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2009/02/07

ロックマンXシリーズとその迷走

本家は「9」まで登場したが、こっちの方は今の所「8」で終わっている、ロックマンXシリーズ。すでに「1」の時点でかなりの完成度を誇っていた同シリーズ、一般的にはその1・2・4あたりが最高傑作、5~7までが不作の連続、8ではその前の3作での試行錯誤が花開いた・・・・・・と言われていますが、私から見れば、5以降は迷走しているままで、その前兆はすでに4の時点で表れていたと言えます。

何故そう思うか?それは第一に「ゼロの存在」があります。彼については、既にX2でカウンターハンターの一人である、サーゲスの存在や、シグマの意味深な台詞から、あのDr.ワイリーが99%製作者であろうと容易に想像できたというものですが、X4でシグマが野望を抱き、度々エックス達に挑戦するに至ったのはイレギュラーハンター隊長時代にゼロと戦った際、そのウィルスに感染したからだというきっかけが描かれてました。まずこれがそのXシリーズ迷走の大元と言えます。

そして、X5では、シグマのスポンサーとしての、ワイリーの存在が仄めかされていました。おそらくライト博士同様、体をプログラム化させてこのXの世界でも生き延びていたのでしょうが、どうやら、カプコンは一時このX5でXシリーズは完結させたかったらしく、非覚醒ゼロだった場合のエックスEDはそれに相応しい前向きなEDと言えたのですが、このX5の事件から僅か3週間後の出来事と言う設定でX6が登場しました。これがXシリーズ迷走第二段階目となったのです。

一度は完結させるつもりだったので、エックスとゼロの動向は前作とよく繋がっておらず、矛盾が目立ちました。さらにその前作の目玉の筈であったダイナモ、ほぼ完全な空気と化していました。カプコンは一体彼をどうしたかったのか?よく分りませんね。いい加減も良い所ですが。(苦笑)これらが迷走第三段階目と言えますが、またまたワイリーを仄めかす存在、というか、ワイリー本人であろうアイゾックが今度は登場しています。

3D化したX7では、ついにエックス本人が一時引退してしまいます。開発陣からすれば、「戦い続ける事への悩み」を表現したかったのでしょうが・・・・・・・・新キャラ、「アクセル」もそれなりにキャラは掘り下げられていたけど、結果的にゼロ主人公化をさらに促進しただけな印象です。そうかと思えば、これまで散々仄めかしていたワイリーのワの字も今作では聞こえず、不自然なのですが、これらが迷走第四段階目でした。このX7までの3作、森久保祥太郎氏はエックスの他にダイナモ役も担当されてましたが、演技ばかりでなく、ゲーム自体の評判も芳しくなく・・・・・・・・私は森久保氏の演技については、決してミスキャストだったとは思わず、ダイナモとの演じ分け等その実力をよく発揮されていたと思いますが、つくづく報われないですね。まあ、その次の声優が盗作騒動で物議をかもした事からも余計そう思うのですが・・・・・・・・

そして、X8ではついに、繰り返し言うようにゲーム面での失敗がまさに「成功の母」となったというか、一般的な高評価を得る事が出来たけど、これもストリートファイターⅣのログで言ったような、「ゲームの出来については合格点はあげられるけど、キャラクターやその世界観の面で何処かズレている妙な代物」なままだった印象です。

既にシグマの扱いは粗くなっており、前作のEDでの「何度でも・・・・・」にはもはや、悪の首領としての威厳とかは感じられませんでしたが、今作ではラスボスではなく、そのラスボス・ルミネの露払い役にとうとう堕していってしまいました。そのルミネが魅力あるキャラだったのならまだ良かったのですが、駄目でした。独善的で全然魅力がありませんでした。これならまだ、シグマにラスボスを務めてもらった方が良かったと思いますが、こうしたシリーズを重ねる毎に扱いが粗くなっていったシグマ、それに代わる筈であった新ボスの魅力の無さが今の所、Xシリーズの迷走最終段階です。

そのシグマが暴走した経緯がXシリーズ迷走の大元とも、既に述べ、以前某サイトで「シグマはワイリーのように何度も復活させるべきではない。」という批判的な意見を目にした事もあったのですが、それは、カプコンが何を勘違いしたが、Dr.ワイリーというマッドサイエンティストの存在を過大評価してしまったからです。いや、ジャンルが違うのだし、乱暴な比較になってしまうけど、ジョジョのDIOみたいな「悪のカリスマ」的な存在ならそうした設定も許されるでしょう。(6部で登場した、その友人という後付設定としてのプッチ神父は悪役失格でしたが。)しかし、ワイリーって、何度も何度もロックマンにその野望を阻止されて、毎回毎回その場しのぎの土下座ばかりしている。良く言えば完全な悪役になりきれないというか、愛嬌は感じられるかもしれないけど、悪く言えばタダのヘタレ、小心者と人間の悪い意味での暗黒面を体現したキャラじゃないですか。「ロックマン&フォルテ」では自分が製作したロボットにまで土下座していたし。そして、こんな事言ったら数多いゼロファンに袋叩きにされそうですが、X5での、非覚醒ゼロと戦った時のEDを正史として終わらせておけばよかったものを、その後も中途半端に続けた為にそうした人間とレプリロイドが平和に共存できる時代の実現にまでさらに100年かかり、余計ワイリーの存在がそのキャラクター不相応に大きくなってしまったわけです。それでいて結局ワイリーとそのゼロとの「切ろうとしても切れない」関係は中途半端なままだし。「ロックマン9」でのEDにもそうした過大評価振りが表れています。だからこそ、ロックマンという、アーサーやリュウなどと並ぶ、「カプコンの顔」をあのようにつまらない貶め方をするEDが考え付くのです。(9発売前には「ゼロが登場するか?」の声もチラホラ聞かれたけど、そんなの私にとってはどうでも良かった。彼の出番はXシリーズだけで十分すぎるぐらいです。)

だから私は、去年のその「ロックマン9」の登場で、Xシリーズについても、9がFC風グラフィックだったようにX9もSFC風グラフィックで出して欲しいというファンの願望も度々聞くのですが、こういう願望には残念ながら到底賛同できないのです。そのFCグラにしたって、冷静に考えれば、ファミコン時代末期はもう作り手の発想に相当すべき技術が限界点に達していて、それが悪い意味でのシリーズの分岐点になっており、結局「ロックマン9」自体カプコンとファンの「ロックマン2」へのいびつな神聖視が悪い形で現れた代物となってしまった。

Xシリーズも本家、いや下手すればそれ以上に迷走を重ねてきていると言えますが、その大元を解決しないでいくら続編を製作しても、良くなる可能性よりも逆に悪くなる可能性が高いのです。だから、私はこのような願望を抱くファンの声を聞くたびに「それは思い入れのフリをした思い込みではないのか?」「本当に安易に続編を製作する事でそのシリーズの方向性が『正しい道』に進むと真剣に考えているのか?」と甚だ疑問に感じるわけですが、ではその大元を解決するにはどうすればいいか?答えは平成17年に発売された、X1のリメイク版である「イレギュラーハンターX」にあると思います。本作で私が興味深く感じたのはシグマが反乱を起こしたきっかけが、エックスのレプリロイドとしての可能性に着目したという新解釈が描かれていましたが、少なくともこの「イレギュラーハンターX」シリーズを4まで新解釈を、他にゼロとシグマのX4で描かれた出会い等積極的に盛り込み、これまで迷走を続けてきたXシリーズの新たな方向性としての答えを見出していくべきと思うのですが、残念ながらその「イレギュラーハンターX」の売上は芳しくなく、シリーズ化の話は聞きません・・・・・しかし、こうした試みこそ私はこれからの「ロックマンX」が通る上で絶対に避けては通れない関門だと強く思います。

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