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2009/06/22

週刊プロ野球セ・パ誕生60年その1-「1974年 長嶋茂雄引退」

今年3月末から、NPBがセ・パ2リーグ制60周年を記念して2リーグ制となってからの歴史を振り返る「週刊プロ野球セ・パ誕生60年」が毎週火曜日に刊行されていますが、これからはこれも不定期ながらも、「スポーツ」とは別の「NPBの歴史」というカテゴリーとして、自分なりに思った事を述べていきたいと思います。

①長嶋茂雄引退

やはりこれを第1にあげなければいけないというか(苦笑)・・・・・・・・・

確かに長嶋茂雄という人は不世出のスターだったと思いますよ。王・野村・張本に比べれば見劣りするとはいえ、成績が超一流だったのには変わりないし、しかもあの「V9」という金字塔の中で中心打者として高度成長期という古き良き時代(?)の象徴だったのも間違いなかったでしょう。でも一方で、マスゴミはまた嘘をついていたようですが、彼が入団して劇的にプロ野球の人気が高まったというわけでもないみたいですね。実際彼が入団して、セリーグや巨人の観客動員数が劇的に増えたわけでもないし、実の所、その後のテレビの普及による所が大きかったみたいです。また王貞治との所謂ON時代(1963~74年)がプロ野球黄金時代と言われているけど、実際には黒い霧事件が起こったり、巨人自体も湯口事件やドラフト入団拒否事件が起こったりと暗い出来事も見られたのです。要するに「確かに一時代を築いたスーパースターではあったが、『メディアに作られた』側面も決して否定できない。」と言う事なんですよ。もっと超主観的にですが、いつまでも「長嶋、長嶋」と持ち上げる連中はいい加減ウザいですね。(苦笑)確かに、スポーツ過去ログ「過小評価されているミスター?」や「WBCとON?」でも的外れなことを言っていた野球通きどりを批判したように、ことさらONを中傷、過小評価するのも「何勘違いしてんの?」と突っ込まずにはいられないのけど。(苦笑)

②代打の切り札・高井、球宴でサヨナラホームラン

現役当時は結構いい体格していた彼、何年か前にも別の(同じベースボールマガジン社刊行の)雑誌でも目にしましたけど、ほぼ別人というか、痩せていたのにはちょっと驚いた記憶があります。当時の主砲だった長池の衰えで後には、DHのレギュラーも務めた彼でしたが・・・・・・・・・

③王貞治、2年連続三冠王

確かに当時の後楽園球場が狭い、HRが出やすい球場で、過去ログ「続阪神ファンの悪い所」で言及した某阪神ファンも野球場のページで「読売のやる事はインチキだ。」(君の好きなチームだって、ラッキーゾーンとか設けてたじゃん。アレはインチキじゃないのかね?((苦笑))なんて息巻いてましたけど、それは当時は他の球場も似たり寄ったりだし、よくONだけじゃない昔の選手を「今はあの頃と比べてレベルが上がったから。」「球場も広くなったから。」とかのもっともらしい理由で過小評価したくてしょうがない、やはり野球通きどりな人(特に2ch)を見かけますが、確かにそのままタイムスリップさせれば大した成績は残せないのかもしれない。しかし、昔と今では環境や選手の体格とか違うのだし、最初から現代に生まれていれば、王貞治も1シーズン55HRとまではいかなくとも、やはり超一流の成績を残せていたと思います。そもそもそんな時代の異なる選手を比較なんかしたってまったく無意味「いつの時代でも偉大な選手は偉大」なんですよ。理解できたかね?理解できないようだね~エラくないねぇ~(アレッシー風ww)

④中日ドラゴンズ20年ぶりの優勝・巨人V10を阻止

数々の名勝負(10.8など)もさる事ながら、対戦成績を見ても確かに「巨人阪神戦」ではなく、「巨人中日戦」が伝統の一戦と言えますね。といっても、中日球団およびそのファンが一方的に意識しすぎな印象も正直否めなかったのだけど、よりによって優勝を決めた日に長嶋の引退発表をするのは、何処となく陰湿さを感じましたね。まあ、後に昭和29年の日本一に貢献した杉下茂が長嶋第一次政権時(昭和51~55年)に投手コーチに就任した時にも、彼は地元のラジオ局出入りを禁止されてしまったのだから、まさに「ちっちぇな。」というか、お互い様(?)だったのだけど。

しかし、確かに僅差とは言え、優勝はしたけど、投手陣は星野や鈴木孝政などの活躍が光ったとはいえ、防御率は巨人に比べてかなり悪く、勢いによるものが大きかったことは否めません。しかし、まあ中日って、そんな暗黒期もない代わりにずば抜けた黄金期もないチームですからね。29年の日本一を含む、昭和25~32年の8年間と、落合政権下の平成16~19年(リーグ優勝2回、日本一1回)の4年間は相対的に黄金期と言っていいだろうけど。

⑤その他チーム

・ヤクルト

若松や安田など新戦力の台頭は確かに見られたけど、三原末期~荒川時代のこのチームは投高打低状態でした。その荒川時代末期にマニエルが入団したのだけど・・・・・・・

・阪神

黒歴史が何気に多い阪神だけど、後半の失速ぶりはまさかのV逸となってしまった去年以上の酷さでした。最終的に4位にまで転落してしまったけど、選手としては1流だった金田正泰監督と江夏・権藤(前年引退)等選手との確執が相次ぐようでは勝てません。シーズン終了時の弁もヤケクソな開き直りだったけど、その後は球界復帰することもなく、没後の葬式も球界関係者の参列がない等さびしい晩年でした。野球殿堂入りも未だ果たしていません。前年優勝していれば生前殿堂入りもあったのかもしれませんが・・・・・

・大洋

去年に続き、この年も江藤慎一は打率ベスト10入りを果たしましたが、かって確執があった水原茂監督の時代からの選手が何人もいた、古巣中日の優勝を目の前で見せられたのは皮肉でした。現在も既に90歳ながらも健在な宮崎剛監督はこの年限り。新監督にはかってのエース・秋山登が就任しましたが、さほど歳の違わない江藤は使いづらく、今度は野球人生の原点であった九州に・・・・・・・・

・太平洋

4位ながらも、黒い霧事件の後遺症がまだまだ残っていた事を考えれば十分善戦と言えたと思います。貧乏くじを引かされた格好だった故・稲尾和久氏はこの年限りでしたが・・・・・・

・近鉄

西本監督を招聘したとはいえ、当時最下位から優勝したチームは昭和35年の大洋ぐらいしかなく、この年は5位に終わりました。そしてシーズン終了後に、長く主砲としてチームを引っ張ってきた、元祖「10代の4番」・「無冠の帝王」土井正博を放出しましたが、直後DH制導入となり、西本監督は後悔する事に・・・・・・・代わりに太平洋から来た柳田豊も長く主力投手としてチームに貢献して、ヤクルトから赤鬼「マニエル」も来た事で、西本監督は史上唯一の「3球団からの監督としての日本シリーズ出場」(故・三原脩氏も巨人でも優勝したが、当時はまだ1リーグ制。)を果たしましたが、長期的な視野から見て果たして土井を放出したのは正解だったと言えたのか?これは甚だ疑問です。確かに西本幸雄氏がプロ野球で5本の指に入る名将であります。彼だけの責任では決してないですが、土井放出後の近鉄は過去ログ「西本幸雄への行き過ぎた神聖視その2」でも指摘したように、外国人打者だよりとなってしまったからです。それは、後に詳しく言及させていただきたいとも思いますが、いわば「諸刃の剣」なこの伝統は現在のオリックスバファローズにも引き継がれています。4人の外国人選手の内、ローズとカブレラが不在で、楽天から移籍したフェルナンデスも不調な今シーズン、最下位に低迷しているのは、投手陣の崩壊も大きな要因ですが、まさに必然的といえるのです。

以上ですが、この年を第1号としたのはいかにもONを神聖視しているスポーツマスゴミらしいと言えます。それでも、ベースボールマガジン社はまだ比較的まともなほうなのだけど・・・・・・

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