« 新たな時代を迎えた東京ヤクルトと助っ人外国人(&古田敦也) | トップページ | 赤西仁のKAT-TUN脱退はもはや時間の問題? »

2010/05/09

中国の「十人の元帥達」

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa20.html

上記は、旧ソ連の元帥達についてのコラムだけど、興味深く読ませていただいたと言うか、そのソ連と、スターリン批判などで対立するまで盟友だった中国にも、かって元帥の階級が存在しました。以下の面々です。

①朱徳

②ホウ徳懐

③林彪

④劉伯承

⑤賀龍

⑥陳毅

⑦羅栄桓

⑧徐向前

⑨聶栄臻

⑩葉剣英

彼らは建国間もない1955年に一斉に元帥の階級を授与されましたが、毛沢東の親友の一人で既に辛亥革命時から長い軍歴を有していた朱徳は70歳近くなのに対して、林彪はまだ40代後半と若く、しかも序列は朱徳やホウ徳懐に次いで3位。いかにその軍事指揮官としての経歴を高く評価されていたかが分かります。もっとも彼はこの時は1線を半ば退いていたのだが・・・・・・・

ホウ徳懐は、日中戦争は百団大戦の指揮等副司令として活躍、朝鮮戦争でも体調不良で出征できなかった林彪の代わりに人民志願軍の総司令として活躍、劉伯承は鄧小平の盟友として特に国共内戦で貢献しました。賀龍はチベット侵攻の総司令にもなり、陳毅は建国後上海市長を務めました。羅栄桓は、最高検察署検察長や人民解放軍政治部主任を歴任し、徐向前は人民解放軍初代参謀総長にもなっていた。聶栄臻は、百団大戦の際、孤児となっていた日本人姉妹を手厚く保護し、日本軍に送り届けたエピソードで有名ですね。葉剣英は、広州を中心とした広東省に強い地盤を持っていました。

しかし、この階級制度も、社会主義というイデオロギーと矛盾していたとみなされたのか、10年後の1965年には廃止されてしまいます。既にその前に1963年に、羅栄桓は腎臓癌により死去した為、彼のみが唯一「中華人民共和国元帥として亡くなった」と言えます。

そして、階級制度の廃止直後にあの文化大革命が始まるのですが、生き残っていた「元」元帥達もそれとは無縁ではいられませんでした。特にホウ徳懐は、既に大躍進の誤りを廬山会議で指摘していましたが、毛沢東にもイエスマンである事を良しとしない剛毅な性格だった彼、紅衛兵による吊るし上げを食らっても自己批判を拒否し、ついには直腸癌に侵されながらも、治療を拒否され、悲惨な死を遂げる事となります。その他の面々も、賀龍も監禁させられた末に、糖尿病を患っていたのにも関わらずブドウ糖を注射され、殺されたも同然でした。亡くなった時は腹は鉄のように硬くなっていたと言われています。陳毅は、個人攻撃に公然と反論した2月逆流で毛沢東の怒りを買い、やはり徐向前同様製造工場での労働を強いられました。河北省にいた時に直腸癌に侵され、北京に戻った後手術を受けましたが、肺に転移していて、1972年1月に亡くなりました。すぐ手術を受けていたら助かっていたかもしれません。朱徳も、序列を下げられた程度で済み、完全には失脚しませんでしたが、老軍閥と攻撃され、劉伯承聶栄臻もやはり失脚・個人攻撃の憂き目に会っています。

彼ら政府幹部の失脚に大きく関わったのは、最年少で元帥となった林彪でした。ついに彼は1969年に序列が2位となり、毛沢東の後継者であることが明言されましたが、ソ連ではセルゲイ・ミロノヴィチ・キーロフの例があるように、有能なNO2は独裁者にとっては邪魔な存在です。林彪も、国家主席廃止が提言された際、これに同意しなかったために毛沢東の不信を買いました。慌てた彼は、「毛沢東天才論」をぶちあげましたが、4人組から「実は後継者である自分も天才だと言いたげなのだろう」と悪い風に解釈され、ついに毛沢東の暗殺を試みますが、失敗、ソ連に逃げようとして墜落死しました。要するに、やる事なす事裏目に出てしまったと言うか、権力におぼれるあまり自滅してしまったと言えます。直後、陳毅は癌との闘病中だったのにも関わらず、彼を非難する演説をしたらしいですが、林彪の失脚を見届けてあの世に行けただけ彼はまだ幸せだったのかもしれません。

1976年には、国家主席が廃止された事でなし崩し的に国家元首となっていた朱徳周恩来、そして毛沢東その人も亡くなり、ついに甚だクレイジーであった文化大革命は終わる事となりますが、この時やはり攻撃はされながらも比較的要領よく切り抜けた葉剣英が4人組の逮捕に大きく貢献し、文化大革命を生き抜いた劉伯承徐向前聶栄臻共々晩年まで軍の長老として政府の要職を歴任する事となりました。劉伯承は残念ながら1973年に両目とも失明してしまったそうですが、十大元帥の中では最も長生きな94歳の天寿を全うし、葉剣英は国家元首も努めました。1988年の階級制度復活まで生き残っていたのは徐向前聶栄臻でしたが、階級はあくまで「前中華人民共和国元帥」のままだったみたいです。聶栄臻はまた、1980年には前述の日本人孤児姉妹の内、生き残っていた姉と北京で再会しましたが、1992年93歳で亡くなった、中華人民共和国元帥最後の生き残りでもありました。この姉妹の出身地、宮崎県都城市と聶栄臻の故郷、重慶市江津区は姉妹都市にもなっています。

以上どうでもいい事を長々と述べましたが、実は元帥よりも上の中華人民共和国大元帥も存在し、毛沢東が就任したかと思いきや、結局階級制度復活後の一級上将共々空位のまま廃止されています。ここあたり、やはり既に1935年に、大元帥に相当する特級上将に就任した、ライバルの蒋介石とは違っているのも興味深いものがあります。

|

« 新たな時代を迎えた東京ヤクルトと助っ人外国人(&古田敦也) | トップページ | 赤西仁のKAT-TUN脱退はもはや時間の問題? »

軍事」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1159637/34608683

この記事へのトラックバック一覧です: 中国の「十人の元帥達」:

« 新たな時代を迎えた東京ヤクルトと助っ人外国人(&古田敦也) | トップページ | 赤西仁のKAT-TUN脱退はもはや時間の問題? »