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2009/08/14

週刊プロ野球セ・パ誕生60年その4-「1977年 王貞治756号と阪急3年連続日本一」

半月ぶりの更新ですが・・・・・・

①王貞治、アーロンを超える756号!!

ライターは大内隆雄という人で、この756号フィーバーで「長嶋さんを超えたと思ったのではないか?」との質問に対し、軽蔑しながら「王貞治にとって、野球とは、ホームランとは何なのかだけを考えてきたんだ。」と回答されて、赤面したエピソードを明かしていたけど、まさに口だけというか、2006年WBC主役を王貞治ってわかってないですよ。あなたは。

確かに、やたら感情先行で、特に「監督としての王貞治」を否定したくてしょうがない人(過去ログ「WBCとON?」で言及した、西本幸雄教信者の某ブロガーがその典型的な人種だが、西本信者も変な連中が多い。)をネットでよく見かけますが、あのWBC第1回大会の優勝は、監督・王貞治の求心力があったことも確かに否定しません。でも、彼が投げたり打ったり守ったりしたわけではない。「監督=過去の名選手への恩賞=チームの顔」という図式が成り立ってしまうのが野球に限らず、日本のスポーツの変な所なのだけど、この大内隆雄というスポーツライターの文は回顧気分に水を差していますね。あと、長嶋茂雄引退試合の日の記事を読んだときも思った事だけど、「9月3日の王貞治」という、記録達成時の、一々「何時何分に何をした」とか記すのやめようね。(苦笑)芸能人じゃないんだから。

②鈴木啓示、200勝達成

団塊の世代では一足早い達成でしたね。今は無き近鉄は、「歴代エースは、全盛期時には他球団のそれに勝るとも劣らない高いパフォーマンスを見せたが、力が衰えるのも早かった」のも伝統でした。そういう意味では、現在は楽天でプレーしている岩隈久志も今後どこまで成績を伸ばせるか(今年も2桁勝利はクリアできそうだが。)も要注目といえますが、実際現存他球団はその楽天とヤクルト以外は、すくなくとも100勝投手は5人以上はいる(ヤクルトは金田正一・松岡弘など4人)のですが、近鉄は鈴木以外は、佐々木宏一郎(113勝)と後年コーチとして彼を指導した武智文雄(100勝。現在フジテレビで解説をしている関根潤三等は彼の元同僚)の2人しかいなかったのです。しかも佐々木は、前述の近鉄の「伝統」の例外ではなく、30代に入って急激に力が衰えてしまったし、武智も100勝ギリギリでした。他にも、土井正博とのトレードで移籍した柳田豊は通算で110勝しましたが、内16勝はライオンズ時代での勝ち星だったのでやはり近鉄では100勝に僅かに及ばないままユニフォームを脱いでいます。

要するに鈴木啓示は、近鉄の歴史において例外中の例外な存在であり、まさに「野球の神様が近鉄にくれた最高の宝物」とも言えたのです。ただ指導者としては、1994年には優勝争い(西武には12勝14敗善戦したが、その一方で開幕戦で伊藤勤にサヨナラ満塁本塁打を打たれて勝てる試合を落としたり、森監督の胴上げを目の前で見せ付けられる屈辱も味わった。)をするも、最終的には確執があった野茂英雄をメジャーに逃げられるわ、翌年の1995年には最下位に転落して監督を途中辞任するわで殆ど近鉄に恩返しできず、結果的に彼の監督就任は「近鉄消滅の序章」となってしまったのは否めないと思いますが・・・・・

③ロッテ、後期優勝・プレーオフに進出

といっても、確かに後期こそ優勝はしましたが、通年の勝率は5割1分そこそこです。金田監督もそれはちゃんと理解していたのか第5戦で敗れた際に「力の差や。最後はごまかしがきかなかった。」とコメントしていたようですが、この2シーズン制を採用した人達は真に無能であったと思います。昭和48年の南海も「死んだふり優勝」と揶揄されましたが、通年で2位以下の5割そこそこでも日本シリーズに出場できる可能性が出てしまったのだから。

④サッシー、浮上せず!!

サッシーとは前年ドラフトで鳴り物入りでヤクルトスワローズに入団した酒井圭一の事です。ネッシーになぞらえてこのような愛称がつけられましたが、結局不完全燃焼のまま引退しています。まあ、このような選手は全然珍しい事ではないですが、最近ではソフトバンクの大場翔太が良い例ですね。プロ1年目の去年も、結局3勝5敗、防御率は5点台と到底期待にこたえたとはいえない成績で終わりましたが、今シーズンもぱっとしません。

⑤中日・藤波トレード拒否

相手の基満男は早々と快諾したそうですが、藤波の拒否によってご破算となりました。まあ、当時のライオンズはまだ「黒い霧」事件の後遺症があったから気持ちは分からないでもないのだけど・・・・・・・基は後に同じセリーグでも大洋に移籍してそこでも活躍しましたが、結局優勝経験なしのまま引退しています。一方の藤波も、それよりももう少し後の事となりますが、星野仙一監督就任に伴い、谷沢健一・大島康徳・平野謙など他主力選手共々引退(又は放出)を余儀なくされています。

⑥その他チーム

・中日

阪急との大トレードは「出て行った方が活躍した」という大損トレードで、大リーガー・デービスの加入も、負傷直後に、彼に見下されて萎縮していたマーチンが打ち出した事などを考えれば到底資金に見合ったものとはいえませんでした。また後楽園球場を前年に続けて鬼門としていましたが、それでも2位に僅差の3位につけたのはやはり地力はそれなり以上にあったという事だったのでしょう。

・阪神

チーム本塁打数1位ながらも得点数は最下位でしたが、今年のセリーグにも似たようなチームがありますね。そのチームの監督代行はこの1977年に大ブレイクしたのですが・・・・・・

・大洋

その監督代行の大ブレイクなどもあって、前年の得点力不足は解消され、得点数はリーグ1位の巨人(648点)と遜色ない2位(643点)でしたが、取られた点数も多く、結局土壇場の連敗もあって2年連続最下位に沈みました。前年の秋山登監督はこの年は2軍監督に降格されましたが、即退団とならなかったのはやはり、生え抜きが故の温情措置だったのでしょう。

・近鉄

良かったのは5月まででした。2年連続して、南海には勝ち越した一方、阪急には大きく負け越し、西本監督にとっては古巣のチームをアシストする形となってしまったのは皮肉です。後に赤鬼が来たのだけど結局・・・・・・・・

巨人も記録的な独走優勝を成し遂げましたが、日本一となったのは阪急であり、内情を見れば、確かにマスゴミが必要以上に強調した(苦笑)とおり長嶋監督が自前で育てた選手もいましたが、多くは川上時代から(特に野手は)の選手がまだ主力だったのです。翌年の1978年は今度こそ日本一奪還と思ったでしょうが・・・・・・

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