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2009/06/23

週刊プロ野球セ・パ誕生60年その2-「1975年 赤ヘル悲願初V」

広島初Vと言えば、「ザ・キングオブファイターズ」シリーズの草薙京役等で有名な野中政宏氏も、所属事務所内のページかなんかで、後楽園球場での10.15の思い出を述べられたのを以前目にしたことがあったのですが・・・・・・・

①広島東洋カープ初V

私と同郷でもある故・根本陸夫とルーツが築いた礎が強調されていて、勿論それは否定しないけど、その間に短期間の政権に終わった故別当薫・森永勝也にとってはなんだか不運でしたね。特に別当は、「1000勝以上しながら優勝経験が無い唯一の監督」だったのだけど、毎日・大毎時代を見れば、平和台事件のゴタゴタで監督代行となった昭和27年は南海ホークスに0.5差。29年・30年・32年もそれぞれ勝率.581、.607、.587ながらもやはり南海と、三原脩率いた西鉄(まだ30年の時点では稲尾和久はいない。)がいたため3位。最後の34年も82勝しながらも、2年目の杉浦忠が38勝と勝ちまくった南海についで2位・・・・・

近鉄では、土井正博などを育成(清原などはさしづめ孫弟子か。)し、2年目の38年には5割にまであげるも、平和台での対西鉄残り4戦に全敗して兼任監督だった中西太の胴上げを見せ付けられ、翌39年には最下位転落で辞任。大洋でも1期での初の連続シーズンAクラスと、2期での2回目の連続シーズン勝ち越しと健闘したけど、特に1期はあの巨人V9の真っ只中で結局同球団での監督通算勝率は5割に僅かに及ばない負け越し・・・・・・・・広島では、一時首位に立ったことがあるも、結局「歴代最高勝率」の最下位・・・・・・・それでも彼は後身のこの横浜とロッテでは「監督としての勝ち星」歴代1位(ロッテの方はもしかしてバレンタインに更新されてしまったかな?)記録を保持しているのだけど、結局現役時代の昭和25年シーズンが「プロ生活における最初で最後の優勝経験」になってしまったのは、その短かった選手としての全盛期同様寂しいものがありますね。大洋第2期監督後はフロントにも転じたけど、その後任の土井が・・・・・・・

首位打者経験もあった森永も、晩年「5番打者探し」のおかげで巨人で優勝を経験できたのはよかったけど、確かに本書で衣笠祥雄も強調したように強豪化のきざしは見えていただけに1年で切られたのは気の毒でした。そして彼も、平成5年12月、後半戦の失速による、古巣の「投手王国崩壊」森永自身が監督を務めたシーズン以来の最下位転落だった。)を見届けた後、後輩の津田恒実の後を追うようにこの世に別れを告げたのです・・・・・・

逆に根本陸夫は確かに広島のみならず、野球界に残した功績は大きいものはあった(私は彼の出身の東海村にも何度か行った事がある。)。でも、これもあとで詳しく言及させてほしいのだけど、ちょうど最後の、フロントを務めたダイエーが強くなり始めたときに亡くなったから過大評価されることになってしまった面も否定できないと思います。

②長嶋第一次政権の巨人、初の最下位転落

まあ、結論から簡単に言えば、「この人は監督なんかやるべきじゃなかった。」これにたっしてしまうのだけど、この巨人史からみれば最大の屈辱について、中日ドラゴンズファンでアンチ巨人な手束仁氏は「アンチ巨人読本」シリーズで、「(マスゴミが祭り上げた)神様・長嶋の人間宣言」と評しました。アンチ巨人も全体的には下手すれば巨人ファン以下のレベルなのだけど、これは私もそのとおりだと思います。それでも何故か観客は増えていったのだけど、もうある種のピエロだったと言ってよかったでしょう。そして翌年は張本など大補強をしたのだけど・・・・・・・

③山口高志、強烈なるデビュー

確かに球は速かったらしいけど、それだけというか、絶好調だった昭和53年を除けば負け越しているし、51・52年は与四死球王になるなど、能力的に突出していたとは思えないです。コーチとしては藤川球児を育成するなど一定以上の手腕は確かにありますが・・・・・・・

④阪急、初の日本一

でも、ペナントレースは通年では西本幸雄監督2年目の近鉄に8ゲーム差もつけられた2位なんですよね。昭和48年の所謂「南海死んだふり優勝」(これも現在の野村監督が過大評価されている大きな要因の一つとなっている。)に続いて、こういう2シーズン制の弊害が如実に現れたと言えたけど、元あと言えば、「巨人一極集中」・「不幸なる2リーグ分裂」などがもたらしたインチキと言えたのです。いい加減現在のクライマックスシステムも廃止してほしいけど・・・・・・・

⑤その他チーム

・南海

マスコミは野村と仲良いから指摘しませんが、実はこの年の南海も去年の楽天同様「得失点差がプラスながら最下位」となる可能性があったのです。結局は1厘差で何とか最下位は免れましたが・・・・・・有名な「長嶋はひまわり、俺は月見草」の名言(?)が出たのもこの年です。

・日本ハム

中西太は杉下茂や近藤昭仁などと同様「コーチとしては有能だが、監督としては・・・・・・」な典型的な例(一応優勝経験もあるし、ダメ監督ワースト10に入るほど酷くは無い。)ですが、監督通算で負け越しに終わってしまったのは球団社長に就任した義父・三原脩とのコンビで監督を務めたこの日本ハムでの2年連続最下位が大きく響いたと言えます。その後も何故か「コーチとして入団→監督途中休養により代行を務める」パターンを阪神・ヤクルト・ロッテで3回も繰り返し、義父三原同様5球団で采配を執る事となりました。そして阪神では江本の「ベンチがアホやから・・・・・」騒動(ただし、5年ぶりのAクラスに導いている。)に巻き込まれ、ロッテではオリックス・イチローのあのシーズン200本安打の達成をこの目で見届ける(しかもサヨナラ負けで、翌年はそのオリックスでチームメイトでもあった仰木と再びコンビを組むことに)形となってしまい・・・・・・本当に彼は数奇な運命に遭遇してきた野球人なのだとつくづく思います。

以上ですが、特に広島初Vと巨人初最下位はまさに球界再編というか、戦国時代に入った事を象徴した出来事でした。翌年はその巨人は・・・・・・・・

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