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2009/01/25

「ロックマン6」とその限界点

「ロックマン6」はファミコン版最後のシリーズであったが、ラッシュとの合体が目玉でした。しかし、それ以外の部分が、丁度開発が「ロックマンX」とほぼ同時期という事もあってか、おざなりにされてしまった印象でした。設定上は「ハイパーロックバスター」を装備する等パワーアップしていた筈が明らかに弱体化していたり、特殊武器が迫力感に欠けたり、今回の新たな黒幕ミスターXも結局はワイリーの自作自演でしかなかったり等等であります。この6から所謂「プレイヤーを惹きつける香辛料たり得る新要素の副作用としてのジレンマ」に悩まされるようになるのであるが、残念ながらもう既に前作の「5」で、技術が発想に追い付いてしまったと言えます。6でのこうした躓きも「ロックマン」シリーズを駄目にした大きな要因の一つです。

そういう事を冷静に考えれば、昨年登場した「9」で「ファミコンの新作」として、ファミコングラに戻ったのも、「ある意味斬新であるが、それだけ。」に過ぎません。ニコニコ動画では、6の改造版「史上最低の戦い」も見ることができるが、易化傾向にあった難易度がやや高めに設定されていたり、特殊武器が改良されていたりとハッキリ言ってオリジナル以上の良作に仕上がっています。正直「2」の改造版ばかり氾濫しているのにウンザリさせられているというのもあるのだが、こうした「良い所はそのままに悪い所を真面目に改良した」改造版こそもっと注目されて良いと思うのですが。そもそも、平成11年に「PS復刻版」シリーズを出す時点でこのようなリメイクをすべきだったと思うのだが、その復刻版は1作ずつ、中身を無理やり豪華そうに見せてファンに売りつけた代物でした

こういう、所謂「やる気のなさ」(が感じられると思ったら、この6の場合、「タツノコVS.CAPCOM」では今や犯罪者と化した小室哲哉氏の元嫁の方が歌っていたロールのテーマ曲「風よ・・・伝えて」をスタッフロールの後に何故か聴ける等力の入れ所がずれてるだろと突っ込みたくなるような代物だったのだけど・・・・・・)も今から見れば、シリーズの大きな分岐点だったように思えてなりません。しかし、現実にはネットの進む普及も相まって、私から見れば、ファンのアレ以外の何物でもないように見える、「思い出は億千万」や「エアーマンが倒せない」等の妙な組曲や多種改造作品の氾濫等「2」への神聖視はますます進み、それは「ロックマン」シリーズをいっそう駄目にしてしまっているのであります。

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