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2010/07/13

ソビエト連邦の上級大将たち

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa20.html

以前にもロシア史に詳しい方が述べられた、ソビエト連邦元帥についてのコラムを勝手に紹介させていただきましたが、ソビエト連邦海軍元帥・兵科総元帥も含めるとさらに16人いて、その上に、独ソ戦が好況化した直後に元帥になったヨシフ・スターリン(その為か、基本的に彼は中山服姿が多かったが、元帥就任後は軍服姿も多く見られる。)がドイツ降伏後に大元帥となりました。

その下の階級はあの涼宮ハルヒ(このシリーズの私個人の評価はどれも・・・・・だけど)も自称していた上級大将で、同時期にはナチスドイツ、現在はロシア、台湾(一級上将)、北朝鮮(大将)、ミャンマー(タン・シュエがこの階級だが、大将との間に上級大将補があるため、実質は元帥相当か?)等少数の国にしか存在しませんが、ナチスドイツが12年の間に60人この階級を授与されたの対し、ソ連では制定された1940年から崩壊するまでの51年間で101人授与されました。(いずれも元帥等に昇進したもの、ソ連は1962年に復活した、海軍元帥に授与されたものは除く。)ロシア語版ウィキペディアではそのリストも記されています。

http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%93%D0%B5%D0%BD%D0%B5%D1%80%D0%B0%D0%BB_%D0%B0%D1%80%D0%BC%D0%B8%D0%B8_(%D0%A1%D0%A1%D0%A1%D0%A0

制定されたのは1940年4月6日で、この時ゲオルギー・ジューコフ、キリル・メレツコフ、イヴァン・チュレネフの3人が授与されました。連邦元帥は既に1935年に制定されましたが、赤軍大粛清の影響で、この時点ではクリメント・ヴォロシーロフとセミョーン・ブジョーンヌイだけが上位の階級を有していた事になります。(直後、セミョーン・チモシェンコとグリゴリー・クリークが元帥に昇進。昇進前の階級は大将か?)

元々赤軍(1946年からソビエト連邦軍)の規模が大きく、また第二次世界大戦中という事もあって、1940年代は授与された32人中(うち27人が好況化した1943年以降)18人が連邦元帥・連邦海軍元帥に出世しました。

勿論独ソ戦等の功績を買われた結果であり、上級大将1号の一人だったチュレネフは、独ソ戦序盤の南部戦線での敗戦責任を取らされて司令官を解任。彼はまだ長寿を全うできましたが、西部戦線司令官だったドミトリー・パヴロフは粛清されています。スターリングラード戦やクルスク戦等で功績があったニコライ・ヴァトゥーチンも、戦死が無ければ、末期の対日戦でアレクサンドル・ヴァシレフスキーやロディオン・マリノフスキーと共に指揮を執ったマクシム・プルカエフは長寿を全う(1953年元旦に58歳で死去)していれば彼らも連邦元帥に出世できていたかもしれません。イヴァン・チェルニャホフスキーも、38歳の若さで授与され、バグラチオン作戦等で活躍、やはり惜しくも東プロイセン攻略戦中に戦死してしまいましたが、そうならなくともユダヤ人だっただけに晩年弾圧政策を進めようとしたスターリンに粛清されていた可能性もあります。

そのスターリンが死んで3日しか経っていなかった1953年3月8日にはセルゲイ・ピリュコフ等一挙に5人が上級大将に出世、この時点ではまだ最高指導者はゲオルギー・マレンコフながらも、ラウレンチー・ベリヤや二キータ・フルシチョフ等のライバルがいて、スターリン亡き後を巡る権力闘争が展開されようとしていましたが、自らの権力を確立したいマレンコフと、政治的ながらも元帥となっていて、軍を掌握したいベリヤの思惑があったのでしょうか。

しかし、スターリン恐怖政治への反省から、マレンコフは集団指導体制を構想していたため、ピリュコフらが出世してからさらに5日後の3月13日にフルシチョフに筆頭書記の座を譲ってしまい、共にベリヤを失脚させます。(同年12月に死刑)

最高指導者となったフルシチョフは、それぞれ1943年8月、1948年11月に上級大将となっていたアンドレイ・エレメンコ、ヴァシーリー・チュイコフ、前述のスターリン没直後に上級大将に就任したばかりだったピリュコフ、キリル・モスカレンコ、アンドレイ・グレチコの5人を一気に連邦元帥に昇進させます。1955年3月11日の事です。(※ニコライ・クルイロフは惜しくも見送られたが、彼も1962年に連邦元帥に昇進する。)内モスカレンコはジューコフと共にベリヤ逮捕に貢献しました。この時の上級大将への昇進はパーヴェル・パドフ1人にとどまりましたが、さらに5か月後の8月8日には、ミハイル・カザコフ等8人が一気に上級大将に昇進しました。内、イヴァン・セーロフは職業軍人ではなく、KGB幹部で、後に部下がスパイ行為を働いて逮捕された責任を取らされて階級を少将まで下げられましたが、集団指導体制を守る気は無かったフルシチョフ、マレンコフ同様権力を固めるためにニンジンをぶら下げて軍を手なずけたい意図があったのかもしれません。(北朝鮮の将軍様は彼の比ではなかったが)

この時点ではベリヤは脱落しても、まだ実はスターリンを操っていたとも一部言われているラーザリ・カガノーヴィチや、スターリンの片腕(但し戦後は確執を抱えていた)だったヴァチェスラフ・モロトフ等五月蝿い保守派の重鎮はいましたが、直後あのスターリン批判を展開する事となります。そしてさらに反党グループ事件で彼らは首相だったニコライ・ブルガーニン共々失脚、最高幹部会会議議長という国家元首となっていたヴォロシーロフも数年後に、半ば引退に追い込まれましたが、ハンガリー動乱時に、銀河英雄伝説でも名前が使われたイヴァン・コーネフが司令官を務めた程度で大きな戦争は無かっただけに、1950年代は上級大将への昇進は17人、さらに連邦元帥に出世したのは5人にとどまりました。

1960年代には上級大将への昇進は22人に増えましたが、昇進時の年齢は高齢化し、60代以降の昇進も見られるようになります。内さらに絞られた4人が連邦元帥に昇進しましたが、いずれも上級大将昇進時は50代でした。(ピョートル・コシェヴォーイは60歳の誕生日を迎える直前に昇進)

1970年代に入ると、1940年代と並ぶ32人が上級大将に昇進しました。この間フルシチョフは集団指導体制の無視と農業政策の失敗で総スカンを食らって失脚、ヴォロシーロフの後釜で最高幹部会会議議長となっていたレオニード・ブレジネフが最高指導者となりましたが、過去ログ「もういいよ2010年ロシアと資源外交」(http://route-125.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/2010-ff7a.html)でも言及した、インドシナ・中東・アフリカ等への積極的な影響力行使等の外交政策が影響していたのでしょう。内政的には良く言えば安定、悪く言えば停滞していても、外政的に最もアグレッシブだったのがこのブレジネフ時代でした。(このブレジネフ政権時では半分近い46人が上級大将に昇進、うち9人が元帥に昇進している。)

ただ、末期のアフガニスタン侵攻(これにしても、当初は長期侵攻の意図は無かった)を除けば、やはり大規模といえるほどの戦争をしたわけではなかったから、内連邦元帥に昇進したのは7人にとどまりました。(他ウラジーミル・トルーブコが兵科総元帥に昇進)しかも、内ブレジネフは元々職業軍人ではなく、第二次世界大戦中に少将止まりの政治将校だった程度で、ドミトリー・ウスチノフも、技術畑で活躍していた人でやはり純粋な軍人とは毛色が違っていた。ユーリー・アンドロポフも、前述のセーロフ同様KGBの高級幹部で、15年も議長を務めましたが、ブレジネフとは違って、最高幹部会会議議長は兼任しても、連邦元帥にはさすがに昇進しなかったようです。糖尿病に悩まされず長生きしていればその可能性もあったでしょうが。出色はヴィクトル・クリコフで、既に独ソ戦で下級将校として活躍していましたが、1920年代生まれでは初で、久々の40代での上級大将昇進、1977年には56歳で連邦元帥に昇進しました。89歳となる現在も健在なようです。

その後1980年代に入ると、とうとうソ連も身の丈に合わない軍事拡張などで経済が破綻をきたし始め、2010年現在の存命人物も多く見られるようになりますが、上級大将に昇進した32人中、さらに連邦元帥に昇進したのはドミトリー・ヤゾフだけでした。

ヤゾフはミハイル・ゴルバチョフ最高指導者就任後の1987年に、セルゲイ・ソコロフの後任で国防大臣に就任しました。国防大臣は本来連邦元帥クラスの高級幹部が務める事となっており、ソコロフ(彼も今年で99歳ですが、まだ存命です)も既に1984年の就任時には連邦元帥であり、、前任のウスチノフも、就任3ヵ月後にやはり連邦元帥に昇進したのだから、この起用は大抜擢だったわけです。さらに元帥に昇進したのは3年経った1990年の事で、結果的に彼が「最後の連邦元帥」となりましたが、1991年のあの8月クーデター(ちなみにあの許斐剛大先生のCDデビューも同じ8月19日)では、ゲンナジー・ヤナーエフらと共に関わる事となってしまいました。自らを後継者に推したアンドレイ・グロムイコ引退後に最高幹部会会議議長を兼任したり、大統領制を導入して自ら就任したりとソ連ペレストロイカの為に権力を集中させようとしていましたが、国内をまとめきる事ができず、自分が起用した高級幹部にまで裏切られたのは「エリートゆえの限界」だったのかもしれません。

クーデターが失敗した2日後の8月24日には、コンスタンチン・コヴェツ(もしかしたら誤表記かもしれない。間違いに気づいたらこの表記はすぐ直します)が上級大将に昇進しましたが、彼が「最後のソ連上級大将」でした。その4ヵ月後にソ連は69年の歴史に幕を下ろす事となったのです。

そのソ連の後継国家となったロシア連邦にも、陸海空等の枠を超えたロシア連邦元帥の階級は存在しますが、昇進したのはイーゴリ・セルゲーエフ(ソ連崩壊時の階級は大将か?)のみで、しかも彼は2006年に亡くなった為、前述のクリコフ、ソコロフ、ヤゾフ等存命のソビエト連邦元帥はいますが、現在のロシアでは上級大将が実質的な軍の最高階級であると言えます。しかし、チェンチェンやオセチア等の情勢次第では、セルゲーエフに次ぐ昇進者が出るかもしれないし、その逆に廃止される事になるかもしれません。

いずれにせよまた、准将がある国では、普通の大将が大体上級大将に相当します。日本も憲法9条が改正等されたら、大日本帝国時代にもなかった、上級大将相応の階級が新たに作られるのかもしれません。

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