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2010年5月

2010/05/30

ついにあのハリウッドの大スターも・・・・・・・

http://www.asahi.com/culture/update/0530/TKY201005300105.html

「イージー・ライダー」デニス・ホッパー氏死去 74歳

2010年5月30日13時6分

【ロサンゼルス=堀内隆】体制に抵抗しながら生きる米国の若者を描いた映画「イージー・ライダー」(1969年)で知られる米国の俳優、デニス・ホッパー氏が29日、前立腺がんの合併症のためロサンゼルス近郊の自宅で死去した。74歳。米メディアに対し友人が明らかにした。

 米カンザス州に生まれ、高校時代から演劇活動で活躍。55年に出演したテレビドラマで才能を見いだされ、ワーナー・ブラザーズと契約を結んだ。「理由なき反抗」で映画デビュー、主演のジェームズ・ディーンに強い影響を受けた。

 監督が指示するせりふや演技を拒否するなど製作側と衝突する問題児ぶりを発揮、ワーナーに契約を切られてハリウッドからニューヨークに移り住んだ。

 脚本を書き、監督・主演した「イージー・ライダー」は、コカインで大金をつかんだ2人の若者がオートバイで自由な旅を続ける中で米国の様々な現実とぶつかる物語。体制批判に焦点を当てた「アメリカン・ニューシネマ」の代表作になった。

 自身も80年代初めには薬物とアルコール中毒に沈んだが、リハビリを経て復帰。「勝利への旅立ち」(86年)でアカデミー助演男優賞候補に挙がった。カメラマン、画家、美術コレクターとしても知られる。

デニス・ホッパー氏と言えば、ハリウッド復帰後は、あのスーパーマリオ実写版のクッパがインパクト強かったですね。いかにも爬虫類的な雰囲気を醸し出していて。もっとも、作品自体は微妙だったのだけど・・・・・・・・・経歴の方も破天荒だったけど、確かに彼もまた、ハリウッドの一時代を築いたスターでしたね。改めてご冥福をお祈りいたします。

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2010/05/29

茨城県道123号土浦坂東線は主要地方道に昇格させるべき?

地方道は、大きく分かれて主要地方道と一般地方道に分けられます。原則的に主要地方道は100番までですが、主要地方道に昇格させてもいいのではと思う一般地方道が茨城にあります。それは123号土浦坂東線(旧土浦岩井線)です。

http://b.hosomichi.jp/PJRm/tour/3

実際に走行された記録をブログに残された方もいるようですが、この地方道の概況を簡単に説明すると、JR常磐線土浦駅を少し南に過ぎた、国道125号との交点から、少し行ったT字路がスタートとなりますが、起点からしばらくは狭い道が続きます。そしてしばらくして国道6号旧道(現国道354号)や6号土浦バイパスと交差しますが、朝夕の時間帯は渋滞し易いです。土浦バイパスを通過した後、しばらくしてつくば市に入りますが、土浦市の標識(カントリーサイン)は、ローマ字表記も無い、「土浦市」だけのシンプルな旧式です。茨城県も、カントリーサインは基本「市町村章+ローマ字表記」型が主流(ただし、国道6号・51号等若い番号の国道は「ローマ字表記」だけなのも見られる)でsが、土浦市はこの県道123号以外にも、国道354号(つくば市との境。旧霞ヶ浦町との境はいずれも「市町村章+ローマ字表記」型)、県道24号、同201号、同273号等こうした表記が残っています。

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wl&q=%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%B0%E5%B8%82

つくば市に入っても、しばらくは平凡な2車線が続きますが、学園都市に入ると、学園南大通・エキスポ大通りと、都市計画道路の一線として扱われます。つくば市内は旧道と現道が分岐している部分があって、石丸電気付近もかっては旧道だったようですが、小野崎から上郷の区間は現在も県道指定からは外れていないようです。当然道は広くはないですが、この沿線には小学校やゴルフ場等が見られます。つくばエクスプレス万博記念公園駅と県道45号つくば真岡線バイパスと結ぶ部分もおなじ県道として指定されています。

下河原崎に入ると、2車線に戻りますが、流れは悪くなく、しばらくすると旧水海道市(常総市)に入ります。この境は、丁度小貝川が流れていて、水海道市が存在していた時はカントリーサインは設置されていませんでした。その後つくば市・常総市いずれにも設置されるようになりましたが、最近になってなぜかつくば市のそれは撤去されてしまったようです。県道14号、同24号(旧石下町境)、同41号等と並ぶ、多くはない「市町村章+ローマ字表記」型だったのだけど・・・・・・・・・・・・

旧水海道市に入ると、国道294号常総バイパスを過ぎて、常総線三妻駅に近づくと、道路がまた狭くなります。鬼怒中付近で旧294号と交差するまでの付近はそこらの生活道路とあまり変わりませんが、ちゃんと標識は設置されています。その後右に曲がって美妻橋で鬼怒川を渡りますが、この交差点もやはり朝夕は渋滞し易い箇所です。この後、近年トステムが撤退した大生郷工業団地を通過するうちに辺り一辺田圃を目にするところで旧岩井市(坂東市)に入りますが、やがて道がカーブに差し掛かった後また狭くなり、岩井市街地に入って、国道354号とまた交差した所で終点となります。

現道の学園大通り・エキスポ大通りと、その他の一部狭い区間とのギャップが大きい地方道ですが、かっては県南地方の中心都市だった土浦市と、平将門ゆかりの旧岩井市市街地を、筑波学園都市も経由して結ぶ重要な道路だと思います。地方道の公示は平成5年を最後になされていませんが、この123号土浦坂東線が本当に主要地方道に昇格する日は果たしてくるのでしょうかね。

【追記】【平成22年9月5日】

つくば市のカントリーサインですが、撤去されていた旧水海道市との境のそれは、今年の盛夏に通過した際再設置されていたのを確認しました。

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2010/05/27

ついにあの車の生産にもピリウド・・・・・・

http://www.yomiuri.co.jp/atcars/news/20100527-OYT8T00271.htm?from=yolsp

「プレジデント」「シーマ」生産終了…日産

 日産自動車が最高級車種の「プレジデント」=写真上=と「シーマ」=同下=の生産を、8月で終了することが26日、わかった。

 ハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)など環境対応車の人気に押されて販売台数が落ち込んでいることに加え、新しい衝突時の安全基準に適合しなくなることも一因で、看板車種を含めた高級ブランドの集約に踏み切る。

 プレジデントは1965年に発売され、「大臣、社長の車」として主に社用・公用車として人気を集めた。シーマは、発売された88年に3万6000台を販売する大ヒットとなり、「シーマ現象」と呼ばれる言葉を生み出すなど、バブル期を象徴する人気車種となった。

 しかし、バブル崩壊後は両車種とも低迷が続き、2009年の販売はプレジデントが約50台、シーマが約300台にとどまっていた。

 日産は今後、高級車ブランドを「フーガ」に集約する。資本・業務提携した独ダイムラーと、エンジンや車台の共通化も検討しており、開発費の圧縮を図る。

(2010年5月27日  読売新聞)
日産車は乗った事はないけど、こういう有名車の生産終了もまた、時の流れを感じさせてくれるニュースですね。日産といえばまた、一時どん底だった時期にカルロス・ゴーンが登場して、自らも出演した、「変革」を強調したCM等もインパクト強かったけど、ライバルのトヨタがアメリカで意図的なバッシングに遭っている反面、これからも色々独創的な車が世に登場するのでしょうかね。

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2010/05/20

ジョジョ4部外伝-「岸辺露伴ルーヴルへ行く」最終話

さあ、いきなり絵の影から出てきた怪しげな連中。彼らは・・・・・・・・

「新手のスタンド使いか?」

と思われましたが、今度はもう一人の消防士が銃で蜂の巣にされた!!しかし、何やらおかしい。そう、彼らは露伴一行がよく知っている人達ばかりだったのです。露伴には去年亡くなった祖母達が見えたし、通訳のお姉さんには事故死したらしい息子のピエールが見えた。

そこで我等が露伴先生のヘブンズドアの出番が来た!!彼らの心を読んだのですが、紛れも無い死人であった。そうする内に通訳のお姉さんも体が膨張して破裂してしまった。生き残ったのはもはや露伴だけ。

そして絵からまた出てきた人は・・・・・・・・そう、思春期の露伴が出会ったあの奈々瀬だった!!彼女によって、「絵」の正体が明かされたけど、無念の死を遂げた山村仁左右衛門、死してなおその怨念は絵に宿り、ご先祖様の「罪」を利用して、攻撃、対象を彼らが犯した罪と同じ死に至らしめる「邪悪なる絵」だったのです。

何も出来ない事に涙を流す奈々瀬、しかし、露伴先生は機転を利かせた!!ヘブンズドアを利用して記憶を消す事で命を永らえました。そして、その後の調査でさらに判明した事、それは奈々瀬は実は仁左右衛門の妻であり、あの「邪悪なる絵」のモデルでもあったのです。彼女は成仏できずに「絵の呪い」であるまま子孫の露伴と出あった。そしてその事で自らの有様により苦しむ事となった。だから彼がよかれと思って、自分をモデルにした漫画を描いた事を怒った。そして、「本当の理由」を言えない悲しみ等から泣いて露伴に詫び、そのまま姿を消したのです。先祖と子孫の「絆」、これは本編でもテーマの一つとされていますが、実に美しいではないですか。

最終話でついに「黒い絵」の正体が明かされたわけだけど、最終的には1話での伏線が良く消化されていたのが特筆されるべき点の一つだったと言うか、短いながらも纏まっていた短編だったと思います。7部も、ついにジャイロが倒されて絶体絶命なようで、そのハードルの高さ故なのだろうけど、このスピンオフ短編の方が面白いですね。そうした7部の物足りなさとかはありますが、やはり荒木飛呂彦氏は天才なのだと改めて認識させられます。そうでなければ、ワールドヒーローズシリーズでも、バオーとかシュトロハイムとかディオとかパロディされるわけもないのだし。さあ、8部は果たして一巡した後の世界での杜王町での話となるのか、それとも・・・・・・・ともかく、波紋使いでもある(冗談抜きで今年で50代突入には見えない)荒木氏が描く、荒木ワールド、やはり今後も目が離せない。

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2010/05/17

イチローは依然好調、でもマリナーズは・・・・・・・

http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/05/17/0002991263.shtml

「レイズ2‐1マリナーズ」(セントピーターズバーグ)

 マリナーズのイチロー外野手は16日(日本時間17日)、レイズ戦に「1番・右翼」で出場し4打数無安打。8試合ぶりのノーヒットで打率を・351に下げた。

 初回と三回の打席はいずれも2球目を打って出たが二ゴロ。1点リードの五回無死一、二塁の好機はカウント2‐0から左飛、七回2死一塁の打席は空振り三振だった。試合はマリナーズが五回に1点を先制したが、八回に逆転され1‐2で敗れた。

イチローは、ヒットが止まったとはいえ、打率は.350越えとやはり今年も好調なようですが、マリナーズ自体は波に乗れない戦いが続いています。

チーム防御率はリーグ4位と取られる点数は少ないけど、取る点数も、チーム得点数はリーグワーストでこれまた少ない。去年とほぼ同様な傾向です。

加えて、レギュラー陣の平均年齢も、30.4歳(5月15日現在)とアメリカンリーグでは3番目に高いちなみにイチローが、ジョージ・シスラーの記録を破る、シーズン262安打を記録するも、ダントツの最下位に沈んだ2004年は31.5歳と32.2歳のヤンキースについで高く、その後2005年、2006年はそれぞれ28.7歳、28.6歳と改善されましたが、今年に入ってまた30歳を超えています。

素質を大きく期待され、実際キャリア初期ではそれなりの数字を残すも、いつしか故障を重ねるうちに脂が乗った時期を過ぎてしまったと言う点では、巨人の高橋由伸に似ているマイク・スゥィーニーや、古巣出戻りのケン・グリフィー・ジュニア等近年も補強は行ってはいますが、特に野手陣は他にもリッチー・セクソンや阪神に戻った城島健司等成功したとは言い難い補強が目立ちます。2007年は一時的に2位に躍進(但し得失点差はマイナス)はしましたが、これでは、やはり薬物使用が発覚して、尻すぼみに成績が下がっていったミゲル・テハダや盛りは過ぎていたサミー・ソーサを補強したオリオールズにも言える事ですが、チームが長期的に強くなるわけがありません。西地区はゴジラ松井秀喜の所属するエンゼルスも波に乗れないなど図抜けているチームが無いだけマリナーズにとってはまだ救いはあるのですが、イチローというスーパーヒーローがいても、今年もまた彼の入団後では5度目の地区最下位転落となってしまうのか、それとも・・・・・・・・・

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2010/05/16

宮崎牛のブランド失墜危機こそ東国原知事のチャンス?

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100516-OYT1T00653.htm

宮崎牛、種牛も口蹄疫疑い…ブランドに大打撃

 宮崎県で発生している家畜伝染病「口蹄疫」問題で、県は16日、ブランドの宮崎牛を一括して飼育する県家畜改良事業団を中心とする半径10キロ圏で新たに移動制限区域を設けた。

 発表によると、発生(疑い例も含む)は1市3町の計101農場に拡大し、殺処分される牛と豚は計8万2411頭になった。

 県は、宮崎牛の種牛と評価用の牛の牛舎を約50メートル離すなどの対策を取っていたが、同じ農場内のため、種牛49頭を含めてすべての牛が殺処分される。49頭は、主力級6頭の後継として次世代を担う種牛として成育していた。

 一方、約20キロ離れた西都市に移動した6頭は、人工授精用精液の約9割を供給している。原則として家畜の移動が禁止される家畜伝染病予防法の移動制限区域内だったが、宮崎牛の生産に欠かせないため、県の要請を受けた国が特例で認めた。

 6頭は、移動前の遺伝子検査で感染していないと判定されたが、ウイルスの潜伏期間があるため、感染している可能性もあるという。このため県は15日から1週間にわたって遺伝子検査を行い、その後も経過観察する。

 JA宮崎中央会は16日、口蹄疫発生に伴う経済損失が約160億円(15日現在)に達する見通しを明らかにした。殺処分の対象となる家畜の評価額や出荷遅れによる損失などを積算。8日現在の試算(約110億円)から約50億円増えた。

 JAによると、子牛の誕生から優良牛を生み出す精子を安定して供給できるようになるには約7、8年かかるという。

(2010年5月16日22時05分  読売新聞)
鳥インフルエンザの次は口蹄疫ですか。宮崎県といえば、初代そのまんま東こと東国原英夫、去年の衆議員選挙出馬騒動は結局無駄にかき混ぜただけで、男を下げてしまったのは否めなかった。
その後あまり話題を聞かないと思ったら、来年の知事選挙について、「共産党が立候補を見送れば、無投票で再選されて、経費が5,6億円浮く」なんて言っていたようだけど、そういう問題じゃないだろうに。大切なのは、知事に再選されるか否かとか、経費の問題とかじゃない。与えられた任期を十分全うして、あなたを期待して票を入れてくれた宮崎県民や宮崎県の為に仕事をすること以外の何物でもないだろうに。
この宮崎牛の口蹄疫騒動こそ、言い方は悪いけど、彼が本当に宮崎県民の信頼を得るチャンスだと思うけど、まあこの発言からも伺えるように、まだ勘違いしたままなようだし、変なスタンドプレーに走るのかもしれませんね。まあ、彼を勘違いさせたマスゴミにも勿論責任はあるのだけど。自分が宮崎県民なら、来年の知事選では彼に入れたいとは正直思わない。

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2010/05/14

トレイ・ヒルマンのロイヤルズ監督解任は本人も「シンジラレナーイ!!」?

http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20100514-629594.html

【日本ハム】ヒルマン解任に「早すぎる」

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 日本ハムは14日、広島へ移動した。阪神との交流戦は連勝となり、リーグ戦から続く連勝は今季最長の「5」とあって、表情は明るい。だが、梨田昌孝監督(56)は、前任のロイヤルズ、トレイ・ヒルマン監督が解任されたことに触れ「ちょっと早すぎるかな。本当に残念です」と心を痛めていた。

 [2010年5月14日17時26分]

まあ、日本ハムも、今年は低空飛行だから前監督の事を心配している場合でもないのかもしれないけど、ヒルマン監督の解任は・・・・・・・

http://route-125.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-b9f8.html

ロイヤルズについては、約半年前にもちょっと深入りしたけど、まあしょうがないのでしょうね。同じアメリカンリーグ中地区には、一時は球団削減の対象にもされたミネソタツインズの例もあるのだけど・・・・・・・・まあ、ヒルマン元監督は、次のチャンスが来た時にはそれを活かせるよう頑張ってほしいですね。

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2010/05/11

「ロックマンオンライン」は尚迷走続く「本家」シリーズの「新しい方向性」を見出せるか?

http://www.4gamer.net/games/109/G010974/20100511020/

エアーマンだってオンラインなら倒せるかも? カプコン,韓国Neowiz Gamesと共同で「ロックマンオンライン」を開発中

カプコンの人気アクションゲーム「ロックマン」シリーズのオンライン版,「ロックマンオンライン」の開発が進行中であることが明らかになった。

 この情報は,昨日(5月10日)に公開された,カプコンのIR資料「事業戦略および計画」の中で明らかになったもの。この中で同社は,今後の成長が見込まれるPCオンライン市場への注力の一環として,PCオンラインゲーム開発の強化をうたっており,アジア圏での市場拡大策のひとつとして,韓国Neowiz Games社との共同で「ロックマンオンライン」を開発することに触れている。

 「ロックマン」シリーズといえば,1987年に発売された第1作以降,数多くの続編と派生作品が登場している,人気のアクションゲームだ。最近では,PlayStation 3Xbox 360Wiiの3機種に最新作「ロックマン10 宇宙からの脅威!!」が登場し,話題を呼んだのも記憶に新しい。
一方のNeoWiz Gamesは,韓国にて多数のオンラインゲームを発表しているデベロッパで,日本ではオンラインFPS「クロスファイア」,オンラインアクション「ヨーグルティング」などで知られる。また国内ではサービスされていないものの,「S4 League」や「WARLORD」 「Battlefield Online」などの注目作も手がけている。

カプコンは,PCオンライン事業展開に中国市場への参入を挙げており,本作はその嚆矢となる可能性がありそうだ。詳細については現時点で全く不明だが,気になるタイトルであるだけに,今後の続報にも注目しておきたい。
オンラインなら倒せるかもって、別にエアーマンは2ボスでは弱い方だし。(苦笑)そのような楽曲ファンを意識するような見出しなど書かなくていい。
まあ、それはまだどうでもいいとして、「ロックマン10」は、過去ログでも酷評させてもらったけど、「自称」最高傑作「2」を意識して、スライディング・チャージショットを廃止して特殊武器を、ほぼ過去のシリーズのそれを良い所取りしたのは良かったが、案の定本作ではその反動が出てしまった。ブルースモードデフォルト化も、所詮それ自体そうした「2」への「歪なる神聖視」に対する「小賢しい誤魔化し」に過ぎないし、新鮮味の無いフォルテ登場も、ロックマンのそうした「歪なる神聖視」による弱体化をより際立たせる事になってしまった。どう見たって、ダッシュも出来、他方向にバスターが撃てるフォルテの方が強いに決まっているのだから。アイドル化甚だしいロールも、近年のシリーズほど露骨ではなかったが、やはり「ロールちゃん萌え」な描写が見られた。スペシャルステージも、ロックマンキラーズをナンバリングシリーズに登場させるぐらいならワールドシリーズをリメイクした方が建設的ですよ。特に半ば黒歴史認定されている「2」は。
勿論、前作ほどではないにせよ、名曲揃いなBGM等私はこの「ロックマン10」を全否定しているわけでもないけど、早くも「本家シリーズの次なる閉塞」を予感させる「失敗作」に仕上がってしまった。
まだ詳しい情報は公開されておらず、どうせまた懐古主義者媚び第一なFCグラフィックと言うか、やはり過去ログで批判したこの「8ビットデスマッチ」のような、またはそれに近い代物になるのかもしれませんな。勿論この後普通に「ロックマン11」、「ロックマン12」とナンバリングシリーズを製作しても、また行き詰るのは目に見えているのだけど、カプコンがどんな企業戦略を立てようが、この「本家」シリーズの「根本的な問題点」を良く把握し、一部懐古厨なファン共々意識改革し、「行き過ぎた懐古主義」からはいい加減「卒業」しなければいけないです。
私から見れば、「ロックマン本家」シリーズ=名作であるのは全くの過去の事だし、ロックマン=カプコンの顔である事も全く過去の事です。本当は行き過ぎた懐古主義やロールアイドル化等が全く過去の事になっていなければいけないと思いますが。未だ「本家」シリーズの本当の「未来」は見えていない、砂漠の中で「ロックマン9」や「ロックマン10」という蜃気楼で迷い込んでいる悲しい現状のままであります。

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2010/05/09

赤西仁のKAT-TUN脱退はもはや時間の問題?

赤西仁、ファンの感情を無視したメッセージを掲載し批判殺到!

「待ちに待った更新。でもあまりにもファンをないがしろにしたような記事にガックリしました。こんなことなら、更新されない方がよかったかも......」 

 一部のファンをこんなにも嘆かせているのが、ジャニーズの公式携帯サイト「Johnny's web」内の連載「KAT-TUN'Sマニュアル」。毎週火曜日にメンバーが交代で更新していく連載のコーナーである。赤西仁のツアー&シングルへの不参加、および脱退騒動に揺れる中、メンバーの田中聖がKAT-TUNやファンへの愛を熱く語ったり(既報)、上田竜也の「メンバー5人とマネージャーでご飯を食べに行きました」との発言が「今後5人でKAT-TUNをやっていくっていう地味な意思表明?」と憶測を呼ぶ(既報)など、何かと注目を集めてきたのは記憶に新しい。

 ソロ活動の発表後、初となる赤西の更新日は4月27日(火)......のはずだった。しかし1日、2日経っても「KAT-TUN'Sマニュアル」は更新されることなく、ファンの不安は募るばかり。

「これまで、仁は更新日を守らないことがしょっちゅうで慣れっこですが、今回は事情が事情なだけにちゃんとアップしてくれるかなって期待してたんです。仕事もそれほど忙しくないはずなのにまったく更新されないので、もしかしたらこのまますっぽかしちゃうつもりかも、とドキドキしてました」(同)

 そんな中、5月1日(土)の12時になってようやく赤西の記事がアップされた。が、それは「周りがなんと言おうと仁くんのことを信じてる。本人の言葉を直接聞きたい!」と願っていたファンの想いを見事に打ち砕く内容だった。

 まずは冒頭「スタジオにこもりっきりで新曲を作っている」という近況を綴り......、

「そうなんです ご存知の方もいると思いますが LAでのコンサートが決まりました。成功させるべく頑張っております」

 と今さらながらの発表(?)。さらに、

「KAT-TUNコンサートも始まったみたいですね。中何とか君は頑張っているかですかね......(※原文まま)」

 と、中丸雄一の存在感のなさを揶揄する"中何とか君"の話題につなげ、あとは「中何とか君の本名はなんですか」「なんなんですか」などと質問を連ね、「ではスタジオに戻らせていただきます」とあっさり終了。期待したようなファンへのメッセージもLA公演にかける想いもなく、単純にいつものペースで綴った内容となった。

 赤西は5月に渡米する予定とされており、基本的にはこれが日本での最後の更新になる。「KAT-TUNコンサートも始まったみたいですね、って、完全に人ごとって感じ!?」「なんかバカにされてるみたい」と批判を集めてしまったのは残念でならない。

 そんな中、残る5人は公開リハーサルを成功させ、4月30日の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でも番組協力で集まってくれたファンの控え室に直々に出向くなど大サービス。「一緒に盛り上げよう!」と熱く語り、集まったファンを盛り上げるなど結束を固めつつある。「KAT-TUNメンバーと赤西の温度差が、グループの方向性を示している」というファンの心配が杞憂で終わってほしいものだが......。

仁は表現が下手だから、風当りが厳しくなるのよ

まあ赤西仁くんも、篠原涼子氏と競演した某ドラマではいい味出していたのだが、何か勘違いしてしまったのでしょうかね。山下智久くんなら、海外進出してもいくらか成功の可能性があるのかもしれないけど、赤西くんは軽く断定するけど、無理でしょ。まあ、KAT-TUNもこのままではKT-TUNになっちゃう可能性が高そうだけど、不満分子がいなくなるのだから却っていいんじゃないですか。別に自分は特に彼らに思い入れがあるわけではないけど・・・・・・・・

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中国の「十人の元帥達」

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa20.html

上記は、旧ソ連の元帥達についてのコラムだけど、興味深く読ませていただいたと言うか、そのソ連と、スターリン批判などで対立するまで盟友だった中国にも、かって元帥の階級が存在しました。以下の面々です。

①朱徳

②ホウ徳懐

③林彪

④劉伯承

⑤賀龍

⑥陳毅

⑦羅栄桓

⑧徐向前

⑨聶栄臻

⑩葉剣英

彼らは建国間もない1955年に一斉に元帥の階級を授与されましたが、毛沢東の親友の一人で既に辛亥革命時から長い軍歴を有していた朱徳は70歳近くなのに対して、林彪はまだ40代後半と若く、しかも序列は朱徳やホウ徳懐に次いで3位。いかにその軍事指揮官としての経歴を高く評価されていたかが分かります。もっとも彼はこの時は1線を半ば退いていたのだが・・・・・・・

ホウ徳懐は、日中戦争は百団大戦の指揮等副司令として活躍、朝鮮戦争でも体調不良で出征できなかった林彪の代わりに人民志願軍の総司令として活躍、劉伯承は鄧小平の盟友として特に国共内戦で貢献しました。賀龍はチベット侵攻の総司令にもなり、陳毅は建国後上海市長を務めました。羅栄桓は、最高検察署検察長や人民解放軍政治部主任を歴任し、徐向前は人民解放軍初代参謀総長にもなっていた。聶栄臻は、百団大戦の際、孤児となっていた日本人姉妹を手厚く保護し、日本軍に送り届けたエピソードで有名ですね。葉剣英は、広州を中心とした広東省に強い地盤を持っていました。

しかし、この階級制度も、社会主義というイデオロギーと矛盾していたとみなされたのか、10年後の1965年には廃止されてしまいます。既にその前に1963年に、羅栄桓は腎臓癌により死去した為、彼のみが唯一「中華人民共和国元帥として亡くなった」と言えます。

そして、階級制度の廃止直後にあの文化大革命が始まるのですが、生き残っていた「元」元帥達もそれとは無縁ではいられませんでした。特にホウ徳懐は、既に大躍進の誤りを廬山会議で指摘していましたが、毛沢東にもイエスマンである事を良しとしない剛毅な性格だった彼、紅衛兵による吊るし上げを食らっても自己批判を拒否し、ついには直腸癌に侵されながらも、治療を拒否され、悲惨な死を遂げる事となります。その他の面々も、賀龍も監禁させられた末に、糖尿病を患っていたのにも関わらずブドウ糖を注射され、殺されたも同然でした。亡くなった時は腹は鉄のように硬くなっていたと言われています。陳毅は、個人攻撃に公然と反論した2月逆流で毛沢東の怒りを買い、やはり徐向前同様製造工場での労働を強いられました。河北省にいた時に直腸癌に侵され、北京に戻った後手術を受けましたが、肺に転移していて、1972年1月に亡くなりました。すぐ手術を受けていたら助かっていたかもしれません。朱徳も、序列を下げられた程度で済み、完全には失脚しませんでしたが、老軍閥と攻撃され、劉伯承聶栄臻もやはり失脚・個人攻撃の憂き目に会っています。

彼ら政府幹部の失脚に大きく関わったのは、最年少で元帥となった林彪でした。ついに彼は1969年に序列が2位となり、毛沢東の後継者であることが明言されましたが、ソ連ではセルゲイ・ミロノヴィチ・キーロフの例があるように、有能なNO2は独裁者にとっては邪魔な存在です。林彪も、国家主席廃止が提言された際、これに同意しなかったために毛沢東の不信を買いました。慌てた彼は、「毛沢東天才論」をぶちあげましたが、4人組から「実は後継者である自分も天才だと言いたげなのだろう」と悪い風に解釈され、ついに毛沢東の暗殺を試みますが、失敗、ソ連に逃げようとして墜落死しました。要するに、やる事なす事裏目に出てしまったと言うか、権力におぼれるあまり自滅してしまったと言えます。直後、陳毅は癌との闘病中だったのにも関わらず、彼を非難する演説をしたらしいですが、林彪の失脚を見届けてあの世に行けただけ彼はまだ幸せだったのかもしれません。

1976年には、国家主席が廃止された事でなし崩し的に国家元首となっていた朱徳周恩来、そして毛沢東その人も亡くなり、ついに甚だクレイジーであった文化大革命は終わる事となりますが、この時やはり攻撃はされながらも比較的要領よく切り抜けた葉剣英が4人組の逮捕に大きく貢献し、文化大革命を生き抜いた劉伯承徐向前聶栄臻共々晩年まで軍の長老として政府の要職を歴任する事となりました。劉伯承は残念ながら1973年に両目とも失明してしまったそうですが、十大元帥の中では最も長生きな94歳の天寿を全うし、葉剣英は国家元首も努めました。1988年の階級制度復活まで生き残っていたのは徐向前聶栄臻でしたが、階級はあくまで「前中華人民共和国元帥」のままだったみたいです。聶栄臻はまた、1980年には前述の日本人孤児姉妹の内、生き残っていた姉と北京で再会しましたが、1992年93歳で亡くなった、中華人民共和国元帥最後の生き残りでもありました。この姉妹の出身地、宮崎県都城市と聶栄臻の故郷、重慶市江津区は姉妹都市にもなっています。

以上どうでもいい事を長々と述べましたが、実は元帥よりも上の中華人民共和国大元帥も存在し、毛沢東が就任したかと思いきや、結局階級制度復活後の一級上将共々空位のまま廃止されています。ここあたり、やはり既に1935年に、大元帥に相当する特級上将に就任した、ライバルの蒋介石とは違っているのも興味深いものがあります。

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2010/05/08

新たな時代を迎えた東京ヤクルトと助っ人外国人(&古田敦也)

http://www.tbs.co.jp/baseball/game/20100508DS01d.htm

2007年、平成に入って初の最下位を経験した事により、選手兼監督を務めていた古田敦也は辞任&引退、その後高田繁を監督に迎え、2008年は最下位脱出が精一杯も、ユニフォームも新調した2009年は5年連続負け越しながらも何とかAクラスいり、そして今年2010年は天敵巨人との開幕戦カードでは勝ち越したのだが・・・・・・・・

ピッチャーは球界のキムタクこと五十嵐亮太が抜けるも、そこそこ内容はいいけど、打つ方が、神宮球場の外野を広くした事も相まってパッとしません。その為苦戦が続き、現在では最下位と低迷しています。

元々ヤクルトは、国鉄・サンケイ時代からの相関がほぼあるのですが、チームが強い年は決まって助っ人外国人がMVP級の活躍をする年です。初めて優勝した1978年は、現在フィラデルフィアフィリーズの監督として好成績を残しているマニエル・ヒルトン、野村監督時代は1992・93年はハウエル、95年は阪神から来たオマリーと巨人戦でノーヒットノーランをやってのけたブロス、97年はホージー、そして若松務監督の2001年はソフトバンクに入団したぺタジーニと現在巨人でも活躍中のラミレス・・・・・・・・これに加えて、古田敦也の活躍度も相関要素として加わってきます。

だから初優勝については、近鉄に手放したマニエルがリーグの違いも気にせず活躍を続け、代わりに来た神部年男らがあまり戦力にならないのでは、翌年1979年の最下位転落も必然的だったと言えたし、94年は古田はフル出場できなかった(良くテレビでも紹介される、同年5月の神宮球場での、対巨人戦乱闘シーンでの捕手も古田ではなく、中西親志であった)、96年はブロスが研究されてしまい、古田の盗塁阻止率も彼にしては低く、4割がやっとだった。結局翌97年でも大きな活躍は出来なかったし、98年もやはりホージーは成績ががた落ちしてしまい、この年限りで帰国しています。若松時代はぺタジーニは途中で巨人に移籍しましたが、ラミレスは古田時代まで彼並みの安定した成績を残した事もあって、2004年までの史上初の4年連続Aクラスいりを果たしました。

ところが、長くチームの守りの要として活躍した古田、次の2005年は4月に松山での広島戦で2000本安打を達成しましたが、40台に突入した年齢は誤魔化せず、衰えはじめ、翌年は選手兼監督となりましたが、成績は振るわず、ついに平成初の最下位に終わった2007年を持って古田その人がいなくなってしまったのです。去年まで5年連続負け越しも、Aクラス入りは2回(その内2006年は、ラミレスは比較的振るわない成績であり、特に出塁率は.267しかなかった) 果たしていますが、ガイエルもデントナも30本塁打前後、80打点前後がやっとでMVP級クラスの活躍をしているとは言い難く、最下位に低迷している今年はいずれも成績は不調では、ピッチャーの面では広島よりはマシですが、この位置もしょうがないのかもしれません。

去る5月3~5日にかけても、巨人戦で3タテを食らう等ヤクルトにとって今年のGWは最悪の展開を迎えそうというか、またまたアンチ巨人の攻撃材料を増やしてしまいましたが、精神年齢低すぎというか、もういい加減「犬ルト」とか「八百長」とか罵るのはやめてほしいものです。

ドラフト制施行後に限定しても、新世紀以降巨人に勝ち越せないヤクルト以外にも、阪急に13年連続で勝ち越せなかった東映・日拓・日本ハム(1967~79年)、西武には21年連続で負け越し、阪急・オリックスにも21年連続して勝ち越せなかった(1987・88年は対戦成績タイ)南海・ダイエー(現ソフトバンク、1982~2002年)、11年連続負け越ししたロッテ(1985~95年)や、広島に10年連続負け越した大洋・横浜大洋(1975~84年)、9年連続負け越した中日(1978~86年)等のようなチームもあります。決してヤクルトだけが異常なわけではない。主力選手だって、広島共々アレなのだけど、巨人だけに放出しているわけでもない。まあ、アンチにとってはあたかも「巨人に選手を供給している」という風に強調した方が都合がいいのだろうけど。

巨人・ヤクルトいずれのファンでなくても、聞いてて普通に不愉快というか、確かに巨人ファンも勘違い屋さんはいますが、アンチ巨人はそれ以上にレベルが低下しているのだなあと悪い意味で認識させられます。こうした罵倒を聞くと。彼らはただ巨人憎しに凝り固まって鬱憤を晴らしたいだけというか、本当に野球が好きな人はそんな罵倒はしない。アンチ巨人の低レベルさ加減にはいい加減ウンザリです。

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2010/05/06

横浜への小旅行を有言実行したが・・・・・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%9316%E5%8F%B7#.E9.80.9A.E9.81.8E.E5.B8.82.E7.94.BA.E6.9D.91

今年のGWは今日までの6連休だったけど、4日夜に過去ログでも言った様に南関東の大動脈、国道16号を走って横浜まで行ってきました。

①埼玉県区間

あの「クレヨンしんちゃん」の舞台でもあり、所謂「平成の大合併」で千葉県とも境を接するようになった春日部市から16号に入ったけど、岩槻~大宮(この間一旦上尾を通る)は深夜でも交通量は多めでしたが、一時国道17号の新大宮バイパスと重複します。この新大宮バイパスは、浦和・大宮の市街地を避ける形で建設された大規模バイパスだったけど、また16号単体となってしばらくすると川越市に入ります。川越も、沿線にいろんな店が立ち並んでいた事もあって、やはり交通量は多めでしたが、あとは概して時間帯が時間帯だったから流れは良かった。入間市に入ると、一時片側一車線となりましたが、すぐ二車線に戻ります。

②東京都区間

その後、瑞穂町(標識がでかかった)を北玄関として、東京都での多摩地域を通過する事になりますが、その後八王子市に入るまでは、羽村市をちょっと掠める形で通った後、福生市、昭島市を通ります。この間米軍横田基地の横を通りますが、やはり半ば何処の国にいるか分からない気分にさせられます。八王子市は市街地の一部前後区間のみ1車線でしたが、やはり東京都では旧東京市に次いで早く市になっただけあってかなりにぎやかでした。有料バイパスは通らなかったです。その後1回目に町田市に入る事となります。

③神奈川県区間

と言っても、相模原市と大和市を通った後、一度町田市にまた入り、東名高速道路横浜町田インターチェンジを過ぎた所でいよいよ横浜市に入ります。とは言っても、横浜と言っても、北は多摩地域に近く、南はもう三浦半島は目の前とかなり広いからこの時点では横浜に来たという実感はまだありません。「神奈川県横浜市」の標識も無いだけに尚更です。その後やはり朝夕は渋滞が激しいらしい保土ヶ谷バイパスの方を通って、横浜新道からついに生まれて初めて走る事となる国道1号に入りました。

④横浜新道~帰りの途

その後横浜駅まで来てやっと横浜に来たという実感がわいてきたのですが、あとは帰るだけ。横須賀までの区間は通りませんでしたが、これはまた機会ある時に。国道1号は流石は首都圏を通るだけあって、片側2・3車線でしたが、信号が多かったので走り易いとは言えなかったです日本橋まで入ると、国道4・6号に変わり、6号とは日本橋本町で一旦別れますが、遥か北の、宮城県岩沼市でまた合流します。以降終点の仙台市までまた4号と重複する為、実質的な終点は岩沼市という事になるのですが、6号は茨城県の大動脈の一つだけあってちょっと不満です。まあ、それはともかく、後は松戸まで6号を通った後、野田まで北上して、そこから利根川を渡って茨城県に戻り無事帰りましたが、往復300キロ強・・・・・・・・帰った時はもう夜は明けていたので、すぐ寝ました。

携帯電話で撮った画像をここで見せられないのがちょっと残念ですが、まあ、それなりに良い思い出だったかな?GWが終わった後は8・9日は休みも、また下旬の週明けから職場新設備のトライアル運転が始まり、前回は順調とは言えなかったからどうなるか不安というか、1日でも早く自分の知識として吸収するしかないのだけど・・・・・・・

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2010/05/03

今こそリメイクが見たい「X-MEN CHILDREN OF THE ATOM」

http://www.geocities.jp/pcbrgb/x-men/x-men.html

X-MENと言えば、昨年も「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」が公開されたのは記憶に新しい所ですが、現在ではタツノコとのクロスオーバー格闘ゲーム作品が発売されているカプコンのVSシリーズ、その基となったのは「X-MEN CHILDREN OF THE ATOM」です。

元々アニメ版「X-MEN」(後に長く豪鬼役を担当する事となる西村知道氏もゲスト出演されていた)のスポンサーもカプコンが務めていましたが、エリアルレイヴの概念はまだ無くとも、スーパージャンプ、追撃、チェーンコンボ等後のVSシリーズの基本システムは既に導入されていたし、各キャラの特性が反映されたXパワーも面白い試みだったと思います。サイロック・オメガレッド・マグニートステージ等のBGMも、良曲が粒ぞろいでした。ただ、CPU戦の難易度が高かったのが敷居を高くしてしまった事も否めなかったけど・・・・・・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=ySVlzCpF1EQ

http://www.youtube.com/watch?v=RFmxwmia8dc&feature=related

ただクリアするだけでも難しかったのですが、特定の条件を満たすと、当時「スーパーストリートファイターⅡX」で衝撃のデビューを果たしたばかりだった豪鬼が乱入してきます。カプコン制作という事で、夢のゲスト出演を果たしたわけです。そして、この豪鬼、本作でも使用してしまう事も出来たのです。滅殺豪波動・滅殺豪昇竜・天魔空刃脚が使用できるようになり、阿修羅閃空もXパワーとして使用できました。必殺技・Xパワー・ハイパーXいずれも強力ではありましたが、CPUと比べると、豪波動拳の硬直が長くされている等やや弱体化されており、ずば抜けて強いと言ったほどではなかったと思います。2発撃つ事が出来る斬空波動拳の使い方が鍵を握っていたと言えました。

アメコミヒーロー達とのVSシリーズは「MARVEL VS CAPCOM3」が、来年の春に約10年ぶりに登場するらしいですが、ゲームシステムの改良・オリジナルには登場しなかったガンビット、ローグ、セイバートゥースの追加等がなされたリメイク版が出てほしいものです。勿論豪鬼もまた隠しキャラとして登場する形で。

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2010/05/01

「ゴッドサイダー」もまた黄金期WJにおいて輝いた快作

1980年代~90年代前半はWJ(週刊少年ジャンプ)の黄金期で、数多くの名作をこの世に産み出す等一種の社会現象となったけど、その中に巻来功士氏の代表作である「ゴッドサイダー」があります。

後に続編(厳密にはパラレルワールド)がコミックバンチでも連載されていたけど、作者が原哲夫氏の弟子だっただけあって、過激なグロ描写とか良い意味でその影響を受けていた側面もあった作風でした。

連載期間がそれほど長くなかった事もあってか?、テンポは良かったし、ゴッドサイダー・デビルサイダー・パズスの構図も分かり易かった。その中でもゴッドサイダー側だった主人公の霊気は、ケンシロウや承太郎先輩等他の黄金期WJ主人公にも通じるものがある、「シンプルな熱さ」を持っていた、感情移入が容易な主人公だったし、敵キャラ連中も、特にパズスジョジョ1部のディオにキャラが似ていたと思うけど、ベルゼバブ等共々良い意味でトチ狂っていたのが非常にすがすがしかったというか、主人公一行に負けず劣らずキャラが立っていたと思います。そこにしびれるっ!!あこがれるぅ!!

そして、何といっても度肝を抜かれたのはラストの展開ですね。もう絶体絶命と思いきや、天使長ルシファーとして復活した霊気は仲間達とともに・・・・・・・・・・ジョジョ6部の荒木飛呂彦氏(正直もう終盤な7部より露伴先生主人公のスピンオフシリーズの方が面白いが)もそうだけど、あのようなラストを描ける作者はやはり非凡な鬼才作家である事をまざまざと認識させられたと言えました。

これほどの作品でも、黄金期当時のWJでは中堅レベルだったというから、いかに当時のWJが凄かったかが伺えるというものだけど、そんなWJで異彩を放った快作と言えるでしょうね。このゴッドサイダーは。つい最近もメタルKの続編が連載されたらしいが・・・・・・・・

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ジョジョ4部外伝-「岸辺露伴ルーヴルへ行く」第2話

さあいよいよパリにやってきた我等が岸辺露伴、いきなり不良の兄ちゃんたちにサインをせがまれますが、身嗜みの大切さをクールに説いたと思ったら、クールに既にサインをしていました。流石!!愛すべき露伴先生!!俺たちが出来ない事をまたも平然とやってのけるッ!!そこにしびれるッ!!めちゃあこがれるッ!!(だから、もう1部ネタは良いから。(o^-^o)つくづく好きだな。この台詞)

ルーヴル美術館には、野口という知性あふれる女性通訳が待ち構えていましたが、「月下」という名前らしい、山村仁左右衛門の作品は確かにあった!!しかし、それは地下のZ-13倉庫に保管されていた。しばらく待たされた後、野口と東洋美術学芸部門の責任者、それに消防車二人組の同伴という条件で見学を許されることになったのですが、そのZ-13倉庫は本来水害防止対策により、何一つ作品は保管されていない筈だったのです。

行く途中様々な作品を目にしましたが、迷路のように広い広い。そしてついにボロボロな扉の奥の、板の目の隙間にその「月下」らしき作品はあった!!まさにジョジョらしいゴゴゴゴ・・・・・の擬音と共に・・・・・・・しかし、中で何か動く気配がした。鍵を壊して絵を出そうとしたその瞬間、消防士の一人がケネディ大統領のように頭を撃ちぬかれた!!そして絵の後ろには怪しき連中が・・・・・・・もしかして、

「新手のスタンド使いか!?」

彼らに気づいた責任者が通報しようとした所、彼はまるで車に轢かれ、タイヤの下敷きになったような姿をさらしてしまった!!彼の意味深な言葉は気になるが・・・・・・・・

いや、これほんとにあと1話しかないの?と突っ込みたくなるほど面白いのだけど、絵の後ろにいた4人組は誰なのか、責任者のいう「自動車事故」とか何なのか、やはり気になりますね。7部の方も、ほんとに最後の最後な戦いなようだけど、8部はやはりメイドインへヴンで一巡した後の世界での4部の話となるのでしょうかね?繰り返し言うように泣いても笑ってもあと1話ですが、どんな展開が待っているのか?目が離せない。

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