>上将(第二次)>上将(第一次)

    の順でしょうかね?階級の「格、重み」としては。

    現在の中国人民解放軍は、将官・尉官は3階級だが、校官(左官に相当)は4階級制なのも特徴的です。上校と大校はそれぞれアメリカ・西欧の大佐・准将に相当するらしいですが、毛沢東の孫である、毛新宇が大校から少将に出世したのも記憶に新しい所です。彼は純粋な職業軍人というよりも、歴史研究家としての業績の方が優れているようで、軍事科学院にも所属していますが、おじいちゃんのかっての政敵、劉少奇の息子・劉源(陸軍上将)も、同院で政治委員を務めているのはまさに歴史の皮肉であるといえます。

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