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2009/01/29

「ロックマン&フォルテ」とそのテーマなど

「ロックマン9 野望の復活!!」で正史認定された「ロックマン&フォルテ」の存在価値はフォルテがプレイヤーの手で使用できる。これだけです。

難易度は2や9と並んでトップクラスに位置し、「ロックマン」というゲームは元来「死んで覚える」アクションゲームだから、それ自体に目くじらを立てるつもりはありません。ところが、終盤のキングステージではボスとの連戦等とにかく詰め込んでしまえという感があったのは否めません。要するにバランスを欠いていたという事です。

また、難易度が高いという事は特殊武器の好活用やパワーアップパーツ等の開発が鍵となってきますが、その特殊武器、燃費が悪いのが不満でした。パワーアップパーツでいくらか良くする事は可能ですが、これもまた「新要素を免罪符とした理不尽に感じられる制限」というシリーズが抱えてきたジレンマの一つです。

CDコレクションも、他のシリーズには見られなかった、毛色の違った要素でしたが、これも折角苦労して集めてもそれに見合ったメリットはありません。

BGMも相変わらず低調でした。ボスバトルのそれは、普通に「ズレていて、ダサい」代物に過ぎなかったし、テングマンやバーナーマンのそれも、全然ボスやステージのイメージに合っていません。「やる気の無さ」が大いに感じられたというべきでしたが、唯一の例外はコールドマンステージのそれ。でも、これは事実上の第2面(1面はオープニングステージ。)だしねぇ・・・・・・・・

新ボスのキングもキャラクターが全然浅くて、バラードやサンゴットのような名優にはとてもなれなかった、つまらないボスでした。ワイリーも、流石は天才科学者というべきなのか、この頃になると、高度な思考回路を持つロボットを製作できる(そういえば、この頃既にゼロの開発も始めていたか。)ようになり、副作用として彼らはワイリーのいう事を聞かなくなったのだけど、キングもその一人で、「なぜ、我々ロボットは劣等である人間などの為に働かなくてはならないのか?」「何故、仲良くすればいいはずなのに、ロボットはロボット同士で戦わなくてはならないのか?」本作にはそうした、続編の「ロックマンX」シリーズにつながる、「人間社会におけるロボットの在り様」がテーマとして描かれていた・・・・・・・筈なのですが、それにしては中途半端過ぎるのです。実はこれは本作で最も駄目な点なのですが、①何故SFCが対応ハードだったのだろう?②何故「ロックマン9」として製作せず、「8の外伝」として製作したのだろう?③何故やっと9作目でこのような「テーマ」を打ち出したのだろう?④何故キングをラスボスにしなかったのだろう?⑤何故去年「自称」続編の「ロックマン9」が登場したのだろう?これだけの疑問点が浮びます。

①は「PS・SSに移行してしまった事に対するお詫び」と釈明したけど、結局は「自分達のやる気の無さに対する言い訳」なのではです。ちゃんとPS・SSで発売すべきだったと思います。アニメーションは無くても全然かまいませんが。「ロールヒロイン化」を悪い意味で助長してしまった様だし。

②は①でも少し触れたけど、言い換えれば「そもそも『8』は外伝作るほど存在価値のある作品だったのか?」という事です。自分は正直「ノー!!」ですね。「8」の所でも述べた様に同作は名作どころか寧ろ、「『ロックマン本家』シリーズの現在に至るまでの迷走を決定付けた迷作」であるからです。

③は要するに「そういうテーマは『ロックマン7』で使うべきだったんじゃないの?」という事です。「7」もフォルテのデビュー作という以外存在価値は感じられないですが、彼は「5」か「6」でデビューさせるべきでした。

⑤は③でも言及したテーマの下、ストーリーが展開するのならそれはロックマンとワイリーの宿命の対決ももう終盤戦と言う事なのです。実際、これとほぼ同時期であろう、「ロックマン2 ザ・パワーファイターズ」でのフォルテEDでは99%ワイリー製であろうゼロの存在が仄めかされてました。ところが、本作では中途半端に終わったまま、ファミコンシリーズPS復刻版も、15周年記念のはずのGBAリメイク版も「やる気の無さ」ばかりが目立ち、ますます衰退し、その閉塞感からファンはますます「ロックマン2」への異常なほどの神聖視に走り、その結果全くいびつな産物である「ロックマン9 野望の復活!!」が誕生したのです。しかし、「9」でのライトナンバーズはスクラップにされる運命にありながらも、まだまだ人間のために働きたいという意志を持っていて、人間の為に働くのを良しとしなかったキングとは本質的に異なる存在です。EDで正史認定されたと言うけど、それ故に余計本作は浮いた存在になってしまったと言えるのです。フォルテの設計図が見られたのもかなり不自然だったし。まあ、「9」はそのフォルテ以上に浮いている、全く悪い意味で異質な存在ですが。私から見れば。

前述のゼロを主人公にした「ロックマンゼロ」シリーズの4作目、「ロックマンゼロ4」について、某所で「作り手の情熱が感じられるが、それが過ぎてプレイヤーから見れば堅苦しく感じられるシリーズ」と評していた人がいました。確かにそういう作品も万人受けは難しいでしょうが、この「ロックマン&フォルテ」のように「作り手の情熱」があまり感じられない作品も困り様です。実際、料理をちゃんとうまくやっていれば、「本当の意味」で名作になれる可能性だったあったのです。「8」の悪い点もほんのちょっぴりは改善されてはいたし。でも、やはりこの時点で「シリーズの迷走」という歯車は止められなかったのかもしれません。

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